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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観ニセ両班9割の韓国と酷似「オランダ領東インドの聾」のオランダ人

ニセ両班9割の韓国と酷似「オランダ領東インドの」のオランダ人

2014.11.27 05:10 産経ニュース抜粋は真実史観の感想
米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに
 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。
 「米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた(文末リンク)。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。※米国聖戦論者が公開妨害か?
 調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。極端に少ない日本の戦争犯罪!
 報告の序文でIWG委員長代行スティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。※米国聖戦論者の本音!
 報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。 慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた。※当時の常識!

 ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。

【ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)】 クリントン政権時代に成立した「1998年ナチス戦争犯罪開示法」と「2000年日本帝国政府開示法」に基づき、第2次大戦での日独両国の戦争犯罪の情報開示を徹底させる目的で00年に始まった調査。国防総省、国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などに未公開の公式文書を点検し戦争犯罪に関する資料の公開を指示した。

 ケント・ギルバート氏マイケル・ヨン氏の記事を和訳
 
日韓問題:第二次世界大戦中、韓国男性が臆病者だったとでも言うつもりか?

 マイケル・ヨン氏「今までほとんど誰も存在すら知らなかったIWGの報告書を読んで欲しい。もし全部を読む時間が無いようなら、報告書の中で慰安婦(Comfort Women)を検索して、その部分だけでも注意深く読んで欲しい」
かっての敵国アメリカが8年30億円かけて日本先人の潔白を証明した「最終!」検証報告書
Nazi War Crimes & Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group
Final Report to the United States Congress April 2007
http://www.archives.gov/iwg/reports/final-report-2007.pdf

日本軍公娼(BC級や1994年裁判)告訴人では無い自称日本軍公娼慰安婦騙り屋ジャン・ラフ・オハーン!私娼か?
 Jan Ruff-O’Herne(1923年~)はオーストラリアの元慰安婦ではない。オーストラリアに移住したオランダの慰安婦証言者でオランダ人。
 詳細は下記
朝鮮族“洋公主”騙
オランダ物乞い無


1923年ジャンは、父(オランダ帰化のフランス人が父、オランダ人とインドネシア人の混血が母)と、オランダ人の母(オランダで技師勉強中の父と、母は出会い、結婚)の3番目の子(兄エドワール略してワルドは、後にオランダ陸軍の将官。姉アリーヌ)として、当時の゙オランダ領東インド゙(現インドネシア、ジャワ島)に生まれた。8年後に妹のジョゼフィーヌ、最後に末子の妹セレストが生まれた。

 父は製糖農園(チュピーリン製糖プランテーション)の従業員、母は製糖農園社交場の図書室や売店の管理人。家族のほかに5人のインドネシア人の同居人(召使)、料理人(イマ)、メイド(スミは寡婦)、ハウスボーイ(イマの息子のチャ)、シボレーの運転手(アーマド)、庭師(サルディ)。ジャンらは製糖農園に住んで、そこからスクールバスで一時間、大都市スマランの、カトリック修道院フランシスコ会経営の学校に通った。

2009/02/23
ピーター·トンプソンとの対話より

 私はトム(夫)と、14年間イギリスに住んでいました(37歳まで)。 ――私たちはバーミンガムの郊外に住み、とても幸せでした。 

 その後、私たちは新聞のこれらの広告を見ました。 それで、私たちは、現在、10ポンドのPOM(ヨーロッパからの白人移民)と言うことになりました。これは1960年(37歳)だった、私たちはオーストラリアに来て後悔したことがありません。

 

1975年52歳)に、私たちの人生は、ちょうど逆さまになってしまった。トムは交通信号で道を渡っていて、はねられました。私が病院に着いたとき、彼は昏睡状態で、そこに横たわっていました。至る所に行っているチューブは、彼が高度の脳障害であると私に語った。――

※オーストラリア移民15年で、夫は高度の脳障害となり、子供は女二人の女三人で、寝たきりの病人をかかえての身寄り無き移民の地での生活は、悲惨を極めたであろう事は、常識として推察出来る。

 トムは、彼が事故にあってから20年後の、1995年(ジャン72歳の時)に死亡しました。

 私が1992年に意見を述べるまで、トムは私の秘密を知っていたただ一人の人でした。

※夫に話すものだろうか?

