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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観小国日本適者生存の術は共栄圏神道敬天愛人と孫文が一致大アジア主義


小国日本

 NHKシリーズ、証言記録「兵士・市民たちの戦争」は、真実の積み重ねの歴史学を、「悲惨だ話」一辺倒(楽しい戦争など皆無なので、当然の話)の、善悪話にすり替えた戦後の学習を、さらにつまみ食いした兵士・市民の証言で、真実(兵糧攻め打破のための応戦)は隠蔽し、極悪侵略日本軍にだまされ、「悲惨にされた無辜の兵士や国民」と捏造、真の敵、英米蘭(宗主国)ソ(凶産)は隠蔽した。8月12日「犬の消えた日(副題が、日本軍は一般家庭の飼い犬を徴集した)」である、本土決戦となれば飼い犬も消えていた。一丸の応戦を茶化した日テレも、同類!凶産捏造の旗、「上悪下善」へ誘導する、凶産NHKの、洗脳放送である。凶産はカルト教、NHKはカルト放送局である。

 「原爆投下・活かされなかった極秘情報」8月6日「語り伊藤敏恵ディレクター松木秀文・夜久恭裕制作統括井上恭介・春原雄策」は、制空圏があったかのごとく「たら・れば」で証言者に語らせ、原爆投下責任は極悪日本軍にあるかのごとくに、放送したが、制空圏を失ったので、空爆原爆され放題の嬲り殺しとなったのだ。空爆原爆なぶり殺しの米国を隠蔽し、降伏会議で息絶え絶えの護国軍を「原爆投下放置極悪軍」となじった。ユダヤ人虐殺のナチスドイツヒトラーを隠蔽し、逃げ方が悪かったから虐殺されたと、ユダヤ人を責めているようなものだ。敵味方転倒の獅子身中の虫、亡国奴を養っている(NHKに受信料支払い、東大、京大教授らに給料支払い)国が、日本だ!米国大統領が歴史を教訓に無条件降伏にこだわった結果、ポツダム宣言と同時に、原爆投下ゴーサインも出していたので、『もっと早く降伏していたら原爆投下は無かった』というトルーマンの捏造詭弁も、NHKの捏造洗脳、崩れる。加藤陽子著「それでも日本人は『戦争』を選んだ」p74。

 国盗り合戦の戦国の世に、「日本は侵略国家ではない」等の侵略(悪)被侵略(善)論や、「先手が悪で後手は善」の善悪論や、「絶対に勝てないのに開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任」の軍人悪論や、「何の責任も無い一般国民」の国民善人論等の平和時の尺度論は、徒労で無意味。資源無き小国日本の後手、本土決戦は必滅、先に攻めなければ攻められた。応戦(先手)せずでは、日本消滅だった。先手は小国生き残りの唯一の手段で、日本軍は小国軍である。

 資源無き小国日本、戦国の世の適者生存の術は、「大東亜共栄圏樹立」以外皆無なので、開国以来の志士の理念で、自明の理なのだが、石原都知事石破茂等WGIPが根深いので、あらすじから。詳細は頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏大アジア主義に殉じた人々犯日隠蔽の歴史

 

黄禍論白人連合対大東亜共栄圏有色人連合が大東亜戦争の真実

1840年アヘン戦争。英国のアヘン密貿易を阻止し、銀の流失を防ごうとした清国と、英国の侵略戦争。

1842年8月敗れた清国は英国と屈辱的な南京条約を締結。これが中国食民治化の始まりとなった。この事件に驚いた日本徳川幕府は、異国船打ち払令を、天保の薪水供与令に改めた。

1853年7米国ペリー、軍艦4隻で日本に来航、国書提出し開国を迫った。1854年再来航し日米和親条約締結。

戦国と護国と屈辱(不平等条約)が大アジア主義の母

1858年日米修好通商条約。領事裁判権を与え、関税自主権がなく、居留地を設ける、最恵国条款を認めることなどを内容とした、不平等条約。同年英仏蘭露とも同様の条約を結ぶ。安政五カ国条約。これらの屈辱条約打破の方策と、戦国の世の護国方策が模索された。

