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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観3強い者に弱く弱い者に強い朝鮮半島と罪日

強い者に弱く弱い者に強い
 ・・・朝鮮半島、台湾までが中国の支配になったらどうなるでしょう。アメリカがいるから、そうはならないという考えもありますが、やはり日本は日本で考えていかなければならない問題です。アメリカと同盟を結んでいる立場からも考えることは重要なことです。中国は日本の生命線であるシーレーンも自分の管轄下に置きたいと狙っています。そうなれば日本の産業は成り立たなくなり、日本の経済力は急激に衰退するでしょう。

  ですから今のうちに日本は明治時代の武士道を覚醒させて、しっかりと韓国と手を組んで中国と対処してほしいのです。これはアジアの安定のためにも大事なことです。

  日本が強くなって韓国と手を組むとどうなるか。終戦前、満州で中国で活躍したのは日本人よりも韓国人でした。平均して中国人より韓国人の方が強さを発揮し、中国に対して強く出ました。日本が明治時代の日本軍隊のように強くなると、韓国、朝鮮の人は日本人以上に日本人になるのです。今の台湾において、日本人より日本人の生き方を伝承しているという事実。昔の日本人は、それほどに誠を尽くして現地で働いたということです。その意味するところは、併合自体が侵略でもなく略奪でもなかったということです。

ソウル遷都は滅亡の運命

 ・・・ソウル遷都は滅亡の運命 小泉首相も小泉首相です。蘆溝橋に行って謝罪している。謝罪する必要はありません。日本がやったわけではないのです。撃たれた兵隊は、秋田の部隊で秋田にいます。私はインタビューして資料を取っています。

 中国のいう歴史認識の共有は、中国のいう通りにしろということです。そんなことはすべきでないし、できるはずもない。支那事変というのは、日本が中国共産党と戦った防共戦です。これをはっきりと認識しなければなりません。向こうはアジア、中国、日本を共産化しようとしていた。背後にはソ連のコミンテルンの野望がありそれと日本は戦った。日本の軍隊がいたからこそアジアは、日本が敗れるまで共産化されなかった。日本が敗れたために中国も満州も朝鮮も共産化されてしまった。

  それを知っている人は世界にいなかったわけではありません。ローマ法王のピオ11世はよく分かっていた。支那事変が始まった年の10月にメッセージを出しています。全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、日本の支那事変は侵略戦争ではない。共産党と戦っている。共産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよといっています。だからこそ戦後マッカーサーが靖国神社を解体しようとしたときに、カトリックのビッター神父、バーン神父は反対した。

  靖国神社の近くに白百合学園という女学校があります。靖国神社の前を横切るときに生徒は頭を下げる。どうしてかと気になっていた。それはローマ法王にお伺いをたてたら頭を下げるようにと指導があったという話でした。

 結局中国共産党は戦争を一番望んでいた。昭和7年、満州事変の2年後に対日宣戦布告を出しています。昭和9年にも同じようなものを出しています。蒋介石の国民党軍と日本を戦争をさせて、その間に自分たちの勢力を伸ばして中国を共産化するという戦略だったわけです。

 支那事変が始まった後、毛沢東が出した指令があります。日本との戦争では、七分の力をもって党勢を拡大せよ、二分の力をもって国民党と妥協せよ、残りの一分の力をもって日本と戦争せよというものです。

 中国は共産党政権です。その共産党と防共戦を戦った日本の歴史観が合うわけがないでしょう。そういうことを日本は中国にはっきりという。それで初めて同じ土俵に上がることができ
るのです。日本は、論争の土俵に上がるまえから頭を下げているわけです。・・・

朝鮮統治費用
 日本が1945年の敗戦までに、朝鮮半島国民の血税からつぎ込んだ朝鮮統治費用は、現在の価値になおして80兆円以上となり、赤字経営であった。資源の無い日本の富国に、腐心したのだ。朝鮮に残してきた資産総額9兆円。

