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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観昭和天皇沖縄苦渋の英断一石(統治委任長期貸与)二鳥(防衛主権確保)

1昭和天皇沖縄苦渋の英断一石(統治委任長期貸与)二鳥(防衛主権確保)

 「日本九九年戦争・資源無き島国日本、適者生存戦国時代唯一の術は、先手あるのみ。後手の本土戦は、兵糧攻めで必滅。露西亜、清国(属国朝鮮)南下阻止が第一義、後手は必滅、先手で打って出た。 

 結果が台湾朝鮮(自立不能で)統治(極東共栄圏樹立着手)、満州建国尽力(凶産の砦)、日中戦争(中国凶産化での中ソ凶産連合阻止)、南京政府樹立尽力(中国凶産化阻止)で極東共栄圏構築。

 日中(反共)戦争で疲労困憊の日本は、戦国の定法弱肉強食、恰好の餌食となった。米英中蘭(ABCD)が兵糧攻め、ハル・ノートで降伏を迫った。出稼ぎ戦争対、日本は死活戦争。極東から大東亜に共栄圏樹立を拡大し、あらん限りに戦ったが、大東亜同胞の、完全覚醒追随まで戦いきれず、矢尽き刀折れ、敗れた。

 がしかし、戦いざまに共振した同胞が、一気に蜂起、独立。1960年の植民地独立付与宣言(互恵)が根幹となり、自由貿易64年開放経済)、平等65年人種差別撤廃を成し、凶産は残ったが、戦争目的は完遂した。弱肉強食の世に、戦後67年間のごとき無能無策の後手日本なら、何もかもが消滅していた。それでも戦後消滅しなかったのは、『身体を筆にし、流れる血と汗と涙でえがいた先人の、人類への遺書』以外、あろうか!

 “戦かわざれば”の平和論があるが、防共の砦日本が去るやいなやすぐさま凶産化、朝鮮戦争惹起したもう一方の真の敵、中ソ凶産連合軍隠蔽スパイの、工作論である。ABCDと“戦かわざれば”の降伏は、防共の砦無き丸裸日本で、中ソ凶産の、恰好の餌食となった。この戦いは、目的も無きただの防御戦。多勢に無勢で、瞬時に最後の独立国日本は潰え、日本族の名を残すのみの、まさに、犬死に無駄死にの戦争となっていた。同胞の、支配者からの独立も無い!新秩序など、当然無い!支配者と、被支配者の地球に成っていた!」

 

 蝦夷も熊襲も時代に逆行せず同化。そして琉球も同化し、有色人同胞の隆盛、人類新秩序の魁を成した。その民が沖縄県民である事は紛れも無い事実である。時代に逆行沖縄独立論なるものがある。検証して見よう。

沖縄の歴史

 「琉球」は中国文献上の他称であったが、後に自称とした。「沖縄」は、宮古・八重山等周辺の島々に対しての本島名で、沖縄固有の言葉が語源の名称。『琉球と沖縄の名称の変遷』小玉正任著2007年琉球新報社 

