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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観4東大女スパイ凶産ソ連毛沢東孫文汪兆銘を隠蔽無辜白紙の高校生洗脳

4東大女スパイ凶産ソ連毛沢東孫文汪兆銘を隠蔽無辜白紙の高校生洗脳

193511日 汪兆銘と蒋介石の指導のもと、日中和平路線が着々と進められたが、これを喜ばない勢力があった。国民党六中全国大会で、汪兆銘はカメラマンに扮した刺客から3発の銃弾を受けた。危うく一命はとりとめたが、療養のため、ヨーロッパへ渡った。

1935年12月9日「一二・九運動」。北京の学生が日本の「華北侵略」に抗議、国・共内戦停止、一致抗日を扇動(水と油が工作?)。胡適は学生の説得にあたった。「華北侵略」とは下記の事

 「1935年後半までに、日本は軍事力よりむしろ外交的、経済的手段で中国での目的をかなりのところまで達成していた。日本は華北を蒋介石政権の「悪政」からほとんど「解放」していた。日本は華北三省を統治する将軍たち(軍閥)の協力でこれを達成したのだ。将軍たちはいずれも華北の「自治」確立と、満州国と日本の緊密な経済関係を支持すると宣言していた」戦後3年の前掲書ヘレンミアーズ

防共の砦(満州と華北融合)を、「黄禍連合」と錯覚した白人支配者水(宗主国)と油(ソ連凶産)は、以後、「白人連合」に一直線。

1936月 松井岩根、南京にて蒋介石と協調路線続行の会談をしたが、核心ははぐらかし、すでに変節しており、赤化分子も増殖中であった。

1936年春桜美林創立者清水安三が、中国旅行で高まる抗日に不安を覚え、知人の蒋介石側近胡適と面会、戦争防止を訴えたが、「我々は日本と戦う。自分は以前、国民から嘲笑を浴びながらも、決して戦ってはならないと主張した。しかし今や、どうしても一度は日本とは戦わねばならない・・・と感じている」と答えたという。清水安三の妻もこの後、蒋介石妻宋美麗と面会、戦争防止を訴えたが、耳を貸さなかったという。桜美林HPより

 凶産の矛先転換工作、「八・一宣言(日本への宣戦布告)」が、国民に浸透し、親日では国民党も乗り切れなくなったのだ。

193610月延安に全軍到着し長征は終わった。中国共産党敗走軍の兵力は30万人から2万5千人に激減し壊滅寸前となった。

 汪兆銘の証言「中国共産党は、コミンテルンの命令を受け、階級闘争のスローガンに代わるものとして抗日を打ち出していたのです。コミンテルンが中国の民族意識を利用して、中日戦争を扇動していると私は読みとりました。謀略にひっかかってはなりません」

水(宗主国)と油(凶産ソ連)の融合剤黄禍論

黄禍論(こうかろん)

黄色人種が白色人種を凌駕する恐れがありとする主張。アジアに対する欧米諸国の侵略、黄色人種の圧迫を正当化するために用いられた。ドイツ皇帝ウィルヘルム二世が日清戦争に最初に用い、Yellow Perilという英語になって日露戦争以後広まり、中国系や日系移民の排斥にもつながった。

黄禍論畏怖の白人連合有色人分断工作が西安事件に便乗し瀕死の凶産軍を蘇生させた

1936年12月12日西安事件。共産軍討伐のため西安に駐屯中の張学良の旧東北軍が、抗日救国を要求し、南京から督戦に来た蒋介石を監禁した事件。

 蒋介石釈放をめぐっての調停工作に当たっては、日中(有色人)連合畏怖の米英ソ等の白人は、水と油だが、黄禍論で一致し、中国凶産と同一歩調がとられ、抗日統一戦線を形成。以後蒋介石は国共合作・抗日へと方針を急転換し、「最後の5分間」の反共掃討戦を中止し、中国凶産党は復活した。事件後、国民党の外交部長で親日家の張群が罷免され、国民党(英米等)やから、共産党に毎月50万元が支給され、国民党は反日に染まり、「黄禍論白人連合」が形成された。

 胡適は直ちに打電し、張学良を国家民族の罪人であると激しく非難した

 西安事件の直後、ヨーロッパでの療養から帰国した汪兆銘は、国民党副主席の地位についていたが、戦いの陰で日中和平工作を進めた。

 盧溝橋事件の数ヶ月前、米国ルイジアナ州出身の陸軍航空隊大尉であったクレア・L・シェノールトを、中国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして蒋介石が雇った。

