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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1大東亜戦争が遺したもの全世界の証言台湾パラオインドネシアイギリス

大東亜戦争が遺したもの全世界の証言     

8月になると「軍人極悪悲惨悲惨」と鳴きだすNHK8月蝉

 お互いに極悪で悲惨なのが戦争である。悲惨で無い戦争など皆無。この当たり前の事実を「軍人極悪悲惨悲惨」とNHK8月蝉が日本軍人だけが極悪のように鳴く。NHKは戦争の悲惨さだけ(木を見るだけの)のつまみ食い報道をしてきたし、今も、し続けている。NHKはなぜそんな悲惨な戦争をしなければならなかったかを、一度も放送していない。報道の内容はどうか。各国の戦争被害者は、直接手を下し殺した相手(米英中ソ日)を非難し、当然の証言をしている。証言はもちろん正しい。しかしNHKは、対(米英中ソの被害者)は報道せず対日の被害者の証言だけしか報道しない。森の報道が全くされていない、対(米英中ソの被害者)報道皆無だ。

 兵士の証言は、「先にやらなければやられる、それが戦争だ、自己保存の本能に従い戦った。」人間としてのたましいからの証言は、「戦争で人殺しをした、私は悲惨なことをしてきた」どちらも正しい証言である。

 NHKの大罪は、兵士を超え、人間として日本人としての、元日本兵のたましいのこの叫びを悪用し、殺した方に罪があるようなつまみ食い報道だ。なんとNHKは、兵士を超え、人間としてのたましいの叫びの証言をつまみ食いして、悪用し日本軍人極悪を連想させているのだ。戦争はこんなに悲惨だ、悲惨な戦争をした日本軍人はこんなに極悪だと。すべての報道がそうだ。

 TV朝日、朝日、特にNHKが大罪の偏向報道だ。証言には、兵士(建て前)と、人間(本音)、各々視点の異なる証言が有る。

 NHKは、兵士の証言は全く取材せず、報道せず、人間としてのたましいからの証言(戦争で人殺しをした、私は悲惨なことをしてきた)だけの一方的なつまみ食い報道をし、生還した護国の兵や護国の戦死者を、単なる殺人者のように冒涜し続けている。

 結果日本兵は、先人は極悪にされた。日本のマスコとミNHKと、鵜人のつまみ食い報道によって。

 先に殺さなければ殺される、それが戦争だ。そんな狂気の世界から生還した護国の兵のたましいからの証言(戦争で人殺しをした、私は悲惨なことをしてきた)に、子孫は感謝こそすれ、責めることなど言語道断だ。NHKは護国の兵に自己否定させて、責めている。戦争は互いに悲惨なのだ。日本軍だけ極悪の、一方的な放送は、もう見飽きた。NHKにはなぜそんな悲惨な戦争をしなければならなかったかを、放送する責任がある。なぜなら、放送するのが先人を冒涜しつづけたNHKの償いとなるからだ。

 我々日本人は、マスコミのこの偏向拡大報道に洗脳された。NHKは太平洋戦争と呼称し、傀儡国家満州と今でも先人を、つまみ食い史観で冒涜し続けている。NHKは全国民から料金を取り、朝日は購読者から料金を取り、日本を護国した先人を臆面も無く偏向拡大報道で冒涜し続けている。異常な世界だ。
 弱肉強食の時代の戦争、日清日露大東亜は、自由希求の護国戦争だ。護国の兵を冒涜するNHKや朝日は日本最大の売国奴だ。

 「戦わざれば確実に亡国、戦うもまた大東亜各国の助力無しでは、亡国であった。護国に殉じた戦友が戦後、犬死に、無駄死に、民間人殺しの極悪兵士と、護った子孫やNHKや朝日に、あらんかぎりに罵倒され続けてきた。いままでは、冥土で戦友に語る言葉など皆無だった。このままでは死ねなかった」これは、生還した自由希求の一護国兵士のメールです。

 読売新聞渡辺恒夫や石原都知事やNHK8月蝉は、江藤淳著『閉された言語空間』を読み、文を煎じて呑み「自由希求の護国の兵士感謝感謝」と早く鳴いてもらいたいのだが、今年も「軍人極悪悲惨悲惨」と鳴くようだ。07.8.4.