露西亜侵略更に南下・中国食民治化加速

1860年アロー戦争(第二次アヘン戦争) 英仏連合軍北京入城、北京条約(英仏露)締結。イギリスへの九竜割譲、天津開港等の条約。露西亜は英仏仲介の代償として、ウスリー川以東の共同管理地沿海州を領土とした。王朝末期に弱体化した清朝は露西亜の進出を抑えきれず、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約2つの不平等条約によって、満州地域の黒竜江以北及びウスリー川以東のいわゆる外満州地域(現在のウラジオストクを含む)は、露西亜に征服されることとなった。露西亜はウラジオストク(ロシア語の意味“東方を征服せよ”)を建設、極東侵略の拠点とした。

露西亜対馬を占領九九年戦争の始まり

1861年2月3日~7月25日まで6ヶ月間日本の対馬を占領した露西亜艦隊。当時露西亜の南下政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣して、ロシア軍を対馬から排除。

1863年薩英戦争(英対薩摩藩)

1864年馬関戦争(英米仏蘭対長州藩)

1867年大政奉還。明治維新。適者生存の時代対応のため、軍民一丸適者生存軍と化した。戦後復職の赤化教授らは、「征服目的」と捏造し非難するが、日本開国での軍国一丸化の目的は、戦国の世の護国で、それ以外の何ものでもない。国難に際し神道日本は一丸と化すが、露西亜や中国や朝鮮は待ってましたとばかりに分裂する。分裂民族偽ロシア、偽中国、贋半島、罪日の、執拗な難癖付けは、この汚点(分裂)隠蔽のためである。他の同胞はすべて、対処不能をいさぎよく認め、日本敗北後も継承し、新秩序全世界共栄圏(植民地独立付与宣言)を樹立した。片や未だに世界や日本の火薬庫(偽ロシア偽中国贋半島罪日)である。

1868年9月8日 明治時代

1891(明治24)年7月7日、横浜に入港の清国北洋艦隊10数隻。南下露西亜や欧米に蚕食されながらも、示威行動での来日は明白であった。

 「清国は東洋の覇権をめざして海軍を増強しつつあるし、露西亜は東方進出に乗出してきている。強兵なくして富国があり得ないどころではなく国家の独立もあり得ない。軍部としては何よりも先ず軍備の充実を現下の急務と考えていた」は、当時の国民の常識(年表を繰れば一目瞭然)であった。

 日清日露大東亜戦争は、戦力分析すればとてもやれる戦争などではない。何れも戦国の世の象(侵略)と蟻(護国)戦争で、護国目的を明白にしている。先手なのは、小国戦争の後手は必滅で、小国必勝の術は先手以外に皆無だからである。

 神道日本団結民族は、列強からの多額の借款は受けず、自力更生を旨とした。偽中国、贋半島、罪日とは真逆である。

1893(明治27)年3月1日「軍艦増製に関する詔勅を発し、明治天皇が金30万円を下賜。文武官は俸給の10分の1を製艦費として差し出し、貴族富豪からも製艦費の献納を願出る者が続出、財力において軍備においてはるかに優越した大国支那を敵として戦う準備はようやく整えられた」

1895(明治28)年日清戦争(朝鮮半島や満州は、島国日本の生命線である。その朝鮮支配をめぐる、日清間の戦争)。座せば確実に亡国なので打って出た。象と蟻戦争に勝利し、清国とその属国朝鮮との分断に成功。

1895年孫文最初の武力蜂起。19世紀末の清国は、600万人の満洲人が幹部を独占して、4億人の漢民族を支配する専制国家であり、200年の泰平に溺れて、政府は腐敗しきっていた。孫文は日本の明治維新をモデルに、漢民族による近代的独立国家を作ろうと、「滅満・興漢」を掲げて、広東で蜂起したが失敗、同年11月日本に亡命した。以後孫文は、革命家としての30年の内、のべ約10年を日本で過ごした。

