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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観太平洋の奇跡戦い尽くし降伏命令書下山サイパン大場隊47士堀内と青野


「太平洋の奇跡・フォクスと呼ばれた男」2011.2.11(金)封切の原作本

 陥落後512日戦い、降伏命令書で下山したサイパン島の47士 「捕虜の辱」、そんな「私心」でなく、生きて生きて生きて生きて生き抜いて護国「公」(義)のため最後の最後まで戦い帰還した日本兵47士。「捕虜の辱」で自決の記載一切皆無。
 サイパンが落ちれば、米軍爆撃機の行動圏内に日本本土は全部入ってしまう。それはどうしても防がねばならなかった。「我身を以て太平洋の防波堤たらん」と奮闘したが、昭和19年7月7日最期の反撃戦にてむなしく玉砕。 
 しかし、サイパンに於ける戦いはそれで終ったわけではなかった。玉砕後、なお生き残った多数の将兵はタッポーチョ山(標高476m)付近を初め、山地、海岸などのほら穴や岩影に潜入し小集団となって遊撃戦を続行した。民間人を守り最後に皆下山させ、なんと終戦後の昭和20年11月27日まで、護国の戦いを続けたのである。
 アメリカ軍は捕虜をつくりたがらない。もし捕虜にするとしたら、婦女を陵辱し、男を拷問にかけて楽しむためだ。と彼(看護婦青野千恵子の父)は聞かされていた。(P27)一家は洞窟に隠れた、しかし一家は見つかり、父母妹の家族全員を目前で瞬時に殺されてしまった。目の前の家族の仇を討とうと機関銃の引き金を引いたが、撃ちかたが分からず仇を討てなかった看護婦の引きずる思い。復讐の念に燃えながら医療品の袋を背負い、ベルトに長いナイフをさげ、大場部隊と女一人となっても最後まで行動を共にし、助ける、看護婦青野千恵子。蔓草で肩から吊るした九九式軽機関銃を操り、米兵100人殺すまでは自分は死なないと誓い、大場部隊を助ける、はぐれ者一匹狼、元ヤクザ、般若の刺青一等兵堀内今朝松。なぜかこの二人のはかなく凄まじい生きざまは、読後も深く胸を打つ。大場栄は“フォックス”、堀内今朝松は“サイパンタイガー”の異名で呼ばれていた。『タッポーチョ』、この本の早期の復刻を願う。敵味方当事者合作のこの記録には、先に殺さなければ殺される、戦争の真実が存在している。日本人必読の書だ。
 昭和20年12月1日 天羽少将の降伏命令書に従い下山。最後まで戦いを貫いた将兵の数は47名、指揮官は大場栄大尉。その日47名は髯を剃り軍服に着替えて、タッポーチョ山に設けた潜伏拠点の前で慰霊祭を行い、戦友の霊に3度の弔銃を捧げ、へんぽんとひるがえる日の丸を先頭に、銃をかついで歩調を合わせ隊列を組み、軍歌「歩兵の本領」を唱和し、米兵の真つ只中を式場まで整然と行進した。
 米軍は、彼らを勇士として丁重に扱い歓迎会まで催し、米軍の新聞にも大きく報じられた。彼らは祖国日本に忠義を尽し最期まで戦いを貫き、米兵から尊敬までされたのである。米海兵隊の元兵士のドン・ジョーンズ氏が大場部隊47士の姿に感動して、戦後日本を訪れ(昭40)取材して書き残した本が、「Oba, the Last Samurai: Saipan 1944-45 」邦訳『タッポーチョ』ドン・ジョーンズ著中村定訳祥伝社1982(昭57)年出版副題「『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日」だ。何と大場部隊に守られた日本人の執筆者(田中徳祐著「我ら降伏せず」)に先駆けること一年前、敵国の元兵士が、誰よりも先んじて大場隊の勇戦を世に知らしめたのだ。

