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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観慰安婦=性職業婦人と証明したビルマ慰安所朝鮮人男性従業員の日記

2日本軍公娼奴隷性職業婦人と証明したビルマ慰安所朝鮮人従業員日記

報酬および生活状態

 「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った

 1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める胸の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された

 さらにまた、尋問が明らかにしているところによれば、これらの慰安婦の健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されており、また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても客についても気配りすように十分な訓練を受けていた。日本軍の正規の軍医が慰安所を週に一度訪れたが、罹患していると認められた慰安婦はすべて処置を施され、隔離されたのち、最終的には病院に送られた。軍そのものの中でも、まったく同じ処置が施されたが、興味深いこととしては、兵士は入院してもその期間の給与をもらえなくなることはなかったという点が注目される。

陸軍大将月給550円、一般日本兵月給15~25円。

日本の軍人に対する反応
 慰安婦と日本軍将兵との関係において、およそ重要な人物としては、二人の名前が尋問から浮かび上がっただけである。それは、ミッチナ駐屯部隊指揮官の丸山大佐と、増援部隊を率いて来た水上少将であった。両者の性格は正反対であった。前者は、冷酷かつ利己的な嫌悪すべき人物で、部下に対してまったく思いやりがなかったが、後者は、人格のすぐれた心のやさしい人物であり、またりっぱな軍人で、彼のもとで仕事をする人たちに対してこの上ない思いやりをもっていた。大佐は慰安所の常連であったのに対し、後者が慰安所にやって来たという話は聞かなかった。ミッチナの陥落と同時に丸山大佐は脱出してしまったものと思われるが、水上将軍のほうは、部下を撤退させることができなかったという理由から自決した。

兵士たちの反応
 慰安婦の一人によれば、平均的な日本軍人は、「慰安所」にいるところを見られるのをきまり悪がり、彼女が言うには、「慰安所が大入り満員で、並んで順番を待たなければならない場合には、たいてい恥ずかしがる」そうである。しかし、結婚申し込みの事例はたくさんあり、実際に結婚が成立した例もいくつかあった

 すべての慰安婦の一致した意見では、彼女たちのところへやって来る将校と兵士のなかで最も始末が悪いのは、酒に酔っていて、しかも、翌日戦前に向かうことになっている連中であった。しかし、同様に彼女たちが口を揃えて言うには、日本の軍人は、たとえどんなに酔っていても、彼女たちを相手にして軍事にかかわる事柄や秘密について話すことは決してなかった慰安婦たちが何か軍事上の事柄についての話を始めても、将校も下士官や兵士もしゃべろうとしないどころか、「そのような、女にふさわしくないことを話題にするな、といつも叱ったし、そのような事柄については丸山大佐でさえ、酒に酔っているときでも決して話さなかった」。

 しばしば兵士たちは、故郷からの雑誌、手紙、新聞を受け取るのがどれほど楽しみであるかを語った。彼らは、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチーフ、歯ブラシ、小さな人形、口紅、下駄などがいっぱい入った「慰問袋」を受け取ったという話もした。口紅や下駄は、どう考えても女性向きのものであり、慰安婦たちには、故郷の人びとがなぜそのような品物を送ってくるのか理解できなかった。彼女たちは、送り主にしてみれば、自分自身つまり「本来の女性」を心に描くことしかできなかったのであろうと推測した。

軍事情勢に対する反応
 慰安婦たちは、彼女たちが退却し捕虜になる時点まで、さらにはその時点においても、ミッチナ周辺の軍事情勢については、ほとんど何も知らなかったようである。しかし、注目に値する若干の情報がある。

 「ミッチナおよび同地の滑走路に対する最初の攻撃で、約200名の日本兵が戦死し、同市の防衛要員は200名程度になった。弾薬量はきわめて少なかった。」

 「丸山大佐は部下を散開させた。その後数日間、敵は、いたる所で当てずっぽうに射撃していた。これという特定の対象を標的にしているようには思われなかったから、むだ撃ちであった。これに反して、日本兵は、一度に一発、それも間違いなく命中すると判断したときにのみ撃つように命令されていた。」 
 ミッチナ周辺に配備されていた兵士たちは、敵が西滑走路に攻撃をかける前に別の場所に急派され、北部および西部における連合国軍の攻撃を食い止めようとした。主として第114連隊所属の約400名が取り残された。明らかに、丸山大佐は、ミッチナが攻撃されるとは思っていなかったのである。

