QLOOKアクセス解析

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
2017 07123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 09

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

真実史観2映画『月光の夏』はWGIPNHK史観の虚構物語新映像化がベスト

2映画『月光の夏』はWGIPNHK史観の虚構物語新映像化がベスト

 前述のように第6航空軍上層部の言動には確かに問題があり、評判が悪かったことは事実と思われますが、このことと振武寮の役割とは別の話です。

 以上から、振武寮は本来、帰還隊員の休養宿泊の場として用意されたもので、ここから各隊員たちは順当にそれぞれの転属先に旅立ち、あるいは原隊に帰って行っただけのことではなかったでしょうか。

 任務を最後まで遂行し得なかったことに対する軍人としての挫折感や忸怩たる思いに加え、生き神様とまで崇められた出撃前とその後の処遇の落差に、隊員たちの心理が順応し得なかったであろうことは想像に難くありませんが、ある映画や出版物が広めた振武寮のストーリーは明らかに針小棒大であり、虚構に近いものだと、私は判断します

追記1 振武寮は兵站宿舎 07.1.17

 売国放送局の昨年の番組では、「振武寮が存在したのは、僅か1ヶ月半…」と言っていたと思います。つまり、20年5月下旬に開設されたのであれば、ちょうどその頃本土に戻ってきた不時着生還者たちを、「世間の目に触れないよう監禁するために設けられたのだ」という主張にとっては都合がよいわけです。

 しかし、第29振武隊山田忠男伍長(4月6日出撃)の回想記によると、飛行機故障のため本隊から落伍して立川へ戻っていた山田伍長が、予備機2機とともに本隊を追及して知覧へ前進の途中、4月3日に福岡の司令部に申告のために立ち寄った際には、その日から5日まで、「福岡県立高等女学校の寄宿舎の仮兵舎」に宿泊したとあります。

 当時、県立福岡高等女学校は第6航空軍司令部として使われており、振武寮があった私立福岡女学院はその傍でしたから、「県立高等女学校の寄宿舎」とは、実は福岡女学院の寄宿舎、つまり振武寮の誤認である可能性が高いと思われます。

 だとすれば、振武寮は4月3日時点には既に存在しており、不時着帰還者収容のために急遽開設されたものではないということです。

 第6航空軍司令部は3月10日付で東京から福岡に移動しましたが、所謂振武寮はそれに伴い、「兵站宿舎」として設置されたものだと考えられます。

 よって、本宿舎の設置は軍としての通常且つ基本的な処置でしかなく、この場所に於ける後の当事者間の葛藤とは、別の問題です。

兵站宿舎=当該基地に勤務する者が居住する兵営ではなく、外来者や一時立ち寄り者のための宿泊施設。

追記2 振武寮は記録から抹殺されたのか? 07.1.17

 『特攻の町知覧』では、振武寮について「日本の軍事記録から完全に抹殺されてしまった」とし、売国放送局の番組も似たようなことを言っていました。

 しかし、抹殺されたのは振武寮の記録ではなくて、敗戦時に現用であった皇軍文書のほぼ全てでしょう。この処分は徹底していて、私物である個人の日誌、写真等までもが焼却されています。

 「振武隊編成表」にしても、当時は複数部が作製されて各部署に配布されていたはずですが、その中で、敗戦時には既に鉾田教飛師に転属していた倉澤氏個人の手元にあった一部だけが、処分から漏れて辛うじて生き残ったのです。

 今日、現存している皇軍文書の多くは、大東亜戦争前半までのものだと思いますが、これらは敗戦時には既に現用ではなかったために、倉庫等に保管されていて敗戦直後の処分から漏れたのだと想像します。

 したがって、振武寮に関しても今日、文書記録は残っていないのがむしろ当然であり、あたかも軍にとって振武寮が隠さねばならないような重要な事項であり、そのために本件記録だけが消されたかのように言うのは、全くの詭弁です

 

月光の夏の真実より転載

■ 補足 07.9.10/11.6.27改訂

 今まで匿名にしてきましたが、本件のピアノを弾いた当人は、特操2期の鍋岡弘昭少尉です。鳥栖国民学校におけるピアノの件は本人も認めていましたが、彼は特攻隊員ではなく、第11錬成飛行隊の所属でもありません。また、音楽学校の出身でもありませんでした。

