QLOOKアクセス解析

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
2017 07123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 09

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

真実史観2ミャンマー(ビルマ)ウ・オッタマとアウン・サンと日本軍南機関

 敗走する日本の兵士に優しく接した多くのビルマ人がいたという事実は、かろうじて生きながらえた旧軍人の方の、多くの方の証言がある。

 抗日地下組織「反ファシスト人民自由連盟」(AFPFL)通称パサパラには地下共産党組織も関与していた。45年3月初旬には、秘密幹部会を開き抗日一斉蜂起を決定した。同年3月17日午前10時、ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダでイギリス軍を迎え撃つべく、ビルマ国民軍の出陣式が行われた。出陣式の後アウン・サンはただちに姿をくらまし、10日後の同月27日夜、全部隊に命令を発して日本軍に反旗を翻した。

 1945年3月27日、アウンサン国防相率いるビルマ軍は、イギリスと完全独立の約束を取り付け、日本に宣戦布告し、攻撃を開始した。

 一部では激しく日本軍との戦闘が行われた。しかし、全土レベルのものではなかった。蜂起は国内全域のものではなく、多くの国民は国軍が反旗を翻したことを知らなかったし、抗日反乱の状況が飲み込めなかった。また、国軍の兵士を逃亡兵や強盗団と見なす者も少なからずいたとのことである。これについては、ルイ・アレンも述べている。「リンドップがランスに伝えるところによれば、ビルマ国軍は多くの地域で強盗を働いており、法と秩序への重大な脅威となっている。良民たちは日本軍よりも悪いと言い、イギリス軍がなぜ彼らを認めているのか分からないというのである。」(「ビルマ遠い戦場」平久保・永沢・小城訳、原書房)。

 1945年5月、アウン・サンは連合軍のルイス・マウントバッテン司令官と会談し、BNAがビルマ愛国軍(Patriot Burmese Forces, PBF)と改称した上で連合軍の指揮下に入ることで合意した。アウン・サン率いる愛国ビルマ軍は、英国指揮下のビルマ軍に合併された。

 だが終戦後、イギリスはアウン・サンとの約束を破って完全独立を許さなかった。その後アウン・サンは軍を去って「反ファシスト人民自由連盟」(AFPFL)総裁に就任し、イギリス政府との交渉をはじめとする独立問題に専念することになった。

 元南機関長鈴木敬司将軍が、戦後ビルマに連行され、イギリス軍に軍事裁判にかけられそうになったとき、アウン・サンは、「ビルマ独立の恩人を裁判にかけるとは何事か!」と猛反対し、鈴木将軍は釈放された。

 バー・モウはビルマを脱出、日本の新潟県に潜伏した。バー・モウは1946年1月にGHQへ出頭したが結局イギリス政府は罪を問わず、バー・モウは8月にビルマへ帰国した。

※有色対白色のWW3有色人決起の烽火が世界で上がり、戦勝国は避けた、が真相である!日本分断回避も、同胞のこの蜂起が最大要因。蜂起なかりせば、日本は分断され、国名日本も消えた!

 1947年1月27日、英国首相クレメント・アトリーと、1年以内の完全独立を約束する「アウン・サン・アトリー協定」に調印。完全独立に向けてのイギリスとの厳しい交渉や、国内対立の解消と国家統一への苦しい道を模索し続けていた。

 マウントバッテン卿がアウン・サンらにお墨付きを与えた結果、連合軍はアウン・サンを戦犯にすることができなかった。イギリス軍の将校のうち、アウン・サンに反感を抱いていた者が何人もいた。終戦後間もない47年7月19日、真の独立を見ないうちに、アウン・サンは凶弾に倒れ6人の閣僚とともに暗殺されてしまった。アウン・サン32歳と5か月であった。アウン・サン暗殺については、親日家のウ・ソオ(イギリスの統治時代、三代目の首相になつたことがある)が自分の野心のために暗殺したとされている。

   「ミャンマーの国家的英雄であるアウン・サン将軍とその閣僚らは、1947年に植民地政府の共謀のもとに暗殺された。このことはミャンマーの歴史の中で最もダメージ的な出来事であった。」と、ミャンマーの防衛省戦略研究所の小冊子では、アウン・サンの暗殺について簡明に記述している。アウン・サンの右腕ウ・ヌーがAFPFL総裁を引き継いだ。

 1948年1月4日、独立を達成。初代大統領にはシャン州ニャウンシュエのソーブワー、サオシュエタイが就任する。シャン共産党のホウプ(ミンガラドン士官学校1期生~日本留学)が新政府に反抗して地下に潜る。なおホウプは1968年に射殺される。この年の末カレン族が蜂起する。ネ・ウィンがビルマ軍の司令官となる。戒厳令が発布される。

