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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観“洋公主”と“私娼”の区別が明確な「ナヌムの家」終の棲家住人証言

6“洋公主”と“私娼”の区別が明確な「ナヌムの家」終の棲家住人証言

慰安婦となったときの感想

 証言集では「びっくりして、昼も夜も泣き通しだった」。

 手記では「薄々察していたので、驚かなかった」。

※慰安婦証言ではただの売春婦なので非難のまとだが、強制連行・性奴隷・私は被害者となれば、同情を得て非難とはならない。この慰安婦証言法則が徹底されていなかったのでこうなった。ある意味で正直な方である。12歳キーセン見習い16歳、満州へ拉致されたのが17歳。帰国してキーセンから「日本軍公娼」に自発で応募し慰安婦となった。

 

李容洙(イ・ヨンス、79)と金君子(キム・クンジャ、81)

 騙れば老人天国!証言者利得は、金がもらえて、いろんなとこに金をもらって行けて、「話すだけで」歓迎され、旨い物が食える。まさに、騙れば極楽が偽証慰安婦!

「米国下院121号決議」の前に下院公聴会にて自称慰安婦として証言

2007年02月16日[韓国の新聞中央日報日本語版] 

米議会で初の‘慰安婦聴聞会’…韓国2・オランダ人女性1人が証言

 ――下院外務委員会アジア太平洋・環境小委が米議会史上初めて開いた‘慰安婦聴聞会’では、李容洙(イ・ヨンス、79)さん、金君子(キム・クンジャ、81)さん、ジャン・ラフ・オハーンさん(85、オランダ)の3人が、日本軍の慰安婦として連行されて受けた侮辱を生々しく証言した。 200席余をぎっしり埋めた傍聴客は3時間以上続いた証言を粛然とした雰囲気の中で傾聴した。

 

◇「犬や豚以下の生活=最初に証言した李容洙さんは「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」とし「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」と証言した。日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。李さんは「終戦後に家に帰ると、母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」と述べた。李さんは「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。 世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」と強調した。

 続いて、16歳だった42年に中国連行された金君子さんが証言した。金さんは「慰安所で一日平均20人、多い時は40人の日本軍を相手にする地獄のような生活を送った」とし、「日本軍は小さな刃物で私の体を少しずつ切りつけ、服を激しく破り、コンドームも使わず跳びかかってきた」と語った。続いて「いっそのこと死んでしまおうと思って何度も自殺を図ったが、日本軍が見張っていてそういう機会もなかった」と述べた。金さんは「45年8月の終戦で日本人が‘出て行け’と言ったので、同僚8人と畑の白菜を取って食べ、1カ月以上も歩いて家に帰った」と悲惨な帰郷過程を伝えた。金さんは「慰安所に到着した初日、抵抗して殴られ、左耳の鼓膜が破れた。体にも多くの傷が残っている」と涙声で話した。

※16歳連行、虐待証言は真に見事な「偽証自白」である!内容は“洋公主”自白証言!詳細は下記。

李容洙http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AE%B9%E6%B4%99

金君子http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%90%9B%E5%AD%90

 

吉 元玉(キル・ウォノク 1928年~)

2008/6/9 吉ハルモニのおはなしー吉元玉さんの証言を聞く夕べから

――証言者:吉元玉(キル・ウォノク)さん 1928年 現在の北朝鮮 平安道生まれ

 13歳の時に、工場に就職させてあげるということを聞いて、「それなら技術も身に付けられるし、工場に行っていいな」と思って、本当に物心もつかない幼い軽はずみさで、家族の誰にも言わず、信用してついて行ったのが始まりでした。(連行時、吉さんは13歳)行ったところが、ハルビンのあの恐ろしい、今いう「慰安所」でした。

 慰安所には監視する人と軍人がいました。監視する人は普段何もしてくれず、叱る時だけ来ます。小さな部屋に入れられ、言われることと言えば、「叫ぶと殺すぞ」「死にたいのか?」の繰り返しです。