 

1992年12月9日東京での日本の戦後保障に関する国際公聴会(日弁連後援)」で、強制連行で慰安婦にされたとの証言が初出。

 

 スマラン(白馬)事件は詳細のように、強制連行は一部軍人の暴走で、軍不関与(発覚後直ちに閉鎖)の証と成った。詳細は⇒慰安婦決議撤廃と

 ジャン証言は、条約破り(二度の条約締結済み)法破り(日本軍処罰と戦犯として断罪済み)と化けの皮が剥がれた現在では、無理押しゴリ押しおねだり催促騙り屋ジャン、となった。

 意図有り(隠すプロパガンダ)報道で韓国は、白人オーストラリアを強調している。

 

2014年03月13日 日本新華夏株式会社 中国の業種別レポート 経済情報配信

オーストラリアの元慰安婦、日本政府をバッシング、言論が醜いと指摘

 オーストラリア・フェアファックスの傘下にある「シドニー・モーニング・ヘラルド」や「ジ・エイジ」などの新聞は25日に元慰安婦、Jan Ruff-O’Herneさんに対するインタビューを掲載した。今年91歳のJan Ruff-O’Herneさんは日本政府がこのほど、慰安婦の強制連行を否認した言論に不満を示し、それは醜いと指摘した。北京日報が伝えた。

 

 Jan Ruff-O’Herneさんによると、慰安婦の強制連行を認めないのは醜い行為である。なぜなら、それを経験した人が多いからだ。日本首脳は日本が歴史的に戦争の罪を犯したことを自覚しなければならない。

 

 第2次世界大戦の期間中、若いJan Ruff-O’Herneさんとオランダ人の両親は日本軍にインドネシア・ジャバに拘束され、日本軍のレイプや殴打を受け、その後、慰安婦として強制連行された。Jan Ruff-O’Herneさんは1960年代にオーストラリアに移民したが、心に屈辱の歴史を50年間隠し、家族にもそれを隠した。慰安婦として強制連行された韓国人女性が日本政府に謝罪を公的に求めた1990年代の初期になって初めて、彼女はそれを応援するため、この秘密を明かした。

 

 Jan Ruff-O’Herneさんによると、韓国人女性の行動はまだ、注目を受けるわけではない。なぜなら、彼らはアジア人であるからだ。ヨーロッパ人女性が同じ遭遇を口にすると、西側世界はそれに注目し始める。(翻訳 李継東)

 

2014/03/14 

「私は絶対死なない、安倍首相が謝罪する日までは」

豪の慰安婦像設置に立ち上がったオハーンさん

白人元慰安婦唯一の生存者

日本政府の恥知らずな行動に憤慨、韓国系主導のシドニー慰安婦像モデル

「助けてくれ」哀願も軍医まで強姦、「私たちは慰安婦でない、性奴隷だった」

 

 元慰安婦が存在するのは韓国や中国などの東アジアだけではない。11日、オーストラリア南部のアデレードで会ったジャン・ラフ・オハーン(Jan Ruff O’Herne)さん(91)も日本の蛮行の犠牲になった。オランダ系オーストラリア人のオハーンさんは慰安婦だったと正式に名乗り出た唯一の白人元慰安婦生存者だ。

 

 オハーンさんは90歳を過ぎて気力がかなり衰えている。片目は失明状態だ。しかし同日、慰安婦像の設置を主導する「在オーストラリア韓人会」の人々に自ら恐怖の体験を打ち明けた時だけははっきりした口調だった。

 

 オランダ領東インド(現インドネシア)に暮らしていたオハーンさんの子どものころの夢は修道女になることだった。オハーンさんが修道女会で生活していた1942年、日本がインドネシアを侵略し、全てのオランダ人を収容所に収容した。「44年の初めだった。17歳以上の若い女性たちは引っ張り出され、整列させられた。すると、上から下までじろじろ見られた」。オランダ人女性約250人がトラックに乗せられ、連行されたのは日本軍の慰安所だった。

 

 慰安所に着くと、オハーンさんは日本軍将校に日本刀で脅されながら無残にも強姦(ごうかん)された。毎日昼も夜もおぞましい行為が繰り返された。性病検査をしに来た日本人医師に「私たちは強制的に連行されてきた。上部に知らせてほしい」と哀願したが、その医師にも強姦された。

 

 そう言うと、オハーンさんはしばらく言葉を詰まらせた。そして「慰安婦(comfort woman)という表現は日本の強制性を和らげる表現だ。私たちは日本軍の性奴隷(sexual slave)だった」と言った。