1937年7月7日盧溝橋事件

 周恩来首相、中国凶産党が廬溝橋事件の犯人である事を暴露。周恩来首相中華人民共和国宣言時の証言

 「あのとき(支那事変勃発時)我々の軍隊が、日本軍と中国国民党軍(蒋介石軍)の両方に(夜暗にまぎれて)鉄砲を撃ち込み、日華両軍の相互不信を煽り、停戦協定を妨げたのが、我々(中国共産党)に今日の栄光をもたらした起因である」

日中戦争工作目的の凶産テロ

1937年7月29日 通州事件(中国人保安隊の日本人虐殺事件)。通州において、婦女子を含む日本人居留民約2百名が目をくりぬかれるなど、残酷な強姦・虐殺事件があった。

1937年8月9日前哨戦たる国民党軍に潜入していた凶産スパイによる、日本将兵虐殺事件が発生。

1937年8月13日第二次上海事変の勃発。日本の陸戦隊を挑発し先制攻撃を開始した。日本の租界に中国軍の大兵力が集中し、塹壕堀りしたため、撤退要求したが撤退せず交戦となった。ラルフ・タウンゼント著「暗国大陸中国の真実」。国民党に潜む凶産の挑発が起因。

937年秋蒋介石著「中国のなかのソ連」より毛沢東の演説。

1、中日戦争は中共発展の絶好のチャンスである。我々の基本政策は全力の七分を中共の発展に二分を国民政府との対抗に、残りの一分を抗日に使用する。

2、この政策は次の三段階に分けて実施する。第一段階では国民党と妥協して中共の生存と発展を図る。第二段階では国民党と勢力の均衡を保ち、彼らと対抗する。第三段階では華中各地区に進出して根拠地を築き国民党に反攻する。

1937年9月二回目の国共合作

1937年10月14日ローマ法王のピオ11世は支那事変(1937年7月7日)が始まった年の10月14日に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。凶産党と戦っている。凶産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよ」

日本封殺常識カード「兵糧攻め(日本切腹中国介錯論)」は、反共から容共へ180度転向した蒋介石の釈明論

 予備知識の如く、資源無き小国日本の封殺カードは「兵糧攻め」。これは、当時も現代も同じで常識。戦後3年のヘレンミアーズ前掲書にも繰り返し記している。資源無き小国日本を長期戦に持ち込めば、資源枯渇で勝利は、子供でも解ることで、当時も現代も常識。

 それぞれが単独で、世界の常識日本封殺カード「兵糧攻め」をちらつかせ、「親日反共」の蒋介石を、「抗日へ翻意」と、説得したであろうことは、子供でも容易に窺い知れる。

 生き残りに必死な凶産の「八・一宣言宣戦布告」や、日本を犯人に仕立てあげる工作テロで、「抗日」が扇動され、高まり、蒋介石も側近も、鎮静目的の「交戦已む無し」の思いはあったであろう。そこでもっての西安事件である。そして、「黄禍論」で一致した白人が、今度は団結しての日本封殺カードで説得。これには蒋介石も抗しきれず、180度転向した。180度転向の説明は、支持者国民へは、絶対必要不可欠。転向説明(釈明・言い訳)として、常識(兵糧攻め)を元に、「日本切腹中国介錯論」が作られたのは当然なのである。それをNHKと東大加藤陽子は胡適の予言などと祭り上げ、肩書き傘にヒカエオローして、白紙の純真な高校生を洗脳した。

上記年表が語る真実は、「原文は有るが、35年は捏造」。

 ソース資料提供の鹿錫俊(ろくしゃくしゅん・中国人1955~)大東文化大学教授はNHKで度々の犯日証言者(凶産が出てこない、バイアス凶産教授)なので、信用に値しない。

 東大教授女スパイは「本書2009年では1935年の時点での予測・2011年NHKでは1935年ぐらい」とぼかしトーンダウンしているが、資料には、「胡適より王世傑宛書簡(1935年6月27日)」と明記されているので、事実なら、ぼかす必要など全く無い。毛沢東共産党を「最後の5分間」と追い詰めた蒋介石も胡適も、「八・一宣言1935年8月1日)」以後の変節なので、年月日が最も肝腎なのである。特に年月日には敏感なのが歴史学者。その歴史学者があろうことか、「1935年6月27日」と明記もせず、2009年の本には「1935年の時点での予測」、2011年NHK遡り日本史では更に一歩後退し、「1935年ぐらい」とぼかしている。歴史学者として最もあるまじき、不信な行動である。

 1935年6月27日「日本切腹中国介錯論・胡適より王世傑宛書簡「八・一宣言」以前で、しかも毛沢東共産党を「最後の5分間」と追い詰めた張本人が、蒋介石である。「書簡」内容と、現実は、完全に不一致!