 13歳ですから、当然泣くし、泣くとこぶしで殴られました。幼かったので、軍人の欲望を満たすことができませんでした。それでさやのついた刀で頭を殴られたこともありました。私が殴られて血まみれになっても軍人は自分の欲望を満たし、監視人は服を着替えさせてもくれませんでした。あとから周りの女の人が着替えさせてくれましたが、血で(くっついて)服を脱がせることができず、びりびり引き裂いて脱がせてくれました。

殴られて痛くてもっと泣くと、足で蹴ったり、更に殴ったり、軍人が監視人に私が従わないと言うと、それを理由にまた殴られました。子どもでも容赦なく乱暴な扱いを受け、食べさせてもらえない時もあり、誰も慰めてくれる人もいません。そんな状況で月日が流れました。生理があるときも、構わず相手をさせられます。敷物が真っ赤になっても、軍人は自分の欲望を満たさないと出て行きません。

身体を洗う、下を拭くこともできず、次々に相手をさせられました。子宮も傷つき、子どもも生めませんでした。――

※13歳(1941年)強制連行、虐待証言はこれまた真に見事な「偽証自白」である!

 

2013年5月18日 毎日新聞<元慰安婦>橋下氏と面会予定の吉さん、「暴言」と批判

 旧日本軍の従軍慰安婦だった韓国人女性、吉元玉(キルウォノク)さん(84)が18日、広島県福山市の集会で講演し、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が従軍慰安婦制度を「当時は必要だった」と述べたことについて、「過去の過ちを認めて謝罪できないまでも、暴言を吐いてはいけない」と批判した。

 市民団体「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」の招待で来日した。吉さんは日本の植民地だった朝鮮で生まれ、11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手をさせられたという。終戦後に解放されたが、南北分断で北朝鮮になった故郷には戻れないまま、韓国で暮らしている。99年に韓国政府に慰安婦だったことを申告。以来、国内外で自身の経験を証言する活動を行っている。――【菅沼舞】

※「11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手」とは上記とは異なる。嘘の上塗りの自白である!

 

金福童(キムボクトン87)

2013年5月20日 沖縄タイムズ 社説[元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」

 尊厳が傷つけられた過酷な体験を当事者自らが証言する言葉の意味は重い。

 旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。

 金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、年間、「慰安婦」を強いられた

 橋下氏が強制連行の証拠はない、と繰り返していることに「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、どうして証拠がないと言えるのか。私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのか」と批判した。――

 ――慰安婦問題の真実を伝えようと、韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会は来月初めまで各地で証言集会を開く。金さんはその一環として来沖した。同じく韓国人元「慰安婦」の吉元玉(キルウォンオク)さん(84)も来日しており、2人は24日に橋下氏と面会する。

※14歳強制連行、「8年間、「慰安婦」を強いられた」証言はこれまた真に見事な「偽証自白」である!橋下氏と面会は、金福童(87)吉元玉(84)2人が直前にキャンセルした。弁護士相手では偽証がバレルからである。

 「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という。慰安婦になったのが1939年だったとしても、8年たったら1947年。そのころ日本軍は存在しない。各地の(民間の)売春宿(私娼窟)を渡り歩いていたのではないか。

 

李守山(イシュサン85)

