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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観子供騙し嘘三昧の朝鮮族や支那族に反論も出来ぬ日本のTVや新聞社

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1子供騙し嘘三昧朝鮮族支那族反論も出来ぬ日本のTVや新聞社

 韓国マスコミのすぐバレル嘘三昧に反論も出来得ぬ日本の記者や識者は、スパイか検証脳無き半端者!

 「歴史を偽造する韓国 韓国併合と搾取された日本」中川八洋著徳間書店2002年4月刊を資料基点として、韓国偽造三昧を暴く!

 

「嘘は罪」の意識、皆無!「息する如く嘘を吐く」偽造民朝鮮族すぐバレル嘘を恥ずかしげもなく堂々のばら撒き

2013/05/09「韓国政府が英国式賠償基準を安倍政権に強制する意向を表明」 英国政府の方針転換に韓国人が狂喜乱舞

ソース2013/05/08朝鮮日報日本語版【社説】英国は植民地弾圧認め賠償するも日本は…

 英国はかつて植民統治を行っていたケニアの独立運動を弾圧したことへの賠償を行うことを決めた。英国は1950年代、当時独立運動を行っていたケニア人数万人に対して拷問や性的暴行、火あぶりなど厳しい弾圧を行っていたが、英国の裁判所は昨年10月、ケニア人3万人が英国政府を訴えた損害賠償請求訴訟で、問題の弾圧に英国政府の指示と命令があったとして原告の訴えを認め、この判決が今回の賠償のきっかけになった。英国の裁判所と政府は今後、インドや中東などほかの旧植民地被害者からも同じような訴訟が相次ぐ可能性があることを知りながら、事後の正義を実現させるために今回の決定を下したという。英国外務省は「歴史から快く学ぶことが、われわれの民主主義が持つ特性だ」とコメントした。

※英国の過酷な植民地政策

英国(プロテスタント)の植民地アイルランド(カトリック)

1649年英国のアイルランド征服戦争

1690年アイルランド(カトリック)大敗北

英国植民地統治の基本

1、土地の没収。1695年カトリック刑罰法を定めた。

 英国(プロテスタント)の女性が、アイルランド(カトリック)の男性と結婚した場合は、その土地は没収。英国(プロテスタント)からアイルランド(カトリック)への贈与の禁止。アイルランド(カトリック)の土地相続は、均分相続のみで、長子相続禁止。

 1704年と1709年の立法で、アイルランド(カトリック)の土地購入全面的禁止。31年以上の借地契約も禁止。結果、1778年頃には、アイルランド(カトリック)の土地保有率は5%以下になった。

 英国の大地主は、巨額の地代を「収奪」するのみで、農地改良や農業技術の改良はしなかった。このためアイルランド(カトリック)の農民の多くは、ジャガイモを主食とし、パンは高嶺の花だった。1740~1年の大飢饉で、40万人の餓死者がでた。

2、無教養化。

3、産業進展の抑圧。

 「産業つぶしの」の実行。1699年唯一の産業であった毛織物製品を輸出禁止にした。

 小作人の「耕作権」など皆無で、解雇追放は自由であった。日本は、朝鮮人小作人の「耕作権」を「神聖不可侵」と考え、完全保証した

 1849年~56年、穀物のうちを牧草地としたため、アイルランド(カトリック)で追放された小作農家戸数は約5万戸(約26万人)。追放された26万人は米国等に移民または餓死した。この26万人を含んで、1845~53年まで8年間の餓死者は60万人を超え、海外移住者は140万人以上となった。人口は1841年の820万人が1901年には445万人と半減した。

 日本統治朝鮮は、餓死根絶し、人口倍増の真逆である

 1870年、自作農3%で97%が小作農で、耕作権が保障された小作農は20%。6ヶ月の前の通知で持って追放される小作農は77%。この小作農救済は1881年頃より始まり、実際に改善が始まったのが20世紀になってから。「小作法と自作農創定法」澤村康著改造社182~5p

