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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観3敵は日本にあり甲斐利雄銭生捏造屋鄭秀雄チョンスウンとスパイ工作

3敵は日本にあり甲斐利雄銭生捏造屋鄭秀雄チョンスウンとスパイ工作

私欲国賊閔妃(明成皇后)亡国奴を捏造する韓国と捏造加担の日本丸暗記銭生

「日本側実行犯」壮士の子孫、スパイと亡国奴に仕組まれ土下座

捏造経緯

ドラマや小説での捏造

1982年推理小説「ポンパドール伯爵夫人殺人事件・閔妃殺人事件」檜山良昭 中央公論社の日本軍将校(日本で三浦とともに裁判にかけられて無罪となる)の一太刀が直接の死因。

※この見てきたような嘘から始まった

1988年「閔妃暗殺-朝鮮王朝末期の国母-」 新潮社 (1988/01)角田房子(1914~ 2010)第一回新潮学芸賞(出版社の賞は内容の良し悪しではなく販促目的

 時は19世紀末、権謀術数渦巻く李氏朝鮮王朝宮廷に、類いまれなる才智を以て君臨した美貌の王妃・閔妃がいた。この閔妃を、日本の公使が主謀者となり、日本の軍隊警察らを王宮に乱入させて公然と殺害する事件が起こった。本書は、国際関係史上例を見ない暴挙であり、日韓関係に今なお暗い影を落とすこの「根源的事件」の真相を掘り起こした問題作である。

あとがき

 「両国関係の歴史を学ぶ間に私は何度か、『日本はこんなひどいことをしていたのか』という驚きにうたれた」。

※弱肉強食戦時下の認識皆無なので、「両国関係の歴史を学ぶ」!日本亡国(露朝合体)の敵因子(閔妃)を成敗したのに、『日本はこんなひどいことをしていたのか』とは、この作家は朝鮮人か?露朝合体では日本消滅!閔妃事件は日本の死活を懸けた戦争だったのだ!

 角田房子が、「檜山推理」を基に国賊・閔妃を逆転させ、「悲劇の王妃」に仕立てた空想小説なのに、閔妃写真も内容も、ノンフィクションのように捏造したので、角田房子捏造「問題作」となった。ちなみに韓国人の捏造教育やドラマや中央日報等は、角田房子のこの夢物語がソース。

韓国の捏造

1996年6月「外交文書で語る 日韓併合」金膺龍(合同出版)

第3章 閔王妃殺害事件 3 遺体の陵辱と処置 

 石塚英蔵は内務省法制局参事官のまま、朝鮮の内部顧問(日本の内務省相当)に送り込まれた人物である。石塚は次の法制局長宛の報告書の中で、王妃殺害を日本の誰もが考えていたと、報告書の冒頭に書いている。王妃殺害の必要は三浦も早くから感じていたといい、日本の守備隊が主力であったこと、王妃の殺害と遺体の陵辱の状況を仔細に書いている」としているが、石塚英蔵動機と首謀者記載の下記は削除し引用、首謀者は三浦公使である)と加筆し明白に隠蔽捏造を白状している。

 「訓練隊解散、兵器没収の内議を聞くや、已むを得ず大院君を要し、大内に哀訴せんとして、侍衛隊に衝突を来したり。王城前に在る守備兵は之を鎮静せんが為、四門の警備に従事したりと云うに在り」。

2001年~2002年「明成皇后(閔妃)」韓国放送公社(KBS)連続ドラマ。このドラマで国賊・閔妃が『悲劇の王妃』と捏造された。 

2001年「皇太子拉致事件韓国人金辰明著。「日本の浪人が明成皇后の死体を屍姦し、死体を焼いて証拠隠滅した」等詳細が記載された資料「秘密外交文書電報435号」や、小説家角田房子(参考文献)から示された石塚英蔵報告書を根拠とする、実話であると捏造。「電報第 435 号(極秘扱)」は「中山書記官より広田外務大臣宛電報(昭和8年10月14日、『日本外交文書』昭和期II、第1部第2巻、69 頁)」であり、小説に出てくる記述はない(韓国人の日本偽史(野平俊水)小学館)。

