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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観中朝韓罪日の愛国無罪犯日歴史捏造教育は同胞大虐殺隠蔽人心懐柔目的

5中朝韓罪日の愛国無罪犯日歴史捏造教育同胞大虐殺隠蔽人心懐柔目的

 沖縄で米軍の暴行事件があったから、米軍は暴行事件に関与したとは報道しないだろう!捏造するな!

 捏造記事先人非難常習犯朝日新聞こそ、「枝でなく、幹を見ろ!」。

 

 韓国の人たちにも、わかってほしいことがある。

 河野談話を受けて、日本政府の主導で官民合同のアジア女性基金を設立し、元慰安婦に対して「償い金」を出してきた。それには歴代首相名のおわびの手紙も添えた!

※丸暗記受動政治屋「宮沢・河野・村山・歴代首相」の元凶(元ネタ)が、朝日新聞

 

 こうした取り組みが、韓国国内でほとんど知られていないのは残念だ。

 もっとも、今回に限らず日本の一部の政治家は、政府見解を否定するような発言を繰り返してきた。これではいくら首相が謝罪しても、本気かどうか疑われても仕方ない。

 5年前、当時の安倍首相は当局が人さらいのように慰安婦を連行する「狭義の強制性」はなかった、と発言した。

※サマラン事件は一部兵士の事件で、全体(日本軍)ではない。韓国人が銃乱射で米国人を大虐殺した。だから、「韓国は大虐殺国」と朝日新聞は報道するのか?

 

 その後、米下院や欧州議会が慰安婦問題は「20世紀最悪の人身売買事件の一つ」として、日本政府に謝罪を求める決議を採択した。

※他国が20世紀最悪の人身売買事件の一つとして、日本政府に謝罪を求める決議を採択した」。がしかし、それがどうして「正しい」と言えるのだ。「長いもの(中韓捏造工作)には巻かれろ」なら、日本は独立国家ではなく、隷属地である。

 言葉と文字界丸暗記は日本のみではない。「溺れる犬は棒でたたき殺せ!」とばかりに米韓捏造(元凶中国)条約破りに追随慰安婦決議した「米比豪韓蘭加EU」は、思索回路無き丸暗記屋の同類で、危険な戦争誘発集団である!

 

 自らの歴史の過ちにきちんと向き合えない日本の政治に対する、国際社会の警鐘である。

※67年間も自らの歴史(捏造・スパイの歴史)の過ち』にきちんと向き合えない朝日新聞は、死(廃刊)ななきゃ治らない!

 

 河野談話の見直しを求める政治家は、韓国や欧米でも同じ発言ができるのだろうか。

 野田首相も誤解を招く発言は避け、河野談話の踏襲を改めて内外に明らかにすべきだ。

※捏造が歴史の詐欺師朝日に、政治家や首相に文句を垂れる資格などない!1990(平成2)年『朝日新聞』の植村隆記者(妻は韓国人)が義母(韓国人)と結託の、「元従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」捏造記事掲載がマッチで、この記事がポンプ。「慰安婦問題」元凶のくせに、盗人猛々しい。まさにマッチポンプそのものである。

2012/10/06NY繁華街に慰安婦広告 謝罪求め韓国民間団体

 世界中の観光客が集まるニューヨークの繁華街タイムズスクエアにこのほど、韓国の民間団体が従軍慰安婦問題について日本に謝罪を求める広告を出した。

 在ニューヨーク日本総領事館は4日、看板設置の権利を持つ広告会社に、同問題についての日本政府の公式見解を説明する抗議文書を送った。

 看板は十数メートル四方。映画などの看板が立ち並ぶ中でも目立つ大きさで、「あなたは覚えていますか」と英語で大きく書かれている。

 40年余り前に当時の西ドイツのブラント首相がポーランドを訪問し戦争犠牲者の記念碑の前でひざまずいている写真を掲げ「性奴隷として働かされた朝鮮半島の女性は日本からの心からの謝罪をいまだに待っている」と書かれている。(共同)