 1935(昭和10)年8月1日対日宣戦布告(八・一宣言

 1935年12月9日「一二・九運動」反日運動の際、胡適は、北京の学生の説得にあたった。

 1936年春桜美林創立者清水安三が、胡適と面会、戦争防止を訴えたが、「我々は日本と戦う。自分は以前、国民から嘲笑を浴びながらも、決して戦ってはならないと主張(1935年12月9日)した。しかし今や(八・一宣言以後)、どうしても一度は日本とは戦わねばならない・・・と感じている」と答えた。※まだ書簡」のような徹底抗戦ではない。

 1936年12月12日西安事件。胡適は直ちに打電し、張学良を国家民族の罪人であると激しく非難した。※言行不一致

 1937年7月7日盧溝橋事件

 1937年9月二回目の国共合作と年表を整理すると、西安事件以後の、37年が妥当となる。

 

西安事件以前は反共で以後は容共の蒋介石

 西安事件(1936年12月12日)以前までは、日本と強調し、胡適も反共で、「最後の5分間」と、壊滅寸前まで毛沢東を追いつめ、「我が世の春」間近であった。「最後の5分間」と追いつめていたのに、「ソビエトの陸軍力を巻き込んで」の「日本切腹中国介錯論」は有り得ず、全く整合しない。

 溺れる者藁で掲げた1935年中国凶産の、対日宣戦布告(八・一宣言)で火がついた抗日の火を消すためにも、対日戦も已む無しかと、凶産掃討後の次の展開として、蒋介石も胡適も「八・一宣言」以後は思案の最中ではあった(1936年春)。がしかしそれは、「八・一宣言」以後のことで、以前は、「最後の5分間」と追いつめていた張本人が蒋介石なのだ。

 日中戦争本格化は、西安事件(1936年12月12日)、そして、二回目の国共合作(1937年9月)180度転向以後の事。転向正当化、言い訳用以外では全く整合しない。原文は180度転向のための釈明用で、日付は、1937年6月27日なのだが、中国一致団結しての抗日を強調するため、2年間遡り、1935年と捏造したと推察される。

 捏造犯は、凶産崩壊寸前「最後の5分間」を隠蔽したい者である。この捏造犯は、胡適の親日反共からの変節が、「八・一宣言・西安事件以後」であることを知らなかった(中国共産党教科書にはなかった!教えられなかった!)。これが捏造暴露の糸口。

 西安事件後、国民党の外交部長で親日家の張群が罷免され、後釜が胡適(1938年から駐米大使)。胡適、1942年帰国、1946年北京大学長、1948年凶産に追われ、アメリカへ亡命、後に台湾に移った。

 「本書2009年では1935年の時点での予測・2011年NHKでは1935年ぐらい」とすることで、東大とNHKと加藤陽子は、日中戦争二年も前に予言し団結と、捏造して祭り上げ、子供でも分かる常識論ではなく、予言者の論に仕立て上げた。そして胡適のような深い考えも無く、おっとり刀でノコノコ戦った日本軍は長期戦に引きずり込まれ、大東亜戦争を引き起こした愚か者と、先人をこき下ろしたのだ。よしんば捏造でなかったとしても、予言などではなく、子供でも分かるただの常識論に過ぎないしろものだ。

 NHKや東大教授加藤陽子に洗脳された「マンセー」がブログに得意げに踊っている。日本史(兵糧攻め)に無知で、自分の頭で考えない、鵜呑みし易いコピペ屋さん達だ。資源無き小国の仕組み(資源輸入加工輸出)を考えれば、子供でも分かる、世界の常識で、能動戦争など、有り得ないのだ。資源無き小国日本の能動戦争は、自殺と同じ。

