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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観冤罪日本年表職業婦人を従軍慰安婦と捏造証言のみを楯に謝罪賠償要求

冤罪日本年表

 激戦1ヶ月後、反撃に成功した白川軍司令官は3月3日戦闘中止を声明、5月5日に停戦協定が成立して、陸軍は全兵力を引き上げた。

 事変は3ヶ月余という短期間で収拾されたのであるが、3月から警備体制へ移行した派遣軍は、強姦事件などの頻発に悩まされた。

 ――岡部直三郎大将の日記(芙蓉書房1982年)「3月14日この頃、兵が女捜しに方々をうろつき、いかがわしき話を聞くこと多し・・・積極的に施設をなすを可と認め、兵の性問題解決策に関し種々配慮し、その実現に着手する。主として氷見中佐これを引き受ける」

1932年(昭和7)~1939年(昭和14)朝鮮南部連続少女誘拐事件。朝鮮の南部地域(慶尚道・全羅道地域)で続発した。

 犯人は京畿道京城府本町(現大韓民国ソウル特別市中区忠武路)在住の朝鮮人夫婦で、夫は大田刑務所の元看守であった。1932年(昭和7年)に、夫は大田刑務所を退職したが、転職の当てがなかったため、とたんに生活が苦しくなった。そして「金儲けは娘誘拐に限る」と称し、妻と共謀して連続少女誘拐と人身売買を手がけるようになった。

 慶尚北道大邱府南山町(現大邱広域市中区南山洞)の民家に犯人夫妻が訪れ、「俺は京城でも相当な資産家だ。子守娘を雇うのだが、君の娘はどうだろうか。京城の娘はどうも生意気で・・・」と言葉巧みに親を説得し、前金として10円を支払い、その家の娘(当時18歳)を引き取った。その後、娘を京城ではなく中華民国の天津に連れて行き、1000円で売り飛ばしたという。

 後の7年間、同様の手口で朝鮮半島南部の少女約150人を誘拐し、パスポートなしで渡航できた満州国や中華民国の人身売買市場に連れて行き、60000円を荒稼ぎしたという。

 1939年3月4日、全羅南道光州府(現光州広域市)から連れて来られた少女(当時18歳)は、身の危険を感じて犯人宅から逃亡した。犯人は「自分の姪がいなくなった」と東大門警察署に捜索願を届け出たが、不審に思った署員から問い詰められ、7年間の誘拐・人身売買を自白し、逮捕された。

 加害者及び被害者が全員朝鮮人だったことから、朝鮮語メディアである東亜日報や朝鮮日報が特集を組み、大きく取り上げられた。(資料・『京城日報』1939年3月5日夕刊・秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社1999年)

1937年

陸軍省満州事変陸軍衛生史第6巻1937年

 「公認集娼制の主旨で集めた接客婦(慰安婦)は長崎ばかりではなく、青島、長崎、平壌等より日鮮支那人を集めたるも採用時の検査厳重にして不合格者甚だ多数を出せり」834p。

上海派遣軍4月1日制定「軍娯楽場取締り規則」抜粋

「本則は昭和7年4月6日より之を実施す」

1、営業家屋は軍が指定し、必要な設備と損害は営業者の負担。※戦地なので当然である。

2、利用者は制服着用の陸軍軍人、軍属に限る

3、毎月一回憲兵が指定する定休日を設ける。

4、営業を許可された者は接客婦名簿(雇主、氏名、国籍本籍、芸名、生年月日、略歴を記入、写真を添付)を憲兵分隊に提出する。

5、毎週一回軍医が憲兵の立会いで接客婦を検診し、不合格者は接客を禁じる

6、コンドームおよび消毒薬を用いる

7、営業時間は午前10時~午後6時午後7時~午後10時(下士官のみ)

8、遊興料は

 内地人1時間1円50戦

 朝鮮人・中国人1時間1円

9、接客婦は許可なく指定地外へ出ることを禁じる※戦地なので当然である。

10、営業者が接客婦に対する利益の分配などで不当の行為がある時は営業停止を命じる。

 満州事変陸軍衛生史は、1932年3月31日現在の軍人院患者587人の内、性病(花柳病)患者が85人に止まったことを特筆し、慰安所の設置と同時に定めた「花柳病予防方策」の効果が大きかったと評価している。

