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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観3沖縄県民斯ク戦ヘリ・祖先神と成りても護らんは唯心同胞への発信

3沖縄県民斯ク戦ヘリ・祖先神と成りても護らんは唯心同胞への発信

2012年4月29日八重山日報 

慶良間で何が起きたのか④ ―人間の尊厳を懸けた戦い― 上原 正稔

現地調査で知った意外な事実

 一九九五年夏、僕は渡嘉敷の金城武徳さんに案内され、島の最北端「北山(ニシヤマ)」に向かった。だが、金城さんは、ここは北山ではなくウァーラヌフールモーで第一玉砕場と呼ばれていると説明した。僕は『鉄の暴風』で植え付けられた自分の思い込みに呆れたが、さらに驚いたことに、金城さんと大城良平さんは「赤松隊長は集団自決を命令していない。それどころか、村の人たちから感謝されている。」と言うのだ。

 そこで『鉄の暴風』で隊長の自決命令を伝えたとされている比嘉(旧姓安里)喜順さんに会って事件を聞くと「私は自決命令を伝えたことはない。赤松さんが自決命令を出したとする。『鉄の暴風』は嘘ばかりです。世間の誤解を解いて下さい。」と言う。

 知念朝睦さんに電話すると、「赤松さんは自決命令を出していない。私は副官として隊長の側にいて、隊長をよく知っている。尊敬している。嘘の報道をしている新聞や書物は読む気もしない。赤松さんが気の毒だ」と言う。これは全てを白紙に戻して調査せねばならない、と決意した。

 渡嘉敷村史、沖縄県史など様々の証言を徹底的に検証した結果、次のような住民の動きが浮上した。 ―三月二十七日、村の防衛召集兵は前夜から「敵が上陸して危険だから北山に移動せよ」と各地の避難壕を走り回った。渡嘉敷村落の西側の避難場所北山には古波蔵村長ら村の有力者をはじめ数百人が集まった。(前年の村の人口は一四四七人であることに注意。)

 そこで古波蔵村長、真喜屋前校長、徳平郵便局長ら村の有力者会議が開かれ、「玉砕のほかはない」と皆、賛成し玉砕が決められた。

 一方、赴任したばかりの安里巡査は村民をどのように避難誘導しようかと考え、軍と相談しようと思い、赤松隊長に会いに行った。安里巡査が赤松隊長に会うのはこれが最初だった。赤松隊長は「私達も今から陣地構築を始めるところだから、部隊の邪魔にならない場所に避難し、しばらく情勢を見ていてはどうか」と助言した。安里巡査は古波蔵村長ら村の有力者にそのように報告した。

 ところが防衛隊員の中には既に妻子を殺した者がいて、「このまま敵の手にかかるよりも潔(いさぎよ)く自分達の手で家族一緒に死んだ方がいい」言い出して、先に述べたように、村の有力者たちは集まって玉砕を決行しようということになった。

 防衛隊員も住民も既に平常心を失っていた。早まるな、という安里巡査に耳を傾ける者はいなかった。防衛隊員らは「赤松隊長の命令で、村民は全員、陣地裏側の北山に集まれ。そこで玉砕する」とふれ回った。住民は皆、死ぬことに疑問はなかった。

 最北端のウァーラヌフールモーを埋め尽くした住民と防衛隊員は黙々と「その時」を待っていた。防衛隊員から手榴弾が手渡された。天皇陛下のために死ぬ、国のために死ぬのだ。砲弾を雨あられと降らしている恐ろしい鬼畜は今にもここにやってくるのだ。

 夕刻、古波蔵村長が立ち上がり、宮城遥拝の儀式を始めた。村長は北に向かって一礼し、「これから天皇陛下のため、御国のため、潔く死のう」と演説し、「天皇陛下万歳」と叫んだ。皆もそれに続いて両手を挙げて斉唱した。

 村長は手本を見せようと、手榴弾のピンを外したが爆発しない。石に叩きつけても爆発しない。見かねた真喜屋校長が「それでは私が模範を見せよう」と手榴弾のピンを抜くと爆発し、その身体が吹き飛んだ。