 

 日本軍は女性たちを収容所に送り、慰安所で経験したことを口外したら死ぬだろうと脅迫した。戦後はイギリス人兵士と結婚、60年にオーストラリアに移住した。恥ずかしさのあまり、当時の記憶を完全に封印していた。

 

 だが、50年余りがたった92年、オハーンさんはオーストラリアの放送局のニュースで韓国人元慰安婦たちの叫びを聞いた。「何も答えない日本大使館の前で堂々と謝罪を要求する韓国人元慰安婦たちを見て勇気をもらった。同じ歴史が繰り返されないよう立ち上がらなければならないと決心した」

 

 白人慰安婦が存在したという事実は、西欧社会に大きな衝撃を与えた。この証言を基に94年、映画『50年の沈黙』が制作された。オハーンさんは2007年、米下院の慰安婦公聴会で証言した。

 

 オハーンさんは謝罪どころか慰安婦の存在さえ否定する最近の日本政府の態度を見て、慰安婦像設置に協力することを決心した。オーストラリア在住の韓国系・中国系団体が先月、慰安婦像の設置を決めた。慰安婦像が設置された米国の小都市グレンデールとは違い、シドニーは人口500万人というオーストラリア第1の都市だ。シドニー・ストラスフィールド市のオク・サンドゥ副市長は「日本の度重なる歴史歪曲(わいきょく)に対抗し、オーストラリアの与党・自由党女性委員会も慰安婦像設置を支援する意向を明らかにした」と語った。シドニーの慰安婦像は韓国人、中国人、そして白人の少女が手を取り合う形で設置される予定だ。白人の少女のモデルはオハーンさん。ソン・ソクチュン在オーストラリア韓人会会長は「慰安婦が韓日問題ではなく、女性に対する反人倫的な戦争犯罪であることを世界に知らしめる像になるだろう。日本がどのような妨害をしてきても必ず設置する」と語った。

 オハーンさんは次々と天に召されていく韓国人元慰安婦たちに哀悼の意を表した。「日本は、その蛮行を証言する私たちがみんな死ぬのを待っているのだろう。反省しない日本政府は絶対に許せない。私は決して死なない。安倍首相から謝罪を受ける日までは」

 

アデレード(オーストラリア)=キム・チュンリョン特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

※「存在さえ否定」は捏造。唯一のスマラン事件は、最高刑が死刑で、断罪されている。断罪済みを隠蔽する目的で、スマラン事件以外の事件であるかのように装っている。意図有りは捏造の証拠である。捏造碑として歴史に残るであろう

 

日本軍公娼(BC級や1994年裁判)告訴人では無い自称日本軍公娼慰安婦騙り屋ジャン・ラフ・オハーンと韓国の懲りない嘘の上塗り
2014/07/27 ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) google翻訳補筆
「慰安婦で感じた痛みを忘れることができない、法王がよく察してくれると信じている」 

オーストラリア人の慰安婦被害オーヘレンおばあちゃん

健康のせいで韓国に来ることが出来ない

メッセージ伝えて

「安倍は犯罪者...真の謝罪を」

 「全世界が周知の厳然とした歴史的事実を、あえてどのように否定することができるのでしょう。(日本政府の行動を)到底信じることができません。日本の安倍晋三首相は犯罪者であり、真の謝罪と賠償を要求します」。

 オーストラリア人の慰安婦被害者ヤン·ループオーヘレン(91·写真)おばあちゃんは、26日(現地時間)アデレード自宅で、韓国への招待のために訪問したキムポンヒョン州オーストラリアの韓国大使一行に、慰安婦強制動員の事実を否定する安倍政権の行動への強い怒りを、表わにした。

 彼女は、来月韓国を訪問するフランシスコ教皇に伝えてくれと言って、「日本軍が私にした行為は許したが、決して忘れることはないだろう」との内容の、直筆のメッセージを金大使に伝達した。フランシスコ教皇と慰安婦被害者おばあさんたちの議論を推進しながら、彼女のソウル訪問を提案した韓国政府の招待に応じない代わりに、自分の意思を文書に託したのである。
 
 

 カトリック信者である彼女は、「私も法王を見てみたいが、健康があまり良くなく、長距離の旅行が難しい。10時間以上飛行機に乗ると完全にくたくたしてしまう。年齢が九十を超え、左足もあまり良くない。医師の助言もあって.... 残念ながら、韓国に行くのは難しいようだ」と話した。
 

