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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観慰安婦証言者の必須アイテムが強制連行・性奴隷・日本国の犠牲者・謝罪

13慰安婦証言者の必須アイテムが強制連行・性奴隷・日本国の犠牲者・謝罪

中国も韓国も慰安婦訴訟は国策との自白!個人や単なる団体の仕業に非ずは明白!

米国での慰安婦訴訟

2000年9月、第2次大戦中に日本軍の「従軍慰安婦」にさせられたと主張する中国や韓国の女性15人が、日本政府を相手どって、損害賠償請求などの集団訴訟を首都ワシントンの連邦地方裁判所に起こした。支援したのは「ワシントン慰安婦問題連合Inc」。

  米国には、国際法違反に対する訴訟は地域や時代にかかわらず受けつけるシステムがある一方、外国の主権国家については、「外国主権者免責法」により、その行動を米国司法機関が裁くことはできないとしている。 ところが同法には、外国の国家の行動でも商業活動は例外だとする規定がある。 元慰安婦を支援する団体は、慰安婦を使った活動には商業的要素もあったとして、この小さな例外規定の穴をついて、日本政府への訴えを起こしたのだ。

 日本政府は当然、この種の賠償問題はサンフランシスコ対日講和条約での国家間の合意で解決ずみだとして、裁判所には訴えの却下を求めた。 

2001年10月ワシントン連邦地裁は、日本側の主張を認めた形で原告の訴えを却下した。原告側はすぐに上訴。

2003年6月ワシントン高裁でも却下され、原告側は最高裁に上告した。

2004年7月最高裁は高裁へと差し戻した。 ちょうどこの時期に最高裁が第二次大戦中、ナチスに財産を奪われたと主張するオーストリア女性の訴えを認め、オーストリア政府に不利な判決を下したため、日本政府を訴えた慰安婦ケースも類似点ありとして再審扱いとしたのだが、ワシントン高裁の再審理でも日本政府に有利な判断がまた出た。

2005年11月原告はまた最高裁に再審を求めた。 

2006年2月21日米連邦最高裁判所は「慰安婦の訴え」却下の判決を下した。

2006(平成18年)年4月10日アメリカ下院の対日非難決議案を審議する際の資料とされた同議会の調査局の報告書に、「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として、「吉田清治の証言」が明記されている事が判明。予備知識終了

 

 このような経緯で、2007年1月31日マイク・ホンダら民主党議員5人とクリストファー・スミス氏ら共和党議員2人が、日本軍の慰安婦動員を非難して、日本首相の公式謝罪を促す決議案(H.Res121)を提出と、なった。

2007年2月15日米下院「慰安婦聴聞会」韓国人2名、オランダ人1名女性が証言

 2月15日下院外交委員会アジア太平洋・地球環境小委員会における公聴会で、元慰安婦と自称の3人(李容洙、金君子、ジャン・ラフ・オハーン)が証言。

 

自称元慰安婦捏造証言者の、必須アイテムが「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)・日本国の犠牲者(殉難者・英雄)・日本国が謝罪(賠償金奪取正当化の大義名分)」!

 「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)・日本国の犠牲者(殉難者・英雄)・日本国が謝罪(賠償金奪取の正当化の大義名分)」は、「自称、元慰安婦証言者」の、身内親族からの非難回避用で、かつ、犠牲者(殉難者)として賠償金を勝ち取る為の必須の小道具である!この捏造小道具を無条件で信用する非常識の輩が、拡大した!

 慰安婦問題唯一の根拠は、「自称、元慰安婦証言」のみ!「慰安婦」は身内親族にとっては不名誉千万なのである。したがって、自ら進んで「慰安婦」になったと証言する馬鹿者(慰安婦は商売なので被害者ではない、証言は不名誉の拡散のみで、百害あって一利なし)などは、皆無。もちろん、「賠償金」は、「合法下の商売」なので、取れないことは常識である!

