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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

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2対馬藩国書偽造と朝賀とご機嫌伺いと文化朴李の朝鮮通信使

 

2対馬藩国書偽造と朝賀とご機嫌伺いと文化朴李の朝鮮通信使

韓国呼称「第1~2次対馬征伐」は日本に記録無し

1389年1対馬征伐(韓国呼称)」 慶尚道元帥朴葳に率いられた高麗軍が、激化していた倭寇討伐のために対馬を襲撃した。朴は、倭寇船300余隻を撃破し、捕虜となっていた多数の高麗人を救出した(高麗史)。

 この件での日本側の記録は存在せず、「高麗史」を参考に記述した「宗氏家譜」(1719年)218日に、高麗軍を追い返したとある(康応の外寇)。

 倭寇の活動は高麗王朝滅亡の一因ともいわれており、李氏朝鮮王朝の祖である李成桂も倭寇討伐で功名をなした。

主君高麗倒し李氏朝鮮建国

1392年帝国と密接な関係持っていた高麗王朝を、部下李成桂反乱で倒し、李氏朝鮮王朝を建国。新に中国を支配した明と国交を結んだ。高麗時代の仏教を廃し、儒教を国教とした。

1396年12月2次対馬征伐(韓国呼称)」 李成桂が壱岐・対馬討伐を命じた。門下右政丞金士衡を五道兵馬都統処置使に任じ、南在、辛克恭、李茂を配下につけ、出立に当たっては成桂が南大門まで見送った。

 1397年1月に慶尚道蔚州浦で降伏した倭寇首領の羅可温(ナガオン)、子の都時老(ドシロ)、配下の昆時羅(コンシラ)が役人を人質にして逃亡するという事件があったが、210日には朝鮮の官職を与えて帰順させた。また、翌13982月、倭寇首領の羅可温、望沙門(マンサムン)等に官職を与えるとともに、それぞれ藤六、林温、池門と改名させた。

 士衡は翌年130日に帰還して出迎えを受け、28日に宴席を設けられた。朝鮮王朝(李朝)実録

 一倭寇の帰順針小話を、「第2次対馬征伐」などど棒大に、韓国が拡大した。

 この時期に朝鮮軍の侵攻があったという記録は、日本には無い

 

1419年応永の外寇(応永26年)6月 対馬では倭寇の禁止や日朝貿易の進展に積極的であった宗貞茂が死去すると、倭寇の活動が活発化し、朝鮮王朝第3代の太宗は、1419年(応永26年)6月、倭寇討伐を大義名分とした掃討戦を決意した。

 朝鮮軍は、兵船227隻・軍兵17,285で来襲し、尾崎浦(おさきうら)を焼き払い、つづいて小船越を襲撃し、さらには仁位浦に進んで如加岳(糠嶽、ぬかだけ)で対馬兵とのあいだで激しく戦った。朝鮮軍は、対馬の人びとの伏兵などによる反撃などにより損害が大きく、戦況が膠着状態となり暴風雨も近づいたため、対馬側の和平提案を受け入れて、73日に巨済島へ全面撤退した。これが応永の外寇であり、朝鮮では乙亥東征と呼んでいる。

 

室町期朝鮮通信使履歴

1428年1回足利義教

 1428年(正長元年)派遣の使節に同行した書記官の申叔舟が著した『海東諸国紀』によると、倭寇禁圧要請と併せて、倭寇の根拠地の特定、倭寇と守護大名、有力国人、土豪との関係、都市部の発展状況や通貨政策など国力状況の観察、日本での仏教の展開状況をはじめ15項目の調査内容があったという。須田牧子「日朝国家間外交における大内氏の地位」『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)

1429年、日本に来た朴端生は、「日本の農人、水車の設けあり」として、学生の金慎に「造車の法」を精査させて模型を作り、鍍銀(銀メッキ)、造紙(紙漉)、朱紅、軽粉などの製造法を祖国に報告している。

 日本の貨幣経済の実態や、店舗商業の発展等にも及んだが、その中で技術にまで言及していたのは、渡航前に世宗から「倭の紙、堅籾、造作の法また宜しく伝習すべし」と、日本の技術を導入するように命じられていたからである。

 水車は、その百年以上も昔の、「徒然草」(第五十一段)にも記されており、当時から農民達の手で取り付けられていた事を考えると、日本と朝鮮の間には相当の技術格差があった。下條正男『日韓・歴史克服への道』展転社(1999)

1439年2回足利義教

1443年3回足利義教

 

日本統治以前はハングル皆無漢字全盛文盲時代!

1446年「訓民正音」ハングル文字製作。第4代王世宗が「訓民正音」の名で公布したハングルは、1504年、10代王・燕山君が禁止し、1506年後継王・中宗が、正音庁(諺文庁・ハングル研究機関)も閉鎖し、日本統治までの406年間、公用禁止文字であった(朝鮮王朝実録)。

「朝鮮事情」ダレ著金容権訳平凡社抜粋

 ダレ著となっているが、フランスの第五代朝鮮教区ダブリュイ主教(1866年ソウルで李朝に処刑された)が、1845年から21年間命懸けで収集したものを編集したもので、ダレは編纂者。

 1910年から日本統治なので、統治直前の「朝鮮事情」である

 「第七章朝鮮語・・・試験(科挙)は、すべて漢字で行われ、中国の文字と書籍きのみをその対照としていた。政府の八つの主な学校では、中国の文学と科学だけを研究し、国語である朝鮮語は除けものにされ蔑視されている。・・・国王や王国の年代記、布告、守令の命令、法廷の判決、科学書、碑文、通信、商人の会計帳簿、商店の看板等、あらゆるものが漢字で書かれる」

日本統治文盲解消に尽力!

 そのハングルと漢字の混合文を世界で最初に発案した福沢諭吉は、活字を私費で築地活版所に作らせ、弟子の井上角五朗が「脱亜論(1885年3月)」の翌年1886年1月、朝鮮史上初の漢字ハングル混合文を用いた「漢城周報」を発行(朝鮮族は完全隠蔽教育)等々尽力し、文盲解消に努力(「歴史を偽造する韓国」中川八洋著徳間書店2002年4月)。

 

「三浦の乱」宗氏大敗

1510年(永正7年)、李氏朝鮮の貿易抑制政策や、恒居倭(朝鮮在留日本人)に対する締め付けに耐えかねた、居留日本人恒居倭と宗氏は、居留地三ヶ所の浦(釜山浦、乃而浦、賽浦)において、対馬島主の子息宗盛弘を大将とする4,000名から5,000名にのぼる軍勢で、蜂起したが、数に勝る朝鮮の官憲に大敗し、盛弘は熊川で戦死した(三浦の乱)。以後居留地は、釜山浦一ヶ所にかぎられた。これ以後、中国人を主体とする後期倭寇が東シナ海や黄海の広い海域で活動し日朝貿易は衰えた。また宗氏は、戦国時代に壱岐に進出した松浦氏との対立もはじまった。

 

明侵攻の仲間となるよう秀吉が朝鮮説得

1587年秀吉は大陸経路を計画し、まず朝鮮と国交を結び、朝鮮を先導として明に攻め入ろうと計り、朝鮮に伝え、日本に来た朝鮮使節にも伝えた。しかし、朝鮮からは回答もなく、年月のみが経過した。(228p)

 

豊臣秀吉に派遣された通信使2の1

1590年天正18年)に豊臣秀吉に派遣された通信使の名目は、秀吉の日本統一祝賀であったが、朝鮮侵攻の真偽を確かめるために派遣された、通信使であった。

 

秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)では、氏が出兵に先立つ

1591年(天正19年)、厳原には古代の金石城の背後に清水山城が、上対馬の大浦には撃方山城が築かれて、中継基地となった。対馬からは宗義智5,000人を動員した。義智率いる対馬勢は、一番隊から九番隊に編成された派遣軍のなかでも最先鋒部隊の、小西行長の一番隊に配属された。

1592年(文禄元年)義智らは全ての日本軍の先陣となって渡海し、朝鮮軍や明軍と戦い、釜山、漢城(現韓国首都ソウル)、平壌(現北朝鮮首都)を次々と攻略した。

 義智は、戦闘だけでなく行長とともに日本側の外交を担当する役割も担っており、行長とともに常に講和を画策していた。30万の軍隊がここを中継地として渡海したため、対馬ではたちまち食糧が底をつき、駐留する兵士が鶏・犬・猫などを住民から奪う禁令が出されたという。なお、対馬には小西行長着用の兜が伝えられている。

 義智は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは西(豊臣)軍に加わって、みずからは伏見城攻撃に参加し、大津城攻めや関ヶ原本戦では家臣を派遣して参陣した。西軍敗北後は徳川家康から許され、以後代々徳川氏に臣属し、李氏朝鮮に対する外交窓口としての役割を担なった。

 

秀吉朝鮮に侵攻

1592年秀吉は大軍を送って朝鮮に侵攻した。党争のため結束がなかった朝鮮は瞬く間に全土を侵略された。援軍要請を受けた明軍も京城北部の碧蹄館の戦闘で日本軍に敗れた。海戦や各地義軍の反撃もあり、講和も進行したが決裂。

 

豊臣秀吉に派遣された通信使2の2

1596年(慶長元年)の通信使は、日本と明の休戦交渉の締めくくりとして行われた使(冊封使)の日本への派遣に同行したもので、正使・黄慎と副使・朴弘長は秀吉より接見を許されなかった。明使の交渉も失敗し慶長の役の再出兵が行われた。

 

1596年再び日本軍の侵攻が開始された。

1598年秀吉のによって日本軍は撤退(明と停戦合意)し、ついで明軍も撤退し、前後7年の朝鮮侵攻は終わった。

 

停戦無視逆臣「李舜臣」捏造と捏造

2014.7.3 msn産経

韓国「反日英雄像」が手にしているのは「日本刀」と判明、「撤去せよ」と大騒ぎ…「これは降伏のポーズ」の指摘も、笑えぬ韓国「時代考証」の杜撰さ

 韓国で「抗日」の象徴として英雄視される李氏朝鮮の将軍、李舜臣(イ・スンシン)(1545~98年)の銅像が日本刀を持っている-と韓国内でクレームがつき、撤去や改修の声が上がる騒ぎとなっている。 李舜臣は豊臣秀吉が朝鮮に出兵した文禄・慶長の役(1592~98年)で朝鮮水軍を率いて戦ったことで知られ、ソウルの目抜き通りや国会議事堂をはじめ、各地に銅像が立つ。そのいずれもが日本刀ばかりか、中国の甲冑を身につけているとして問題視されているのだ。「反日」が吹き荒れる韓国で民族の英雄が日本製の武器を身につけていては確かに格好がつかないだろうが、騒動の根底にあるのは韓国の時代考証やもの作りのいい加減さともいえそうだ。(岡田敏彦)

「日本を撃破!」は…停戦を無視し、返り討ち

 李舜臣は文禄・慶長の役で朝鮮水軍を率い、日本相手に「23戦23勝」の“戦果”をあげた英雄とされ、豊臣軍の海上補給路を断って苦しめた功績が伝えられている。

 ただ、これらの戦果は誇張されたもので、残された資料によると、李舜臣はゲリラ的に奇襲して日本の輸送船をいくつか沈めたものの、日本側が立て直した後は撤退続き。最後は、明軍と停戦合意して引き揚げる豊臣軍に対し、停戦を無視して攻撃をしかけたあげく返り討ちに遭って死亡したとされる。

 しかし、明治維新後に朝鮮が日本の統治下に置かれる過程で研究者により再評価され、日本を撃退した英雄として、その後、韓国内で多くの銅像が立てられた。ところが、そのデザインが最近、問題視されているのだ。

 銅像はいずれも立てた刀を持ち、膝まで届く長い鎧(よろい)を着て立っている。この刀が、朝鮮伝統のものより長く、「日本刀じゃないのか」との批判が噴出。さらに鎧も中国の装身具のようで、「刀は日本刀、鎧は中国風」といわれるようになった。―

 

朝鮮人はこれまでの、度々の対馬侵攻元寇はそ知らぬ顔で棚に上げ、「秀吉侵攻」のみを声高に叫ぶが、「秀吉朝鮮侵攻」は、元寇等々、これまでの復讐戦といえる!

 

捏造の上塗り歴史捏造自慰映画「鳴梁(李舜臣将軍の業績)」で洗脳!「真実」を企む韓国!

201516 中央日報

「韓国を訪れる観光客ならば誰でも帰国の途に李舜臣将軍の銅像や亀甲船の模型を買っていくようになるだろうか」。

 

江戸時代朝鮮通信使再開のいきさつ(三者の利害一致で再開)

 対馬は山が多く耕作に不向き、貿易なくしては、経済が成り立たない。国境の対馬藩は、前掲のごとく度重なる戦乱で、貿易も無く荒れ放題、疲弊の極みであった。徳川家康から許され臣属はしたが、西(豊臣)軍に加わった負い目がある。一発逆転唯一の策が、朝鮮と国交回復しての貿易。困窮の対馬藩は、国書偽造してまでも、朝鮮との貿易を望んだ。

 江戸幕府は、地理的に有利な西日本の大名に先んじて、朝鮮と国交を結ぶ必要があった。また、「朝貢使」として、元西軍民衆に見物させ、「朝鮮と戦った秀吉」より格上を宣伝、幕府の権威固めに利用したかった。

 朝鮮は、後ろ盾の明が朝鮮半島から撤退し、単独となり、満州の女真族(後金)は勢力を拡大していた。日本が再び敵となれば、一たまりも無い。再度の朝鮮出兵を恐れた朝鮮は、日本との関係修復を望んでいた。

 こうして三者の利害が一致し、対馬藩が朝鮮側に通信使の派遣を打診し、江戸幕府と李氏朝鮮の仲介をした。

 朝鮮出兵の際に連れさられた捕虜の送還をかわぎりに、日朝交渉が開始された。

 朝鮮出兵時の、王陵荒らしの戦犯要求に、対馬藩は、朝鮮出兵とは全く無関係の罪人の喉を、水銀で潰して唖者にし、「朝鮮出兵の戦犯」として差し出した

 1605年、日本から先に国書を送るように李氏朝鮮が要求してきたが、徳川政権当然無視は明白なので、対馬藩は国書を偽造して朝鮮へ提出した。書式から偽書の疑いが生じたが、朝鮮は、「回答使」(対馬藩は幕府に「通信使」と偽った)を派遣した。

 こうした対馬藩の努力によって、1607年(慶長12年)、江戸時代になってはじめての通信使が幕府に派遣され、629日(56日)、江戸にて将軍職を継いでいた秀忠に国書を奉呈し、帰路駿府で、家康に謁見した。

 このときから1624年の3回目までの名称は回答兼刷還使(通信使は4~12)とされ、日本に連れ去られた儒家、陶工などの捕虜を、朝鮮へ連れ帰るのを目的とし、日本側からの国書による回答(謝罪)を要求した。この求めに対し、帰国希望の捕虜は帰したが、徳川幕府が、「謝罪」の国書を送った形跡はない。