 彼女が教皇に伝えたいメッセージは何か。
 

 「日本の野蛮な行為に耐えなければならなかった慰安婦の女性たちの多大な苦痛を、法王が、詳しく推量してくださることを信じる。イエスがそうだったように私も彼ら(日本)を許すことができましたし、許しだけが唯一の癒しの道だった。しかし、決して忘れることはないだろう」。そして彼女は、「慰安婦として連行され、最初にされた時の痛みを今も感じることができる」との証言を続けた。

 

 「その世代がすべてそうだったが、慰安婦として連行された多くの女性も性についてはほとんど無知な状態だった。性奴隷生活中に、その都度何度も抵抗したが、彼らは衣服を裂き、足で踏みつけながら私を劫奪(こうだつ・おびやかして無理に奪う)した。後で振り返ってみると、彼らはむしろそのようなことを楽しんでいたようだ。一度性病検査をしに来た日本人医師に上層部へ伝えてくれと哀願したが、その医師にもレイプされた。その後医師を嫌いになった。また、日本軍が慰安婦の女性に花の名前を付けて呼んだので、しばらく花のギフトを受け取ることを恐れたりした。今は大丈夫だが... "

 オーヘレンおばあちゃんは、河野談話を修正しようとの日本に対し、「安倍首相は犯罪者だ。真の謝罪と賠償をしなければならない。日本が歴史を隠蔽しようとしているので、私は声を出すだろう。将来的には、このような悲劇が繰り返されないようにするには、日本の歴史教科書にも慰安婦関連の事実が記載されなければならない。私達の子供と孫にもそのような歴史を学ばなければならない」と指摘した。 聯合ニュース

オランダ帰化人を隠蔽し、名前もヤン·ループオーヘレンと改竄し、オーストラリア人の慰安婦被害オーヘレンおばあちゃん強調は、オーストラリアをも「慰安婦捏造」に巻き込もうとする朝鮮人の狡猾な意図、丸見えである!

 「日本」の事件を「日本」に摩り替え、「国策」と捏造し、「真実究明の安倍首相を犯罪者」とののしっている。スマラン事件ではない様に装っているが、日本軍と戦勝国とで二度も裁かれた断罪済み事件である。この自称慰安婦は、BC級や1994年裁判の告訴人では無い!

 フランシスコ教皇との対面を韓国は画策したが、ジャン・ラフ・オハーン(Jan Ruff O’Herne)=ヤン·ループオーヘレン表向きは健康を理由に断った。法王と対面しての「嘘の上塗り」は、さすがに、「はばかり」を覚えたのであろう!法王と対面すれば、「汝嘘をつく事なかれ汝の敵を愛せよ!」となるは明白で、子供でも推察できる! 

人類史上皆無の!「嘘つき民族」朝鮮人!おぞましき人面獣心賊!

フランシスコ法王を政治利用(冒涜)する韓国と「日本軍公娼」自称の朝鮮人!

2014年08月07日 ソース:東亜日報(韓国語) google翻訳補筆

慰安婦イ・ヨンスさん"法王が日本に謝罪要求したら"

 

 「教皇が直接慰安婦の問題を言及する場合、大きな影響を与えることができるのに...」

 来る18日、ソウル明洞(ミョンドン)聖堂でフランシスコ法王が家に伝える「平和と和解のためのミサ」に、日本軍慰安婦被害者のイ·ヨンス(86)おばあちゃんが参加する。このおばあちゃんは、大邱地域の慰安婦被害者5人のうち唯一のカトリック信者だ。

 7日午前、大邱、日本軍慰安婦歴史館建立現場で会ったおばあちゃんは、「全く考えもしなかったが、女性部を介して招待された」とし、「カトリック信者として教皇に会うことができることに、とても感謝している」と言った。

 続いて、「教皇の慰安婦問題に対する日本の謝罪を要求する場合、大きな影響を与える可能性がある」とし、「全世界の人たちが慰安婦問題について知ることだけでも、大きな成果だと思う」と強調した。

 また「教皇に会えばどんな言葉を持ち出すか悩み"としながら"個人的な意見を提供することよりも、京畿道広州の「ナヌムの家」の他の慰安婦被害者おばあさん ​​たちと一緒に相談して決定する計画だ」と付け加えた。