序文

「本書を、自らの国のために全力を尽くし、報われることのなかった、現代の日本人の父親たちに、祖父たちに、伯父たちに捧げる。」
あとがき
 私は今日の日本で、1945年(昭和20年)以降に生れた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
 これを書く前に、・・・調べてみました。・・・多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
 この人たちは、自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
 私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よく知っています。
 しかしこの本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカとの双方で、多くの人たちは自分が作ったわけでもない恐ろしい状況に、どのように反応したか、と言うことを書いた物語です。双方の人たちは、それぞれ信じていたことをしたのです。
 ・・・事実(この本に記した真実を日本人が知れば)によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう。
 ・・・そして、それらのページは、今日の若い日本の人たちにとってだけでなく、その人たちの子供や孫にとっても、誇りの源泉になるでしょう。それが、私がもっとも強く持っている願いです。1982年11月 ドン・ジョーンズ
『タッポーチョ』刊行に寄せて  大場 栄(愛知県蒲郡)

 私の心中には、玉砕で死ぬべきところを生き残ったことについて、果たして正しかっただろうかという思いがつねにあった。

 

注・大場らのサイパンでの信念は,”生き残って最後まで戦う”で、サイパン陥落後も512日間戦い、最後に上官の命令書で投降、帰還した。これを超える兵士がいるだろうか。だから、敵兵にもかかわらずドン・ジョーンズは、この“深い祖国愛に”感動、17年もの歳月をかけ、取材し、本にした。にもかかわらず“果たして正しかっただろうか”と、大場にさえも疑問を抱かせるほど、命を懸けて護った祖国日本の、帰還後の風当たりは、常軌を逸し、冷たいものだった。玉砕で死ぬ”は、戦後のマスコミが、極悪軍とするための強調捏造。死ぬことより戦うことが兵士の本分。監督が選手に負けろといっているようなもの、考えれば解ることだ。

 

 できたものを見せてもらってみると、ところどころ、彼がフィクションの筆を加えているし、起こったことの解釈がわれわれ日本人とは違うところもある。しかし、主なことはほとんど事実に沿っていて、アメリカ側から見たら、こういうことになるだろうと認められた。

 実際のわれわれの洞窟抗戦の生活は、もっと暗く不衛生きわまりなく、陰湿で、こんなに勇ましく米軍を手玉にとったようなことではなかった。しかし、米軍基地からパンを盗んできたことも、大掃討があったときのことも、堀内一等兵の活躍や数々の戦闘も、野営地の中で神がかりになる兵隊が現れたことも、すべて事実である。
 この本がどのように読まれるかについては、私には懸念がある。しかし、この本がかっては敵同士だった私たちの戦後の長い交流を経て、敵の目で書かれたわれわれの戦いの記録であることは間違いない。

 

 訳者のあとがきに、「ジョーンズ氏には・・・フィクショナイズすることを譲らなかったところがある。当時大場さん自身は”玉砕死”のみを考えていたというのに対し、ジョーンズ氏は、それを、”生き残って最後まで戦う”とした点である」と記されている。大場の本音は、”生き残って最後まで戦っての死”で、”玉砕死”は建前。本音が”玉砕死”なら、当の昔に死んで、記録されることなどなかった。1982年出版当時の風潮(極悪軍人とされ、肩身の狭い時代)や、戦友への配慮や、本人の謙遜があっての発言である。帰還者証言は、帰還後の学習がプラスされての証言となるので、検証も無く鵜呑みは間違い。この愚考を多くの作家(半藤・保阪・秦等)が犯している。戦闘中の本音は下記参照。

米軍皆殺し作戦のさいぱんから生き抜いて戦った一兵士日本への伝言

パラオ玉砕・ペリリュー島サクラと山口永少尉とニミッツ元帥と久松

1NHKスパイ白状アッツ島玉砕戦陣訓大本営音声摘み食いし合成改…

 この本は、日米開戦70年の2011年2月に公開される映画「太平洋の奇跡フォックスと呼ばれた男」(平山秀幸監督)の原作である。ドン・ジョーンズの視点は、歴史家ヘレン・ミアーズと同じ真実史観。歴史家の、この、公理公道視点から外れなければ、この映画は日本だけに留まらず、間違いなく世界に飛翔する。「私は貝になりたい」のような善悪史観なら、エセ反戦の駄作で、同じ道を辿る!