 狂乱した住民は我も我も手榴弾のピンを抜いた。だが、不発弾が多く、爆発しないのが多い。「本部から機関銃を借りて、皆を撃ち殺そう」と防衛隊員の誰かが言った。村長は「よし、そうしよう。みんなついてきなさい。」と先頭に立って、三百メートルほど南に構築中の部隊本部壕に向かった。

 住民はワァーと叫んで陣地になだれ込んだ。

 その時、アメリカ軍の砲弾が近くに落ち、住民はいよいよ大混乱に陥った。本部陣地では仰天した兵士らが「来るな、帰れ」と叫ぶ。「兵隊さん、殺して下さい、と懇願する少女もいる。赤松戦隊長は防衛隊に命じ、事態を収めた。

 住民らはスゴスゴと二手に分かれて退散した。だが、午後八時過ぎ、ウァーラヌフールモー(第一玉砕場)に戻った住民らは「神もおののく集団自殺」を続行し、陣地東の谷間(第二玉砕場)に向かった金城武徳さんらは生き残った。そこでは、〝玉砕〟は終わっていたからだ。

 陣中日誌は記す。「三月二十八日午後八時過ぎから小雨の中敵弾激しく住民の叫び声阿修羅の如く陣地後方において自決し始めたる模様。(中略)三月二十九日、首を縛った者、手榴弾で一団となって爆死したる者、棒で頭を打ち合った者、刃物で首を切断したる者、戦いとは言え、言葉に表し尽くしえない情景であった。」

 

 一九九五年取材した元防衛隊員の大城良平さんは語った。「赤松隊長は、村の指導者が住民を殺すので、機関銃を貸してくれ、と頼んできたが断った、と話してくれた。赤松隊長は少ない食料の半分を住民に分けてくれたのです。立派な方です。村の人で赤松さんのことを悪く言う者はいないでしょう」。

 

 同じく比嘉喜順さんは語った。「赤松さんは人間の鑑(かがみ)です。渡嘉敷の住民のために泥をかぶり、一切、弁明することなく、この世を去ったのです。家族のためにも本当のことを世間に知らせて下さい」。

 

 僕はこの時点で「赤松さんは集団自決を命令していない」と確信した。だが、大きな謎が残った。なぜ、渡嘉敷の人たちは公(おおやけ)に『鉄の暴風』を非難し、赤松さんの汚名を雪(すす)ごうとしないのだろうか。その答えは突然やってきた。

 

2012年4月30日八重山日報 

慶良間で何が起きたのか⑤ ―人間の尊厳を懸けた戦い― 上原 正稔

パンドラの箱を開けた宮城晴美さん

 一九九五年六月下旬、沖縄タイムスの文化欄に座間味出身の宮城晴美さんが「母の遺言―切り取られた〝自決命令〟」を発表した。凄まじい衝撃波が走った。座間味村女子青年団長であった晴美さんの母初枝さんは、戦後、『家の光』誌で「住民は男女を問わず、軍の戦闘に協力し、老人、子供は村の忠魂碑前に集合して玉砕すべし、との命令が梅澤裕隊長から出された」と記していたが、その部分は〝嘘〟だった、というのだ。

 「母はどうして座間味の〝集団自決〟が隊長命令だと書かねばならなかったのか」晴美さんは説明している。

 

 ―一九四五年三月二十五日。その夜、初枝さんに「住民は忠魂碑の前に集まれ」と伝令の声が届いた。初枝さんはその伝令を含め、島の有力者四人と共に梅澤隊長に面会した。意味もわからぬまま、四人に従っていったのだ。

 有力者の一人が梅澤隊長に申し入れたことは、「最後の時がきた。若者たちは軍に協力させ、老人と子供たちは軍の足手まといにならぬよう忠魂碑の前で玉砕させたい」というものだった。初枝さんは息も詰まらんばかりのショックを受けていた。隊長に〝玉砕〟の申し入れを断られた五人はそのまま引き返した。初枝さんを除いて四人はその後自決した。