 対馬藩は回答使の返書も改竄し、1609年に、対馬藩念願の貿易協定、己酉約条を締結させた。

 朝鮮人捕虜の儒家は、ほとんどが帰国したが、陶工の多くが日本に留まった。日本は当時も、技術を持った職人を高く評価していたが、朝鮮陶工は、李氏朝鮮儒教思想による差別で、最下層の賤民であったことが原因。

 対馬藩は1617年、1624年と三次に渡る交渉でもそれぞれ国書の偽造、改竄を行い、両国の辻褄を合わせた。

 一連の、なりふり構わぬ工作は、国境の島、戦乱坩堝対馬藩の、窮状を語って余りある。

 

下克上(柳川一件・対馬藩主と家老柳川調興との国書偽造で対立した事件)

 対馬藩の家老であった柳川調興は、主家(宗義成)から独立して旗本への昇格を狙っており、藩主である宗義成と対立した。そのため、対馬藩の国書改竄の事実を、幕府に対して訴え出た

 柳川は、家康の覚えも良く、幕閣有力者からの支持もあり、「幕府も日朝貿易の実権を直接握りたいであろう」との推測から、勝算があると考えていた。一方、仙台藩主伊達政宗など、宗義成を支持する大名もおり、彼らは、下剋上が横行する戦国時代完全に終ったことを印象付けるために、この事件を利用する方向で動いた。

徳川家光の裁定

 1635年(寛永12年)311日、三代将軍家光の目の前で、宗義成、柳川調興の直接の口頭弁論が行われた。江戸にいる大名が総登城し、江戸城大広間で対決の様子が公開された。結果、幕府としては従前同様に日朝貿易は対馬藩に委ねたほうが得策と判断し、宗義成は無罪、柳川調興は津軽に流罪となった。また、以酊庵の庵主であった規伯玄方も国書改竄に関わったとして南部に流された。

 宗義成は対朝鮮外交における権限を回復させたものの、対朝鮮外交に不可欠であった漢文知識に精通し、かつ朝鮮との人脈があった柳川調興や規伯玄方を失った事で、対朝鮮外交は停滞してしまった。

 義成は幕府に援助を求めた。幕府は京都五山のの中から漢文に通じた優秀者(五山碩学)を、朝鮮修文職に任じた。対馬の以酊庵には、外交文書作成や使節の応接、貿易の監視任務の者を、輪番制によって派遣した。

 その結果、日朝貿易は以前と同じく対馬藩に委ねられたものの、幕府の厳しい管理下に置かれた。幕府は国書に記す将軍の外交称号を「日本国王」から「日本国大君」に改めることとなる。

国書偽造(鈴木輝一郎著 新潮文庫 1996年)

 

江戸期履歴

回答兼刷還使12の3

1607年(慶長12年)第1回 徳川秀忠 日朝国交回復、捕虜返還

1617年(元和3年)第2回 徳川秀忠 大坂の役による国内平定祝賀、捕虜返還

1624年(寛永元年)第3回 徳川家光 家光襲封祝賀、捕虜返還

 

朝鮮通信使12の9

1636年(寛永13年)第4回 徳川家光

1643年(寛永20年)第5回 徳川家光 家綱誕生祝賀、日光東照宮落成祝賀

1655年(明暦元年)第6回 家綱襲封祝賀

1682年(天和2年)第7回 綱吉襲封祝賀

1711年(正徳元年)第8回 家宣襲封祝賀

1719年(享保4年)第9回 吉宗襲封祝賀

1748年(寛延元年)第10回 家重襲封祝賀

1764年(宝暦14年)第11回 家治襲封祝賀

1811年(文化8年)第12回  家斉襲封祝賀(対馬に差し止め)

 

1607年こうして朝鮮の使節はじめて日本を訪れた。

 江戸時代を通じて宗氏が対馬府中藩(通称対馬藩)の藩主を務め、城下町は対馬府中(厳原)につくられた。

 

慶長条約

1609年(慶長14年)には己酉約条(慶長条約)が締結され、講和が成立した。釜山には倭館が再建された。倭館は、長崎出島の25倍におよぶ約10万坪の土地に設けられ、500人から1,000人におよぶ対馬藩士・対馬島民が居留して貿易が行われた。

 2代藩主宗義成の代には、1615年(元和元年)に大坂の役に徳川方として参加した。その後、義成と対馬藩家老柳川調興とのあいだに前掲の下克上(柳川一件)が起きている。1637年(寛永14年)から翌年にかけては、島原の乱に幕府側として参加した。佐須鉱山を再掘したのも義成の時代であった。

 対馬藩は、参勤交代制度に基づき、3年に1度、江戸の征夷大将軍に出仕することとされ、江戸に藩邸を構え、厳原との間を藩主自らが大勢の家臣を率い、盛大な大名行列を仕立てて往来した。外交面では鎖国体制のなか、朝鮮通信使を迎えるなど日朝外交の仲介者としての役割を果たした。また、日朝それぞれの中央権力から釜山の倭館において、出貿易を許されていた。現在の釜山市は対馬の人びとによってつくられた草梁の町から発展したものである。

 柳川下克上以来、日朝外交の体制が整備され、府中の以酊庵(いていあん)に京都五山の禅僧が輪番で赴任して外交文書を管掌する「以酊庵輪番制」が確立するなど、幕府の統制も強化された。1663年(寛文3年)には、対馬藩により5基の船着き場が造成されており、現在「お船江跡」という遺構として当時のつくりのまま保存されている。

 

1616年明も荒廃し満州族の統一が進み、ヌルハチが後金国建国

1619年明も李氏朝鮮も後金国を攻めたが、サルホの戦いに敗れ、後金国(後の清国)が明を圧した

1636年正式の通信使がはじめて日本に派遣された。対馬の宗氏は外交を担当し、対朝鮮との貿易を認められた。(226p)

 宗氏の朝鮮貿易は朝鮮側の対手が徳川(公)か、宗氏(私)かによって区別された。公貿易の場合の日本の輸出品は銅が主で、蘇木、水牛角、胡椒等々。輸入品は木綿が多かった。宗氏私貿易の場合は、銅、鑞、胡椒、明礬などを輸出し、米、大豆、木綿、生糸、人参等を輸入した。(227p)

 朝鮮の採掘精錬は18世紀後半からなので、銅はあっても、精錬法を知らなかった朝鮮は、ほとんどを日本から輸入した。(198p)

 

丙子・丁丑の乱

1637年前年に国号を清と改めた(後金国)満州軍が侵攻し、李朝は降伏、明との断交、王子、大臣の人質、清に対する臣礼、清の対明攻撃への援兵派遣などがきめられた(丙子・丁丑の乱)。以後は完全に清国の属国となった。日本が日清戦争(1894~95年)で解放するまで、属国は続いた。⇒3につづく



3朝鮮幽囚記と対日依存文化の李朝と庶民や大名の見世物朝鮮通信使

3朝鮮幽囚記と対日依存文化の李朝と庶民や大名の見世物朝鮮通信使

「朝鮮幽囚記」オランダ人ヘンドリック・ハメル著 生田滋訳平凡社

1653年8月16日オランダ船難破。この国は私たちによってコレー、彼らによって朝鮮国と呼ばれ(P35~36)

 ――対馬、すなわち彼等によってテイマツテと呼ばれる島があります。彼等のいうところによりますと、この島は最初はコレー人に属していたのですが、〔相当以前の〕戦争の時に条約によって日本人のものとなり、コレー人はその代わりに済州島を再び手に入れたのだということです。

(注・149 p98)対馬と済州島 対馬が朝鮮の支配下にあったことも、済州島が日本の支配下にあったこともない。しかし、「新増東国與地勝覧」巻23、東萊県山川の条対馬島の項に「即ち日本国対馬州也。もと我が鶏林に隷す。何れの時なるを知らず、倭人の拠る所と為る」とあり、このような伝承が行われていたものと思われる。同様な記述はジョアン・ロドリゲスの「日本教会史」にも見える(上201-2、263ページ)。

前掲のように、対馬が「最初はコレー人に属していた」ことなど、有史以来一度も無い!捏造の歴史がここまで遡れるということは、捏造は朝鮮族の代名詞といえる。
 ただし、1145年成立の『三国史記』脱解王が起源なら、新羅統治倭人の、倭地表現なので、当然である。朝鮮人支配の対馬ではない!
鶏林は新羅の異称
 《新羅(しらぎ)の脱解王が、城の西方の始林に白鶏の鳴くのを聞き、始林を鶏林と改めたという「三国史記」の故事に基づく》。デジタル大辞泉
脱解王
 脱解尼師今(だっかい にしきん)は、新羅の第4代の王(在位:57年~ 80年)であり、姓は昔(ソク)、名は脱解(タレ)。
 「脱解尼師今が即位した〈吐解ともいう〉。王はこの時(57年)、年が六十二歳で姓は昔氏、妃は阿孝夫人である。脱解王はもと多婆那国の出身で、その国は倭国の東北一千里のところにある。・・・(金思燁訳)」朝鮮最古の史書『三国史記』(1145年成立)の新羅本紀

 663年の白村江の戦い以降、有史以来支配した韓半島南部から撤退した日本は、対馬に防人を置き、日本防衛最前線の要とした。

この国民の誠実、不誠実および勇気について(p52)

 彼等は盗みをしたり、をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。

 

当地で行われている外国との貿易および国内での商業について(p53)

 当地には対馬島の日本人以外には貿易に来ません。彼等は(国の)東南部の釜山市に商館を持っています。それは同島の領主に所属しているもので、当地に胡椒、蘇木、明礬、牛角、鹿皮、鮫川およびその他多くの品物を持ってきます

 それらは、我々オランダ人および中国人によって日本にもたらされたものです。――当国民は北京およびシナの北部でも若干の貿易を行いますが、陸路を馬で行かねばなりませんので、大変な費用がかかります。――都から北京まで旅行して帰ってくるまでには、どんなに早くても三ヶ月はかかります。――彼等はわが国を南蛮国と呼びます。それは日本人がポルトガル人を呼ぶ名称ですが、彼等は我々オランダ人のことやオランダのことを何も知らず、日本人から南蛮国という名称を教わったのです。この名称は煙草を通じて彼等の大部分に知られています。しかし五、六十年前までは彼等はそれを知りませんでした。彼等は喫煙の習慣と煙草の栽培の方法を日本人から学んだのです。

 ――蚕も非常に多いのですが、彼等はよい絹布を作るための絹糸をとる方法をよく知りません

 

外国への窓の主体が、日本の対馬経由と書かれている。したがって、韓国主張の朝鮮使節は、真逆捏造で、後述のような、「従臣ないし臣下であることを認めた拝謁使節」が、実態。

 

国家および商人の使用する度量衡について(55p)

 それらは全国を通じて同一です。だが一般の人々や小売商人の間ではひどいごまかしが行われます。――総督たちがいかに厳重に監視しても、それをやめさせることは出来ません。というのは各人はおのおのの物差しと秤とを使用するからです。

 当地に居る鳥獣には次のようなものがいます。馬、雌牛、雄牛。雄牛は当地ではほとんど去勢されません。――農民は土地を耕すのに雌牛・雄牛を用います。旅人や商人は彼等の荷物を運ぶために馬を使います。虎が非常に多く、その皮は中国および日本に輸出されます。

天道(唯心)皆無、我欲(唯物)のみが朝鮮塵。「他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません」が、証拠である。

 

 タルタル人の使節(清国使者)が来ると、国王は自ら大官達を従えて、首都の外まで歓迎に赴いて敬意を表し、彼等を宿舎に案内しなければなりません。彼らの到着と出発とに際しては、国王に対するよりも多くの尊敬が払われます。(58p)

清の属国の証明である。

 

1666年8月3日難破から13年後である。生存者16名中8名が船を手に入れ朝鮮から脱出。日本の五島列島にたどり着き、脱出は成功、出島のオランダ商館に送り届けられた。

1668年7月20日アムステルダム到着。「私たちは主なる神に対してその恩寵を感謝しました」

1668年8月幕府の尽力で、残留者7名(1名が残留希望)も同様に、送り届けられた。

 

長崎奉行の質問に対する答弁(78p)

 僧侶は非常に多勢います。彼等は食料を労働と物乞いとで手に入れなければなりません。彼等の衣服と剃髪とは日本人の僧侶のそれと同じです。

 雨の多い年には南部では米やその他の穀物が豊富に産します。というのは収穫はもっぱら雨にかかっているからです。雨の降らない年には大飢饉が起こります。そして1660、61、62年のように何千人もの人々が餓死します。同地ではまた多量の木綿を産します。しかし北部では大麦を食料にしなければなりません。というのは、同地では米は寒さのために育たないからです。

 この国の人々(日本人)以外は貿易には来ません。

 朝鮮人はシナの北部と北京とで取引を行っています。

 彼等は同地(シナの北部や北京)に人参根や銀やその他の器物を持っていって、生糸などの私たちが日本に持って来るのと同じような品物を入手します。

「都から北京まで旅行して帰ってくるまでには、どんなに早くても三ヶ月」、「北部では、米は寒さのために育たない」、「お天気まかせの米栽培(ため池や水車等の治水管理無し幼稚栽培)」は、陸路南下ではなく海路日本から、米は伝播したを、明白に指示している!

 

朝鮮人は古代より海洋民ではなかった!日本海洋民の海なので日本海!東海は地方呼称にすぎない!