 新倉幸雄(87)さん、唯一の存命が確認された。映画化が縁である。遅きに失し一人となったが、子孫覚醒し、感謝の思いを存命中に伝えることが出来得たことは、何物にも代えがたい。・・・合掌。 

 

「烈日サイパン島」

 この本は『タッポーチョ』の4年前に新聞連載された。翌昭和54(1979)年3月15日中日新聞社会部編で出版され、改定新版として平成7年7月9日、再版された。命がけの兵士を、“暴れん坊・高級将校”と表現等々、WGIP被洗脳表現があるが、善悪史観を超えた取材であることは間違いない。必読の取材である。

以下抜粋

―今日ある平和の重み 羽山 昇(元歩兵第百三十五連隊士官候補生)

 私は、この連隊が出陣する直前まで、名古屋の歩兵連隊に士官候補生として勤務していた。身近に接することができた将兵の面影は今でもはっきり覚えている。兵団の日々の記録であるこの陣中日誌を読みながら、あるときは慟哭し、あるときは絶叫したいような気持ちに駆られた。苦難・死闘の末、次々と散り果てていった将兵や、悲運にも戦いの犠牲となった島民の御霊に、ただただ、頭をたれるばかりである。

 絶海の孤島でしかも民間人まで巻き込んで行われた戦争・・・・これは、世界の戦史にもまれに見る悲惨なものであることは間違いない。戦争を経験したもの、戦争を経験しなかったもの、その一人でも多くがこの死闘の記録を読み、今日ある平和の重みをしにじみとかみしめ、味わってほしいと私は思う。

あとがき

 「烈日サイパン島」は、昭和53(1978)年7月7日から半年にわたり、中日新聞と東京新聞に連載された。これは小説ではない。サイパン玉砕から34年たって掘り起こされた事実にもとづいて書かれたものである。取材し執筆したのは、中日新聞本社・社会部の滝恵秀、野崎恵史、小橋博の三君である。昭和54年3月 白井文吾(中日新聞社会部長)

冒頭の写真開設7頁

 (右)玉砕の後の戦場には累々と横たわる日本軍の屍。この玉砕攻撃では武器はほとんどなく、兵は手榴弾のほかには、先を削ってとがらせた木の棒を持って突撃した。米軍はこれを“愚者の棒”と呼んだ。(7月7日)

愚者の棒

 玉砕攻撃を米軍はバンザイ突撃と呼んだ。日本兵のあげる歓声はバンザイを叫んでいるように聞こえ、事実バンザイを唱えながら突撃するものもいたからである。ほとんどの日本兵が手にする武器は、手榴弾のほかは、木の棒の先に銃剣を結びつけた「愚者の棒」(米軍はこう呼んだ)だけである。素手にも等しい状態で、圧倒的戦力を誇る米軍へ突き進んでくるのは、米軍にとっては全く不可解であり、自殺行為と映った。

 しかし、7月7日未明のバンザイ突撃で米軍の受けた被害は決して少なくはなかった。・・・わずか数時間のうちに1500人余の米軍将校が失われたのである。

 米公判戦史によると・・・主力の投入に先立ち、斥候を多数派遣して米軍陣地の間げき、弱点を偵察し、・・・第一・第二大隊になだれを打って殺到した。

 米軍両大隊とも通信網は切断されて孤立し、兵力は四分の一に減少・・・総退却した。・・・米軍砲撃陣地も襲撃し・・・砲手たちがやられ・・・後退した。

 別の日本軍一隊は、105連帯指揮所まで迫り・・・戦闘は7日午後まで続いた。・・・米軍は傷ついた105連隊に変わって106連隊投入・・・午後3時にはついにやんだ。

 米軍の調べによると、4311の日本兵の死体が数えられた。・・・以前の砲撃による戦死者も含まれているので、・・・米軍・・・突撃参加者・・・「千五百人から三千人の間」と、推定・・・。

ある将校の投降

 日本軍の高級将校一人が歩兵第7師団に進んで投降してきたのだ。それまでも日本軍の中から投降するものがあったが、いずれも兵士たちだった。

 その(投降)将校は小柄だがかっぷくがよかった。

 この将校は「負け戦はいやだ。今後は米軍に協力しましょう」と、単独で歩いて投降してきた。質問にはすらすらと答え、日本軍の配備や勢力を、自ら進んで地図の上に書き込んだというのである。

 そればかりではない。米軍が次の上陸地点として最も知りたがっていたグアム、テニアンの守備状態についても

細大漏らさず打ち明けたのだった。その陳述がいずれも正しかったことは、その後の戦闘が証明した。

夫はわが胸に

 「捕虜となった将校は、収容所で終始、吉田の姓を名乗っていた」(注・日本を、同胞を売った売国奴が、本名を名乗るはずなど無い。考えればわかることなのだが、同姓の未亡人が非難された。がしかし、散華から33年後、吉田の名誉は回復された)。