 稲作・畑作を中心とした農耕社会に移行は12世紀ごろから(グスク時代)で、最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じ祖先を持つことが明らかになっている。高宮広士札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であるため、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘(朝日新聞 2010年4月16日)、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住した者が主体と推測されている。
「沖縄県民と九州以北の本土住民とは同じ祖先」論駄目押し
琉球大学も沖縄タイムス文系は丸暗記回路のみで思索回路皆無欠陥者かスパイだが理系は正常のようだ!
2914年9月17日 沖縄タイムス
沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定
 琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員と木村亮介准教授らを中心とする共同研究グループは琉球列島の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来すると発表した。これまでも沖縄本島地方についての研究データはあったが、八重山・宮古地方も含め、大規模に精査した点が特徴。英国に拠点がある分子進化学の国際専門雑誌「モレキュラーバイオロジーアンドエボリューション」の電子版(1日付)に掲載された。
 木村准教授は「沖縄の人々については、東南アジアや台湾などに由来するといういわゆる『南方系』との説もあったが、今回の研究はこれを否定している。沖縄の人々の成り立ちを明らかにする上で貴重なデータになる」と話している。
 研究では、沖縄本島、八重山、宮古の各地方から計約350人のDNAを採取。1人当たり50万カ所以上の塩基配列の違いを分析した。
また、宮古・八重山諸島の人々の祖先がいつごろ沖縄諸島から移住したのか検証したところ、数百年から数千年と推定され、最大でも1万年以上さかのぼることはないとの結果が出た。宮古・八重山ではピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴人(2万年前)の人骨が発見されており、現在の人々の祖先なのか関心を呼んできたが、主要な祖先ではないことを示している。
 一方、港川人(1万8千年前)については、沖縄本島地方の人々の主要な祖先ではない可能性が高いとみられるものの、さらなる精査が必要という。
 共同研究に携わったのはそのほか、北里大学医学部や統計数理研究所など。
 琉球列島内で見ると、沖縄諸島と宮古諸島の集団は遺伝的な距離が比較的離れており、八重山諸島の集団が中間に位置していることも判明した。
 さらに詳細2914年9月16日 琉球大プレスリリース「ゲノム多様性データから明らかになった先史琉球列島人の移動における取材について」
古語に近い、青森・鹿児島・沖縄方言の違いはあるが、沖縄も本土も同じ言語(日本語文法も)なので、常識で考えれば、子供でも解ること!

 1609年、薩摩藩は琉球王国の領土だった奄美大島を経て沖縄本島・首里城に進軍。琉球王国は4000名の兵士で対抗したが敗れ、尚寧王が首里城開城(本土も戦国時代であった)。以降琉球王国は、「日清重属」

【資料3】宮古・八重山分島改約案(1880 年)より転載、部加筆。
1. もともと琉球王国は、薩摩藩を介して徳川幕府に朝貢する一方で清から冊封を受けるという「両属状態」にあった。

2. 19 世紀のヨーロッパ国際法から逸脱するこの琉球王国の体制に対し、明治日本政府は、1872年に琉球王国域に琉球藩を設置、さらに1879年に同藩域に沖縄県を設置する(すでに廃藩置県が行なわれたあとに、琉球=沖縄にだけ「藩」が置かれたことに留意)。

※開国しての戦国時代対処の為、幕藩分国体制ではなく中央集権化し、一丸となった。琉球王族は日本の華族となった。

3. こうした日本国の一連の独走的な動きによって日清間の亀裂は深まり、1871年締結された「日清修好条規」の更新は難しくなった。

琉球王国消滅に不満を抱いた一部の旧支配者層(清に朝貢派)は、「脱清人」として琉球王国と親密な関係にあった清国に亡命、清政府に「琉球王国の再興」運動。琉球王国の再興派「頑固党」と、反対派「開化党」が対立した。

※本土でも同様にあり、沖縄のみではない

4. これに対して調停に乗り出した元アメリカ合衆国大統領グラントに対して、1880年、日本国側は「琉球分島案」を提示する。これは宮古・八重山列島と沖縄諸島とに旧琉球国を分割し、宮古・八重山列島に清の主権を、残りに日本の主権を確立するというものであった。

5. この「譲歩」に対して、清はすべての旧琉球王国域の清への併合を主張し、両者は平行線をたどる。

6. 琉球をめぐる日清間の国境紛争は、これと同時期に、中国内陸部における清露間の国境紛争(イリ問題)に清が忙殺されたこともあって、うやむやとなる。

7. 結局、この琉球分島案は日清間で調印されず、日本国による旧琉球国域への主権行使は既成事実化する。

※清国の現実(「暗黒大陸中国の真実」タウンゼント著)を知悉していた琉球島民は、清国支配は避け、賢明な自立を維持していた。

8. このあと1894/95 年の日清戦争での日本の勝利に伴う台湾割譲によって、問題自体が消滅する=「台湾までが日本なのだから、沖縄は当然日本である」。

 