2013年6月17日 琉球新報 焼きごて、子宮摘出… 元「慰安婦」李守山さん、シンポで証言

 日本の歴史認識を考えるシンポジウム「『朝鮮人強制連行』と『従軍慰安婦』をめぐってPart2」(おきなわ「日韓政経・文化」フォーラム主催)が16日、那覇市の沖縄大学で開かれた。約150人が参加した。病身の体を押し、元「慰安婦」の李守山(イシュサン)さん(85)が証言した。李さんが沖縄で証言するのは初めて。旧日本軍による拷問で体中にやけどを負い、妊娠発覚後に子宮を摘出させられた過去を振り返った李さんは、「慰安婦」の強制性を否定する日本国内の動きに「これが私の人生です。皆さん、力を合わせて一緒に、『慰安婦』は強制だったと言ってほしい。そうしてくれれば、何も望まない」と声を振り絞った。
 海辺の村で暮らしていた17歳の時、警察官に「紡績工場に就職できる」とだまされ、少女7人で汽車に乗せられ、満州の牡丹江にあった旧日本軍の慰安所へ連れて来られた。兵隊は毎日、列をなした。脱走した李さんを焼きごてによる拷問が待ち受けていた。妊娠して子宮を奪われた後も、慰安所に戻された。涙する李さんに、会場も泣いた。李さんは「これが強制じゃなくて何なのだろう。日本政府が謝らなければ、心に一生傷が残る」と訴えた。――

17歳と年齢は適合するが、「拷問で体中にやけどを負い~焼きごてによる拷問~妊娠して子宮を奪われた」は、「日本軍公娼」に非ずとの「偽証自白」で「私娼」としての体験であろう!

 

2013/07/13 東亜日報 

 ――イ・オクソンさん(87)――「日本の反省のない行動に憤りを感じる」――

「慰安所に行ってみたが、人の住むところではなく、と(原文は漢字言葉狩りで使用不可)畜場のようだった。幼い少女らに豚草や飼料を与えて食いつながせ、死の危機も何度も経験させられた。日本軍が自分を無理やり連れて行ったが、日本軍は関わっていないなんて…。」

 イさんが1942年、16歳の時に、日本軍慰安婦に連れて行かれ、中国吉林省延吉で、独立する時まで経験した出来事を、生々しく伝える――

※親に売られた私娼で行ったのは中国吉林省延吉の私娼窟で、連れて行ったのは女衒。証言が偽証自白である。

 

結局は「人権騙り」金よこせギャングの「タカリ」

2013年8月13日 時事通信 元慰安婦が調停申し立て=日本政府に慰謝料求める―韓国

 【ソウル時事】旧日本軍の従軍慰安婦だった韓国人女性12人が13日、日本政府を相手に、1人1億ウォン(約870万円)の慰謝料支払いを求める民事調停をソウル中央地裁に申し立てた。ただ、日本政府が調停に応じる可能性は低く、この場合、韓国での損害賠償請求訴訟も検討しているという。

証言のみで証拠なし韓国主張を、丸鵜呑みし「元慰安婦」と決め付けている。日本の無辜無知の国民は、「真の旧日本軍従軍慰安婦」と洗脳される。日本の報道社なら、「いわゆる元従軍慰安婦」を冠するのが常識。

 

イ・オクソン(85)カン・イルチュル(85)

2013/08/16 「たった億千の賠償金では韓国慰安婦の傷ついた心を癒せない」 韓国慰安婦から常識外れのデマ証言が続出 ソース:2013.08.14 朝鮮日報(韓国語) "億万金くれても傷いえないで…日謝罪受けたい"

 ――「おつかいに出かける途中で拉致されて中国の慰安所に引きずられて行って、逃げて途中で日本軍に捕まると歩けないようにするといって斧で切って58年ぶりに故郷に帰ってくるとかなり以前に死亡届が出されていたよ」

 ――「日本が億万の金をくれるといっても傷は癒えません。私たちがみんな死ねばこの問題が解決されるとでも?とんでもない、歴史が記憶しています。」

 ――イ・オクソン(85)カン・イルチュル(85)

 ――イ・オクソンおばあさんが日本軍に引きずられて行ったその日の記憶をかろうじて取り出した。おばあさんは釜山(プサン)中区(チュング)宝水洞(ポスドン)で生まれた。1942年7月29日昼間、当時14才だったおばあさんはお母さんのおつかいに出かける途中、大通りで日本軍に拉致されたといった。両手と足が縛られたまま水一滴ももらえずに中国・延辺の慰安所に引きずられて行った。「とても泣いて目がぷっくりと腫れたが、それでも幼な心に中国の土地が珍しく、好奇心も生じたよ。だが、即座にいやだということが分かったよ。」