 したがって、自称証言者の証言内容には、「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)・日本国の犠牲者(殉難者・英雄)・日本国が謝罪(賠償金奪取の正当化の大義名分)」の事項を盛り込むことが絶対の条件となる(韓国初期の証言は、この完全捏造がまだ徹底されておらず、本音(真実)がちらついている)。

 「自称、元慰安婦証言」は、「強制連行、誘拐された、騙され監禁された、私は被害者(殉難者)」と証言することで、「身内親族からの非難を回避」し、「ならどうして逃げなかった」の追求は、「閉じ込められ(性奴隷とされ)逃げられなかった証言」で「回避」し、このような犠牲者(被害者)だから「賠償金をくれ」論法となる。日本国への謝罪要求は、ただの売春婦が、自国民の同情を集めて英雄となるための必須のアイテム。自称証言者がただの売春婦(売女)か、英雄(殉難者)かの分岐点「お墨付き」が、「日本の謝罪」なのである。

 河野談話では「心からおわびと反省の気持ち」と言ったが、日本政府は被害者が要求する公的な謝罪と補償は行わず、民間の募金を基にした「女性のためのアジア平和国民基金」が一人二百万円を支払い、首相のおわびの手紙を添えるという方式で対処した。がしかし、韓国の自称慰安婦の圧倒多数が拒絶した。

 「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)」は、身内親族不名誉非難やさらし者「回避」の免罪符日本政府が「強制連行・性奴隷」を認めての謝罪と補償なら、「日本被害者と認定なので身内親族からの非難やさらし者は回避出来る」ので、受け取れるが、「日本が被害者と認定無き」は、「元、自発売春婦の、ただのごね得」となり、身内親族不名誉非難さらし者となることは、明白である。「受け取り拒否」は、当然なのである。日本国は、強制連行・性奴隷(自称慰安婦の捏造)」などしていないので、自称慰安婦のご要望(捏造)に応えることなどは不可能で、戦国時代の自存自衛のためとはいえ、巻き込まれた同胞への「思いやり謝罪」が、限界!これまた当然なのである。

 現代でも買収されたでは非難されるのみだが、「脅迫された」と「告白」すれば被害者となり、同情が集まる。つまり、「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)」と売春業を、セットにして証言しなければ、証言者は天に唾棄、奈落の底(売女)への転落となる。

 つまり、自称慰安婦証言者の死活は、いかに捏造して口を極めて日本をののしるか、そして、いかに捏造して世界の同情を集めるかに、懸かっている。こんな「いわく尽くしの証言」を、丸鵜呑みする方が異常なのである。

 一部で暴走事件(白馬)はあったが、全体(日本軍)ではない!沖縄で米兵の強姦事件があった、だから米軍は強姦軍とはいわない。当然の常識である。一般常識無皆無の、モヤシ吉見凶授や高木、福島瑞穂、日弁連、人権派弁護士自称戸塚悦郎、韓国オランダ証言、米加豪比UE議会等犯日の論法は、「沖縄で米兵の強姦事件があった、だから米軍は強姦軍」なのである。婦人や少女が誘拐されるのを、黙って看過する身内親族村町が、世界にあるだろうか?あるはずなど無い!職責者の常識回路がまともなら、こんな大騒動にはならなかった。

騙れば老人天国

 証言者利得は、金がもらえて、いろんなとこに金をもらって行けて、「話すだけで」歓迎され、旨い物が食える。まさに、騙れば極楽

「米国下院121号決議」の前に下院公聴会にて自称慰安婦として韓国人2人オランダ人1人証言

[韓国の新聞中央日報日本語版]  2007年02月16日
米議会で初の‘慰安婦聴聞会’…韓国・オランダ人女性3人が証言

 ――下院外務委員会アジア太平洋・環境小委が米議会史上初めて開いた‘慰安婦聴聞会’では、李容洙(イ・ヨンス、79)さん、金君子(キム・クンジャ、81)さん、ジャン・ラフ・オハーンさん(85、オランダ)の3人が、日本軍の慰安婦として連行されて受けた侮辱を生々しく証言した。 200席余をぎっしり埋めた傍聴客は3時間以上続いた証言を粛然とした雰囲気の中で傾聴した。

