QLOOKアクセス解析

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
2017 081234567891011121314151617181920212223242526272829302017 10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

真実史観3終章西進という名のアメリカ侵略戦争対メキシコ対スペイン対日本

1941年春 「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の“エリート空軍部隊”だった、と六日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。(19911991年7月8日, 読売新聞)。
 
このフライングタイガースは、中国国民党(蒋介石率いる現台湾政府)に協力して日本軍機を撃墜した部隊だが、これまで民間義勇軍であり米国陸軍省や米国大統領とは無関係であると米国防総省は主張してきた。ところが、同部隊の生存者たちが、実は米国防総省の承認下に全米各基地から集められた正規のエリート空軍部隊であった史実を認めるよう国防総省に請願し、このほど国防総省もこれを認めたのである。
 フライングタイガースが米国を出発してビルマに到着したのは昭和16
(1941)年春のことであった。日本が日米開戦回避の可能性を必死で模索して日米交渉をワシントンで行っていた時、既に米国側は対日参戦にひそかに踏み切っていたのだ。

1941年3月11日昭和十六年 アメリカが施行した武器貸与法により、日中戦争の交戦相手であった中国(蒋介石政権)に航空機、武器弾薬、軍需物資などを供給。

 米国の軍事援助に関する昭和十六年(1941年)六月二十日付けの日本軍の調査資料。中国の蒋介石政権を支援する三本の補給ルートがあり、仏印(ベトナム)ルートが、ガソリン、鉄材、トラックおよび弾薬その他で毎月1万1千トン。ビルマルート経由が武器弾薬、火薬、工作機械など毎月4千トン、南支那(中国南部)ルートが同様な物資を、毎月9千トンで、補給物資の合計は毎月2万4千トン

1941年月4月13日 日ソ中立条約。有効期間は5年であった。

1941年(昭和16)年4月15日 パウリー米インターコンチネント社社長が中国との間で航空機パイロットの米国義勇団に関する条約を結び、259名のパイロットを中国に派遣することとなった。

1941年(昭和16)年4月22日 米国陸軍省、中国に引渡し得る軍需品リスト(4千510万ドル相当)を提示。

1941年(昭和16)年5月6日 ルーズベルト大統領、中国向けのトラック300台の2週間以内のビルマ・ラングーン向け出荷を承認。また4934万ドル相当の軍需物資の中国供与を決定。

1941年月6月 ドイツ、ソ連侵略開始。

1941年(昭和16)年7月1日 重慶空軍の再建へ、米積極的援助の手。東京日日新聞。日本側諜報員が、JB355」日本無差別爆撃計画を、つかんでいた。

1941年7月昭和十六年 日本米英の(蒋介石政権)援助ルート封鎖するため、サイゴンなどに基地設定。仏領印度シナ南部占領。

1941年(昭和16年)8月23日 米国統合委員会、軍事使節団派遣と米志願兵による中国からの日本軍爆撃を目的としてB-17、500機の対中国派遣を決定。この統合委員会での確認事項は次のようなものであった。

イ、中国及びその周辺地域又は海域で作戦中の日本軍に有効な反撃を加えるため、第一陣として269機の戦闘機と66機の爆撃機を装備すること。

ロ、米国は中国人の飛行及び航空機整備の訓練のための手段を提供すること。

ハ、米国によって与えられた大量の兵器の適切な使用について助言を与えるため、米国は、軍事使節団を中国に派遣すべきこと。

 JB355」米国先制攻撃に、ルーズベルトサイン。米国爆撃機をイギリス優先にしたため、不足し、日本無差別爆撃計画は未遂となった。「幻の日本爆撃計画」アラン・アームストロング著日本経済新聞出版社

 開戦後には、17億2330万ドルという莫大な援助を行い、日米戦争と日中戦争の両方を戦わざるを得ない局面に日本を追い込んだ。

1941年7月25日にアメリカ、イギリス、オランダが打ち出した「凍結」令である。三国は自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融関係を全て断絶した。日本は輸入必需品80パーセントを「凍結」地域に頼っていたから、三国の行動は、日中戦争の泥沼化だけでなく、国内経済の窒息死(餓死)を意味するものだった。ヘレンミアーズ