 ――おばあさんは慰安所を‘人を捕まえる屠殺場だ’といった。話が理解できなければ鞭打ちを受けた。右前腕の長さ5cmの刃物跡もその時にできた。靴下を脱ぐと足の指の上にも薄赤い傷があらわれた。「逃げて途中で捕まると‘再び歩けないようにする’といって斧で足を切ったよ。足が落ちなかったのが不思議だ。」おばあさんは今でも助けなしでは歩けない。子宮を摘出されたし、聴力と視力、歯はもちろん、心臓と腎臓機能も正常ではない。おばあさんは「私より幼い11才ぐらいの子供たちはもっとひどい目にあった。幼い子供たちが何を分かっていたのか」といった。
 カン・イルチュルおばあさんの涙腺はこの日も乾かなかった。慶北(キョンブク)尚州(サンジュ)の‘干し柿屋の末娘’だったというおばあさんも、14才の時に中国・吉林の慰安所に引きずられて行ったといった。おばあさんは「もうどれだけ生きられるか。真心のこもった謝罪を受けたい」といった。

※イ・オクソン(85)証言14才強制連行や虐待や刃物跡は偽証自白。カン・イルチュル(85)証言14才強制連行も偽証自白。

金福童(キムボクトン)前掲
2013/08/17 東亜日報
 ――キム(金福童=キムボクトン)さんは2000人以上の水曜集会参加者の前で、「日本が降参しなければ東京に少女像を建てる」と述べた。
※豚もおだてれば木に登るの類である。本性の白状である!

捏造をばら撒く韓国の慰安婦活動家
2013年07月08日「慰安婦制度は非人道的な犯罪」、韓国の慰安婦活動家が中国メディアの取材に応える―中国紙

 中国共産党機関紙・人民日報は8日、「慰安婦制度は反人道的な犯罪」と題した韓国の従軍慰安婦活動家尹美香(ユン・ミヒャン)氏のインタビューをまとめた記事を掲載した。以下はその内容。

 ――韓国挺身隊問題対策協議会に登録した元慰安婦は計237人。当時の年齢は11歳~28歳で、特に16歳~17歳に集中していた。慰安婦の“募集”方法は誘拐や脅迫、詐欺、人身売買など。慰安所に連れて来られた女性は昼夜を問わず体調が悪かろうが、強姦され続けた。その期間は42.2%が3年から7年、長い人で14年にもわたった。旧日本軍は彼女たちを薬物中毒や拷問などの方法で服従させた。

 ほとんどの被害者が性病にかかったり、強制堕胎や避妊手術を受けさせられたりした。日本軍の投降後は現地に置き去りにされ、故郷に帰る術もなく、現地で孤独死したり、殺害されたりした。――

※「年齢は11歳~28歳~誘拐や脅迫、詐欺、人身売買~薬物中毒や拷問などの方法で服従」は、偽造自白!

チェ・ソンスン(2913年8月24日永眠享年87歳)
2013/08/26 「父親の薬を買いに行ったら連れて行かれて」、「心が傷ついたのは周囲の冷たい視線」ソース:NAVER/聯合ニュース(韓国語)
(写真) 【韓国】日本慰安婦被害のチェ・ソンスンさん、寂しく『永眠』

 「16歳の時に父親の薬を買いに出かけて日本軍に捕まった。(慰安婦時代)とても苦しくて失性(気が狂うこと)した。日本軍が出て行くと後ろに向かって“パンパン”と叫んだ」

