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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観公娼慰安婦騙りは“洋公主”と正体暴かれ火病発症の捏造常習犯朝鮮族

5公娼慰安婦騙りは“洋公主”と正体暴かれ火病発症の捏造常習犯朝鮮

2013年9月2日 XINHUA.JP 従軍慰安婦は“洋公主”、日本のネットユーザー発言に在米韓国人が激怒―韓国メディア

 韓国ニューシスは2日、日本のネットユーザーが「従軍慰安婦は『洋公主(ヤンコンジュ)』だ」と指摘したことに、在米の韓国系住民が激怒していると伝えている。環球網が2日伝えた。

 米ニュージャージー州の現地紙が8月30日、「第1回慰安婦記念マラソン大会」について報道したところ、日本のあるネットユーザーが「大部分の米国人は従軍慰安婦が洋公主だということを知らない。洋公主は朝鮮戦争の時期に連合軍のために用意された売春婦だ」などとコメントした。また、「洋公主は韓国の諜報員が『共産主義者』『北朝鮮の協力者』として適当に逮捕し、強姦された末に米軍基地の付近に送り込まれた人々だ」とも指摘している。

 報道によればこうしたコメントに在米の韓国系住民が激怒した。マラソン大会を主催した韓国人団体の代表者は、「慰安婦は第2次世界大戦中に日本軍にとらえられ、性の奴隷として犠牲になった人々を指す。洋公主と一緒に論じてはならない」と批判の声を上げた。(編集翻訳 恩田有紀)

2013/09/04 Jcastニュース 韓国系団体が「慰安婦マラソン」米国で開催 「日本が謝罪し、旭日旗が消えるまで走る」

 

証言慰安婦正体は“洋公主”の証拠!朝鮮人のみが圧倒的多数234生存者は58人で他国証言者は数人!

日本軍「公娼」とは雲泥の差!「強制連行・性奴隷」“洋公主”!

洋公主(ヤンコンジュ)資料wikipedia(韓国軍慰安婦)

 洋公主(ヤンコンジュ)は、日本軍撤退後の売春婦(強制連行・性奴隷)の呼称で、「洋パン(ヤン・セクシ)」や、毛布一枚で米軍基地について回るという意味で「毛布部隊」の別称がある。

まごう方無き「強制連行・性奴隷」悲劇の洋公主(ヤンコンジュ)事情

 敗戦で日本軍が撤退した朝鮮半島は、1945年9月2日から連合軍軍政下になり、日本軍の「公娼」も連合軍に引き継がれたとあるが、日本軍「公娼」が自発で居残ったかどうかは、定かではない。以後の「売春婦狩り」の凄まじさを考慮すると、ほとんどが離散と推察される、

 治安維持した日本軍撤退するや否や、砂の人心朝鮮人の内乱勃発。人種差別族朝鮮人賎民がすぐに暴れ出した。関東大震災時に暴れ出したのと、全く同じである。国難時に一丸の日本とは、真逆である。

 

大虐殺「朝鮮人同士の殺し合い」と民族浄化

1946年韓半島南の暴動勃発「10月人民抗争」 虐殺数は不明

「朝鮮人の耽羅(済州島)人民族浄化

1948年済州島「四・三事件」は朝鮮人の民族浄化。済州島(耽羅)人4人に1人の8万人以上が虐殺された

1948年8月15日米国の支援を受けて韓国(大韓民国)が建国された。

1948年9月9日北朝鮮(民主主義人民共和国)が建国。

「朝鮮人同士の殺し合い

1950年6月25日朝鮮戦争 南北の死者400万人(北250万人)。実体は南(ニセ者9割の差別民と被差別民)対北(被差別民)。呼応した南の被差別民の助力で、たった2ヶ月で一気に釜山まで南下した。以後差別民(両班と自称両班ニセ者9割)韓半島南の韓国は、被差別民を凶産と捏造、済州島人同様虫けらの如く虐殺した。

1950年保導連盟事件    韓国30数万人虐殺(60~120万人。ハンギョレ21。2001.6.20)

1951年居昌事件       韓国8千人以上虐殺

1951年国民防衛軍事件   韓国10万人以上虐殺

1953年7月27日朝鮮戦争休戦

 

人ではなく物扱いの“洋公主”日本軍「公娼」とは段違い!