サイパンのトラ

 ひたすら友軍のサイパン奪回を信じてジャングル生活を続けた日本の残存兵の中で、堀内今朝松一等兵に率いられたはだか部隊は特異な存在であった。堀内はアメリカ兵を100人殺す、と豪語、米軍を見ると狂犬のように歯をむき出して向かっていった。とかく米軍との戦闘を避けたがる敗残兵が多いなかで、ホリウチの名は米軍内にも高まり、ホリウチの首に五千ドルの懸賞金が懸かるほどであった。があまりの暴れん坊ぶりに、堀内は日本兵からも恐れられ、煙たがられた、

 堀内は松本50連隊の補充兵として牛山一良大尉に率いられトラック島に渡る途中、サイパンで戦闘に巻き込まれた。生まれつきけんか早い性格と腕の確かさで、敗残生活が始まると、間もなく、仲間のリーダーとなった。

 背中に彫った般若のいれずみにすごみがあった。九九式軽機関銃を胸の前につり、軍刀を差し米軍から奪った二挺の拳銃を左右の腰にぶら下げていた。軍刀はもちろん堀内のものではなく、拾ったか奪ったものである。

 浴衣をはおったり、米軍から奪った迷彩服を着るなど、その風体も異様だった。つねに10人ぐらいを引き連れて歩いた。そのほとんどがはだかだったため、山の日本兵たちは「はだか部隊」とか「応援部隊」「戦闘部隊」といって恐れていた。

 堀内らはだか部隊がやられたのは昭和19年11月15日である。

 米軍キャンプで発行されている新聞、ターゲットニュースは、「サイパンタイガーと呼ばれた堀内一等兵は11月15日死んだ。が、彼のために米軍は40人以上の犠牲者を出した」とかいている

秘密の援助

 山には高級将校として長野県伊那郡出身の軍医少佐(海軍)がいたが、少佐は衰弱しており、実質的には、歩兵18連隊衛生隊長の大場栄大尉が隊長をつとめていた。民間の協力で山に運ばれた物資は、大場の指揮で分配され、山の兵たちを支えた。

軍使

 大場が口を開いた。

 「日本が負けたのは事実である。そうとわかったいまどうすべきか、みんなの意見を聞きたい。思っていることを素直に話してほしい」

 さらに続けていった。「私はここで死ぬのは愚かだと思う。山を下り、日本に帰って国の再建のために働くべきだと思う」

 「バカな、何が降伏だ。日本が負けたのならば、みんなここで集団自決すべきじゃないか」

 大場に反対する激しい意見がいっせいに出た。

 「一年半も山で戦ったんだ。幾多の戦友は日本が勝つと信じて山で死んだ。われわれも山で死ぬべきだ」

 「内地の意気地なしの連中なんか問題にするな。われわれは今から敵の幕舎に火をつけて飛行機に焼き討ちをかけ、本当の日本人を見せようではないか」

 「出征する時は村でバンザイ、バンザイと送られたが、いまさら負けました、敵の捕虜になりましたと帰れるか。日本の敗戦は大和民族の滅亡のときだ。祖国と運命を共にしよう」

 大場にとびかからんばかりの勢いであった。

 中には「オレたちは自分たちで戦ってきた。いまさら大場大尉の指揮に入るのはおかしい」と帰っていこうとするものもいた。

 その夜は、それぞれの思いをぶちまけただけで、何も決まらないまま夜があけた。

 次の夜も、また次の夜もタコ山に集まった兵たちは夜を徹して話し合った。

 山を下りる腹を決めていた大場は怒り狂う兵たちをなだめていった。

 「オレたちは終戦まで戦った。捕虜じゃない。オレたちが捕虜なら日本人はみんな捕虜じゃないか。天皇陛下も捕虜だ」

 主戦派が折れ、山の兵たちが最終的に態度を決めたのは23日夜であった。

四十七士の降伏

 残してゆくことになった白骨にだれもが立ち止まって敬礼するようになった。

 山中の戦死者は、残存兵の行動を米軍にさとられるのを恐れて、放置されたままの姿で白骨化していた。加賀学伍長は白骨のそばに落ちていた手帳を拾って広げてみた。「4日間包囲を受くるも吾びくとせず、中隊の戦友皆戦死し吾一人なり、塩は少しもなし、三島市島田、古沢美恵子殿、貞吉」と書かれていた。