 彼は、国民学校へ行ったのは自分一人であり、もう一人の存在(作中の海野光彦少尉=音楽学校出との設定)は強く否定していたそうです。

 であるのに、作者がわざわざ架空の人物を登場させたのは、まさか実在の鍋岡少尉を「戦死」させるわけにはいかないので、架空の海野少尉に死んで貰ったということだと思います。

 出撃直前の特攻隊員がピアノを弾き、そして、その隊員が戦死を遂げていなければ感動を呼ばないと考えたのでしょう。これはフィクションそのものです。

 下に引用した、「あえて実在の方から離れて、フィクションの人物を設定した云々」と書かれている意味が、ようやく分かりました。

 因みに、特攻隊員ではないようですが、特操の中にも音楽学校出身者はおりました。「夏の思い出」「雪の降る町を」などで有名な作曲家、中田喜直氏。彼は東京音楽学校卒業後、特操1期生となり、飛行第51戦隊付(下館)であったそうです。

■ 「月光の夏」の真実 06.7.7

1.特操2期生

 もう、ほとんどが鬼籍に入られてしまいましたが、今から十何年か前、目達原の第11錬成飛行隊から調布に配属された特操2期生の方たちとお知り合いになり、お話を伺ったことがあります。
 その中で聞かされた一つが、

「月光の夏という映画、知ってる? あれは嘘なんだよ」という話でした。ちょうどその頃、この映画が公開されて話題になりかけていたのです。

 何でも、モデルとなった特攻隊員が実在であれば同期生の可能性が高いために、特操1期、2期ともに同期会で調査を実施したが、該当者が見つからなかったばかりか、そもそも特攻隊員の中に音楽学校の出身者は存在しないことが判明したということでした。

 この疑念を制作者に申し入れたが、無視され、映画はそのまま公開されてしまったそうで、皆さん不快感を持っておられました。

 私自身は、この当時特段の関心はなかったために聞き流してしまい、映画もその後テレビで見たものの、バカバカしくなって途中で見るのを止め、内容も印象に残っていません。

 しかし、今度振武寮のことを考える機会がありましたので、遅ればせながら原作を読んでみました。

2.実在しない特攻隊

 本書の記述を総合すると、モデルの二人は、目達原の第11錬成飛行隊で3式戦未修教育を受けていた特操2期生だったことになります。

 そして、明野教導飛行師団が編成担任となった特攻隊に配属され、一旦明野本部に移動して「1式戦」を受領、知覧へ向かったとされています。

 その特攻隊は1式戦6機の編成で、隊長は陸士57期、隊員は特操2期2名、少飛15期3名だそうです。一見ありそうな組み合わせですが、実は第6航空軍の既出撃隊の中には見あたりません。

 出撃日も書かれていないのですが、第32軍が首里から後退した頃だそうですから、5月22日以降なのでしょう。つまり、これは244戦隊が連日直掩任務に就いていた、まさにその時期ということです。
 にも拘わらず、直掩隊は飛行機が不足で飛べず、モデルたちの隊は一切の掩護なく6機だけで早朝の知覧を出撃。風間少尉機だけが発動機不調のために諏訪之瀬島付近から知覧に帰還したのです。

 第11錬飛で3式戦を修得していた者が、3式戦ではなく1式戦の特攻隊に任命されることも実におかしく、事実、11錬飛から特攻要員として転出した約70名の中に、1式戦の特攻隊に配属された者はおりません。

 更にいえば、1式戦を使った既出撃特攻隊は大半が12機編成であり、6機編成は2隊のみです。しかもこの2隊は、知覧ではなく万世からの出撃でした。

 以上から、二人が所属したことになっている特攻隊そのものが実在せず、その行動経過も架空であるとの結論に達します。

3.ピアノのエピソードについて

 本件は、特攻隊員とピアノという、たぶん世間一般には意外であった組み合わせにマスコミが美談として喧伝したのでしょうが、皇軍将校には裕福な家庭の出身者が多かったですから、クラシック音楽に親しんでいた者は珍しくありません