 韓国政府は、韓国軍だけではなく国連軍のための慰安所も運営した。韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を作成し、直接慰安所を経営した。部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した。

慰安婦は「第五種補給品」とよばれた。

 慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めてトラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した。補給された女性達は夜になると開店し、アメリカ兵も利用した。韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を、「特殊慰安隊」と呼んだ。

 

韓国軍韓国内強制連行

 韓国軍慰安婦の調達類型には、軍人の拉致強制結婚、性的奴隷型、昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例もあった。また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった。慰安婦に対して、韓国政府や軍は、「あなたたちはドルを得る愛国者」として「称賛」したという。日本軍「公娼」とは、雲泥の差である。

 

韓国軍北朝鮮人女性の強制連行

 韓国軍の北派工作員は北朝鮮で、拉致と強姦で強制連行し、強制的に性奴隷(慰安婦)にした。

 捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の占領地内の住民である朝鮮人女性のうち、まだ疎開しなかった女性などが、共産主義者を助けたとの名目で強制連行性奴隷にされた。

 

国連軍や韓国軍による性暴力と強制連行

 韓国軍慰安婦のケースでは、韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている。韓国における慰安婦は、アメリカ兵に残忍に殺害されることや、アメリカ兵によるとされる放火で、命を落とすこともあった。

 崔吉城は論文「朝鮮戦争における国連軍の性暴行と売春」において、韓国において国連軍がソウル市北部の村で日中、シェパードを連れて女性を捜索し、発見後に強姦に及んだり、またジープにのって民家を訪れ女性を強制連行して性暴力をはたらいたことや、韓国人兵士が韓国人女性に性暴力や性拷問をはたらいたことを紹介している。

 

朝鮮戦争時の慰安婦の数物扱いの女性

 総数は不明。金貴玉教授は朝鮮戦争直前の私娼の数5万人を下ることはないと見ている。なお、朝鮮戦争後には性売買をする女性は、30万人余りに達したと推測されている。

 韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』によると、韓国軍慰安婦は、1952年における4小隊に限ったケースだけでも、89人の慰安婦204,560回行為を行わされた

 

モンキーハウス

 アメリカ軍相手の慰安婦が性病をわずらうと、韓国警察により、モンキーハウスと呼ばれる窓に柵のある留置所に、強制隔離された。また、病気ではないと証明された場合には、犬のようにタグ(番号札)を付けることを強制された。まさに物扱いである。

 

日本軍「公娼」とは真逆の「扱い」!“洋公主”の悲劇告白!

2009/01/07 N.Y.T.“Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases

日本語訳

「元売春婦洋公主が語る、ベース傍での、韓国とU.Sの有セックス貿易」

 連行され、大日本帝国のために売春宿で奴隷として働かされていた韓国女性たち。戦時中における、その醜い行いについて長年どれだけの責任を負うのかと、韓国は日本の言い訳に対して非難を行ってきた

 今、韓国の元売春婦のグループは異なる権利を悪用したとして、当時の政府指導者らを告発した。

 北朝鮮から韓国を守った米兵と性交渉するよう奨励し、1960年代から1980年代までの間、直接性風俗業界の手綱を取っていたとして過去の韓国政府と米軍を起訴したのである。両国は売春婦がアメリカ軍を相手にするとき、確実に性病もちでないようにするため、テストや処理システムも共同で構築していたという。

 彼女らは、体面のためにアメリカ当局がそういったシステムの構築を強要していたという主張には全く耳を傾けず、自らの歴史については厳しい態度をとらずに、日本には賠償金を求め続けている韓国政府を起訴したのである。