「朝鮮国記」ニコラース・ウィットセン144p

 1653年コレアで捕らえられた人々の一人である総舵手マテウス・エイボッケンは私につぎのように語った。――

 「タルタリア(女真地方)がどれほど北方に延びているかは彼ら(朝鮮人)にはわからなかった。というのは、彼等は海上でも陸上でも遠くに旅行したことがなく、またそのようなことは原住民にも禁止されていたからである。また、日本人以外の外国船は一隻も東海岸にやってきたことはなく、日本人も彼らが住む事を許されている場所だけに来るのである。」

 「彼等の間では水を低い所から高い所に引き上げて、それを流し出す技術は知られていない。したがって彼等はほとんど鉱山を開発することができない」

 「大杯や小瓶のようなガラス製品は、日本から同地にもたらされているが、それらはオランダ人が日本にもたらしたもので、(コレアでも)たいへん珍重されている」

 「コレー人はタルタル人と日本人ひどく恐れている。というのは彼等はたいへん意気地がないからで、そのため戦争が行われようとする時には、その戦争の数日前に数百人の人々が恐怖心から縊死することが見られる」

 

「朝鮮国記」ニコラース・ウィットセン119p

 1686年9月1日に慣例として(コレア王から)下された命令に従って、コレアの使節が毎年の貢物を納め、皇帝の前に跪くために北京に現われた。使節の一行はオランダ人の使節の見ている所を謁見の機会を得ることなく、やせた馬に乗り、みすぼらしい服装をした二人の召使を従えるだけで、マンダリ人(中国の官吏)もタルタル(女真族)人も供をせず、一般の人々と同じようにして宿舎に向かって馬を進めて行った。こうした簡単な準備と、粗末な歓迎の様子から見て、彼等の主人がシナの皇帝と比較して、いかにも卑小であり、また、タルタル人が彼とその使節を見下していることが明らかである。

127p

 対馬すなわちスシマは日本とコレアの中間にある島である。それは隠岐諸島と同じく日本の皇帝に属している。対馬には一人の福王即ち日本人の司令官がいて、コレア人に対抗して兵力を準備している。コレア人は毎年日本の皇帝の代理者としての彼に対して貢物を納める。彼はそういうわけで兵士を対馬に備えておくのである。彼はまたコレアに一軒の建物を持っていて、そこの一人の日本人を置いて上記の貢物を取り立てさせている。そしてコレア人は日本人に対するのと同じようにタルタル人のシナの皇帝に対して貢物を送る義務がある。

 

「使節を派遣し秀吉を毒殺」と、当時も捏造し、言いふらした128p

 「――しかしコレア(朝鮮)人はこのような戦争の猛威に疲れはててしまい、使節を日本に派遣した。彼は皇帝を奸計を用いて毒殺した。コレアにいた日本人はこのことを聞いて帰国した。人々はこの使節はまず毒を投じた飲み物を一口飲んで皇帝(秀吉)の疑いを除いたが、そのために彼も同時に死亡してしまったと考えている。彼は祖国を愛するために、これを行ったのである」

秀吉が朝鮮あるいは中国からの使者などに毒殺されたという伝説は、朝鮮側にはかなり広く行われていた。日本には毒見役があり、ましてや「戦争相手持参の飲み物」を一緒に飲むことなど有り得ない。こんな「子供だましの作り話」を流布させるのが朝鮮人。慰安婦偽証もまったく同じ。人間とは真逆で、まさに人モドキである。

128p

1689年 オランダ東インドの社員が1689年に日本の首都江戸の向かった時の旅行の日誌の中に、私は日本の宮廷が(オランダの)会社の人々に対してコレアや琉球諸島は日本の臣下であるので、そこから来る船を襲撃したり、損害を与えるようなことはしないように要求したということを発見した(注)。このことからコレアの人々はシナに対して貢物を納める義務があるのと同様に、日本王国に対してもそうすることを認めていることが明らかであろう。

 注・出島オランダ商館日誌1689年4月8日「(江戸城ないにおいて)――五、日本において貿易を行うシナのジャンクを海上で掠奪したり、損害を与えたりしないこと。これはコレアのジャンクおよび琉球についても同様であって、これはかれらが日本の臣下だからである」。

 二年前にオランダ人によって行われた日本の江戸市への参府旅行に関する報告の中に、私はコレアに関して次のような記事を発見したが、これによってもこの民族が、今日でも若干日本に対して服従していることがよくわかる。

 「――この一定の時期に使節が贈り物を携えて皇帝の許に派遣されるという国家的な慣例は、皇帝太閤の死後ずっと続けられている

 

以下には、現代朝鮮塵自国民洗脳教育と真逆な朝鮮使節(通信使)の実態が記されている。

131p

 「1637年――3月24日。われわれはコレアの使節(朝鮮通信使)が3月17日にイシオ島からコレアに向かって出発した(帰った)ということを知った。噂によれば、彼らは陛下(徳川将軍)に対してタルタル(清国)に対抗するための援助をしてほしいと要請したということである」

132p

 「1682年――このことからコレア(朝鮮)の人々は自分たちがこの(日本)王国の従臣ないし臣下であることを認めて、日本の皇帝がその代表を通じてコレアを属領として支配しており、また彼ら(コレー人)が(日本に対するのと)同様にタルタル(清)に対しても、毎年敬意を示さなければならないことが本当であるということが明らかになります。――」

133p

 コレアからは生糸が日本にもたらされる。コレー人はシナの皇帝と日本の皇帝の両方に貢物を納めている

 

現代朝鮮塵自国民洗脳教育や日本や海外への宣伝とは真逆な文化の流れ!朝鮮はシナへのただの流路なので定着せず

135p

オランダ領インディエ評議会員マテウス・ファン・デン・ブルック氏が、1670年に東インドから帰国した船隊の司令官として作成した下記の報告書――

 「――コレアの大半島における取引の可能性について調査――前記の(半)島には商人は全くおらず漁業と農業で生活を立てている貧しい人々がその一部に住んでいるだけであります。彼等はタルタリアの(支配下にある)シナ人と日本人の両方の臣下でございますが、この二大強国のいずれもわれわれが同地に行って、取引などを行うことを放任しないでありましょう。――なおその上に、すべての日本人がコレアの人々を含む隣人と取引を行うことは死刑を持って堅く禁止されており、対馬の領主だけは別で、彼だけは特別の恩顧として取引に従事することを認められています。そして胡椒、丁子、肉豆蔲、木香、乳香、蘇木、白檀および(オランダ東インド)会社によって日本にもたらされるその他の多くの商品が、同地に送られています。そしてこれらの品物は、さらに陸路をシナに送られて同地で消費されます。そしてこれらの商品およびそれらと同じようにして輸出されるものと思われる金銀と交換に、シナの生糸および絹織物類を入手します」。

 

朝鮮通信使を無駄」と切り捨てた新井白石1657年~1725年)

江戸時代の日本人も、朝鮮人の本質をよく分かっていたことを証明する文書。

 江戸時代中期の政治家・学者の新井白石。「朝鮮通信使を無駄」と切り捨て廃止を建白した時の建白書の中の一文。

【原文】夫朝鮮狡黠多詐 利之所在 不顧信義 蓋濊貊之俗 天性固然(新井白石国書復号経事)

【現代語訳】朝鮮人は狡猾でいつわりが多く、利のあるときには信義をかえりみない。それが、濊や貊と呼ばれた野蛮人民族の天性である。大体、朝鮮は信義のない国であって、明が清に攻められた時も一人の援兵も送ろうとしなかったではないか。

【濊貊・穢貊】わいばく(かいはく)

古代,中国東北部から朝鮮北東部にかけて居住していた種族。ツングース系といわれ,狩猟・牧畜を主とし農耕も行なっていた。その中から夫余(ふよ)・高句麗などが出た。

 

朝鮮通信使「日本に文化を教えた」は真っ赤な捏造

 現代韓国が主張する「日本に文化を教えた」は真っ赤な捏造で、朝鮮通信使は、文禄の役や慶長の役のようなことが二度と起きないように、 徳川幕府のご機嫌伺い貢物届けと、且つ偵察が任務。

 

朝鮮通信使金仁謙(1763年から1764にかけて来日した第11次  朝鮮通信使が書いた日記)日東壮遊歌

1764年1月22日 大阪

 100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。  大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装だ。 この贅沢さは異常だ。 

 都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。

 支那の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。  世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。  ソウルの繁華街の1万倍の発展だ。

 北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。

穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。  そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。  嘆かわしく、恨めしい

 

1月28日 京都

  街の繁栄では大阪には及ばない。  しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。  山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。  この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。 悔しい。

 「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。  悔しい。  この犬のような倭人を全て掃討したい。  この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。 

 

2月3日 名古屋

  街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。凄い。  自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ、この旅で最高だ。  中原(中国の中心地)にも無い風景だ。  朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。 

  人々の美しさも最高だ。  特に女性が美しい。 美しすぎる。 あれが人間だろうか?  「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、美しさを失うだろう。 

(帰路にて) 

 名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。  我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、頭を左右に必死に動かしている。 

 

2月16日 江戸 

 左側には家が連なり、右側には海が広がっている。  山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。  楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船。  全てが大阪や京都より三倍は優っている。

   この素晴らしさを文章で表現する事は、私の才能では不可能だ。  女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。

 

通信使一行の行列は見世物で見物は庶民の娯楽

文献史料

「見物する男女が垣根のように道端をいっぱいに埋めて(1624牛窓)」姜弘重『東槎録』

「左右にひしめく見物人の数の多さにも目を見張る(1764江戸)」金仁謙『日東壮遊歌』

絵画史料

『朝鮮通信使来朝図』神戸市立博物館蔵

『朝鮮通信使江戸市中行列図』福岡市立博物館蔵

『江戸図屏風』江戸東京博物館蔵

『馬上才図』高麗美術館蔵

 

儒教は上下のみで平等が無い!平等扱いした結果が通信使一行の人モドキ行状!輩の扱いは昔も今も飼い主の命令が正しい!

 通信使一行の中には、屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり小便を階段でする、酒を飲みすぎたり門や柱を掘り出す、席や屏風を割る、馬を走らせて死に至らしめる等々、文化の違いや日本人に対する差別で、通信使らしからぬ行状。

(以上洪禹載『東槎録(1682)』にみられる対馬側から要望された禁止事項の一部)

 

 供された食事に難癖をつける、夜具や食器を盗む、日本人下女を孕ませる。

(「通信使のおとし子」2007.7.18 民団新聞)

 

 魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したり、予定外の行動を希望して、拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりといった乱暴狼藉。

(山本博文『江戸時代を「探検」する』新潮社)

 

 警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることはしばしばあり。

 1764年には大阪の客館で、朝鮮の下級役人が鏡を紛失したこと聞いた通信使一行の都訓導・崔天崇が、「日本人は盗みが上手い」と難癖をつけた。対馬藩の通詞・鈴木伝蔵が聞きとがめ、かねてよりの朝鮮人の窃盗行為を非難したため、杖で打ち据えられた。堪忍袋の緒が切れた鈴木伝蔵、夜中に槍を使って崔天崇を刺殺。

 江戸時代後期の儒学者菅茶山は、「朝鮮より礼儀なるはなしと書中に見えたれど、今時の朝鮮人威儀なき事甚し」と、朝鮮人が伝聞とは異なり無作法なことに驚いている。

「説茶山翁筆のすさび 巻之三(朝鮮人の説)」

 

 「通信使が寺の中に魚や肉を持ち込んで食い散らかしている」と、仏教知らず朝鮮人の、肉食文化を表現。

『画図入(えずいり)朝鮮来聘記全』

 

「通信使一行が町人の飼っている鶏を盗んで逃げようとし、日本人と喧嘩」

淀藩の資料『朝鮮人来聘記』内の朝鮮聘礼使淀城着来図

 

朝鮮通信使は朝貢使節

『朝鮮人来聘記』・『朝鮮人来朝記』

 

奴婢『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』(林鍾国、平凡社1987

 奴婢は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。

 かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。

 それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、ひどい場合は打ち殺されることもあった。

 外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。

 局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された不幸な運命の主人公であった。

 

シャルル・ダレ「朝鮮事情」(1845年~1866年)

 「又個人的随意契約により若しくは父母に売られて奴隷となるもありて、世襲奴隷と一時的奴隷とはその間厳重なる差違を存し、世襲奴隷の子女は常に奴隷となり、主人の承諾を得るにあらざれば絶対的にその自由を回贖するを得ざるも、一時的奴隷の子女は多くの場合において解放せられ、その奴隷自身も犯罪により奴隷と為りたるものを除くの外は、主人の意に反すとも一定の金額を納めて自由の身となることを得るなり。

 世襲奴隷は常に全く主人の専有物と見なされ、主人は之を売買し、貸与し、贈与しその他すべて随意に之を処分することを得るなり」。⇒4につづく



4李朝差別子孫千年恨や難癖は赤狩り大虐殺復讐の矛先反らし!

4李朝差別子孫千年恨難癖赤狩り大虐殺復讐の矛先反らし!

1885年(明治18)年3月16

「脱亜論(真実史観意訳)」『時事新報』1885年(明治18)年3月16日付社説が、福沢諭吉「脱亜論」と呼称されている。抜粋

 

 ここに不幸なことに近隣の国がある、一を支那と言い、一を朝鮮と言う。この二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に育ったこと、我が日本国民と違わないのだけれども、その人種の由来が特殊なのか?あるいは、日本と同様の政教風俗中に居ながらも、遺伝や教育の中心に、同じでないものがあるのか?異なる

 

 日支韓三国対等で、支と韓と相似ているのは、支那と韓は日本よりも近く、そしてこの二国の者達は、我欲であり、改革して進むことを知らない。交通至便の世の中に、文明の事物を見聞しないということはないのだが、聞いたり見たりするだけで考えないため、心を動かして改革するまでに至らない。その古風旧慣にしがみつくさまは、百千年の古代と同じ

 

 この文明日々新たに活動中の時代において、教育を論ずれば、儒教主義と言い、学校の教えの中心は、仁義礼智と称し、一より十に至るまで中身より外見の虚飾のみを大事にするばかりである。現実の有様は、真理原則の知識が無いのみならず道徳すらも皆無で、残酷恥知らずを極め、さらにおごりたかぶって、自ら反省する考えなどは、まったく無い者のようだ。

 

 私からこの二国を見ると、今の文明東漸「とうぜん(東に徐々に進む)」の風潮に際し、とてもその独立を維持する道は無い

 

 運良くその国中に志士が出現して、まず国事開進の手始めとして、おおいにその政府を改革する状態が、我が日本の維新のような大挙をくわだて、先ず政治を改めて共に人心を一新する日本維新のような活動ならば、話は異なるが、もしもそうでない時は、今より数年を経ることも無く亡国となり、その国土は世界文明諸国に分割されること、一点の疑いもない

 

 日本維新のように出来ないとなれば、麻疹(はしかは一度の罹患で免疫を得、再び感染しない)と同じ文明開化の流行に遭(あ)いながら、支那と韓両国は、その伝染の自然のままにそむき、無理にこれを避けようとして一室内に閉じこもり、空気の流通を断っての窒息死となるだろう。

 

 輔車唇歯「ほしゃしんし(密接な助け合い)」とは、隣国相(あい)助けるのたとえだけれども、今の支那朝鮮は、我が日本国のためにほんの少しの援助にもならないのみか、西洋文明人の眼で見れば、三国の地利相接(あいせっ)しているために、なにかのはずみに三国を同一視し、支那と韓の評価で同様に我が日本に命ずる、危うさがないわけではない。

 

 たとえば、支那朝鮮の政府が古風の専制「せんせい(独断決定)」にして、法律という柱にするものなければ、西洋の人は、日本もまた無法の国かと疑い、支那、朝鮮の士人「しじん(識者)」が惑溺「わくでき(迷って本心を失うこと)」深くして科学の何ものたるかを知らなければ、西洋の学者は、日本もまた陰陽五行(迷信)の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知らなけば、日本人の義侠「ぎきょう(強気をくじき弱きを助ける男気)」も、このために隠され、朝鮮国に人を刑する残酷な刑あれば、日本人もまた、共に無情なるかと推測されるように、これらの事例をかぞえれば、枚挙にいとまがない。

 