その後、第56歩兵団の水上少将がニ箇連隊〔小隊〕以上の増援部隊を率いて来たものの、それをもってしても、ミッチナを防衛することはできなかった。

慰安婦たちの一致した言によれば、連合国軍による爆撃は度肝を抜くほど熾烈であり、そのため、彼女たちは最後の時期の大部分を蛸壺〔避難壕〕のなかで過ごしたそうである。そのような状況のなかで仕事を続けた慰安婦も1、2名いた。慰安所が爆撃され、慰安婦数名が負傷して死亡した。

退却および捕獲
 「慰安婦たち」が退却してから、最後に捕虜になるまでの経緯は、彼女たちの記憶ではいささか曖昧であり、混乱していた。いろいろな報告によると、次のようなことが起こったようである。すなわち、7月31日の夜、3つの慰安所(バクシンロウはキンスイに合併されていた)の「慰安婦」のほか、家族や従業員を含む63名の一行が小型船でイラワジ川を渡り始めた。彼らは、最後にはワインマウ近くのある場所に上陸した。

 彼らは8月4日までそこにいたが、しかし、一度もワインマウには入らなかった。彼らはそこから、一団の兵士たちのあとについて行ったが、8月7日に至って、敵との小規模な戦闘が起こり、一行はばらばらになってしまった。慰安婦たちは3時間経ったら兵士のあとを追って来るように命じられた。彼女たちは命令どおりにあとを追ったが、結局は、とある川の岸に着いたものの、そこには兵士の影も渡河の手段もなかった。彼女たちは、付近の民家にずっといたが、8月10日、イギリス軍将校率いるカチン族の兵士たちによって捕えられた。彼女たちはミッチナに、その後はレドの捕虜収容所に連行され、そこでこの報告の基礎となる尋問が行なわれた。

宣  伝
 慰安婦たちは、使用されていた反日宣伝リーフレット(ビラ)のことは、ほとんど何も知らなかった。慰安婦たちは兵士が手にしていたリーフレットを2、3見たことはあったが、それは日本語で書かれていたし、兵士は彼女たちを相手にそれについて決して話そうとはしなかったので、内容を理解できた慰安婦はほとんどいなかった。一人の慰安婦が丸山大佐についてのリーフレット(それはどうやらミッチナ駐屯部隊へのアピールだったようであるが)のことうを覚えていたが、しかし、彼女はそれを信じなかった。兵士がリーフレットのことを話しあっているのを聞いた慰安婦も何人かいたが、彼女たちたまたま耳にしたからといって、具体的な話を聞くことはなかった。しかし、興味深い点としては、ある将校が「日本はこの戦争に勝てない」との見解を述べたことが注目される。

要  望
 慰安婦のなかで、ミッチナで使用された拡声器による放送を聞いた者は誰もいなかったようだが、彼女たちは、兵士が「ラジオ放送」のことを話しているのを確かに聞いた。

 彼女たちは、「慰安婦」が捕虜になったことを報じるリーフレットは使用しないでくれ、と要望した。彼女たちが捕虜になったことを軍が知ったら、たぶん他の慰安婦の生命が危険になるからである。しかし、慰安婦たちは、自分たちが捕虜になったという事実を報じるリーフレットを朝鮮で計画されていると盂家に活用するのは名案であろうと、確かに考えたのである。

付録A

 以下はこの報告に用いられた情報を得るために尋問を受けた20人の朝鮮;人「慰安婦」と日本人民間人2人の名前である。朝鮮;人名は音読みで表記している。

   名 年齢   住 所

 1 「S」 21歳 慶尚南道晋州

 2 「K」 28歳 慶尚南道三千浦〔以下略〕

 3 「P」 26歳 慶尚南道晋州

 4 「C」 21歳 慶尚北道大邱

 5 「C」 27歳 慶尚南道晋州

 6 「K」 25歳 慶尚北道大邱

 7 「K」 19歳 慶尚北道大邱

 8 「K」 25歳 慶尚南道釜山

 9 「K」 21歳 慶尚南道クンボク

            (ママ)