 1928年大邱で生まれたイ·ヨンスさんは、17歳で台湾の慰安所に連行され、性奴隷生活を強要され、解放後、帰国した。

 25年前、大邱シンアム大聖堂で洗礼を受け。現在は浦項竹島大聖堂に籍を置いている。

 このおばあちゃんは、毎週水曜日にソウルの日本大使館前で開かれる水曜集会に参加し、外交通商部の前で対日交渉を促す1人デモをするなど、国内外に慰安婦問題を知らせるために、旺盛な活動をしている。

 このおばあちゃんは、「生きているときに、日本が謝罪する姿を見たい」と「罪憎くても人は憎まない。対話を通じて問題が解決した場合、不仲の理由が、なくなりはしないか」と話した。市民団体主導で建設されている大日本軍慰安婦歴史館には、「若い世代が過去を忘れずに参加してくれる嬉しい」とし、「慰安婦の記録と証拠を収集していくために大きな力になるだろう」と明らかにした。

 

 一方、来る13日と14日の二日間、従軍慰安婦お婆さんと市民の会の主催で、「世界の日本軍慰安婦キリム日共同行動」のイベントが、大邱東城路野外ステージで用意されている。またキリム日当日の14日には、東城路一帯で同じ団体の主催で、日本軍慰安婦問題解決のための「第5回平和と人権のための大邱市民ウォーキング大会」が開かれる。【大邱=ニューシス】

 

※「1928年大邱で生まれ、17歳(1945年で台湾の慰安所に連行」は、終戦(1945年8月15日)の年に連行である。

 1945年3月硫黄島戦敗北、同年6月沖縄戦(1945年4月~6月23日)敗北。マッカーサー証言(1951年5月3日)「・・・米海軍がフィリピンと沖縄を奪う頃には、海上封鎖も可能となった。そのために、日本陸軍を維持する供給は、次第に届かなくなった。封鎖したとたん、日本の敗北は決定的となった」

 制空権制海権を失った終戦の年に、沖縄を越えて台湾の慰安所に、「慰安婦を連行する危険」を冒す理由など、当時の日本軍にあっただろうか?常識の範疇であろう!「息するごとくに嘘を吐く」のが、朝鮮人

 朝鮮人の証拠なき証言は、すべてが、偽証である!

 

台湾私娼売春婦の便乗成済まし日本軍公娼騙り騙らせ屋団体

凶産の犬馬英九外省人(支那大陸出自)の謀略。日台(台湾出自内省人)離間作戦。

 

2013/07/07 フォーカス台湾 92歳の台湾女性、日本で講演「慰安婦の歴史忘れないでほしい」

 (東京 7日 中央社)今年92歳になる台湾人元「従軍慰安婦」の鄭陳桃さんは日本の人々に過去の歴史を忘れないでほしい、戦時中の慰安婦の存在を二度と否定しないでほしいとはるばる日本に赴き人々に訴えかけた。

  今月6日から東京都新宿区の「戦争と平和女性博物館」で台湾慰安婦についての特別展が日本の団体と台湾のNPO、婦女救援基金会によって共催されるが、鄭陳さんはその高齢にもかかわらず、歴史の生き証人として名乗りを挙げ、同日午後都内で行われたオープニング・シンポジウムに出席、自身の悲しい過去について涙ながらに語った。

 

  この特別展は「台湾人『慰安婦』の証言日本人にされた阿媽たち」と題されるもの。「阿媽」、台湾語の「阿[女へんに麼]」(アマー)は「おばあちゃん」の意。シンポジウムの会場には大学生など若者を含む日本人が100人以上集まり、まず先日亡くなった台湾人元慰安婦の冥福を祈って1分間の黙祷が行われた。

 

  鄭陳さんは壇上に立つと日本語で自己紹介、当時、高校への通学途中、突然警察官にジープに乗るよう強要され、その後海外に連れて行かれたと語り始めたが、何度ものどをつまらせ泣き出し、話を続けることができなくなってしまった

 

 19歳でインドの「慰安所」に送られた鄭陳さんはその後生きた心地のしない悲しい5年間を送る。自殺をはかり流産し、終戦後ようやく台湾に戻った時にはすでに妊娠できる体ではなかった。一生消えることのない心と体の傷を抱えながら鄭陳さんは、当時の被害者が今まだここにいる、歴史の否定や抹消は許されないのだということを日本の当局に知らせたいと今回の日本行きを自ら希望したという。

 

