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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観ルーズベルトは宣戦布告を隠蔽し真珠湾を生贄に復讐戦争を捏造


  国民を餌食にし、生贄にしてまで戦争がしたかったルーズベルト。犠牲者2395(民間人54)名負傷者1178(民間人35)名アメリカ艦隊は、生け贄にされた。

 アメリカ国民は「Tora!Tora!Tora!」1970年製作米映画で、既に認知済み。公知を知らぬは、日本仮想界と歩く記憶機のみ。

http://my.execpc.com/~dschaaf/pearl2.html#december

ハルノート原案に記されたルーズベルトメモ

日本がこれを受け入れる可能性はほとんど無いだろう、すぐにでも起きるだろう災いに、皆備えなければならない。

ハルノート提出前日の会話を記したスチムソン陸軍長官の日記

 大統領は、「日本という国は無警告で攻撃を始めることで悪名高い。アメリカは、来週の月曜にも攻撃を受ける可能性がある」と注意を促した。「問題は大きすぎる危険を避けながら、日本をどう誘導していくかだ。最初の一発を撃たせるように」

スチムソン後日の証言「日本の先制攻撃がアメリカ世論をまとめるために望ましかった」

アメリカ暗号解読の父、暗号の天才ウィリアム・フリードマンは、真珠湾攻撃のニュースを聞き、妻にぼやいた。「『分かっていたのに・・・』と、父は母にだけ言ったのです」息子ジョン(83)の証言。

 昭和16年12月2日、ルーズベルト大統領は、日本が一向に対米攻撃を始めないことに業を煮やし、海軍軍令部長スターク提督に私信で発令した。それは、「アジア艦隊司令長官ハート大将に命じ、2日以内に3隻の小船を軍艦に儀装して、海軍士官に指揮させ仏印海域に派遣し、通りかかる日本艦隊を挑発せよ。」という内容だった。この事実は、海軍少将ケンプ・トーリーが公表している(「ラニカイ号の異様なる任務」、米海軍学会紀要、1962年9月号)。

 1941年12月7日真珠湾入り口で雑役補給艦アンタレスが国籍不明の小型潜航艇を発見し、米海軍駆逐艦ウォード(1200トン)に連絡、午前6時3分には哨戒機が発煙弾を投下して、潜水艦の所在を教えている。4インチ砲で砲撃し、航空機が爆雷攻撃して午前6時45分撃沈。大東亜戦争最初の交戦である。発見して直ぐの攻撃轟沈は、臨戦態勢で待ち受けていたことを、語っている。

http://www.geocities.jp/torikai007/pearlharbor/1941.html

 真珠湾空襲開始現地時間1941年12月7日午前7時55分(日本時間1941年12月8日午前2時55分)最初の交戦から約2時間後である。

 2002年8月28日、ハワイ真珠湾沖の水深406メートルの海底で、ハワイ大学海洋調査研究所のチームが長さ24メールの小型潜水艦を発見した。旧日本海軍の二人乗りの特殊潜航艇「甲標的」である。敵艦近くまで潜航し、搭載した二本の魚雷を発射する目的で、海軍が極秘に開発してきた秘密兵器。

 この「甲標的」が、1941年12月7日(現地時間)の真珠湾攻撃において、日本軍の攻撃2時間前に、アメリカの砲弾を受けて沈没した小型潜航艇である。大東亜戦争最初の戦死者となったのは、古野繁實海軍中尉(享年24。死後、少佐に特進)と横山薫範海軍一等兵曹(享年25。同、少尉に特進)の二人と推測されている。

