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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観慰安婦唯一のオランダ人証言者ジャン・ラフ・オハーンの証言と背景

「慰安婦」唯一のオランダ人証言者ジャン・ラフ・オハーンの証言と背景

強制連行され慰安婦と自称の韓国人2人の証言検証

 韓国人二人は証言のみで証拠無し。日本人中学生が朝鮮人女学生をからかったことが原因で、大規模な学生抗議運動となり、朝鮮全土に広がったのが1929(昭和4)年の光州事件。どこの国に、「強制連行し慰安婦にする自国軍」を看過する国民が、いようか!常識さえあれば、子供でも解ること、すべて偽証である。その他の経緯と詳細は後述。

日本軍公娼(BC級や1994年裁判)告訴人では無い自称日本軍公娼慰安婦騙り屋ジャン・ラフ・オハーン!私娼か?

唯一のオランダ人ジャン・ラフ・オハーン証言原文は英文
「慰安婦」人権の保護についてのヒアリング2007年2月15日木曜日

挨拶部分略

 ――戦争での女としての私の経験は、全く劣化のひとつ、屈辱と、 第二次世界大戦中の、耐えられない苦しみです。

 私はいわゆる、日本軍用性奴隷の婉曲表現、「従軍慰安婦」を強制されました。

忘れられたもの

※「忘れられたもの」ではなく前述のように「断罪済みのもの」が真実。

  私はオランダ植民地時代の第四世代の家族として、1923年に、旧オランダ領東インド(現インドネシアとして知られている)の、ジャワで生まれました。私は砂糖プランテーションで育ち、最も素晴らしい幼年期でした。私はカトリック系の学校で教育を受け、ジャワのフランシスコ会修道士教師の大学を卒業しました。

 1942年、私が19歳の時、日本軍はジャワを侵略しました。

 何千もの女性や子供たちと一緒に、私は3年半日本の捕虜収容所に抑留されました。

 日本の捕虜収容所のオランダ人女性の多くの話は、恐怖、残虐、飢餓、苦しみについて話されています。

 しかし、一つの、最も恥ずべき逃れられない最悪の人権侵害の話は、しませんでした。第二次世界大戦中の日本人「慰安婦」、jugun ianfu、どのようにしてこれらの女性は、日本軍への性的サービスを提供するために、その意思に反して強制的に捕まえられたかの話です。

※人権を冠して仕立て直し、新たな難癖材料にした。

1944年に高官の、日本の役員がキャンプに到着したとき、私は2年間キャンプにいました。

※3年半-2年間=1年半と聴衆は錯覚する。真実は「2ヶ月未満」(書籍や他所では3ヶ月と証言)。以下の証言は証拠提示無きただの証言。しかも証言者はこの女性のみの一人。関係者者既に死亡の現在、「死人に口無し」の一方的な証言(死体叩き)は、相当割り引く必要がある。

命令されました:

 17歳以上のすべての独身の女の子は、収容所で一列に並ばなければなりませんでした。

 役員は我々の方へ歩き、そして、選択プロセスが始まりました。

 彼らは列を行ったり来たりし、私たちのあちこち見ました。

 私たちのあごを持ち上げて、私たちの足や、我々の体つきを見ました。

 彼らは、10人のかわいい女の子を選びました。私は、10のうちの1つでした。

 連れ去られることになった私たちは前に出て、小さなバッグに荷造りするように言われました。

 キャンプの全員が抗議し、私たちの母は引きもどそうとしました。再び会えるかどうかもわからない母親を、私は抱きしめました。

 私たちは、軍のトラックに投げ込まれました。我々はおびえて、バッグに、そして、お互いにしがみついていました。 

 トラックは、スマランのオランダ植民地時代の大規模な家の前で止まり、私たちは降りるように言われました。私たちは家に入るとすぐに、どのような家なのか気づきました。日本人の性的快楽のために、私たちはここにいるのだと、日本軍は言いました。家は売春宿でした。

 私たちは大声で抗議しました。

 私たちは、私たちの意志に反して、ここに来ることを余儀なくされたと述べ、彼らには、私たちをこのようにするは権利はない、それはジュネーブ条約( the Geneva Conventionに反していると。

  しかしそのとき、彼らは私達を見て笑い、そして彼らは、彼らが好きなように、行うことができると言いました。

 我々は、日本人の名前を与えられ、これらは私たちの寝室のドアにかけらました。

ジュネーブ条約1864年締結。戦時国際法としての傷病者及び捕虜の待遇改善のための国際条約。ジュネーブ協定1954年に締結。第一次インドシナ戦争を終結させるための終戦協定)