1941年7月25日~8月1日 アジアにおける植民地支配体制の維持に障害となる日本の叩き潰しを図り、日米開戦の四ヶ月前の昭和十六年七月二十五日から八月一日にかけて、産業必需品である石油、錫、ゴム、鉄材などの対日禁輸をおこなうと共に、日本の在外資産一億三千万ドルを凍結した。英国、オランダも追随して共謀、経済封鎖を実施。

 日本は、必要な輸入物資の八割を、米英蘭からの輸入品(石油・ゴム・錫・工業製品など)に頼っていた。したがって、米英蘭による「日本資産凍結」が日本経済を破綻させることは、火を見るよりも明らかなことであった(ヘレン・ミアーズ、『アメリカの鏡・日本』、八七頁)。

1941年8月1日 米国の大統領ルーズベルトは八月一日に英国、オランダと協力して石油など戦略物資の対日輸出禁止の追い打ちを掛け、しかも南米産油国からの輸入を防ぐためパナマ運河も閉鎖したのである。米国には、この行為が日米戦争につながるとの認識は当然明確にあった。当時の日本の石油自給率は5パーセント、95パーセントを対日経済凍結地域からの輸入に頼っていたため、存亡の危機に見舞われた。開戦前年の昭和十五年の石油製品の需要は年間五百六万キロリットルなので、当時の石油備蓄量からは一年前後で在庫がゼロになる事態が予想された。ABCDライン

1941年9月27日(昭和16年) 日、独、伊の三国同盟が成立し三国との戦争が予想される事態になると、米国の戦略は国ごとの戦争計画を一色で表すのを止めにし(オレンジ計画)、新たな戦争計画を「レインボー5」と名付けた。「レインボー5」とは、日米開戦の場合に取るべき米国の作戦はアメリカ艦隊により日本周辺の海上封鎖をおこない、海外からの物資の輸入を絶ち、沖縄を占領し、空襲により日本国内の生産設備を破壊して継戦能力を失わせ、本土を孤立させて降伏させるという、島国日本攻略の常套作戦、兵糧攻めであった。そのための布石として米国はハワイとフィリピンのマニラ(スービック湾)に海軍基地を建設し、海軍力の増強を図った。

1941年11月昭和16年1月には銅、亜鉛、ニッケル、2月にはラジウム、ウラニウムの禁輸に踏み切るなど対日禁輸を真綿で首を締めるようにじわじわと進めたのである。

19411941年11月7日 開戦を回避すべくぎりぎりの条件を提示して、日米交渉の妥結を願って出した条件甲案は拒絶された。

1 日支に和平が成立した暁には支那に展開している日本軍を2年以内に撤兵させる。

2 支那事変が解決した暁には「仏印」に駐留している兵を撤兵させる。

3 通商無差別待遇が全世界に適用されるなら太平洋全域とシナに対してもこれを認める。

4 日独伊三国同盟への干渉は認めない。

1941年11月20日 日米交渉の妥結を願って出した条件、経済封鎖を解き、石油等の物資が安定供給されれば、日本は南方に進出する必要性は無くなる、それに伴い、日本は南方からの全面撤退に応じるという内容の、乙案も拒絶された。

1 蘭印での物資獲得が保障されアメリカが在米日本資産の凍結を解除し石油の対日供給を約束した暁には南部仏印から撤兵する。

2 更にシナ事変が解決した暁には仏印全土から撤兵する。

1941年11月26日 妥協案をすべて拒絶し服従を要求して、ハル国務長官は、最後通牒である「ハル・ノート」を日本に手渡した。

1941年12月1日 御前会議にて対英米との開戦が決議され、ハルノートが提示される前に択捉島の単冠湾を出航していた機動部隊に向けて12月1日5時30分「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の攻撃命令が発せられた。