ハングル
 
「1446年李朝の世宋が訓民正音の名で公布」日本と同じように義務教育の制度を敷いて(それまでは愚民政策のため義務教育でなかったので、ほんの一部の人しかいけなかった)、日韓併合の翌年の1911(明治44)年から、総督府によって朝鮮教育令が施行され、初、中、高等学校(1894学校)を日本のお金で作り、朝鮮人、日本人の生徒の区別なく、ハングル(李朝によって禁止されていたハングルを1911年から1935年代まで学校で教えた)を必修科目とすることに決められた。統治前の公立の普通学校(小学校)は、100校に満たなかったが、5213校の小学校が、つくられた。ハングルを整備し訓民正音をハングルと名付け、朝鮮人に日本が教えた。

皇民化 
 日本人教師と台湾人生徒の間には強い師弟関係があり、戦後も教え子達が日本の恩師を訪ねたり、逆に日本から恩師がやってくれば、教え子が台湾中から集まったり、まためいめいが自分の郷里に招こうと恩師の奪い合いが生じたりする。ところが戦後、大陸からやってきた中国人教師と台湾人生徒にはそんな関係は一切ない。

 昭和十年の台湾大震災では、様々な美談が生まれた。当時公学校三年生の男子生徒が倒壊した建物の下敷になった。彼は虫の息になりながらも、駆け付けてきた先生を見上げて国歌「君が代」を歌い、そして静かに息を引き取ったのである。この少年はその後、「君が代少年」と呼ばれ、学校には少年の銅像が建てられた。これは実話であって、フィクションではない。もし、我々台湾人が、日本教育を強制されたと捉えていたならば、どうして今わの際に国歌「君が代」など歌えようか。

 現代の日本人は、日本がかつて植民地で皇民化教育を行っていたことを非難するが、それは「内地でやっていた教育を、同じ日本領土である台湾でやっていただけ」だと私は納得している。「台湾人と日本精神」蔡焜燦著より

朝鮮の日本統治内容(1910~1945) 

学校 100校無かった→小学校5,213校、生徒数2,389,135人、就学率61% (1944)、京城帝国大学(1924)

耕地面積   246万町歩→449万町歩(2倍)

水田      84万町歩→162万町歩(1928)(2倍)

米の生産量 1000万石→2000万石(1930)(2倍)

鉄道            無かった0m→3,827Km

人口            1,313万人→2,512万人(1944)(2倍)

植林            禿山→5億9千万本(30年間)

米1反の収量    0,49石→1,49石(3倍)

平均寿命      24歳→56歳(2倍)

強盗件数 昭和2年1771件、昭和7年1261件、昭和12年727件、昭和17年394件。

食民治でなかった(北朝鮮・韓国)
 北と南(北朝鮮・韓国)は多額の借金を抱え、望んで日本に併合されたのだから、食民治ではない。搾取する物も無いので、搾取していない。逆に近代化してあげた。賠償国でも、戦勝国でもなく、日本と同じ敗戦国。日本と同じように、戦った相手にお詫びと賠償をしなければならないのに、いまだにどこにもせず、南北(北朝鮮・韓国)は60年以上逃亡している。北(北朝鮮)は日本人を拉致したり、偽札や麻薬を造り、南(韓国)は武力で日本人を殺して、日本の領土を奪ったり、誇りなど皆無で、恥知らずなことを繰り返している。国ではなく、ギャング団だ。これが南北の嘘の上塗り教育、愚民化教育の現実だ。

 台湾では植民地と言う言葉を使うと台湾人に怒られます。「日本は植民地になんてしていない。失礼なことを言うな。統治をしたんだよ」と。2006.4.26. 

