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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1閔妃成敗角田房子NHKTV朝日銭生韓国スパイの籠絡で土下座志士子孫


1閔妃成敗角田房子NHKTV朝日銭生韓国スパイの籠絡で土下座志士子孫

 「日本九九年戦争・資源無き島国日本、適者生存戦国時代唯一の術は、先手あるのみ。後手の本土戦は、兵糧攻めで必滅。露西亜、清国(属国朝鮮)南下阻止が第一義、後手は必滅、先手で打って出た。 

 結果が台湾朝鮮(自立不能で)統治(極東共栄圏樹立着手)、満州建国尽力(凶産の砦)、日中戦争(中国凶産化での中ソ凶産連合阻止)、南京政府樹立尽力(中国凶産化阻止)で極東共栄圏構築。

 日中(反共)戦争で疲労困憊の日本は、戦国の定法弱肉強食、恰好の餌食となった。米英中蘭(ABCD)が兵糧攻め、ハル・ノートで降伏を迫った。出稼ぎ戦争対、日本は死活戦争。極東から大東亜に共栄圏樹立を拡大し、あらん限りに戦ったが、大東亜同胞の、完全覚醒追随まで戦いきれず、矢尽き刀折れ、敗れた。

 がしかし、戦いざまに共振した同胞が、一気に蜂起、独立。1960年の植民地独立付与宣言(互恵)が根幹となり、自由貿易64年開放経済)、平等65年人種差別撤廃を成し、凶産は残ったが、戦争目的は完遂した。弱肉強食の世に、戦後67年間のごとき無能無策の後手日本なら、何もかもが消滅していた。それでも戦後消滅しなかったのは、『身体を筆にし、流れる血と汗と涙でえがいた先人の、人類への遺書』以外、あろうか!

 “戦かわざれば”の平和論があるが、防共の砦日本が去るやいなやすぐさま凶産化、朝鮮戦争惹起したもう一方の真の敵、中ソ凶産連合軍隠蔽スパイの、工作論である。ABCDと“戦かわざれば”の降伏は、防共の砦無き丸裸日本で、中ソ凶産の、恰好の餌食となった。この戦いは、目的も無きただの防御戦。多勢に無勢で、瞬時に最後の独立国日本は潰え、日本族の名を残すのみの、まさに、犬死に無駄死にの戦争となっていた。同胞の、支配者からの独立も無い!新秩序など、当然無い!支配者と、被支配者の地球に成っていた!」

 

閔妃成敗」予備知識
 マッカーサーは、朝鮮(韓半島争奪)戦争で日本の立場を理解し、翻意して、「戦争動機は護国」と証言した。戦国時代の朝鮮半島敵国化は、喉元に匕首で、日本国絶体絶命。清露にとっては出稼ぎ戦争だが、日本にとっては死活戦争であった。「閔妃成敗」には、日清露の韓半島争奪戦が根底にあった。先に攻めなければ攻められて亡国の日本、侵略悪被侵略善、平和時の善悪道徳などは、弱肉強食の戦国時代には通用しないのだ。日本が先手をうっていなければ、全く逆の立場となり、日本国は消滅してた。「善悪無用弱者必滅が戦国時代」、ここを踏まえていないと理解不能。

 

登場人物(閔妃事件当時の年令)

王の実父 大院君(王の実父の称号)=李昰応=舅(当時75歳)

王 高宗=李熈=息子(王当時43歳)

 閔妃(びんぴ、みんぴ)=閔茲暎=正妃(当時44歳)「閔妃」とは「閔氏の王妃」の意。死後、大韓帝国が成立すると皇后に追封され、明成皇后(ミョンソンこうごう)。

子 純宗=李坧(当時21歳)(閔妃の一人息子。子供はおらず、閔妃家系は純宗で途絶えた)高宗の次男

 

閔妃成敗顛末

李朝末期は、国家などポイ捨てしての我欲派閥抗争坩堝の李氏朝鮮!