 

 私たちは非常に無邪気な世代でした。私は、セックスについて何も知りませんでした。

 売春宿の「オープニングナイト」の恐ろしい思い出は、すべての私の人生の私の心を、拷問しています。 私たちは、ダイニングルームに行くように言われました。

 そして私たちは、軍でいっぱいの家のように見え、恐怖で一緒に身を寄せ合ったのです。

 私はこれが私たちを助けるだろうということを望み、祈りの本で祈り、少女達を導きました。

 その後彼らは、一人ずつ私たちを引き離し、無理やり引きずり始めました。

 私に、寝室からの叫びが聞こえてきました。私はテーブルの下に隠れましたが、すぐに発見されました。
 私は彼と戦った。私はすべての力で彼を蹴った。私は彼に自分自身を与えることはなかったので、日本の将校は非常に怒った。彼は、その鞘から刀を取り出し、私にそれを示し、私を彼に与えない場合、彼は私を殺すと、それで私を脅かし。私は狩りの動物のようにすみっこにうずくまり、逃げることができませんでした。

 彼は、私が死ぬことを恐れなかったことを理解しました。私は、いくつかの祈りを言うことを彼に嘆願しました。私が祈っていた間に彼は服を脱ぎ、自分に開始しました。

 彼は私を殺すつもりはなかった。彼の死体と化した私は、全く不満足だったでしょう、

 彼はベッドの上に私を投げ、私のすべての服を剥ぎ取り、私の裸の体の全体を彼の剣が走った。彼は私の裸体の至る所で、彼の剣を実行しました。そして、猫がねずみにするごとく、私で遊んだのです。

 私はまだ彼と戦いを試みたましたが、彼は重い体で私をピン止めし、私の上に自分自身を押しつけました。

 最も残忍な方法での彼のレイプに、涙が私の顔を流れ落ちていました。

 私は、彼が決して止めないだろうと思いました。

 彼は最終的に部屋を出たとき、私の全身が震えていました。私は衣類の残されたものを拾い集め、バスルームに逃げ込んた私は、他の女の子の一部をそこに発見しました。私達は、皆泣いて、バスルームでショックが更に増しました。

 私はすべての汚れを洗い流すことを試み、私の体から恥を洗い流しました。

 しかし、夜はまだ終わっておらず 、そこには待っている多くの日本人がいました、そしてこれは、一晩中続きました。

 それは、毎週毎月の、始まりに過ぎなかったのです。

 家は完全に守られ、逃げる方法がありませんでした。時々、私は隠れましたが、いつも見つかって、部屋に引きずり戻されました。

  私はすべてをためしました。私は私のすべての髪さえカットしたのです、それで、私は全くのはげになりました。私は、私が私自身を醜く見えさせれば、誰もが私を欲しがらないだろうと思いました。

 しかし、それは私を、好奇心の対象に変えました。彼ら全員は、彼女の髪をカットした女の子が欲しかったのです。それは、逆効果でした。

 決して、一人の日本人も、戦いなしで私を強姦しませんでした。私は、彼ら各々と戦いました。したがって、私は、繰り返し叩かれました。

 いわゆる「公衆便所」で私は、組織的に叩かれて、日夜強姦されました。

 彼が我々に性病の病気がないか調べるために売春宿を訪問するたびに、日本の医者さえ私を強姦しました。

 そして、より私たちに恥をかかせるために、ドアとウインドウは開いているままにされたので、日本人は私たちが検査されているのを見ることができました。

 「公衆便所」の時間の間に、日本人は私を虐待して、私に恥をかかせました。私は、体のいたるところに断片的な引き裂かれた傷を残されました。日本兵は、私の若い人生を台無しにしていました。

 彼らは、私からすべてを奪いました。

 彼らは、私の青春期、私の自尊心、私の尊厳、私の自由、私の財産と私の家族を奪い取りました。

 しかし、彼らは私から奪うことができなかった一つのことがありました。それは、私の宗教的な信頼と神に対する愛情でした。これは私のものでした、そして、誰もそれを私から取ることができませんでした。

 日本人が私にしたすべてのことに対し、生き残りの助けとなったのは、私の深い信仰my deep Faithでした。

※「私の深い信仰」と自画自賛であるが、「死体を掘り起こし鞭打つ所業(59年前に断罪済み)」は、「浅い信仰」以外の何ものでもない!

