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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観2クワイ河に偽善の虹をかけた男たったひとりの捏造騙り偽りの戦後処理

2クワイ河に偽善の虹をかけた男たったひとりの捏造騙り偽りの戦後処理

護国の兵を貶め悲惨をつまみ食いし正義の使者を気取る偽善者

05年証言集会③日本軍憲兵隊通訳 永瀬隆さんのお話2005.12.10 アジアフォーラム横浜証言集会。(注・泰緬鉄道が開通する1ヵ月前、昭和18年9月に、タイのカンチャナブリ憲兵分隊に通訳兵として配属された。軍歴2年の通訳兵。倉敷市在・英語塾経営88歳2005.12.10)

「日本軍の一員としてお詫び申し上げます申し訳ありませんでした」

 マイクを持ち、自己紹介をされた後、すぐにアフマド(泰緬鉄道建設強制徴用労働被害者と称する人)さんとワン・ママット(ビルマ強制徴用労働被害者の息子と称する人)さんに深々と頭を下げ、謝罪した。たくさんの戦争被害者に会って、謝罪と償いをし、和解の道を模索してきた人は今でもなお、謝り続けている。

 「当時、現場にいたものとして、この方たちがどんな扱いを受けたかを60年たった今でも昨日のように思い出す。泰緬鉄道全般にわたり、あの惨劇の全貌を見ているのは私だけだろう。だから、話さなければならないと思う」と次のように話し始めた。

注・泰緬鉄道が開通する1ヵ月前の配属なので、事実を見たわけではない。捕虜の遺体探し通訳として立ち会ったことを言っているのだ。日本軍の埋葬が良かったため、わずか1ヶ月で220ケ所、1万3千人の遺体を発見した)

泰緬鉄道に30万人のロウムシャ

 インドネシアから4万5千人、マラヤから8万5千人、ビルマから18万人、合計約30万人が、ロウムシャとして、強制徴用された。さらに、鉄道隊として1万2千人、連合軍捕虜6万8千人が、泰緬鉄道建設のために送り込まれた。熱帯の山岳地帯の環境の悪いところでの重労働が悲劇を生まないわけが無い。

注・子孫を守るために、そんな悪環境でも先人は頑張ったのだ、開戦の理由も検証せず先人批判とは。戦争は悪、だから戦争をした日本人先人は悪人、短絡思考だ。合計約30万人がロウムシャとして強制徴用され、10万人が虐待され死んたと、兵役2年の泰緬鉄道が開通する1ヵ月前の配属の永瀬隆この人だけが誇大に話している

土まんじゅうの墓るいるいと

 1945年9月、連合軍命令により、バンコクの日本軍終戦処理司令部から、泰緬鉄道の地理に明るいという理由で白羽の矢が立ち、志望した連合軍捕虜の墓地捜索隊の通訳に駆り出された。鉄道沿線に散らばる東南アジア労務者たちの無数の犠牲者の土まんじゅうを横目に見ながら、文字通りジャングルの土の根を分け、朽ち果てた木の十字架を目印に、捕虜の遺体探しに1ヶ月間没頭した。

注・捕虜の墓は十字架と、区別していたことが判明する。敵国に配慮して埋葬している)

 捕虜の墓地数は220ケ所で、1万3千人の遺体を発見した。これらの遺体は、カンチャナブリーの2ヶ所の連合軍墓地に埋葬されている。

注・短期間の発見は、捕虜の墓は整理されて埋葬されていたことを物語っている

線路の路盤に埋められた遺体

 捕虜の墓地数は220ケ所で、1万3千人の遺体を発見した。これらの遺体は、カンチャナブリーの2ヶ所の連合軍墓地に埋葬されている。

 その周りには労務者たちの丸木一本だけ立てられた土まんじゅうの墓がるいるいとある。そのように葬られたのはまだいいほうで、クワイ河に投げ込まれたり、線路の路盤に土の代わりに埋め込まれた遺体もあった。

 開墾された畑地からは遺骨が現れていると聞いている。

(注・泰緬鉄道が開通する1ヵ月前の配属で、事実を見たわけではなく、戦後のプロパガンダを聞き信じているに過ぎない)