 「わたし達の政府は、米軍の大きなポン引きの一人だったんです」訴えた女性の一人、Kim Ae-ran(58)さんは最近のインタビューでこう話している。

 売春を奨励していた問題の人々の動機のひとつに、韓国政府はアメリカ軍が撤退することを恐れており、それを防ぐためならなんでもすると考えていたことにもあるという。しかし、彼女らは、朝鮮戦争後数十年間の戦後経済を支えるために政府は、売春婦たちを商品としてみなしていたと示唆している。

 政府は官僚らを、基礎英語とエチケットを売春婦たちに身に付けさせるといった後援(もちろん、より高く”売る”ために)だけではなく、外貨不足で韓国が破綻していたときにも、ドルを獲得するために激励へ行かせていたという。

 「彼らはわたし達を“ドルを得る愛国者だ”と褒め、出来るだけG.I(アメリカ兵)に体を売るように促したんです」

 奨励者(官僚)らはアメリカ軍が性感染症について懸念していたため、基地を囲んでいた売春街での、”取引”を規制する試みにも関わるようになっていったという。

 幾人かの女性が主張している最も扇動的なものの1つに、1960年代から1980年代までの間にアメリカの憲兵隊と韓国の当局が、性病を広げていると思われる女性を探して、クラブを定期的に立ち入り検査をしていたというものだ。彼らは軍人たちが、簡単に性交渉の相手を決めれるように、売春宿によって無理やり付けられていた番号札を利用して女性を選別。

 それから、韓国の警察が病気であると思われる売春婦を連行していったと言う。そして、いわゆるモンキーハウス(麻薬中毒者の隔離施設で窓には鉄格子がついている)に拘束し、回復するまで、無理やり売春婦達は薬物療法を取らされたという。

 彼女らは、第二次世界大戦中に日本人によって売春を強要されたことについて、広く公共の共感を勝ち得たいわゆる従軍慰安婦と、自分達を比較し、補償と謝罪を求めている。自ら選んだ、必要だったから、強制であったかに関わらず、売春婦は全て政府の政策の犠牲者であったと言うのだ。

「活発だった関係官庁の連帯や売春街への助力は、どこがしていたのか、という質問には、韓国政府米軍の両方だと答えます」と、1997年に“Sex Among Allies.”を執筆した学者のKatharine H. S. Moonは言う。

 韓国の女性部(盧武鉉政権下で発足した、男女平等実現のための専門部署で女性問題を扱う)は、この件についてのコメントを差し控えている。ソウルにあるアメリカ軍司令部も同じくだが“、人身売買売春などの非合法活動は容赦しないか、または支持しない”との一般論では、返答してきている。

 ニューヨークタイムズでは米軍基地近くの売春宿で働いていた8人の女性にインタビューを行った。その結果、韓国とアメリカの記録文章を再検討することになった。 時の流れの中では、ほとんど断片的であると言えるが記録文章は、女性らの主張の多くを何らかの形で補っていた。女性らは、この習慣は何10年にも渡り続いていたと主張している。

 ある意味、女性の主張は驚くべきものではない。何十年もの間米軍基地の近くで、不法である売春を韓国が許可していたのは明らかであるからだ。世界中の軍事基地の周囲と同じように、韓国でも飲み屋や売春宿は、長い間米軍基地を囲むようにして立ち並んでいる。

 また、議会の傍聴録の写しには、少なくとも何人かの政府指導者が、ある種の必要性があるとして売春を見て見ぬ振りしていたと示唆する、記録が残っている。1960年には、2人の議員が、同盟国軍人の「自然に必要なもの」が売春婦の供給によって満たされており、韓国ではなく、日本へ、彼らがドルを費やさないよう仕込むべきだと、政府に促している。

