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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観孫文汪兆銘に学び台湾国民党蒋経国李登輝は静かな孫文革命を成し遂げたが中国「革命未だ成らず」


孫文汪兆銘に学び台湾国民党蒋経国李登輝は静かな孫文革命を成し遂げたが中国「革命未だ成らず」

蒋経国(1906~1988)(しょうけいこく)蒋介石先妻の長子。共産党に入党。1922年10月モスクワ中山大学留学。留学中ソビエト共産党にも正式に入党、1927年卒業。以来ソ連に滞在。モスクワ大学卒業。経国はソ連の大学で共産党に入り父、蒋介石を批判する声明を発表をしている。1925/3/12朝 孫文病死以後、蒋介石共産党を排除したため、西安事件1937年まで、12年間蒋経国は事実上、スターリンの人質だった。
 モスクワで中国の地区党責任者と口論したことで「敵階級に利害を売り渡した」と避難されて、シベリア追放となって経国の一生は終わるところであった。
 しかし「蒋介石の子」としての存在をソ連としては将来使えると見て、モスクワ近郷の農村へ追放に止めたため命拾いをしている。 
そのころから五年間が行方不明とされているようだ。経国は寝る場所さえなかった農村で人々に慕われるようになり、また工場に回された時そこの縫子(ラファンニ、ファニンナ、ファンニーナ、エレーナと、ロシア名は表記に揺れが見られる)と1935年3月15日結婚している。蒋方良(中国名ピンイン)の間には3男1女。
 1937年3月25日、西安事件を機に12年ぶり27歳にしてソ連より帰国。
蒋介石と和解、中国共産党離党、翌年中国国民党
に入党する。
 
1939年江西赴任中に章亜若との間に双子の章孝嚴(2005年3月改姓し「蒋孝厳」となる)と章孝慈をもうけている。
 1949年国民党
台湾移転後実力者となり、斬新的民主化を進めた。本省人は1945年以前に台湾に住んでいた人々で、そこに内戦に敗れた国民党勢力がやってきて外省人となり、反対派の本省人を弾圧しながら独裁政治を続けていたが、1970年代後半に民主化の方向性を打ち出し、李登輝を初の本省人総統として自分の後継者に据えた。
 父蒋介石の誤謬是正に行動開始、李登輝に民主化を託した。外省人は台湾の人口の2割に満たない。
 蒋夫人は夫の
蒋経国総統の逝去の際に、李登輝副総統の総統継承を断念させようとする一派を排除した。李登輝はそれには大変に感謝したと言う。

李登輝(1923年1月15日)現在の台北県三芝郷で出生。1943年9月、台北高等学校を卒業。同年10月、京都帝国大学農学部農業経済学科に進学した。千葉の陸軍高射砲学校の士官となり戦闘、ここで終戦を迎えた。
1945年3月10日の東京大空襲時侵入するB-29を迎撃、激しく砲撃し、撃墜したことを後年述懐している。
1946年国立
台湾大学に入学。共産党に入党し、国民党による1947/2/27 「2・28台湾人虐殺事件」228事件に反発する暴動などに参加したが、ニ年間で離党した。
 1947年 
淡水の地主の娘敬虔なクリスチャンの曽文恵と見合いにより結婚。後に一男をもうけるが、癌により早世。
 1949年、台大農経学科を卒業し大学の講師として採用された。
 1956年国立
台湾大学助教授。1965年、コーネル大学に留学、農業経済を専攻する。
 1968年、農業経済学博士号を獲得。1968年に帰国、
台湾
大学教授兼農復会技正に就任している。

 李登輝には初めから、国民党も民進党も無く、孫文主義しかなかったので、私利私欲の国民党や民進党レベルでは、「公」と真実で判断する李登輝は理解不能となる。

 李登輝中華民国も領有権を主張する尖閣諸島(中国語名:釣魚台列嶼)を「沖縄県に属する日本固有の領土」と表明し、独自の政治立場を主張している。
 
また李登輝は中華民国の公人でありながら自らを「22歳(1945年)まで自分は日本人であった」と表明し、「半日本人」と称したり、「靖国問題とは中国とコリアがつくったおとぎ話なんだよ」など、親日的な態度は顕著であると報道されるが、親日ではなく、事実を正直に発言しているに過ぎない。孫文主義者は皆、真実史観でものを見るのだ。孫文主義者の物事の基準は真実で、狂惨主義者のような捏造ではないのだ。