 5月5日に停戦協定が成立して、陸軍は全兵力を引き上げたので、「5月28日を以って軍娯楽場より(接客婦を)全部退去せしめたり」。

 中国年鑑の1930年版は「妓女6万(1920年)が、現在に於いては少なくとも10万(中国の中国人妓女)は突破している筈であり、之に諸外国売春婦を加うれば10数万の多きに達するであろう」と、解説している。

1956(昭和31)年5月24日法律第18号『売春防止法』を立法した日本。

1970(昭和45)年8月14日、ソウル新聞が「挺身隊に動員された韓・日の女性はおよそ20万。そのうち韓国の女性は、5~7万名」と報道。

※挺身隊とは日本が大東亜戦争中、深刻なを労働不足を補うために軍需工場に女性を動員したもので、「慰安婦」とは全く異なる。韓国は数合わせ(人数が少ない)目的で、「挺身隊=慰安婦」と捏造。国民徴用令は1939年7月に施行されたが、朝鮮においてはずっと後の1944年8月、国民徴用令が朝鮮にも女子を除いて施行される。同月に内地では女子挺身勤労令が出されたが、朝鮮の未婚女性は戸外労働を忌避する伝統があり、朝鮮総督府は朝鮮女子は除外すると言明した。1944年2月末の日本人勤労挺身隊は、約16万人。朝鮮女性の労働力登記は極小で、「5~7万名」は明白な捏造

1972(昭和47)年韓国「太平洋戦争犠牲者遺族会」結成。韓国政府からの戦後補償を受けるために戦争犠牲者の遺族からの届出を受け付けたり、その他、家族の生死確認や遺骨調査、援護の拡充などを求めて活動してきたが、除々に活動の性格が変貌、現在に至る。

 ちなみに、大東亜戦争の朝鮮人戦死者は皆志願兵で、南北で2万2182人。台湾も皆志願兵で、3万304人、日本は強制兵役、徴兵で、234万2341人が戦死。さらに米軍に80万人の市民が原爆空爆で、虐殺された。朝鮮人のような軍対民の同胞殺し合い(朝鮮同胞虐殺)、無駄死に、犬死ではない。

左右対称背乗りスパイ苗字千田夏光・吉田清治・高木健一弁護士等々犯日率先垂範日本人次々と登場!

毎日新聞記者千田夏光が「ジューグンイアンフ」という言葉を捏造

1973(昭和48)年大連生まれの元毎日新聞記者千田夏光(1924~2000)が「ジューグンイアンフ」という言葉を捏造、『従軍慰安婦』出版。「『挺身隊』として動員された朝鮮人女性20万人のうち、5~7万人が『イアンフ』にさせられた」と捏造。1993(平成5)2月『現代コリア』2~3月号(現代コリア研究所 刊)で、現代史研究家、加藤雅夫氏が、千田夏光著講談社文庫『従軍慰安婦』(講談社 刊)の中の嘘を暴露。千田を問い詰めたところ、「従軍慰安婦」という言葉は千田が勝手に作ったもので、内容も島田俊彦著中公新書『関東軍在満陸軍の独走』(中央公論社刊)を参考にしたもので、直接取材はしていない事が判明した。

※戦後28年間、慰安婦を強制連行したなどと、日本人はおろか韓国人さえ言わなかった。なぜか?そんな事実はなかったからである。

1974(昭和49)年千田夏光(毎日新聞記者)著『従軍慰安婦 続(償われざる女八万人の慟哭)』(双葉社刊)出版

マネし捏造した自称元日本陸軍軍人吉田清治も背乗りスパイか! 