清の敗北によって琉球王国再興の道は断たれ頑固党も沈静。その後、「日本の主権を認める代わりに、尚家による統治を求める」という「公同会運動」が起こったが、日本政府は却下。公同会運動も消滅。米軍統治下での独立運動は、「奄美人民共和国」の建国を掲げた非合法組織の奄美共産党(奄美大島社会民主党)、次いで沖縄共産党(合法組織として沖縄人民党)が結成された。

  住民の多くは日本への復帰を望んでいたため、琉球民族の解放を掲げ沖縄独立扇動していた中ソ凶産の手下日本共産党や日本社会党も、「独立」から「復帰」へと運動方針を変更。本土復帰後、沖縄独立運動は沈静化。「琉球文化復興運動」へと変化し、落ち着いた。 

 2005年から2007年琉球大学准教授の林泉忠(在日香港人英国籍)は、沖縄・台湾・香港・マカオ4地域の人々の本土(日本や中国大陸)への帰属意識と、「独立か否か」の調査を行い、4地域の意識の違いを発表。サンプル数は、毎年毎回どの地域も1000以上としている。林泉忠「沖縄住民のアイデンティティ調査(2005~07)」『政策科学・国際関係論集』第9号、2009年3月

沖縄住民意識調査

独立が、2005年24.9%、06年23.9%、07年20.6%と下降。

独立不可が、2005年58.7%、06年65.4%、07年64.7%と上昇。

 2006年の沖縄県知事選挙では、「琉球独立」を掲げる琉球独立党(現・かりゆしクラブ)党首の屋良朝助が党公認で出馬したが、得票数6220票、得票率0.93%で落選している。

 現実と逆比例し、「沖縄独立」を扇動する沖縄マスコミは、凶産中国スパイとの、自白!川満信一が発表した「軍備・司法機関(警察・検察・裁判所」の廃止、「私有財産の否定」、「情報の統制」、「商行為の禁止」を謳った「琉球共和社会憲法C私(試)案(『新沖縄文学』沖縄タイムス社、1981年6号)」に至っては、何をかいわんや。

 川満信一(1932~沖縄・宮古島生まれ。1952年琉球大学国文学科入学。『琉大文学」に参加。1956年沖縄タイムス社に入社(記者)、鹿児島支局長、「新沖縄文学」編集長、文化事業局局長など歴任。詩人・思想家とある。現実界実技体験無き文系は、表音丸暗記記憶、現実と非現実の見境が無い、「言葉と文字」がいかにも軽い。現実を深く踏まえての生きる禍福が宮沢賢治や高村光太郎の詩で、現実皆無の夢想家などではない。  

 現実と非現実の見境がつかず大きく現実離れした沖縄マスコミ(言葉と文字界)は、まさに「」信号である。

 台湾以東中国の海軍は、台湾・沖縄に阻まれ自由に太平洋に出ることが出来ない。そして中国凶産軍の手かせ足かせ、邪魔者が沖縄駐留米軍である。自由主義社会は、凶産束になっての個人札束攻撃には極端に脆い(WW2日米開戦起因)。実技無き信念無き「言葉と文字界」は、特に札束に脆い人種の集まり。沖縄の公務職(教授、先生、役人、政治屋)と報道(TV、ラジオ、新聞、出版社)の、自国日本防衛は置き去りにした異様な発言、報道行動は、中国凶産の手先と見てまず間違いはない。現在の沖縄マスコミ(言葉と文字界)は、人類の敵凶産の、巣窟となっている。

 現在沖縄独立運動を行っている政治団体はかりゆしクラブ旧・琉球独立党で、国政選挙、地方選挙では屋良朝助代表が政党候補者。現代に、「奥州平泉独立運動」を叫んでいるようなもので、時代逆行である。「かりゆしクラブ」は凶産スパイと言える。