 これをたとえれば、比隣「ひりん(近隣)」軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にしてしかも残忍無情なるときは、まれにその町村内の一家人が、正当の人事(正しい人間関係)に注意する(気を配る)も、他の醜におおわれて埋没するものと同じである。その影響が現実に現われて、間接に我が外交上のさしさわりを成すことは、実に多い、我が日本国の一大不幸と言うべし。

 

 されば、今日のはかりごとをなすに、我が国は隣国の文明開化を待って、共に亜細亜を興(おこ)す(亜細亜共栄圏)の猶予(ゆうよ)はない。むしろ、その伍「ご(仲間)」を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にと言って特別の会釈「えしゃく(おもいやり)」をする必要は無い。まさに、西洋人がこれに接するの風に従って処分「しょぶん(きまりをつける)」すべきのみ。

 

 悪友と親しくする者は、共に悪名から逃れることは出来ない。我れは心において、亜細亜東方悪友支那と朝鮮)を謝絶するものなり。完

 

次から次と現実になった上記福沢諭吉「脱亜論」の予言

1894年~1895年日清戦争

1897年大韓帝国独立。

 

1894年~1897年 日本統治以前イザベラ・バードも喝破した白丁根性

英国人女性旅行家イザベラL・バード(旧姓Isabella L・Bird)イザベラL・ビショップ夫人(Isabella L・Bishop夫人) 

 1894年1月(62才)~1897年3月(65才)、4回に渡り朝鮮各地を旅した紀行文『Korea and Her Neighbors朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』時岡敬子訳『朝鮮紀行』講談社学術文庫

 1894年から1895年日清戦争。1897年大韓帝国独立。竹島編入は1905年2月22日。日露戦争勝利(1905年9月)。大韓帝国保護国(1905年10月)。日本統治は1910年から。

 日本(1878年日本奥地紀行)と朝鮮を同時期に旅した、まさに激動の時代の第一級の真実の記録であり、紀行文だ。日朝の原点が記録された、日朝必読の書だ。韓国や罪日反日は、これを読んでから語れ。

118年前の英国人にも看破されたコリアン人モドキ
 自己批判がまったく無く、悪いのはすべて他人に押し付けるため、欠点に気付かない。よって、自己改革は不可。真実追求思考出来得ず、自己批判自浄がまったく出来得ない特異民族が朝鮮人と、英国人女性旅行家、イザベラL・バードにも、看破された
第三十七章 最後に
 改革(貴族を廃止し、皆平民にした)があったにもかかわらず、朝鮮には階級がふたつしかない、盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人(ハイン)は文字通り「下の人間」で吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。558頁
第37章最後に1897年 ・・・朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない、ただしそれには左に掲げた二つの条件が不可欠である。

朝鮮にはその内部から自らを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。

国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制をうけねばならない。563頁

 ・・・一年有余、失敗はままあったにもかかわらず日本は前進を続け、有益かつ重要な改正を何件かなしとげ、またその他の改革を始動させた。565頁1897年大韓帝国独立

1905年2月22日竹島日本領編入

1905年9月日露戦争勝利

1905年10月大韓帝国保護

 

1906年「最近朝鮮事情」荒川五郎(衆議院議員)著清水書店1906年(明治39年)5.25.抜粋

朝鮮の人 中

 朝鮮人の不潔ときたら随分ヒドイ、てんで清潔とか衛生とかいう考えはないから、いかに不潔な家でも、いかに不潔な所でも一向平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が混じって居っても、さらに頓着せずにこれを飲む、実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。

 といえば朝鮮に行かない人には、極端の言いようのように思われるかも知れないが、事実その通りで、一例をあぐれば、家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る、その訳は馬糞を混ぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいというている。

 さらに驚くべく信じ難い程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなるというて居る、また小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効じゃというてこれを用い、また強壮剤じゃというて無病の者でも飲んでいる、いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすということも聞いている、なんと驚かしいことではないか。

 塵や芥(ごみ)がばらけておろうが、物が腐って臭かろうが、食物に蝿などがたかって汚しても、更になんとも思わないで、年中風呂に入るの、湯をつかうのということは無い

 夏など穴のような家の中はもちろん蒸し暑いものであるから、たいていは家の外に露宿をする、その頭元には糞や小便が流れており、悪臭はふんぷんとして鼻をつく程でも、朝鮮人には感じが無いらしい。全文国立国会図書館

崔基鎬(チェ・ケイホ) 1923年生まれ。明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大学院教授を経て、現在、加耶大学客員教授 『日韓併合 韓民族を救った「日帝36年」の真実』著者真実史観者漁火6・7面武士道の覚醒と強い日本を願う 崔基鎬真実を語る動画なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie(1-3) – YouTube

日韓併合を検証する

 歴史をどう見るか。人によってその見方は違うと思います。また違って当然だと思います。しかし事実を曲げて、歴史を自分の都合で書き直すことになれば、それは歪曲したことになります。

 よく中国や韓国は、日本の教科書は歪曲していると非難しますが本当でしょうか。日本人は、そう言われると本当にそうかと思ってしまう人も多いと思いますが、日本人はあまり韓国や中国の状況を知りません。私に言わせれば、例えば韓国と日本を比較した場合、日本が十のうち一の歪曲があるとするなら、韓国は十のうち九は歪曲があると言っていいでしょう。日本についての歴史だけでなく韓国の歴史そのものを歪曲しています。韓国の権力者たちによって恣意的に作られた『国定教科書歴史編』は、まさにその傾向を強めています。

 その顕著な例は、李朝500年末期の政治紊乱に蓋をして、公然たる売官買職が横行し貧官汚吏が跳梁した事実をまったく教えず、日韓併合がなければ、李朝は立派な国家として独り立ちできたかのような書き方をしているところに表れています。これこそ、実態を知らない歴史観です。

 日韓併合のことに少し触れれば、併合を通じて全国民に教育が徹底され、近代的医療制度が確立し、農漁業と重工業が興り、社会のインフラ整備によって工業国家としての基礎が築かれたことは、明白な事実です。

 終戦後、独立した韓国・朝鮮の教育は、日韓併合を日本帝国主義の侵略政策の産物であったと糾弾しますが、それがいかに歴史の実態を無視した身勝手なことであり、自己中心的な解釈であるかはいうまでもありません。

教科書では、例えば次の記述があります。

 「日帝の狙いは、韓国を日本の経済発展に必要な商品市場と原料供給地にし、彼らの国家利益を増大させるものであった。日帝の産業侵奪政策で我が民族の経済活動は大幅に萎縮し、民族産業もその発展が抑えられて、沈滞するほかなかった」

 これには、あまりにも歴史の誤魔化しがあり、私などはコメントする気にもなりません。李朝500年を知らないか、故意に隠蔽しようとしているとしかいいようがありません。民族産業の芽を切り捨てたのは、ほかでもない李朝であり、李朝の下では経済発展など夢のまた夢でした。なぜなら近代化を唱える者や先進的な思想家は、反逆分子として、その親族までも処断されたのです。そういう史実を、忘れたとでもいうのでしょうか。

 本当に日韓併合が悪かったというなら、それが事実かどうかを検証してみようというのが私の立場です。大勢の人が虐待されたとか、従軍慰安婦にされたとかいいますが、私にはとてもそうは言えません。それは歴史の真実を知っているからです。それを今回、本に書いたということです。もし私が間違っていたら言えばいいです。

隷属国家の李氏朝鮮

 私は80歳になります。ここまで生きてきて、やはり韓国のためにも日本のためにも、自分の思うことを正直に語りたい。それが本音です。ご承知の通り今の韓国では、植民地時代の日本統治を肯定的にとらえて発表することは、相当の覚悟がいります。極端な話、身の危険も覚悟しなければなりません。しかし私の使命として、どうしても言わなければならないと思っています。・・・

 明と高麗の戦いにおいて、高麗の重臣であった李成桂が、明との戦いで遼東地方の奪回に出陣します。ところが李成桂は密かに敵と通じて、威化島(鴨緑江下流の島)で軍を翻し、逆にときの高麗王と上官の崔瑩(総理兼参謀総長)将軍を殺し、政権を簒奪したのです。

  敵国であった明の力を得て打ち立てたその後の李氏朝鮮は、明のいいなりになって当然です。貢物を要求されれば断ることができず、人妻であっても供出しなければなりません。国民は奴隷民族化され、私有財産も没収されました。そして先制王権制度を変え、朝鮮民族が古代から高麗にいたるまで連綿と持ち続けてきた国際的自尊心を放棄し、明の属国として堕落が始まったのです。

 このような環境の中で階級制度は固定化し、創意工夫の精神は圧殺され、民衆は搾取と虐政を受けることになります。国王は名ばかりでなんら政策も施さず、その政府には国家の予算案すら存在しないという無軌道ぶりでした。いわば民衆は無政府状態に置かれていたのです。

搾取されたのは日本

 そうした状況にある李朝を隣国において、1868年日本は明治を迎えます。当時の世界は強いものが弱いものを食う時代です。日本にとって清もロシアも大国です。その力が、清の属国になっていた李氏朝鮮、すなわち朝鮮半島から日本にやってくるという危機感が日本にありました。だからそれを防ぐために日本は、朝鮮としっかりと手を結ぶ必要があったのです。

 そこで1876(明治九)年二月、李朝と「日朝修好条規」を結びます。李朝成立後、484年が過ぎたときのことです。それは李氏朝鮮に、独立国家であってほしいという願いがありました。それが第一条にある「朝鮮国は自主の国」という言葉に表れています。これはきわめて重要な意義を持っています。

  しかしそうした清と朝鮮との主従関係を断ち切ろうとした日本の狙いは、実際その実現はほど遠く、民衆は相も変わらず、塗炭の苦しみを味わいつづけていたのです。

  1897年、李朝は国号を「大韓帝国」とあらため、年号を「光武」とし、王を皇帝と称し、表面的には510余年ぶりに明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したのですが、清の保護下にある李朝の専横は変わるところがありませんでした。それは近代化と自主独立の道を拒否しつづけることであり、列強が蠢くなか李朝の存在は、東アジアの情勢に不穏な種を宿していたことになるのです。

 1904(明治37)年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状を見かねて、目賀田種太郎(1853~1926年)を財政顧問として派遣し、日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として立て直すという態勢がようやく緒につくことになります。

 目賀田財政顧問と総監府は、朝鮮の歳入不足分を補填するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助しました。

 例えば1907年度、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上ありましたから、その差額は全額日本が負担しています。1908年には、これがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出しています。

 総監府時代の四年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にものぼっています。そればかりではなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達しています。

 現在の朝鮮・韓国の歴史では、このような日本の特恵的支援には一言の言及もありません。そして侵略だけを強調していますが、これがいかに偏狭な歴史観であるかということが分かると思います。それら詳しい数字については本に書きましたが、日韓併合によって、搾取されたのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきでしょう。

1909年12月4日 「韓日合邦を要求する声明書」一進会(百万の朝鮮人会員)

 日本は日清戦争で韓国を独立させてくれた日露戦争でロシアに食べられる寸前の韓国を救ってくれた

 それなのに韓国はこれを感謝しなかった。あの国に着き、この国に着き・・・結局は外交権を奪われる事になった。しかし、これは我々が自ら招いた事態である。丁未条約を締結する事になったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。 伊藤博文が韓国の国民を見守ってくれ、皇太子を導いて韓国の為に尽くしてくれた事は忘れられない。

 それなのに暗殺事件が起こってしまった。今後、どんな危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人が自ら招いた事態である。

 ・・・だから劣等国民として保護されるよりも、日本と合邦し大帝国を作ろう。世界の1等国民として日本人と全く同じ待遇を受けながら暮らしてみよう。

1910年 朝鮮併合、日本統治。日韓併合条約を結び、大韓帝国、大日本帝国併合。京城に朝鮮総督府が設置される。

ヘレン・ミアーズ 「アメリカの鏡・日本」より

 ・・・こうした公式記録を見る限り、なぜ、日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的」に行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。・・・1910年、日本が韓国を併合したのは、新皇帝が「請願」したからだった。

統治は、朝鮮借金の肩代わり!植民地語りは請願詐欺

 日本とタイ(英仏の緩衝国)のみが独立国の戦国時代に、清国に日本が勝利して朝鮮を護り1897年に独立さしてあげたが、独立も維持出来得ず、たった8年で保護国!さらに5年後には完全に経済破綻して日本に泣き付き!1910年に日本が借金を肩代わりして願いがかない、統治された朝鮮人よ、請願統治開始わずか9年後の、「1919年独立宣言?運動?」。「請願統治」だぞ!これは、人モドキの捏造難癖泣き売!請願詐欺である!

 戦後の朝韓も、「日帝の植民地支配・日王」等々と捏造し、挙国一致で日本ヘイトだが、「請願統治」が真実である。捏造しての戦後の日本ヘイトは、捏造洗脳で同族大虐殺隠蔽し、子孫復讐の矛先反らしが目的は、見え見え!

 日本は朝鮮元凶李朝差別破壊し、数々の改革を行い、急速に近代化を進め、迫る前門の虎(清国・露西亜・ソ中凶産)後門の狼(欧米列強)に備えた。この期に及んで、やっと弱肉強食の戦国時代を認識した朝鮮は、従順に従った。気がつけば四方が敵なので、当然である。



我欲盗賊(金佐鎮)を独立の英雄にした子孫

 タイ(英仏の緩衝国)と日本のみが独立国の戦国時代に、しかも請願統治わずか10年後の独立運動云々は、騙り以外の何ものでもない!

