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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観米軍皆殺し作戦のサイパンより生き抜いて果てた一日本兵母国への伝言


米軍皆殺し作戦のサイパンより生き抜いて果てた一日本兵母国への伝言

 2007年-2-24。NorthernCaliforniaのDr.夢倉さんより、「61年間誤報道され続けた戦陣訓の真実」のスレッドに、「サイパン戦で玉砕されたと思える一人の日本兵の残した従軍手帳と出会う事がありました・・・御時間のあるときにご覧になられてください」と投稿がありました。「従軍手帖」六十年後に届いた伝言」

 以下夢倉さんのブログより抜粋。実物画像は上記クリック。従軍手帖原文カタカナ。

 ・・・戦争の遺物品を収集するコレクターは多くいる。その事をつくづく実感させられたのは、第二次世界大戦にアメリカ軍が用いたPsychological Operationsに興味を引かれ、それに関する資料をインターネットのオークションサイトで調べ始めてからだった。オークションサイトでは、多種多様な戦争の遺物品が、商品となり数知れなく競売されている。勲章、国旗、軍旗、軍服、軍帽、軍靴、ヘルメット、兵器、銃弾、砲丸、ピン、ワッペン、杯、千本針、ポスター、チラシ、タバコ、マッチ、軍事書類、おそらく思いついた物は大体何でも売られていると言って良い。コレクターが非常に多いこの分野では、その異常な熱気を悪利用する商売人も多く、偽物と思われるものも多くある。私にとって、オークションサイトは、他では目にすることのないものが売られたりする事があるため、資料、情報集めに非常に適しているが、日本兵、アメリカ兵の悲惨な死体の写真までを商品として競売にかけられているのを目にすると、空しさを感ぜずにはいられない。最近(2006年12月)、そういう複雑な気持ちにさせられるオークションサイトで一つの物件に目が留まった。

 簡略化された英語で次のように紹介されていた。

 JAPANESE GROUP「復員軍人がサイパンから持ち帰った日本軍関係の集まり。見てごらん。」 TAKEN ON SAIPAN VET BRINGBACK LOOK

 そのタイトルをクリックすれば、次のWeb Pageに、その内容が写真と共に紹介されていた。アメリカ軍の復員兵が第二次世界大戦後、サイパンから持ち帰ったものだと説明され、一見、携帯用の小さな収納袋、そして、幾つかの自筆で書かれた日本語の書類が写真に写っていた。良く見るとその一つは、軍隊の行動記録のようなものだった。又、サイパンの病院名と栗城キミ子と書かれた領収書のようなものもあった。そして、一種の塹壕の記録と思われる図のようなものがあった。アメリカ軍が撮った、日本人が、捕まえられ捕虜となりるよりもその崖から飛び降り自決したと言われる「SUICIDE CLIFF(自決の崖)」として有名なサイパン島北部に位置するその崖の白黒写真もこのオークションに含めると説明されていた。しかし、最も、私の注意を引いたのは、「日記と思われるようなものがある。(英語に)翻訳してもらっていないのでわからないが、歴史的価値があるかもしれない。」という説明だった。古びた「従軍手帖」の写真が載せられていた。その手帖のページの部分を拡大され写されていた。私は、その写真をさらにズームインして拡大し、目を凝らして、鉛筆による自筆の内容を読み取ろうと努力した。その内容は、予想外のものだった。一人の日本兵がサイパン戦最後に書かれたと思われ、水一滴も飲む事も無く、空腹の苦痛と共に、日本への忠実な思いを綴られたと思える内容だった。残念ながら、その写真では、一部分しか読み取る事ができない。「これら全てが落札した者のものとなる。」と説明されていたが、私は、どうしてもその従軍手帖に書かれた日本兵による記録を全て読みたいと言う気持ちに駆られた。

 その日本兵の「従軍手帖」は、戦後、アメリカ軍復員兵の下で、誰にも読まれること無く静かに眠っていた事になる。しかし、どうして、日本兵が最後の力を振り絞り書いたと思われる従軍手帖が「商品」として売られているのか。このような貴重な歴史を語る遺物品は、決して金銭価値で計れるものではない。戦争の遺物品を収集する事を趣味にする人間の、単なる個人のコレクションのひとつとして埋もれさせてはいけない。サイパンから日本に届けたかったと思われる、一日本兵の最後の言葉を含むこの従軍手帖は、必ず、日本人の元に戻さねばならない。そういう思いで、私は競り落とした。

 従軍手帖は、かなり汚れ、しみだらけで、表紙は擦り切れ破れていた。一ページ、一ページ、丁寧に、破らないよう気を使い、恐る恐る開いていった。その中のページのほとんどが空白のままであったが、Websiteに載せられていた写真どおり、サイパンでの戦線最後まで、その手帖を保持していたと思われる内容が、鉛筆で数ページにわたり記録されていた。