 去る24日に享年87歳で生涯を終えて、日本政府の謝罪を一言も聞けずに永眠した故・チェ・ソンスン・ハルモニ(お婆さん)は、慰安婦で日本軍に徴集された当時の状況を生前に生々しく記憶していた。

 チェ・ハルモニは1927年、全北(チョンブク)高敞(コチャン)で生まれて育った。

 母親と早くに死に別れて2人の姉が嫁に出て行った後、5~6歳頃から弟(妹)の面倒を見て家の暮らしを見守った。

 そうして16歳になった頃、町内では日帝が『慰安婦』を強制徴集するという荒々しい噂が流れた。父親の薬を買いに家を出たハルモニは、16歳の若さで訳の分からないまま日本軍に連れられて日本行きの船に乗った。

 チェハルモニは、「日本軍が工場から輸出するにはクンアギ(年頃の娘=処女)が必要だと家々に令状を送った」とし、「日本へ行かなくてはならず、さもないと親まで怪我をすると脅迫した。私は巻き込まれないように隠れて過ごしていたが、父が病気で薬を買いに行って捕まった」と世を去る前に当時状況に関して録音記録を残した。

 こうして日本行に行きに乗ったチェ・ハルモニは、船で数えきれない暴力を受けた

 チェ・ハルモニは「名前を汚す事は出来ない」という思いから、名前を問う日本軍に『キム・ボンイ』という偽名を名乗った。

 それから3年間ハルモニは日本の軍部隊で慰安婦生活をした。チェ・ハルモニは当時の記憶があまり無いと生前に明らかにした。ただ「失性していたようだ」という供述だけを残した。

 解放されるとチェ・ハルモニは帰国して、全南(チョンナム)光州(クァンジュ)に住居を構えた。当時19歳だった。

 日本で日本軍が与えたアヘンの中毒になったハルモニは帰国して数年後にかろうじてアヘンを絶ち、故人となった夫のワン某さんと出会って結婚した。

 夫も日本に徴集されて暮らしていた戦争被害者だった。ハルモニは幸せな結婚生活を送っていたが、ハルモニが44歳になった年に夫は3人の子どもを残してこの世を去った。

 チェ・ハルモニは、「夫が私がそうだった事(慰安婦だった事)を知っていた様子だった。でも子どもを一度も殴った事もなく、私にも優しく尽くしてくれた」と生前はしばしば幸せだった結婚生活を回想した。

 その後ハルモニが67歳になった1993年、太平洋戦争犠牲者遺族会から人が尋ねて来て、それまで保留にしていた『慰安婦登録』をした。

 周囲の視線は冷たかったが、生活補助金が毎月出て都合は少し良くなった

 彼女は生前、「心が傷ついたのは韓国の人々の私を見る視線が冷たかったことだ」とし、慰安婦登録以降に辛かった心情をしばしばうち明けた。

 その後チェ・ハルモニは故郷である高敞で一人で静かに暮らし、この日ついに恨み多き生涯を終えた。 日本軍に連れて行かれ、酷い苦難を経験して70年が経ったが、日本政府の謝罪は一言も無かった。
※「公娼」偽証目的は「生活補助金」との、「私娼」の自白である。

終の棲家「ナヌム(洋公主)の家」入居条件が日本軍「公娼」犠牲
 日本に居残った朝鮮人(白丁と親日)と日本撤退後の避難民(済州島と韓半島)はことごとく罪日だが、日本撤退後二極(非洗脳者と同族大虐殺も朝鮮戦争も日本軍に責任転嫁の犯日敵国化教育被洗脳者)に分かれた韓国人。現代韓国はことごとく犯日だが、日本語を当時話す脱北男性50代前半と50代後半の女性は、台湾人のような親日であった。これは筆者30年前(戦後38年、1983年)の実体験である。

 終の棲家「ナヌムの家」入居条件が日本軍「公娼」犠牲者なのだが、下記には二極の証言者が存在する。日本軍強制連行・性奴隷・虐待と口汚くノノシル者と温和な者である。これまで検証のように、呪い証言の主語は、「韓国軍・米軍・国連軍」で、「日本軍」ではない。温和な者は、非洗脳者と言える。

洋公主日本騙りが生きる!(真実史観)
 平気で「嘘を並べ」、口汚くノノシリ、「濡れ衣を着せる」洋公主精神は、捏造教育と信仰心無き(唯物)野良犬の恐ろしさである!