 高宗先王哲宗の時代は、金氏が外戚として政権を掌握し、外戚金氏が59年間も政治を行い、政治は荒れ果てた。金氏打倒勢力が王族から生まれた。その筆頭が、傍系の李昰応(後の大院君)と先々代王憲宗の母、孝明世子嬪の神貞王后趙氏である。

1863年25代先王の死去。当時李王家一族の最年長で、世子(跡継ぎ)が決められていない場合の王位継承の決定権を持っていた神貞王后趙氏は、李応(後の大院君)の次男を、自分と孝明世子の養子にし、12月13日に即位させた。これが高宗である。形式上、高宗は先代の哲宗の叔父になる。

 このとき高宗は年少11歳なので、2年間神貞王后が補佐(垂簾聴政)した後、高宗の父大院君(王の実父の称号)が実権を掌握した。

1866年閔致禄の娘玆暎(後の閔妃)は、大院君の夫人閔氏の推挙で14歳高宗の王妃、閔妃(15歳)となった。金氏打倒の人選だった。

 ところが高宗は、政治と妻に全く関心なく、宮女や妓生達を相手の漁色と酒の放蕩三昧に明け暮れた。

傾国の政治家・閔妃の登場「韓国 堕落の2000年史」 崔基鎬 平成13年 詳伝社

 ――閔妃(明成皇后)は国家の衰亡と国民の困窮を顧みることもなく、自らの一族の繁栄だけを追い求めた傾国の権力者で、清の西太后のような存在だった。

  大院君は自分に従順な娘を、高宗の王后としようと捜していた。大院君は妻の閔氏の実家の紹介で、兄弟も姉妹もいない15歳の閨秀(後の閔妃)のことを知った。閔妃は困窮した家庭の育ちで、8歳で父母と死別していた。しかし、賢かったために、親戚のあいだで評判がよかった。そこで大院君はこの親も兄弟もない閔妃を高宗の姫に決め、王妃として冊封した。閔妃は王妃になって宮中に入ったものの、王妃とは名ばかりの存在だった。高宗は当時、宮女である李氏を愛して同居しており、正妻である閔妃にはまったく関心を示さなかった。だが、閔妃はいっさい、愚痴をこぼすこともなく、よく礼儀作法を守ったから、宮中で称賛された。その間、李氏は高宗の寵愛を独占、男子を出産し、完和君と命名した。祖父である大院君は、大いに喜んだ。閔妃は大院君が満足する姿を見て、不満と嫉妬を爆発させた。そして隠していた爪を、秘かに用いはじめた。天性の政治的手腕を発揮して、大院君に対する謀略をめぐらした。

 大院君は閔妃に対して警戒心をまったくいだいていなかったために、油断していた。閔妃は、そこに乗じた。――

1868年高宗が宮女李尚宮に長男完和君をもうけると、祖父の大院君は喜び、完和君を世継ぎ(王世子)にしようとした。※閔妃との子ではなく側室の子。

1871年閔妃(19歳) 男子出産、男子は数日後死亡。

1873年閔妃(21歳)11月 高宗が成人し親政。大院君失脚(摂政の座を降りる)。大院君は京畿道楊州に隠居させられた。権力闘争は敵対者の暗殺で、熾烈さを極めた。閔氏が政権を握り。大院君派は追放・流刑・処刑等で一掃され、閔氏一族の官吏30数名が高官になる。12月閔妃の宮殿に仕掛けられた爆弾が爆発

 国家など眼中に無い閔妃は、「閔妃一族の栄達」を最優先、大院君排除を国策とした。大院君が生命をかけて撤廃した処世の改革(書院や両班の特権撤廃)を破壊し、復活させた(金熙明『興宣大院君と閔妃』)。無能な高宗は閔妃閔氏のなすがまま、以後閔氏一族による権力政治が始まった。

1874年閔妃(22歳)3月 男子(純宗)出産。長男完和君(大院君派)と世継ぎ争い。11月 閔氏一族の最高実力者で領議政の閔升鎬(閔妃の義兄)宅が爆発。彼とその母子が爆死