2014年9月8日 夕刊フジ 9月8日(月)16時56分配信
 朝日が報じ続けた慰安婦証言の吉田清治氏 証言も経歴も虚構
 朝日新聞に16回も登場した吉田清治氏。あなたは一体何者なのか(写真:夕刊フジ)

1977(昭和52)年吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人』出版

吉田 清治1913年~ )は福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。終戦後の1947年(昭和22年)に、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選したという経歴を持つ。

1982(昭和57)年吉田清治「第一次樺太朝鮮人裁判」(原告代表高木健一弁護士)で原告側証人として、朝鮮人奴隷狩りを証言。

1983(昭和59)年7月吉田清治 著『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行(三一書房 刊)が出版。自著にて「済州島でイアンフ狩りを行い、一週間で205人の女性を強制連行した(5年後の1996年あれは創作だったと著者の吉田清治が認めた)」と記載。

 12月吉田清治が韓国に謝罪碑を建てるために訪韓。天安市の国立墓地に「元労報徴用隊長」の名義で建てた。

1984(昭和60)年千田夏光『従軍慰安婦、慶子』出版
1988(昭和63)年韓国盧泰愚13代大統領。韓国史上初めての民主化政権。軍事政権「強権の皮」では、李朝差別やニセ両班9割が原因の同胞大虐殺の事実を、もう隠蔽不可能となった。人心が内政に向けば韓国は破滅する。結果、仮想敵国日本を国是とすることで、砂の人心掌握を謀った。以後、マスコミや罪日をフル扇動しての本格的な捏造犯日が始った!
 洋公主私娼の矛先(韓国軍や国連軍)を日本に反らす、日本軍公娼騙りは、その一環である。

 前掲の元毎日新聞記者千田夏光吉田清治高木健一弁護士や、後述の売国奴の輩は、捏造犯日国是国家韓国にとっては、まさに、渡りに船だったのである!

 

平成1昭和64(1989)年4月17日天安門事件②胡耀邦追悼集会が民主化要求デモに発展し、人民解放軍が発砲、死者二千人負傷者三万人といわれた。総書記が解任され、小平の抜擢で江沢民党総書記。人心懐柔犯日教育政策の後継者として江沢民小平が指名したのだ。

 

1989(平成1年)年吉田清治『私の戦争犯罪』が韓国語に翻訳され、後にドラマ化。

 韓国梨花女子大学英文科教授 「尹貞玉」 が、「挺身隊問題」を日本の凶産と結託研究。

 

扇動屋「私は善人族」青柳敦子と宋斗会と梁順任登場

 5月朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」事務局長青柳敦子「朝日ジャーナル」に15回にわたって意見広告掲載。青柳敦子は大分県在住で勤務医を夫に持つ40歳の3児の母親、そして、「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を百人委員会」の宋斗会代表は、罪日朝鮮人青柳敦子は、在日朝鮮人運動家(宋斗会)との特殊な関係(宗教か)を持ち、強度の犯日思想に凝り固まっている。

 6月高木健一弁護士「第一次樺太朝鮮人裁判」の提訴取り下げ。後に韓国政府から、国民勲章を授与される。

 8月吉田清治著『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房 刊)が韓国にて朝鮮語に翻訳されチョンゲ研究所から出版。

 8月14日『済州新聞』の許栄善記者が、吉田清治の著書に関する現地調査をし、『「私の戦争犯罪」は全くの捏造と報道。さらに郷土史家の金奉玉氏が追跡調査し、「この本は、日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物、と思われる」と語った。

 11月裁判を提訴する原告探しのため韓国へ渡った青柳敦子・宋斗会の二人は、韓国において「慰安婦裁判の原告募集というビラをまく。このビラには「訴訟費用を負担する」という条件が書いてあり、勝訴すれば賠償金をもらえ、敗訴でも損はない。それに応じたのが、太平洋戦争犠牲者遺族会の当時常任理事だった梁順任だった。

 

オランダの条約破り難癖開始・裁判で決着し、条約で締結したものは、一体なんだったのだ!