  この20年来おばあさんたちに寄り添ってきた婦女基金会幹部の康淑華さんはシンポジウムの席上、アマーが自分について語るのは大変勇気の要ることで、日本側が不当な言論でアマーたちを苦しめ傷つけ、歴史の教科書では戦時中の慰安婦制度についての記述をなくして日本の若い世代に事実を知らせず過去の記憶を消そうとしていると指摘、人々の無関心に憂慮を示した。

  同基金会ではアマーたちのドキュメンタリーを今年9月に公開することにしている。

 

【 写真 】 自身の悲しい歴史を語り、日本は過去に向き合ってほしいと訴える元従軍慰安婦の鄭陳桃さん

 

(楊明珠、陳至中/編集:谷口一康)

 

※ジープは、戦後の米軍の車なので、戦後の話。19歳でインドの『慰安所』に送られた鄭陳さんはその後生きた心地のしない悲しい5年間を送る」とあるが、1945年終戦。1940年「19歳でインド」となるが、開戦は1941年12月8日。日本軍インド進出は以後なので、無関係。インドの売春宿に売られた、が、真相であろう。

 「何度ものどをつまらせ泣き出し、話を続けることができなくなってしまった」は、日本軍と嘘を付くことが、つらかったのであろう。

 

洋公主私娼の証言を「日本軍公娼」に捏造する同族被害者報道

 2014年86歳なら、1942年は14歳で18歳ではない!「日本軍公娼」募集は、17~18歳以上。年齢詐称なら自発である。

 あいも変わらず、いい加減な記事である。

 

 2014/03/25 ブルームバーグ

右足に残る癒せぬ傷、「安倍首相に見せたい」-元従軍慰安婦

 

 3月25日(ブルームバーグ):戦時中に日本の従軍慰安婦をさせられたイ・オクソンさん(86)は、ズボンの裾をめくり上げて傷跡を見せた。日本の安倍晋三首相は韓国へ来てこの傷を見るべきだと、イさんは話す。

 「彼らが私にしたことを今でもはっきりと覚えている」とイさんは言う。日本軍の慰安所から脱走に失敗し、憲兵に右足を切りつけられた時の傷跡だ。

 ソウル近郊の保護施設ではイさんを含む数人の元慰安婦が暮らしている。1942年、18歳だったイさんは南東部の蔚山(ウルサン)で拉致されたという。「レイプに抵抗すれば殴られた。どうすることもできなかった。今自分の傷を見ると、よくあの年月を生き延びられたとあらためて痛感する」と語った。

 国連の調査によれば、イさんと同じ苦しみを味わされた女性はアジアで20万人を超える。従軍慰安婦の問題は日米韓の関係をぎくしゃくさせている最大の要因の一つだ。韓国の朴槿恵大統領はこれまで安倍首相との会談を拒んできたが、安倍首相は今月14日国会で、従軍慰安婦について旧日本軍の関与を認めた1993年の河野洋平官房長官(当時)の「談話」を含め、これまでの政府の姿勢を尊重すると表明。25日にオランダのハーグでオバマ米大統領との3者会談が実現することになった。

 日本政府は慰安婦問題について、65年の日韓国交正常化の際に結んだ請求権協定で解決済みであり、賠償請求は認められないとの立場だ。

国連報告書

 国連人権小委員会のゲイ・マクドゥガル氏は98年の報告書で、32-45年の間に20万人以上の女性が性的行為を強制されたと指摘。関東学院大学の林博史教授によれば、最も多い時期には400もの慰安施設があり韓国、中国、インド、フィリピン、オランダの女性が働かされていた。

 一方、安倍首相の率いる自由民主党の中には戦時中の日本の行為について責任を否定する一派がある。政府は先月、主に元慰安婦の証言を基に作成された河野談話の作成経緯を検証する計画を発表した。

 ソウルの保護施設で暮らすもう1人の元慰安婦、パク・オクソンさん(89)は「何十年も苦しんだ挙句になぜ嘘つき呼ばわりされなければならないのか」と涙を浮かべた。パクさんにも慰安所の管理人らに蹴られてできた傷があるという。「どうしたら信じてくれるのか。どうしろと言うのか」とパクさんは椅子をたたいて抗議した。

原題:Wartime Sex Slaves Ask Abe to See Scars to Prove Japan’sAbuse(抜粋)