 1949年ビルマ軍はカレン反乱軍(KNU)、とインセインやトングーで激戦。一方、プロームでは反政府統一戦線が組織される。この年、4月、ネ・ウィンは副首相となり、イギリス及びインドから軍事援助を取り付ける。

 1952年ウ・ヌー内閣成立。アメリカとの間に開発援助協定を結ぶ。

 1962年3月2日、ビルマ軍はクーデターを決行し、司令官ネ・ウィンが大統領に就任した。ネ・ウィンの率いる軍事政権は議会制民主主義を廃止し、一党独裁の「ビルマ式社会主義」を打ち出した。ネ・ウィンは1988年の民主化要求デモの責任を取って辞任したが、その後も影響力を持ち続けた。ビルマは、1962年の軍事クーデター以来、ネ・ウィン軍事政権が1962年から88年まで独裁政治を敷いた。

 戦後のビルマ政府、主としてネ・ウィン軍事政権は自分たちの立場を正統化するためには、アウン・サンを絶対化する必要があった。独立の英雄で、神さまでもある、アウン・サン将軍がつくった軍隊を引き継いだ国軍の政権であるから、正統性があると言う論理の展開である。

 それ故に、あらゆる方法でもってアウン・サンを神聖化した。日本軍への反旗は日本軍の行状の悪さであり、ビルマ独立の約束を反故にし、イギリスに代わってビルマを日本領土にしたファシスト日本軍と貶めた。裏切りという負い目払拭のため、日本軍を貶め南機関をたたえたのだ。また、裏切り当初はイギリス軍に自分たちの反日の姿勢を誇示し認めさせる必要があったので激しく侮日。

 現在(独裁政権)のミャンマーの国定教科書では、戦時下の日本をファシストイギリスを帝国主義者と書いており、ミャンマー国民はどちらも加害者として捉えていることには注意せねばならないだろう。『「ビルマの竪琴」をめぐる戦後史』(注・現在の独裁政権が、歴史を捏造しているのだ

1968年バー・モウ(75歳)「ビルマの夜明け」回顧録発表

 ・・・真実のビルマ独立宣言は、1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者は(英国)アトリーの率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。

 ・・・歴史的にこれ見るならば、日本ほどアジアを白人社会から離脱させることに貢献した国はない。

 ・・・しかしまた、その解放を助けたり、あるいは多くの時柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。これはまた日本が、その武力万能主義者と民族の夢想とのために謬(あやま)られたためである。

 ・・・もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである。

(注・この人も負い目払拭のため、戦後の日本軍叩きに迎合し、日本軍を貶め南機関をたたえている。南機関の私心無き「公」に殉じる日本軍の「公」の心を学んでおれば、ミャンマーなどなかった。私利私欲英国から、私利私欲ビルマ軍に取って代わっただけで真の独立ではない

 ・
・・最も憎むべきだったのは、初めは少人数ではあったが、ビルマで戦うため極東から新しい師団の到着により、人数の増えた残忍な征服民族的優越感を持っている軍人達であった。私は以前、その人々を「朝鮮派」と呼んでいた。なぜなら彼らは、朝鮮、満州、中国で植民地戦争をし、そこの行政に携わり、それらの地で、全てのアジアが屈服すべき大日本の幻想をつちかったからである。

 彼らは、勝利と新しい夢と、昔からの欲望と習慣で興奮してやって来た。彼らは、彼らのアジアでの使命を固く信じ、どこへ行こうとも、その使命を実現しようと決心していた。一方、シンガポールに南方軍総司令部が設立され、彼らの権力は増大した。そしてその司令部は
「朝鮮派」によって完全に支配されていた。・・・

 ・・・彼らの多数は、何らかのやり方で、朝鮮や満州のような形でビルマを日本のものとしておくことを考えていた。ビルマ人の根本的な歴史的、また政情の相違を全然考慮せず、日本は、その植民地と植民地戦争を扱ったと同じ態度でビルマに接した。

 日本軍隊のこれらの人種主義者たちは、すぐにあらゆる権威、権力を要求し、命令を出して、人を自由に使い、平手打ちをくらわせ拷問にかけ、財産と労働者を奪い取り、公に支配者と呼ばれ、支配者らしく待遇されることを要求する程度までに征服民族者気どりであった。