 撃沈報告された記録も証言も存在するのに、真珠湾アメリカ艦隊にルーズベルトはシークレット事項とし、報告も、警戒警報も発しなかった。小型潜航艇と確認されているので、当然母艦の存在を調査し警戒にあたるのが常道なのに何もしていない。結果日本の奇襲攻撃となった。「それまでたびたびを間違えて報告していたので、同様とみなした」が、調査委員会の結論。戦国時代でのことである、誰が信じるだろうか。アメリカの詭弁でしかない。即座に轟沈(戦時下警戒の証明)が証拠、子供騙しの愚論である。犠牲者2395(民間人54)名、負傷者1178(民間人35)、真珠湾アメリカ艦隊はルーズベルトによって、対独戦、対日戦参戦のための生け贄にされた。対独戦、対日戦の生け贄の証拠が、この発見された「甲標的」なのだ。真珠湾攻撃は、騙まし討ちのテロの典型リメンバーパールハーバーではない。屈服、亡国要求のハルノートを突きつけられ、リメンバーハルノートを掲げ、護国、自由希求のため立ち上がった証し、それが日本国の真珠湾攻撃だ。対独戦、対日戦参戦のため、兵糧攻めで資源無き日本を攻め、宣戦布告、日本に亡国要求のハルノートを突きつけ参戦に追い込み、ルーズベルトは真珠湾で米国民を生け贄にした。真珠湾犠牲者2395(民間人54)名、負傷者1178(民間人35)名は、ルーズベルトの米国民騙まし討ちの証しなのだ。米国民において真珠湾は、リメンバーパールハーバーではなく、正にリメンバールーズベルトなのだ。日本軍の空襲2時間以上も前に発見され撃沈された「甲標的」発見は、ルーズベルトの陰謀を明々白々にし、不動なものにした。

 真珠湾攻撃を受けた翌12月8日、ルーズベルトが「真珠湾攻撃を国民に告げる・・・屈辱の日」の演説で、真珠湾が突然、何の前触れもなく攻撃されたことに加えて、ワシントンにいる日本の大使が、攻撃1時間後にやってきて、a recent American message(ハル・ノート。後述のように内容は極秘で、米国議会でさえ知らなかった)の回答書を手渡してきたと演説している。そして、日本は攻撃を仕掛けながら、恥知らずにも、攻撃後に交渉打ち切りの文書を手交し、宣戦布告もなく、和平交渉を続けるそぶりをして騙まし、攻撃を仕掛けてきた、騙まし討ちの卑怯な攻撃であると煽りに煽って、米国民を愚民化洗脳した。このように騙まし討ちの先制攻撃と煽られれば、対日宣戦布告に反対するものはもはや誰もいない。国会では、反対1票(あくまで反対できるという証明票)で日本へ宣戦布告が議決され、こうしてルーズベルトの陰謀の幕は切って落とされた。りメンバー・パールハーバーは、米国民愚民化洗脳のためのルーズベルト大統領の捏造で、真実はまさしく、宣戦布告「経済封鎖」、宣戦布告書リメンバー・ハル・ノート、りメンバールーズベルトなのだ。

国民を餌食にし、生贄にしてまで戦争がしたかったルーズベルト。

1935(昭和10)年8中国共産党は日本に宣戦布告「八・一宣言、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」。宣戦布告は中国凶産党が先、日本は宣戦布告に応じた自衛戦争。1936年12月12日西安事件まで蒋介石は、1934年5月31日「塘沽」タンクー停戦協定で日本と協調し、反共戦争を展開中で、日本と交戦中ではなかった。西安事件以後、侵略者産主義毛沢東侵略者植民地主義蒋介石傀儡にし、新たな植民地獲得のため、日中戦争に引きずり込んだ、が真相

1937/9/ 盧溝橋事件を契機に、凶産党抗日を推し進める。日本軍による首都南京の占領が不可避と判断し、四川省の重慶へ遷都。(中国国民党と中国産党との協力体制)国共合作②成立。米英ソ連(宗主国)の援助を受けながら戦った(蒋介石が凶産党と宗主国の甘言に乗ったのだ)。対凶産党との戦争となったので戦争回避不可となる。日本戦争(日中戦争)開始。

1939年昭和14年12月には、日本に対して航空機用のガソリンを禁輸するモーラル・エンパーゴが発動された。

1940年(昭和15年)3月30日 米国は、蒋政権に対する2千万ドルの資金援助を発表。

1940年昭和15年8月には、より低品質のハイオクタン航空ガソリン、9月にはくず鉄の対日前面禁輸、12月には鉄鉱や一定の鉄鉱製品の前面禁輸。

1940(昭和15年)9月25日 米国、中国への追加の資金援助として2千500万ドル供与を発表。

1940年(昭和15年)11月30日 ルーズベルト大統領は、蒋介石に1億ドルの資金援助と50機の新式戦闘機を送ることを約束。1億ドルのうち2500万ドルは、中国の航空計画及び地上兵器部品の購入のために使用された。