◇「犬や豚以下の生活=最初に証言した李容洙さんは「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」とし「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」と証言した。 日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。李さんは「終戦後に家に帰ると、母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」と述べた。李さんは「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。 世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」と強調した。

 続いて、16歳だった42年に中国連行された金君子さんが証言した。金さんは「慰安所で一日平均20人、多い時は40人の日本軍を相手にする地獄のような生活を送った」とし、「日本軍は小さな刃物で私の体を少しずつ切りつけ、服を激しく破り、コンドームも使わず跳びかかってきた」と語った。続いて「いっそのこと死んでしまおうと思って何度も自殺を図ったが、日本軍が見張っていてそういう機会もなかった」と述べた。金さんは「45年8月の終戦で日本人が‘出て行け’と言ったので、同僚8人と畑の白菜を取って食べ、1カ月以上も歩いて家に帰った」と悲惨な帰郷過程を伝えた。金さんは「慰安所に到着した初日、抵抗して殴られ、左耳の鼓膜が破れた。体にも多くの傷が残っている」と涙声で話した。

◇「日本将校が刃物で脅して強姦」=西洋人慰安婦として証言し関心を集めたオハーンさんは「日本軍は私の青春を無惨に踏みにじり、すべてのものを奪っていった」と怒りを表した。オランダ植民支配下のインドネシアで生まれたオハーンさんは19歳だった42年、日本軍がインドネシアを占領した後、収容所に入れられた。 オハーンさんは「その日の夜、日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。 その夜は何度強姦されたか分からない」と身震いしながら話した。オハーンさんは「一緒に連行されたオランダ人少女らと3年半注・3年半は中央日報の捏造)毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」と語った。また「日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」と主張した。続いて「日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」と求めた。 (注・以下の言葉は証言にはない。中央日報の捏造)オハーンさんは「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない」とし、日本が正式に謝罪するまで闘争を続けると誓った。

◇米国議員間で意見の差=慰安婦決議案を主導したマイケル・ホンダ下院議員(民主、カリフォルニア)は聴聞会で証人を自ら要望、「今われわれが行動に出なければ、日本政府の謝罪を引き出す歴史的な機会を失ってしまう」とし決議案の採択を促した。 しかしローラバシャー下院議員(共和)は「日本はすでに何度も謝罪している。そういう文書を受けている」とし「前の世代の過ちで日本の現世代が処罰を受けてはならない」と主張した。聴聞会を進行したファレオマバエガ・アジア太平洋小委委員長(民主、サモア)も「生涯英語を使い続けてきたが、今日の証言を聴くと、その悲痛さをいかなる単語で表現すればいいのか分からない」とし、慰安婦の痛みを理解するという立場を見せた。

◇聴聞会の意味・展望=この日の聴聞会は、ホンダ氏ら民主党議員5人とクリストファー・スミス氏ら共和党議員2人が先月31日、日本軍の慰安婦動員を非難して日本首相の公式謝罪を促す決議案(H.Res121)を提出したことを受けて開かれた。議会消息筋は「この日の聴聞会で日本軍の蛮行実態が暴露され、日本政府の謝罪、釈明が偽りであることが明らかになったため、今後、決議案採択に前向きに作用するだろう」と述べた。ホンダ議員は3月末までの決議案採択を目標にしている。 加藤良三駐米日本大使はこの日、アシア太平洋小委に書簡を送り、「日本はすでに慰安婦問題の責任を認め、韓国やフィリピン、台湾、インドネシアなど慰安婦被害者に補償もした」とし、決議案採択を阻止する意向を明確にした。

強制連行され慰安婦と自称の韓国人2人の証言検証

 韓国人二人は証言のみで証拠無し。前掲のように日本人中学生が朝鮮人女学生をからかったことが原因で、大規模な学生抗議運動となり、朝鮮全土に広がったのが1929(昭和4)年の光州事件。どこの国に、「強制連行し慰安婦にする自国軍」を看過する国民が、いようか!常識さえあれば、子供でも解ること、すべて偽証である。