 当時のLee Sung-wooは答弁で、政府が、「売春婦の供給」とアメリカへの「レクリエーションシステム」における、幾つかの改良を進めていると答えている。

 KimさんとMoonさんの二人は、性病のコントロールが両国政府のために行われていたとする女性らの主張を支持している。彼女らは、リチャード M. ニクソン大統領が1969年に米軍撤退のプランを発表したことで、米兵の数がさらに減少すると韓国は恐れ、政府によるコーディネートが特に著しくなったと、言っている。

 「お客が去っていくのを思いとどまるためには、売春街でどれだけ良く扱われたかと感じさせることだと考え、まず環境を整えることになりました」とKimさんは、テレビのインタビューで答えている。

 Monnさん(ウェルズリー大学教授)によると、1970年代に米軍高官と韓国政府官僚会談議事録に、両国で性病の流行を予防するための期間を示すものがあったという。未登録、または健康診断を受けなかった売春婦を拘束し、売春婦として登録するためには処置を受けたことを保障する人や診断書が必要であるなどの政府努力や、1976年における共同巡回に関するレポートには、”隔離”を勧める内容も含まれていた。

 最近、売春街は存在しているものの、韓国経済が急進したことで、フィリピンからの女性らが彼女らに取って代わり始めている。多くの元売春婦は主流社会から隔離された売春町に住んでおり、大部分は貧しく社会からは忌避されいる。養子縁組のため、海外へと送り出した混血児の思い出にとり憑かれた者もいる。

 Jeonさん(71歳。姓を明かすだけを条件に取材に同意してくれた)は1956年の18歳の時に、戦災孤児になり、飢えに追い込まれ、北朝鮮国境に近いDongduchonの売春街で働きはじめたという。1960年に男子を産んだが、アメリカのほうがより良い未来があるだろうと信じるようになり、息子が13歳のときに、将来のため彼を手放した。

 10年ほど前に、米兵となった彼は、彼女を訪ねてきてくれたが、もう自分のことは忘れるように言ったという。

 「わたしは母親として過ちを犯してしまいました」と、Jeonさんは言う。現在、廃品回収業でわずかな収入を得て、福祉援助を受け暮らしている彼女は、「わたしが今、彼に頼れるような権利は全くないんです」。「そして、自分の人生について考えれば考えるほど、私や私のような女性たちは、韓国とアメリカの同盟による、最大の被害者だと思うようになりました。」と話す。「振りかえると、私の体は自分のものではなく政府と米軍のものだったんだなと思います」。 (翻訳 2ch 壱軸冠蝶φ氏

※最後の行の懺悔は胸に迫る。時代に翻弄されたこういう人こそが救われるべきで、捏造仕立てで日本軍に濡れ衣の、ほら吹き“洋公主”などではない!

 

若年就労や虐待証言傷跡は日本軍管轄の公娼に非ず洋公主キーセン独居老婆を自白

 「公娼」の強制就労虐待発覚は、管理する日本軍が即刻閉鎖した(スマラン事件)ので、真の日本軍「公娼」は皆無ではないか。慰安婦証言のほとんどが、当時の「私娼」か、後の朝鮮戦争等の「私娼」であろう!名乗り出た慰安婦の若年(11歳~)就労証言は、キーセンや私娼窟に親に売られたとの自白で、「私娼」証拠が、虐待や虐待痕跡

 高給な日本軍「公娼」は、それまで送金した貯えも有る。終戦46年後に証言者となって、自分や親や、身内親族を世間に曝す必要など、サラサラ無い。さらにニコン慰安婦写真展のモデルになって、身内親族共々の醜態を曝す必要なども、無い!慰安婦モデルや慰安婦証言者は、日本軍「公娼」に成れなかった「私娼」や洋公主以外の、何者でもない。

 日本軍「公娼」が証言者なら、「文玉珠」のように「天罰が下る」。

 

「文玉珠」以外の日本軍「公娼」証言者を、“私娼洋公主”証言者とすれば、全てが合致する!