 1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で、日本側は「オランダ国民に与えた苦痛に対する同情と遺憾の意を表明するため」、1000万ドルを「見舞金」として「自発的」に提供。こうして、日蘭間の戦後処理は、平和条約と、さらに日蘭議定書において、オランダ政府はいかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことが確認された。

 ところが、戦後長らく反日感情は残り、1971年(昭和46年)昭和天皇オランダ訪問時には、街中「裕仁は犯罪者」という落書きが見られ、卵や魔法瓶が投げつけられ、手植え苗を引き抜かれるという嫌がらせがあり、1986年(昭和61年)には、ベアトリクス女王の訪日計画がオランダ国内世論の反発を受けて中止された。1989年(平成元年)の大喪の礼の際も、多くの君主国が王族を派遣したものの、オランダからは王族が葬儀に参列することはなかった。

1990(平成2年)条約締結担当者すでに亡き34年後のオランダは、対日道義的債務基金(JES)を結成し、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動(条約破り)を始めた。JESは慰安婦問題も取りあげ、償いに直接に責任をとるべきは日本政府である、という立場をとった。

 オランダは大東亜戦争に勝った、がしかし、植民地をすべて失い、狭いオランダ本土に閉じ込められ、かっての栄光は失墜、没落した。

 インドネシア独立の際、オランダ軍に協力したインドネシア人(おもにオランダ人男性と現地女性の混血。オランダ領時代は間接支配の矢面に立った)が、独立後、オランダに大量に流れ込んだ。引揚者たちは、自分たちはデモクラシーの為にファシストのスカルノと戦った、と主張。帰国後の飾り窓の彼女たも、逆に「反逆罪・利敵行為」となるため、「無理矢理サインさせられた」という証言となる。こういった声が合体し犯日となり、折からの日本の犯日、「従軍慰安婦」非難とも、合体したと推察できる。

 

尹貞玉・梁順任・金学順・高木健一弁護士登場

1990(平成2年)年『ハンギョレ新聞』に、韓国の梨花女子大尹貞玉教授が、挺身隊とイアンフを混同させた「“挺身隊”怨念の足跡取材記」を春から連載。

 3月ソウルで梁順任らが「対日公式陳謝賠償請求裁判説明会」を開き、青柳敦子はそこで、裁判費用として400万円準備しているから書類に判をついてほしいなどと説明した。説明会終了後に集まった約千人が、日本大使館にデモをかけた。今も続いているいわゆる戦後補償を求める大使館前デモは日本人の呼びかけで、こうして始まった。その後梁順任らは、青柳敦子から離れ、高木健一弁護士を頼るようになる。

 8月挺身隊』だったと「金学順」登場。ここで韓国による挺身隊と慰安婦の混同が確定。朝鮮人イアンフ20万人キョ-セーレンコー」の元ネタとなる。

 

職責不履行無検証国会野党議員

 5月30日竹村泰子議員(社会党)が国会で初めて、従軍慰安婦の調査要求。

 6月1日吉岡吉典議員(共産党)朝鮮人強制連行、朝鮮人慰安婦一四万人以上犠牲になったことなど質問。

 6月6日本岡昭次議員(社会党)「強制連行の中に従軍慰安婦という形で連行されたという事実もある」と質問。

 10月17日韓国の三九団体(韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会など)の代表がソウル日本大使館を訪れ、連名で海部首相に「公開書簡」を送付。6月6日の本岡昭次議員に対する清水職安局長の答弁を引用し、これを無責任とし、吉田清治の著書を証拠としながら、補償や謝罪を要求。

 11月16日韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が参加して「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)、代表尹貞玉ユンジュンオクを結成。このときから毎週水曜日に慰安婦問題に関してデモを行うようになった。通称「水曜デモ

 12月18日参議院外務委で、清水澄子議員(社会党)6月6日の清水職安局長の答弁について質問。「従軍慰安婦という、強制連行の中で女子挺身隊として強制連行された朝鮮の女性たちの問題は国家も軍も関与しなかったという、それをそのままお認めになるわけですね」

※従軍慰安婦と挺身隊混同質問、検証回路皆無自白。

1991年(平成3)年

オランダベアトリクス女王来日

1991年(平成3年)に来日したオランダベアトリクス女王は、1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で。国家間における賠償問題が解決されているにもかかわらず、宮中晩餐会において、「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と発言し、暗に賠償を要求した。日蘭議定書から34年後のことである。当然当事者は皆、みまかっている。