太田兵長、松浦一等兵、安藤一等兵、今井二等兵、室岡二等兵、大高二等兵、柴二等兵。以上が、「敵来襲ヨリ七日間 其ノ間食トラズ 力儘キ此所ニ玉砕ス」と記されたこの従軍手帖に、載せられた日本兵の名前であるが、私には、果たしてどの兵士が、この軍事手帖に記録を残したのかは、わからない。上に名前を挙げた日本兵の一人が記録を残したのか、それとも他の兵士が上の名前の兵士の玉砕を記録した後、その後生き延びた間に最後の日本への伝言と思える記録を残したのかは、私にはわからない。一つ言えるのは、上に挙げた兵士の玉砕の記録は、その後の記録より前のページにあり、後に日本への伝言とも言える記録が続いて綴られている。残念ながら、この従軍手帖には、住所録も含め他に日本兵の名前は記されていない。この「従軍手帖」に綴られた伝言は、鉛筆による直筆を読むことに意味があると思えるので、ページ順に写真を載せる。中には、鉛筆の直筆が薄く、写真では読みづらいところがあるので、その下に活字の説明を入れることにする。

従軍手帖 (1)

上陸 五月二十一日。敵襲 六月十一日。敵上陸 六月十三日

従軍手帖 (2)

太田兵長、松浦一等兵、安藤 〃、今井二等兵、室岡 〃、大高 〃、柴二等兵、敵来襲より七日間、其の間食とらず、力儘き此所に玉砕す。全兵勇戦するも、飛行機と艦砲のため、手が出ず、残念なり。

従軍手帳 (3)

開戰以来敵は飛行機と艦砲とで、夜晝(昼)絶えまなしだ、之には友軍手が出ない。砲丸と、飛行機を避けて穴の中にもぐる、無抵抗の状態だ。敵の発砲数は依然として絶たない。我は外に出られないので穴の中で、乾パンをかじって居る。水等は何日も飲まない、目を盗んで取って来た砂糖キビが何よりの水だ。甘藷も生だ。雨が無いので、之もだめだ。時々逆襲に出るが程んどが駄目になる。歸って来る者は少い。安全な穴に入るのが何よりだ。なるべく深い方がよいが掘るものがないので手で根(?)気に掘る。住民が右往左往している。死体が見にくく(醜く)くずれて転がって居る、全く地獄の有様。敵は大膽(大胆)に低空で飛んで居る。打ちたいが兵器が無い。重火器は最初二―三日で、たたかれてしまった。兵力は段々少くなり、もう三分の一位だ。此の頃の戰死者は、戰って死ぬのではなく、隠れ場を失ってやられるのが多い。赤子の手をねじるようだ。

従軍手帳 (4)

敵の兵器、戰方は全優秀だ。立体化され平面的に高度の聨絡(連絡)が密である。此の点、友軍は尚遠く及ばない。研究しなければならぬ。特に徴報器はとても発達して居る。我々の小さな話声を直ぐ察知して砲彈をくれる。射撃(?)も亦實に正確だ暗夜音の方向に射った彈は、音の附近二十米を離れない位だ。とても活等(?)(吾等)は出来ない。こうした状況下に在って常に思ふのは、どうか友軍機が来てくれ。そうしてあの飛行機と船を追ひはらってくれたら、我々は戰斗が出来るんだがなーと。此のままで居たら自然消滅だ。敵に何等の損害を与へずして全滅するなんて残念でならない。今日で十五日になるが、其の間一回も食事らしいものをとって居ないのだ。然し乍ら(ながら)我々は、死んではならぬことを知って居る。早く死んだ方が己人(個人)的苦痛から逃れることを知って居るが、それさえ出来ないのだ 。今日になって未だ友軍の姿を見ない所を見るといくら待っても来そうにはない。一体此の結果はどうなるのだろう。前途は暗のようだ。

従軍手帳 (5)

此の島が陥ちたら日本の存在は薄氷を踏むが如しだ、どうしても死なれない生キテーーー生キ抜イテ此ノ島ヲ守ラネバ。母国一億の国民は。帝國へ此の状況はどうしても国民に知らさねばならぬ。此の実状を知ったら凡ゆる不平も怠慢もなくなると思ふ。そうして優秀な兵器をドンドン作らなければ米國を討つことは出来ない。敵弾に飛び散る同胞の最後の叫びを見よ。 國民はまだまだ眠って居る。化學戰は日本人の考へるような簡単なものではない、認識が不足だ。化學偉大なる力を知れ。此の力と日本人の精神力が一つになってはじめて雄者となり得るのだ。