日本切腹中国介錯論」は当時の常識駄目押しにもう一つ。前掲「暗黒大陸中国の真実(胡適書簡2年前の1933年出版)」より。293p

 「急増する人口に見合う国内資源が無い日本は、極度の精神的不安に落ちた。これを理解しない限り、日本という国を理解することはできない。日本には長期戦を戦う体力はない。短期決戦しかない。資源の乏しい中、総力を挙げて最高の武器を開発してきた理由はここにあったのである。日本の兵力を試した強国はいないが、一つだけ確かなことがある。誇り高き国民であるということである。愛国心が強く、熱狂的な宗教にも匹敵する。誇りをわずかでも傷つけられたら、いかなる強国にも命をかけて戦う国民である」

※前記王世傑宛書簡日本はずっと前から挑発してきたが、我国が抵抗しなかったため、日本が再三挑発しても国際的な大波乱には至らなかった」とあるが、年表を隠蔽し、捏造している。捏造犯の加筆か?「八・一宣言」までは、軍閥や馬賊や凶産パルチザンとの戦闘はあるが、反共蒋介石国民党と日本は協調路線で、戦闘は無い!上海事変①起因の中国十九路軍は、蒋介石(南京政府)の統制外。

328p

 汪兆銘は、35年の時点で胡適と論争しています。「胡適のいうことはよくわかる。けれども、そのように三、四年にわたる激しい戦争を日本とやっている間に、中国はソビエト化してしまう」と反論します。

※資料提示が無い。胡適書簡を討論とするための辻褄合わせの偽造か?「35年の時点で胡適と論争」汪兆銘は、前記理由により有り得ない!胡適の「日本切腹中国介錯」常識論よりも、汪兆銘の「そんなことしていたら赤化する」が正論。事実そうなり、胡適や蒋介石は敗れ、追放されたではないか!

329p

 日本軍によって中国は1938年10月ぐらいまでに武漢を陥落させられ、重慶を爆撃され、海岸線を封鎖されていました。――常識的には降伏する状態なのです。しかし、中国は戦争を止めようとはいいません。胡適などの深い決意、そして汪兆銘のもう一つの深い決意、こうした思想が国を支えたのだと思います

思想では生きていけない。凶産と食民治宗主国裏で援助した。日中戦争の常備軍兵力。中国軍の常備兵は約225万、ソビエト軍が135万(60万がウラジオストック等に配置)と想定され、対する日本軍は米軍などの推定で25万。仮想敵国の14分の1が日本の常備軍。「これは国際連盟の如き反日団体の資料にさえ見られる数字である(後述タウンゼント著『アメリカはアジアに介入するな!』50p)」。中国赤化となれば合体し、4百万の兵員と、圧倒的に優位な資源で日本侵略の恐れがあった。そして日本軍の予言は見事的中、戦後合体し、朝鮮戦争となった。東大女スパイは、これらもことごとく隠蔽。

 支那事変の推移は、1938年12月までには、首都南京はじめ、主要貿易都市、工業都市を日本が押さえたことにより、蒋介石・毛沢東の資金源アヘンも押さえ、中国独自では継戦は不可能な状態となっていた。従って、日中関係の和平が回復してもおかしくないのだが、それがそうならなかった、米・ソ等が「対日戦継続を条件」に武器・資金援助を行ったからである。

対中国への食民治主義と凶産党の支援

 米国1927~1941.4億2000万ドルの援助。借款(第一次桐油38年12月第二次滇錫40年3月)。1941年開戦後に17億3000万ドル援助。英国1939~1940.2000万ポンドの借款。ソ連1億5000万ドルの援助。その他数回援助。フランス1938年1億5000万フランの借款。1939年9万6000フランの援助(蒋介石支援ルートへの援助)。 西安事件(1936年12月12日)国共合作②(1937年9月)となり、日本南京占領(1937年12月)以後、資金源アヘンを絶たれた蒋介石・毛沢東の裏に隠れ本格的に援助したが、中ソ合体では日本必滅。合体阻止防共の砦死守戦争ゆえに、日本は引き下がれなかった戦後WGIPが洗脳した正義解放の連合軍は真っ赤な嘘。食民治主義と凶産党は中国に隠れ、寄ってたかっての日本・中国(有色人種)潰し、食民治化が真相なのだ。

予備知識年表が語る真実

1937年12月13日 日本南京占領。

1937年(昭和12)年「今、父が計画していることが成功すれば、中国の国民に幸せが訪れる。しかし失敗すれば、家族全体が末代までも人々から批判されるかもしれない。お前はそれでもいいか」。汪兆銘は17歳の娘、汪文琳にこう問いかけた。汪兆銘は国父孫文の大アジア主義を継承して、日中の共存共栄こそ中国国民の幸せに至る道である、と確信し、中国共産党や蒋介石とは異なる孫文の誤謬「容共」を訂正し、遺志の実現「反共大アジア主義」を目指した。 