 これに対し日本政府は応答し、アジア女性基金(1995年7月条約破りに加担)により、総額2億5500万円の医療福祉支援を、79名の個人に対して実施した。

1991(平成3)年『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(吉田清治著三一書房 1983)の「済州(チェジュ)島にて軍の協力により、慰安婦狩りを行い、一週間で205人の女性を強制連行した(5年後の1996年あれは創作だったと著者の吉田清治が認めた)」の金儲け目的の捏造本を利用し、「従軍慰安婦」犯日キャンペーン展開中の朝日新聞が拡散した。まさに朝日は捏造新聞である。

 4月1日参議院予算委で本岡昭次議員(社会党)の質問「政府が関与し軍がかかわって、女子挺身隊という名前によって、朝鮮の女性を従軍慰安婦として強制的に南方の方に連行したということは、私は間違いない事実だというふうに思います。この問題をどういうふうに対応していったらいいと思われますか」※社会党不勉強自白従軍慰安婦女子挺身隊混同。

 5月22日『朝日新聞』大阪版にて「木剣ふるい無理やり動員」という見出しで、内容は、吉田清治の慰安婦狩りの証言と、それに関する写真を掲載。

 8月高木健一弁護士らは「戦後補償国際フォーラム」を東京で開催したが、そこに梁順任ら53人の遺族会メンバーが参加し、日本国内を日本人支援者とデモ行進するなどの活動を行なった。日本のマスコミが戦後補償問題を大きく扱うようになったのは、この頃から。

 

粱順任の娘と結婚していた朝日記者植村隆の慰安婦捏記事

 8月11日突如 朝日新聞が、「元慰安婦に聞き取り調査開始」と報道。「女史挺身隊」と慰安婦をワザと混同させた記事を掲載し、慰安婦捏造一大キャンペーン開始。記者は「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」理事(後の詐欺容疑者粱順任ヤン・スニム)の娘と結婚していた植村隆

 『朝日新聞』ソウル支局?の植村隆記者が「元従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」との見出しで記事を掲載する。(詳細後述)

元慰安婦と自称の金学順偽証と発覚

 8月14日元慰安婦と自称の金学順(キム・ハクスン、김학순1924年 - 1997年12月16日)が記者会見。

 8月15日『ハンギョレ新聞』の報道により、金学順(キム=ハクスン)が「親に売り飛ばされた」と証言していた事が発覚する。「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセンの検番売られていった。3年間の検番生活を終えた金学順さんが最初の就職だと思って、検番の養父に連れられて行った所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」(ハンギョレ新聞91年8月15日)。

 8月16日「1940年春、中日戦争が最も激しかった中国中部地方の鉄壁陣という所にわけも分からなくて売られて行きました。中国人が戦争のために捨てて行った民家を慰安所として整備していたのです」。金(キム=ハクスン)氏が到着した場所ではミヤコ、サダコと呼ばれる17~21才の韓国女性3人が、日本軍を相手にすでに売春行為をしていた」(朝鮮日報91年8月16日)。

14歳の時母親に強制連行され、平壌にあるキーセンの検番に人身売買され、検番の養父に更に3年後に強制連行され、中国中部地方の鉄壁陣の慰安所に人身売買された。強制連行し人身売買したのは母と養父で、日本や日本軍ではない。
「1991年にNHKの終戦関連企画で、私は強制連行をテーマに、同僚は慰安婦をテーマに取材した。韓国で数十人の強制連行経験者に取材したが、軍が連行したという証言は得られなかった」(元・NHKの池田信夫がブログで告白2006年11月04日)。
 8月27日参議院予算委で清水澄子(社会党)が戦争責任と戦後補償について質問。「これまでは請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか」

 10月10日『朝日新聞』大阪版が井上祐雅編集委員による吉田清治のインタビューを掲載する。

1991(平成3)年12月6日宮沢政権発足間もない平成三年12月、金学順(キム=ハクスン)ら3名の元慰安婦を含む太平洋戦争犠牲者遺族会32人の原告が日本政府を相手取り、東京地方裁判所へ謝罪と損害賠償を求める訴えを起こしたが、すぐに、この朝鮮人慰安婦はキーセンであり、日本軍に強制連行されたのではなく、キーセンハウスの経営者である義父に、日本軍の慰安所につれて行かれたことが分かった。しかし朝日新聞はこれについての訂正記事を出していない。提訴する。訴訟原告代理人は高木健一、幣原廣、林和男、福島瑞穂弁護士らである。

