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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観2東大丸暗記凶教祖加藤陽子が隠蔽した年表が語る閔妃事件の真実

2東大丸暗記教祖加藤陽子が隠蔽した年表が語る閔妃事件の真実

 「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と現場に居た高宗が証言。韓皇謁見始末報告1906年統監代理長谷川好道

 「国母を殺したのは、禹範善だ」と現場に居た息子純宗が証言。國分書記官通訳并筆記。(後に純宗は刺客を放ち、禹範善暗殺。住伝31号)

 「王妃を直接殺したのは、私です」実行部隊隊長の禹範善の証言。在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯弁明等に於いて殺害一件。

 「王妃殺害を今回計画したのは、私です」と証言した李周會。(朝鮮での裁判)

 「計画の首謀者は大院君だ」ゲ・デ・チャガイが編集した「朝鮮旅行記」のロシア参謀カルネィフの証言。

 「計画の首謀者は日本の三浦梧楼だF・A・マッケンジー著「朝鮮の悲劇」平凡社。

 「朝鮮の悲劇(日本統治二年前の1908年出版)」は、1904(1月~4月)年と06(7月~12月)年、ロンドン・デイリィ・メィル紙特派員として訪韓した著者、F・A・マッケンジーが書いた、先にやらなければやられる戦国時代を無視した、つまみ食い本である。偽善者偏向いちじるしく、他の資料とは唯一真逆なので、癌国犯日元ネタ本である。マッケンジーは1906年帰国してすぐに「中央アジア学会」で、「日本の対韓植民地政策」と題し、日本を非難し、日英同盟に反対した。がしかし、「若干の過誤があろうとも、韓国の旧政客よりは韓国を開明の道へと導いていくものである」と、司会者コルレン中将以下、皆が、ひたすら日本側を弁護したため、退けられた(平凡社P265)。

※先に殺さなければ殺される戦時下に、平和時の正義を語るマッケンジーの非常識愚論は、却下されて当然なのである。韓半島大多数の人民が戦時下を認識し、俯瞰していたので、寄らば大樹の陰となり、戦争とはならずに統治された。この大多数の賢者の選択は隠蔽し、極少数をつまみ食いした針小棒大本「朝鮮の悲劇」等を掲げ、“泣き売”するのが癌半島や罪日の常套手口である。

※東大女スパイは、諸説数多の中、この説を、白紙の生徒に断定して教えた!

 実行部隊隊長の禹範善は日本に亡命し日本人女性酒井ナカと結婚、「韓国近代農業の父」あるいは「キムチの恩人」として有名な禹長春(須永長春)が生まれた。禹範善は朝鮮の中でも裏切り者とされ1903年、閔妃に仕えていた高永根に呉で暗殺された。禹長春は渡辺小春と結婚、父の恩人で朝鮮人亡命者を支援していた須永家に養子に入った。禹長春には6人の子供がおり。四女朝子は、京セラ創業者稲盛和夫に嫁いでいる。

 私欲国賊閔妃(明成皇后)亡国奴は、3年前の壬午事変で史実。戦国の御世に、私利私欲で撹乱する亡国元凶を、大院君とその忠臣と日本が謀って成敗した、が正論。韓国の謝罪要求での、三浦梧楼等子孫の謝罪は、無恥韓国の証拠として、歴史に刻まれ、捏造する醜悪根性は、永久に語り継がれる。詳細は1閔妃成敗角田房子NHKTV朝日銭生かん国スパイの籠絡で土下座志士子孫


166p

 ロシア側の資料や日本側の資料、これが公開されて明らかになったところでは、どうも、やはり朝鮮半島、韓半島のことですが、その戦略的な安全保障の観点から、日本はロシアと戦ったという説明ができそうです。・・・戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです。

さすがに日露戦争に関しては、東大女スパイも、凶産ソ連崩壊後の露西亜数多の資料により、渋々認めざるを得ず、好いとこ盗りは出来得なかったようだ。このことはすなわち、凶産中国崩壊すれば、東大女スパイの悪行も、資料付きで曝されると言うことでもある