記事に関する記者への問い合わせ先:ソウル Sam Kim skim609@bloomberg.net

記事についてのエディターへの問い合わせ先:Rosalind Mathieson rmathieson3@bloomberg.netAndrew Davis

更新日時: 2014/03/25 08:57 JST 

慰安婦非難決議国フィリピン最高裁再却下
2014年8月12日
元慰安婦の訴え再び却下
【マニラ共同】フィリピン最高裁は12日、旧日本軍の従軍慰安婦だった女性らが、日本政府への謝罪要求を支持するようフィリピン政府に求めていた裁判で、原告らの訴えを却下した。
 最高裁は2010年5月の判決で既に訴えを退けていたが、11年に韓国の憲法裁判所が元慰安婦の賠償請求について政府が措置を講じなかったのは違憲と判断したことを受け、原告側が判決見直しを要求していた。原告らの訴えが再び退けられたことで、今回の裁判は幕引きとなった。
 原告側の代理人は「残念だ。フィリピンは戦時に強姦を認めるような国になってしまう」と、最高裁の判断を批判した。


黄禍論者が仕掛けたクマラスワミとマクドゥーガル報告書のソースは韓国捏造犯日資料証拠無き証言!

 マクドゥーガル(有色人)報告書(2000年8月最終報告)はクマラスワミ(有色人)報告書(20万人以上の女性を強制連行は証拠皆無の推論)をベースにし、「レイプセンター(強姦所)」と呼称、慰安婦は11~20歳、生き延びたのは25%(「朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいるは、証拠皆無の朝鮮人発言)等々捏造や妄想をさらに拡大している。報告書はクマラスワミ同様勧告だが、国連決議は「歓迎」で「勧告」ではない。

 主文は当時進行中(2000年)の旧ユーゴスラビアでの戦争とルワンダ虐殺で、主文の附属文書として55年以上昔の(1945年以前)の日本の慰安婦について取り上げているので、国連決議「歓迎」=「日本への勧告」とは成らない。がしかし、錯覚することは間違いない。現に、「日本叩き族」は、国連勧告決議(条約破り断定宣伝している!

 両報告書とも主文「現代」に対しての過去(55年以上前)の「附属文書(主文補足用)」。両者ともに「有色人起用」は、主文に紛れ込ました錯覚目的の洗脳が明白に感じられ、「附属文書(主文補足用)」なのに「主文扱い」は、黄禍論者「日本叩きの作為」を、明明白白に物語っている!

 黄禍論者が仕掛けたこの、「日本叩きが目的」の捏造両報告書が、慰安婦決議や、碑や像の設置や、米国歴史教科書等のソースである。

 中朝韓の犯日捏造洗脳教育(日本統治以前の無残な歴史の韓半島と、日本撤退以後の中朝韓同族大虐殺隠蔽目的)がネットの普及で一気に暴かれ、内乱の恐怖におののき便乗したのが朝鮮族と凶産支那族。

 「慰安婦等の日本叩き」は、白人黄禍論者(太平洋戦争は白人の正義戦争と捏造し、日本叩きで有色人連合阻止)と、朝鮮族と、凶産支那族の、捏造隠蔽が、目的である!

 

朝鮮族両班の賎民白丁等虐待と、オランダ人のジャワ人虐待家畜以下の扱いで酷似する。

 

本土から「オランダ領東インドの聾(つんぼ・耳の聞こえない人)」と称された東インドオランダ人の特異な犯日事情

 一方的なオランダの非難難癖のみが拡散され、丸暗記丸鵜呑み人間が蔓延しているが、日本人は開戦から日本軍進駐まで捕虜となり、進駐後解放されたが、戦後再び捕虜と成り、オランダ領東インドで処刑された。

 相互悲惨が戦争!戦国時代の戦時下はお互い様。条約締結(二度締結)後は白紙、そして出発が、人類の英知。

 「西欧の植民地喪失と日本 ―オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所」ルディ・カウスブルック著(近藤紀子訳 草思社 1998)は、ジャンと同時代同境遇(捕虜)に生きたオランダ人男性の、真実史観の記録である。

  ルディ・カウスブルックやミアーズやタウンゼントや林房雄が無くて、無辜の子供洗脳証拠本加藤陽子の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」は練馬区内に、なんと16冊も有る(何らかの作為が感じられる)が、前記のカウスブルック著作は、貫井図書館に一冊あるのみの希少本となっているので、抜粋し掲載した。

