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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観3大東亜戦争が遺したもの全世界の証言インドビルマ韓国

○ランボ・ラル・グプタ インド独立運動指導者
 東京裁判は21世紀になれば必ず見直される。そして第二回東京裁判が実現する。その頃にはアジアも良識を取り戻し、東京裁判で重罪を被った日本人、7人のA級戦犯は、一転して全アジアの救世主となり、神として奉られる日が来るであろう。また、そのようになるべきだ。

○S.S.ヤダフ、インド国民軍全国委員会事務局長、インド国民軍大尉

 戦時中、インパール作戦を戦ったインド国民軍の戦友会(I N A 委員会)も日本に感謝を示すために、平成九年(1997年)インド独立五十周年に、靖国神社に感謝状を奉納しました。

 インドが日本のお陰を蒙っていることは、言語に尽くせない大きなものがあります。偉大な貴国はインドを解放するにあたって、可能な限りの軍事援助を提供しました。何十万人にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と汗と涙を流してくれました。

 インド国民軍は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。インドの独立は日本陸軍によってもたらされました。ここに日印両国のきずながいっそう強められることを祈念します。

○マンモハン・シン・インド首相演説

2006年12月14日

 

河野洋平衆議院議長閣下

扇千景参議院議長閣下

安倍晋三内閣総理大臣閣下

 

衆議院議員ならびに参議院議員の皆様

著名な指導者の皆様ならびにご列席の皆様

 この威厳のある議会において演説の機会を得ましたことは栄誉なことと認識しております。我々二カ国の国民が互いに寄せる善意と友情の表れです。

 ご列席の皆様

 日本とインドは文明的にも近い国であります。我々の最も古い絆を形成するのが、共通する遺産でもある仏教です。二つの文化は歴史を通して交流し、豊かさを増してきました。1000年余り前、インドの僧侶ボディセナ(菩提僊那)は、東大寺の大仏開眼供養に参列するため奈良を訪れました。近代においては、タゴールと岡倉天心が、アジアの偉大なる両国の間に理解の新しい架け橋を築きました。

 科学技術の発展に基づく明治維新以降の日本の近代化と、戦後に日本再建の基となった活力と気概は、インドの初代首相であるジャワハルラル・ネールに深い影響を与えました。ネール首相は、インドが日本と緊密な絆を結び、その経験から学ぶことを望みました。

 インドが日本からのODA(政府開発援助)の最初の受益国になるよう尽力されたのは、当時の岸信介総理大臣でした。今日、インドは日本のODAの最大の受益国であり、こうした援助に我々は深く感謝しております。

 日本の工業は、自動車や石油化学などインド産業の発展のために貴重な役割を果してきました。90年代の初頭、インドが深刻な経済危機に陥った時期、日本は迷うことなく支援し続けてくださいました。

 1952年、インドは日本との間で二国間の平和条約を調印し、日本に対するすべての戦争賠償要求を放棄しました。戦後、ラダ・ビノード・パル判事の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されています。

 こうした出来事は、我々の友情の深さと、歴史を通じて、危機に際してお互いに助け合ってきた事実を反映するものです。

 日本を訪れるたびに、お国の発展を見て真に鼓舞され、寛大さに心を打たれます。私は、1992年の訪日を決して忘れることがないでしょう。それは、インドの財務相として初の両国間の訪問でした。

 1991年に前例のない経済危機に対処した際、日本から送られた支援に謝意を述べるための訪日でした。古い型を打破し、グローバル化しつつある世界での競争に備えるべく経済を開放し、新たな前進への道を乗り出す機会を、あの危機は我々に与えたのでした。当時、弾力性や献身といった長所、あるいは逆境にあって如何に機会を創造するかといったことを日本から学ぼうとして、我々は日本に目を向けたのでした。・・・

 

 赤心には赤心、歴史には歴史で語りかけたこの演説は、片隅での報道であった。報道を操作し、亡国を企む、NHKや朝日などのマスコミや、団体に巣くう売国奴、捏人。先人冒涜を裏の家業とし、表裏で金を得、反日侮日で分不相応な生活、誰の目にもよく目立つ。冒頭のように翻意前の話や、小さな欠点や落ち度だけを、全体であるかのように棒大に報道するのですぐ分かる。ブログに散見する異様な先人冒涜の輩も、糧は同じで同類だ。単なる鵜呑みの素人には、長期に渡って、あれほどしつこく、欠点探しは出来ない。心ある同胞からの内部国発は、ネチズンに数多届いている。余りにも目に余る冒涜に子孫が覚醒し、自浄回路が作動し始めたのだ。ネチズンも心ある同胞も、赤心の血を流し、同胞の琴線を鳴らし、覚醒を促した先人の、真の子孫だ、愚かではない。捏造主義「独裁国家、共産(狂惨)国家、捏造報道屋、捏造扇動家」は、必滅する。国づくりや物づくりは、事実のみが成せる業、人間の小細工、捏造ごときで成せるものではない、古今の世の習いだ。