 『1976年、泰緬鉄道関係者の日本側と連合国側の有志がクワイ河で再会した。そのときに、連合国側の記者の一人から、「東南アジア各地から、労務者25万人以上をタイメンに強制連行しており、そのほとんどがまだ故国に帰還していないのではないか」と詰問された。 まったく、寝耳に水のショックであった。労務者たちは、かえるにパスポートをもたず、未だに泰緬鉄道の沿線で、掘っ立て小屋にうずくまっているのをわたしは知っている。私自身、他の泰緬関係者より実状はいちばん良く知っていると自負していただけに、その数はひどく応えた』(クワイ河捕虜収用所 現代教養文庫 社会思想社)より

(注・泰緬鉄道が開通すれば捕虜も労務者も不要なので捕虜はもとの収容所に戻され、労務者解雇が常識。開通1ヵ月前の配属で、終戦まで2年間この人は何を見ていたのか、軍歴を疑いたくなる)

証言者:アフマド・ハムザ73歳(当時10歳)さん(泰緬鉄道建設強制徴用労働被害者と称する人)

 アフマドさんは父親と一緒に働きました。大人は1ヶ月の給料が、2.5から3ドルでしたが、アフマドさんは1ドルでした。

 「父は病気になって亡くなりました。医者にも診てもらえませんでした。宿舎の近くに

埋葬しましたが、今ではどこかわかりません」。

 アフマドさんたちの宿舎は竹で作られ、屋根は草を葺いただけでした。

 「雨が良く降りました。すぐに雨漏りがしました。マラリア・赤痢・栄養失調で何人も亡くなりました。毒虫に刺されて亡くなった人もいます。

証言者:ワン・ママット・ビン・ガー(ビルマ強制徴用労働被害者の息子と称する人)さん 50歳。強制徴用労働者と遺族の会を率いる。

 父親のワン・ガーさんが強制徴用労働者。

 16歳だった父は、日用品を買いに店に行く途中で他の30人の人とともに突然日本軍に捕らえられ、トラックでケランタンに送られました。そして鉄道馬車で移送中多くが飢えと暑さで死んだが、埋葬されることもなく、車両からただ投げ捨てられるだけだったそうです。そして、3年6ヶ月働いたけど、給料をもらったのは最初の2ヶ月だけ。父は今では体も弱り、82歳になります。我々マレー人は泰緬鉄道建設の不払い賃金の支払いを日本政府に求めるための話し合いを始めました。

 ロウムシャはマレーシアやインドネシアから徴用されました。建設現場での死亡は連合軍捕虜1万2千人に対し、ロウムシャは10万人でした。そうした中から、マレー系ロウムシャとその遺族が今、沈黙を破って不払い賃金の支払いを求める動きを見せています。

 マレー系住民は日本軍の占領下での犠牲についてこれまで沈黙してきました。日本軍による分割統治の下、中国系住民との反目もありました。日本には、マレー半島での日本の加害は中国系住民が騒いでいるだけだと難癖をつけてきた一部の声がありましたが、戦後60年目の節目に、マレー系住民が、中国系住民とも情報交換をしつつ、沈黙を破ろうとしています。

(注・なんで戦後60年も経た今語るのだ。作為を感ずるのは私だけではないはずだ)

 両者の会合に参加された高嶋伸欣さんは、長年マレーシアに通ったが、非常に貴重な動きと述べられ、今回の来日実現にご尽力いただき、日本で初めてマレー系マレーシア人の証言者を迎えることが出来ました。

(注・高嶋伸欣が煽り、日当を支払い、招待したようだ)

戦争責任に関心のない日本歴史の真実を語り続ける大切さ琉球大学教授 高嶋伸欣

 アジアの国々では小泉首相や閣僚の靖国参拝は写真入で大きく取り上げられる。

謝罪する一方で靖国を参拝することは誠意が無いと受け取られている。「マレーシアの華人団体は日本の常任国入りに抗議する集会を開いた」と2005年4月25日の東京新聞のみが報じている。アジアの人々に今の日本の戦争責任に対する対応がをおかしいと思っている人たちが日本にもいるということを知ってもらうためにも、今日のこの集会は大切だと思う。

 昨年の23月8日の朝日の社説は「真珠湾攻撃から太平洋戦争は始まった」と書いていた。新聞社の論説委員に「真珠湾攻撃の1時間前にコタバルに日本軍は上陸していた。この戦争は東南アジアや中国を旧帝国主義国と新帝国主義国の覇権争いという戦争の輪郭をはっきりさせないといけないのではないか」と電話した。今年の社説は少し良くなっているのでやはり言い続けることが大切だと思った。言い続けることで歴史の認識を変えていけるのではないか。そのためにも、このアジアフォーラムのような小さな組織が毎年アジアの戦争被害者を招き、証言集会をすることは大切だ。