 英国は過酷な植民地政策であったが、大東亜戦争を経て、1960年の植民地独立付与宣言から翻意、英断を下している。

 

 日本の支配に抗議し1919年に起こった三・一運動に限ってみても、日本がデモを鎮圧する際に7500人が死亡し、1万6000人以上が負傷4万7000人以上が身柄を拘束された。これは日本が集計した数字だ。韓国の報勲処は、日本の支配下で独立運動を行って身柄を拘束され、指の爪がはがされたり、唐辛子の粉を食べさせられたりするなどさまざまな拷問を受け、ひどいときは命まで失った朝鮮人の数を2万人以上と発表している。また、100万人以上の朝鮮人が兵士や労働者として強制的に徴集され、日本、中国、東南アジアなどで人間以下の扱いや苦痛を受けた。さらに日本は、数万人の朝鮮人女性を「金を稼がせてやる」とだまし、あるいは強制的に連れ出して日本軍の性的奴隷とした。

 

※金せびり目的嘘三昧の韓国マスコミのすぐバレル子供騙しの偽造と暴いた真実の資料

司法代行

 保護国時代の1909年7月の「韓国司法および監獄事務委託に関する日韓覚書交換」に「司法代行」が始まり、その経費をほぼすべて負担した。1909年度(併合前)に「旧韓国」の司法と監獄費として131万2490円を与えた。「統監府時代の財政」澤村康著友邦協会133p

文明以前の「旧韓国の司法」

 まず足の骨を砕き、次に腕と肋骨を折り、最後に絹紐で首を絞める拷問死刑。「悲劇の朝鮮」グレブスト著白帝社223~240p

死刑囚で無い、単なる禁固刑の者も監獄の都合で殺した

 「監獄は呪詛のまとであり、拷問は自由に行われ、周期的な監獄清掃に関しては一時に数十名の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された」「悲劇の朝鮮」1908年マッケンジー著平凡社東洋文庫27~8p

 朝鮮人の残虐性は、日本人にはとても正視できない。例えば、死刑に際して両耳それぞれに矢じりを突き刺し首を刎ねるし、首を切り落とした後手足をバラバラに切断したりする。「朝鮮事情」ダレ著平凡社東洋文庫126~7p

1912年の笞刑「ちけい(鞭打ちの刑)」令

 当時の日本の刑に笞刑「ちけい(鞭打ちの刑)」は無い。該当の刑は3ヶ月以下の懲役や100円以下の罰金刑であった。日本と同様の懲役や罰金刑にすれば、貧しい朝鮮人も懲役となり、働き手を失った家族は路頭に迷い、罰金となればこれまた、生活に直接響く。貧しい階層なら、家族4名、5円あれば1ヶ月は暮らせたのが当時の朝鮮である。そこで、数百年間続いた朝鮮伝統刑罰笞刑「ちけい(鞭打ちの刑)」を、「朝鮮人に限り之を適用す(第13条)」として残し、過剰の負担となる「懲役や罰金」を回避した。

 朝鮮笞刑令第4条「罰金1円を笞1、懲役1日を笞1」と換算した。

 1912年笞刑令施行規則第1条執行前に健康診断し、以前の朝鮮の笞(むち)は長さ三尺五寸、厚み二分七厘であったが、長さ一尺八寸、厚み二分五厘と軽減し、笞(むち)を小さくし、執行中飲み水を与えるよう定め、第5条で女性や16歳未満の男児への笞刑を禁止した(以前は姦通罪の女性に対しの笞刑は凄惨を極めた)。

 何でも難癖の朝鮮人は、「朝鮮人に限り之を適用す」のみををつまみ食いし、差別目的だとか、異民族弾圧法だとか、「反日」言動者弾圧目的とか、独立運動に対する抑圧目的とか、あらん限りの難癖づけに懸命だが、真実は、朝鮮人現実生活への配慮が理由。笞刑令は、朝鮮人の生活が向上したので、1920年に廃止