1875年8月閔妃(23歳) 李裕元を世子冊封使として清へ。純宗が王世子(世継ぎ)として清に認められる。11月 大院君の兄 李最応の家への放火事件

1876年江華島条約(日朝修好条規)。日本政府はこの条約で朝鮮が清朝の冊封体制から脱却し独立国となることを望んだ(朝鮮の独立を世界で一番早く望んだ)。

1880年側室の李尚宮が急死。その子(高宗の長男)完和君も変死。(閔妃による暗殺説が濃厚

1881年当時の朝鮮は、大院君派と、閔妃派との激しい対立に加え。江華島事件以後、「守旧派(事大党)」と「開化派(独立党)」とに分かれていた。5月閔妃一族が開化派の筆頭となり日本と同じ近代的な軍隊を目指した。日本から、軍事顧問を招き、新式の編成「別技軍」を組織、努力を続けた。

1882年1月 純宗の戴冠式。閔氏一族の娘(後の純明孝皇后閔氏)が妃と決まる。

1882年7月23日壬午(じんご)事変勃発。「守旧派」と大院君の勢力が結託し、閔妃暗殺、閔氏一族・「開化派」勢力の追放をもくろんだ事件。壬午事変によって一時的に大院君は復権するが、閔妃は侍女を囮にして昌徳宮から脱出し、清の袁世凱に介入を要請。清軍が出撃しこれらの勢力を排除し、8月26日大院君は清へ強制連行され天津に幽閉。清国は朝鮮の治安維持目的で、三千の兵を朝鮮国内に駐屯させた。一方、この事変により日本公使館も襲撃され、多くの日本人が殺害された。日本も軍艦を朝鮮半島へ呼び、賠償金の支払いと邦人保護のための軍隊駐留を認めさた(8月30日済物浦条約)。

1884年12月4日甲申事変(クーデター)。壬午事変以後清に事大した閔妃一族は、「開化派」政策から「守旧派」へと方向転換していた。「開化派(独立党)」の狙いは、日本と同じ君主が頂点の近代立憲君主制国家であった。政府首脳(閔氏一族)が事大政策を進む中、「開化派」は国王高宗「一本釣り」を計画。閔氏一族や清に実権を握られ、何一つ思い通りにいかない高宗も快諾した。

 クーデターは実行された。日本側の協力のもと、閔泳翊ら閔氏一族を殺害、開化派が新政府樹立を宣言した。そして、新内閣は国王の稟議を経て、「国王は今後殿下ではなく、皇帝陛下として独立国の君主として振る舞う事」等、14項目の革新政策を発表し、旧弊一新の改革を実現させようとした。

 しかしながら、袁世凱率いる清軍が王宮を守る日本軍に攻め寄りクーデター派は敗退。結局日本軍も撤退し、守旧派が臨時政権を樹立。開化派による新政権はわずか3日で崩壊した。

 首謀者の金玉均らは日本へ亡命し、残った「開化派」、及び亡命者も含めた彼らの家族らもおおむね三親等までの近親者が残忍な方法で処刑された。金玉均の父は死刑、母は自殺、弟は獄死、妻の兪氏と娘は奴婢として売られる(金玉均の妻子は、10年程生死不明で行方知らずとなった後、1894年(明治27年)12月忠清道沃川近傍で当時東学党の乱(甲午農民戦争)を鎮圧中の日本軍が偶然発見し、ようやくその妻と女子は保護されるも、その時の2人は実に憐れむべき姿だったという)。金玉均は日本各地を転々とした後に上海に渡ったが、閔妃の刺客に暗殺される(1894年)。その遺体は朝鮮半島に移送され凌遅刑に処せられ、五体は引き裂かれ朝鮮各地に分割して晒された。