両班(ヤンバン)思想 
 日本統治以前、朝鮮に4つあった階級。良民「両班(文官、武官の総称)、中人、常人、」賤民(奴婢、白丁)、を統治時代に日本が破壊したが、朝鮮には、肉体労働をする者(生産者)を身分の低い卑しい者とみなす風潮が今でも残っている。自ら顔を洗うことすら卑しい賤民の行為として忌み嫌った。何の労働もしない人(非生産者)が高貴なのだ。特に労働する『職人』は蔑視されている。これは職人を尊敬する世界の文化とは正反対である。両班思想が朝鮮を破壊したのだ。この両班思想が創造力萌芽の妨げになり、朝鮮固有の文化の無い国にしたのだ。中国に従属していただけでなく、文化も形骸模倣していただけの国だった。中国より、渡来した文化は、朝鮮では進化しなかった。両班を改名した私利私欲反日扇動者が、今また愚民化し、亡国化している。1894年12月身分の区別“貴族と平民”を廃止し、“平民”にした。

創氏改名=姓名変更
 (統治開始30年後の1940年2月11日から)改名の手数料1家族50銭(最初は一人50銭)払えば、創氏改名出来た。強制ではなく任意なので現代となんら変わらない。愚民化教育で大騒ぎするが、大騒ぎするほうがおかしい。朝鮮に4つあった階級を日本が破壊したが、姓名で身分が分かるため、低い身分「中人、常人、賤民(奴婢、白丁)」は姓名変更(なんと、総人口の8割が6ヶ月間で姓名変更したのだ)。貴族階級両班(総人口の2割)や官僚の高位は、姓名変更しなかった。総人口の8割が6ヶ月間で姓名変更した事から分かるように、「中人、常人、賤民(奴婢、白丁)」の身分制度から脱却したい朝鮮からの要請で、出来た制度だろう(統治開始から30年後だ)。極論すれば両班以外すべて創氏改名した。創氏改名以前の貴族階級両班の人口(総人口の2割)とピタリ符合する。また、創氏改名により、朝鮮の女子に朝鮮史上初めて、姓名が付けられるようになった。以前は姓しかなかった。ちなみに台湾では、許可制だったので1,6パーセントしか、姓名変更出来なかった。

韓国公開慰安婦至急大募集月収300円以上(前借3000円まで可)募集のチラシ 2006年の9月エンジョイコリアにて(日韓翻訳掲示板)韓国側から慰安婦の強制性を否定する下記の画像を公開されたが、現在削除されている。史実から逃げずにきちんと向き合うため、公開したのだろう好ましいことだ。削除は捏造を自白したも同然だ。http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&page=5&nid=433120 

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"京城日報"1944年7月26日広告   朝鮮総督府機関紙"毎日日報"1944年10月27日広告
 

捏造の従軍慰安婦問題

 女衒や、人買いに強制連行された慰安婦はどこにでも居た。ただし、日本軍強制連行慰安婦はただの一人もいない。「従軍」とは「従軍看護婦」や「従軍記者」など軍属に付ける言葉ですから、「従軍慰安婦」などという言葉が戦争当時に存在しなかった(戦後の造語)というのが定説になっており、政府答弁も同様となっている。従軍慰安婦の従軍は戦後の造語、正式名は、追軍売春婦。追軍売春婦の月収は150円~1350円。強制ではなく任意の商売。日本兵の月給は15円~25円。李栄薫ソウル大教授や世界中が「慰安婦は売 春 業」とみとめている。日本における慰安婦とは軍と契約したプロの売春婦であることである。当時は公娼制度があり、法律で認められた管理売春が合法的に存在した。借金のかたに人買いに連れ去られたので、軍隊が強制連行したわけではない。連れ去ったのは、朝鮮人などの人身売買業者。軍隊が強制連行したのなら、料金を支払う必要もなかっただろう。常識問題だ。

 常識で考えよう。自分の娘や隣の娘を強制的に連れて行ったというなら、朝鮮の人はそれをただ黙って見ていたのか。そんなときは、必ず誰でも力ずくで抵抗するだろう。我々日本人は誰でも命を懸けて守り阻止する。それが人間としての当然の行動だ。従軍慰安婦を自称し拉致を主張する方々へ。連れ去られるのを黙って見逃すほど、愚民だったのか、あなたの家族や隣人やあなたの国の人たちは。だとすればなんと愚かな同胞だ。

 『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房 1983)の「済州(チェジュ)島にて軍の協力により、慰安婦狩りを行い、一週間で205人の女性を強制連行した」の記事も、「あれは創作だった」と著者の吉田清治(よしだ-せいじ)が認めた。