1894年日清戦争開始前夜の論文

【資料4】田代安定「八重山群島住民ノ言語及ヒ宗教」1894

①我か八重山群島の如きは世人の注意甞て冷然たりしに拘はらず、其民族、宗教及ひ史跡等の点に亙て論するときは純然たる日本元素を以て組成せるものにして・略

②甞て迂儒俗士輩往々沖縄諸島の土俗を目して皇和の民俗の範囲外に居る者と為し、

③甚しきは一国の骨相たる言語まても西土の余響を帯ふる者の如く厚顔色に唱説し・略

④是等間接的の売国奴は予輩名して聾盲観風者と呼び為せしことあり。・略

⑤八重山群島土民の如き其歴然として掩ふへからさる日本固有元素中ニ滋息せる生霊に対して斯の如き妄評を下す者は、啻に朝廷祖宗の罪人のみならす亦八重山群島土民の罪人たるを免れさるものなり。

⑥言語○ 八重山島民の語は純然たる日本語の系統に属する者にして

⑦現今は沖縄諸島と共に訛転十の七八に居れり。

⑧故に無用意にして之を聴くときは喃々焉として猶ほ外国語のことし。

⑨外来の諸客殆んと解し能はさるなり。

⑩而して其一語一語に意を留ね能く解析するときは、皆日本語の脈絡を連接するものにして、

⑪只斯く用辞の変転せしものとか驚くのみなり。

⑫亦往々高尚なる日本古言を現存するものも尠からす。・略

⑬亦往々伊豆諸島語にも類似するものあるを覚ゆ。

⑭左するは八重山島語は同く日本語なりと判定するも敢て摯拘にあらさるへし。・略

⑮然り而して時としてはマレイ語の転訛にはあらさるかと思はるるもの亦尠きにあらす。

但支那語に至ては僅かに屈指するに足るへき物名等の止るのみにして別に言語として挙くへきものなし。

○要するに「八重山島民は純然たる日本人であり、その証拠に「一国ノ骨相タル言語」は、よくよく聴けば明らかに日本語であり、しばしば「高尚ナル日本古言」を留めている。伊豆諸島語にも似ており、伊豆諸島語が日本語であるのだから八重山島語もやはり日本語というべきであろう。マレー語の影響はあるが支那語の影響は少ない」、ということになる。この最後の点は、この論文の発表が1894年の日清戦争開始前夜であることを思えば意義深い。

南北日本は海洋民が祖先。八重山群島も沖縄諸島も共に、薩摩弁、東北弁、山形弁、津軽弁、北海道弁等の方言

 

反日で親中教育SAPIO2012年6月6日号

 「尖閣諸島中国漁船衝突事件」の反日デモでは「収回琉球、解放沖縄」横断幕。中国共産党系の雑誌『環球時報』2010年9月19日号「琉球は明治政府が中国から強奪したものだ。今でも日本政府は琉球独立を弾圧している。琉球人は中国の福建と浙江、台湾の人間だ」と掲載。

 八重山地区(石垣市・竹富町・与那国町)の竹富町では教育委員会が決定に従わず、「(中国皇帝への)朝貢体制の中で繁栄した『琉球王国』」、「政府は1879年、軍隊の力を背景に、琉球の人々の反対をおさえつけて、沖縄県を設置」と記述の東京書籍版採用とし、訴訟。

 