 

 梅澤さんはこの場面について大城将保さんへの手紙(一九八六年三月の沖縄資料編集所紀要)の中で次のように記している。

 「二十五日夜十時頃、戦備に忙殺されていた本部壕へ村の幹部が来訪してきた。助役宮城盛秀氏、収入役宮平正次郎氏、校長玉城政助氏、吏員宮平恵達氏および女子青年団長宮平(現宮城)初枝さんの五名。その用件は次の通りであった。

 一、いよいよ最後の時が来た。お別れの挨拶を申し上げます。

 二、老幼婦女子はかねての決心の通り、軍の足手まといにならぬよう、また食料を残すため自決します。

 三、つきましては一思いに死ねるよう、村民一同忠魂碑前に集合するから中で爆薬を破裂させて下さい。それが駄目なら手榴弾を下さい。役場に小銃が少しあるから実弾を下さい。

 私は愕然とした。私は答えた。

 一、決して自決するでない。軍は持久戦により持ちこたえる。村民も壕を掘り、食料を運んであるではないか。生き延びて下さい。共にがんばりましょう。

 二、弾薬は渡せない。しかし、彼らは三十分ほども動かず、懇願を続け、私はホトホト困った。折しも艦砲射撃が再開されたので、彼らは急いで帰って行った。」

 

 晴美さんのコラムは梅澤さんの手記が正しかったことを裏付けたのだ。戦後、沖縄に援護法が適用されることになったが援護法は本来、軍人、軍属に適用されるもので、一般住民には適用されないものだ。そこで村当局は「隊長の命令で自決が行われており、亡くなった人々は戦争協力者として遺族に年金を支払うべきだ」と主張したと初枝さんは晴美さんに残した手記で記していたのだ。

 

 そうか、そうだったのか。僕の目の前で霧が晴れ、全てがはっきり見えてきた。

 厚生省は、一般住民の戦死者でも、戦闘に協力した者には「年金」を支給するという条件を出してきたため、座間味だけではなく、渡嘉敷でも「隊長命令により自決した」ことにせねばならなかったのだ。

 宮城晴美さんは正にパンドラの箱を開けてしまった。「母は関係者が存命しているうちは発表してはならないが、いつか必ず真相を発表してくれ」と晴美さんに遺言していたが、晴美さんは母の遺言に背いて、新聞で発表した。

 『母の遺したもの』という本を出版し、時の人となったが、村の関係者から「余計なことをした」とさんざん叱られる羽目になり、本を書き換えたり、裁判に出ては涙ながらの証言をしたり、パンドラのようにひどい目に遭っているようだ。

 パンドラの箱から飛び出したものが元に戻らないように、彼女が告白した衝撃の真実は変わらない。パンドラの箱からこの世の全ての悪徳が飛び出した。宮城晴美さんは真実の扉を開けた。パンドラの箱には希望が残ったが、晴美さんの箱には知りたくない真実が残った。だが、少なくとも僕の眼の前の霧を払ってくれた。心から感謝している。

 

 二〇〇六年一月、産経新聞は、琉球政府で援護課業務に携わった照屋昇雄さんに取材し、「遺族たちに戦没遺族援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。

 当時、軍命令とする住民は一人もいなかった」との証言を得た。照屋さんは「嘘をつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と涙ながらに語った。

 ところが、沖縄タイムスは「照屋氏は一九五七年には援護課に勤務していないという証拠がある」と産経新聞の「誤報」を報じたが、後日、照屋さんは大切に保管していた一九五四年の「任命書」を提出し、この問題は結着したが、タイムスがこの失態を報ずることはなかった。タイムスも新報も重要証人の照屋昇雄さんに一切取材していない。

 

 梅澤さんは前記の手記の終りに記している。

 「座間味島の軍命令による集団自決の通説は村当局が厚生省に対する援護申請のため作製した『座間味戦記』および宮城初枝氏の『血ぬられた座間味島』の手記が諸説の根源となっている」。