大アジア主義が戦国と護国と屈辱(不平等)条約唯一の打開策

 大アジア主義は、有色人で最初に近代化を成し遂げた日本をまず中心に、アジア諸民族が団結して、欧米露の圧迫に対抗するという思想。1881年玄洋社を結成した頭山満(とうやまみつる1855~1944)が唱えた。頭山満は西郷隆盛を尊敬し、西郷の言葉「敬天愛人」が座右の銘。

 宮崎滔天も日中提携によるアジア独立を目指していた。滔天は、横浜に潜伏していた孫文を見つけ出し、語り合った。

 「支那四億万の蒼生(そうせい・人民)を救ひ、東亜黄種(アジア黄色人種)の屈辱を雪(そそ)ぎ、宇内(うだい・天下)の人道を恢復(回復)し擁護するの道、唯(ただ)我国の革命を成就するにあり」と述べる孫文の悲壮の語気に、滔天は、誠に是(これ)東亜の珍宝なり。余は実に此時をもって彼に(心を)許せりと、後に記している。

 孫文もまた初対面の滔天の印象を「他人の急を救わんとのこころざしやみがたき…現代の侠客」であると評した。

 この頃、頭山満も孫文と初めて会い後に語っている。「救国愛民の革命の志は熱烈なものであった。かれは天下の財を集めて、これを天下に散ずるすぐれた能力のある人物であった。自分は四百余州(中国の意味)を統治しうる英雄と信じた」

 頭山の「大アジア主義」が滔天の「革命的アジア主義」と結びつき、頭山、滔天、孫文、による「大アジア主義日中」が一致した。

1895年日本領となった台湾を宗主国政策ではなく、極東共栄圏政策で統治した。

1900年(明治33年)日本が上海に建てた東亜同文書院の教授山田良政は、孫文と広東省恵州で挙兵したが失敗、中国革命(大アジア主義)に一命を捧げた最初の日本人となった。 

1904年汪兆銘清の国費留学生として法政大学に留学した。

1904(明治37)年3月に発行された内債第1回1億円は申し込み数134万、応募額4億5千万と、募集額の4倍以上に達した。第二回1億円は同年6月に、第3回8千万円は11月に募集されたが、いずれも応募額は募集額の3倍以上に達した。国民がいかに戦争目的を理解し、協力したかが分かろう。これらの公債に応募したのは富豪階級ばかりでなく、中産階級以下の者も、その日の生活を節して応募する風であった。また金の不足を補うというので、婦人たちは競うて指輪かんざし等の装身具を提供し、応分の奉公に努めたのである。

1904~05(明治37~38)年日露戦争

 腐敗した清国満州は、露西亜の蚕食なすがまま、ついには不凍港旅順を租借し、何時でも日本侵略可能となった。日本は南下露西亜に対処のため、「門戸開放政策」の米国に協力を仰いだが、「内政不干渉」と拒否された。がしかし、米銀行家ユダヤ人ジエイコブ・シッフが外債500万ポンドを引き受けてくれた。ロシアの南下が自国の権益と衝突すると考えたイギリスは危機感を募らせ、「日英同盟」を結んだ。座すれば日本は消滅、象と蟻戦争に打って出た。清国は中立国と称し他人のごとく傍観した。勝利し、韓国を保護国化、関東州の租借権および長春・旅順間の鉄道を傍観者清国の同意を得て、露西亜、日本へ譲渡。満州権益合法獲得のいきさつである。満州は複合民族社会であり、当時の満州には「馬賊」「匪賊」と呼ばれる盗賊集団が暗躍していた。そのような満州で、日本人の安全を守るために、日本軍(関東軍)が駐留した。