1920年10月青山里(せいざんり・チョンサンリ)戦闘(韓国呼称)

 朝鮮人武装組織や中国人馬賊と日本軍の戦闘で、1021日から26日にかけて行われた和竜県内での戦闘。

2013.12.22 産経新聞抜粋

福澤諭吉が予言した「朝鮮滅亡」 韓国の屈折した負のスパイラル

捏造された「英雄」

 「敗軍の将」を語るにあたり、歴史を1920年まで戻す。

 当時、滿洲東部からロシア沿海州南西部にかけては李氏朝鮮時代以降、朝鮮人が多数移住した。深い森林が多く、朝鮮総督府の支配も届かず、無頼の朝鮮人や中国人による匪賊・馬賊の格好の根拠地となった。越境して朝鮮半島北部の町村を襲撃、無辜の朝鮮人らへの略奪を繰り返した。銀行券略奪や日本領事館が焼き討ちにされ女性や子供を含む13人が殺されるに至り、帝國陸軍と中華民国軍が本格的掃討に乗り出す。

 匪賊・馬賊の類いと協力して帝國陸軍と戦ったのが、日韓併合に不満を持つ抗日武装集団・北路軍政署の頭目・金佐鎮(1889~1930年)。金が歴史上満足に顔をのぞかせるのは僅か1週間。近代史上、帝國陸海軍と戦わず米軍に解放してもらったはずの韓国が“対日戦争”を主張する、滿洲東部の《青山里戦闘》以外にない。当時より現在にいたるまで、金を“英雄”にし、青山里戦闘を「大勝利」へと、文字通り「導く」ため、韓国は歴史の粉飾を繰り返した。

 日本側は複数の資料(日時・場所記載のものもアリ)に、彼我の損害を克明に記録。《帝國陸軍の戦死11(将校の戦死ナシ)・負傷24/敵側の戦死130・死傷90以上・逃亡200》としている。

 これに対し、韓国側は帝國陸軍の被害を次第に誇張し始め「戦死の加納信暉聯隊長以下3300人殺傷」と言い出した。加納大佐は戦闘後の22年まで聯隊長を務め、23年に予備役に編入されている。

 しかも“金将軍”は30年「日帝の指図を受けた朴尚實の凶弾で殉死した」ことになっている。だが、朴は《共産勢力に属した朝鮮人の元部下》で、日本とはかかわり合いがない。むしろ、追い詰められた金ら600人は武器・資金の欠乏で、武装解除し農民へと転向すべく、あろうことか資金援助日本の総領事に申し入れている。日本外務省は難色を示したが、お咎めナシ。暗殺するほどの大物ではなかった現実を裏付ける。

屈折した負のスパイラル

 だのに91年以来、生家の聖域化事業を推進し家屋や門を復元し展示館を建設。祠堂や駐車場など2880坪を造成した。毎年青山里戦闘全勝記念祭りを開催してもいる。



1923年9月1日関東大震災

息吐く如くに嘘のコリアン!加害者を被害者に、震災犠牲者を虐殺犠牲者に捏造!

 関東大震災に暴動を起こし(天災時に下克上は非国民出自の白状)、日本自警団と争い、233人成敗された(政府発表)。

 2770人震災犠牲者(当時在日朝鮮人震災地域の人数は推定9千800人、9月17日時点での身元確認生存者6797人。9800-6797+233=2770人『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実』工藤美代子著)。

 関東大震災犠牲者同胞慰霊碑文「在留同胞で、この凶変蛮行による被害者6300余名を算え、負傷者数万に達した。この犠牲同胞の怨念は実に千秋不滅であろう」。

 震災犠牲を虐殺犠牲にすり替え捏造、虐殺犠牲者とし、堂々と碑に記した。この碑は、数多の在日等皆が助け合いの震災時に、唯一朝鮮人のみが暴動を起こしたという証拠で、非常時暴動特殊朝鮮人証拠碑である。

キジも鳴かずば撃たれまい!

 関西大震災や東日本大震災等々が証し。震災時に暴動を起こす日本人など、史上皆無。ましてや救助に多忙の自警団、顔の良く似た朝鮮人のみを選別し殺している暇など、全く無い!助け合いの震災時に、暴徒が出たので成敗したら、すべてが朝鮮人であった。朝鮮人のみが暴動を起こしたので成敗されたが、真実。朝鮮人の暴動がすべての起因である。嘘まみれが歴史の朝鮮人を、まともに信ずるは、愚かの自白!

日本統治35年の人間から人間へ

 戦後35年1980年代の韓国には、難癖三昧の現代朝鮮在日とは異なる、「流暢な日本語で日本統治時代を語る、当時50~60代(終戦時15~25才)の、日本人と変わらぬ朝鮮人」が、間違いなく居た!誇りなど皆無の、人モドキ現代朝鮮在日だが、彼らには、凛とした矜持があった!これは、筆者の実体験で、確認している。

1945年8月15日大東亜戦争日本敗戦

没落両班李承晩が「赤狩り・反乱鎮圧」と称しての同胞大虐殺(民族浄化コリアンホロコースト)は李朝差別の始まり

李承晩(り・しょうばん、イ・スンマン・1875~1965)

 反対者をすべて「」と捏造し米軍の威を借りて虐殺、捏造洗脳教育で砂の人心を懐柔した韓国の元凶が、捏造李承晩!

略歴

1875(明治8)年黄海道平山郡馬山面大経里陵内洞の、全州李氏の没落両班の家に生まれた

1897年大韓帝国独立

1896(明治29)年米国人キリスト教宣教師アペンセラーが設立した培材学堂で学ぶ。徐載弼(ソ・ジェピル)の「独立協会」の結成に、中心メンバーとして加わる

1897年培材学堂在学中に高宗退位要求の檄文散布に加わり投獄される。投獄中にプロテスタントの監理教会派に入信

1904年 特赦で出獄後渡米

1910年(日本統治開始)プリンストン大学で政治学博士号取得。この年、帰国。

1911年寺内正毅朝鮮総督暗殺計画に連座し投獄。

1912年米国に亡命

1934年オーストリア人のフランチェスカ・ドナーと結婚(子供無し)

1945年10月在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁直接統治下の朝鮮半島に帰国

1946年2月大韓独立促進国民会を結成。総裁に就任

1948年(昭和23年)4月3日済州島四・三事件反乱鎮圧。

1948年~1960年李承晩韓国大統領。

 

日本撤退の1945年から始まった同族大虐殺「共食い」!この「共食い」で大虐殺された子孫の、復讐矛先反らしが、朝韓戦後の、捏造日本ヘイトの、目的!

 大虐殺国民懐柔のため、李承晩ライン(仮想敵日本とし犯日開始)で竹島を火事場泥棒占領し、同胞大虐殺の矛先をそらした

 現代も続く「竹島・慰安婦・難癖等の犯日」は、同胞大虐殺隠蔽懐柔目的小道具!嘘つき慰安婦をアジアのホロコーストと捏造し、歴史を捏造しまくるのが朝鮮族!

 

DO YOU REMEMBER?Holocaust in Korea

 赤狩りと偽り同胞大虐殺者9割のニセ両班や、脱北両班子孫矛先そらし李朝差別大虐殺隠蔽が韓国の犯日目的。

1946年韓半島南の暴動勃発「10月人民抗争」 虐殺数は不明

1948年済州島「四・三事件」 済州人虐殺8万人以上

1950年6月25日朝鮮戦争 南北の死者400万人(北250万人)。実体は南(ニセ者9割の差別民と被差別民)対北(被差別民)。呼応した南の被差別民の助力で、たった2ヶ月で一気に釜山まで南下した。以後ニセ者9割の差別民韓半島南の韓国は、被差別民を凶産と捏造、済州人同様虫けらの如く虐殺した。

1950年保導連盟事件    韓国30数万人虐殺(60~120万人。ハンギョレ21。2001.6.20)

1951年居昌事件       韓国8千人以上虐殺

1951年国民防衛軍事件   韓国10万人以上虐殺

1980年光州事件       韓国2千人以上虐殺

 

 「(共産党)」と捏造して「李朝差別に復讐」した数で勝る「白丁」や、ニセ両班9割が犯した同族大虐殺を隠蔽しての矛先反らしが、捏造犯日抗日の第一目的!「日本が悪かった」わけでは、断じて無い!

動画

 韓国最大のタブーThe maximum taboo in South Kore

 カラーで見る朝鮮戦争

 韓国の秘密 - 朝鮮戦争大虐殺

 悲劇の島チェジュ(済州)~「43事件」在日コリアンの記憶~

 

 李朝差別を破壊した日本が居る間は平和(日本は三百数十万だが、朝鮮は志願兵2万2182人のみが戦死者)であったが、去った途端に李朝差別が復活し、我欲剥き出しの同胞大虐殺が始まった。共食い無駄死にの同胞殺し合計が、449万人+北朝鮮不明+(60~120万人)は、大東亜戦争日本人犠牲者の、倍以上

 大東亜戦争の朝鮮人戦死者は皆志願兵で、日本人のような強制兵役ではない!南北で2万2182人。台湾も皆志願兵で、3万304人で、強制兵役徴兵ではない(矢面にしなかった)。日本は強制兵役、徴兵で、234万2341人が戦死。さらに米軍に80万人の市民が原爆空爆で、大虐殺されたが、朝鮮人のような軍対民の同胞殺し合い(朝鮮同胞虐殺)、無駄死に、犬死ではない。有色人解放のとなり、開闢以来の新秩序、「植民地独立付与宣言1960年」を産んだ!

 日本がこの大虐殺を不問に付しているのを誤解している人がいるが、人類の英知である条約(復讐の連鎖の切断)を締結したからであって、日本が悪かったからでは、断じてない!条約締結後も無法国家中韓や戦勝国の一部は、「条約破りのし放題」だが、日本「不問」は、条約尊崇法治国家日本だからなのである。

 朝鮮最大の敵日帝とののしる、日本が去った戦後の、同胞殺し合い死者数が、日本よりはるかに多い上記である。戦後70年経ても、犯日を続けるほどの極悪日帝が去ったのだから、平和到来が当然である。ところがそうはならなかった。朝鮮最大の極悪は日帝ではない、明確な証拠である。日本は李朝差別を破壊し、繁栄と平和を築いた。その差別破壊の日本が去り、再び恐怖の李朝差別復活!この恐怖がもたらした同族殺し合いが朝鮮最大の極悪で、日本ではない。同族殺し(民族浄化)子孫の、隠蔽目的の犯日は明々白々で、子供でも分かることだ。

 国民の目が韓国国内に向いたとき、報復が始まる。李承晩が、李朝差別同胞大虐殺追求の目をそらす目的で始めたのが、竹島の火事場泥棒と犯日李承晩ラインと捏造犯日教育等々である。

 李承晩は追放されたが、仕返しを恐れる虐殺者とその子孫は、追求の目をそらすため、犯日教育日本叩きに、さらに輪をかけた。唯一の独立国が日本で、八方が敵の戦国時代に、朝鮮独立などは絵に描た餅で到底喰えない話なのに、独立と騒いだ者(凶産手先の売国奴でスパイ)を、愛国者と讃え扇動した。そして、日帝悪行と捏造の犯日館、植民地支配糾弾(1960年まで植民地支配は合法。遡及しての難癖)等々で洗脳した。しかしネットの普及で、捏造が次々暴かれ真実が明るみに晒されると、身の危険を感じた同胞虐殺者子孫は、火事場泥棒竹島支配強化、条約破りの難癖訴訟、捏造慰安婦(当時は合法。遡及しての難癖)、閔妃成敗を閔妃殺害と捏造、東海呼称、旭日旗はカギ十字等々の途方も無い難癖を考え出し、さらに、なんと禁止法(事後法・遡及法)まで立法し、親日叩きを、遡って開始した。犯日すべてが、李朝差別虐殺隠蔽が目的である!犯日団体や犯日者すべてが、李朝差別虐殺者(9割のニセ両班や、脱北両班)子孫であるとの、自白である!

 捏造しての日本叩きで絶えず外敵を作り、国民の目を外に向けていないと寝首をかかれるのが、赤狩りと偽り同胞を虐殺した、この、おぞましき子孫なのだ。捏造犯日手口はまさに、「と捏造して虐殺」した手口で、虐殺者子孫を、白状している!

 罪日は罪日で便乗、関東大震災、火事場泥棒を成敗してみたら(突然の震災に、顔の良く似た朝鮮人のみを選別は不可能で、暴動犯のみを成敗しただけ)皆朝鮮人だったを隠蔽、虐殺されたと捏造碑設置し、さらにハニーマネートラップで、NHK等我欲の巣窟「言葉と文字界」を一本釣りし、強制連行強制労働等の捏造碑を設置、捏造工作に懸命だ。

 李朝差別の同胞虐殺隠しから始まった捏造は、止まる所を知らず、国を破壊して、朝鮮族への道を、ひた走りである。⇒5につづく

6中朝韓人面獣心改造犯日本の狂授毛沢東李朝金日成李承晩

6中朝韓人面獣心改造犯日本の狂授毛沢東李朝金日成李承晩

民族猛獣化の元凶が「」!中朝韓人を人面獣心人モドキ化元凶朝韓と中と日!

人面獣心人モドキ化朝韓元凶

李朝差別

 李朝は仏教(平等)を破壊して、儒教(上下差別の厳格化)を国教にし、支配の道具儒教で、519年間も差別し続けた。李朝は伝承も無残な差別史なので、コリアン(朝韓)史捏造の一因

李承晩・金日成捏造の独立闘争はたわ言

 「金日成(ソ連凶産ゲリラの手下)・李承晩(米国逃亡日本撤退後に帰国)独立運動していた」は、捏造

 タイ(英仏の緩衝国)と日本のみが独立国の戦国時代に、日本が独立さしてあげたが、独立も維持出来得ず、たった13年で経済破綻!日本に統治請願し、泣き付いた朝鮮が、独立闘争運動いつの時代にも居る、ただの我欲不満分子が、騒いだに過ぎない!

李朝差別を破壊した日本が去るや否や復活した李朝差別我欲闘争

 北朝鮮は凶産ソ中が、数で勝る賎民の、李朝差別不満分子を原動力にして、両班等の虐殺追放を開始し、韓国も数で勝る賎民が同調したため、瞬く間に釜山まで南進した。

 米英韓と国連軍の大規模な「仁川上陸作戦」が開始され、戦局は一変して北上した。

 統治時代とは真逆の、日本撤退後の同胞大虐殺は3年間も続いた1953727日に、38度線の板門店で、北朝鮮中国軍両軍と、国連軍との間で休戦協定が結ばれ、李朝差別が元凶の共食い無駄死に戦争は、休戦となった。現在も、休戦である。

 コリアン元凶の李朝差別は、破壊者日本撤退70年経て、捏造「千年恨」等々益々盛ん!何もかも捏造しての際限無き謝罪(劣等化)要求(身分上位者誇示)が、その証拠。

米ソ支援の他力独立なのに自力独立と捏造の中朝韓

 「太平洋戦争を日本と一緒に戦った親日派を倒し、勝ち取った独立なので、敗戦ではなく戦勝国で、日本は戦犯国」が、朝韓正当化用理屈。

 真実は、ソ連が毛沢東と金日成を、米国が李承晩を、傀儡し独立させた、他力独立である。

 捏造独立記念館や、「犯(親)日法」や、「親日派」と称しての一掃で、日本統治賛同者排除が、証拠!真なら、捏造も排除も不要!

 

人面獣心人モドキ化中国元凶

ソ米英仏蘭支援の他力独立なのに自力独立と捏造の凶産中国

 日中共闘(蒋介石・汪兆銘・日本)反共戦で、中国共産党軍の兵力は30万人から万人に激減し、延安に追い詰められた。「最後の5分間」となった中国共産党は、シナ事変に先んじる2年前、「八・一宣言1935(昭和10)年8月1日」で、日本に宣戦布告し、赤化戦争を抗日救国戦争にすり替えた!

