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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1軍命は捏造米軍急迫で集団自決トラウマ尼港済南通州等で潔く自裁が真相



 右翼左翼(捏造団)保守革新(正体は革悪)、自虐(善悪)史観呼称では、マスコミ鵜呑みのオウム返し表音記憶で、咀嚼が足りず、余りにも軽すぎる。軽薄思考との自白である!多くの愛国騙りが、モドキと白状している。思考には、禍福全面思考と、禍福つまみ食い善悪思考。歴史には、真実捏造(凶産・贋半島・罪日)が、あるのみ!

 応戦せずの降伏は、有色人は劣等との自認で、子孫や有色同胞への禍根打刻。有色人最後の砦の唯心日本、屈服は命に換えても出来なかった。

 軍命令は、大江健三郎、家永三郎、岩波書店等凶産の、明白な捏造である。米軍が火炎放射等で急追したため、累積したこれまでの唯物凶産老若男女虐殺のトラウマと、古からの身の処し方、唯心日本があいまって、米軍になぶり殺しされるのなら、潔く自ら死をと、集団自決となった。トラウマのごとく敵になぶり殺しされるのなら、我が子も一思いに親の手でと、愛するゆえに我が子を手にかけたのだ。当時子供の、沖縄の生き残り証言(集団自決)は、後の学習や、自決加担の子供の負い目がバイアスとなっているので、鵜呑みで信用は出来得ない。集団自決者は、軍命で死ぬお馬鹿なロボットではない!古式に従った先人への限りない冒涜である!

 米軍急追無ければ、トラウマも起こらず、集団自決の悲劇も起こらなかった。集団自決は米軍急追が起因!戦陣訓や軍命に非ずは、明白である!

集団自決悲劇の起因トラウマ虐殺の歴史

1、中国史書中国兵虐殺の歴史(肉食文化圏人殺しの源流で、家畜屠殺と同じ。属国朝鮮も当然踏襲している)

南宋の荘季祐による「鶏肋編」という故事逸聞集

 1126年、金兵が中国に侵入してから6、7年間、山東、京西、淮南等の諸路は荊榛千里にわたり、米が入手できないため、盗賊、官兵、居民は互いに食い合った。人肉の価は犬や豚より安く、曝して乾肉にした。

斎藤遼太郎「北京私書箱1号」

 中国伝統の虐殺方法については、虐殺の記録「蜀碧」や「揚州十日記」などが克明に伝えるところであり、近代では中国共産党の反対者虐殺方法たる「六十大刑罰」として継承されてきている。

 「耳を削ぐ」、「牽黄牛」(鼻に穴をあけ縄を通して引き回す)、「開胸堂」(生きたまま胸を割き内臓を出す)、「仮剥皮」(生きたまま顔の皮を剥ぐ)等があり、これらのうち「控目割耳」「牽黄牛」「開胸堂」「仮剥皮」は、1928年(昭和3)年5月済南事件、1937(昭和12)年7月29日通州事件で、日本人居留民に対して中国兵が実際に加害。

1742年「蜀碧」副題「集載張忠入蜀始末」

 「人を殺す方法には色々な名前があった。『匏奴』というのは、手足を切り落とす方法である。『辺地』と言うのは、背筋で真二つに切り離す方法である。『雪鰍』というのは、空中で背中を突き刺す方法である。『貫戯』というのは、子供たちを火の城で囲んで炙り殺す方法である。『開胸堂』(腹を割き腸を引き出し、その長さを競争する)。その他に、歩行になくてはならぬ筋(アキレス腱)を抜いたり、女の足を斬ったり、人の肝をひき砕いて馬の飼葉にしたり、人の皮を剥ぎ取って目抜き通りに張り出したりした」

人間を食う風習調理法

 年を取って痩せた男子を「饒把火(じょうはか)」(タイマツよりはまし)、若い婦人を「下羹羊(かこうよう)」(スープ用の羊)、小児を「和骨爛(かんこつらん)」(骨ごと煮える)と呼び、また人肉を「両足羊」(二本足の羊)と総称。

2、トラウマ虐殺(肉食文化圏中国や韓半島唯物凶産の人殺しは、家畜屠殺と同じ)

尼港(にこう)事件

1920(大正9)年2月尼港(にこう)事件。凶産に無知なアメリカの派遣軍が、突如撤兵(日本政府への通告なし)したために起きた事件。

1920年初頭。尼港(ニコライエフスク)事件とは樺太の対岸、黒竜江がオホーツク海に注ぐ河口に位置する市邑で、ここに日本人居留民、陸軍守備隊、海軍通信隊計7百数十名が在住していた。連合軍(米派遣軍)が突如撤兵するや、露西亜人、朝鮮人、中国人から成る千名の共産パルチザンが氷雪に閉ざされた同市を包囲襲撃、守備隊との間に偽装講和を結んで同市を支配した。