 朝日新聞報道責任追及、宮沢首相黙認、1993年、河野官房長官が鵜呑み知識の無知が、追認し、騒ぎを大きくした。自分の娘や隣の娘が連れ去られるのを黙って見逃すほど、腰抜けだったのか朝鮮人は。必ず誰でも力ずくで抵抗するのが常識だろう、朝鮮には常識を持った人がいなかったのかと、河野洋平は一言言えばよかったのだ。

 1992年5月12日の毎日新聞に、慰安婦(文玉珠)の預金通帳についての記事。1943年から45年の約2年の間に12回振り込みがあり、その預金残高は26,145円。年間1万3千円です。当時日本軍の陸軍大将の年俸は6、600円、2等兵の給料は僅か年間72円。

在日朝鮮人捏造の強制徴兵・強制兵役
 
終戦(1945年8月15日)一年前までは志願兵(任意)で募集。昭和19年(1944年)9月以降徴兵された朝鮮人は訓練期間中に終戦となり、殆ど前線に動員された人はいなかった。終戦時に帰っている。戦死者は志願兵で、2万1千余人が靖国神社に祀られている。志願兵台湾人戦死者も2万8000人が祀られている。日本人は徴兵(強制兵役)。戦死者は強制兵役で、213万3千余人が合祀。事大してきた弱者に鞭打つことはせず、(朝鮮人戦死者はすべて志願兵。植民地の台湾も志願兵)矢面に立たす事もせず、自ら先頭に立ち戦っている。

「アリラン」

朝鮮護国の特攻隊 光山 文博少尉(本名卓 庚鉉)

 朝鮮出身者は士官学校などへの入学も許されており、中将もおり、当然、特攻隊としても十数名の朝鮮出身者が志願兵として出陣していた。朝鮮・台湾出身者は皆志願兵で、日本兵のような強制、召集兵ではない。「知覧特攻平和観音堂」にも十一名の朝鮮出身者が祀られている。朝鮮出身者のうち、特攻隊の母と言われた鳥浜トメさんとかかわりの深かったのが光山文博少尉(本名卓 庚鉉氏)である。昭和18年、光山少尉は京都薬学専門学校(現・京都薬科大)から学徒出陣し、太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所時代の知覧飛行場に滞在、知覧で特操一期生として教育隊で操縦教育を受けたのである。これが縁で富屋食堂にはよく出入りをしていた。朝鮮出身で身寄りの少ないであろう光山少尉をトメさんは何かと気にかけ、台所に立たせたり、一緒に食卓を囲んだり自分の息子のように可愛がっていた。昭和20年、光山少尉は第51振武隊員特攻隊員として知覧に戻ってきた。以前にも増して淋しそうな光山少尉をトメさんは温かく迎えた。

 そして、5月10日の夜、出撃前夜にトメさんは食堂に一人でいた光山少尉を、長女の美阿小さんと次女の礼子さんのいる自分の部屋に呼んだ。トメさんが光山少尉に歌を歌うよう促したところ、「今夜は最後だから、故郷の歌を歌うよ。おばちゃん」と言い、歌い始めた。

 

♪アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を 越えていく

私を捨てて 行く君は  一里も行けず 足痛む

 

 光山少尉は帽子のひさしを鼻の下までおろして顔を隠したが、その下から涙が流れ落ちた。皆もたまらなくなって泣きながら「アリラン」を歌った。光山少尉は歌い終わると、懐から朝鮮の布地で織った黄色い縞の入った財布をとりだし、筆で「贈為鳥浜とめ殿 光山少尉」と書いた。「おばさん、大変お世話になりました。お世話になったしるしとしてこれしかありません。はずかしいですが、形見と思って受けとってください」。

 光山少尉は1年前に母を失い3月に年老いた父と妹を朝鮮に送り返していた。翌日早朝、袖に日の丸を縫いつけた光山少尉は見送りに来たトメさんと握手を交わし、南の海に出撃したまま二度と戻らなかった。