 以下は、封殺され日本のマスコミに報道されなかった、木を見ず、森を見ての全世界の証言である。

『パラオと日本の友好よ永遠なれ』(展転社、1997年)「日本時代はオール・グッド(皆よい)でした。日本の皆さんは、我々といっしょに汗を流して働き、勤勉の徳を教えてくださいました。

 砂糖キビや米の作り方を教えられ、生産することの喜びを知りました。スペインやドイツの植民地時代とは違って心が通じました。自然に日本人の生活態度を学び、子供たちは親孝行になり、治安がよくて泥棒がいませんでした」(同書10頁の和文)

 

パラオ統治 ここは第一次大戦のあと、ドイツ領から日本の委任統治領になった。その当時は「タロイモと魚が島民の主食だった」「日本がきてからその生活は大きく変わった」と続ける。日本はコメを持ってきた。ナスやキュウリなど野菜に、サトウキビ、パイナップルも持ち込んだ。そして雇用創出もした。マグロ缶詰工場やかつお節工場もつくり、島民に仕事を与えた。

 インフラも整備し、舗装道路を敷き、電気を供給し、電話も引いた。今、英語で話される日常会話に日本語の「デンワ」が交じるのもそのころの名残だ。 

 しかし、その統治は三十年と続かず、パラオは三度、新しい統治国、米国を迎えた。彼らはまず「すべての工場を破壊し、畑もつぶした。島々を結ぶ橋も壊し、道路の舗装まではがしていった」。すべての破壊が終わった後、米国は島の人々にアメリカ米を支給し、働かなくてもいいように生活保護費を出した。

 東西冷戦の中でこの島が東側に取られた場合を考えれば、数千の島民にただ飯を食わせるぐらいは安いものだという考え方だ。そして、冷戦が終わった今、島民への援助は間もなく打ち切られる。もうこの島を持っている意味はなくなったからだ。カリブ海に浮かぶハイチはナチやソ連の進出が懸念されるたびに米国が占領した。脅威がうせれば捨てられた。それと同じパターンである。 パラオ共和国の上院議長だったピーター・スギヤマ

インドネシア インドネシア進軍後、日本軍はまず、幽閉されていた独立指導者・スカルノとハッタを救出し、民族運動の指導者として認めました。「主人がオランダから日本に代わっただけだ」と考えた人もいましたが、独立指導者・後の初代大統領スカルノと副大統領ハッタは、日本の大東亜共栄圏構想を信頼して、日本軍政の3年半協力しつつ、独立へのチャンスを待つことにした。台湾や朝鮮統治の実績があるので、大東亜共栄圏構想を信頼したのだ。

 日本軍の功績として次のような点を挙げている。第1に、インドネシア語を作ったことです。インドネシアは多くの島からなっているので、言語も多様だったので、そこで日本軍は共通語を定め、それを普及させた。第2に、イスラム教への寛容です。第3に、学校教育、軍事訓練を含めた集団訓練を行ったことです。

インドネシアで55年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」。

 

アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす

連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず

進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ

古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ

大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る

進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ

 

インドネシア独立後のナチール首相と青年道場での同期生ルビスの証言

 ・・・青年道場には、インドネシア各地の青年訓練所から選りすぐった二十歳前後の青年47名が第一期生として入学し、現場の責任者の柳川宗成中尉の訓示を受けた。訓示の内容は、アジアを解放するために日本軍はインドネシアに来たが、独立は自分の力で成し遂げるものである。しかしインドネシアは教育や軍事などあらゆる面で遅れているので、いますぐ独立はできないだろう、日本軍は知っていることをすべて教えるので、一日も早く学んで立派に独立してほしい、というものでした。