1941年12月8日大東亜戦争開戦。当時日本は石油備蓄量がたったの2年分しかなかった。日本は石油の枯渇、外貨の支払い不能となり、座して死を待つよりも、国家生存の可能性に賭け戦争に打って出た。宗主国を追放し、アジアを解放し、貿易を自由化して資源得るために、服従を拒絶し自由を求めて立ち上がった。

「異なる悲劇 日本とドイツ」、西尾幹二、文春文庫 .「アメリカの極東戦略」、椛島有三、祖国と青年、平成7年1月号 「アメリカ外交50年」ジョージ・F・ケナン 

共産の美名にだまされ凶産党に洗脳されていたフランクリン・ルーズベルト  ソヴィエト連邦は全世界の共産化をめざし、1919年3月2日コミンテルン(全世界すべてを狂惨化しようと、革命運動の統一的指導に当たった、共産党の国際組織)を結成し、共産主義洗脳活動に必死であった。

 ルーズベルト、トルーマンも弾劾の対象になった、1950年(昭和25年)共産党員弾劾のマッカーシー旋風が吹き荒れ、ルーズベルトの側近が弾劾された。

 アルジャー・ヒスは戦後の枠組みを決めたヤルタ会談に、ルーズベルト大統領の顧問として参加。

 ハリー・デクスター・ホワイトは、ソ連の諜報員ピタリー・パブロフより渡された原文でハル・ノートの原案を作った、ソ連のスパイ(ソ連崩壊後のピタリー・パブロフの回顧録で明らかになった。)。

 ロークリン・カリーはアジア問題担当大統領特別補佐官、ソ連のスパイ。

 そして彼らに情報を送ったのは、共産の美名にだまされた共産主義かぶれの、エドカー・スノー、ティルマン・ダーディン、アグネス・スメドレー、タイム誌の創立者で経営者ヘンリー・ルース等である。

 ルーズベルト本人の母方のデラノ家は、香港を中心に阿片貿易で巨万の富を築いた。更に彼は田中メモリアルを信じていた。更にエレノア・ルーズベルト夫人は共産の美名にだまされ、共産主義のシンパ(支持者)として有名であった。

 ルーズベルトの蒋介石宛の書簡。「中国共産党は我々の言う社会党のように見える。農民や女性、日本に対する彼らの態度に我々は賛成する。私は共産党と国民党の間には、矛盾より類似点が多いと考えている。私は双方が矛盾を除き、抗日戦争という同じ目標のために、一層密接に協力することを希望する」。ルーズベルトが完全に洗脳されていたことが分かる。

 コミンテルンの陰謀に、狂惨の現実に気付いたアメリカが1950年(昭和25年)共産党員を弾劾した。マッカーサーは1951年(昭和26年)、米国議会上院の軍事外交合同委員会で「日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった」と証言している。朝鮮戦争、日本統治五年の体験でコミンテルンの陰謀に、狂惨の現実に気付いたからに他ならない。大東亜戦争の開戦は、共産党について余りにも無知なルーズベルトが、世界征服をたくらむコミンテルンに洗脳され、誤解から始めたのだ。

 共和党下院議員の97%が日本との戦争に反対し、米国民の97%が欧州戦争参戦に反対(40年4月にノルウェーに侵入した時点でのギャラップ世論調査で、参戦に賛成する米国民はわずか3%であった)していた。ルーズベルトは決して参戦しないという公約を武器に当選していたのである。いやがるアメリカ国民を騙すようにして戦争に誘い込んだルーズベルトは、その証拠を、破壊しょうとした。証拠を破壊するためには、日本の「無条件降伏」が必須の条件であった。真珠湾を撒き餌にしたりして、戦争に誘い込んだ世界征服をたくらむコミンテルンに操られたルーズベルトの陰謀が今、次々と暴かれている。1945年4月12日昼食中脳卒中で死去。クー・クラックス・クラン(KKK・黒人排斥秘密結社)に加入歴のある副大統領のハリー・S・トルーマンが大統領に昇格。アイゼンハワー、共和党支持者の米陸海軍の将軍たち(マッカーサーも含む)全員が猛反対のなかで、原爆投下を命令する。