1885(明治18)年4月天津条約が結ばれ、双方とも軍事顧問の派遣中止、軍隊駐留の禁止、止むを得ず朝鮮に派兵する場合の事前通告義務などが取り決められた。

 失望した福澤諭吉は、自身が主宰する天津条約締結前月の3月16日『時事新報』の紙面に、「脱亜論」を発表。

1885(明治18)年露朝密約事件(第一次と1886年の第二次の二つがある)。閔妃派政府が清や日本、イギリスを牽制するため、秘密裏にロシア帝国と交渉を行い、軍事的援助と保護を求めた。日本が清に大院君の帰還を要請する。閔妃側、大院君帰国の通達に難色を示す。10月 3日 大院君が清から帰国。

1892年閔妃による大院君爆殺計画が失敗

1894年5月31日 甲午農民戦争。全琫準率いる東学農民軍が全州を占領。これに驚いた閔氏政権は、清国に援軍を要請。天津条約にもとづき、日本も朝鮮に出兵し、漢城近郊に布陣して清国軍と対峙。

 この状況に慌てた閔氏政権は、農民の提案を基に「全州和約」を作成し締結したといわれるが、和約を結んだとする一次資料はない。この和約で従来の地方政府が復活したが、同時に農民側のお目付け役「執綱所」が設けられ、全羅道に農民権力による自治が確立した。

 反乱が収束し、朝鮮は日清両軍の撤兵を申し入れるが、両国は受け入れずに対峙を続けた。日本は清へ朝鮮の内政改革を共同でおこなうことを提案し、イギリスも調停案を清へ出すが「日本の撤兵が条件」として拒否。

 日本は朝鮮に対して、「自主独立を侵害」する清軍の撤退と清・朝間の条約廃棄(宗主・藩属関係の解消)について3日以内に回答するよう申入れた(朝鮮が清軍を退けられないのであれば、日本が代わって駆逐)との意。これにたいして朝鮮政府は、「改革は自主的に行う・乱が治まったので日清両軍の撤兵を要請」と回答。

7月23日日本は、朝鮮に内政改革を要求したが、受け入れられなかったため、大院君を担いでクーデターを起こして景福宮を占領、閔氏一族の閔泳翊、閔台鎬、閔泳穆、趙寧夏を殺し閔氏政権を追放。開化派を中心とした金弘集政権を誕生させた。

7月27日に改革の中心機関として軍国機務処を設置、下記の改革が進められた。

甲午改革(近代化改革1894年~1895年)。1895年~1896年の乙未改革も甲午改革の一部とし、全体を甲午改革とする場合もある。

1、中国の年号の使用を止め、開国紀年に変更。

2、宮内府と議政府の分離。

3、六曹(吏曹、戸曹、礼曹、兵曹、刑曹、工曹)を八衙門(内務、外務、度支(財務)、軍務、法務、学務、工務、農商務)に再編。

4科挙の廃止。

5、封建的身分制の廃止

6、奴婢の廃止

7、人身売買禁止

8、拷問廃止

9、罪人連座法廃止

10、早婚禁止。

11、寡婦の再婚を許諾

12、財政改革。

13、租税の金納化。

14、通貨の銀本位制。

15、度量衡の統一

1894年(明治27年)7月25日豊島沖海戦。宣戦布告直前に遭遇して起きた、日本艦隊と清国艦隊が朝鮮半島西岸沖の豊島で戦った海戦。日本圧勝。

 金弘集政権は甲午改革(内政改革)進め、日本はこの新政権から牙山の清軍掃討を依頼させることに成功。

1894年7月29日成歓の戦。日本側死傷者88名。清国兵は500名以上の死傷者を出し、武器等を放棄し平壌に逃亡。成歓の敵陣地を制圧。

閔妃成敗は国家存亡戦時下攻防戦、露西亜や清国との朝鮮合体では、日本滅亡!

 戦国時代である。韓半島が敵になれば喉元に匕首。韓半島や罪日の被害者史観や、加藤陽子等の善悪史観で好いとこ盗りの戦わざればなら、本土が戦場の決戦となり、日本国は消滅していた!