 10 「K」 22歳 慶尚南道大邱

 11 「K」 26歳 慶尚南道晋州

 12 「P」 27歳 慶尚南道晋州

             (ママ)

 13 「C」 21歳 慶尚南道慶山郡〔以下略〕

 14 「K」 21歳 慶尚南道咸陽〔以下略〕

 15 「Y」 31歳 平安南道平壌

 16 「O」 20歳 平安南道平壌

 17 「K」 20歳 京畿道京城

 18 「H」 21歳 京畿道京城

 19 「O」 20歳 慶尚北道大邱

 20 「K」 21歳 全羅南道光州

 

 1  キタムラトミコ 38歳 京畿道京城

 2  キタムラエイブン 41歳 京畿道京城

19~31歳」だが、2年前の応募時は「17~29歳」で 年齢制限(17~30歳)に合致。若年証言は偽証自白

 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成5の中(pdf P136-130/294)の英文コピーは不鮮明なので、鮮明原文英語は、こちらへ

朝鮮人資料
木村幹神戸大教授

2013年08月07日 毎日新聞東京朝刊 慰安所従業員:日記発見 識者に聞く

◇第三者が記録、客観性高く−−木村幹(きむら・かん)神戸大教授(筆者注・京大法卒・1966年~。日本の政治学者)

 −−この日記がなぜ貴重なのですか?

 ◆「第三者」の記録だから客観性が高い。著者は1979年に死去しており、80年代後半以降の慰安婦問題への関心の高まりを受けて改ざんされた可能性も極めて低く当時の実態をよく描写していると考えられる。

 −−日記に出る慰安婦の姿の評価は?

 ◆戦時下で「極端に統制された疑似公娼(こうしょう)制度の従事者」という印象だ。多くの女性は経済的理由から慰安婦になったものの、移動や廃業の自由は厳しく制限された。他の民間人も自由を制限されたが、日記の著者と比べれば慰安婦に対する制限が大きいことは明白で、同一視はできない。

 −−貯金や送金に関する評価は?

 ◆慰安婦が額面上は多くの収入を得て、故郷へ送金することもあったことは明確に裏付けられた。ただし、東南アジアで流通したのはインフレで価値が急落する軍票だ。東南アジアからの送金には引き出し制限があったという研究もある。軍事郵便貯金は韓国人の場合、最終的には無価値になった。慰安婦が現場で経済的対価を得ていたことと、対価を享受したかは切り離して考えるべきだ。

 −−慰安婦問題で注意点は?

 ◆当時の統治、経済システムといった大きな状況の中で慰安婦の置かれた人権状況を考えることが重要だ。強制連行の有無のような部分的な分析だけでは不足している。【聞き手・澤田克己】

極端に統制された疑似公娼(こうしょう)制度」とあるが、 内地公娼は警察管轄で管理し、戦争中なので、外地公娼(慰安婦)は軍隊管轄で管理したのは極めて当たり前のことである。外地は戦争最前線、「極端に統制」も極めて当たり前のことである。

 日記の著者と比べれば慰安婦に対する制限が大きいことは明白で、同一視はできない」とあるが、「日記の著者」は「貸主」側で、「慰安婦」は「借主」側で「借金返済中」、「同一視はできない」のは現代でも同じで、当たり前のことである。

 「疑似公娼」と表現は、余りにも一般常識を知らなさ過ぎる「井蛙」との自白である!職責者なら、なぜ他国のような簡便な現地調達ではなく、より手間のかかる自前慰安婦で、あえて戦地に挑んだのか考えろ!

 大東亜共栄圏構築で凶産や宗主国と対峙が日本の大義。日本兵士の強姦事件となれば、一気に真逆の侵略軍となり、頼みの綱の同胞も敵となる。日本の大義を最優先した結果が、国内募集「公娼」の、外地派遣に相成ったと、見るべきであろう。「慰安婦」も戦っていたのだ!

 終戦で無価値は韓国人のみではない!敗戦までは皆、金として通用し使えたのは、事実である。

 「慰安婦の置かれた人権状況」とあるが、原爆や大空襲で無辜の老若男女80万人以上が一瞬にして大虐殺されたように、戦争中に敵味方全てに「人権」無きは明白である。がしかし日本は、人類の英知(復讐の連鎖の切断)「条約や法」を尊崇厳守する法治国家、SF条約を厳守して、「条約締結済みの過去」として問題にはしていない。

 万が一にも、「人権侵害」があったとしても、「原爆や大空襲で無辜の老若男女80万人が一瞬にして大虐殺」よりは狭小で、しかも「条約締結済み」である。なのにである、なぜに「慰安婦の人権のみを特筆するのか?