(注・宗主国に攻められて、自衛のためアジア解放に立ち上がった日本に、戦争責任などあるはずが無い。鵜呑みし嘘を撒き散らす職責も果たさない鵜人だ)

呼びかけ人(注・無検証で鵜呑みし、捏造を撒き散らす、捏造でも成り立つ非製造業者。非現実論の非製造業者仮想現実界「通訳、作家、教授、先生、マスコミ」は職責も果たさず嘘でも成り立つ職業なのだ。私も騙されていた。鵜呑み危険)

石田甚太郎(作家)、笠原十九司(都留文科大学)、信太正道(厭戦庶民の会)

高嶋伸欣(琉球大学教授・高嶋教科書訴訟原告)

高良真木(日中友好神奈川県婦人連絡会)、俵義文(教科書ネット21)

西野瑠美子(ルポライター VAWW-NETジャパン)、林博史(関東学院大学)

前田朗(東京造形大学)川田龍平(松本大学)2005.10.25現在 
12.8を忘れない アジア・フォーラム横浜 第12回証言集会 

『運命の旅路~元通訳兵の戦後~』(岡山放送)◆放送日時2006年8月20日(日)深夜2時55分~3時50分放送第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品

 ・・・岡山県倉敷市に住む永瀬隆さん(88歳)は、今、この泰緬鉄道の世界遺産登録を求める活動を行っている。日本にとってはいわば「負の遺産」といえる鉄道を、なぜ世界遺産登録しようとするのか…。

 大正7年生まれの永瀬さんは、青山学院大学英語科に在学中、旧日本陸軍に志願。昭和18年9月に、タイのカンチャナブリ憲兵分隊に通訳兵として配属された。その時は泰緬鉄道が開通する1ヵ月前。すでに1万人もの捕虜は遺体となって埋葬されていた。戦争と泰緬鉄道の真実を永瀬さんが知ることになるのは終戦直後のあることがきっかけだった。

 防衛庁防衛研究所の資料を見ると、泰緬鉄道建設に従事した連合軍捕虜は6万1800人。そのうち7割が病に倒れ、1万2000人以上が死亡したと言われている。病気で多いのはマラリアと熱帯性の潰瘍。

 ・・・永瀬さんの人生を大きく変えたのは終戦後の運命的な3週間だった。泰緬鉄道沿いに転々と埋められていた連合軍捕虜の遺体発掘調査を連合軍から依頼された永瀬さんは、朝から晩まで作業を続け、連合軍将兵と一緒に、220カ所の埋葬場所を探り当てて遺体を掘り返した。永瀬さんは捕虜の遺体がそれぞれ一斗缶を抱いているのに気付く。その中のメモには当時の日本軍の隊長、捕虜係の名前とともに死因が詳しく書かれていた。それを元に、捕虜に対して残虐行為を行った旧日本軍将兵は戦後の戦犯裁判で次々に裁かれていったのだ。戦争時の捕虜虐待を禁じたジュネーブ国際協定が交わされたのは、太平洋戦争が始まる12年前。しかし、日本政府はこの協定を「準用する」という曖昧な立場をとり、日本兵に協定の存在を教育することもほとんどなかった。

 日本軍に対する失望。何も信じられなくなっていた永瀬さんに、一筋の光が差したのは終戦から1年ほど経った頃だった。永瀬さんに法律論・責任論を超えたひとつの信念が芽生えたのだ。永瀬さんは私財を投げ打ってカンチャナブリに小さなお寺を建立。これまで120回以上タイを訪れ、異国の地に散った捕虜たちの霊を慰めている。永瀬さんの発言や行動に不快感を抱く元日本兵や日本人も少なくないが、ひとりの日本人として亡くなった人たちに謝罪したいと永瀬さんは言う。

 その人生が、まさに泰緬鉄道に導かれてきた旅路であるといえる永瀬さんも今年88歳。泰緬鉄道の世界遺産登録を、歴史を語り継ぐ活動の集大成と位置付けているのである。永瀬さんの姿を通し、戦争の悲惨さだけでなく、歴史を正しく伝える大切さを描いていく。