 その日、民間収容所で発行されている新聞「サイパン時報」は号外を発行した。「大場大尉よりカーギス中佐に日本刀の贈呈がおこなわれ、続いて武装解除がおこなわれ・・・・かくて午前8時40分極めて厳粛かつ平静裡に此の意義ある降伏式を終わった」と降伏式の模様を書いた。完

髪櫛けずり自裁の邦人女性と“愚者の棒”と“木の棒”

 「日本人在留邦人の一部には、みずからその生命を絶つまえに、相当の儀礼をとりおこなうものがあった。その一例として、三名の女性が、まるでテルモビレーの決死の陣にのぞんだレオニダス将軍と部下のスパルタ軍勢の流儀に似て、岩頭にゆうゆうと坐ってその長い黒髪を落ちついて櫛けずりつつあった光景には、さすがの海兵たちも呆然と驚異の目を見はって見まもるばかりであった。それから最後に、これらの女性はそれぞれ両手を合わせて祈りながら、しずしずと海のなかへ歩いて行き姿を消したのである」。「サイパン日記7月11日」ロバートシャーロッド著中野五郎訳(注・住民自裁は、米軍急追と、尼港済南通州等のトラウマと、古式祖先神が相俟って起きた)軍命は捏造米軍急迫で集団自決

 戦後65年、未だに“愚者の棒”呼ばわりのエセ子孫と、便乗する、キズナ破壊同胞虐殺ベスト3(凶産中国ソ連癌半島罪日)。似非子孫の「犠牲者」呼ばわりは、救世者への冒涜以外のなにものでもない。

 「竹やりで戦争に勝てる訳がない」と護られた平和の御世の子孫が、したり顔で愚弄した。8月20日のNHK ゲゲゲの女房。しかし、ワルシャワ蜂起、ワルシャワ・ゲットー蜂起、ベトコンは、滅亡の危機に瀕し、侵略者相手に、女子供までもがあらゆる武器を手にし戦った。最後の突撃に矢尽き刀折れた日本軍は、先を尖らせた木の棒を持って突進した。米軍はこれを“愚者の棒”と呼んだ。しかし米兵は、この“木の棒”に感動し“タッポーチョ”として遺し、硫黄島では名誉の再会が催されている。1~2いおうとう蜂起から大統領宛の2通の手紙その一


 日本瀕死に際し、一寸の虫に五分の魂、不条理に窮鼠猫を咬んだ証が、先人の“木の棒”なのだ。

 自己完結の最後の声(私はここまでガンバッタ)、散華の声無き声(4日間包囲を受くるも吾びくとせず、中隊の戦友皆戦死し吾一人なり、塩は少しもなし、三島市島田、古沢美恵子殿、貞吉」)をまず聴くのが、護られた子孫の務め。死しても護国の兵に、犠牲者呼ばわりは冒涜。護られた子孫に、ただあるのは“祈り”。先人愚弄の種集め、悲惨だ話収集に狂奔するNHKは、他虐偽善の亡国奴、エセ子孫の巣!

 征服者(食民治主義や凶産)に世界は、全て征服される寸前であった。木の棒”(憂国の散華、比類なき無垢)が、敵や虐げられし同胞の琴線を揺さぶり、征服者には民族・キズナを知らしめ、民族には、キズナを知らしめた。英仏蘭は賢者に目覚め去り、民族は独立し植民地独立付与宣言を成し、現代世界平和の礎を築いた。民族のこの行動が助力となり、日本分断も阻止され、小笠原や沖縄も平和裏に返還された。先人の“木の棒”無垢の力である。

 身体を筆にし流れる血で書いた世界への“木の棒”が、世界の愛国者の琴線をかき鳴らし、新秩序、現代の平和を築いたのだ。“木の棒”は、“救世の棒”といえる。このことを子孫は決して忘れてはならない。

 