沖縄独立論原典「寺崎メモⅠ

 当時筑波大助教授の進藤栄一が、ワシントンの国立公文書館分館で発見し、発表した論文“寺崎メモⅠ1979(昭和54)年4月”に至るまでの経緯と背景。

1945(昭和20年8月9日長崎に原爆投下。ソ連参戦。

 9月17日天皇マッカーサーを訪問

1946年1月1日天皇人間宣言

 1月4日GHQ軍国主義者の公職追放指令

 4月10日第22回(戦後第一回)総選挙

 6月18日キーナン検事、天皇は訴追しないと言明

 11月3日日本国憲法公布

1946年(昭和21中国内戦国共赤化(同族殺し)戦争に突入

1947年5月3日日本国憲法施工

 日昭和天皇はマッカーサーに三度目の訪問をし、対日講和成立後「アメリカが撤退した場合誰が日本を守ることになるのか」と直接元帥に問い、講和後の日本防衛問題を憂慮していた。

 23日片山哲、内閣総理大臣。初の社会党政権

 月末、ソ連は、米国提案朝鮮統一選挙を拒否。以後本性(凶産党是世界征服)を現したソ連は、中国や北朝鮮を使い、侵略を開始した。

194728赤化戦争敗走の蒋介石軍、台湾に逃げ込み、行政公所の要職は新来の外省人が独占、更には公所と政府軍の腐敗により、それまで台湾にいた本省人(台湾人)が公所と政府軍に反発し、1947年2月28日に本省人の民衆が蜂起する二・二八事件が起きた。

 「2・28台湾人虐殺事件」台北市内の闇たばこ取り締まりをめぐる市民殺傷事件を発端に起こった。国民党による台湾人虐殺事件。国民政府は台湾人の抵抗意識を奪う為に、知識階層・共産主義者を中心に数万人を処刑したと推定されている(2・28白色テロ)。

 

最悪の中で最良の苦渋の決断を下した昭和天皇

1947(昭和22)年20シーボルトが書いた寺崎メモⅠ」

 922シーボルトメモ

1948(昭和22)年初旬寺崎メモⅡ」

 国務省は、再度寺崎-シ-ボルトのラインを通じ、アメリカが「ソ連の侵略と、さらに浸透とから守るため」東アジアの防衛前線(デフェンス・ペリメター)を確認し、新に「南朝鮮、日本、琉球、フィリッピン、それに可能なら台湾を、アメリカの(防衛)前線として」確定するよう要請したメッセージを受ける

戦後復興における日本の安全保障の危機、共産勢力の工作の危機を看破した昭和天皇「最強米軍沖縄駐留」再度の念押しである。「可能なら台湾を」の本意は、「可能なら台湾住民を」で、「蒋介石国民党を」ではない。台湾はアメリカの傀儡蒋介石が占領している。

1949(昭和24)年ソ連が原爆保有を表明

 10月に中華人民共和国が成立(中国凶産化

 アジアの凶産化は朝鮮半島、台湾海峡、ベトナム等でいつ起きてもおかしくない状況下となっていた。、日本国内で強硬に主張されていた「全面講和」は絵空事に過ぎなかった。

1950年1月12日アメリカトルーマン政権のディーン・アチソン国務長官が、「アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン - 沖縄 - 日本 - アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責任を持たない」と発言(「アチソンライン」)し、韓国は除外された。これは、アメリカの国防政策において「太平洋の制海権だけは絶対に渡さない」という意味であった。しかし、中ソ凶産連合軍と金日成等はこれを、「西側陣営アメリカ等は南半部(韓国)放棄」と受け取り、一気に南下し、朝鮮戦争勃発(1950.6.25.~53年7.27)

 この発言は、寺崎メモⅡ・1948に、呼応していることを見逃してはならない。昭和天皇苦渋の決断にアメリカは見事に応えたのだ。

 朝鮮戦争でアメリカは、日本の立場(日中戦争は防共戦争・満州朝鮮半島は日本の砦)を心底理解し、共産は凶産と、全員がやっと看破した。そしてレッドパージが始まった。

1950~1954マッカーシズム(赤狩り・レッドパージ)