ブラント首相が、ワルシャワ蜂起の犠牲者(100万市民の内20万人戦死は、5人に一人)や、ワルシャワゲットー殲滅戦(7千人のユダヤ人が戦死し、6千人が防空壕の中で焼死し、残った5万人は絶滅収容所に送られ、虐殺)謝罪は、当然である(上極悪NHK洗脳捏造子孫ぽーらんど歴史わるしゃわ不屈復興世界い産子孫へ)。この謝罪と、韓国捏造朝鮮自称慰安婦は全く無関係。韓国捏造手口は、子供ダマシで、歴史無知韓国との、白状宣伝でもある。

 謝罪の次ぎは、韓国が売春超大国、かつ売春超輸出国なのは、日本が「性奴隷」にしたからだ、「賠償せよ!」だろう。ドイツはWW1報復戦争で、日本は、日本(朝鮮人も)を飢え死にさせないために頑張った兵糧攻め脱出自衛戦争で、目的も全く異なる!

 

中国や韓半島の戦いは老若男女皆殺しだが日本の戦いは武士と武士

 大陸(韓半島や中国)の戦争は、老若男女皆殺しで民族の入れ替え(韓国の四三虐殺・中国の、雲南、チベット、新疆ウイグル、内モンゴル、満州、台湾等虐殺)をし、痕跡を破壊し、歴史を捏造する民族と民族の戦争。

 同一民族日本の闘いは、民族と民族の戦争ではなく、権力移行(武士と武士の戦い)なので、歴史は破壊されず継続する。巻添えはあったが老若男女皆殺し(民族の入れ替え)が戦争の目的ではなく、権力奪取が目的なので、大きく異なる。

世界のどの民族にもある絆、誇り、反省が全くなく、全てが責任転嫁で終始が中朝韓罪日。

 漢人朝鮮人耽羅人は被抑圧の歴史。特に漢人朝鮮人はコンプレックスのかたまりで、前掲U1速報にはその証拠が、刻々満載である。

 日清戦争前の漢人と朝鮮人と耽羅人の状態。詳細は1頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏大アジア主義に殉じた人々犯日隠蔽の歴史 参照

 漢人(4億)は満州人(600万)支配下の被差別民族で、朝鮮人は、清国(満州人)と漢人支配下の被差別民族。朝鮮李朝は中国伝来仏教を破壊し、儒教を差別目的で広め、1割の両班が最下層は動物以下の李朝差別で、9割の民衆を519年間支配した。そして大陸最下層の李朝朝鮮人が、「結婚は血が穢れる」とまで差別したのが、済州島である。がしかし済州島は、大陸韓半島からは差別され続けたが、同化せず、人間としての証、「絆・誇り」を失わなかった三無(乞食・泥棒・門無し)三多(石・風・女多い)助け合い(究極の共産主義)の島で、歴史も神話も一系の異なる民族(耽羅人)で、別格(朝せん戦争起因は李朝差別済しゅう島四三は朝せん浄化殲滅軍対耽羅死守隊)。心も姿も、日本人に最も近かったのが耽羅人である。(※済州島(耽羅国)は日本敗戦後、韓国李朝差別に団結して抵抗したが、韓国は「共産狩り」と偽り、女子供老人妊婦にいたるまでことごとく虫けらのごとくに虐殺した。韓国は、「赤狩り」と歴史を捏造したが、この「耽羅人四・三大虐殺」は、ヒトラーと同類の、民族浄化である。この戦いで真の耽羅人をことごとく失った済州島(耽羅国)は、以後韓国に同化され、李朝差別を破壊した日本を、今では非難している)。

 清国は南下露西亜や欧米に蚕食されながらも日本に迫り、露西亜は韓半島や対馬に迫っていた。

国難に際し団結した日本

露西亜艦隊対馬占領は、日本九九年戦争の始まり。以後、1960年植民地独立付与宣言「互恵平等自由貿易」の新秩序確立まで、日本存亡を懸けた九九年間もの、艱難辛苦の長い戦いが続く。

1861年2月3日~7月25日まで6ヶ月間露西亜艦隊日本の対馬を占領。当時ロシアの南下政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣して、ロシア軍を対馬から排除。

韓半島進出

 南下露西亜、欧米や露西亜に蚕食されながらも日本を狙う清国。そして、海軍力で世界を征した欧米列強も、日本を狙っていた。この国難に、尊皇攘夷から尊王開国へ一気に転換、日本は歴史に従い、天皇の基に団結し開国、富国強兵に励んだ。