 訓示の中で、悠長に構えている暇はないと度々強調されましたので、私たちの間には、緊張感が漲り、一刻の猶予もないのだ、とにかく早くいろいろなことを習得しなければならないという思いがいっぱいになりました。

 ・・・青年道場では、朝5時から夜10時まで、軍事訓練、精神訓話、体育訓練、実地訓練などが行われた。精神訓話では、「正直であれ」、「勇気を持て」、「常に前進せよ」の3点を厳しく叩き込まれた。またインドネシアの歴史を初めて学んだ。

 ・・・ある時、午前中の野外訓練が終わった時、厳しさが欠けているというので、一人の小団長候補生が銃を持って立っているように命令された。午前中だけでもくたくたになり、その上の炎天下で直立不動というのは、大変な罰だった。その時、中隊長の土屋競中尉が、何も言わず、小団長候補生の隣で同じように直立不動で立ち始めた。二人は一時間ほど、午後の訓練の合図まで立ち続けた。

 私たちはそれをずっと見ていましたが、すばらしいことだと思いました。これまでインドネシアでこのような教育をする人はいませんでした。・・・インドネシアの若者全員に知れ渡り、全員感動しました。

 ・・・土屋中隊長は、まだ20代半ばで、私たちとそれほど年齢は離れていませんが、常に私たちのことを考えていたと思います。訓練期間中、苦しくて倒れそうになると、いまはインドネシアが独立したときの要人を育成しているのだとか、インドネシア国軍が創設されたとき中心になる軍人を育成しているのだ、といって私たちを励ましてくれました。

 同じ中隊にいたスハルト(後の第2代大統領)も土屋中隊長からは深い感銘を受け、大統領に就任してはじめて日本に行ったとき、土屋中隊長にだけはぜひ会いたいといって探してもらい、20数年ぶりに会っています。

 ・・・そこでの教育はインドネシア人の民族精神を改革した画期的なものといえるのではないでしょうか。まず愛国心を育てたことであり、次に死を恐れぬ精神を植え付けたことです。さらにいえば、向上心を涵養(かんよう)したことなどもあげられると思います。インドネシアの夜明け 
 

インドネシア中学3年用歴史教科書 「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。…」

 

日本兵2000名がインドネシア独立のため戦った理由 自ら、軍籍を離脱して、インドネシア軍に身を投じた人々も多かった。その一人古閑正義中尉は、熊本県出身、明治大学で柔道とラグビーの名選手だった。スマトラのアチエ州で、地元の青年達を「何が何でも独立を勝ち取れ」と教育していた。昭和天皇の終戦の詔勅の中の「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」という言葉から、インドネシア人を見捨てて、日本に帰る気持ちにはなれず、同じ部隊の少尉4名とともに、独立軍に参加した。戦闘に慣れないインドネシア人を率いて、常に先頭に立って、指揮をした。

 オランダとの独立戦争は1949年12月までの4年5ヶ月も続いた。兵員こそ200万人もいたが、武器は日本軍から手渡された数万挺の小銃が中心である。オランダ軍は都市への無差別爆撃なども行い、80万人もの犠牲者、1千万人を超える負傷者が出たと言われる。インドを始めとするアジア諸国がオランダを非難し、国連安保理事会や米国議会も撤兵勧告を行った。全世界の世論に押されてオランダは再植民地化を諦めたのである。

 小野盛氏(元16軍陸軍指令部参謀部勤務)は、「約2千人の日本人が独立戦争に参加したが、その内約千人が戦死した。何故これだけの戦死者がいるかと言うと、日本人は指揮官として第一線で戦ったからである」と語っています。

 ・・・「かれらが(独立を)戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、われわれの仕事だ」という今村均中将の言葉は、現実となったのである。

 