 日露戦争勝利は、小国(白人)や植民地や有色人の虐げられし人類の星となると同時に、白人(大国、宗主国)の標的となった。

中国の孫文「どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロッパの圧迫からぬけだすことができず、永久にヨーロッパの奴隷にならなければならないと考えたのです。――ところが、日本人がロシア人に勝ったのです。ヨーロッパに対してアジア民族が勝利したのは最近数百年の間にこれがはじめてでした。この戦争の影響がすぐ全アジアに伝わりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いたのであります」

 日本はアジア・アフリカ諸国の「希望の星」になったと同時に、それまで欧米列強にはかなわないと諦めていたアジア・アフリカ諸国に、「独立」という希望を現実にした。そして、「日本の勝利」のリーダーである「明治天皇」は、虐げられし人々に強烈なインパクトを残し、次々と新たなリーダーを輩出させた。

「黄禍(こうか)論」の始まり

ドイツ皇帝ウィルヘルム二世「世界に人類の運命を決する大きな危機が近づいている。その第一回の戦争は、我ら白色人種のロシア人と有色人種、日本人との間で戦われ、白色人種は、不幸にして敗れ、日本人は白人を憎んでいる、白人が悪魔を憎むように憎んでいる。しかし我等にとって日本そのものが危険な訳ではない。統一されたアジアのリーダーに日本がなることが危険なのである日本による中国の統一、それが世界に脅威を与える最も不吉なことである」

イタリア ムッソリーニ「日本に加え、眠れる獅子と称されたアジアの大国中国が、日本化されて協力したらどうなるか。日本が眠れる隣人を目覚めさせ、手を携えたとき、だれがこの2国が世界のヘゲモニー(主導権)を取らないと言い切れるか」 

1905年7月日露戦争における日本の勝利は、アジアの人民に独立への大きな希望を与えた。清国から、2~3万人の留学生が日本に来た。孫文は滔天らの支援を受け、「中国革命同盟会」を結成し、約3千の会員を集めた。中国同盟会総理となり「三民主義」を発表した。同会機関誌「民報」の発行名義所は、宮崎滔天の自宅になっている。

 汪兆銘(1883~1944)は22歳で書記長に抜擢される。同盟会の機関紙『民報』紙の編集長を務め、健筆をふるった。24歳の時に発表した「革命之決心」の一節。「革命の決心は、だれもが持っている惻陰(そくいん・あわれみ)の情、言うならば困っている人を見捨てておけない心情から始まるものだ。たとえば子供が井戸に落ちていると聞けば、だれもが思わずその子を救いたくなるだろう」

1907(明治40)年4月から4年間、蒋介石(1887~1975)は、松井岩根の支援で日本の陸軍士官学校に留学した。蒋介石の滞在中、松井は親身になって蒋の相談相手となった。

1910年4月27日汪兆銘清朝摂政の暗殺を計画して失敗、死刑を宣告されるが、無期懲役に減刑。ペナン島の華僑の娘陳璧君と獄中恋愛のすえ、後に結婚する。

1910年朝鮮併合。極東共栄圏政策で統治し、富国に励んだ。

1911(明治44)年辛亥革命。武昌での革命軍蜂起が成功すると、これに呼応して、全18省のうち、15省で革命が成功した。汪兆銘釈放され、袁世凱と孫文の提携を策している。武昌での蜂起に加わっていた日本人志士約20名のうち、数名が死傷した。日本人志士はさらに陸続と集まって、辛亥革命に参加した。北一輝はこの時、参謀役として働いている。山田良政の弟純三郎と滔天は、香港にいた孫文を出迎えにいった。蒋介石辛亥革命に参加。後に孫文に認められ、国民党内右派の代表として頭角をあらわす。

1912年1月1日臨時政府成立(臨時大総統:孫文)。滔天らに迎えられて、南京に入った孫文は、大総統として、この日を民国元年とし、列国に向かって、中華民国の成立を宣言した。犬養毅、頭山満の両巨頭をはじめ、滔天その他の多くの志士たちも総統就任式に参加し、感激を分かち合った。