 47士、大場、堀内、青野等が、なぜどうしてあんなにしてまで戦ったかが、映画では薄い、詳細は下記へ。

家族同胞死守を侵略と捏造し日本を洗脳した同胞虐殺ベスト3(凶産中国ソ連癌半島罪日)とスパイ

Ⅰ九九戦争を侵略と捏造日本せんたく最速は元凶税金泥棒東大スパイ打殺

特攻で護国 このままでは三途の川を渡れない

 「日本九九年戦争・資源無き島国日本、適者生存戦国時代唯一の術は、先手あるのみ。後手の本土戦は、兵糧攻めで必滅。露西亜、清国(属国朝鮮)南下阻止が第一義、後手は必滅、先手で打って出た。

 結果が台湾朝鮮(自立不能で)統治(極東共栄圏樹立着手)、満州建国尽力(凶産の砦)、日中戦争(中国凶産化での中ソ凶産連合阻止)、南京政府樹立尽力(中国凶産化阻止)で極東共栄圏構築。

 日中(反共)戦争で疲労困憊の日本は、戦国の定法弱肉強食、恰好の餌食となった。米英中蘭(ABCD)が兵糧攻め、ハル・ノートで降伏を迫った。出稼ぎ戦争対、日本は死活戦争。極東から大東亜に共栄圏樹立を拡大し、あらん限りに戦ったが、大東亜同胞の、完全覚醒追随まで戦いきれず、矢尽き刀折れ、敗れた。

 がしかし、戦いざまに共振した同胞が、一気に蜂起、独立。1960年の植民地独立付与宣言(互恵)が根幹となり、自由貿易64年開放経済)、平等65年人種差別撤廃)を成し、凶産は残ったが、戦争目的は完遂した。弱肉強食の世に、戦後67年間のごとき無能無策の後手日本なら、何もかもが消滅していた。それでも戦後消滅しなかったのは、『身体を筆にし、流れる血と汗と涙でえがいた先人の、人類への遺書』以外、あろうか!

 “戦かわざれば”の平和論があるが、防共の砦日本が去るやいなやすぐさま凶産化、朝鮮戦争惹起したもう一方の真の敵、中ソ凶産連合軍隠蔽スパイの、工作論である。ABCDと“戦かわざれば”の降伏は、防共の砦無き丸裸日本で、中ソ凶産の、恰好の餌食となった。この戦いは、目的も無きただの防御戦。多勢に無勢で、瞬時に最後の独立国日本は潰え、日本族の名を残すのみの、まさに、犬死に無駄死にの戦争となっていた。同胞の、支配者からの独立も無い!新秩序など、当然無い!支配者と、被支配者の地球に成っていた!」

 NHKや「言葉と文字界」は、反戦者のみを選り盗りし、反戦非戦はまるで、バラ色の世界のように洗脳するが、弱肉強食の戦国時代戦わずは、強者の餌!先人は「強者の餌」を拒否し、戦ったに過ぎない!

 「清濁併せ呑み、禍福を糾い、決断」が、現実世界。現実世界は、「実技(現実)無き非現実界NHKや言葉と文字界)」のような、好いとこ盗り選択は、完全不可世界

 負けたからと大東亜戦争非難も、愚者の浅慮!大東亜戦争後、弱肉強食から互恵へ、人種差別から平等へ、ブロック貿易から自由貿易へ、明確に世界は変わった。「互恵・人種平等・自由貿易」は、先人の旗印である!

 

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

No title
「太平洋の奇跡 FOXと呼ばれた男」として映画になったので、遅ればせながら、このページにたどり着いた者です。

 田中徳祐「我ら降伏せず」も読んでください。戦後すぐに手記として発表してhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/SC/" class="keyword">SCAPによって発禁処分になったものです。
 タッポーチョの山の中を歩き回って、軍靴がダメになった。そこらに転がる友兵の遺体から靴を脱がそうとすると、腐敗して、すねからぐずっとちぎれた。靴の中の肉塊をかきだして、「新しい」靴に履き替えた。なんて記述があります。
 玉砕突撃で死ななかったため司令部に帰ったら、将軍どもが酒盛りしていた、とか、直前のマリアナ海戦で全滅した海軍の将軍(南雲ですね)を司令部の洞窟に訪ねて、「あんた、まだ自決していなかったのか」とか。
 図書館でしか読めないと思いますが、いまや、ネットで蔵書検索できるので、ぜひ、どうぞ。23区内の区立図書館にもいくつか蔵書あります。

[ 2011/02/04 10:01 ] [ 編集 ]
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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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