 私は、日本人の彼らが、私にしたことを許しました。

 しかし、私は決して忘れることができません。50年の間「従軍慰安婦」は、沈黙を維持しました。彼女らは汚されて、汚いと感じる恐ろしい恥に耐えました。

 これらの女性の破壊された生活が、人権問題になるのに、50年かかりました

許しました」は、言行不一致偽善発言!「沈黙を維持」は捏造、犯罪者は、59年前の全世界公開裁判で、断罪されている。日本は1956(昭和31)年5月24日法律第18号『売春防止法』で禁止。前述のような一般の犯罪を、「人権」を冠し、「国家が関与した犯罪」であるかのようにすり替え、仕立て直している。

 

 「従軍慰安婦」にとっては、戦争は、決して終わりませんでした。

 私達は、まだ悪夢を見ます。戦争の後、私は、体を元に戻すために、大手術を必要としました。

 1992年に、韓国の「従軍慰安婦」は、彼女たちの沈黙を破りました。 キム·ハクサンさんは、意見を述べる最初の人物でした。

 日本政府からの謝罪と補償のために、彼女たちが正義を嘆願したようすを、私はテレビで見ました。

 私は、彼女たちをバックアップすることに決めました。私は、1992年12月、東京での日本の戦争犯罪に関する国際公聴会で、私の沈黙を破りました。

 そして、第二次世界大戦の最悪の人権侵害の一つ、忘れられたホロコーストを明らかにしました。

※解決済み命令違反事件を大捏造。「レイプ事件」を「従軍慰安婦事件」とし、国家関与のナチス600万人?(120万人)大虐殺(ホロコースト)と同列にして証言、「日本国関与」と印象操作。プロパガンダの手口である。

 ホロコースト糾弾は戦後すぐ(1946年)になされ、続いているが、「白馬事件」は前掲のようにBC項目(リンチ)裁判で裁かれ、死刑で決着済みである。少なくとも1990年平成2年『ハンギョレ新聞』に、韓国の梨花女子大学の尹貞玉教授が、挺身隊とイアンフを混同させた「“挺身隊”怨念の足跡取材記」を春から連載)までの45年間(当時の責任者存命中)は、どこの国も取り上げていない(日本軍関与の強制連行も性奴隷も無かった)のである。ホロコーストと同列は、捏造白状そのものである。

 

 過去15年間私は、オーストラリアや海外での「従軍慰安婦」の窮状のために、戦争における女性の保護のために、精力的に取り組んできました。

 もうすぐ時間切れです。

 60年後に「従軍慰安婦」は、正義に値します。

 彼女たちは、日本政府安倍晋三首相自身からの、正式な謝罪に値します。

 日本政府は、彼らの戦争犯罪の、全責任をとらなければなりません

監督不行き届き(道義的な責任)での謝罪(唯心)は、1998(平成10)橋本内閣総理大臣がオランダ国コック首相に送った手紙と2001(平成13)年元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙で済み。「アジア女性基金」設立のいきさつ(二百から三百の売春婦の内で、被害者と認定された79人の、個人に対してのみ実施)を見れば、これは「従軍慰安婦(強制連行性奴隷)」国家関与の謝罪ではなく、「監督不行き届き」の謝罪なのは明白である。

 がしかし、二通の手紙共通(私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題)の、「当時の軍の関与の下に」のみをつまみ盗り、そして拡大宣伝。唯物の輩は、「アジア女性基金」は「従軍慰安婦国家関与謝罪」と、かってに解釈し、「戦争犯罪の、全責任をとらなければなりません」などと、嵩にかかって「捏造」に励んでいる。唯心日本の条約破り(アジア女性基金)が、調子に乗せた。唯心日本の唯心が仇となった。

 しかし、知恵(思索回路)があれば、「軍の一部・軍規違反・監督不行き届き」等の単語を明確に、冠したはずだ(秘書が秘書がは得意の銭生だから)。思索回路無き丸暗記凶授五百旗頭真を、防衛大学校長にするような小泉純一郎等では、土台無理な話ではあるが、東大京大凶授識者官僚等、揃いも揃って知恵無し丸暗記屋との自白である。

 