 その年の12月に桂太郎による第3次内閣が組閣された。滔天は政界の陰の実力者秋山定輔を通じて、桂首相に孫文との協力を説いた。12月孫文は国賓として来日し、桂首相と語り合う。その結果、新支那の建設は孫文にまかせる。日本は孫文の新政権を支援し、日支協力して、満洲を共同開発する。日支協力してダーダネルス海峡以東のアジア民族の自立達成(解放)に助力するなどの密約を交わした。日本と中国が相協力して、アジア独立のために立ち上がるという孫文や滔天の大アジア主義が、両国の正式な政策として採用されたかに見えた。しかし、桂太郎はまもなく急死し、孫文も袁世凱にその地位を奪われて、失脚した。こうして日支提携密約は実現しなかった。

1912(大正元年)年清朝滅亡

1913年宋教仁は孫文と共に国民党を組織し、選挙に臨んだ。宋の国民党が圧倒的第一党となり、実権を握る宋が最大実力者となった。

1913年3月20日 敗北の袁世凱らは上海停車場で宋を暗殺した。宋は流れる血潮を押さえながら「南北統一は余の素志なり。小故を以って相争い国家を誤る勿れ」と遺言した。革命党は支柱を喪失した。

1913年春南京袁世凱に大総統の座を譲った孫文は、前大総統として来日し各地で熱烈な大歓迎を受け、福岡の玄洋社や熊本の宮崎滔天の生家にも立ち寄った。

1913年8月5日広東の独立失敗の孫文、台湾へ亡命。

1914年袁世凱と争って破れた孫文は、またもや日本への亡命を余儀なくされた。日本政府は袁世凱支持に回っていたため、孫文の入国を認めない方針をとっていたが、頭山は犬養毅を通じて山本権兵衛総理に交渉し、亡命を認めさせた。孫文がかくまわれたのは霊南坂(現港区)にあった頭山邸の隣家。孫文は東京で、犬養、頭山、宮崎らの助力を得て、中華革命党結成

1914年第一次世界大戦勃発。日英同盟により参戦。ドイツの中国の拠点青島、山東半島占領。赤道以北の南洋諸島制圧。

1914年孫文、宋慶齢と結婚。挙式の場所は孫文が寄寓していた梅屋庄吉邸(新宿区百人町2-23)であった。

1916年袁世凱失脚し病没した。以後群雄割拠し、中国は麻のごとく乱れた汪兆銘は「国民党史概論」において次のように論じている。「彼(袁世凱)の死するや、部下の将領は四分五裂して蜂起した。その混乱状態は、今日に至るまで全く収束されていない。…それ以来北方の反革命家は大軍閥となり、南方の変節せる革命党員は小軍閥となった…かくて14年、兵乱は絶えることなく、中華民国は太陽なき暗黒となった」

凶産得意の撒き餌を共産と見誤った癌に侵された孫文

1917 ソビエト社会主義共和国連邦誕生

1917年広東政府。孫文らの中華革命党が孫文を大元帥として、広東に樹立した。

1918ロシア共産党に改名

1918年11月11日  第一次世界大戦(WW1)終結。

1919年1~5月 パリ講和会議。人種平等への旗手 全米1200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを見守っている。1919年パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。しかし、日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領ウィルソン(民主党)の「全会一致でない」という詭弁によって退けられた。大東亜戦争は人種平等を勝ち取る戦いでもあった。

1919年5月4日五・四運動。日本が戦って得た山東利権を承認した、民国政府の態度を不満として起こり、日貨排斥運動に拡大し、講和条約の署名拒否を決定させた。戦わずの中国日貨排斥運動は、中華思想のごり押しである。

191928ベルサイユ講和会議。ドイツが中国から租借していた極東の拠点青島をWW1で日本占領。このドイツ租借地を日本が継承することになったのであるが、この会議で自らも対独参戦した戦勝国であるとして、直接返還の主張を行ったのが中国全権団である。この中国の主張は、実際に戦っていないものには権利なしとする列強の意見で、青島に代表されるドイツの山東権益は日本が継承することとなり、中国側は講和条約への署名を拒否することで抗議の意志を示した。青島は、3年後の1922年2月日中条約で返還している