検証石塚英蔵報告書(原文カタカナ交じり文)

 原文は、「今回之事、小生共最初より少しも計画に与からず、却而、薄々其計画を朝鮮人より伝聞致候程に有之。段々聞知する所に依るに」なので、この記録は、目撃者ではなく、朝鮮人よりの聞き書き。全文は前掲参照。

 「王妃を引き出し二三ヶ処刃傷に及ひ(及び)且つ裸体とし局部検査(可笑又可怒)を為し最後に油を注き焼失せる等誠に之を筆にするに忍ひさるなり其他宮内大臣は頗る残酷なる方法を以て殺害したりと云ふ右は士官も手伝へたり共主として兵士外日本人の所為に係るものの如し」(国会図書館 憲政資料室蔵 伊藤伯爵家文書 末松法制局長官宛 石塚英蔵書簡)全文は前掲参照。

局部検査(可笑又可怒)を為し」とあるのみで、「強姦・死姦」の記述「皆無」。

局部=全体のうちのある部分。陰部。二つの意

可笑又可怒(漢文)=ばかばかしいと怒り(日本語訳)。日本統治前の朝鮮は、漢文が公用語でハングル無し。本文は聞き書きなので、聞いた漢文をそのまま書いた。すなわち、「可笑又可怒」は朝鮮人で、「局部検査」は朝鮮人を指示する。

○○()の括弧内は、○○の補足説明。

「局部検査(可笑又可怒)を為し」訳文は、「朝鮮人は、ばかばかしいと怒り(可笑又可怒)ながら二三ヶ処刃傷(局部)を検査(致命傷か否か)し」となる。

 露西亜は出稼ぎ戦争だが、日本にとっては死活戦争。資源無き小国日本にとって、韓半島敵国化(露朝合体)は亡国。先に殺さなければ殺される戦時下なので、善悪など皆無の、緊迫した時代であったことを認識しないと、理解は出来得ない。

志士四十八名は韓半島の露西亜属国化で、日本ノド元に匕首を救った英雄

 事件関係者四十八名を広島裁判所につなぎ審問。その結果、事件発生から89日目の翌年1月20日、「証拠不十分につき全員放免(無罪)」にしました。一同は東京新橋駅で、佐々友房や貴衆両院議員他、数百名の歓迎をうけました。(東京日日新聞)

閔妃写真の捏造の顛末

 2003年、閔妃肖像写真は朝鮮王宮の女官で、間違いであることが佛教大学三谷憲正の検証で証明された。

佛教大学三谷憲正の検証

 日韓併合以前の資料の写真説明は「正装の韓国夫人」「宮中の侍女」「女官」であり、「閔妃」。は一つもない。

 戦後になっても『別冊1億人の昭和史 日本植民地史①朝鮮』(毎日新聞社 1978年7月)の110頁では「王朝時代の官女の正装」、『目でみる李朝時代』(国書刊行会 1986年3月)の183頁では「宮中の女官の正装」と日韓併合以前の資料と同じ説明が正確に記されている。

 この写真を閔妃と間違えた最古例は、日本の日本近代史研究会『写真・図説 総合日本史』第11巻―近代Ⅱ(1955年11月 国文社)。

韓国の捏造と角田房子の嘘の上塗り

 1976年韓国では1976年に刊行された姜相圭『韓国写真史』が、この写真を初めて閔妃として掲げ、次のように記載した。

 「明成皇后 閔妃(図14)は早くから外戚としての精神を起こして、大院君に反旗を翻し、高宗に親政を宣布させ、大院君系列の人々を粛正しながら、日本と外交関係を結んだ。1892年甲午更張が始まるとロシアに接近し、日本の勢力の追放を計った。1895年10月8日(陰暦8月20日)は閔妃の政変の日であり、安達謙、岡本柳之助が引率した幽徒隊が、閔妃の人物写真を皇室専属写真師から入手して、実際の顔と対照し、確認した後、殺害したのであり、このときの皇室嘱託写真師は日本人の村上天真である」。