 時は攻めなければ攻められる八方が敵の戦国時代、資源無き小国日本、兵糧攻めされての援軍の当て無き籠城本土での戦いは、即刻敗戦となる。資源無き小国日本の弱点は兵糧攻めで、海軍力で世界を席巻した欧米列強の海上封鎖で万事休すが、日本なのである。

 したがって、海上封鎖時の補給路確保が、日本国適者生存生き残り唯一の術で、大陸の韓半島が日本命運のカギとなる。韓半島が敵となれば元寇の侵略ルートで、味方となれば逆に、世界を征した欧米列強最強海軍海上封鎖時の、補給ルートとなる。日本の国難打開の分岐点で生命線が、まさに韓半島で、まず韓半島を制することが、清国や露西亜の南下や、欧米列強最強海軍海上封鎖時の備えとなるのである。しかし、侵略征服では敵が増えるだけである。富国国強兵に励みながらも日本は、とにもかくにもカギになるのが韓半島、清国属国朝鮮懐柔に打って出た。

 懐柔しなければ日本が滅んだ。日本の相手は露西亜や清国欧米列強で、韓半島ではない。

 八方が敵の戦国時代、日本単独では露西亜や欧米列強の白色人に対抗は、しょせん無理なので、試行錯誤の連合思想が乱立した。この辺は、「大東亜戦争肯定論:・ 林 房雄:著」に詳しい。

戦国の世などどこ吹く風と嫁と姑がいびり合い(我欲分裂)の朝鮮

1873年 朝鮮閔妃(びんぴ、大院君の息子高宗の嫁)大院君(義父)を追放、閔妃(嫁)を中心にした閔氏政権の成立。

1875年 江華島事件。日本が朝鮮との国交通商を要求し武力示威した事件。

1876年 明治新政府と日朝修好条規を結ぶ。

1881年 後の東亜新秩序や大東亜共栄圏の原型大アジア主義(アジア主義とも言う。日本を中心にアジア諸民族が団結して、欧米列強の圧力に対抗すべきと説く思想)を、頭山満が唱えた

1884年 清国は日本を征伐しようとしていた。日清戦争前、清国はすでに日本を征伐するための軍略的偵察を行ない、清国駐日大使館随員姚文棟の兵略書『日本地理兵要』(1884年)を作成している。

1885年~87年 巨文島事件。英国はロシア艦隊の日本海回航を阻止するため、朝鮮南部のこの島を占領し、砲台を築いた。

1891年明治24年7月 「清国水師提督丁汝昌が北洋艦隊の精鋭、定遠、鎮遠等10数隻をひきい、堂々と舳艣相銜んで横浜に入港した。・・・その訪問の真意は、精鋭なる艦隊の威力を示して我が国を慴伏(しょうふく・恐れひれ伏す)させ、朝鮮に対して日本をして一指もつけさせまいとする傲慢極まれる用意に出たのは明らかである」(黒竜会編「東亜先覚志士記伝」)

日清戦争

1894年明治28年8月1日清に宣戦布告。日本の生命線死守戦争。1895年3月30日日清休戦条約で日本勝利

 1882年の福沢諭吉の『兵論』によれば、清国の兵力108万に対して、日本はたったの7万8千だった。日本軍艦52隻に対して清国軍艦107隻。世界各国が清国勝利を信じていた。

 清国朝鮮独立を確認し、軍費2億テール賠償、遼東半島、台湾、澎湖諸島を割譲、沙市、重慶、蘇州、杭州を交易市場とした。その後、独仏露の三国干渉のため遼東半島を、返還させられた。日本は幕末以来の不平等条約改正の端緒をつかんだ。

 台湾は露西亜や欧米列強のごとき搾取扱いではなく、大アジア主義同胞として対処し、極東共栄圏構築に励んだ。

1895年3月30日 日清休戦条約

4月17日 下関条約。清から朝鮮独立

5月4日 三国干渉受諾した日本を見下した閔妃、親露政策へ転換。政権内部の対立で、金弘集内閣が崩壊。朴泳孝は次の朴定陽内閣でも内務大臣となるが、三国干渉の結果、朝鮮での日本の影響力が弱まり、閔妃を中心に親露派の力が強まった。