193810毛沢東が部下に与えた指令。「――中日戦争は、わが中国共産党にとって、党勢拡大のための絶好の機会を提供している。わが党の一貫した政策は、その勢力の70パーセントを党勢拡張に、20パーセントを国民党との取り引きに、残る10パーセントを日本軍に対する抵抗にふり向けることである」林彪編集『毛沢東思想万歳』

1938年10月27日 日本軍、武漢占領

 11月3日第二次近衛声明。 対日協力と和平を呼びかけた「東亜新秩序声明」

 12月第三次近衛声明。近衛三原則(善隣友好・日中防共協定締結・経済提携)

 12月20日  汪兆銘、重慶を脱出しハノイへ。夫人や、陳公博、周仏海ら「汪兆銘」派同志たちを、日本と交戦中である蒋介石の重慶から飛行機に乗せ、仏印のハノイへ脱出させた影佐禎昭大佐工作成功。

 汪兆銘、字は精衛。1938年国民党副総裁。副総裁の座を捨て近衛三原則に呼応し、反共大アジア主義を唱え重慶を脱出し南京入りした。法政大学卒で孫文の筆頭側近汪兆銘は、共産ではなく実体は、孫文が忌み嫌う西洋覇道の鷹犬、覇道凶産党に、孫文主義から逸脱した覇道蒋介石に気付いたのだ。孫文が早死にしなければ歴史は確実に変わっていた。重慶脱出の際、汪兆銘は蒋介石に、「君は安易な道を行け、吾は苦難の道を行く」と書き残したという。中国の国民の幸せのために、売国奴の汚名を着ても、汪兆銘は日中和平大アジア主義に賭けた。精衛の字は、その証し。しかし、中国の国民には、さらなる戦乱と、共産党独裁政権のもとでの圧制大虐殺という、過酷な運命が待っていた。そして彼が幸せを願った中国国民は未だに尚、「革命尚未成功 同志仍須努力」。

1939年7月26日 フィンランド、ポーランド、およびバルト諸国侵略者ソ連とは同盟を結ぶのに、日本の「中国侵略」を口実に、ルーズベルト大統領制裁を科し、日米通商航海条約の廃棄を通告。

 9月1日 ナチス・ドイツポーランドに侵入、WW2。

 12月 米国航空用ガソリン製造設備、 製造権の対日輸出禁止。

1940年3月30日  南京政府(汪兆銘)成立。「和平反共救国」を唱える汪兆銘首班の「中華民国国民政府」。日中戦争の後半は、明らかに日本が支援する南京政府(反共で孫文の正統な後継者汪兆銘)、米英等が支援する重慶政府(宗主国の傀儡蒋介石)、ソ連が支援する延安政府(凶産党傀儡毛沢東)の、三つ巴の内戦となった。その中でも日本は、重慶(蒋介石)に対して、内戦の早期終結と、「日中共同防共」の希望を捨てなかった、前述の『十二回講和提案』。5につづく⇒

No title
しかし、この日清日露の戦争は、明治維新から仕組まれた袋小路に、アジアが追い込まれた「裏」がありそうに思います。
ユダヤが、http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%25AD%25E3%2582%25B7%25E3%2582%25A2/" class="keyword">ロシア帝国の転覆をはかり、日本に出資してたきつけ、自分は手を汚さずに目的を達したのではないか、
清や半島をあやつって、日本にけしかけたのではないか。どちらも、白人の掌で踊らされたのではないかと言う思いが、頭をよぎります。
[ 2012/02/07 20:56 ] [ 編集 ]
No title
pegasus2011 さんへ
 ジェイコブ・ヘンリー・シフは、日露戦争時の日本と後のソ連に援助しましたが、それはポグロムからの同胞救済が目的で、凶産支援目的ではありません。下記参照。
6戦後http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E7%25B1%25B3%25E5%259B%25BD/" class="keyword">米国反省赤狩りで応えた日本はスパイ亡国奴し放題野放しの…
http://sinzitusikan.http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25EF%25BD%2589%25EF%25BD%259A%25EF%25BD%2581/" class="keyword">iza.ne.jp/blog/entry/2615331/
[ 2012/04/02 11:22 ] [ 編集 ]
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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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