金学順(キム=ハクスン1924 ~1997年)

1991年8月15日(ハンギョレ新聞)

 『ハンギョレ新聞』の報道により、金学順(キム=ハクスン)が「親に売り飛ばされた」と証言していた事が発覚する。「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセンの検番売られていった3年間の検番生活を終えた金学順さんが最初の就職だと思って、検番の養父に連れられて行った所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」。

1991年8月16日(朝鮮日報)

 8月16日「1940年春、中日戦争が最も激しかった中国中部地方の鉄壁陣という所にわけも分からなくて売られて行きました。中国人が戦争のために捨てて行った民家を慰安所として整備していたのです」。金(キム=ハクスン)氏が到着した場所ではミヤコ、サダコと呼ばれる17~21才の韓国女性3人が、日本軍を相手にすでに売春行為をしていた」。

14歳で売られてキーセン3年間の検番生活を終え(17)帰ったが、又「私娼窟」に売られた。日本軍を相手とあるが、「売春婦から日本軍の犠牲者に変身」するための偽証であろう。

 

文玉珠(1924~1996)は「公娼」証拠有りだが他は証拠皆無!

金学順に便乗し郵便貯金数千万円返して元慰安婦文玉珠

1992年5月12日毎日新聞 元慰安婦文玉珠郵便貯金数千万円返して

従軍慰安婦の軍事郵便貯金原簿確認「返して」下関で韓国女性

 第二次大戦中「従軍慰安婦」として強制連行されたミャンマー(旧ビルマ)で預けた軍事郵便貯金の支払いを求めていた韓国・大邱市在住の文玉珠(ムン・オクチュ)さん(68)が11日、山口県下関市の下関郵便局を訪れ、貯金の原簿があったことが分かった。元従軍慰安婦による強制連行先での軍事郵便貯金原簿の存在を日本側が認めたのは全国で初めて。

 局側は「1965年の日韓協定などで権利は消滅した」としているが、文さんは「個人の請求権は消滅していない。【日本人】として貯金した個人のお金だから、返して」と訴えている。

 文さんは3月、市民グループの招きで来日。当時、貯金の管轄郵便局だった下関郵便局に2度にわたって調査と支払いを求めていた。

 原簿によると1943年6月から1945年9月まで12回の貯金の記録があり、残高は2万6145円となっている。

 文さんの話では、1942年、18歳の時に釜山から百~百五十人の若い女性と共にヤンゴン(ラングーン)に連れていかれ、日本軍人の相手をさせられた。歌が上手だったことから宴会にも呼ばれ、もらったチップを野戦郵便局に「文原吉子」名義で貯金していた。――

 

通帳によれば、1943年から1945年の間に12回振り込みがあり、その貯金残高は2万6145円に上がっている。これは今の金額にすると数千万円に相当する。当時日本軍の陸軍大将の年俸は6600円だった。従って文玉珠は陸軍大将の約二倍稼いでいたことになる」二年間一銭も使わずに貯蓄したとしても、日本陸軍大将は1万3千円しか貯蓄できないのである。当時、従軍慰安婦がどれほどの大金を稼いでいたかがわかる証拠となった。

元慰安婦文玉珠ムン・オクチュ又はムン・オクジュ)の食い違う証言

1996年5月法廷での証言

 「文さんは十六歳の時、日本人の憲兵らに呼び止められ、大邱市から旧満州(中国東北部)などに強制連行されて慰安所で働かされた」。上記証言とは異なる。

誕生日

 証言集では「1924年4月3日」だが、手記では「1924年4月23日」。

父母

 証言集では「働いていたが決まった仕事はなかった。8歳の時、父死亡」。手記では「両班の家系で独立運動家。7歳の時父死亡」。

慰安婦になるまでの経歴

 証言集では「私立の夜間学校に3年通う。10歳から15歳、お手伝い。15歳から17又は18歳まで、靴下工場勤務。17又は18歳、ビルマに行き、慰安婦にされる」。

 手記では「12歳頃九州で働く。半年で帰国しキーセン見習い。16歳、満州へ拉致される。17歳、帰国してキーセンになる。仲間とビルマに渡り慰安婦となる」6につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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