 こうした経緯で共産は戦争元凶の凶産とやっと気づいたアメリカは、冷戦体制化の1950年2月マッカーシー(1908~57)上院議員が国務省内に多数の共産分子がいると攻撃し、その追放を求めたことから始まり、リベラル(自由主義)派の官吏・外交官・文化人・軍人をすべて(ほとんどが言葉と文字業)共産主義者と決め付ける、ヒステリックな赤狩りが行われた。1954年にようやく良識と冷静を取り戻し、12月マッカーシーはその非民主的な調査と攻撃法から上院の非難決議を受けて失脚、この運動は鎮まった。追及の手は芸能界にまで及んだ。ルーズベルト、トルーマンも攻撃の対象にされた。

 

ソ中凶産に対抗可能米軍のみ!米駐屯軍絶対不可欠と護国念押しの昭和天皇!

1955年米国で安保条約改定。

 「8月20日 渡米の使命について細かく内奏し、陛下より駐屯軍の撤回は不可であること、また知人への心のこもった伝言を命ぜられた」続重光葵日記

 

「韓国が負けるのは傍観視できるが、日本だけは死守しなければならない」

「米軍が朝鮮戦争に参戦したのは決して韓国のためではなく、共産主義から日本を守るためだった」

 1970年9月16日シカゴを訪れたニクソン元大統領の、メディア関係者への、オフレコを前提にした発言。

 「思い出してみたまえ、あの当時、日本がどれほど弱い存在だったかを。あの時、韓国がもし崩れていたら、当時の日本は、共産主義に傾倒した非常に強力な社会党を持っていたために、共産主義の軌道に引きこまれざるを得ない状況だったのだ」

 「もし北朝鮮軍が韓国軍に勝つことにでもなれば、共産主義はドミノ倒しのように日本に襲いかかるだろう。韓国が負けるのを米国は傍観できるが、日本を失うことは絶対にあってはならない

 「これこそが朝鮮戦争への参戦を決めた理由だったのだ」米軍事機密文書米国務省公開2012年5月28日

凶産は人類の敵!

 日本を凶産主義から守るために、米兵5万5千人が朝鮮戦争で命を落とした。休戦協定後もなお、3万人もの米兵が韓国に駐留している。ルーズベルトも、米軍も、米国民も、凶産スパイの手練手管で錯誤し、太平洋戦争となった。朝鮮戦争で真実に目覚めたのだ。真の敵は凶産と!石原都知事の子供じみた米国非難は、思索回路無き短絡非難と言える! 

 

WW2元凶(マスコミや国連へのハニーマネートラップで情報操作)凶産看破は戦後である

 当時共産を凶産と看破し、満州国建国・日中戦争を反共戦争と喝破していたのは、日本(台湾・汪兆銘政権中国人・満州・南洋諸島・朝鮮)と、「日本を助けよ!」のローマ法王ピオ11世と、「日本は防共の砦」発言のフーバー元大統領と、「アメリカはアジアに介入するな!」ラルフ・タウンゼントのみである。ジョージ・F・ケナンすらもまだ、上の空であった(「長文電報」は戦後の1946年)。

 満州国建国助力は防共の砦化で、日中戦争は防共戦争(中国も赤化しての、対中ソ戦争となれば、日本亡国は必然である)。証拠は、防共の砦日本が消失した途端に中国赤化完成し、中ソ赤軍が連合して侵略(凶産党是は世界征服)の朝鮮戦争(1950年6月25日)。アメリカは、朝鮮戦争でやっと真実に覚醒(我々は戦う相手を間違えていた)した!