1941年(昭和16年)2月 米、P-40B戦闘機、100機の対蒋介石支援助を決定。その不足する装備武器と弾薬150万発については、大統領命令で米陸軍基地から直接補給された。

1941年3月11日昭和十六年 アメリカが施行した武器貸与法により、日中戦争の交戦相手であった中国(蒋介石政権)に航空機、武器弾薬、軍需物資などを供給。

 米国の軍事援助に関する昭和十六年(1941年)六月二十日付けの日本軍の調査資料。中国の蒋介石政権を支援する三本の補給ルートがあり、仏印(ベトナム)ルートが、ガソリン、鉄材、トラックおよび弾薬その他で毎月1万1千トン。ビルマルート経由が武器弾薬、火薬、工作機械など毎月4千トン、南支那(中国南部)ルートが同様な物資を、毎月9千トンで、補給物資の合計は毎月2万4千トン

1941年(昭和16年)4月15日 パウリー米インターコンチネント社社長が中国との間で航空機パイロットの米国義勇団に関する条約を結び、259名のパイロットを中国に派遣することとなった。

1941年(昭和16年)4月22日 米国陸軍省、中国に引渡し得る軍需品リスト(4千510万ドル相当)を提示。

1941年(昭和16年)5月6日 ルーズベルト大統領、中国向けのトラック300台の2週間以内のビルマ・ラングーン向け出荷を承認。また4934万ドル相当の軍需物資の中国供与を決定。

1941年春 「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の“エリート空軍部隊”だった、と六日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。(1991/07/08, 読売新聞)。このフライングタイガースは、中国国民党(蒋介石率いる現台湾政府)に協力して日本軍機を撃墜した部隊だが、これまで民間義勇軍であり米国陸軍省や米国大統領とは無関係であると米国防総省は主張してきた。ところが、同部隊の生存者たちが、実は米国防総省の承認下に全米各基地から集められた正規のエリート空軍部隊であった史実を認めるよう国防総省に請願し、このほど国防総省もこれを認めたのである。

 フライングタイガースが米国を出発してビルマに到着したのは昭和16(1941)年春のことであった。日本が日米開戦回避の可能性を必死で模索して日米交渉をワシントンで行っていた時、既に米国側は対日参戦にひそかに踏み切っていたのだ。

1941年(昭和16年)7月23日 米国統合委員会、軍事使節団派遣と米志願兵による中国からの日本軍爆撃を目的としてB-17、500機の対中国派遣を決定。この統合委員会での確認事項は次のようなものであった。

イ、中国及びその周辺地域又は海域で作戦中の日本軍に有効な反撃を加えるため、第一陣として269機の戦闘機と66機の爆撃機を装備すること。

ロ、米国は中国人の飛行及び航空機整備の訓練のための手段を提供すること。

ハ、米国によって与えられた大量の兵器の適切な使用について助言を与えるため、米国は、軍事使節団を中国に派遣すべきこと。

JB355」米国先制攻撃に、ルーズベルトサイン。米国爆撃機をイギリス優先にしたため、不足し、日本無差別爆撃計画は未遂となった。「幻の日本爆撃計画」アラン・アームストロング著日本経済新聞出版社

1941年7月25日~8月1日 アジアにおける食民治支配体制の維持に障害となる日本の叩き潰しを図り、日米開戦の四ヶ月前の昭和十六年七月二十五日から八月一日にかけて、産業必需品である石油、錫、ゴム、鉄材などの対日禁輸をおこなうと共に、日本の在外資産一億三千万ドルを凍結した。英国、オランダも追随して共謀、経済封鎖を実施。

 日本は、必要な輸入物資の八割を、米英蘭からの輸入品(石油・ゴム・錫・工業製品など)に頼っていた。したがって、米英蘭による「日本資産凍結」が日本経済を破綻させることは、火を見るよりも明らかなことであった(ヘレン・ミアーズ、『アメリカの鏡・日本』、八七頁)。