 人権騙りの思想戦であることは明々白々であろう!なぜに職責者が気付け得ぬのか?丸暗記脳(表音記憶で表意記憶ではない)のみで、思索脳皆無だからである。

2013年8月9日 木村幹神戸大教授日本記者クラブで講演
 ――慰安婦問題についての日本の議論は、韓国の運動団体の最終的な目的が「女性の人権状況の改善」であることを失念している。国際社会の主たる関心も「女性の人権問題」であり「慰安婦の強制連行」など現在の価値観から見て否定的にみなされる「過去」にこだわるのは得策ではない。――

法治国家では、事後(遡及)法は禁止法。
 “韓国の運動団体の最終的な目的が「女性の人権状況の改善」”とは、なんとも見事なお花畑解釈で、「思索脳皆無表音丸暗記脳のみ」を、明々白々に自白している!韓国は2004年だが、日本は57年前の1956年売春防止法立法で、「改善済み」。

 “現在の価値観から見て否定的にみなされる「過去」にこだわるのは得策ではない”は捏造。「過去」にこだわり条約破りの事後(遡及)法難癖や捏造難癖は、中朝韓罪日黄禍論白人で、日本ではない!

安秉直ソウル大名誉教授
◇募集、「広義の強制」示す−−安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授(筆者注・1936年~。韓国の経済史学者。真実史観である

 −−日記から分かることは何ですか?

 ◆慰安婦703人の「第4次慰安団」が組織されていたことだ。慰安婦募集が、日本政府の政策に基づく戦時動員の一環だったことを示している。「広義の強制」だといえる。

 −−強制連行?

 ◆「狭義の強制」と言われる、拉致のようなものはなかっただろう。業者をサポートする行政組織がしっかりしている朝鮮では強制連行の必要はないし、強制連行は(社会的な騒ぎを起こして)コストが高くなる。ただ、業者による乱暴な行為はあったはずだし、軍服のような服を着た業者が「軍人」と誤解された可能性はある。

 −−どんな女性たちだったのでしょう?

 ◆米軍調書によると、大部分は教育のない貧しい女性で、売春経験者は一部だけだ。親に売られた人身売買も多かっただろう。

 −−戦場での位置づけは?

 ◆ビルマのような最前線では、前借り金を返済しても簡単に廃業できなかった。所属部隊の管理を受けており、旧日本軍の編成の末端に位置づけられていた。「性的奴隷状態」にあったと言える。

 −−慰安婦問題に取り組んだ契機は

 ◆1990年代初め、慰安婦支援団体が実施する調査活動などを手伝った。だが、「強制連行」と最初から決めつけて証言集めをするような形だったので、運動からは手を引いた。【聞き手・澤田克己、大貫智子】

赤紙一枚(1銭五厘で)で男子は戦地に赴き(戦場に買われ)、国を護るために命を懸けた。戦国時代は全人類が強制拘束され(自由や人権皆無)、各国民すべてが戦争強制奴隷だった。銃後の守りの老若男女もすべてが戦争強制奴隷だった!「慰安婦」のみが強制奴隷だったわけではない!

 「前借り金を返済しても簡単に廃業できなかった」は捏造。下記日記に廃業帰国記載有り。

 「旧日本軍の~性的奴隷状態」とあるが、「性的奴隷状態」に至らしめたのは借金で、売ったで、日本軍では無い!捏造である。軍の拘束は安全確保が目的の拘束で、「逃亡防止」目的の拘束ではない。「旧日本軍の庇護下で働き借金返済状態」が正しい。

 万が一にも有ったとしても、人類の英知(復讐の連鎖の切断)である条約は、締結済み。性職業婦人のみを選り盗りし、平和時の常識で、「広義の強制」、「狭義の強制拉致」、「性的奴隷状態」とこじ付けで判断は、遡及(事後)法と同類で、法治国家では争乱の元凶となる禁止法である。3につづく

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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