今村均陸軍中将 インドネシアのスカルノは、戦後に戦犯として獄に繋がれた今村均陸軍中将を実力で助けようとして、今村にその旨を伝えたところ逆に「部下が捕まっているのに私だけ逃げ出すわけにはいかない」と断られた。・・・日本の武士道では、そのような方法で生きのびることは不名誉とされている。まして私を救うため、独立軍とオランダ兵が鉄火(銃火)を交え、犠牲者が出るようなことは絶対に避けたい、と。

 判決を受けてすぐ、今村は同時に下された部下への判決に対して、再審の請願をしている。自分に対する判決については、何もふれずに。

 

1998年インドネシア インドネシアのマスコミは、8年前にオランダ女王を迎えるにあたって、このような意見を載せました。

 「日本政府は、1958年に賠償と援助で8億ドルを出してくれた。ハッタ副大統領は“日本軍はインドネシア独立の恩人だから、賠償という名称は不適当だ。独立達成を記念する祝賀金として戴く”と言っていた。日本政府が3年半の占領の分として8億ドル払ってくれたのだから、オランダは350年分の賠償として800億ドル支払うべきだ。それに独立戦争の死者は80万人だから、一人当たりの補償金を1万ドルとすれば80億ドル、10万ドルとすれば800億ドルになる。つまり、オランダは最低1600億ドルぐらいは支払うべきである。その前に、まず女王に謝罪してもらいたい」。大東亜戦争・アジア解放←インドネシア 「責任の人」今村均将軍(上・下)

インドネシア大統領特使、アラムシャ陸軍中将は語る

 平成5年7月、インドネシアのアラムシャ陸軍中将は大統領特使として来日しました。その時福田元首相や塩川自治大臣(当時)などと会見し、大東亜戦争について「大東亜戦争が長引いたばかりに労務問題などで、ご迷惑おかけしました。」と述べると「とんでもない。むしろ大東亜戦争を途中でやめたことが残念であったと思ってる。あと5年はやるべきであった。これは私だけの意見ではない。アフリカに行けば、みんなから聞く意見だ。中東に行けばみんなから聞く意見だ」。

 「どういうことですか?」

 「なぜアフリカがあんな状態なのか。我々と同じく40数年前に独立すべきであったがそうできなかったからだ。あそこはオランダ人とイギリス人とユダヤ人が握っているから、どうしようもない。

 もし日本があと5年大東亜戦争を続けていたならば恐らく中東まで進出していただろうから、中東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立できただろう。そうすれば、南アフリカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ」とアラムシャ陸軍中将は語りました。(『祖国と青年』平成6年2月号、アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論 中島慎三郎より

インドネシア、サンパス将軍(東欧大使歴任)は、日本の村山首相の謝罪をなげく

 平成3年、村山首相がASEAN諸国を謝罪して回った時、インドネシアの元復員軍人省長官で東欧大使を歴任したサンバス将軍は「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」となげいていた。(『祖国と青年』平成6年2月号、アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論 中島慎三郎より要約抜粋)

 

歴史を共有した同じ国民  司馬遼太郎「台湾紀行」のガイド、蔡焜燦(さい・こんさん)氏「台湾人と日本精神」著者

 日本統治時代、日本人教師達は、我々台湾人に「愛」をもって接してくれた。そして「公」という観念を教えてくれたのだった。愛された我々は、日本国家という「公」を愛し、隣人を愛したのである。

 どうぞ心に留めていただきたい。「日本」はあなた方現代日本人だけのものではない。我々「元日本人」のものでもあることを。

 台湾には、日本がいまこそ学ぶべき「正しい日本史」がある。どうぞ台湾に正しい歴史を学び、自信と誇りを取り戻していただきたい。

 