7月6日 閔妃、ロシア公使ウェバーとロシア軍の力を借りて政権を奪回。日清戦争終結直後にロシア軍の力を背景に行った閔妃勢力のクーデターは、大院君開化派勢力日本との対立を決定的にした。

7月10日 閔妃に関する謀議の風説の報告。

8月朴泳孝に閔妃殺害計画謀議の嫌疑。朴泳孝は京城を脱出、また日本に亡命。その後は親露派の内閣が生まれ、改革は停滞することとなった。

9月1日 三浦梧楼、朝鮮国駐箚公使として着任

10月7日閔妃派政権 訓練隊解散と武装解除通告

10月8日 乙未(いつび)事変閔妃成敗。死体は午前8時30分頃確認され、焼却。甲午改革改革は10月8日に閔妃殺害後、乙未改革に引き継がれる。三浦梧楼赴任38日後のことである。

 兪吉浚(政治家、啓蒙思想家)のアメリカ人牧師モールスに送った手紙に、「大院君が日本公使館に頻繁に出入りして、閔妃殺害を日本に要請したのは大きな間違いだ」との記録が残っている。日本側の記録では、大院君が軍事顧問の岡本柳之助に再三再四密使を送っている最中(p492 日本外交文書デジタルアーカイブ 第28巻第1冊(明治28年/1895年)に、訓練隊は解散で隊長を厳罰詮議と10月6日に漏洩。激昂した訓練隊が大院君を奉じ決起

 日本勝利で朝鮮が独立したにもかかわらず独立直後から国内を親露西亜の我欲でかき回す亡国奴閔妃は、新たな戦争の元凶なので、日(志士)朝(大院君と志士)連合に成敗されたのは、当然なのである。

日露戦争

1904年日 日露戦争(朝鮮半島や満州は、日本の生命線である。その朝鮮半島と満州の制覇を争った、ロシアとの戦争)1905日本勝利

 清国は中立国と称し他国のように傍観していた。国家の歳入ロシア約20億円、日本約2億5千万円。常備兵力ロシア約300万人、日本約20万人。軍艦の総排水量約ロシア51万トン、日本約26万トン。世界各国がロシア勝利を信じていた。

 日本の朝鮮における権益確認韓国を保護国化、関東州の租借権および長春・旅順間の鉄道を清国の同意を得て、ロシア、日本へ譲渡、南満州を勢力範囲とした。遼東半島を租借地とし、樺太南半の割譲。

1910年8月22日、日韓併合条約を調印。李完用総理は、一進会などの親日派勢力の後押しを受けて日本政府との間で韓国併合の話を進めた。

※現代における李完用の名は、親日派(チンイルパ)売国奴の代名詞となっている。韓国において2005年、親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法が公布され、李完用を含む親日派9人の子孫から土地を没収し、韓国政府に帰属させる決定を下した。

 単独独立(アジアでは日本のみ)など、当時では夢のまた夢。当時の世界の現実を踏まえた愛国者李完用が、現実の常識に基づいた選択であったといえる。1926年肺炎により死去。その葬儀は国葬でも無いのに、葬列が数キロに達したという。当時の大多数の国民は、愛国者李完用の心中を察していたということである。朝鮮愚民子孫よ、好いとこ盗りは、現実界には通用しないのだ!

8月29日に両国皇帝の裁可をもって条約は発効し、大韓帝国は滅亡、日本の朝鮮総督府の統治下に入った。

 日本は、朝鮮停滞の元凶、悪しき李朝差別を破壊した。

 以後朝鮮も、台湾同様に対処され、日本と共に極東共栄圏構築に励んだ。

 

国難に団結せず我欲のせめぎ合い群雄割拠の戦国となった中国

191212日 宣統帝(溥儀)退位し満州人支配の清朝滅亡。

1913年(大正2) 宋教仁は孫文と共に国民党を組織し、選挙に臨んだ。結果は目論見通り、宋の擁した国民党が圧倒的第一党となり、実権を握る宋が最大実力者となった。

191320日窮地に追い込まれた袁世凱らは上海停車場で宋を暗殺した。宋は滝の如く流れる血潮を押さえながら「南北統一は余の素志なり。小故を以って相争い国家を誤る勿れ」と遺言した。宋の死は革命党の脳髄が砕けたに等しかった。