 至急の復刻を望む。

 

ジャワ人はオランダ人に虐待されたが、朝鮮族は同族両班が同族白丁等を虐待虐殺した。

 戦後の韓半島や在日の犯日も、済州虐殺や南北殺し合いの古今未曾有の愚行も、人間殺しの差別抜きでは整合しないが、人間殺し差別を嵌めるとピタリと符合する。在日韓半島日本、皆、人間殺し差別はひた隠しだ。そんなものは歴史ではない、摘み食いの洗脳でしかない。

 人間を獣扱いし、生かすも殺すも思いのままの、凄まじい人身売買獣家畜差別(日本は1100年前に破壊)や差別の教え儒教を、100年前まで続けた李氏朝鮮が、四・三耽羅人虐殺、南北殺し合い、済州人血が汚れると侮蔑、犯日等、すべての悪因である。「朝鮮事情」グレ著平凡社には、日本統治以前の、「ヒトモドキ朝鮮差別」が詳細なので、未読の方は、併読を。

 

差別搾取した宗主国(オランダ)と教育した日本

原題"Het Oostindisch Kampsyndroom(『オランダ領東インド抑留所シンドローム』)"。邦題「西欧の植民地喪失と日本 ―オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所」ルディ・カウスブルック著(近藤紀子訳 草思社 1998)

 ルディ・カウスブルック オランダの著名な評論家、エッセイスト、コラムニスト。1929年(ジャンは1923年生まれ)にオランダ領東インド(現インドネシア)に生まれ、42年(13歳)、オランダ軍の降伏により、スマトラ島の日本軍民間人抑留所に収容される。46年、オランダ本国に引き上げる。

 アムステルダム大学で数学・物理学を専攻。同時に有名な文学運動“50年代派”に参加。パリに移る(50年~90年)。53年、処女短編「南回帰線時代を葬る」を発表。68年、エッセイ集「パリ1968年5月革命について」。75年、全作品によって、オランダの最高の文学賞であるP.C.オーフツ賞を受賞。95年には「蘭領東印抑留所シンドローム」、さらに自伝的エッセイ「再び生国の土を踏んで」はベストセラーに。その他哲学的エッセイなど多数の作品がある。

 原著の"Het Oostindisch Kampsyndroom"(『オランダ領東インド抑留所シンドローム』)は570ページにわたる自伝的エッセイである。この訳書は、そのうちの「日本人読者向きに選び出した一四節」を訳したものである(うち1節は別の著書『再び生国の土を踏んで』からとったとのこと)。この本が(たぶん)1995年に書かれているということからもわかるように、オランダではいまでもこの「東インド」という話題が微妙な位置にあるらしい。

 

訳者近藤紀子(1941年山梨県生まれ東京外語大インドネシア語科卒)

あとがき

 ――スマトラ島で育った著者が、自己の体験と既存の出版物をもとに、戦前(植民地支配時代)、戦時(日本軍占領時)、戦後(本国引揚げ後)の“東インドのオランダ人”に言及する570頁にわたる大部の自伝的エッセイである。

 ――本書では、過酷な食民治統治政策をもって原住民を搾取した、母国の恥ずべき過去を憂えるとともに、それに謝罪しようともしないオランダ政府の態度に怒りをぶつけ、そしてまた、戦後50年を経たいまもなお、憎悪に満ちた対日感情を抱いている“東インドのオランダ人”を批判するというかたちで、数々のオランダ事情があつかわれている。

 ――スマトラ島東岸のシアンタルに農園事業主の一人息子として生まれ、5歳から12歳まで(日本軍の東インド侵攻まで)、ヨーロッパ人子弟のための寄宿学校で過ごす。オランダ領東インドが二本軍の手に落ちて(1942年)、日本軍抑留所に入れられ、抑留所生活を経験する。解放後、オランダ本国に引揚げ、戦後長いことパリに住んで、日本語を選考したりもした。現在はオランダ在住。

 ――子供のとき、現地人と接触があったのは休暇のときだけだった、と語っていることから、植民地政策下の悲惨な現地人の生活を知ることもなく、おごれる白人社会の中で育った著者は、後年、その失ってきたものの重要性を認識し、自分たちのオランダ領東インドの過去とは実際にはどんな様相を呈していたのだろうか、と真相を探るたびに出たのだろうと思われる。

1998年7月 オランダ・ライデン市にて 近藤紀子 2につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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