1894年8月1日清に宣戦布告、日清戦争。

12月には軍国機務処が廃止され、甲申政変に失敗し日本に亡命中だった朴泳孝が内務大臣となり、引き続き次のような改革が進められた。

1、議政府を内閣とし、近代的な内閣制度を導入。

2、洪範14条の発布。

3、八道を二十三府制に変える地方制度改革。

4、税制制度改革。

5、近代的な警察・軍事制度の確立。

6、司法制度の近代化。

1895年3月30日 日清休戦条約

4月17日 下関条約。清から朝鮮独立

5月 4日 三国干渉受諾した日本を見下した閔妃、親露政策へ転換。政権内部の対立で、金弘集内閣が崩壊。朴泳孝は次の朴定陽内閣でも内務大臣となるが、三国干渉の結果、朝鮮での日本の影響力が弱まり、閔妃を中心に親露派の力が強まった。

7月6日 閔妃、ロシア公使ウェバーとロシア軍の力を借りて政権を奪回。日清戦争直後にロシア軍の力を背景に行った閔妃勢力のクーデターは、大院君開化派勢力日本との対立を決定的にした。

7月10日 閔妃に関する謀議の風説の報告。

8月朴泳孝に閔妃殺害計画謀議の嫌疑。朴泳孝は京城を脱出、また日本に亡命。その後は親露派の内閣が生まれ、改革は停滞することとなった。

9月1日 三浦梧楼、朝鮮国駐箚公使として着任

10月7日 閔妃派政権 訓練隊解散と武装解除通告

10月8日 乙未(いつび)事変閔妃成敗。死体は午前8時30分頃確認され、焼却。甲午改革改革は10月8日に閔妃殺害後、乙未改革に引き継がれる。三浦梧楼赴任38日後のことである。

 兪吉浚(政治家、啓蒙思想家)のアメリカ人牧師モールスに送った手紙に、「大院君が日本公使館に頻繁に出入りして、閔妃殺害を日本に要請したのは大きな間違いだ」との記録が残っている。日本側の記録では、大院君が軍事顧問の岡本柳之助に再三再四密使を送っている最中(p492 日本外交文書デジタルアーカイブ 第28巻第1冊(明治28年/1895年)に、訓練隊は解散で隊長を厳罰詮議と10月6日に漏洩。激昂した訓練隊が大院君を奉じ決起

1895年10月8日午前三時、日本軍守備隊、領事館警察官、日本人壮士(大陸浪人)、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使が景福宮に突入、騒ぎの中で閔妃は斬り殺され、遺体は焼却された。大院君の護衛に日本人が参加することなどについて三浦梧楼は黙認。

 

 王宮に乱入した日本軍守備隊と訓練隊は、侍衛隊(景福宮の警護にあたっていた近衛部隊)と戦闘を繰り広げた。侍衛隊の教官と侍衛隊の教官アメリカ人将軍のウィリアム・ダイとロシア人御用技師サバチンは、事件を直接目撃した。サバチンによる事件についての報告書がロシア科学大学の教授に発見され、米国コロンビア大学において1995年10月6日付でその翻訳が公開されている。イザベラ・バードの「朝鮮紀行」における王妃暗殺事件の描写ソース。

サバチン証言(露西亜人証言なので、日本人主体の証言となっている)。

 「王妃の居住する王宮の一角には、おおよそ20人から25人程度の日本人が詰め掛けていた。彼らは奇妙なガウンを羽織っており、サーベルで武装していた。そのうち何人かはサーベルを鞘から抜いていた。

 …複数の日本人兵士が宮殿のあちこちを捜索し、他の者は女王の居住区域になだれ込み、その場で見つけた女たちに襲い掛かっていた。

 …私は…日本人が王妃の居住区域で物をひっくり返したりしているのを観察し続けた。二人の日本人が女官たちの一人をつかんで建物から引きずり出し、そして彼女を引っ張って階段を駆け下りた…

 また、日本人のうち一人は、私に向かって、英語で『王妃はどこだ? 答えろ!』と繰り返し聞いてきた。…私が謁見の間を通り過ぎたとき、私はその場所が日本人兵士と将校、そして韓国人の高級官僚の協力によって包囲されていることが分かった。

 しかし、その中で何が行われていたのかは、私には知る由も無かった」。2につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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