英霊に捧げる 

台湾忠魂「ちゅうこん(忠義を尽くして死んだ人のたましい)」碑

 南海の荒海に屍(し)されし英霊よ、故国台湾台北州烏来の聖地に立つ、忠魂碑に降臨して、日台青年交流団の捧(ささ)げる、感謝と哀悼の誠を受けられよ。

 顧みれば五十数年前、英霊各位は、白色人種の植民地政策から、黄色人種と黒色人種を開放する偉大なる理想実現のため、第二次世界大戦に従事なされた。抑々(よくよく)東洋平和の安定を確保し、以て世界平和に寄与するのは、日本建国の精神であった。しかし黄色人種と黒色人種は、白色人種の植民地政策の迫害を被(こうむ)り、教育を受けられず、殆ど未開発の原始生活に留まって居た。これらの諸民族を開放し、自主独立の国家を建て、平和且つ平等に生活ができるよう指導するのも、又日本に課せられた重大使命であった。

 昭和十六年十二月八日、日本は破邪顕正「はじゃけんしょう(誤った見解を打ち破り、正しい見解を打ち出すこと)」の旗を押し立て、国運と国力を傾注して、白色人種追放のため、東南アジアに進出した。正に青天の霹靂「せいてんのへきれき(突然の変動)」である。白色人種の数世紀に亘る、世界制覇の夢は醒め、難攻不破の厚い壁は遂に崩潰した。英霊各位は赤道直下の炎熱焼くが如き猛暑と、悪性伝染病を克服なされ、強敵白色人種と、勇猛果敢に激闘なされ、これらを追放し、新生国家の基礎を確立された。殊に高砂義勇隊は、ジャングル伐採の先頭に勇み立ち、我が軍が苦戦に陥るや、高砂挺身隊はジャングルを利用して、敵陣に神出鬼没して、敵の軍心を攪乱し、勇敢に敵陣に切り込み、華々しく戦い、遂に護国の英霊となられた。英霊各位は尊い命を犠牲になされ、世界人類の自由平等のため、多大の貢献をなされた。其の偉大なる理想は、花を咲かせ実を結んだ。終戦後、小民族は開放され、相次いで独立した。今、全世界の独立国家は、合計百八十五カ国となった。

 各民族は、共存共栄の信条の下、自由平等且つ幸福に暮らせるようになった。此の偉業は、世界の一頁に刻まれ、太陽の光と共に、天攘無窮「てんじょうむきゅう(永遠)」に照り輝きます。そして英霊各位は平和の神として、全人類から敬愛尊敬されます。

 本日、日台青年交流団は日本青年を代表し、感謝と哀悼の誠を以て、英霊各位を慰(なぐさ)む目的であります。

 尚、一九八九年日本政府は台湾人元日本兵、戦没者遺族補償費と、戦傷者の慰問金交付を発表した。一人当たり日幣二百万円です。台幣に換算すると約四十万元です。金額は微々たるものですが、日本国の誠意として受け取れます。遺族の生計に多少役立つと思います。英霊各位本当にご苦労様でした。何卒、安らかに御安息ください。最後に御冥福をお祈り申し上げます。

            一九九六年五月十二日

            台湾中日海交会 呉 宗姓    台湾で見た「日本」遺産 

 

引用・参考文献 『「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編、展転社』○ルーズベルトニ与フル書 http://www.chukai.ne.jp/~masago/roosev.html○Japan On the Globe(191) 国際派日本人養成講座http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jogix2107.htm○米国大統領への手紙―市丸利之助中将の生涯http://www.yoyokaku.com/itimarurinosuke.htm

○ロスロップ・スタッダード(アメリカ、歴史学者)

 すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人も考えおよばなかった。

 ・・・1900年は、四百年間みなぎり来った白人潮勢の頂点であった。白人はそのとき、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起こって露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせ世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。「有色人種の勃興」長瀬鳳輔訳政教社

○ドゴール将軍(後のフランス大統領)

シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終えんを意味する。(亡命先のロンドンでシンガポール陥落を知った日の日記より)

○英国サッセックス大学のクリストファー・ソーン教授 

 「日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国主義の終焉(しゅうえん)を早めた。」「太平洋戦争とは何だったのか」

○スリム中将(イギリス第十四軍司令官) 

 ・・・「たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。」

 ・・・「かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない」「敗北から勝利へ」

○H・G・ウェルズ(イギリス人歴史学者)

 「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた」 2につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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