1945/
 
蒋介石は、台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。

1946/ 国共内戦に突入する。反共産主義を掲げるアメリカから全面的な軍事支援を受ける。

1947/2/27夜 行政公所の要職は新来の外省人が独占、更には公所と政府軍の腐敗により、それまで台湾にいた本省人(台湾人)が公所と政府軍に反発し、1947年2月28日に本省人の民衆が蜂起する二・二八事件が起きた。「2・28台湾人虐殺事件」台北市内の闇たばこ取り締まりをめぐる市民殺傷事件を発端に起こった。国民党による台湾人虐殺事件。国民政府は台湾人の抵抗意識を奪う為に、知識階層・共産主義者を中心に数万人を処刑したと推定されている(2・28白色テロ)。

1948/ 松井石根刑死

1948/ 蒋介石中華民国の初代総統に就任(ただし反発を受け翌年辞任)

1949/ 蒋介石国共内戦で敗北。首都南京を脱出し、重慶などを経て12月に台湾へ到着。事実上台北への遷都を強いられる。台湾の戒厳令は1987年(昭和62年)7月15日にようやく解除された。

1950/3 蒋介石再び総統に就任(第五任(第5期)まで務め任期中に死去)

1952/ ソビエト共産党に改名。

1969/ 蒋介石交通事故に遭って体調を崩し、この年を境に表舞台には出なくなる。

1970/ 蒋経国4度目の訪米を行なうが、ニューヨークで中華民国人青年の黄文雄、鄭自才による暗殺未遂事件に遭遇している。

1971/10 李登輝(りとうき)蒋経国により国民党への入党を勧誘され、同年10月、経済学者の王作栄の紹介により国民党に入党している。

1972/ 蒋経国李登輝を行政院政務委員に任命。

1973/ 日本との国交を断交をした。

1975/4/5 蒋介石死去。死因は心臓病とも言われる。享年89(87歳没)。任期中死亡のため副総統の厳家淦が後任総統に昇格。

1978/ 第5期総統代行である厳家淦の任期満了。第1回国民大會により中華民国第6期総統に指名され、蒋介石の長子である蒋経国(しょうけいこく)、総統に就任。蒋経国李登輝を台北市長に任命。「台北芸術祭」や翡翠ダムの建設。農業の発展と稲作転作などの政策を推進した。1979/ 米中国交が樹立した。同時に、アメリカ台湾との国交を断交した。海外観光旅行が自由化された。

1981/ 蒋経国李登輝を台湾省主席に任命。

1984/11/15 江南(本名=劉宣良)暗殺事件。『蒋経国伝』を書いた中国米国人の江南がカリフォルニアの自宅で台湾の特務に暗殺された。米捜査当局は、国民党の特務機関の一つである国防部(省)情報局長の汪希苓中将が竹聯幇(台湾で最大の「外省人」系暴力団)のボス・陳啓礼に江南の暗殺を命じ、彼の部下が暗殺を実行した証拠を掴んだ。汪希苓に江南暗殺を命じたのは、蒋経国の息子でその後継者と目されていた蒋孝武であることも、米国で逮捕された犯人たちの一人の自供でわかった。そこで米下院は、汪希苓や陳啓礼らの引き渡しを要求した。もし汪希苓を米国に引き渡せば、蒋孝武が江南の暗殺を命じたことも明らかになったであろう。困った蒋経国は、米国への引き渡しを拒否して汪希苓や陳啓礼らを逮捕。彼等の投獄は形ばかりで、何不自由ない生活だったといわれている。

1984/ 選挙の結果、蒋経国第7期中華民国総統に就任した。蒋経国李登輝を副総統候補に指名。 

1986/ 蒋経国総統は1986年に、国民党以外の政党である民主進歩党を承認した。 

1987/7/15 「国家安全法」が施行されると、38年間にわたり施行されていた台湾及び澎湖地区の戒厳令が正式に解除され、また30数年にわたって続いた政党結成とメディアへの規制を撤廃した。

1988/1/13 蒋介石の息子である蒋経国(しょうけいこく)総統、糖尿病に起因する臓器疾患により、台北栄民総医院にて死去。その職務は憲法の規定に従い副総統であった李登輝に継承された。台湾史上、初めての台湾人総統である。「報禁」(制限報道)が解除され、自由になった。1990/1 政府は政治改革に着手し、国民大会では万年議員の自主退職条例を可決された。議員の民選化。

1991/5 動員戡乱時期臨時条款を廃止し、初めて中華民国憲法を改正し、民意代表機関の改選を実施。国民大会代表及び立法委員の民選化。
1991/ 国家統一委員会に於いて『国家統一綱領』を策定、
中華民国は中国の一部であり、中国
大陸もまた中国の一部と表明した。