1941年8月1日 米国の大統領ルーズベルトは八月一日に英国、オランダと協力して石油など戦略物資の対日輸出禁止の追い打ちを掛け、しかも南米産油国からの輸入を防ぐためパナマ運河も閉鎖したのである。米国には、この行為が日米戦争につながるとの認識は当然明確にあった。当時の日本の石油自給率は5パーセント、95パーセントを対日経済凍結地域からの輸入に頼っていたため、存亡の危機に見舞われた。開戦前年の昭和十五年の石油製品の需要は年間五百六万キロリットルなので、当時の石油備蓄量からは一年前後で在庫がゼロになる事態が予想された。ABCDライン

1941年(昭和16年)11月26日 妥協案をすべて拒絶し服従を要求して、ハル国務長官は、最後通牒ハルノート(議会議員米国民に、内容は極秘)を日本に手渡した。

開戦後には、17億2330万ドルという莫大な援助を行い、日米戦争と日中戦争の両方を戦わざるを得ない局面にルーズベルトは日本を追い込んだ。

開戦1年前1940年(昭和15年)当時の貿易統計によると、日本は主要物資の輸入のほとんどを米国に依存。

○日本の主要物資の輸入先(開戦1年前昭和15年<1940>) 「アジア・太平洋戦争」

・鉄類  ①アメリカ69,9% ②中国15,6%(注・米、中、合計で85,5% ③インド7,5% ④その他7,0% 

・石油  ①アメリカ76,7% ②オランダ領インドネシア14,5%(注・米蘭合計で91,2%) ③その他8,8%

・機械類 ①アメリカ66,2% ②ドイツ24,9% ③その他8,9%

主要な輸入国を相手に戦争をするのは自殺と同じだ。

 反共戦争(日中戦争を継続中で、多数の人的損失と戦費をすでに費やしていた。その状況下で更に英米蘭などの大国を相手に、新たな戦争を始めなければならない動機など、日本には皆無。衰えた者を啄ばむ、正に弱肉強食適者生存の戦国時代である。日本が戦争を仕掛けたのではなく、仕掛けられたのは明白な事実だ。明らかに(侵略食民治化)(侵略食民治化)(侵略食民治化)(侵略凶産化)(侵略凶産化)に戦争の意図や動機があった。

 2008年12月24日TBS、「あの戦争は何だったのか」で「先に手を出したのは日本・・・誰があの戦争を起こしたのか。東條か、統帥部か、官僚達か、国民か」と前述の真実を隠蔽し、捏造報道した。「あの戦争は何だったのか」と問うなら、国民を生贄にしてまで戦争を仕掛けたルーズベルトに問え、犯日の巣窟TBSよ!

大江、石原、司馬、TV朝日、TBS、日テレ、NHK、朝日、毎日、読売、文系日教組、議員、文系学者、司法官、行政官、実務無き文系仮想現実界は、非国民の巣だ。

犠牲者2395(民間人54)名、負傷者1178(民間人35)名、真珠湾アメリカ艦隊は、ルーズベルトに生け贄にされた。ハワイオアフ島アリゾナ記念館は、ルーズベルト生け贄記念館である。

国民を生け贄にしてまで戦争をしたかったのがルーズベルトで、日本では無い。嵌められたのは米国民で、日本では無い。日本の選択肢は、亡国か、大東亜団結かの二つ。日本は、大東亜団結一縷の望みに懸け、蜂起した。

仕掛けたのは、共産主義植民地主義の戦勝国である。資源無き小国日本、たった一カ国で世界の支配者(米英仏蘭豪ソ)に、戦争を仕掛けることなど有り得ない、常識があれば分かることだ。

「あの戦争」は、侵略者食民治主義凶産主義に虐げられし者(日本台湾朝鮮満州汪兆銘南京中国)の、蜂起戦争だ。

現代に平和をもたらしたのは、「愚条の害」が叫ぶ憲法9条などでは無く、真の不戦条約「植民地独立付与宣言」昭和35年1960年で、導き出したのは比類なき蜂起戦争、大東亜戦争である。


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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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