スクープ! マスコミがひた隠す、マンモハン・シン・インド首相の親日マル秘?演説原稿

○オッタマ僧正ミャンマー(ビルマ)

 オッタマ僧正は完全自治を要求する抗英独立運動をおこなって何度も投獄、出獄を繰り返し、ついに1939年に獄死してしまい、日本と協力して立ち上がったビルマ青年の活躍を見ることは出来なかった。しかしその精神は、独立の志士たちに確実に受け継がれていった。日本にやってきたのは1907年。彼は3年間日本に滞在して『日本』という本にまとめ、ビルマで発刊。その中での主張。

 ・・・日本の興隆と戦勝の原因は明治天皇を中心にして青年が団結して起ったからである。われわれも仏陀の教えを中心に青年が団結、決起すれば、必ず独立を勝ち取ることができる。・・・長年のイギリスの桎梏「しっこく(足かせと手かせ)」からのがれるには、日本にたよる以外に道はない。・・・

○ウー・ヌーミャンマー(ビルマ)

 日本の軍政を経た後の1943年8月1日、ビルマはついに独立を宣言。そのとき外相に就任したウー・ヌーの演説。

「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」

○バー・モウミャンマー(ビルマ) 大東亜会議にも出席し、戦後も首相として活躍したミャンマー(ビルマ)の首相

 

 ・・・真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。

 ・・・歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかし、またその解放を助けてやった諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。自伝「ビルマの夜明け」

 

アリ・ムルトポ准将(インドネシア)

 一九七七年、マニラにおける国際会議で、韓国代表が日本を強く非難した時のことです。インドネシアの大統領内外政治担当特別補佐官兼副長官のアリ・ムルトポ准将が嚢言を求めて、韓国代表をたしなめました。

 「日本はアジアの光である。太平洋戦争はアジアの独立のための戦争であったゆえ、本来ならアジア人が戦うべきであったのに、日本人が敢然と立ち上がって犠牲になった」

 

○アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

  日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略)日本は目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(「魂を失った日本」未央社、57~65ページ)

○朴 鉄柱 大正11年韓国釜山生まれ、平成二年一月逝去(六十八歳)。昭和四十二年十月大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業、住吉神社に奉職、終戦後韓国に帰国。昭和29年5月「日本文科研究所」を設立。

 「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」

 「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

 「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

 時に昭和42年、朴氏四十五歳の時の言葉だそうです。

 その後、朴氏は肺がんに犯された体に鞭打って、亡くなる一年前の平成元年一月に先帝陛下の御大喪のさいに来日したそうで、朴氏から兄と慕われた中村武彦氏の文章より朴氏のお人柄を偲べます。

 「平成元年一月、先帝陛下の崩御の直後に重い足をひきずって彼は東京にやってきた。

 先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。御大喪の日には、雨の中を早朝から皇居前の堵列に加わり、御見送り申し上げた。名も無き一韓国人が、瀕死の身を似て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったであろう。」

日韓共鳴二千年史P602~609名越二荒之助編著 明成社より

 

○崔基鎬(チェ・ケイホ) 1923年生まれ。明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大学院教授を経て、現在、加耶大学客員教授 『日韓併合 韓民族を救った「日帝36年」の真実』著者真実史観者

武士道の覚醒と強い日本を願う 
隷属国家の李氏朝鮮

  私は80歳になります。ここまで生きてきて、やはり韓国のためにも日本のためにも、自分の思うことを正直に語りたい。それが本音です。ご承知の通り今の韓国では、植民地時代の日本統治を肯定的にとらえて発表することは、相当の覚悟がいります。極端な話、身の危険も覚悟しなければなりません。しかし私の使命として、どうしても言わなければならないと思っています。

  なぜなら、歴史を歪曲するということは、国の進むべき方向を間違わせてしまうからです。実のところ韓民族は、いつも身勝手な解釈で歴史を解釈し、これがもとで幾度も実態を見誤り、国を滅ぼしてきたのです。とくに危惧するのは、それが韓民族の宿痾であるということです。だからなおのこと私は、歴史の真実を見る重要性を訴えたいわけです。