(注・戦争は悪、だから戦争をした日本の先人は悪人、短絡思考で永瀬 隆が、私利私欲偽善で謝れば謝るほどに先人が、日本が、貶められていることに気付いていない、木だけを見る私利私欲の偽善者だ。先の大戦を検証もせず護国の兵を極悪軍人と決めつけ、不可抗力の疫病死を虐待死であるかの様な報道をする報道者も同罪だ。互いに残酷なのが戦争だ。日本人だけが残酷なのではない)

暮らし・元陸軍憲兵隊通訳・永瀬隆さんの夏
 横浜市保土ヶ谷区にある英連邦戦死者墓地で2006年8月5日の午前営まれた戦没捕虜の追悼礼拝での元陸軍憲兵隊通訳・永瀬隆の挨拶。

 「わたしは終戦直後、泰緬(たいめん)鉄道の沿線の捕虜の墓地の調査隊の通訳をやりまして、3週間、朝から晩まで捕虜のご遺体を拝見しまして、いかに日本人が残酷になれるかということを身を沁みて感じました。そのことを知っているのはこの私ひとりだけです(注・偽善者誇示)

 ・・・「わたしたちは本当になんとも申し訳ないことをいたしましたので(母校の)青山学院の関係者が集まりましてこういうこと(追悼礼拝)を始めましたが、歴史の続く限り、日本国の続く限り、学校の続く限り続けていきたいと思います。みなさまごいっしょにここに眠る1800余りの人のご冥福をずっと祈っていただきますように今後のご協力をお願いいたします」

(注・追悼礼拝は立派なことである。しかしそのために日本人を冒涜し己の名誉欲(私利私欲)を成すとは、語るに落ちている。永瀬隆は、不可抗力の病死を、虐待死と捏造しているのだ。互いに残酷なのが戦争だ。日本人だけが残酷なのではない。永瀬隆は、ここが欠落している。5万人~29万人の犠牲者を出し、工期短縮など現実論の製造業史観では絶無。非現実論の非製造業者「通訳、作家、教授、先生、マスコミ」は職責も果たさず嘘でも成り立つ職業なのだ。私も騙されていた。鵜呑みせず検証しよう)

 開国以来10から20倍以上の超大国と、資源の無い小国日本は対峙し、弱肉強食の時代(話し合いではなく、武力で物事を解決する時代)を軍国の衣をまとい皇民化し一丸となり、不可避の戦いを戦い護国し、国づくりに励み、今の日本がある。禍の無い物づくりなど絶無。護国し国づくりの過程の禍を、己の名誉欲を満たすため、針小棒大に拡大し、あらんかぎりの罵倒をする、子孫と名乗る輩がいる。物事には必ず禍福があるのだ。偽善者の典型、こんな輩は子孫ではない。

 

東京裁判判決から43年後の平成3(1991)年秋NHKスペシャル番組での日本人通訳の証言

 「日本人として同じ日本人である戦犯に、被告を死刑に処するなんていう酷な通訳が出来ますか!判決文の通訳だけは、日系のアメリカ人に代わってくれと言ったんです」

 「デス・バイ・ハンキング」の通訳を断ったという日本人通訳43年後の証言。当時も現代と同様の戦犯バッシングの最中で、なんと、犯日工作員の巣窟NHKでだ。当時の日本人の心根と、気概を語って余りある。元陸軍憲兵隊通訳歴2年・偽善者永瀬隆と、なんと対比が際立つことか。

 

【産経抄】の温まる話

 泰緬鉄道は日本軍が英蘭捕虜を酷使したと戦後プロパガンダされ、「死の鉄道」といわれた。ところが、ビクロムさんの母(当時17歳)は、日本兵が本当はやさしい人々であったと息子に話していた。一念が岩をも通すというのは本当だった。4カ月前の小欄で、戦時中の泰緬鉄道に関係した日本兵を探すタイ人の著名ビジネスマン、ビクロム・クロマディットさん(53)のことだ。そのビクロムさんが、鉄道第9連隊第6中隊で、彼の母親を知る大塚高二さん(91)と対面したのだ。2006年12月7日 【産経抄】

 

カンチャナブリの戦争記念館前にはこう書かれている

Forgive But Not Forget 

以前→日本鉄道隊を許そう でも 忘れない

 以後→宗主国を許そう でも 忘れない

 

防衛庁防衛研究所の資料 『カンチャナブリ戦争博物館』の資料より 「ある戦犯の手記」(樽本重治著 現代資料出版 3200円+税) 鉄道第九連隊資料 泰緬鉄道建設体験記 『運命の旅路~元通訳兵の戦後~』


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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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