Dr.夢倉さんは従軍手帳や遺品を写真掲載し、ブログを以下のように結んでいる。

 六十年後の今、いや、正確に言えば、1944年(昭和19年)の7月に日本がサイパン戦で敗北した事を考えれば、おそらくこの「伝言」が書かれてから、六十二年以上経過した事になる。サイパンで玉砕した一日本兵の伝言は、それが読まれる事を六十二年間ずっと、ひたすら待っていたという事だ。この日本兵の必死の思いを込めた日本本土への警告は、戦時中、日本に届く事は無かった。もし、それが届いたとしても、おそらく、日本は敗北への運命から逃げる事はできなかったであろう。光陰矢のごとし。昭和は、もうすでに終わりを告げ、今や、その昭和の文化を懐かしく思われる時代にいる。六十二年経った今、この一日本兵の伝言は、遅すぎただろうか。玉砕する寸前まで、「生キテ生キテ生キ抜イテ」という一日本兵の言葉は、21世紀に生きる日本人の私の胸を熱くする。敗戦後、六十二年、決して、その言葉の重みは失われてはいない。私は、この従軍手帖に書かれた数名の日本兵の玉砕を弔うと共に、最後の最後まで生きる事をあきらめず、無念にも玉砕した日本兵の言葉を死なせてはならないと思う。私には、果たして、どの日本兵がこの従軍手帖に最後の最後まで力を振りしぼって伝言を綴ったのかは、わからない。今、私にできることは、できる限り多くの人に、この日本兵の最後の「伝言」の言葉を読んでもらう事だと考えている。そして、私の手で、これらの遺物品を無事、母国日本に帰国させてあげたい。適した施設に寄贈し、「地獄ノ有様」の戦争を知らずに育った日本人、そして、これから生まれてくる日本人に、「生きる」という意味を考える一つのきっかけにしてもらいたいと願う。

 降伏は、まず先に相手の降伏勧告があって、ついで応じて、はじめて成立する。降伏勧告がないのに白旗掲げても、虐殺されるだけで、全く無意味。米軍はほとんどが皆殺し作戦なので、降伏勧告などせず、このように皆殺しにされた。大本営は、米軍の殲滅作戦徹底抗戦し、殉国した名誉を尊び玉砕と報じた。米軍皆殺し作戦玉砕である。アッツ島守備部隊もこのようにして皆殺しにされた。以後日本軍はトンネル作戦に戦術変換、パラオ・ペリリュー島、硫黄島で徹底抗戦した。戦後ベトナムホーチンミンが、この作戦で米軍を排除したのは、真新しい史実である。

投降勧告された兵は、サイパンでも、皆投降している。当ブログ内下記参照。
真実史観玉砕捏造在日犯日工作員思想戦の道具ウィキに寄付は売国奴
真実史観で覚醒偽日本人在日工作員捏造ウィキペディア戦陣訓バンザイ突撃 

主な米軍皆殺し作戦玉砕

1943年5月29日アッツ島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1943年11月22日ギルバート諸島マキン・タラワ守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年2月5日マーシャル諸島クェゼリン環礁守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年2月23日マーシャル諸島ブラウン環礁守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年7月3日ビアク島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年7月7日サイパン島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年8月3日テニアン島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年8月11日グァム守備隊玉砕米軍皆殺し作戦玉砕

1944年9月7日拉孟守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年9月13日騰越守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年9月19日アンガウル島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年11月24日ペリリュー島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1945年3月17日硫黄島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1945年6月23日沖縄守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

 米軍皆殺し作戦に、生き抜いて戦った日本兵を、戦後戦勝国のプロパガンダに洗脳された哀れな子孫と犯日は、先人を犬死に、無駄死に、無駄な戦争と、64年を経た現在でも冒涜し続けている。日本は戦争には確かに負けた。しかし、独立し、護国すると言うことは、日本のように命を懸けなければ達成出来ない事を学び、アジアは戦い、南北アメリカのようにはならず、皆独立した。戦後宗主国が退き、貿易が自由化され、アジアが日本が繁栄している。

 1944年(昭和19年)の7月9日サイパン陥落。サイパンで玉砕した一日本兵は「生きて捕虜となる辱」などの「私心」ではなく、「護国」と言う「公」のために、米軍皆殺し作戦に対し、玉砕の直前まで「此ノ島ガ陥チタラ日本ノ存在ハ薄氷ヲ踏ムガ如シダドウシテモ死ナレナイ生キテ― ― ―生キ抜イテ此ノ島ヲ守ラネバ・・・」「生きて生きて生きて生きて生き抜いて此の島を守らねば」と日本へ書きしるしている。玉砕とはつまみ食い識者がいうところの自殺ではない、米軍皆殺し作戦という定めの中で、生ある限り戦い、自由を希求し、自由に殉じることだ。一人の日本人の熱き想いで発見された伝言は、63年を経て今年(2007年)日本に届いた。子孫は、この熱き想いと、この真実を流布し、この礎石を、未来永劫忘れてはならない。

ここには、先人と子孫、過去と現在、呼応する二つの「公」の感動がある。・・・

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

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Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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