「慰安婦」唯一のオランダ人証言者ジャン・ラフ・オハーンの証言と背景

予備知識

ジャン・ラフ・オハーンの最初の証言日本

1992年12月9日「日本の戦後補償に関する国際公聴会」証言

アジアの声 第7集国際公聴会実行委員会編

世界に問われる日本の戦後処理①「従軍慰安婦」等国際公聴会の記録東方出版1993年5月25日

証言・オランダ

強姦された女の叫び ジャンヌ・オヘルネ(ジャン・ラフ・オハーン

司会者 次にオランダに移らせていただきます。

最初匿名といわれておりましたが、勇気をもってご自分の名前を明らかにされました。オランダからいらっしゃいました戦争犠牲者のジャンヌ・オヘルネさんです。彼女について、オランダ対日道義請求財団のユングスラガーさんから紹介していただきます。

ユングスラガー こんにちは。私はユングスラガーと申します。私は対日道義請求財団の顧問をしております。今日は私も、後ほど皆様方に証言したいと思いますここに紹介しますのは。オランダの女性犠牲者のひとりですが、ひとつ強調しておきたいことがあります。オヘルネさんに間もなくお話をしていただきますが、オヘルネさんは完全に、この「コンフォート・ウイメン」、「慰安婦」という言葉を拒否したいと思っていらっしゃいます。「コンフォート」というのは、愛ということ、同情ということ、あたたかさということです。しかしながらそういう名のもとに彼女たちがさせられたことは、愛やあたたかさや憐れみとはまったくかけ離れたものでした。オヘルネさんはきょう、日本の戦争によりレイプされた、そういう「犠牲者」の話をしてくださいます。日本の戦争で強姦された「犠牲者」の証言です。

ジャワの捕虜収容所から連れ出されて

 私も沈黙を破りました。50年にわたり沈黙を守ってきましたが・・・。そして今日は私の娘が隣に座っております。私を精神的に支えてくれるためです。私が今日話をするのは非常に個人的な話です。これを私は「強姦された女の叫び」と呼んでおります。

 私の名前はジャンヌ・オヘルネです。オランダ人です。1942年、私が19歳の時、オランダ゙領東インドを侵略した日本軍によってジャワにある捕虜収容所に入れられました。第二次世界大戦中、3年半にわたって日本の捕虜収容所で生活させられました。日本による収容所時代にオランダ人の女性が経験した恐怖、屈辱、残虐な仕打ち、飢え、苦難については数多く語られてきました。しかし、第二次世界大戦中、日本軍が行った屈辱的で最もひどい人権侵害については、まだ一度も語られていません。

※前掲検証のごとく、42年末か43年から45年8月なので、正味は2年8ヶ月未満なので、捏造している。

 私は最初、アンバラワ収容所に、母と二人の妹といっしょに入れられました。約二年間そこにいました。1944年年2月のことでした。収容所の重労働から戻る途中でした。突然収容所が騒がしくなりました。日本の軍人たちが大勢トラックで到着したのです。最初、点呼のために呼び出されるのだと思いました。しかしそうではなく、「17歳以上の独身女性は中庭に整列しろ」という命令が出されました。私たちはこの命令に不吉な感じを受け、何か変だと疑わしい気持ちになりました。「あなたもそうよ、ジャンヌ」、母が言いました。その声は震え、目は恐怖に満ちていました。

 収容所全体が恐怖ですっぽり包まれ、中には隠れようとする少女もいました。私たちは長い列に並ばされ、何人もの軍人が列に向かって歩いてくるのを見て、怖くて震えました。軍人たちの顔つきに不吉な予感がしました。上から下までじろじろ見て、お互いに笑ったり、私たちの誰かを指さしたりしていました。若い私たちはおびえ、うなだれ、顔を上げる勇気もなくそこに立っていました。日本人は列にそってゆっくり歩きながら、時々、私たちの顔を見るため無理やりあごをあげさせました。