 1995年に、彼らは犠牲者に補償するアジアの女性基金を確立しました。

 この基金は、「従軍慰安婦」に対する侮辱でした。そして、私自身を含む彼女たちは、それを受け入れることを拒否しました。

 この基金は個人的な基金でした。お金は政府からではなく、民間企業から来ました。

 日本は、歴史との折り合いをつけ、そして、それら戦時の、残虐行為を認めなければなりません

 彼らは、過去に犯した過ちの、正しい歴史を教えなければなりません

※「私自身を含む彼女たちは、拒否」は、捏造。「拒否」ではなく、ニセ者と看破されるので、申請しなかったのでは!オランダでは、政府予算からの医療・福祉支援事業と内閣総理大臣のお詫びの手紙からなる償い事業を79(後述の1993年オランダ政府調査65名より14名多いの方々に実施。これらの事業はいずれも2002年(平成14年)9月までに終了(外務省)。詳細オランダ

 「個人的な基金」は捏造。日本政府からの出資金と国内外からの募金が真実。

 教育云々は内政干渉。「日本の正しい歴史」は、戦中における一部軍人の不始末に対しての、道義的な責任(監督不行き届き)での謝罪(唯心)で、「従軍慰安婦(強制連行性奴隷)」国家関与の謝罪ではない。遮二無二「強制連行性奴隷従軍慰安婦は国策」と、捏造したいようだ。

 

 生き残っている「従軍慰安婦」が、彼女たちの話を語ることは、重要です。

 議長と小委員会のメンバー、私は、あなたと私の話を共有するこの機会に対して、感謝します。

 私は、意見を述べることによって、私が、世界平和と和解への貢献をすることができ、そして、女性に対するその人権侵害は、二度と決して起こらないことを望みます。

人権侵害を掲げての捏造と条約破りは、「世界平和と和解への貢献」ではなく、人類の英知(復讐の連鎖の切断)である戦後の「平和条約」を破壊し、無法の戦国時代へと、逆行する!

 

 ありがとう。

救出した日本軍は完全隠蔽!加害者(軍法違反の一部軍人)強調偏向証言!虚実混交台本騙りは戦争起因、No Thank you!

 日本軍が一部軍人の犯罪に気付き、即刻この慰安所を閉鎖したのだが、その事実を言えば逆に、日本軍完全関与の決定的な証拠となるので、「日本軍が慰安所を閉鎖」したことを故意に、隠蔽している。当事者ならこのことは、知らないと言い逃れできないほど、明白な事実である。スマラン(白馬)事件は断罪済みなので、異なるような証言をしているが、証言該当事件は、この事件以外に無い!オランダ軍法会議で裁かれたのはこの事件のみが、証拠!

強制連行され慰安婦と自称オランダ人の証言検証

 終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされ、裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制と認定(一方的リンチ裁判なので真実はもっと少ない)。罪名は、強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦とされた。「事件」は前述のように断罪され、解決処罰済みの59年前の事件である。つまり、軍事(リンチ)法廷さえもが、スマラン(白馬)事件は軍命違反で、日本軍の強制売春禁止(一般犯罪)と認めたのである。

 明らかにオランダ人女性証言者は、自称「スマラン(白馬)事件」被害者としての証言なのだが、この証言では、「スマラン(白馬)事件」を隠蔽し、被害期間を「1年半(真実は2ヶ月未満)」と印象操作している。

 なぜか。上記のように解決処罰済みだからである。当時合法の公娼制や売春に対して、強制やレイプ(Raped)や人権侵害(人道)やホロコースト(ナチスの国家関与600万人大虐殺)という言葉を冠して仕立て直し、現代(後世)の道徳で遡り糾弾、新に、現代(後世)社会道徳の共感を得ようと謀っているからである。それは伝統的に売春制度があるオランダのような国でも、大きな効果を果たし、歴史無知の人々の洗脳に、絶大な効果を発揮したからである。しかしこれは、遡及(事後)法と同類、無法無条約の、弱肉強食時代への逆行で、人類の英知(法秩序で、復讐の連鎖切断)の、破壊である!

人道を冠し遡及(事後)法のごとく延々としつこく続くオランダの難癖

前述したが再度辿ってみよう

 1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で、日本は、「オランダ国民に与えた苦痛に対する同情と遺憾の意を表明するため」、1000万ドルを「見舞金」として「自発的」に提供。こうして、日蘭間の戦後処理は、平和条約と、さらに日蘭議定書において、オランダ政府はいかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことが確認された。

 ところが1990年(平成2年)、条約締結担当者すでに亡き34年後のオランダは、対日道義的債務基金(JES)を結成し、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動(条約破り)を始めた。JESは慰安婦問題も取りあげ、償いに直接に責任をとるべきは日本政府である、という立場をとった。

 さらに催促1991年(平成3年)に来日したオランダベアトリクス女王は、1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で。国家間における賠償問題が解決されているにもかかわらず、宮中晩餐会において、「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と発言し、暗に賠償を要求した。