 初枝さんが梅澤さんに「本当にごめんなさい」と謝った時、梅澤さんは感涙したとのことだ。

 

2012年5月1日八重山日報 

慶良間で何が起きたのか⑥ ―人間の尊厳を懸けた戦い― 上原 正稔

 赤松さんは一九七〇年三月二十六日、渡嘉敷村民に招かれ合同慰霊祭に参加する目的で那覇空港に着いた時、抗議団の怒号の嵐の出迎えを受けた。「何しにノコノコ出てきたんだ。」「人殺しを沖縄に入れるな」「赤松帰れ」のシュプレヒコールが浴びせられた。

 赤松さんは結局、渡嘉敷に上陸することはかなわなかった。沖縄で殺人鬼と面罵され、故郷に戻ると、事件を知った娘から「お父ちゃんはなんで沖縄の人たちを自決に追いやったのか」と責められた。赤松さんは「娘にまで誤解されるのは、何としても辛い」と記している。

 読者は赤松さんの人格について知らないものと思う。赤松さんの「ひととなり」を伝える二通の手紙を僕は一九九五年比嘉(旧姓安里)喜順さんから預かったが、それをここで紹介しよう。

 一九七〇年四月二日付の赤松さんからの比嘉さんへの手紙は次のように綴っている。

 ――今度の渡沖については全く合点が行かず、なんだか一人相撲を取ったようで釈然と致しません。

 ――村の戦史については軍事補償その他の関係からあの通りになったと推察致し、できるだけ触れたくなかったのですが、あの様な結果になり、人々から弁解のようにとられたことと存じます。しかしマスコミも一部不審を抱いているように感じられましたので、いつか正しい歴史と私たちの善意が通じることと信じております。――

 四月十七日付の手紙は次のように伝えている。

 ――安里さんにはあのような俗説の流布されている中、ただ御一人で耐え忍び、ご心中のほどご察し申しあげております。

 ――先日、元琉球新報の記者より手記を書いてくれ、と言われ、聞いたところによりますと、現在マスコミの半分ほどは赤松さんを信じていると申されておりましたが、一度世に出し、これほど流布されてからでは難しいだろうから郷友会などを取材して新たに真実のものを出したらどうかと言っておきました。

 いづれにしても、私たちは真相が明白にされ、私たちの汚名が拭い去られる日を期待し、努力しております。一日も早く沖縄の人々にも理解していただき、私たちと島民が心を合わせて共に戦ったように、次の世代の人々が憎しみ合うことなく本土の人々と仲よくやってゆけることを祈ってやみません。

 安里さんも機会をつくって、ぜひ本土に来てください。皆、歓迎してくれると思います。また子供さんの勉学につきましても私たちをご利用下さい。いくらかでも戦時中のご恩返しができれば幸甚です。奥様はご病気のとのことですが、その後いかがですか。すでに沖縄は暑いと思いますので御自愛専一のほどお祈り致します。 敬具 赤松嘉次

 

 これが慶良間の〝集団自殺(集団自決という言葉は伊佐良博記者の創作であると、本人が記している)の真相だ。

 だが、沖縄タイムスの『鉄の暴風』は今も発行され続け、次のように伝えている。

 ――恩納河原の自決のとき、島の駐在巡査(安里喜順さんのこと)も一緒だったが、彼は「自分は住民の最後を見とどけて、軍に報告してから死ぬ」と言って遂に自決しなかった。…赤松大尉は「軍として最後の一兵まで戦いたい。まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は全ての食糧を確保して、持久態勢をととのえ、敵と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」ということを主張した。

 ――座間味の戦隊長梅澤少佐は米軍上陸の前日、忠魂碑前の広場に住民を集め、玉砕を命じた。住民が広場に集まってきたその時、近くに艦砲弾が落ちたので、みな退散してしまったが、村長はじめ役場吏員などその家族は各自の壕で手榴弾を抱いて自決した。…日本軍は最後まで山中の陣地にこもり、遂に全員投降隊長梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げた。――