 

日露戦争までの年表

1858年5月 愛琿(あいぐん)条約 ロシアと清朝の条約。清がイギリス・フランスとの紛争や大平天国の乱に苦しんでいるのにつけこみ、ネルチンスク条約(1689年アルグン川・外興安嶺を両国国境とした)を無視、黒竜江左岸をロシア領、ウスリー川以東の沿海州を共同管理地とし、黒竜江、松花江、ウスリー江の航行権を認めさせ領土を拡張した。後に清国否認。ロシア征服南下。

1858年 日米修好通商条約。領事裁判権を与え、関税自主権がなく、居留地を設ける、最恵国条款を認めることなどを内容とした、不平等条約。同年英仏蘭露とも同様の条約を結ぶ。安政五カ国条約。

1860年 アロー戦争(第二次アヘン戦争) 英仏連合軍北京入城、北京条約締結。イギリスへの九竜割譲、天津開港等の条約。食民治主義の、中国食民治化加速

1860年 北京条約 アロー戦争の結果、英仏露との条約。ロシアは英仏仲介の代償として、ウスリー川以東の共同管理地沿海州を領土とした。王朝末期に弱体化した清朝はロシアの進出を抑えきれず、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約2つの不平等条約によって、満州地域の黒竜江以北及びウスリー川以東のいわゆる外満州地域(現在のウラジオストクを含む)は、ロシアに征服されることとなった。ロシアはウラジオストク(ロシア語の意味“東方を征服せよ”)を建設、極東侵略の拠点とした。ロシア征服更に南下。

1861年2月3日~7月25日まで6ヶ月間日本の対馬を占領したロシア艦隊。当時ロシアの南下政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣して、ロシア軍を対馬から排除。※ロシアの侵略

1896年露清密約 対日戦争の場合には、露清共同して戦う。露国軍隊を極東へ輸送するためシベリア鉄道とウラジオストックを結ぶ満州横断鉄道の建設を定めた。

1898 ロシア社会民主労働党結党

1898年 北京条約 旅順大連租借、東清鉄道建設に関する露と清の条約。不凍港旅順を租借した。

1898年 「紫禁城の黄昏」ジョンストン著(入江曜子・春名徹訳)岩波文庫が原文から削除した部分「1898年当時英国の商人たち・・・英国の宣教師の指導者も、・・・満州とは名前だけで、ことごとくロシアのものと思われる。・・・シナの人々は、満州の領土から、ロシア勢力を駆逐するために、いかなる種類の行動をも、まったくとろうとしなかった。もし日本が・・・これを打ち破らなかったならば、・・・満州全土も、今日のロシアの一部となっていたことは、まったく疑う余地の無い事実である。さらにジョンストンは、英独仏の中国侵略の事実も記している」捏造が党是の凶産とまったく同じ手口の岩波書店は、工作員出版社。工作員社長安江良介は「世界」1991年9月号「金日成会見記録・歴史の転換を求めて」で、次のように礼賛している「主席閣下は、第二次大戦後今日まで、一貫してトップリーダーとして、民族を導き、・・・世界に例を見ない政治家であります」

1899年 義和団。山東省で起こった反キリスト教(仇教)暴動がきっかけで、華北に広まった、武力排外運動。大平天国のような指導部は持たない集合体で、あった。教会を襲撃し、宣教師や外国人を迫害した。清朝西大后が支持したため、暴動は拡大。

1899~1900 義和団事件(白蓮教系の宗教団体)。「扶清滅洋」を旗印に、北京の11カ国公使館員4000人を包囲。日(1万人)英豪米仏露伊独(1万人)が、これを解放。西大后光緒帝は西安に逃亡。1901年辛丑和約(北京議定書)に調印。列強の華北駐兵権、賠償金4億5千万両(テール)の支払いなどを承認した。清国半植民地化。