洋公主”と“私娼”の区別がハッキリ解る!「ナヌム(洋公主)の家」終の棲家住人証言
2013/09/04 朝鮮日報
元慰安婦たちが語る最後の「願い」
解放直後は推定10万人いた韓国人慰安婦、今では57人に「日本が謝罪するまで死ねない
 日本の右翼が一日も早く死んでほしいと待っている人々がいる。旧日本軍の従軍慰安婦だった女性たちだ。日本が組織的かつ暴力的な慰安婦動員の証拠を出さない中、この女性たちは日本による過去の蛮行を詳細に明らかにした証言者だ。この女性たちが世を去ったら「生きた証拠」は消える。
 先月13日午後、元従軍慰安婦の女性たちが暮らしている「ナヌムの家」(京畿道広州市退村洞)では、元慰安婦イ・ヨンジョさんの告別式が開かれた。長い間共に過ごしてきたパク・オクソンさんが、イさんの遺影をなでた。女性たちは「こうして1人ずついなくなっていき、胸がはり裂けそうだ」と語った。
 1945年に日本の植民地支配から解放されたものの、依然として元慰安婦の女性たちは苦痛の中で生活している。解放から63年という長い歳月が過ぎ、約10万人(推定)いたとされる元慰安婦の数は、今や57人に減った。生存者のほとんどは80代から90代で、先は長くない。63回目の光復節(日本の植民地支配からの解放記念日。8月15日)を2日後に控えた8月13日「ナヌムの家」を訪れ、元慰安婦の「最後の願い」を聞いた。ここでは、約10人の元慰安婦が暮らしている。
〈質問の順番〉
1)年齢(出生年)/故郷、(2)慰安婦として連れていかれたときの状況、(3)解放後の暮らし、(4)韓国に戻った時期とその後の暮らし、(5)願い
洋公主日本軍「公娼」に捏造し責任転嫁、難癖を付ける朝鮮人。

■カン・イルチュルさん「一にも二にも、日本から謝罪と賠償を受けるのが願い」1)85歳(1928年)/慶尚北道尚州
2)16歳のとき、家に巡査がやって来て「報国隊を選ぶ」と言い、連れていかれた。中国・瀋陽を経て長春や牡丹江の「慰安所」で慰安婦にされた。戦争が終わるころ、ひどい腸チフスを患って部隊の外に移送され、火で焼かれるところを朝鮮独立軍に救出された。
3)6・25戦争(朝鮮戦争)後は中国人民解放軍の看護師に、退職後は中国・吉林の病院で看護師として働いた。中国人と結婚し、中国・吉林市で暮らした。
4)2000年に韓国に永久帰国し、それから「ナヌムの家」で暮らしている。
5)日本人(カンさんは「日本のやつ〈イルボンノム〉」という表現を使った)から謝罪と賠償を受けること。「韓国人の一部も、元慰安婦はお金が欲しいから謝罪を要求していると思っているようだが、私たちは子孫のために賠償を受けようとしている。子孫が再び私たちのようにならないためには、賠償を受けなければならない。そうなって初めて、子孫がこの先私たちと同じ目に遭わずに済む。子孫が私のような仕打ちを受けないようにすべきだ。間違ってもいないのに、なぜ私たちが日本人からやられなければならないのか。どんな手を使ってでも、賠償を受けなければならない

※16歳(1944年)、「巡査~連れていかれ」で、「賠償とナヌムの家入居目的」の偽証自白。7につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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