1992/ 「万年国会」問題を解決。
1993/ 日本語放送が全面解禁になった。

1994/ 1994年に台湾省、台北市、高雄市での首長選挙を実施。

1994/7 国民大会で、第9期総統より直接選挙を実施することを決定し、同時に総統の「1期4年、連続2期」の制限を付し独裁政権の発生を防止した。

1996/ 中華民国史上初の総統直接選挙を実施し、李登輝圧勝。

1998/11 李登輝は台北市の市長選挙の馬英九(大陸出身、与党国民党)の応援演説で、「数百年前だろうが、数十年前だろうが、台湾に渡ってきた人はみんな新台湾人だ。台湾人はもうすでに過去の悲しみと別れを告げた。これからはみんな21世紀に向かって、この土地で生きるものとして力を合わせて頑張ろう」と述べ、台湾人論を演説し、反響を得た。

1999/ 9月21日未明、台湾中部大地震(M7.7規模の直下型大地震)が発生した。死者2399人、負傷者1万人の大惨事となった。

2000/3/18 李登輝の後の、台湾の指導者を選ぶ総統選挙の投開票が行われ、李登輝自身の後継者として推薦していた国民党の連戦候補は、国民党を除名され、無所属で立候補した宋楚瑜候補からも200万票の大差をつけられ惨敗した。この惨敗の責任を取り、国民党主席を辞任。同時に連戦との確執が発生し、李登輝は3月に国民党主席職を辞任している。

 台湾生まれで台湾育ちの本省人である、民進党陳水扁(49)が、初当選を果たした。中国政府は、陳氏を台湾独立派ととらえ、独立は許さない姿勢を表明した。

2001/7 「中華民国は国際社会で既に存在しておらず、台湾は速やかに正名を定めるべき」との台湾正名運動を展開し、2001年7月には国民党内の本土派と台湾独立派活動家と共に「台湾団結聯盟」を結成。

2001/9/21 国民党中央考核紀律委員会は、反党行為を理由に李登輝に対する党籍剥奪の処分を決定した。

2002/ 選挙運動中の演説で「もはや中華民国は存在しない」と演説。
2007/1 
台湾
は既に独立した国家だから、いまさら独立する必要はない。と李登輝発言。

2007/6/1 2007年6月1日、第1回「後藤新平賞」受賞(後藤新平の会主催)。

2007/6/7 李登輝、実兄が祀られる靖國神社を参拝。兄は2歳年上の李登欽、フィリピンにて日本軍人として大アジア主義に殉じ、自由希求の兵として戦い、戦死している。

 
チベット、内モンゴル、満州、新疆ウイグルを侵略し、西洋覇道の鷹犬「たかいぬ(鷹狩に使う犬)」と化した中国狂惨党。蒋介石も西洋覇道の鷹犬と化し、独裁者となり、台湾
を独裁支配した。なんと後継者は、仁義道徳を主張する王道の文化ではなく、孫文が忌み嫌う覇道文化を造ったのだ。日本は東洋王道の干城「かんじょう(国家を守る軍人)」となり、アジアを解放(大東亜戦争)し、独立の扉を開いた。孫文亡き後、大アジア主義を命を賭けて実践した日本。アジアは皆独立した。孫文後継者筆頭汪兆銘だけが、師の遺志を継ぎ旗を掲げた。しかし孫文没後82年、汪兆銘没後63年、周仏海没後59年、中国
革命未だならず

 

 未だ狂惨党に囚われの身の中国人、満州人、内モンゴル人、チベット人、新疆ウイグル人。まさしく孫文の「革命未だならず」。孫文の三民主義中国、未だならず。

 

 台湾国民党蒋経国は初代党首赤心の孫文に帰り、孫文後継者筆頭汪兆銘の訂正した指針に従い、反共、民主。孫文の主張する仁義道徳、王道の文化を身につけ「蒋経国李登輝は静かな孫文革命をなしとげた」。蒋経国李登輝は孫文の後継者と成った
 
中国人、華僑(
中国戸籍)、華人(現地戸籍)よ、赤心の孫文、挺身し、師孫文の誤謬を正した汪兆銘周仏海蒋経国李登輝に帰れ、孫文の本意は覇道では無い、狂惨ではない、捏造ではない。
 日本は中国人と戦ったのではない。
孫文後継者汪兆銘と日本と
台湾、孫文の遺志大アジア主義を掲げ反共の砦となり狂惨党と戦い侵略者と戦い、大アジア主義を成し遂げたのだ。台湾李登輝の誇りの起因はまさにここにある。この誇りが汪兆銘後継者李登輝を成し、台湾の孫文主義を成し遂げたのだ。
 孫文、汪兆銘、周仏海、
蒋経国、李登輝、皆赤化経験有で失敗もしたが、皆「私」を捨て「公」に殉じている日中戦争ではない、「反共(凶)戦争」だ。

 日本国民と台湾と孫文とその後継者大アジア主義実践のため、斯戦えり。


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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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