 1987年には辛基秀が『映像が語る「日韓併合」史』において、この写真を「閔妃(1851-1895年)国王高宗の皇后」載せ、次のように記載した。

「ソウルの日本軍守備隊や公使館員らは、1895年10月の夜、王宮に侵入、婦人3名を殺害、閔妃をはづかしめ、松林で焼きはらった。この前代未聞の暴虐の行為で、日本のカメラマンの果たした役割を看過できない。

日本政府は、すでに皇室の嘱託写真師として村上天真をおくりこみ閔妃や王宮関係者の写真を撮り、日本軍守備隊に手渡し、写真をもとに閔妃の容姿を記憶したのであった。王宮の多くの官女の中、閔妃とおぼしき女性を的確に捕らえたのは、まさに写真によってである(「韓国写真史」姜相圭 螢雪出版社参照)」。

※韓国が便乗し、見てきたように捏造した。

角田房子の嘘の上塗り捏造

 1988年、角田房子は自著『閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母』において、その表紙カバーと口絵に写真を載せ、「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」と捏造、閔妃とし断定した。

 「私が読んだ日本側の閔妃暗殺現場の資料はすべて、『誰も閔妃の顔を知らなかった』という前提で書かれている。だが辛基秀(大阪在住)が著した『映像が語る日韓併合史』(1987年、労働経済社)には『日本政府は、すでに王室の嘱託写真師として村上天真をおくりこみ、閔妃や王宮関係者の写真を撮り、日本軍守備隊に手渡し、写真をもとに閔妃の容姿を記憶させたのであった。王宮の多くの官女のうち、閔妃とおぼしき女性を的確に捕えたのは、まさに写真によってである』。(『韓国写真史』姜相圭、蛍雪出版社参照)」

 そして、「閔妃の写真は数枚あったはずだが、日本側がほとんど破棄したために、この一枚しか残っていないと考えられる」と、角田房子は嘘の上塗りをした。

 三谷憲正の検証後、韓国でも写真に疑義。2001年7月7日付け東亜日報、この写真真偽問題に関連して「当時“写真を撮らせると、魂が抜ける”と認識 カメラ忌避」と、当時の人間が写真を避けることが説明された。

※1882年壬午事変で閔妃は、侍女を囮にして助かった。絶えず命を狙われているので、写真を避けたのは確かであろう

 2004年8月12日付け朝鮮日報「1909年(閔妃殺害から14年後)馬山郵便局消印ハガキ発見」として、角田房子と韓国が力説の、閔妃写真と同じ写真が提示された。下部に「韓国宮中の老女」という日本語と共に、英語で「’An Old Waman in the Corean Court」と併記されている。「宮中服飾の朝鮮女性」のこの写真は、これまで書籍印刷では残っているが、はがき印刷では、これが初めてである。

※絶えず命を狙われている閔妃が、ハガキに印刷写真と同一であることは有り得ない。閔妃写真に非ずは、明白である

2006年閔妃写真(弑害された王妃と記載)発見公開

 2006年7月25日閔妃と推定される写真を、イギリス人テリーベネット(56)が公開した。ベネットが3年前、ロンドンの古本屋で入手したドイツ人写真家写真帖の中の4枚(高宗と純宗1枚、'Die Ermodete Konigin・弑害された王妃と記された推定閔妃1枚、大院君2枚の写真)。「韓国宮中の老女」と推定閔妃の写真4枚
 