 特操2期の一部を教育した熊谷飛行学校児玉教育隊では、隊員はベートーベンなどのレコードを鑑賞し、チェロの演奏会まで開かれたそうです。また、私が承知しているごく狭い範囲だけでも、ピアノを弾くことができた陸軍将校は少なくとも4名おり、そのうち3名は操縦者、またその2名は特攻隊員で、戦没しています。

 ですから、鳥栖国民学校でのピアノのエピソードは、それが誰であったのかは別としてもあり得ることで、おそらく事実なのでしょう
 しかしながら、私自身の経験に照らしても、一度会っただけの氏名も分からない人物を数十年後、しかも短期間に探し出して特定することは、透視能力者でもない限り不可能であろうと判断します。

4.ノンフィクションとは

 著者は、あとがきの中で

「実話をもとに、さまざまな事実をふまえつつ、創作した小説…」と一応断ってはいるのですが、これは巻頭に掲示すべきです。読者には創作部分も事実も見分けがつきませんから、その多くはストーリー自体を「実話」と受け取っているはずです

 私も本書を読む前には、「ノンフィクション」というのはストーリーは事実だが、人物を仮名にしたり、状況設定を少し変えている程度のものかと思っていました。が、本書は全くそうではないことが分かり、驚きました。これでは、ノンフィクションもフィクションも同義のようです

 著者は、当該の二人を特定したが、「あえて実在の方から離れて、フィクションの人物を設定した云々」と書いています。しかし、これに続く人物を架空にした理由は、何度読んでも私には理解できませんでした。 本件は、ピアノを弾いたのが出撃間近の特攻隊員であったと伝えられたからこそ話題になり得たにも拘わらず、前記のように特攻隊に関する記述は嘘ですから、二人が実在の特攻隊員であり、更にその一人が特攻戦死したことを裏付けるものは、本書のどこにも見あたりません。よって、特操2期の方たちがいわれたように、本当は二人を特定できなかったのであろうと判断するのが妥当ではないでしょうか。

 特攻作戦は日本人の琴線を揺さぶる性質の出来事ですから、たとえば「特攻花伝説」とかホタル云々などのように、情緒的、感傷的な伝え方をしてしまいがちです。
 でも、だからこそ、事実を事実として冷徹に検証する姿勢がなければ、後世の日本人に真実を伝えることはできません

 本書を読んでみて、特操2期の方たちの抱いた不快感が、私にも分かるような気がしました。

 

事実と映画化のいきさつを報道する佐賀新聞

佐賀新聞(2006年7月2日)より転載

特攻悲話、次の世代に-市民団体が映画作り支援

※事実

「よう生きとってくださいました」。1989(?1990では)年、生き残った特攻隊員の男性が、よみがえったフッペルのグランドピアノの前で元音楽教師、上野歌子さん(鳥栖市)と45年ぶりに再会した。その感動の場面に齋藤美代子さん(63)は、立ち会った。

 会社を経営する齋藤さんは、テレビ放送された特攻悲話に心打たれた。放送翌日には上野さん宅を訪れ、廃棄処分される予定だったピアノの修復・保存活動を手伝うようになった。「音楽は世界に通じる手段。映画で世界の人に語り継ぎたい」。齋藤さんは、92年に映画「月光の夏」を支援する会を立ち上げ、事務局長として資金集めに奔走した。

※映画ストーリーと制作の様子

  終戦間近、2人の特攻隊員がピアノを思い切り弾きたいと鳥栖小を訪れ、ベートーベンのピアノソナタ「月光」を奏でる。元音楽教師の講演がきっかけとなり、隊員の消息を探していくというストーリー

 小学生や市民ら約850人がエキストラとして出演した。鳥栖小はすでに建て替えられ、ロケ地選びは難航した。戦時中のシーンに合うような木造校舎を探し、解体中だった甘木小(福岡県朝倉市)を選んだ。男子は丸刈り、女子はおかっぱが条件だったが、鳥栖小の児童約50人が参加した。

※国民支援の事実

 撮影は着々と進んでいったが、資金集めが大変だった。制作費2億5,000万円のうち、1億円を支援する会が調達する契約を結んだ。個人は5,000円、企業は5万円。一口募金を募った。「失敗したら、会社をたたまなくてはいけなかった」と振り返る齋藤さん。翌93年に達成した。