 義和団事変(北清事変)の際、清とロシアは満州を巡って衝突。6月に義和団が黒河対岸のブラゴヴェシチェンスクを占領したことの報復としてロシア軍は7月、江東六十四屯を襲い占領し、居住していた清国民少なくとも3000人以上(資料によっては2万人以上)をアムール川に追い込んで虐殺するという事件が発生した。この動乱で壊滅状態となった清政府に、ロシアが事件波及防止の口実で付け入り、満州を占領し、独占支配と朝鮮日本進出の具体化に着手。ロシア不凍港を占領、日本侵略の手はずも整った。

190230 日英同盟。ロシアの南下が自国の権益と衝突すると考えたイギリスは危機感を募らせ、日本と同盟を結んだ。

1904(明治37)年3月に発行された内債第1回1億円は申し込み数134万、応募額4億5千万と、募集額の4倍以上に達した。第二回1億円は同年6月に、第3回8千万円は11月に募集されたが、いずれも応募額は募集額の3倍以上に達した。国民がいかに戦争目的を理解し、協力したかが分かろう。これらの公債に応募したのは富豪階級ばかりでなく、中産階級以下の者も、その日の生活を節して応募する風であった。また金の不足を補うというので、婦人たちは競うて指輪かんざし等の装身具を提供し、応分の奉公に努めたのである。渡辺幾次朗「日清・日露戦争史話」

 外債は、米銀行家ユダヤ人ジエイコブ・シッフが外債500万ポンドを引き受けてくれた。

露西亜蔵相ウヰッテの回想録

 「この危険な仕事(朝鮮支配のこと)は無論日本人に知れ渡り、日本人は露西亜は表面では朝鮮から手を引いたと見せ、裏では朝鮮占領の野心あるのだと解釈した。日本人が極度に我々に反抗するようになったのは極めて自然の成り行きと言わねばならぬ。遼東半島占領と、次いで義和団鎮圧の口実で満州に軍隊を送り、その後になって撤兵しないという二つの事実によってシナは全然露西亜を信用しなくなった。日本も同じであった。もし我々が日本との協約を正直に尊守して朝鮮で陰謀などやらなかったら、日本はもっと安心したに違いなく、我々に対して断然たる決心も取らなかっただろう。だが我々は、一方では遼東半島から日本を退去させながら自らこれを占拠し、他方ではその代償として日本と(朝鮮に関する)協約を結びながら陰険な手段でこれを破るようなことをしたのだ。日本が露西亜を信用しなくなったのも、また当然すぎるほど当然と言わねばならない」

190520日 日露戦争(朝鮮半島や満州は、日本の生命線である。その朝鮮半島と満州の制覇を争った、ロシアとの戦争)日本勝利。清国は中立国と称し他国のように傍観していた。国家の歳入ロシア約20億円、日本約2億5千万円。常備兵力ロシア約300万人、日本約20万人。軍艦の総排水量約ロシア51万トン、日本約26万トン。世界各国がロシア勝利を信じていた。※この圧倒的な力の差は象と蟻、先手を打った(小国が大国と互角に戦える唯一の戦法は奇襲戦。桶狭間の戦いが名高い)と考えるのが常識である。

 

3章第一次世界大戦日本が抱いた主観的な挫折

197p

 ・・・1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災の際、中国人や朝鮮人に対する虐殺事件がおきました。その背景には「ふだん虐げられている朝鮮人が日本人を襲ってくるかもしれない」との根拠のない流言がありました。数千人の朝鮮人と約200人の中国人が犠牲になったといいます

※「約200人の中国人が犠牲」と、虐殺であるかのようにいっているが、資料は開示無し。数千人の朝鮮人と約200人の中国人が犠牲」は、東大女スパイの捏造で、「日本人は差別虐殺の極悪人」と白紙の生徒を洗脳。「犠牲になったといいます」と、近現代史歴史学者が職責放棄し言い逃れている。言い逃れなどせず検証するのが、真の近現代史歴史学者であろう!職責放棄は学者に非ずとの自白である!