 2001年に3月に東京地方裁判所は請求を棄却。この時点で金学順は死亡している。2004年11月 最高裁も棄却。

 

懲りない朝日新聞今度は吉見義明を担ぎ出し「通牒案」は隠蔽災い談話」の元祖となった

1992(平成4)年朝日新聞の記事に追随慰安婦関連団体の多くが1992年に誕生!

1992(平成4年)年1月11日吉見義明が防衛庁防衛研究所図書館から見つけた資料(通牒なので実際に通牒されたものではない草案)と解説(は隠蔽し、実際に通知された文書命令のごとくに装い、軍の関与は明白であり謝罪と補償をと捏造)を載せ、朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」として、宮沢喜一首相の韓国訪問5日前というタイミングで、扇動した。

 吉見 義明1946年~)東京大学文学部国史学科卒。歴史学者、中央大学商学部教授。日本の戦争責任資料センター代表。山口県出身。慰安婦問題で吉見は、慰安婦は軍政策としての強制連行で、日本による性奴隷制度とする人物である。吉見はこの記事から、世間を騒がすようになった。永井和京都大学文学研究科教授)も同類日本軍の慰安所政策について)。

 こじつけ解釈吉見 義明や歪曲朝日新聞の報道により、政府は混乱し、後のいわゆる「災い談話」へ繋がった。

資料(草案

1938年(昭和13年)3月4日

陸軍省副官通牒2197

軍慰安所従業婦募集に関する件

兵務部

 副官より北支方面軍 (および) 中支派遣軍参謀長宛通牒案(通牒なので、これは未送達の文)

 支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之 (これ) が従業婦等を募集するに当り、故 (ことさ) らに軍部諒解 (りょうかい) 等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且 (か) つ一般民の誤解を招く虞 (おそれ) あるもの、或 (あるい) は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起 「じゃっき(引き起こす)」する虞 (おそれ) あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受くるものある等、注意を要するもの少なからざるに就 (つい) ては、将来是等 (これら) の募集等に当りては、派遣軍に於 (おい) て統制し、之 (これ) に任ずる人物の選定を周到適切にし、其 (その) 実施に当りては、関係地方の憲兵及 (および) 警察当局との連繋を密にし、以 (も) って軍の威信保持上、並 (ならび) に社会問題上、遺漏 (いろう)なき様 (よう) 配慮相成度 (あいなりたく) 、依命 通牒 「いめいつうたつ(文書命令)」す。

陸支密第七四五号昭和13年3月4日

素直に読むとこうなる

副官より北支方面軍 (および) 中支派遣軍参謀長宛

 「内地に於て従業婦等を募集するに当り、軍の威信を傷つける等注意を要するもの少なからざる。将来是等 (これら) の募集等に当りては、派遣軍に於 (おい) て統制し、軍の威信保持上等配慮の事」、つまり、「内地では軍の威信を傷つける等があるので、将来外地で実施の際はそんなことが無いように」。大意は将来外地で募集の際は不正無きよう特に配慮せよ」。

 慰安所業者募集の際の不正を、厳しく取り締まれということを指示した資料で、吉見義明や朝日新聞が

「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」の資料ではない。

 戦地なので、民間の移動や設営に助力は必要不可欠なものである。それは、「軍の関与」ではなく安全管理で、戦地での民間保護や協力や不正取締りも、軍隊の仕事である。

 朝日新聞の報道(下書き隠蔽)により政府は混乱し、後のいわゆる「河野談話」へ繋がった。

 思索力検証力読解力皆無丸暗記HDD(加藤紘一・宮沢喜一・河野洋平・村山富市等)は、「未送達の」を「送達済文書命令」と丸鵜呑み、欠陥自白談話を次々と発表、今日の災いとなった。4につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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