日韓併合を検証する

  ・・・よく中国や韓国は、日本の教科書は歪曲していると非難しますが本当でしょうか。日本人は、そう言われると本当にそうかと思ってしまう人も多いと思いますが、日本人はあまり韓国や中国の状況を知りません。私に言わせれば、例えば韓国と日本を比較した場合、日本が十のうち一の歪曲があるとするなら、韓国は十のうち九は歪曲があると言っていいでしょう。日本についての歴史だけでなく韓国の歴史そのものを歪曲しています。韓国の権力者たちによって恣意的に作られた『国定教科書歴史編』は、まさにその傾向を強めています。

  その顕著な例は、李朝500年末期の政治紊乱に蓋をして、公然たる売官買職が横行し貧官汚吏が跳梁した事実をまったく教えず、日韓併合がなければ、李朝は立派な国家として独り立ちできたかのような書き方をしているところに表れています。これこそ、実態を知らない歴史観です。

  日韓併合のことに少し触れれば、併合を通じて全国民に教育が徹底され、近代的医療制度が確立し、農漁業と重工業が興り、社会のインフラ整備によって工業国家としての基礎が築かれたことは、明白な事実です。

  終戦後、独立した韓国・朝鮮の教育は、日韓併合を日本帝国主義の侵略政策の産物であったと糾弾しますが、それがいかに歴史の実態を無視した身勝手なことであり、自己中心的な解釈であるかはいうまでもありません。

  教科書では、例えば次の記述があります。

 「日帝の狙いは、韓国を日本の経済発展に必要な商品市場と原料供給地にし、彼らの国家利益を増大させるものであった。日帝の産業侵奪政策で我が民族の経済活動は大幅に萎縮し、民族産業もその発展が抑えられて、沈滞するほかなかった」

  これには、あまりにも歴史の誤魔化しがあり、私などはコメントする気にもなりません。李朝500年を知らないか、故意に隠蔽しようとしているとしかいいようがありません。民族産業の芽を切り捨てたのは、ほかでもない李朝であり、李朝の下では経済発展など夢のまた夢でした。なぜなら近代化を唱える者や先進的な思想家は、反逆分子として、その親族までも処断されたのです。そういう史実を、忘れたとでもいうのでしょうか。

  本当に日韓併合が悪かったというなら、それが事実かどうかを検証してみようというのが私の立場です。大勢の人が虐待されたとか、従軍慰安婦にされたとかいいますが、私にはとてもそうは言えません。それは歴史の真実を知っているからです。それを今回、本に書いたということです。もし私が間違っていたら言えばいいです。

搾取されたのは日本

・・・そうした状況にある李朝を隣国において、1868年日本は明治を迎えます。当時の世界は強いものが弱いものを食う時代です。日本にとって清もロシアも大国です。その力が、清の属国になっていた李氏朝鮮、すなわち朝鮮半島から日本にやってくるという危機感が日本にありました。だからそれを防ぐために日本は、朝鮮としっかりと手を結ぶ必要があったのです。

  そこで1876(明治九)年二月、李朝と「日朝修好条規」を結びます。李朝成立後、484年が過ぎたときのことです。それは李氏朝鮮に、独立国家であってほしいという願いがありました。それが第一条にある「朝鮮国は自主の国」という言葉に表れています。これはきわめて重要な意義を持っています。

 ・・・1897年、李朝は国号を「大韓帝国」とあらため、年号を「光武」とし、王を皇帝と称し、表面的には510余年ぶりに明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したのですが、清の保護下にある李朝の専横は変わるところがありませんでした。それは近代化と自主独立の道を拒否しつづけることであり、列強が蠢くなか李朝の存在は、東アジアの情勢に不穏な種を宿していたことになるのです。

 1904(明治37)年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状を見かねて、目賀田種太郎(1853~1926年)を財政顧問として派遣し、日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として立て直すという態勢がようやく緒につくことになります。

  目賀田財政顧問と総監府は、朝鮮の歳入不足分を補填するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助しました。

  例えば1907年度、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上ありましたから、その差額は全額日本が負担しています。1908年には、これがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出しています。

  総監府時代の四年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にものぼっています。そればかりではなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達しています。

  現在の朝鮮・韓国の歴史では、このような日本の特恵的支援には一言の言及もありません。そして侵略だけを強調していますが、これがいかに偏狭な歴史観であるかということが分かると思います。それら詳しい数字については本に書きましたが、日韓併合によって、搾取されたのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきでしょう。 4につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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