戦国時代に対処不能の「窮鳥」身分をわきまえず、謝罪要求する韓国馬鹿子孫

 韓国人捏造屋チョン・スウン(鄭秀雄)にハニーマネートラップを仕組まれ日本を売った亡国奴共

捏造屋の捏造工作活動を「チョン・スウンの‘作品’=捏造」と自白した新聞

東亜日報2005-05-11記事の修正2009-10-01 21:36:50
 明成皇后殺人犯の後孫達の謝罪訪韓は、フリーランサーのドキュメンタリーPDチョン・スウン(鄭秀雄・62・写真)ドキュソウル代表の執念が作り出した‘作品’である。

 チョン氏は今年8月頃にSBSと日本NHKで放映される2部作ドキュメンタリー‘明成皇后弑害事件,その後孫達 110年ぶりの謝罪’の製作の為に、去る1年間、日本の熊本にだけでも13回も行き来した。

 その過程で彼は甲斐利雄(76)氏等の良心的退職教師達を知るようになり,‘明成皇后を考える会’を組織して弑害犯の外孫子の河野龍巳氏の訪韓を成功させた。

 “河野氏は始めは韓国の人間だと言ったら、とても警戒したのです。それで河野氏の病院の患者まで動員して接触を継続した結果、彼を説得することができたのです。”

 彼は“ドキュメンタリー‘東アジア 激動20世紀’の製作を構想しながら明成皇后弑害事件に関心を持つようになった”とし、“日本の知識人達が主軸となった、いわゆる浪人達が隣家国の皇后を殺害した前代未聞の事件を糾明しなくては、到底その時代をまともに眺める事はできない”と言った。

 チョン氏は “弑害事件の主犯である三浦梧樓(1846〜1926) 当時の日本公使の後孫も捜し出して謝罪訪韓を成功させる”と言った。

2004年、ドキュメンタリー『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』チョン・スウンが、制作開始

 「明成皇后を考える会」は、2004年に熊本出身の元教師20人によって結成された組織で、日本側実行犯の後裔を捜し出して関連記録を調査、殺害事件の真相究明をしている会であるという(2005年5月9日 朝鮮日報)。

真の日韓友好はここから(上)甲斐利雄(明成皇后を考える会)
 「明成皇后を考える会」発足に大きな刺激を与えた韓国人ドキュメンタリスト・鄭秀雄(チョンスーウン)さんが、東京の国会図書館に埋もれていた政治家の書簡コピーを百数十枚持ち込んできました。熊大の小松教授が解訳、鄭さんが感じ取っていたのとほぼ同様でした。

 三浦首謀説へ誘導せんとする言説を流布した元老権力者達が、裏では三浦に「閔妃殺害」を教唆していたのではあるまいか。鄭さんの真実を追究する活躍は続けられています。

※日清日露戦争の戦時下なのに、平時の出来事のように洗脳している。

「なぜ?どうして?」常識回路無き一知半解馬鹿銭生鵜呑みで鄭秀雄の手下となる

 歴史研究会とは名ばかりで、実態は、「研究」など皆無、韓国鄭秀雄(チョンスーウン)、NHK、TV朝日等迎合鵜呑みの、「大人コドモ会」である。

 2004年夏頃から熊本県の元中学校英語教師甲斐利雄が「閔妃暗殺」について資料を集めだし、教師仲間と閔妃事件を考える歴史研究会を作った。丸鵜呑みのくせに嬉々として語る甲斐利雄等馬鹿銭生には、腹が立つ!閔妃暗殺事件:114年目の氷解(2)
※鄭秀雄(チョンスーウン)、NHK、TV朝日の捏造話に、元公務員年金生活銭生閑人甲斐利雄が、飛び付いて便乗した。閑人銭生仲間を集めての歴史研究会名目の「鵜呑みコドモ会」が推察出来る。捏造韓国に、謝罪屋日本人銭生上げ膳据え膳で大歓迎されたであろうことは言うまでも無い。検証能力皆無丸暗記能力しかないので、研究会とは名ばかりの、韓国捏造歴史鵜呑み会となり、韓国スパイの手下となった。

 韓国捏造助長の馬鹿銭生どもである。捏造歴史で洗脳され、屈辱謝罪の壮士子孫は、整合回路無き一知半解馬鹿銭生が起因だ!