東大女スパイ加藤陽子が隠蔽した年表が語る真実

1923(大正12)年9月1日 関東大震災。

 朝鮮併合から13年、「三・一独立運動」から4年、関東大震災にも暴動を起こし(下克上は出自の白状)、日本自警団と争い、233人死亡(政府発表)。関西大震災が証し、震災で理由も無く暴動を起こす日本市民などいない。ましてや自警団、無辜の朝鮮人を殺している暇など無い!キジも鳴かずば撃たれまい。当時在日朝鮮人全国に8万415人、関東に1万2千人、震災地域の人数は推定9千800人、9月17日時点での身元確認生存者6797人(9800-6797+233=2770人が震災犠牲者。233人が暴動で成敗された朝鮮人。『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実』工藤美代子著)。当時、震災犠牲者数を独自調査したといっている、独立派朝鮮人捏造資料は6415人(ワシントンのナショナル・アーカイブス蔵、海外プロパガンダ冊子には、2万359人)虐殺が元ネタ。関東大震災犠牲者同胞慰霊碑に「同胞を虐殺するようにした。在留同胞で、この凶変蛮行による被害者は6300余名を算え、負傷者数万に達した。この犠牲同胞の怨念は実に千秋不滅であろう」とさらに捏造、虐殺犠牲者とし、堂々と碑に記した。震災犠牲を虐殺犠牲にすり替えたのだ。正体暴かれたこの碑は、以後、震災犠牲者皆無の証し、捏造の動かぬ証拠、朝鮮捏造自白碑となって、実に千秋不滅であろう!この碑は、数多の在日等皆が助け合いの震災時に、唯一朝鮮人のみが暴動を起こしたという証拠で、非常時暴動特殊朝鮮人証拠碑である。朝鮮戦争四三同胞殺し等や、罪日賎民出自隠蔽目的の捏造である。戦後、日教組や凶産教授等の亡国奴が無検証鵜呑み、虐殺犠牲者数とばら撒き、現代に至る。関東大震災、出自自白の下克上が起因、朝鮮人死亡(虐殺と捏造)事件の顛末である。諸悪の根源李朝族譜破壊無き北朝韓罪日、嘘まみれの唯物をまともに信ずるは、愚か!

 常識のみの検証でも捏造は明白。突然の震災に、顔が良く似た朝鮮人のみの選別は不可能。暴動を起こしたのが朝鮮人だけなので、朝鮮人のみが制圧されたが真相で、朝鮮人の暴動がすべての起因である。助け合いの震災時に、暴徒が出たので成敗したら、すべて朝鮮人であった。朝鮮人のみが暴動を起こしたので成敗されたが、真実。

 

233p

三・一独立運動

 ・・・1919年、高宋という、大韓帝国時代の皇帝だった人物が崩御します。三月三日に予定された葬式を外形的なカモフラージュに使いながら、同年の三月一日を期し、数千から一万以上の人々がソウルで独立運動を起こしたのです。

234p

 宇都宮太郎は・・・日記においては・・・独立運動の要因を、日本が「無理に強行したる併合」に求め、併合後の朝鮮人への有形無形の差別に起因すると素直に書いていました。

235p

 十九年四月十五日、朝鮮の水原郡堤岩里という村で、同地方の警備に赴いた軍の警察は、「同村の夜蘇教徒、天道教徒三十余名、夜蘇教会内に集め、二・三門答の末三十二名を殺し、同協会並びに民家二重余戸を焼棄」てるとの行為にでました。簡単に要約すれば、独立運動にかかわったと思われる天道教やキリスト教徒の村人三0余人を協会の中に閉じ込めて尋問したのですが、みな口を割りません。そもそも事件と関係がなかったのかもしれません。しかし軍隊は全員を銃剣で刺し殺し、教会ごと焼いてしまったのです。村人は抵抗しなかったし、武器も持っていなかったのですが、出先の軍警察が彼らを殺して死体も焼いてしまった。朝鮮軍と朝鮮総督府は、この事件は絶対に内外で問題となるから、虐殺や放火はなかったこととして、ただ鎮圧の仕方に問題があったということにしようとの調整がなされたことが日記からうかがわれます。