1913 南京袁世凱に大総統の座を譲った孫文は、前大総統として来日し各地で熱烈な大歓迎を受け、福岡の玄洋社や熊本の宮崎滔天の生家にも立ち寄った。

 

大アジア主義を孫文と画策したが群雄割拠の戦国中国に新に凶産カルトが入り込み更に分裂した

1917 ソビエト社会主義共和国連邦誕生

1921 中国共産党結成 ソ連凶産党が撒き餌をばら撒いた成果。1921(大正10)年、中国共産党が結成された。この時、レーニンの秘書マーリンが、上海での共産党代表大会に参加し、孫文とも会って、新経済政策を吹き込んだ。また中国共産党員がコミンテルンの指示で、次々と国民党に入党し、主導権をとろうとしていた。 孫文の遺書にある「革命未だ成功せず」とは、まさしくこのような内憂外患の状況であった。  

193118 満州事変 柳条湖事件(満鉄線路爆破)から満州事変中国東北部の対ソ反共戦争1932年1月までに東三省を占領)始まる。対ソ反共戦争開始。

 満州軍閥張学良が、食民治主義者や凶産ソ連の手先となりおびただしいテロ排日事件を引き起こし、これを解決すべく起こった事変、それが満州事変で、対中国戦争ではない。

 「関東軍の暴走」といわれるこの軍事行動は、度重なる「排日・反日」への反共戦争の始まりだったのである。反日テロによって追い詰められた結果だといえる。これらの関東軍の行動に対して、日本人は支持した。また、朝鮮人たちも関東軍へ感謝激励したのである。確かに、若槻内閣の「不拡大方針」に反する関東軍の行動は、明白な命令違反である。しかし、満州事変の結果、軍閥勢力は一掃され、関東軍の指導によって新しい「満州国」への道が開けた。

1932日 満州国建国。日満議定書(満州における既得権益の尊重。日本軍の駐屯の2条を規定)満州国に対して、日本が要求したものは、「領土」ではなく、①これまで日本が持っていた権利を尊重すること②共同防衛だけであった。(日満議定書 1932年9月15日締結)「日本が正式な条約で認められていた満州の権利を侵害され、そればかりではなく、テロをもって生命の危険まで脅かされた。しかし、外交交渉でもそれは改められなかった。そこで関東軍が仕方なく、自衛のために戦い、今まで持っていた権利を取り戻した」決して侵略ではなかったのである。多い時でもたった一万四百人しかいなかった関東軍が、全満州を占領できたのも、満州住民の支持があったからだ。1907年(明治40)~1931年まで、在満兵力は満州師団1と独立守備大隊6の、約1万400人を上限にし、推移。「関東軍」中山隆志講談社2000。70万は以後の兵力。

 満州事変以前の満州は、財政は逼迫し、民衆は貧しく、食べられない状態だった。1929年の満州の財政は、歳入の約八割が軍事費である。軍閥・張学良の持つ25万人の軍隊を維持するためには、膨大な軍事費が必要だった。そのため、私的財産の強奪・恐喝・誘拐は当たり前となり、五年先の税金まで徴収していた。民衆の四割は、雑穀しか食べられないほど、貧しかったのである。

満州事変後の変化

 人口増加。満州の人口 明治時代初期 : 100万人から500万人。日露戦争後日本が本格的に投資を開始した頃 : 2000万人(南満州鉄道を設立し、沿線の治安が確立し、多くの中国人が流入開始)。満州事変の頃 : 3000万人。建国5年の1937年(昭和15年の満州年鑑) : 3700万人(漢人81%3000万、満州人12%440万、モンゴル人3%100万、日本人1%42万。人口の激増は国家として豊かで住みやすいことの証拠である。満州国は、当時の中国人にとっても、朝鮮人にとっても、そして蒙古人、女真人にとってもすばらしい国であったのだ。

健全な国家造りが防共(中ソ凶産連合)の砦への道

アヘンの撲滅政策。日本は、600万円の予算をかけて、「厚生院」を百二十箇所も作り、ここで麻薬中毒患者の治療にあたった。

 