 日本と蒋介石国民党軍と交戦させ衰えさせる、日中分断漁夫の利作戦の開始しである。

 日露戦争日本勝利以後の白人(食民治主義・凶産主義)の恐怖は、「有色人連合の黄禍」であった。ソ連と欧米列強は水と油なのだが、「黄禍論」で共闘し、西安事件で蒋介石を寝返らせ、分断した。の両者は西安事件以後、この「黄禍」一点のみで、連合した。

 結果、蒋介石汪兆銘中国と共同の日本の反共戦は、西安事件以後、蒋介石軍が裏切って分裂(蒋介石と毛沢東の国共合作)したため、汪兆銘南京政府日本連合軍との、反共戦に変化した。そして、隠れていたもう一方の白人、食民治主義国が正体を現し、白色連合の有色人潰し、「黄禍殲滅戦争」が、開始されたのである。

 「」は、戦後すぐの朝鮮戦争、米国の狩り、そして冷戦が、証拠!もし日本戦わざれば、ソ中凶産か米英、いずれかの属国と成り下がり、国名も失せ、日本族呼称となっていた。

 日中戦争ではなく!日中連合反共戦争が、正当な呼称である!

 「国共合作」の毛沢東は、双方に仕掛けて日本と蒋介石と戦わせた。毛沢東らは逃げて万人に激減した戦力を温存し、戦力拡大につとめた。日本撤退後はソ連支援で、衰えた蒋介石を台湾に追いやり、ソ連の後援で政権を取った。漁夫の利作戦の成功である。

 同胞や隣人を殺しまくった中国凶産党は、ポルポトや、金日成や、李承晩や、ヒトラーをはるかに超え、スターリンに匹敵する!

 蒋介石が転向せず、「最後の5分間」の凶産を破壊していたなら、師孫文の「大アジア主義」を貫徹していたなら、支那の国民国は、凶産大虐殺の犠牲者にはならなかった!

 捏造が党是の中国共産党は、これらすべてを隠蔽し、「侵略者日本軍と戦い自力独立」した偉大な共産党で、同胞大虐殺も日本に責任転嫁して、「侵略者日本軍が全ての中国人を殺した」と、幼児から洗脳教育している。捏造南京大虐殺記念館等々が、証拠!

 

中朝韓は共食い無駄死に戦争に明け暮れ、大東亜戦争目的完遂植民地独立付与宣言参加!

 人類の新秩序、1960年植民地独立付与宣言不参加国が、中国凶産(1971年から国連加盟)北朝鮮韓国(1991年から国連加盟)。この三国は、同胞殺しや隣国侵略征服(チベット・新疆ウィグル・内モンゴル・満州・竹島)に明け暮れ、いまだに戦国時代の野獣のままで、人類の新秩序「互恵」を知らない。そして、この三国と罪日のみが、人類唯一の犯日である!もちろん、蒋介石国民党中国(台湾)は、1971年まで国連加盟なので、植民地独立付与宣言賛成国である。

植民地独立付与宣言

 1960(昭和35)年の、第15回国連総会で、アジア、アフリカ43カ国による共同提案が提出され、植民地を保有することを不法行為であると宣言。賛成89、反対0、棄権が9カ国(主要宗主国とその属国、アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ポルトガル、スペインと、南アフリカ、オーストラリア、ドミニカ)で、採択された。

 

人面獣心人モドキ化日本元凶

中朝韓人モドキ化援助の戦後復職赤化教授「上とその信徒「全ガキ連

 戦後復職の「赤化教授」が赤化洗脳教育「上」で扇動、丸暗記脳のみの「全学連(思索脳皆無の欠陥半端者)」は、瞬く間に自分の手足喰う蛸「全ガキ連」と化し、当時の日本に絶対に必要不可欠な「日米安全保障条約」阻止の、亡国運動を展開した。オウム麻原と、戦後復職の「赤化教授」は同じで、信徒が、思索脳皆無の欠陥半端者、「全ガキ連」の「丸暗記脳学生」!

 この思索脳皆無の我欲欠陥人「全ガキ連(丸暗記脳学生)」が、NHKTV・ラジオ・新聞社・出版社・日教組・立法・司法・行政に散らばって、戦後日本の、「言葉と文字界」を支配し、赤化洗脳手口「上」が蔓延した。

 思索脳皆無の我欲欠陥人は、「言論の自由」の前提条件職責(真実の報道や真実の追求)履行制限下)を隠蔽し、「言論の自由(憲法第21条を摘み食いしての無制限の自由)」を掲げ、赤化洗脳手口「上」で暴れまくった。

 正義を気どるが、拝金偽善屋かスパイが正体のマスコミや、善人を気どるが、丸暗記屋かスパイが正体の文系エセ凶授どもである。業として「」を発言し発表してきた輩は、職責不履行の、犯罪者で、近代諸悪(太平洋戦争や原爆投下や、国連や戦勝国や中朝韓等々の難癖)の捏造発信源で、戦争起因の、元凶である!

 戦後の復興に、汗と涙の無辜の国民は、米軍に公職追放され代わったが、かっては、一丸として戦った同胞ゆえに、職責負託同胞の、職責履行など、ゆめゆめ疑うことなどなかった。

 この、疑わずの丸鵜呑みが、現代日本諸悪の、根源である!

正体丸暗記脳欠陥人なのに識者と錯覚している好いとこ盗り丸暗記モンスター大橋巨泉
2015年2月8日 抜粋
大橋巨泉が爆弾発言!「テロリズムを一方的に責められるだろうか?」
『週刊現代』2015年2月14日号の連載「今週の遺言」で大橋巨泉氏が、テロリズムについての持論を展開している。

「安倍の『積極的平和主義』がもたらした人質事件の結末?」
日本や安倍首相は被害者!「人質事件」を「もたらした」のは、ギャング団加害者!すり替え洗脳である!

「貧困と格差をなくすのが急務」
貧困格差」は、弱者の味方演ずる言葉と文字業富裕者の、国民洗脳常套句。騙されるな!「貧困と格差をなくすのが急務」なのは、日本ではない!

 「僅か1%の富裕層が、世界の富の48%を独占している」というイギリスのNGOによる発表に、冒頭で言及。この傾向はさらに進むと予想され、貧富の格差が拡大していくという。「資本主義は現在考え得る最良の経済システムといわれるが、社会主義的セーフティーネットを伴わないと、危険な結果をもたらす」と大橋氏は以前から主張してきたそうだ。
日本は現に「生活保護」で貧困救済している。また、古くから日本は、「皮革加工」という特権を与え、救済してきた。 なのに、「以前から主張してきた」?何とも浅ましいほどに自己顕示欲我欲の強い、富裕者だ!

 同誌の連載にてこの主張を展開した15年前の時点で、アメリカ企業のトップたちの平均年収は一般労働者の419倍だった。「行きつく先は、破壊しか生まない『テロリズム』である」。9.11同時多発テロ、それに対するアメリカの報復、イラク戦争などがあったが、貧富の格差という問題の解決そのものは先送りされてきたという。
オイルマネーで豊かな中東が、「貧富の格差という問題」で「9.11同時多発テロ」を起こした?そんなこじ付け信ずる者など、一体全体どこに居るのだ?弱者の味方演技者で富裕者、巨泉以外、皆無であろう!

 大橋氏が参議院議員だった時、9.11同時多発テロが発生した。米国政府を支持するだけではテロは根絶できないと考え、大橋氏は「同時多発テロに関する決議」に民主党でただ一人反対票を投じたという。貧困所得格差という「テロの原因を追究し、その解決を図る」という文言を入れることを提案したが実現せず、決議に反対したとのこと。
「貧富の格差(自由主義社会当然の現象)」と『テロリズム(暴力支配)』は、次元が異なる!「決議に反対した理由云々」は、後付の、こじつけ言い訳。

 「テロは悪い、卑劣だ、というのは易しい。ボクだってそう思う」と前置きした上で、大橋氏は次のように記した。「しかし誤解を怖れずに言えば、あの巨大な世界企業を前にした徒手空拳の若者たちの中に、人生の不条理を解決する手段としての、テロリズムの誘惑に負けるものがいても、果して一方的に責められるだろうか」。
「人生の不条理を解決する手段としてのテロリズム(勝手気ままにならないので無差別殺戮)」は、無法者なので、「一方的に責められる」のは当然である。罰しなければ、シリアやイラクのように、法治国家が法国家となる。識者と錯覚して議員となり、勝手気ままに議員辞めたのが、いまだに錯覚中の巨泉!

 このたびのイスラム国の人質殺害については、「春秋の筆法をもってすれば、この事件は安倍政権がまいた種によると思う」と述べている。「積極的平和主義」、「地域の過激主義の広がりに懸念」といった安倍政権の主張により、「テロリストが、『日本も十字軍に参加した』と取ったとしても、一理あるだろう」。
「ISIL」が付けた英訳は、「Abe Pledges Support for the War against Islamic State with Non-Military Aid (安倍がイスラーム国との戦いに軍事的支援を約束した)」とあり、明確に認識している。『日本も十字軍に参加した』は、巨泉の印象洗脳操作!

 そして、大橋氏は以下のように結論する。「安倍首相に責任をとれとは言えない。しかしわれわれが彼の唱える主義に賛同するか、絶対に戦争をしない九条をもつ平和憲法を遵守して生きるか、選ぶ自由はある筈である」。
戦後の戦は、1950年植民地独立付与宣言での戦勝国の反省と、米軍駐留原爆が抑止したのであって、断じて「九条」ではない!古今東西、日本のみが、証拠! 「九条」ごときで戦争回避可能なら、いにしえも現在も、ことごとくが掲げたであろう! これは、戦後の不戦は「九条」であるかのように印象操作して洗脳する、弱者の味方演ずる言葉と文字業富裕者巨泉の、手口!市民自称の平和丸暗記モンスターと同類!

テロ(無差別殺戮)と特攻(敵艦攻撃)すら判別出来得ない識者と錯覚欠陥人論者と巨泉は同類!
 いかなる理由を掲げても、人質誘拐虐殺泥棒は、ただのギャング団!身分固定(階級統治世襲独裁)と、身分選択(自由主義)を判別出来得ず、ごちゃ混ぜ糞味噌同一論となった!
 戦後復職凶授の、赤化洗脳手口「上」を丸鵜呑みし、丸ごとマネ(バッシングピースをかき集めて、悪とこじ付けして叩き、下味方を演じる)し、識者に成ったと錯覚しているのが、「言葉と文字が生きる糧」の輩なのだ。戦後70年の今年も錯覚は、「暗記屋に自浄回路無し」の、実証である!
 NHK(大越)、TBS(岸井)、TV朝日(後藤・星・古舘)、読売TV(村尾)や作家(大江・司馬・村上)や新聞社等の言葉と文字が職業の者は、正体ただの丸暗記モンスターなのに、自分は識者と、おしなべて錯覚している。国民もまた、識者と錯覚している!この錯覚こそが、全ての元凶である!
 「言葉と文字が生きる糧」の輩は、実技(路上運転)知らずの丸暗記ペーパードライバー(現実知らない半端者欠陥人)! 皆さんは、こんな半端者が運転する車に、乗りますか

 現在、日本政府は「ISIL」と統一しているが、NHKTV朝日フジTV等々は、イスラム教徒に配慮もせず、無検証丸暗記で「イスラム国」と垂れ流し中だ!まったく異なるのに、「イスラム教=イスラム国」と誤解を助長する報道であることは、子供でも判る。すでに、嫌がらせは始まっている。
 輩はなんと世界中に、子供以下の欠陥人半端者と自白し、「丸暗記モンスター」と、ただ今実況宣伝中なのだ!
 これも、自浄・検証・常識回路皆無の、明白な証拠である!
2015年2月4日 10:45 トルコ国営放送&TRT JAPONYA
日本のメディア様
 日本のニュースでは「イスラム国」と言われるようになった事はムスリムの者にとってとてもつらいことです。その言葉を「ISIL」に切り替える事できないんでしょうか@fujitv @asahi @masanorinaito @FIFI_Egypt @nhk_news

「言葉と文字界」の捏造で「人間(友好・平等・利他)扱い」した結果が、

韓朝

私娼靴私娼を日本軍公娼と捏造し偽証させて、謝罪しろ金くれ 

竹島を韓国領と捏造し、火事場泥棒で占領。 韓国領と捏造宣伝中

李朝経済破綻朝鮮人請願統治なのに、植民地統治と捏造。温情で条約締結を交わし温情金も与えたのに、朝鮮人を奴隷化したと認め謝罪しろ金くれ

条約締結に漏れがあった、挺身隊で強制連行されたと捏造、謝罪しろ金くれ

関東大震災時の反乱で成敗されたのに、虐殺と真逆に捏造、謝罪しろ金くれ

対馬から仏像を盗み、盗まれた仏像と捏造し、返還拒否

義父大院君が、売国奴嫁のミンピ成敗なのに、日本が虐殺と捏造

三韓が文化を教えたと捏造

朝鮮通信使が文化を教えたと捏造

旭日旗を戦犯旗と捏造

日本海を東海と捏造

捏造碑・像の立てまくり

何でも韓国起源

凶産中国

日本軍捕虜を洗脳して捏造証言団中帰連に改造

中国共食い戦争の墓場万人坑を日本軍犠牲者と捏造

尖閣諸島領有権主張

南京大虐殺と捏造して記念館建設し洗脳教育

孫文・汪兆銘(反共戦争)隠蔽し日中戦争と捏造

出稼ぎ労働を強制連行と捏造

私娼窟売春婦を日本軍公娼と捏造

愛国無罪と半日暴動

等々、際限無き捏造の山で、捏造山脈「謝罪しろ金くれ韓中朝」となり、人面獣心人モドキ化が、大促進された。「餌くれ」とせがみ、「餌」にありつけば給餌者を貶めて、身分上位を世界に誇示する中朝韓流「人モドキ友好」は、完成した!

 

戦後70年にしてやっと成敗が始まった

2015年(平成27年)126 NHK 従軍慰安婦の記事巡り朝日新聞を提訴

 朝日新聞が、いわゆる従軍慰安婦の問題で取り消すなどした一連の記事を巡り、大学教授など8700人余りが、「誤った認識が国際社会に広がり、日本国民の名誉が傷つけられた」などと主張して、朝日新聞に損害賠償などを求める訴えを起こしました。

 朝日新聞は去年、いわゆる従軍慰安婦の問題で「『慰安婦を強制連行した』とする男性の証言は虚偽だと判断した」としてこの証言に基づく記事を取り消すなどしました。

 これについて上智大学の渡部昇一名誉教授など8700人余りが26日、「一連の記事で『慰安婦は日本軍に強制連行された』という誤った認識が国際社会に広がり、日本国民の名誉などが傷つけられた」と主張して、原告1人当たり1万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を朝日新聞に求める訴えを東京地方裁判所に起こしました。

 訴えについて朝日新聞社広報部は「訴状をよく読んで対応を検討します」とするコメントを出しました。

 下善(被害者)上悪(加害者)で印象操作(凶産手法)し、被害者の味方を演じ続けて国民を洗脳する池上彰やNHKや、米国や、東大京大文系凶授NHK朝日毎日等々によって愚民化洗脳教育されたが、日本ネチズンの汗と涙の手弁当で、一気に覚醒中!次の成敗は、同類職責履行、東大京大等の教授、日教組。立法司法行政、NHK毎日TBSTV朝日等々!