 大東亜戦争は、背後からの日本の攻撃を恐れた猜疑心が強く疑心暗鬼なソ連が、狂惨党が、ルーズベルトを洗脳し戦わせた戦争であると言っても、けして過言ではない。大東亜戦争は世界征服をたくらむコミンテルンが仕掛けたと言っても、けして過言ではない。日米中国蒋介石は共産主義の被害者と言っても、けして過言ではない。中国、キューバ、北朝鮮、東ドイツ、ルーマニア、と全世界の共産化進行は事実で現にWW2語史上最大の共産圏を樹立した。

 アメリカが、世界征服をたくらむコミンテルンの陰謀に、狂惨の現実に気付いた時、アメリカも共産主義の被害者であった事を認識したのである。大東亜戦争・朝鮮戦争でアメリカ国民も多大な犠牲者を出している。そしてベトナムでも。歴史認識を誤ると後々まで引きずられるのだ。

 それ(アメリカの参戦ルーズベルトの愚行)は、われわれがスターリンのために ロシアの共産党支配を確立させ、共産主義が世界中にさらに広がる機会を与えてやったことになる(フーバー元大統領)

 狂惨主義の恐ろしさは、目的のためなら暗殺、殺人、盗聴、捏造と、この世のあらゆる悪を用いることだ。民主主義の常識など一切通用しない、猜疑心が強く疑心暗鬼な暗黒の世界だ。

 

 善悪とは次元の異なる、弱肉強食の本能剥き出しの戦争が、勝者が正義が、当時の世界の常識だ。これに全世界の共産化を目指したソヴィエト連邦が参入し一触即発の時代であった。

 

誤ったソ連報道でフランクリン・ルーズベルトはスターリンの正体を見抜けなかった

 

 ニユーヨーク朝日新聞にニューヨーク・タイムズ(あのノリミツ・オーニシの新聞社だ)のウォルター・デュランテイ記者の話が載った。NY(ニューヨーク)タイムズのウォルター・デュランテイ記者。ソ違が誕生して間もないころにモスクワに赴任し、スターリンと単独会見もやってピュリツツアー賞を受賞している。「あんな嘘っばち記事にピュリッツァー賞ではピユリッツァーが泣く」というのがスターリン被害者の末裔たちの主張だった。しかしデュランテイ記者はそんな事実はないと否定し、スターリンを褒めそやし続けた。

 

 NYタイムズは、すぐにロシア問題の権威コロンビア大のフォン・ハーゲン教授に彼の記事の評価を依頼した。その結果が「彼はただソ連政府の言い分を無批判に伝えただけ」。

 それどころか他のジャーナリストが迫害にめげず恐怖政治や飢餓の実態を伝えても、彼はそれを徹底して否定し「記事にはバランス感覚もモラルもなかった」と指摘する。さらに彼の「誤ったソ連報道でルーズベルトはスターリンの正体を見抜けないまま、米国の国策を誤った結果になった」とも指摘している。

 

 朝日はNYタイムズ幹部も取材し、実は「ソ連政府とNYタイムズ社の間に合意があった。.デュランテイはただ社の方針に徒いソ連の提灯記事を書いた」という噂も書いている。

 

 ニューヨーク・タイムズ(あのノリミツ・オーニシの新聞社だ)の捏造報道が、大東亜戦争を引き起こしたのだ。

1944年11月7日 フランクリン・D・ルーズベルト、大統領選に勝利、四選。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』アルバート・ウェデマイヤー著 第2次大戦に勝者なし(上)、講談社学術文庫、H9.6。 ハミルトン・フィッシュ著日米・開戦の悲劇、PHP文庫、H4.12.2。ニユーヨーク朝日新聞2005http://www1.toptower.ne.jp/~katumata/sub911.htm 歴史の真実 戦争を始めたのはどちらなの?


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/tb.php/84-7825190e

フリーエリア
プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。