中国共産党毛沢東は蒋介石に壊滅寸前まで追い詰められ矛先を対日戦争へ転換

1935(昭和10年)日中国共産党日本に宣戦布告 1935年のソ連コミンテルン第七回大会で、反ファシスト人民統一戦線方式が打ち出された。その結果「八・一宣言、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」が発せられた。内容は中共がその革命戦術の中に対日戦争を採りいれて、「内戦停止・一致抗日」を訴え、所謂「救国」運動に変換し革命戦術を拡大させたのである。そしてそれは国民党軍に潜入していたコミンテルンの指令を受けた中国共産党工作員による、1937年7月7日の「盧溝橋事件」へと展開してゆく。

 八・一宣言(抗日救国のため全同胞に告ぐるの書。中国共産党が抗日民族統一戦線の結成を提唱)中国共産党軍の兵力は30万人から3万人に激減したため矛先を日本に替え宣言した。赤化戦争を抗日救国戦争にすり替えた。日本と蒋介石国民党軍と交戦させ衰えさせる、漁夫の利作戦を本格的に開始したのだ。以後日本との交戦はすべて中国凶産軍の仕業と考えて間違いはない。

 なんと中国共産党は、シナ事変に先んじる2年前、昭和10(1935)年8月1日、日本に宣戦布告しているのだ。日中戦争ではなく、日本対中国共産党、反共戦争なのだ。

 

黄禍論(有色人種が白色人種を凌駕するとする論)を恐れた白人連合(ソ連と欧米列強)は蒋介石と日本の連合阻止に動いた

19361212 西安事件共産軍討伐のため西安に駐屯中の張学良の旧東北軍が、抗日救国(狂惨党のばらまく美味な撒き餌。実体は、赤化戦争を要求し、南京から督戦に来た蒋介石を監禁した事件。共産軍を「最後の5分間」から蘇生させたのが、西安事件であった。蒋介石が西安で共産軍掃討戦を行っている張学良を督励するために訪れた時、突如逮捕監禁さ れた。8年前、父親・張作霖を日本軍に爆殺されたとされ、満洲から追われた学良は、抗日意識の盛り上がりに乗じて、共産党と通じたのである(父親・張作霖の爆殺は、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、真実はスターリンの命令にもとづいてトロッキー暗殺に関与した、ナウム・エイティンゴンが計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという)。共産党がモスクワの指示を仰いだところ、スターリンは蒋介石を釈放し、「連蒋抗日」を命じた。周恩来は蒋介石に息子「蒋経国を帰国させる」とスターリンの条件を伝え、国共合作して日本軍と戦おうと説得した。蒋介石を殺せば、国民党軍により中共軍が壊滅せられ、汪兆銘がトップとなることを恐れたものであろう。蒋介石を殺すべしと考えていた毛沢東は真っ赤になって怒ったと伝えられている。

 拉致された蒋介石は釈放の条件として、共産党討伐の停止、逮捕されていた抗日運動家の釈放、対日抗戦の早急な準備などの8項目を要求され、「抗日民族統一戦線」の形成に合意させられた。

 蒋介石釈放をめぐっての調停工作に当たっては、イギリス、アメリカ、ソ連、中共の間で同一歩調がとられ、利害が一致する中で抗日統一戦線が形成されていった。

 この事件により対日・反共政策の見直しを迫られる。蒋介石は国共合作・抗日へと方針を急転換し、「最後の5分間」の段階に来ていた反共掃討戦を、中止した。事件後、国民党の外交部長で親日家の張群が罷免されるとともに、国民党から共産党に毎月50万元が支給されるようになり、国民党は次第に反日色を強めていった。

 

中国赤化の中ソ連合では日本壊滅は必然なので赤化絶対阻止の反共(日中)戦争となった

1937 盧溝橋事件(日本軍が北京郊外盧溝橋で夜間演習中、弾丸が飛んできたことを理由に翌朝交戦。盧溝橋事件は、排日事件を頻発させ、西安事件によって抗日戦線を形成してきた中国共産党が、日本との戦争を行うべく、戦略的な突出を行い、国共一体となって、抗日戦を切り開いて行く状況を作ろうとして起こした事件と見るべきである。蒋介石が再び親日反共掃討戦に戻らぬようクサビを打つため、「最後の5分間」の段階の凶産党が、抗日戦争を仕掛けたのだ。6につづく

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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