タイと日本のみが独立国の当時、朝鮮単独独立など不可能は明白。併合初期にはいかなる国でも生じるトラブルである。併合時のトラブルは台湾でもあった。朝鮮は戦争で併合したのではない。戦国時代に、単独独立無理と判断した朝鮮との、平和裏合意での併合である。この東大女スパイは、NHKと同様に、歴史に悲惨だ話を混ぜ込み、日本を貶めている。当時は戦国時代を隠蔽し、白紙の高校生にこんな講義とは意図ありである。戦国時代は弱肉強食、悲惨でない戦国時代など無い、敵味方悲惨だ話だらけが、戦国時代なのだ。

 悲惨だ話は歴史と分離し、背景の戦国時代を語り、敵味方双方の話を講義すべきで、一方的に片方のみを講義すべきではない。

4章満州事変と日中戦争 日本切腹、中国介錯論

259p

 日本に対する憎しみ、抗日意識は中国の兵士の中にもだんだんとたまってきていた。マッチが擦られれば、一気に燃え上がるだけの土台はできていたということです。

260p

 当時は東京帝国大学と呼ばれていた、その学生たちに行った意識調査の記録がある。満州事変の二ヶ月前です。この調査では、学生たちに、まずは「満蒙(南満州と東部内蒙古)に武力行使は正当なりや」と質問しています。・・・問いに対して、「はい」か「いいえ」で答えるのですが、・・・なんと88%の東大生が「然り」つまり「はい」と答えている。私にとってこの数字は意外でしたね。・・・262pいろいろな知識を持っていたと思われる東大生の88%が武力行使を「是」としていたということに、私は驚きました

262p

 この憲兵という存在が、昭和期の言論をより狭くしていくのです。戦時下の狂信的な面が語られるとき、憲兵の存在とともに語られることが多いです。

※戦時下は殺し合いの世界なので、平時での解釈は狂信的となるが、戦時下ではこれで普通。戦時下は戦時下の常識、平時は平時の常識で異なる。これをわきまえない者は死があるのみである。この間違いに気付けないほど思考回路が欠落している。

263p

 陸軍軍人が、なぜ日本は満州事変を起こしたかという説明をした後、学生たちにアンケートをとりました。質問事項は二つ。「一つ、君たちは満蒙を日本の生命線と見なすか」と、「二つ、満蒙問題は軍事行動をもって解決されるべきだと思うか」です。まあ、なんだか、答えてほしい答えが予想できるような質問項目ではありますが。すると、854名の学生中、九割が二つの質問に「はい」と答えているのです。

※「昭和天皇と戦争の世紀・加藤陽子著(2011.8)」219p「関東軍高級参謀板垣征四郎が、31年3月、歩兵学校教官向けにおこなった講演で、『満蒙は対露作戦に於いては主要なる戦場となり、対米作戦に於いては補給の源泉を成すものであります。従って満蒙は実に米、露、支三国に対する作戦と最重大なる関係があります』と、あけすけに述べていたように、彼ら参謀たちにとって東三省は、持久戦必至の総力戦となる、対米対ソ対中作戦を支える拠点に他ならなかった」

 満蒙は、南下する露西亜中国の砦(資源無き小国日本の防御地)、対米戦「補給の源泉」と考えていた。東大女スパイは、小国日本の戦国時代における弱点(資源無き小国)を。知らないから驚いた。命をかけて護った先人を「答えてほしい答えが予想できる」と茶化した。当時の国民は、日本亡国の弱点をことごとく知っていたということである。知らぬは東大女スパイのみといえる。こんな常識皆無の単なる記憶屋が、しかも東大の大学院教授なのだ。これほどの資料があり、しかも、自ら答えを語っている(戦国時代なので、その対米対ソ対中作戦を支える拠点)のに全く気付かず、逆に「高級参謀あけすけに述べていた」とけなしている!まさに戦国時代不感症、検証回路欠損異常者か、スパイである!