1947(昭和22)年20寺崎メモⅠ

 

「分割された領土・世界・1979年4月初出」進藤栄一著2002.岩波書店より抜粋

32p

 ――琉球は、あらゆる点から日本の一部とみなされるべきであって、中国がその帰属を強く主張した場合、ないし住民が(日本からの)「主権の変更」を希望した場合には。国際委員会を作り、その決定に委ねるが、この場合も、国連軍の基地をおくことは妨げない。

 ――いずれにせよ、敗戦国日本に帰属さるべき領土は、日本が侵略によって得た領土でなく、日本「固有の領土」に限定さるべきであるという、領土不拡大の原則が貫かれた。明らかにそれは、軍が主張していた対ソ戦略上の拠点として「諸小島」を位置づける立場と、対峙するものであった。

35p

琉球をどうするか

 琉球に関しても、軍部の次のような見解――すなわち、沖縄を含む北緯30度以南の南琉球をアメリカの主権下におくべきで、たとえそれができなくとも最小限、琉球列島の一部、特に沖縄にアメリカの恒久軍事基地をおくべきだという軍部の見解は退けられ、琉球は、一体として「日本に返還されるべき諸小島とみなされなければならない」ことが勧告された。その勧告の論理を、彼らは次のように明示する。

 「アメリカが沖縄や沖縄以外の琉球列島に恒久基地を作るなら、国際的に恐るべきリパカッションを惹き起すことになるだろう。――その基地の存在は、太平洋上で現にアメリカが保持している他の基地と共に、かつそれが中国沿岸にきわめて近接したものであるために、中国の不興を買うものとなるだろうし、多分ソ連は、その基地建設をアメリカの正当な防衛行動としてではなく、挑発的脅威とみなすはずである。――」

65p

 すでにその年(1947)5月6日、天皇はマッカーサーに三度目の訪問をし、対日講和成立後「アメリカが撤退した場合誰が日本を守ることになるのか」と直接元帥に問い、自ら講和後の日本防衛問題への関心を見せていた。それに関連して9月19日、寺崎は。「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるためとしてシーボルトを訪ね、次のようなメッセージを与えた。

 「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を初め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる。天皇が思うにそうした政策は、日本国民が、ロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭しロシアが“事件”を惹起し、それを口実に日本内政に干渉してくる事態をも恐れているがゆえに、国民の広範な承認をかちうることができるだろう。

 天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存(リテインド)させた形で、長期(ロング・ターム)の――25年から50年ないしそれ以上の――貸与(リース)をするという擬制(フイクション)の上になされるべきである。天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、特にソヴェト・ロシアと中国が同様の権利を要求するのを差し止めることになるだろう」。

 

※日中戦争は日本の防共自衛戦争なのに、凶産無知米英仏蘭等が凶産に洗脳され横車介入。軍隊のみ無条件降伏の日本軍は、強制解散。横車米英蘭等との戦争は終わったが、真の敵凶産は勢力倍増(中国赤化し中ソ凶産連合)しさらに増殖中

 そして今、真の敵、勢力倍増凶産追撃で蒋介石は台湾に逃げ込み、台湾も今や凶産の嵐吹き荒れんとし、敗戦悲惨なお続く沖縄にも、死者に鞭打つ赤化の嵐が吹き荒れんとしていた。

 腹心ことごとく粛清され、真実は隠蔽され捏造されて、八方が敵の今、真実の敵凶産を知る唯一の実力者は、昭和天皇のみとなった。護る力、日本軍はすでに無い。昭和天皇の心痛いかばかりか、はかり知れない!

 禍(死者に鞭打つ)福(凶産南下防共の砦)糾っての決断が「最強米軍沖縄駐留」。「戦った敵に防共を委ねる」は苦渋の決断であり、最良の決断と言える!首相芦田は日本本土を想定で不明確だが、天皇は対象を沖縄にズバリ限定した。ここに昭和天皇決断の凄味があるのだ。結果凶産と看破したアメリカは天皇本意防共を察知し、天皇の意向に従ったこの苦渋の深慮(最強米軍駐留)は見事に開花、昭和天皇悲願(防共の砦沖縄)は成就し、凶産中国南下は阻止され、台湾も沖縄もインドネシアもフィリピンも護られた。物事には全て禍福あり、現実界は好いとこ盗り不可!反論者は対案を言え2につづく

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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