 彼らは歩きながら、にやにや笑ったり、指をさしたり、私たちの体に触ったりしました。何か話し合った後、半分が帰ってよいと言われました。私は長い列に残されたままでした。恐ろしさで体全体が震えていました。そこからまた誰にするか選び、最後に10人の少女が前に出ろと言われました。その他の少女たちは心配する母親の元に帰ってゆきました。私は残った10人の内の一人でした。

 女性たちの泣き声や叫び声が聞こえてきました。勇敢に日本人にはむかい、私たちを取り戻そうとしているのです。

 通訳を通して、所持品を一つのバッグに詰めて、ただちに正門に集まるよう言われました。

 そこには私たちを連れて行くトラックが待っていました。詳しいことは何も聞かされませんでした。少女たちと母親たち、収容所にいる全ての人が力の限り抵抗しました。あたりは悲鳴や叫び声、泣き声に包まれました。

 しかしすべては無駄でした。凶暴な敵の前に押え付けられ、力なく従うしかない私たちは、まるで屠殺場に連れて行かれる羊のようでした。わずかな荷物を詰めている間も監視の目は続きました。私は聖書、祈祷書、十字架を鞄に入れました。その時、私にとってこれらが一番大事に思えたからです。私を守って強くしてくれる武器のように思えました。

 看守に付き添われ、私たちは正門へ行きました。そこでそれぞれ母親や家族に別れを告げました。母と私は言葉もなく、ただお互いの目を見て抱き合いました。その瞬間、二人は互いの腕に抱かれたまま、まるで死んでしまっているように感じられました。

 みんな泣きながら無理やりトラックに入れられました。6人の少女が、新たに私たちのみじめなグループに加えられました。結局16人の少女が、不本意にもアンバラワ収容所から連れてゆかれたのです。

「主人」からの命令

 私たち16人は、恐怖におののく動物のように、かたまってうずくまりました。どこに連れて行かれるのか想像もつきません。

 しばらくして、セマランへ通じる幹線道路を走っていることが分かりました。市街地近く来ると、セマラン郊外の丘陵地帯の道に入りました。トラックは一軒の大きな家の前で止まりました。7人が降りろと言われました。私もその一人でした。連れてこられた家がどんな目的で使われているのか、その後すぐに分かりました。そこの責任者と思える将校の後を、私たちはおそるおそるかたまって付いてゆきました。一人ひとりに部屋があてがわれました。その夜、私も他の少女たちも眠ることができなかったので、みんなで大きなベットに集まり、恐怖の中で抱き合って、祈ることで勇気を奮い立たせようとしました。

 次の日、多くの日本人が家にやって来て、私たちは居間に呼ばれました。日本人の性の慰みのためにここにいるのだと、彼らは説明しました。つまり売春宿に連れてこられたのです。いつでも彼らの言う通りに従わなければならず、家から出ることは許されませんでした。事実、家は監視されていて、逃げようとしても無駄でした。私たちがこの家にいる目的はただ一つ、日本人のセックスの相手をすることです。強制売春の奴隷にされたのです。

 私は恐怖で全身が震えました。将来はめちゃくちゃにされ、足元が崩れ落ちてゆくように感じられました。こんなことは絶対許されないことだ。人権をまったく無視している、これを許すくらいなら死んだ方がましだ。私たちは大声で反対しました。日本人は笑いながら、彼等が今や主人なのだから何をしようと勝ってだ、もし命令に従わなければ家族が面倒なことになると脅しました。

 次の日、玄関脇にある部屋が待合室に変えられていました。私たちは写真を撮るよう言われました。カメラの前で私たちは怒った顔か悲しい顔をしました。出来上がった写真は待合室の壁に貼られ、日本名がつけられました

 一人の日本人女性が家に来ました。「やっと女の人が来た」、そう思いました。「女性なら絶対私たちのことを理解して助けてくれる」と期待しました。市k始祖の人は何の同情も見せませんでした。その家は売春宿になるよう、どんどん変えられてゆきました。14に続く⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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