264p

 日中戦争については、・・・日本人がこの戦いを「戦争」と思っていなかったのではないか、という点が興味深いです。・・・「報償(損害を償うこと・報復)」という見方や、「討匪(匪賊を討伐する)戦」という見方があった。・・・戦争と思っていない、というところが衝撃的でした。・・・当時、大蔵省貯金部というところで課長をしていたエリート官僚の毛利英於菟という人が、日中戦争とは何であるのかについて、1938年11月に発表した論考があります。「『東亜一体』としての政治力」と題して、「日支事変」(当時の呼称)は、資本主義と共産主義の支配下にある世界に対して、日本などの「東亜」の国々が起こした「革命」なのだ、という解釈を展開していました。台湾、朝鮮を含む日本、そして1932年に関東軍が背景にあって建国された「満州国」、これに、おそらく日本の占領下にある中国などを加えた総称として、毛里は「東亜」といっている。この東亜が、英米などに代表される資本主義国家や、ソ連などに代表される共産主義国家などに対して、革命を試みている状態、これが日中戦争だ、と。戦争ではなく、革命だといっている。とても奇妙ですね。・・・この奇妙な感じ、変なとらえ方はどうして生まれるのか、その考えを考えてゆきましょう。

表意知識であれば、たやすく理解できるが、表音知識なので「とても奇妙」と理解不能なのだ。この「毛里英於菟論考」は今回初めて接するが、真実史観も検証の結果、「毛里論考」と全く同じ結論に達していた。検証の正しさが証明された。さらに駄目押しの証拠が下記である。

 ヘレンミアーズ「アメリカ人の鑑・日本」第三章にはこう書かれている「蒋介石のオーストラリア人顧問W・H・ドナルドが、ルソンの日本の抑留所から解放された後の記者会見によれば、日本軍は1938年から1940年に至までの時期に、『十二回講和提案』を行ったとのことである。ドナルド氏の略述したところによれば、日本側の条件は、中国に有利だった。日本軍はただ、満州国の独立承認、北支におけるある種の経済的及び開発権益、及び「外蒙からのソ連勢力の拡張防止のため、内蒙の政治的調整」を要求したに過ぎなかった。ドナルド氏の言によれば日本は『これらの提案の中で、何ら領土的要求はしなかった』」。

266p

 松岡洋右・・・衆議院議員になっていました。・・・1930(昭和5)年12月・・・代議士として初めての演説・・・「満蒙は我が国の生命線」・・・満州事変の9ヶ月も前。・・・松岡の主張は、第一に、経済上、国防上、満蒙は我が国の生命線(Lifu line)であること、第二に、我が国民の要求するところは、「生物としての最小限の生存権」であること、にありました。満蒙という土地が、生命線、生物としての最小限度の生存権といった表現で形容されているところがミソです。

269p

 まあ、野蛮な時代ですね。清朝、つまり中国が主権を有する土地を、露西亜と日本とで勝手に分けてしまう

野蛮な時代」ではなく「戦国時代(弱肉強食)」。この東大女スパイは、歴史を「道徳」と考え、各所で悲惨だ話と歴史をゴッチャにしている。松岡洋右は、戦国時代(先に喰わなければ喰われる)における生命体、資源無き弱小国日本の、生存権を語って余りある。戦国時代(国盗り合戦)の満州は、南下する中国露西亜に対しての、日本の砦であった。

297p

 簡単に言えば、日本は満州が中国の主権下にあることを認めなさいということですね。

と、この講義を切って終えているが、戦国時代は国盗り時代である。その説明もなく白紙の生徒へのこの講義は、犯日誘導洗脳教育と言われても仕方あるまい。

297p

 吉野作造・・・日本の行う日露戦争を正当化する論考も書いていました。つまり、日露戦争は世の中のためになる「良い戦争」だというわけです

歴史を、戦争を、良い悪いの善悪道徳でとらえている。166p「戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです」と日露戦争を自衛戦と自認しているのに、この発言である。「日露戦争は自衛戦」を、ソ連崩壊で真実資料が開示されたため、渋々認めたとの白状である。

3につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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