 さらに、1992年Cry of the Raped :A Story to be Told1992(レイプされた女の叫び1993年5月邦訳)」出版(上記証言者ジャン・ラフ・オハーンが著者)。ジャン・ラフ・オハーンは、白馬(しろうま)事件(スマラン事件)当事者なのだが隠蔽、オランダ人強制慰安婦被害者自称し、出版、証言開始

 さらに、1992年12月、上記証言者ジャン・ラフ・オハーンが来日し、東京での日本の戦争犯罪に関する国際公聴会で、証言している

 さらに、1993年オランダ政府の、「日本占領下オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する、強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」※アジア女性基金(監督不行き届きのお詫びと支援)は、二年後の1995年から

 

朝鮮人は自称慰安婦全員が強制連行性奴隷証言したが、オランダ人の正直は、正に本物

 一部兵士の、強制連行事件(リンチ裁判では25名が強制と断定)はあったが、日本軍の強制連行はなかった証拠が、下記調査。

http://www.awf.or.jp/pdf/0205.pdf
The study shows that in recruiting European women for their military brothels in the Dutch East Indies, the Japanese occupiers used force in some cases. Of the two hundred to three hundred European women working in these brothels, 65 were most certainly forced into prostitution.
 研究では、日本の占領は、オランダ領東インドでの慰安のためにヨーロッパの女性を募集して、いくつかのケースでは、力を使用したことを示しています。これらの売春宿で働く二百から三百のヨーロッパの女性のうち、65が最も確かに売春を強要されました」

 200~300人全員が、強制連行強制売春と答えるのかと思ったら、正直なのには驚いた!全て責任転嫁「自称従軍慰安婦」嘘つき朝鮮人とは真逆で、なんと矜持のある方々だと、感動する!衛生管理や待遇が、よほど良かったのであろう!「確かに売春を強要65」とあるが、真実は、「白馬事件」のみが強制連行強制売春と、推察できる。

※戦勝国のリンチ裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと断定したが、白馬事件の裁判全記録は、2025年まで非公開

 1994年オーストラリアで、ジャン・ラフ・オハーンの手記「50Years of Silence(50年の沈黙)」出版(邦訳1999年木犀社・オランダ人『慰安婦』ジャンの物語)。断罪済み事件を再度蒸し返し扇動。

 1995年に、日本は応えてアジア女性基金(条約破りに加担)により、総額2億5500万円の医療福祉支援を、79名の個人に対して実施し、すべての償い事業(監督不行き届きのお詫び)が終了したため、2007年3月31日をもって解散。

 ところが2007年2月15日被害者自称のオランダ人女性米国下院証言は「白馬事件」を隠蔽し、1年半(真実は2ヶ月未満も被害者であったかのような印象操作、上記のように隠蔽捏造。なんともまあー、あつかましい証言をしている(書籍や他所の証言では3ヶ月。またまた「日本叩き」の今度は、59年前に解決済みの事件に、「人権侵害と正義」を冠し、「忘れられたホロコースト(大虐殺)」と証言し「蒸し返し」、「戦争を扇動」した!人類の英知(条約や法での復讐の切断)を破壊しての遡及難癖。何が「世界平和と和解への貢献」だ!矛盾に満ちた証言は、常軌を逸している。

 さらに、2007年11月20日「溺れる犬は棒でたたき殺せ!」とばかりに、「米国下院121号決議(米韓捏造条約破り)」に追随オランダ下院決議採択。

 さらに、さらにである2008年(平成20年)に来日したマキシム・フェルハーヘンオランダ外相は、「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。オランダ議会・政府は、日本当局に追加的な意思表示を求める」と述べた(毎日新聞 2008年10月25日 東京朝刊)

 何ともあつかましく惨めな、オランダのエンドレス要求である!子孫は、こんな没落民族には決してなるな!人としての尊厳も価値も無い!まさに唯物(パンを食うのみの物欲)である。

 傀儡マイケル・ホンダを使い、捏造してまでも「日本叩きの」凶産中国韓国の狙いは、ネット普及であばかれ溢れた「同胞大虐殺(真実)」の、矛先そらし!決議国家(米加蘭豪EU比韓)は、ネットであばかれた真実、「自衛戦争日本」、払拭目的で便乗したのである!

更に詳細は
1朝鮮族“洋公主”騙り日本叩きも日本経済凋落も職責者の職責不履行人災

米国の朝鮮人捏造慰安婦碑文は宣戦布告文米こく慰安婦決議121号が元凶


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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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