 5月、全国のトップを切り、鳥栖市と福岡市で上映を始めた。94年に観客動員100万人、95年には200万人を超えた。映画作りは中央からという常識を破り、市民運動をもとに地方発信の映画作りが成功した瞬間だった。 

 鳥栖市ではこどもピアノコンクール、フッペルの演奏会、独ツァイツ市との市民交流など草の根活動が広がっている。ことし8月にはDVDも発売される。齋藤さんは「映画は見る人に感動だけでなく、使命感も与えたのでは」という。

 映画の公開前、上野さんが66歳で急逝した。生き残った特攻隊員の男性も2002年に亡くなった。元特攻隊員で構成する佐賀、福岡特操会は鹿児島の知覧特攻平和館まで慰霊に出かけているが、毎年参加するメンバーが減っている。

 フッペルのピアノは、鳥栖市のサンメッセ鳥栖に終(つい)のすみかを得た。映画の全編に「月光」に平和の願いを託し、次の世代に伝える人たちがいる。

文 ・藤生 雄一郎

写真・川南  慎司

※映画ストーリー

メモ

 1945年6月に出撃を控えた特攻隊員2人が、今生の別れにピアノを思い切り弾きたいと鳥栖の国民学校(現・鳥栖小)を訪れた。現場にいた音楽教師(故上野歌子さん)が89年に鳥栖小で講演、特攻悲話が注目を浴びる。上野さんやマスコミが隊員の消息を捜して感動の再会を果たす。

 戦時中の鳥栖小のシーンを甘木小で、現代の鳥栖小は田代小でロケ。目達原基地から線路沿いに特攻隊員が走ってくるシーンは、JR久大線で撮影した。

※元NHK契約ライターで報道ドキュメンタリー作家の毛利恒之原作なので、WGIP(NHK)史観の極悪軍隊騙された国民の捏造ストーリーとなった。

『月光の夏』

監督=神山征二郎

制作=仕事

出演=若村麻由美、田中実、永野典勝、渡辺美佐子、仲代達矢

原作=毛利恒之

 

感動話捏造は発覚した時には反動が甚大、真実そのものまでもが否定される

 破格のピアノを選択し小学校に寄贈、戦中、担当の先生は大事にし守った。特攻隊員が訪れ弾いた。担当の先生が廃棄寸前のピアノの思い出を語った。国民の善意でピアノが修復された。生き残った特攻隊員と先生が再会した。風化させずに子孫に遺そうと手弁当で映画化資金を集め、映画が完成し、広められた。当事者は亡くなりピアノだけが残った。ネットでも報じられ拡散した。覚醒した日本ネチズン、映画の内容がNHK(WGIP)史観捏造なのに気付いた。そして、あまりにも脚色された内容に、事実そのものまでもが否定されようとしている。これが真実の顛末である。

みんなの感動はフッペルのピアノが語る真実で、後出しの小説や映画(月光の夏)ではない!

 『月光の夏』は、元NHK契約ライターで報道ドキュメンタリー作家の毛利恒之原作なので、NHK史観(捏造WGIP善悪史観)の、極悪軍対騙された善良国民の捏造ストーリー(振武寮等)となった。

 
あまりにも脚色された内容に、事実そのものまでもが否定されようとしている。いらぬ小細工など不要。「事実」、そのままで充分な逸話である!

 だから『月光の夏』の小説や映画化以前に、皆感動し参画したのだ。

 後出しの小説や映画は、「出涸らしのお茶」以外のなにものでもない!このままでは、良貨(真実)が悪貨(捏造小説)に駆逐される。がしかし、映画化尽力は善意の結晶なので、事実に基づき、新編集が望ましい。叶うなら、新映像がベスト!

対比が余りにも際立つ

 『月光の夏』は実話ではない捏造(薄っぺらな加害者極悪、被害者可哀相史観)低俗話!

 フッペルのピアノが語る真実(ピアノ寄贈、先生、特攻兵、感動し修復保存・映画化に参加した国民とピアノとの命のキラメキ)は、琴線が共振する!

 

乱れ世に 思いかなでし 古きピアノよ (真実史観)


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ 
 

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/tb.php/42-aa0508e1

フリーエリア
プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。