 

太平洋戦争元凶はソ中凶産と手先の米国「言葉と文字界」

 「世界と日本の言葉文字界」は、「真実が基」ではなく「拝金が基」。

 米国の太平洋戦争は、ソ中凶産ハニーマネーで傀儡となった米国の、「言葉と文字界」の捏造扇動で、引き起こされた。戦後間もないヒステリックなマッカーシズム(赤狩り・レッドパージ)(1950~1954年)は、その証拠である。

 共産と信じていた米国にとっての共産=凶産は、青天のへきれき(対日戦争は間違い!)で、ヒステリックにならざるをえないほどの、衝撃を与えたのである!

 共産党は凶産カルト、人類の禁止政党

詳細は⇒軍国に非ず護国主義日本駄目押し証拠アメリカはアジアに介入するな!

国難に農工商の「」を貫徹し藩士藩主徳川大義一丸日本!

 藩士(吉田松陰等々)も藩主徳川すらも、我欲を捨て、大義(日本国)一丸と成り、維新を成し遂げ、近代化!九九年の戦国時代を乗り切った。

 戦国の世に、日本のような資源も無い小国の後手や内地戦(援軍のあて無き兵糧攻めの籠城)は、必滅が世の習い。全てが先手の外地戦となったのは、当然なのである。

 ところが、この外地戦のみをつまみ食いし、「侵略者」とのたまい非難する者がいる。「侵略者云々非難」は、先に喰わなければ喰われる、弱肉強食戦国時代無視の、難癖である!資源無き小国の、戦国の定法、「先手必勝」を貫徹したから、こうして適者生存出来得、現代日本が在るのだ!戦国の世に、「侵略悪・被侵略善」の定義など、無い!「勝者・敗者」のみが、残るのみ!

 砂の人心中朝韓の如き、我欲むき出しの、無駄死に共食い分裂戦争ではなかった。大義(日本国)で団結した、全てが子孫を想っての、先憂後楽の戦いであった!

 戦後の捏造も、日本は自力で覚醒中だが、未覚醒の中朝韓は破滅に向かってまっしぐらである。

 国難に真実が基の人間」と、「捏造拝金が基の人間」、対比が際立つ!

 

無辜無知の人類を悉くを騙す癌が!凶産中国とコリアンと「言葉と文字界」!

 国難に団結の日本とは真逆な砂の人心中朝韓は、国難に際し、我欲むき出しの無駄死に共食い戦争。

 中朝韓罪日の戦後は、同族大虐殺遺族の、復讐を恐れて歴史捏造。愚民化洗脳犯日教育で、矛先反らし

適者生存日本の方策は分別して隔離

 捏造洗脳犯日教育の中朝韓罪日は、全てが「日本の償い」としか受け取らないので、「人モドキ化」は加速するのみで、前掲のごとく効果。人間化は、分別して隔離が、最速かつ唯一の策。平等扱いは、「人モドキ」助長となるので禁止!中朝韓善行は、飼い主が飼い犬を褒めるが如くに接するのが、肝心!

 病原の、早期発見隔離摘出は、差別に非ず!戦国九九年戦日本の、適者生存の知恵

隔離期間

 米国や、東大京大文系凶授NHK朝日毎日によって、日本は愚民化洗脳教育されたが、日本ネチズンの汗と涙と手弁当で、一気に自浄覚醒中・・・なのだが・・・戦後70年経ても、覚醒者わずかに

 ましてや捏造三昧凶産中国人や朝鮮人は、嘘尽くしで我欲の塊り。人間なら誰もが持っている「嘘」の罪悪、皆無。「全てが捏造」特異民族、亜人間!

 「泣き売」道具、被差別という隠れ蓑を着たがり、賎民白丁子孫を白状するコリアンや、捏造が党是の中国共産。宗教(韓国の宗教は全てがカルト凶である)も天道(人としての道)も無き民族(朝鮮族支那族)の、自浄は不可能

 亜人間猛獣化は、わずか2~30年で完了するが、捏造猛獣の調教(人間化)には、200年以上は、ゆうにかかる。特に朝韓や罪日や僑胞は、捏造自慰のし過ぎで、悶絶死寸前の重症!生還すら、不明!

 

助け合い無き我欲と民族!世界にこんな嘘が充満したら、人間破滅で、猿の地球に逆戻り!

 人類は真実を究明し「神(造物主)への道」を歩んだから「猿から人間へと進化」した!

 そして、各職業を分散した分業で、人類は飛躍的な進歩を遂げた。たった一つの捏造や間違いでも製品にならず分業は破壊されるので、分業には必ず、職責が伴ない、職責不履行は犯罪として処罰された。捏造や間違いを処罰したから人類は発展したのである。処罰せずなら、猿のままであったろう!

 「猛獣は檻で調教・世界や日本の言葉と文字界ペーパードライバー拝金捏造屋は、淘汰」が、賢者人類の知恵

 人間に進化した人類は、全てが「」の人間!猿の地球に、戻れますか!

 

 神(造物主)は犀を振らない!

 

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ


NHK朝日毎日等の工作員報道犠牲者被洗脳市民は!覚醒して国民へ!

 

NHK朝日毎日等の工作員報道犠牲者洗脳民は!覚醒して民へ!

新井白石1657年~1725年)

江戸時代の日本人も、朝鮮人の本質をよく分かっていたことを証明する文書。

 江戸時代中期の政治家・学者の新井白石。「朝鮮通信使を無駄」と切り捨て廃止を建白した時の建白書の中の一文。

【原文】夫朝鮮狡黠多詐 利之所在 不顧信義 蓋濊貊之俗 天性固然(新井白石国書復号経事)

【現代語訳】朝鮮人は狡猾でいつわりが多く、利のあるときには信義をかえりみない。それが、濊や貊と呼ばれた野蛮人民族の天性である。大体、朝鮮は信義のない国であって、明が清に攻められた時も一人の援兵も送ろうとしなかったではないか。

【濊貊・穢貊】わいばく(かいはく)

古代,中国東北部から朝鮮北東部にかけて居住していた種族。ツングース系といわれ,狩猟・牧畜を主とし農耕も行なっていた。その中から夫余(ふよ)・高句麗などが出た。 

 

 そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であった。

天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。

 また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたこと、「渓陰漫筆」に書かれている。

 そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。 「韓国は日本人が作った」 黄文雄 徳間書店

 

奴婢『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』(林鍾国、平凡社1987

 奴婢は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。

 かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。

 それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、ひどい場合は打ち殺されることもあった。

 外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。

 局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された不幸な運命の主人公であった。

 

シャルル・ダレ「朝鮮事情」(1845年~1866年)

 「又個人的随意契約により若しくは父母に売られて奴隷となるもありて、世襲奴隷と一時的奴隷とはその間厳重なる差違を存し、世襲奴隷の子女は常に奴隷となり、主人の承諾を得るにあらざれば絶対的にその自由を回贖するを得ざるも、一時的奴隷の子女は多くの場合において解放せられ、その奴隷自身も犯罪により奴隷と為りたるものを除くの外は、主人の意に反すとも一定の金額を納めて自由の身となることを得るなり。

 世襲奴隷は常に全く主人の専有物と見なされ、主人は之を売買し、貸与し、贈与しその他すべて随意に之を処分することを得るなり。」

 

荒川五郎(衆議院議員)著「最近朝鮮事情」清水書店1906年(明治39年)5.25.抜粋

朝鮮の人 中

 朝鮮人の不潔ときたら随分ヒドイ、てんで清潔とか衛生とかいう考えはないから、いかに不潔な家でも、いかに不潔な所でも一向平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が混じって居っても、さらに頓着せずにこれを飲む、実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。

 といえば朝鮮に行かない人には、極端の言いようのように思われるかも知れないが、事実その通りで、一例をあぐれば、家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る、その訳は馬糞を混ぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいというている。

 さらに驚くべく信じ難い程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなるというて居る、また小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効じゃというてこれを用い、また強壮剤じゃというて無病の者でも飲んでいる、いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすということも聞いている、なんと驚かしいことではないか。

 塵や芥(ごみ)がばらけておろうが、物が腐って臭かろうが、食物に蝿などがたかって汚しても、更になんとも思わないで、年中風呂に入るの、湯をつかうのということは無い

 夏など穴のような家の中はもちろん蒸し暑いものであるから、たいていは家の外に露宿をする、その頭元には糞や小便が流れており、悪臭はふんぷんとして鼻をつく程でも、朝鮮人には感じが無いらしい。全文国立国会図書館

 

新渡戸稲造(国際連盟事務次長・キリスト教徒)

1906年日露戦争直後に、「武士道」の著者であり人道主義者の新渡戸稲造が朝鮮半島を旅行している。

彼は朝鮮人(韓国人)を「政治的野心に欠けた、かの脆弱な女性的国民」と評して次のように述べている。

 「山野は実に墳墓に充ち、予の今過ぎる所の路傍にも土饅頭を列ねて、また、やがて埋葬されるべき棺を列ぬ。(朝鮮衰亡の原因は)その国の気候に非ず。 また、その土壌に非ず。かく死と密接なる国民は自ら既に半ば死せるものなり」「枯死国朝鮮」

 

夏目漱石(1867~1916年)

夏目漱石の満州と朝鮮の旅行記。伊藤博文が満州のハルビンで朝鮮人の安重根によって銃撃されたのが1909年10月26日なので、伊藤博文が暗殺された直後の文。

夏目漱石「韓満所感」(抜粋)「満洲日日新聞」明治42年11月5日

 「昨夜久し振りに寸閑(すんかん)を偸(ぬす)んで満洲日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、筆を執りながら二三行認(したた)め出すと、伊藤公が哈爾浜(はるぴん)で狙撃されたと云ふ号外が来た。哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラツトフオームは、現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、希有(けう)の兇変(きょうへん)と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」

 「満韓を経過して第一に得た楽天観は在外の日本人がみな元気よく働いてゐると云ふ事であつた」

 「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に跼蹐(きょくせき)してゐる間は、日本人程(ほど)憐(あわ)れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼母(たのも)しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた

 同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵児(ちょうじ)と云はねばならぬ」(※原文の旧字体は新字体に変更)

 

1910年から日本が朝鮮統治

 朝鮮は、日本が朝鮮宗主国清国との日清戦争で清から独立させ、独り立ちさせたが、独立をも維持出来得ず、わずか13年で経済破綻し、日本統治を請願されて、1910年から日本が統治した。

 

日本撤退の1945年から始まった同族大虐殺「共食い」!

DO YOU REMEMBER?Holocaust in Korea

嘘つき慰安婦をアジアのホロコーストと捏造し歴史を捏造する朝鮮族!

 赤狩りと偽り同胞大虐殺者9割のニセ両班や、脱北両班子孫矛先そらし李朝差別大虐殺隠蔽が韓国の犯日目的。

 大虐殺国民懐柔のため、李承晩ライン(仮想敵日本とし犯日開始)で竹島を火事場泥棒占領し、同胞大虐殺の矛先をそらした。現代も続く「竹島・慰安婦・難癖等の犯日」は、同胞大虐殺隠蔽懐柔目的の小道具!

1946年韓半島南の暴動勃発「10月人民抗争」 虐殺数は不明

1948年済州島「四・三事件」 済州人虐殺8万人以上

1950年6月25日朝鮮戦争 南北の死者400万人(北250万人)。実体は南(ニセ者9割の差別民と被差別民)対北(被差別民)。呼応した南の被差別民の助力で、たった2ヶ月で一気に釜山まで南下した。以後ニセ者9割の差別民韓半島南の韓国は、被差別民を凶産と捏造、済州人同様虫けらの如く虐殺した。

1950年保導連盟事件    韓国30数万人虐殺(60~120万人。ハンギョレ21。2001.6.20)

1951年居昌事件       韓国8千人以上虐殺

1951年国民防衛軍事件   韓国10万人以上虐殺

1980年光州事件       韓国2千人以上虐殺

 

 「(共産党)」と捏造して「李朝差別に復讐」した数で勝る「白丁」や、ニセ両班9割が犯した同族大虐殺を隠蔽しての矛先反らしが、捏造犯日抗日の第一目的!「日本が悪かった」わけでは、断じて無い!

動画

 韓国最大のタブーThe maximum taboo in South Kore

 カラーで見る朝鮮戦争

 韓国の秘密 - 朝鮮戦争大虐殺

 悲劇の島チェジュ(済州)~「43事件」在日コリアンの記憶~

 

 李朝差別を破壊した日本が居る間は平和であったが、去った途端に李朝差別が復活し、我欲剥き出しの同胞虐殺が始まった。無駄死にの同胞殺し合計が、449万人+北朝鮮不明+(60~120万人)

 大東亜戦争の朝鮮人戦死者は皆志願兵で、日本人のような強制兵役ではない!南北で2万2182人。台湾も皆志願兵で、3万304人で、強制兵役徴兵ではない(矢面にしなかった)。日本は強制兵役、徴兵で、234万2341人が戦死。さらに米軍に80万人の市民が原爆空爆で、大虐殺されたが、朝鮮人のような軍対民の同胞殺し合い(朝鮮同胞虐殺)、無駄死に、犬死ではない。有色人解放のとなり、開闢以来の新秩序、「植民地独立付与宣言1960年」を産んだ!

 日本がこの大虐殺を不問に付しているのを誤解している人がいるが、人類の英知である条約(復讐の連鎖の切断)を締結したからであって、日本が悪かったからでは、断じてない!条約締結後も無法国家中韓や戦勝国の一部は、「条約破りのし放題」だが、日本「不問」は、条約尊崇法治国家日本だからなのである。

 朝鮮最大の敵日帝とののしる、日本が去った戦後の、同胞殺し合い死者数が、日本よりはるかに多い上記である。戦後70年経ても、犯日を続けるほどの極悪日帝が去ったのだから、平和到来が当然である。ところがそうはならなかった。朝鮮最大の極悪は日帝ではない、明確な証拠である。日本は李朝差別を破壊し、繁栄と平和を築いた。その差別破壊の日本が去り、再び恐怖の李朝差別復活!この恐怖がもたらした同族殺し合いが朝鮮最大の極悪で、日本ではない。同族殺し(民族浄化)子孫の、隠蔽目的の犯日は明々白々で、子供でも分かることだ。

 国民の目が韓国国内に向いたとき、報復が始まる。李承晩が、李朝差別同胞虐殺追求の目をそらす目的で始めたのが、竹島の火事場泥棒と犯日李承晩ラインと捏造犯日教育等々である。

 李承晩は追放されたが、仕返しを恐れる虐殺者とその子孫は、追求の目をそらすため、犯日教育日本叩きに、さらに輪をかけた。唯一の独立国が日本で、八方が敵の戦国時代に、朝鮮独立などは絵に描た餅で到底無理な話なのに、独立と騒いだ者(凶産手先の売国奴でスパイ)を、愛国者と讃え扇動した。そして、日帝悪行と捏造の犯日館、植民地支配糾弾(1960年まで植民地支配は合法。遡及しての難癖)等々で洗脳した。しかしネットの普及で、捏造が次々暴かれ真実が明るみに晒されると、身の危険を感じた同胞虐殺者子孫は、火事場泥棒竹島支配強化、条約破りの難癖訴訟、捏造慰安婦(当時は合法。遡及しての難癖)、閔妃成敗を閔妃殺害と捏造、東海呼称、旭日旗はカギ十字等々の途方も無い難癖を考え出し、さらに、なんと禁止法(事後法・遡及法)まで立法し、親日叩きを、遡って開始した。犯日すべてが、李朝差別虐殺隠蔽が目的である!犯日団体や犯日者すべてが、李朝差別虐殺者(9割のニセ両班や、脱北両班)子孫であるとの、自白である!