(※百人斬り、毎日新聞記者(浅海一男鈴木二郎)、朝日新聞記者(本多勝一)、大江健三郎沖縄ノート)等は、ペンの殺人者である

 この記述には真実の一カケラもないことは誰の目にも明らかだろう。正に「見てきたような嘘」でしかない。ノーベル賞作家の大江健三郎はこの『鉄の暴風』の記述をそのまま信じ、『沖縄ノート』で旧軍指揮官を糾弾したのだ。

 人は誰であれ、己の目の高さでしか物を見ることができない。だから、信じたいことを信じ、自分に都合のよいことを信じてしまうのだ。だが、慶良間の〝集団自殺〟については赤松嘉次さんと梅澤裕さんが命令したことはないことははっきりしている。

 

人間の尊厳を取り戻す時

 僕は一九九六年六月琉球新報の『沖縄戦ショウダウン』の中で言明したが、もう一度ここで述べよう。

 ―沖縄の新聞、特に沖縄タイムスの責任は限りなく重い。そして一人の人間をスケープゴート(生贄)にして、〝集団自殺〟の責任をその人に負わせてきた沖縄の人々の責任は限りなく重い。

 僕は長い間、赤松さんと梅澤さんは〝集団自殺〟を命令したとの先入観を拭い去ることができなかった。真実が明らかになった今、赤松さん、梅澤さん、そしてご家族の皆さん本当にご免なさいと謝罪しよう。そして今、僕は一つ脱皮して一つ大人になることができた。

 

 2011年10月中旬、ぼくは兵庫県を訪れ、赤松嘉次さんの弟秀一さんに迎えられ、一緒に嘉次さんのお墓参りをした。ぼくには神も仏も遠い存在だったが、長年の重荷を下ろし、何だか心が軽くなった。

 

 だが、大きな問題が残されている。自分の親、子、兄弟を殺して遺族年金を受け取っていることは誰も語りたくないし、語れないものだ

 

 僕は知識人でもなく、文化人でもなく、宗教家でもなく、道徳家でもない。だが、僕は知っている。自分が愛する家族に手をかけた者はいつまでも忘れず、心を痛めているのだ。だが、それを軍隊のせいにしたり、国の教育のせいにしたり、他人のせいにしてはならない。ましてや、無実の軍人のせいにしてはならない。自分のこととしてとらえない限り、心が癒されることはないのだ。そして、赤松さんと梅澤さんとそのご家族にきちんと謝ることだ。誰も彼らを責める者はいない。

 実際、座間味で母親に首を切られたという青年は「母親を恨んでいるか」との質問に、「そんなことはありません。母を心から愛しています」ときっぱり答えた。赤松さんも梅澤さんも心の広い人間だ。きっと許してくれるはずだ。いや、きっと「ありがとう」と言ってくれるだろう。それが人間の尊厳を取り戻すということだ。僕はそう信じている。(おわり)

 

「祖先神と成りても護らん」

 島の生活は、共産の極致「助け合い」である。尼港、済南、通州、サイパン等の「生き地獄」がトラウマとなっており、誇り高き唯心には、捕まっての嬲り殺し、「生き恥晒し」が最大の屈辱であったと推測される。護国軍の足手まといになるのを避けた一島心中ともいえる。金子みすずは子供を残し、八田与一の妻外代樹も8人の子供を残し、広田弘毅の妻静子も、夫の裁判開廷以前に、自裁している。戦前と戦後の死生観の違い、戦時下を考慮して紐解かなければならない。皇国史観善悪史観などは全くのナンセンス。たとえば、「祖先神と成りても護らん」といったような、もっともっと深遠なものである。一家無理心中の、親の子殺しは平和時の現代にもあるが、ましてや死生観が異なる戦時下、平和時の善悪では、とうてい計り知る事など出来得まい。