朝鮮の特攻隊員の妻
 「韓国の女性の小学校長のご主人が沖縄の特攻隊員として戦死した。そのご主人は特攻が決まると出身小学校を訪れ、校庭に桜の木を植えた。成長した桜の木がある小学校に奇しくも彼女は赴任した。さびしいときはこの桜の木の下に立つと心が休まる」私はこの話を聞いて、日本人に知って貰いたいと思って、ソウルにいる日本の新聞記者にそれとなく知らせました。A新聞の記者が、早速、その女性校長を取材しました。校長は記者を桜の下に案内しました。すると記者は「日本の軍国主義がご主人をだまして申し訳ないことをしました」と言ったのです。いつも謙虚な校長でしたが「だました」という言葉に激怒しました。「私の主人はだまされるような人ではありません。自分の意志で出撃したのです。だまされたというのは、人間に対する侮辱です。取材はお断りです」と。 「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著

われわれは戦わなかったから亡びた 「私は平素学生に対して、韓国人としての自覚を促している。日本の韓国併合に抗議する前に韓国人自身が考えなければならないことがある。日本の韓国併合に対してアメリカもイギリスも誰も抗議しなかった。世界は当然のような顔をして受止めていた。それはなぜか。日清戦争のとき、清国軍がソウルを占領しても韓国人は戦わなかった。だから日本が戦って清国を追い払った。ロシアが入ってきた時もわれわれは戦かわなかった。日本軍が血を流して戦い、朝鮮からロシアを追い出した。だから日本はこれ以上トラブルは嫌だと朝鮮を併合してしまった。これに対して世界の列強は、日本がそうするのも無理はないとして一言も文句を言わなかった。このことを忘れてはならない。韓国は自ら亡んだのだ。日本の悪口を言い、責任を日本に押し付ける前に、われわれは戦わなかったから亡びたことを知らねばならない」

 名越ニ荒之助「日韓2000年の真実」国際企画昭和55年、私は学生を連れて韓国を訪問したことがあります。その時会った某大学の学長(本人の要望があり、特に名を秘す)の言葉。

○朴 鉄柱 大正11年韓国釜山生まれ、平成二年一月逝去(六十八歳)。昭和四十二年十月大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業、住吉神社に奉職、終戦後韓国に帰国。昭和29年5月「日本文科研究所」を設立。

 「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」

 「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

 「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

 時に昭和42年、朴氏四十五歳の時の言葉だそうです。

 その後、朴氏は肺がんに犯された体に鞭打って、亡くなる一年前の平成元年一月に先帝陛下の御大喪のさいに来日したそうで、朴氏から兄と慕われた中村武彦氏の文章より朴氏のお人柄を偲べます。

 「平成元年一月、先帝陛下の崩御の直後に重い足をひきずって彼は東京にやってきた。

 先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。御大喪の日には、雨の中を早朝から皇居前の堵列に加わり、御見送り申し上げた。名も無き一韓国人が、瀕死の身を似て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったであろう」。

日韓共鳴二千年史P602~609名越二荒之助編著 明成社より

真実史観
 朴 鉄柱・崔基鎬・呉善花・朴泰赫・金完燮
などの親日発言の皆さんは、親日で、ものを言っているのではない、嫌朝ではなく親朝で真実を言っているだけにすぎないのだということに、朝鮮も在日も、気づかなければならない。真実史観者なのだ。

 「反日」と「謝罪」では見えない歴史の現実 呉 善花(お そんふあ)(覚醒し救国の僑胞)(柘植大学日本文化研究所客員教授)真実史観者

 辛淑玉・この人は妄朝、両班思想の両班だ、即刻帰国し、手術しなければ直らない。辺真一・北朝鮮の扇情宣伝マン、姜尚中・残留理由捏造犯日在日。

 台湾の高金素梅・中国狂惨党の手先で反日を叫んでいる。

 ソ連・東ドイツ・ルーマニア・アフガニスタン・イラク・嘘国家は皆亡国なのだ。真実は物事の基準だ。嘘が土台では物が出来ないのだ。国の建設が出来ないのだ。原点に回帰し真実から出直すことだ。4につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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