朝鮮監獄の文明化

 食事はおかず無しの雑穀のみで、監獄の狭さから囚人数減らしのため、獄吏が勝手に殺害していた。

 国分三亥(旧韓国の検事総長)「監獄は独立して存在しないで、全く警察の一部にすぎない・・・。(1908年になって)日韓協約の趣旨に基づいて(旧韓国政府は)司法機関を創設して監獄は司法部に所管を移され・・・たけれども、・・・(京城の)鐘路監獄のごときさえも、未決・既決の区別はほとんどなく、・・・獄内は狭隘「きょうあい(狭い)」陰鬱にしてほとんど土窟のようであり、乱雑と不潔とは実に想像も及ばぬほどでありました」

 柿原琢朗(1920年~22年の総督府監獄課長)は、上記と同じ座談会で、平壌地裁次席検事として実際に訪れた(韓国併合直前の)平壌の監獄を、次のように思い出している。

 「狭隘なる監房は到底それに応ずることできず、ただ無理押しに押し込めていました。一坪に十五、六人も押し込むありさまで、在監者(は同時に横臥睡眠をとれないので一日に)三、四回交替にて横臥せしめた。

 作業場の設備も被服交換の準備なく、・・・終日終夜着の身着のままで在房していますから、監内の熱気と臭気とは短時間の参観にも堪えられませんでした」

 1910年末までに一坪の在監者をこれまでの三分の一の「約5人以内」にし、1919年の新総督斉藤実のもとで440万円の巨額で監獄の近代化と大改造を実施し、1922年頃には、「2.9人(畳二枚に三名)」まで改善した。

併合直前の無茶苦茶な裁判所の実情

 旧韓国政府の主席法務補佐官中村竹蔵の1907年平理院(旧韓国の最高裁判所)配属時の裁判所の拷問目撃証言。

 「平理院では法廷の取調べの際にしばしば拷問を行うことがあったから、たびたび院長(李允用。李完用の兄)に対して之を廃止するよう厳重に要求すると、・・・院長は午後遅くなって出勤するようになった。・・・私が退庁するのをまって夜中に依然拷問行うことが判り・・・」

 当時の朝鮮では刑事被告人だけでなく、なんと民事でもその被告を拘留し投獄し拷問していた。島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)の回想。

 「私の在職中の出来事で大きなものと思うのは拷問禁止のことであります。私は着任後しばしば拷問を行うのを目撃しました、・・・その禁止方を伊藤博文統監に具申しついにそれが法令となって現われた」

「朝鮮における司法制度近代化の足跡」友邦協会125p128p131p7p31p

日本統治の真実を真逆に偽造した日本難癖のネタ本朴殷植(1859~1925年)著「朝鮮独立運動の血史(1920年12月上海維新社発行中国文)

 朴殷植著「朝鮮独立運動の血史」は、日本統治以前の朝鮮の実情を書き、主語を日本にすり替えた真逆捏造本。

 「およそ警察が犯罪者だと目すると、司法に決められていた手続きによらずしてただちに逮捕を行い、当事者だけに限らず、その親族や朋友まで累を及ぼし、事実の有無、ことの軽重などは頓着無しに、尋問に先立って必ず拷問を加え、人事不詳におちいらしめ、数日も監禁し、しかる後にはじめて尋問調査を開始した。また、拷問によって自白を強要し、何の証拠もなしに自白だけで罪を捏造した。・・・証人鑑定などでは、証人まで脅迫して拷問を加え、その犯罪事実を証明させた。・・・刑事被告人などには、二十種以上の責め道具で拷問を加え、自白を得れば犯罪調書を偽造し、絶対にその冤罪をあきらかにすることは許さなかった」「朝鮮独立運動の血史Ⅰ」朴殷植著平凡社東洋文庫92~3p