 (注・戦後23年戦勝国の負い目払拭用捏造作戦は、当事者までも洗脳したようだ。植民地戦争、征服者大日本などを夢想したため戦後誤解されたと記している。日本が侵略戦争をすれば、米英蘭中プラス全アジアが敵となる。こんな自殺戦争不可なのは、古今東西の常識だ。バー・モウは、ましてや当事者なのだ、この常識無視とは。1952年ウ・ヌー内閣成立。アメリカとの間に開発援助協定を結ぶ。これが起因の迎合か。独立後の日本軍の補佐を恨んでいる。満州やビルマは平時でなく戦時下の独立だ、軍の管理下に入るのは当然のことだ。バー・モウ(75歳)は、ネ・ウィンの率いる軍事政権を阻止し、ウ・オッタマの思想を指導すべき立場の人間なのだ。それがネ・ウィンの軍事政権や米国に迎合とは。バー・モウ(75歳)が南機関から学び南機関のように「公」に殉じていれば今の混乱はなかった。バー・モウは南機関をただ利用しただけのようだ。私欲で視野が狭い。ウ・オッタマのビルマ未だならず

 戦後、南機関とミャンマーとは長く友好関係を維持した。ネ・ウィンをはじめとするBIA出身のミャンマー要人は南機関への親しみを持ち続け、ネ・ウィンは訪日のたびに南機関の元関係者と旧交を温めた。ビルマの第33回目の独立記念日に当たる1981年1月4日、ビルマ軍事政権は、ビルマ独立に貢献した7名の日本人に対して感謝の意を表し「アウン・サン勲章」を授与した。その7名とは鈴木敬司氏未亡人、杉井満、川島威伸、泉谷達郎、高橋八郎、赤井(旧姓鈴木)八郎、水谷伊那雄の各氏で、全員が南機関関係者であった。

 1988年民主化要求デモ。軍のクーデターで国家法秩序回復評議会(SLORC)が全権掌握する
。今日の軍事政権は1962年から88年まで政治を独裁し、悪名の高かったネ・ウィンの否定者として登場した。

 1989年、アウンサンスーチー(アウン・サンの長女)は自宅に監禁され、国名がビルマからミャンマーに変更された。

 1990年5月27日に複数政党制下の総選挙を行ったが、アウン・サンの娘であるアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が大勝した(ネ・ウィン軍事政権がアウンサン将軍を神格化した事が大勝
勝因)。しかし軍政側は権力の移譲を拒否した。

 1991年アウンサンスーチーにノーベル平和賞。

 1992年SLORC議長にタン・シュエ副議長就任。

 2002年12月、ネ・ウィン将軍がヤンゴンで死亡。

 2007年 3月27日、ミャンマー政府は、新首都ネーピードーで国軍記念日式典を開いた。 

 LORC議長に居続けタン・シュエ独裁。タン・シュエ一族や幹部は、私利私欲に夢中。ミャンマーは近年急速に中国と接近して、中国の水力開発の援助をうけている。ただ仕事をしないロシアや中国は、豊富な資源を狙い接近した。中国は、狂惨化をも企んでいるようだ。4月には北朝鮮とも国交を回復。昨年から核技術研究所を設け、ロシアに留学生を送っている。 

 アウンサンスーチーは、2007年10月現在も自宅に軟禁されており、国連安全保障理事会は同国の人権改善を求める採択を実施、捏造国家中国とロシアは、国連が扱うべき『国際の平和と安全にたいする脅威』に該当せずとして拒否権を行使、否決。

 ミャンマーはビルマに帰り、オッタマとアウン・サンに回帰せよ。捏造国家は崩壊するのが世の習いだ。日本人映像ジャーナリストの死が引き金となり、崩壊は近い。オッタマとアウン・サンの願ったビルマの真の独立はすぐそこだ。民主国家ビルマ建国は近い。まず日本、インド、タイの大東亜共栄圏の出番だ。

 今でも3月27日の国軍記念日になると、全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まって日本の「軍艦マーチ」から演奏し始め「歩兵の本領」「愛馬進軍歌」など昔の日本の歌を次々と演奏しているという。しかしビルマはいまだ独立せず、占領されたままだ。義のない「私」の国軍から「公」の国軍、ビルマ人のための「ビルマ独立義勇軍」(Burma Independence Army,)BIAへ、回帰せよ。

 今の国軍は似非国軍だ。私はBIAの「軍艦マーチ」「歩兵の本領」「愛馬進軍歌」を聞きたい。日本軍は「公」に殉じた軍だったのだ。

ビルマの独立と日本人 親日とバマー国軍の反乱 南機関(みなみきかん)


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/tb.php/52-20ab782a

フリーエリア
プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。