1920(大正9)年3月12日(露西亜革命3周年記念日)彼らは仮借ない革命裁判と処刑を開始し、この記念日に日本軍と交戦状態に入り、守備隊は大半が戦死、居留民ら140名が投獄された。

1920(大正9)年4月20日この時、事件を目撃した一人の海軍士官が、ウラジオストックに脱出し、共産パルチザンの蛮行を伝えている。「大阪毎日」抜粋

 「露国資産階級の根本的壊滅に着手し、所在資本階級者の家屋を包囲し、資産の全部を公然掠脱したる後、老幼男女をとわず家人ことごとくを家屋内に押し込め、これに放火し、虐殺。

 親日的知識階級に属する官公吏と私人とを問わず、容赦なく虐殺、奪掠、強姦など不法の限りを尽くした。

 獰猛な毒牙は同胞日本人にも及んだ。

 公然万衆の面前において暴徒悪漢群がり、同胞婦人を極端に辱めて獣慾を満たし、なほ飽く処を知らず指を切り、腕を放ち、足を断ち、かくて五体をバラバラに斬りきざんだ。

 馬匹二頭を並べ、同胞男女のかまひなく両足を彼此の馬鞍に堅く結び付け、馬に一鞍を与うるや、両馬の逸奔すると同時に悲しむべし、同胞は見る見る五体八つ裂きとなりる。

 帝国居留民一同悲憤の涙を絞り、死なばもろとも、散らば桜と、一同老幼相携え相助け、やうやく身を以って領事館に避難し。その後市街における同胞日本人に属する全財産の掠奪は勿論、放火、破壊その他暴状至らざるなし。しかりといへども、飽くまで彼等と衝突を避くる事に注意し、堅忍自重す。しかるに彼等過激派はますます増長し、つひに領事館に向かって砲撃を加え、我が領事館は砲火のため火災を起こすにいたり、もはや堪忍袋の緒も切れ万事休す。

 これまでなりと自覚するや、居留民の男女を問わず一斉に決起して、自衛上敵対行動をとるに決し、男子という男子は総員武器を取って頑強に防戦し、また婦人も危険を厭わず、敵の毒手に斃れんよりは潔く軍人の死出の途づれ申さんと、一同双手をあげて決死賛同し、にはかに活動を開始す。

 全員いかに努力奮戦するも、刻一刻味方の減少するのみ、ついに繊弱なる同胞婦人に至るまで、戦死せる犠牲者の小銃、短銃を手にし、弾はかく込むるものぞ、銃はいかに撃つものなるぞと教わりつつも戦線に加わり、無念骨髄に徹する敵に対し勇敢なる最後の抵抗を試み、ことごとく壮烈なる戦死を遂ぐ。かくてもはや人尽き、弾丸尽き、力尽き、人力のいかにすべきやうもなくなほ生存の健気なる婦人または身動きのできる戦傷者は、なんすれぞ敵の侮辱をう来るものかはと、共に共に猛火の裡に身を躍らし、壮烈なる最期を遂げたり」

 凶産パルチザンは日本軍到着に先だって5月下旬、収監中の日本人を悉く惨殺、更に尼港市民1万2千人中、凶産主義に同調せぬ者約6千人の老若男女を虐殺、市街に火を放ってこれを焼き払ったのち遁走した。石田副領事夫妻以下居留民384名(内女子184名)軍人351名、計7百数十名の日本人同胞が凶産パルチザンによって陵辱暴行された上、虐殺されたのであった。

1920(大正9)年6月13日事件から二週間後の従軍記者の記事。「時事新報」

 監獄は市の北部にあり。中は八室に別れ、最も落書きの多かりしは二号室にて、「大正9年5月24日午後12時を忘るな」「曙や物思う身にほととぎす」「読む人のありてうれしき花の朝」「昨日は人と思えども、今日は我が身にかかる」「武士道」等の文字、白ペンキ塗りの壁に鉛筆を以って書かれあり。これ24日夜、140名は監獄より曳き出されて、黒竜河畔に連れ行かれ、ことごとく刺し殺して河に投じられたるなり。

 津野司令官は涙を浮かべ「我が同胞は一名も残らずことごとく死にました。同情に堪えません。ただその中一人として卑劣な行いもなく、最後まで潔かったということだけは嬉しいです」と。

 尼港事件は「元寇以来の国辱」として国民は激怒。事件解決まで北樺太を保障占領。

南京虐殺事件(192724国共合作軍が、南京占領時日英米の公館を襲撃した事件)  

南京虐殺証言

 「南京虐殺の真相を広くアメリカ人に知ってもらわんがため、外国人の生命財産に危害を加えられた3月24日に南京に在住していた我々アメリカ人は、署名のうえ、ここに声明文を記す。