 先人は無駄死になどではない。最後の最後にたった一国で世界征服立ちはだかり、自立自存護国戦争に挑んだ。同胞完全覚醒まで持ちこたえる事が出来得ず、新秩序の魁は成したが、戦いには敗れた。がしかし、完全覚醒し追随した同胞が、戦争目的を果たした。唯一残ったのが、凶産完全破壊のみである。

 これほどまでして護るのが護国と、人類に知らしめた結果、人類は敵味方皆覚醒し、人類開闢以来の悪弊、弱肉強食を破壊、1960年「植民地独立付与宣言」で、日本の戦争目的、「互恵・平等・自由貿易」を反対者ゼロで成し遂げた。

 現代の平和は、護憲派が掲げる九条などでは決してない。たとえ敗れても、古今東西未曾有のこうした先人の血と汗と涙が、人類同胞唯心の琴線を揺さ振り、成し遂げ得たものなのだ。ただ敗れてのただの白旗降伏なら、人類の完全覚醒追随など、当然なかった。先人の戦い、敗れても、そこには勝者をも共振させる「何か」があった。日本惨敗のインパール作戦もそうである。英国軍マウントバッテン将軍は、「日本は敗れたが、そこには何かが残った」と語った。

 「神もおののく集団自殺」と侮蔑した戦勝国の記事ばかりではなく、共振した下記のような記事も有るのだ。

 「日本の在留邦人の一部には、自らその命を絶つまえに、相当の儀礼をとり行うものがあった。その一例として、三名の日本人の女性が、まるでテルモビレーの決死の陣にのぞんだレオニダス将軍と部下のスパルタ軍勢の流儀に似て、岩頭にゆうゆうと座ってその長い黒髪を落ち着いて櫛けずりつつあった光景には、さすがの海兵たちも、呆然と驚異の目を見張って見守るばかりであった。それから最後にこれらの女性は、それぞれ両手を合わせて祈りながら、しずしずと海の中へ歩いて行き姿を消したのである」。「サイパン日記(5最後の玉砕攻撃7月11日)」ロバートシャーロッド著中野五郎訳世界ノンフィクションVerita24の12筑摩書房。

 1960年「植民地独立付与宣言」を成したのは、このように共振した、唯心の方々なのだ。

 記事や手記には米軍が、救難軍のようにも書かれているが、島民が健康体で寄り添ってただ避難していただけなら、完全な敵とみなされ何をされたか判らない。悲惨さに驚き(無抵抗と確実に判断出来得る状態。「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」の状態だった)救護したが、健康体であったなら、又、別の展開(映像でおなじみのごとく沖縄でも、サイパン同様洞窟への火炎放射で焼き殺した)となっていた。それが戦場である。記事だけで、米軍は救難軍島民無駄死に判断は、平和時の、早とちり思考の典型で、余りにも短絡すぎるのだ。

 このような先人のおかげで平和を与えられた子孫は、「助け合い唯心の民日本人」である。「自分の親、子、兄弟を殺して遺族年金を受け取っていること」など、憐憫の情浮かびこそすれ、とやかく言う非国民など居ない。余人には計り知れぬ体験の遺族には、ただただ、「癒やして欲しい」と願うばかりである。

 他人へ責任転嫁しての非難遺族は、まさしく「親の心子知らず」、先人の思いに反する冒涜である。平和時の常識で考えるから解らないのだ。ワルシャワゲットーもワルシャワも、サイパンも、沖縄も全く同じである。戦時下には戦時下の常識がある。死生観が戦時下では異なる。「集団自決」も、「そこには何かが残った」の、一つである。「国を護る尊さを人類に知らしめた!」。

 「沖縄県民斯ク戦ヘリ」のごとく、強い思いで護国に励んだことは間違いの無い事実である。これを誇りに、他人に責任転嫁することなく、生きて欲しい。生き証人として、護国の神髄(祖先神と成りても護らん)を、人類に知らしめんがために!

※自裁の一因、トラウマ参照⇒軍命は捏造米軍急追で集団自決とらうま尼港済南通州等で潔く自裁が真相 さいぱん陥落後512日戦い降伏命令書で下山した大場隊47人 

4につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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