敵は日本にあり!馬鹿銭生(丸呑みHDD)のスパイ工作

2004年12月TV朝日取材

2005年2月元銭生等閔妃墓墓参に子孫同行を誘う

2005年5月元銭生等と軽薄子孫河野龍巳(外孫)と家入恵子(孫嫁)は墓参参加。善良なのは解るが、余りにも身勝手軽率な行動(日本国や天皇や同胞先人への冒涜)で、子孫の非難は当然まぬがれ得ない! 

2005年5月10日まんまと罠に嵌め得意満面でほくそえむ記事だが、なんと謝罪相手は閔妃子孫に非ず!閔妃殺害首班大院君子孫!!!!

閔妃の実子(一人っ子)「純宗」には子が無く、異母弟「李垠」が継いだので、閔妃の血縁は途絶えた。記事の李忠吉(イ・チュンギル・67)は、高宗と側室の張氏との間に生まれた義親王(15男9女)の9男で、閔妃殺害首班大院君のひ孫

かん国に媚びる日本人:明成皇后を考える会 甲斐利雄閔妃殺害事件の関係者の子孫を探し出してかん国で土下座させる
朝鮮日報[韓国]2005/05/09(月)

明成皇后殺害犯の後裔らが謝罪訪問

 明成皇后殺人犯の後裔らが事件から110年目にして謝罪の意を伝えるため9日、訪韓した。

 1896年の深夜、景福宮(キョンボックン)で明成皇后を殺害した日本の浪人、国友重章の孫、河野龍巳さんと家入嘉吉の孫の妻、家入恵子さんが「明成皇后を考える会」の会員と共にこの日、韓国へ来た。

 熊本出身の国友は事件当時、同行した先輩にあたる安逹謙蔵・漢城新報社長の下で主筆を務め、日本の浪人らを率いて景福宮に乱入、家入はこの時参加した熊本出身の浪人だ。

 二人は10日午前、明成皇后と高宗が合葬された南揚州(ナムヤンジュ)市・?谷(クムゴク)洞の洪陵を訪れ、午後には京畿(キョンギ)道・驪州(ヨジュ)の明成皇后の生家を訪問する。翌日には110年前に事件現場となった景福宮の玉壷楼(復元工事中)を訪れた後、12日に帰国する予定だ。

 後裔を捜し出して関連記録を調査、殺害事件の真相究明を率先して行っている。明成皇后殺害事件に対する反省から出発してこそ韓日が真の友好を築く新たな時代を切り拓くことが出来るという主旨からだ。

※「真相究明」ではなく、捏造工作で、朝鮮人の「友好」は「真の友好(互恵)」ではなく、「恫喝し金よこせと一方的なもの」。朝鮮人の「友好」=「あやまれ銭くれ」

 河野さんは韓国に向かう直前の9日午前、祖父の墓を訪ね、今回の韓国訪問を報告した。内科医の河野さんは熊本出身の細川元首相の後援者として知られている。

 国友は三浦公使ら明成皇后殺人犯55人と共に裁判に回付されたが、1896年の広島法廷で証拠不十分によって全員釈放された。国友はその後、大阪朝日新聞の主筆に推薦されたが、明成皇后殺害事件への関与が問題となり取り消され、1909年に病死した。

 今回の訪韓を取り持ったのはフリージャーナリスのチョン・スウン。昨年から明成皇后殺人犯の後裔を追跡してきたチョン・スウン氏は「明成皇后殺人犯の後裔による謝罪を通じて110年間のしこりが残った韓日関係のわだかまりを解く糸口を見付けるようになった」と語った。チョン・スウン氏によるドキュメンタリー番組は8月にSBSテレビを通じて放送される予定だ。キム・ギチョル記者4につづく

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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