1919 1次カラハン宣言で、ソ連凶産党が得意の撒き餌をばら撒いた。1919(大正8)年にソ連政府は中国政府に対し、それまで中国と結んだ一切の協約を廃棄し、東支鉄道及び、満州の鉱山、森林、金鉱など一切を中国へ返還(当時はソ連の支配下ではない)する協議にはいるという第1次カラハン宣言を発した。2につづく

No title
この辺、難しいです。予備知識なしには、よみきれません。
[ 2012/01/17 23:22 ] [ 編集 ]
No title
pegasus2011 さんへ
 大東亜戦争は、凶産主義ソ連と食民治主義の白人征服者http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E9%2580%25A3%25E5%2590%2588/" class="keyword">連合軍と、その傀儡有色人http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E6%25AF%259B%25E6%25B2%25A2%25E6%259D%25B1/" class="keyword">毛沢東軍とhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E8%2592%258B%25E4%25BB%258B%25E7%259F%25B3/" class="keyword">蒋介石軍対、有色人被征服者(日本、http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E5%258F%25B0%25E6%25B9%25BE/" class="keyword">台湾、南洋諸島、朝鮮、満州、汪兆銘南京政府、大東亜諸国)http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E9%2580%25A3%25E5%2590%2588/" class="keyword">連合軍との戦いで、1960年の植民地独立付与宣言までは戦国時代でした。
 予備知識として目次「亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次 http://sinzitusikan.http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25EF%25BD%2589%25EF%25BD%259A%25EF%25BD%2581/" class="keyword">iza.ne.jp/blog/entry/842858/」の中で、特に必読は下記で、戦後に、完全隠蔽された歴史です。現在検証中の、東大大学院教授加藤陽子著「それでも日本人は『戦争』を選んだ」でも完全隠蔽し、無辜で白紙の清純な高校生を、狡猾に誘導洗脳している。

騙す極悪愚軍と、騙される愚民が、ご先祖か!
http://www.iza.ne.jp/izaword/word/WGIP/" class="keyword">WGIP大東亜戦争真実史観あらすじ一読30分覚醒凶産侮日愚民化洗脳
大東亜戦争人類への先人の遺書軍民一丸共生共死玉砕インパール作戦特攻隊集団自決
1大東亜戦争
大東亜戦解放争開戦迄の背景食民治主義「大航海」凶産主義「共産」の美名で侵略
1欧米とソ連の植民地争奪(大航海時代)は1492年のコロンブスの新大陸の発見から始まった
http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E7%25B1%25B3%25E5%259B%25BD/" class="keyword">米国侵略者弱肉強食の歴史日本とハワイの対米自由希求戦斯戦へりそしてアロハ・オエ
護国日本とアメリカの西進という名の侵略戦争対メキシコ対スペイン対日本
リメンバー・真珠湾ではなく真実はリメンバー・はるノートなのだ
ルーズベルトは宣戦布告を隠蔽し真珠湾を生贄に復讐戦争を捏造
きょうわ党とみんしゅ党あめりか二大政党の対日相違点

東大京大等教授先生作家朝日毎日NHK工作員が隠蔽する歴史は下記
1~3頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏大アジア主義に殉じた人々犯日隠蔽の歴史
大東亜戦争は大東亜団結戦争適者生存戦争侵略者食民治主義凶産主義追放目的

http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25AB%25E3%2583%25AB%25E3%2583%2588/" class="keyword">カルト教凶産党については下記
凶産主義(物事の基準は捏造)と民主主義(物事の基準は真実)
北京唯物賄賂オリンピックは水食料とう聴とう撮防御を完備して参加が条件
人類の敵凶産教しんぶん赤旗元日本兵が語るという大東亜戦争の真相
真実史観反論の矛盾にも気付かず反論し最後に自白ニセ日本人
[ 2012/01/18 09:04 ] [ 編集 ]
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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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