日本統治捏造物語朴殷植「朝鮮独立運動の血史」のネタ元ダレ著李朝史

 「文官である守令(郡守)は、地方長官であると同時に、治安判事、予審判事であり、徴税官であり、(国内)関税、治水、山林、教育、治安等の監督官も兼ねており、これらの職務を全て遂行することは、信じられないほどである。だが、守令の生活ほど暇で怠惰なものはない。彼らは、酒をくらっては食べ、煙草をふかしては遊興にふけって、年月を送る。法廷といっても、一週間に二、三回、それも二、三時間開いて、二言三言、言葉をかわし、数度棍棒で殴打するだけで、ときには当事者のみならず証人たちの尋問すら行うことなく、事件を手早く処理してしまう。武官にしても、文官守令と同じで、いかなる種類の法廷でも、ほとんど全てが下級の胥吏「しょり(小役人)」によって処理される」前掲ダレ著114p

 

 証拠無き逮捕も拷問も連座制(当事者だけに限らず、その親族や朋友まで累を及ぼし)も証人の脅迫や拷問は、日本には無く、李氏朝鮮に実在したもので、事後法親日法等で現在も残っているように、朝鮮独自のものである。

 朴殷植「朝鮮独立運動の血史」の中身は、「李氏朝鮮の血史」で「日本と冠しすり替え偽造」したプロパガンダ本であることを自白している。

 

7500人が死亡し、1万6000人以上が負傷4万7000人以上が身柄を拘束された。これは日本が集計した数字だ」は偽造!朴殷植」の『独立運動の血史』に、「死者7509名、負傷者1万5850名、逮捕者4万6306名」と記載の数字で、「日本が集計した数字」ではない!

ホラー小説化した三・一騒擾(そうじょう)事件

 山川出版社の「朝鮮史」(2000年8月)1912年三・一騒擾(そうじょう)事件についての、「山川出版社」の第6章の記述。

 「朴殷植」の『独立運動の血史によれば、朝鮮人の犠牲者は、(1919年)3月から5月までの間に死者7509名、負傷者1万5850名、逮捕者4万6306名という多数にのぼった」「朝鮮史」武田幸男編山川出版社284~5p

 ソース元の著者朴殷植は、「上記の数字は新聞や伝聞ののもの」、「調査は一切していない」と言っている。『独立運動の血史Ⅰ』平凡社・東洋文庫183p169p

 ところが「山川出版社」はソース元の検証皆無で、「史実」であるかのごとく記載している。

韓国は「朴殷植の伝聞」を「史実」と記載

 「柳寛順の殉国、華城郡堤岩里住民に対する無差別虐殺など各地で弾圧による死傷者が二万名となり、監獄に入れられただけでも五万名になった」前掲「入門韓国の歴史」333p「死傷者(死者プラス負傷者)が二万名」がさらに335pでは「三万名を超す」と拡大している。

 

 宇都宮太郎朝鮮軍司令官が、田中儀一陸軍大臣あてに出した、1919年9月29日付けの報告書によれば、朝鮮人の死者405名負傷者903名、日本の憲兵死者2名負傷者33名である(「現代史資料26朝鮮2」みすず書房321~7p)。これは軍隊の3月1日から6月Ⅰ日までの3ヶ月間の人的被害全記録である。

 3月1日から4月30日までをまとめた陸軍省「朝鮮騒擾経過概要(1919年9月)」によれば、陸軍死者ゼロ、負傷者4名、憲兵死者6名、負傷者91名警察官死者2名、負傷者61名。「朝鮮近代資料(9) 万歳騒擾事件(1)」近藤釼一編友邦協会29p128p

 陸軍省のはまた、朝鮮人側の死傷者を「約1千5百名に達せり」としている。現地の朝鮮軍の報告「1308名」より約2百名多い。ただ、この陸軍省の調査をした「1千5百名」は、死者と負傷者の内訳をしていない。仮に前者の割合と同じとすれば、「死者5百名、負傷者一千名」となろう。

 「朴殷植」の『独立運動の血史』は、陸軍省調査(死者500名)の15倍の「死者7509名」で、「負傷者1万5850名」もまた、陸軍省調査(負傷者1000名)の15倍である。内部資料は自由に閲覧できたので、15倍で一致は、「朴殷植」が実数を知っていたと推察できる(「血史」は三・一事件翌年の、12月刊)