 この残虐行為は、上官の承認の下、制服着用の兵士によって行われた。南京在住の我々アメリカ人全員がこの目で見たのであるから断言できる。彼らは、外国人の私邸、領事館、学校、病院、会社の事務所を略奪しただけではない。家にも学校にも火を放った。外国人と見ると老若男女構わず撃った。誤射ではない。殺意を持って撃った人殺しである。ある若いアメリカ人娘などは二発も銃弾を打ち込まれ重傷を負った。アメリカ女と見ると強姦する。その他、外国人女に、言葉にできないほどの侮辱行為を加えた。こうした事件の多くをこの目で目撃したのである。その他さまざまなことが、疑いの全くない事実である。北伐軍の兵士や中国人の友達の証言によれば、南京入城に際して命令ではないにしろ、「略奪、外国人殺害許可証」の類のものを持って南京に入城したようである。外国人の家に押し入る。金庫を開けさせる。着ているものまで剥ぎ取る。女は犯す。すべて計画通りだったことは部隊の行動からして明らかである。我々の中には、「隠れても見つけ出して殺してやる」と言われた者もいる。中国兵だけでなく、匿ってくれた中国人までもがそう言ったのである。ところが、この虐殺がピタリと止んだ。英米の軍艦の艦砲射撃が始まったからである。とたんにあちこちでラッパの合図があり、組織的破壊行動が止んだ。これで兵士の暴虐、破壊活動へ上が命令した組織的行動だったことが証明された。以上は嘘偽りのない事実なのである。

 この南京虐殺を画策したのは誰か。外国人と中国人双方の意見であるが、首謀者はロシア共産党指導者の指導を受けた国民党政府内に潜む共産主義活動家である。これらは外国人だけでなく、中国人にとっても敵である。根絶やしにしないと中国の統一どころではない。我々は中国の国家目標に心底共鳴してきたし、これまで危険に晒されてはきたが、今後とも気持ちは変わらない。故に、現在、国民党政府の政策に強い影響を与える陣営を抑えねば、中国のみならず世界の行く末は安心できないものがある。署名者(17名)」「暗黒大陸 中国の真実」 ラルフ・タウンゼント著 芙蓉書房出版より

済南事件

1928年5月3日済南事件。日本人居留民虐殺。

 南京駐在武官・佐々木利一中佐「ある軍人の自伝」「予は病院において偶然その死体の懸案を実見したのであるが、酸鼻の極だった。手足を縛し、手斧様なもので頭部・面部に斬撃を加え、あるいは滅多切りとなし、婦女はすべて陰部に俸が挿入されてある。ある者は焼かれて半ば骸骨となってゐた。焼け残りの白足袋で日本婦人たることがわかったような始末である。我が軍の激昂はその極に達した」

 5月9日田中外相宛西田領事報告「腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割り木を挿し込みたるもの、顔面上部を切り落としたるもの、右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突き傷あり。全身腐乱し居れるもの各一、陰茎を切落したるもの二」

通州事件

1937年7月29日通州事件(中国人保安隊の日本人虐殺事件)通州において、婦女子を含む日本人居留民約2百名が目をくりぬかれるなど、残酷な強姦・虐殺事件があった。

30日午後救援に当たった天津歩兵隊長萱島高証言

 「旭軒(飲食店)40から17~8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されて居利、その中4、5名は陰部を銃剣で突き刺されていた。商館や役所に残された日本人男子の屍体はほとんど全てが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった」

通州救援の第二連帯歩兵隊長代理桂鎮雄証言

 「近水楼(旅館)入り口で女将らしき人の屍体を見た。足を入り口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた。帳場や配膳室は足の踏み場も無いほど散乱し、掠奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの屍体があり、全部もがいて死んだようだった。折り重なって死んでいたが、一名だけは局部を露出し上向きになっていた。帳場配膳室では男一人、女二人が横倒れ、あるいはうつ伏しあるいは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女二人は何れも背部から銃剣を突き刺されていた。廊下座敷に女の屍体二つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。一年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の女の屍体があった。その裏の日本人の家では、親子二人が惨殺されていた。子供は手の指を揃えて切断されていた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の屍体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」

 近水楼を襲撃したのは黒服の学生団と保安隊であった。彼等は女中数名を惨殺、残る十数名の男女従業員・宿泊客に対して金品を強奪した後、全員を麻縄で数珠つなぎにして銃殺場に引き出し、処刑した。当日近水楼に宿泊した同盟通信特派員安藤利男は、処刑場から脱走し、手記「続対支回顧録」「通州の日本人大虐殺(文藝春秋昭和38年8月号)」を書いた。「文藝春秋に見る昭和史」第一巻(昭和63年1月)にも転載。 2につづく

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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