 捏造しての日本叩きで絶えず外敵を作り、国民の目を外に向けていないと寝首をかかれるのが、赤狩りと偽り同胞を虐殺した、この、おぞましき子孫なのだ。捏造犯日手口はまさに、「と捏造して虐殺」した手口で、虐殺者子孫を、白状している!

 罪日は罪日で便乗、関東大震災、火事場泥棒を成敗してみたら(突然の震災に、顔の良く似た朝鮮人のみを選別は不可能で、暴動犯のみを成敗しただけ)皆朝鮮人だったを隠蔽、虐殺されたと捏造碑設置し、さらにハニーマネートラップで、NHK等我欲の巣窟「言葉と文字界」を一本釣りし、強制連行強制労働等の捏造碑を設置、捏造史工作に懸命だ。

 李朝差別の同胞虐殺隠しから始まった捏造は、止まる所を知らず、国を破壊して、朝鮮族への道を、ひた走りである。

 

本田宗一郎「韓国人とは関わるな」( 1994/09 PHP研究所邱永漢・渡部昇一『アジア共円圏の時代―さらばアメリカ』p.86

 昔、本田宗一郎さんが私の家に来て食事をごいっしょしたことがありました。そのとき、「本田さんのところでは、外国に何軒、工場がありますか?」と尋ねたら、「三五軒」とおっしゃったように記憶しています。そして、「その中で、一番うまくいっているところはどこですか?」と尋ねますと、「台湾」とお答えになり、「台湾に行くと、台湾の人がみんな、私に『こうやって自分たちが仕事をやれるのは、本田さんのお蔭です』と言って。ものすごく丁重に扱うのです。ですから、胸に一物もっていても言い出せない」とおっしゃいました。この本田さんの言葉は、日本と台湾の関係を象徴しているように思います。

 ちなみに、一番具合の悪かったところはどこですかと、本田さんに尋ねましたら、「韓国」とおっしゃった。「どうしてですか?」と尋ねると、「向こうへ行って、オートバイを作るのを教えた。それで、一通りできるようになったら、『株を全部買いますから、帰ってくれ』と言われた。『どうしましょうか』と下の者が聞いてきたから、『そんなことを言われるところでやることはねえよ』と言って、金を返してもらった

 

朝鮮史を看破していた朴正煕(第59代韓国大統領・朴槿恵大統領の父)

国家・民族・私

 「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」

 「(韓国社会は)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」

 「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」

 「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」

 

韓民族の進むべき道

 「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」

 「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」

 「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」

 

「朝鮮民族の致命的欠陥」

自立精神の欠如

民族愛の欠如

退廃した国民道徳

事大主義

怠惰と不労働所得観念

開拓精神の欠如

企業心の不足

悪性利己主義

名誉観念の欠如

健全な批判精神の欠如

 

現代の韓国国民も朝鮮史を看破している

生まれ変わったら韓国人にはなりたくない」と思っている現代の韓国人

 約70%の韓国人が「韓国人生まれ変わるのは嫌だ!」、などと回答し、生まれ変わりたい国として、日本、スイス、アメリカなどを挙げたという。

世界日報 2006-08-30 (朝鮮語)

 

名門梨花女子大の学生の62%は「生まれ変わったら韓国以外に生まれたい」

20051010

 

悪遺産」の拡大拡散など人間なら絶対に出来得ない所業!しかも、娘なのにだ!

 全くの「親の心子知らず」の娘朴槿恵大統領は、「あらゆる悪の倉庫の歴史を改新」もせず、「李朝史の悪遺産」をさらに拡大し、何と!こともあろうに!全世界隅々にまで拡散し、御披露した!

 

朝鮮人は人面獣心の人モドキ

人間なら誰にでも有る「誇り」が皆無で、「誇り」の意味も理解不能

人間なら誰にでも有る「嘘の罪悪感」が皆無で、息するごとくに「嘘」を吐く

人間なら誰にでも有る「対等」と言う概念が無い。朝鮮人はどちらが優位な位置に居るかが、最重要関心事で、「平等感」や「対等」と言う態度の人間は、敗者(弱者)扱いで、際限無き敗者虐めが始まる

「強い」と「悪い」と「正義」の区別も理解も出来ない

「優しい」と「弱い」の区別が出来ない

他人に対する思いやりや慈愛の精神「利他」は皆無で、「利己」のみ

宗教は騙りで、正体は拝金屋

 

 証拠は、フェリー座礁沈没事故・アジア大会・等々数多!

 

朝鮮人は人面獣心の人モドキなので「犬扱い(調教)」が人間化への早道!

 中朝韓罪日は幼児から、「日本極悪」と捏造洗脳教育を受けているので、「友好・平等・利他」的態度は、「極悪罪の償い」と、逆にしか受け取らず、「犯日感情大炎上」の火に油!「際限無き要求」の助長となるのみで、人間からは、ますます遠ざかり、猛獣への道となる。

 

 日本(人間)、コリアン(人モドキ)を、「友好・平等・利他」的対応で「人間扱い」した結果が、

 

私娼靴私娼を日本軍公娼と捏造し偽証させて、謝罪しろ金くれ 

竹島を韓国領と捏造し、火事場泥棒で占領。 韓国領と捏造宣伝中

李朝経済破綻朝鮮人請願統治なのに、植民地統治と捏造。温情で条約締結を交わし温情金も与えたのに、朝鮮人を奴隷化したと認め謝罪しろ金くれ

条約締結に漏れがあった、挺身隊で強制連行されたと捏造、謝罪しろ金くれ

関東大震災時の反乱で成敗されたのに、虐殺と真逆に捏造、謝罪しろ金くれ

対馬から仏像を盗み、盗まれた仏像と捏造し、返還拒否・・・

義父大院君が、売国奴嫁のミンピ成敗なのに、日本が虐殺と捏造・・・

三韓が文化を教えたと捏造・・・

朝鮮通信使が文化を教えたと捏造・・・

旭日旗を戦犯旗と捏造・・・

日本海を東海と捏造・・・

捏造碑・像の立てまくり・・・

何でも韓国起源・・・

 

等々、際限無き捏造の山で、捏造山脈「謝罪しろ金くれコリアン山」となり、野良犬化が、大促進された。

 

日本が、朝鮮人を、「人間扱い」して問題が山積した!「人モドキの人間扱いは逆に猛獣化への道!」が、同胞人類への警鐘

 人モドキの丸鵜呑み動物は思索脳皆無なので、正論や整合論や時系列論は理解不能で、自浄など永遠に不可。強制と命令が全て。

 筋の通らない理屈を聞くな!間違っても謝罪などするな!一瞬でつけあがり、猛獣に逆戻りする!裏切りに温情は禁物!倍返しの制裁で、調教を!

 感謝の気持ちは、犬に褒美の、飼い主の態度で示せ!

 

 日本が、朝鮮人を、「人間扱い」して問題が山積した。同胞人類はこの事実を踏まえ、断じて、同じ轍を踏むな!「人間扱い」禁止が、賢者同胞の最良策!「犬扱い(調教)」が、「朝鮮人人間化」への、早道

 

「黄禍(有色人リベンジ)」が白人の恐怖

 日露戦争日本勝利以後の白人(食民治主義・凶産主義)の恐怖は、「有色人連合の黄禍」で、の両者は西安事件以後、この「黄禍論」一点のみで連合した。

 結果、蒋介石汪兆銘中国と共同の日本の反共戦は、西安事件以後、蒋介石軍が裏切って分裂(蒋介石と毛沢東の国共合作)したため、汪兆銘南京政府日本連合軍との、反共戦に変化した。そして、隠れていたもう一方の白人、食民治主義国が正体を現し、白色連合の有色人潰し、「黄禍殲滅戦争」が、開始されたのである。

 「」は、戦後すぐの朝鮮戦争、米国の狩り、そして冷戦が、証拠!もし日本戦わざれば、ソ中凶産か米英、いずれかの属国と成り下がり、国名も失せ、日本族呼称となっていた。

 日中戦争ではなく!日中連合反共戦争が、正当な呼称である!

 

 日中合作は即座に、有色人対白人の「黄禍」と成り得る。戦後の台湾韓国、そして、日中条約以後の中国の大躍進(世界第二の大国)は、日本抜きでは語れないのが証拠。

 有色人対白人のキーは日本の手中に有るのであって、中国や韓半島ではないことを、このことは実証した。

 時の権力者(食民治主義と凶産主義の白人連合)追い詰められての大東亜戦争は、八紘一宇の「互恵平等ブロック経済の破壊」で対峙目的なので、「白人対有色人戦争」は、もとより、先人の意志ではない!目的完遂(凶産国や捏造国のみが残滓)の現在は、もちろん、先人の遺志でもない!

 これ等を踏まえ、「白人の黄禍の恐怖」を払拭すれば、「白人と有色人連合」による、中国と韓半島のドーナツ包囲網が構築可能となり、人間(人モドキの支那人や朝鮮人)を、人間へ導くことが出来る。

 田中角栄が米国や戦勝国等と歩調を合わせておけば、とうの昔か遅くともソ連崩壊時に、中国凶産解体しての軟着陸は、可能であった。角栄等、国民が負託した職責者(教授やNHK等の報道各社)の無知無能売国が、消えかかった火(中国凶産)に油を注ぎ、大火となった!

 

日本は条約尊崇法治国家!

朝鮮人や台湾人を矢面に立たせなかった日本軍

 大東亜戦争の朝鮮人戦死者は皆志願兵で、日本人のような強制兵役ではない!南北で2万2182人。台湾も皆志願兵で、3万304人で、強制兵役徴兵ではない(矢面にしなかった)。日本は強制兵役、徴兵で、234万2341人が戦死。さらに米軍に80万人の市民が原爆空爆で、大虐殺されたが、朝鮮人のような軍対民の同胞殺し合い(朝鮮同胞虐殺)、無駄死に、犬死ではない。有色人解放のとなり、開闢以来の新秩序、「植民地独立付与宣言1960年」を産んだ!

 日本がこの大虐殺を不問に付しているのを誤解している人がいるが、人類の英知である条約(復習の連鎖の切断)を締結したからであって、日本が悪かったからでは、断じてない!条約締結後も無法国家中韓や戦勝国の一部は、「条約破りのし放題」だが、日本「不問」は、条約尊崇法治国家日本だからなのである。

 

条約締結後は加害者被害者敗戦国戦勝国は消滅し両国平等原則で謝罪も条約破り

 謝罪や賠償要求や訴訟ラッシュや日本叩きが、ここまで拡大した原因は、職責者「言葉と文字」の無知と職責不履行である。

 「復讐の連鎖の切断」が条約の基本原則で、締結両者平等(加害者・被害者、戦勝国・敗戦国は、消滅)となり、締結以前±は全て消滅し、ゼロとなる(±⇒条約締結⇒0)。条約締結の「謝罪」は、過去の±逆戻りの蒸し返しとなり、「条約破り」となる。「断じて振り向くな!前進せよ!」が、人類の英知、条約締結の基本原則!輩はこのことを知らず、最も安易な謝罪三昧に走り、敵(中韓)の、思う壺にはまった!有識者皆無日本の、始まりである!

 立法府の謝罪(条約破り)三昧、海部、宮沢、河野洋平、細川、羽田、村山富市、土井たか子、橋本、小渕、野中広務、森嘉郎、小泉、鳩山、菅、地方議会(慰安婦意見書決議)等々が、「条約破り」を拡大した。司法も、西松建設判決で条約破りの禁を犯し、アジア女性基金(条約破り)の轍を踏んだ。

 謝罪や賠償要求や訴訟ラッシュ返答は、「日本は法治国家!条約で解決済み!世界を見習え!中韓のみが条約破りだ!」一行で、済んだ事だ!

 

 河野村山談話やアジア女性基金等々は明白な条約破り(追加要求が無ければ「思い遣り」で終わったのだが、追加要求が際限なく拡大し、「条約破り」となった!だが、見直しや破棄などと狭小部分に固執せず、下記のように、「内政干渉(靖国参拝や教科書等)」をも一刀両断が、賢者の策

 

靖国宣言(条約破りや国政侵略である内政干渉の切断)

 「戦後条約締結の、これまでの全ての謝罪(戦争・慰安婦・アジア女性基金等々)は、人類の英知である条約(復讐の連鎖の切断)への、限り無い冒涜であり、かつ、条約破りは明々白々でした。日本国民一同三省し、条約締結各国の皆々様に、深くお詫び致します。現代の性暴力被害者支援事業に対しては、積極的に取り組む所存ですが、今後、いかなる事由が有ろうとも、一切を切断し、人類の英知である条約締結を尊崇し、厳守することを、ここに誓います。内閣総理大臣 安倍晋三」

 内政干渉条約破りの無法は、国家に非ずの烏合の衆。国交外交の、資格無し!首相が先陣を切り、三木・中曽根以前のように「参拝は当然」を復活させ、かつ、参拝を恒常化して、参拝の国内障害切断すれば、人モドキの中朝韓が何とわめこうが、A項目戦犯合祀が不参拝の理由に非ずのわれらが「天皇」は、必ずや参拝する。不参拝は、職責者(教授NHKマスコミ立法司法行政等)の、給料泥棒(職責不履行)売国が原因!

 

戦後70年間も歴史家不在の日本!国民が総じて歴史家に成らねば国滅ぶ!

 戦後の復興に汗と涙で懸命な国民が託した歴史家は、WGIPを記憶したHDDのみで、70年間も日本の役立たずのみならず、逆に、NHK、朝日新聞、毎日新聞等と共に中朝韓の捏造反日宣伝を扇動し、戦争起因を拡大中である!丸暗記のみの更新皆無のHDDなので、自浄回路など当然無い!

 このままでは先人九九年間の護国が潰え、国が滅ぶ!覚醒した我々国民一人一人が歴史家と成り、歴史家という職責を托せる子孫を新規に、育成しなければならない!

 

 神(造物主)は賽を振らない!

 歴史もまた、賽を振らない!




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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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