 監獄に収監された人数は「5万人」と、実数の6倍にしている。朝鮮全土に当時、刑務所は監獄8、分監12しかなかった。三・一事件で収監されたのは約8千5百名(1919年5月10日現在8437名)で、定員オーバーであった。韓国の教科書は出鱈目な数字を書いている。前掲「朝鮮近代資料(9) 万歳騒擾事件(1)」近藤釼一編友邦協会29p128p

 「朴殷植」の『独立運動の血史』は、ホラー小説の類である。両手両足を切断された人間が即死しないばかりか、手が無いのに自分で衣服を切ることが出来る。足が無いのに自分で歩いて帰宅できる、というのである。また、手足を切られたあと3日間も食事を与えられずとも元気で官憲を罵倒し続けたという。マンガでもここまでの描写は出来ない。つくり話にもほどがある。『血史』の虚偽性は、議論以前である。

 「女子高等普通学校(当時の女史中等学校の名称)の慮水烈は、裸体で十字架の上に仰臥させられた。日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて慮水烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(菰)のように分切した。血が雨のようにしたたりおちた。・・・が質問して、「お前はこれでもなお『万歳』を叫ぶつもりか」と言った。彼女はこれに答えて「独立が達成できなければ、たとえ死んでもやめない」と言った。・・・数日間も食事を与えないで、三日目にふたたび拷問を加えた。・・・やむをえず、衣服を抛りかえしてよこし、きびしく警責を加えた後に釈放された。・・・」前掲『独立運動の血史Ⅰ』231~2p212p

 また『血史』は1919年3月の1ヶ月間で収監されたものは「数十万をかぞえ・・・(同書212p)」としているが、実際は1万人に満たない。そればかりか、183pでは「収監人数4万7千名以下」としていた。理由は、「逮捕者4万6948名」と記述のためである。逮捕者(4万6948名)-即時釈放者(かなりの数)=収監者となり、逮捕者以下が収監者数だからである。

 『血史』の数字は思いつくままの捏造数字の証拠である。『血史』の数字や描写を引用したすべての研究所専門書は、歴史歪曲偽造のそれであって、学術的価値は皆無

 都合の悪い真実は徹底隠蔽し、「嘘」を並べ、まくし立てて己を正当化する朝鮮人の本性が、本当に良く解かる本である。「嘘は罪」の、カケラすらもない!

 

三・一事件の裁判ー朝鮮人が感動した公正と刑罰

 三・一事件官公署の被害(4月25日現在)は、総督府調査(496~8P)。面事務所(村役場)の全壊19。内放火によるもの5。窓ガラス破壊、器物・書類の焼却など村役場の一部破壊28。警察署・警察官駐在所・憲兵分隊・同分遺所・同駐在所については全壊16ヶ所、一部破壊29ヶ所。郵便局の全壊2、一部破壊9。

 日本人の憲兵6名と警察官2名殺害。4月3日の水原郡雨汀面(村)の花樹里警察官駐在所(日本人巡査1、朝鮮人巡査補3が勤務)の川端豊太郎巡査を石と棍棒で殺した上に(創痕51ヶ所)、耳と鼻をそぎおとし陰具を切断し惨殺された。

 この川端豊太郎巡査殺害と放火で起訴された被告52名の予審を担当した京城地方法院(地方裁判所)は半数にもなる25名を証拠不十分で免訴かつ放免を決定し、高等法院(最高裁判所)に送致したのは27名であった(499~504P)。

 日本統治下の司法は、朝鮮人だからといって手抜きの処理も、法を無視した重罰の起訴も、しなかったのである。

 5月20日時点での第一審判決。3年以上の禁固刑(死刑無期15年以上は0で、10~14年以下が6名、7~9年以下が1名、5~6年以下が23名、3~4年以下が50名)となったものは80名で、有罪3967名の2%(174p)。「現代史資料朝鮮2」みすず書房310p496~8P499~504P174p

 日本統治は「天知る、地知る、子知る、我知る(四知)」の天道に基づき公明正大であった。2につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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