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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観天皇不訴追に尽力クエーカーフェラーズ一色ゆり河井道グルーとフーバー

3天皇訴追

東條英機宣誓供述書

 「ソ連邦にたいし、侵略をなせることはもちろん、これを意図したこともありません。・・・日本陸軍の対ソ作戦計画の本質は対ソ防衛であります。その計画の内容に攻撃の手段を含んでおりますが、これは国家が万一開戦を強いられた場合において採るべき戦闘手段を準備計画せるものであり、わが方より進んで戦争することを意味するものではありません。

 けだし、共産主義政策の東亜への浸透を防衛するにあらざれば、国内の治安は破壊せられ、東亜の安定を撹乱し、ひいて世界平和を脅威するに至るべきことをつとに恐れたからであります。これがため、区内政策としては1925年(大正14年)治安維持法を制定し(若槻内閣時代)1941年(昭和16年)更にこれを改定し、以って国体変更を戒め、私有財産の保護を目的として共産主義による破壊に備え、また対外政策としては、支那事変において、中国共産党の活動が、日支和平の成立を阻害する重要なる原因の一たるにかんがみ、共同防衛を事変解決の一条件とせることも、また東亜各独立国家間において「防共」を以って共通の重要政策の一としたることも、これはいずれも東亜各国共同して東亜を赤化の危険より救い、かつ自ら世界赤化の障壁たらんとしたのであります。これら障壁が世界平和のためいかに重要であったかは、第二次世界大戦終了後この障壁が崩壊せし二年後の今日の現状が雄弁にこれを物語っております」(注・中国満州北朝鮮南樺太千島列島を支配し、そして、この東條供述から3年後の1950年、朝鮮戦争が始まった。満州、朝鮮、台湾、南洋、汪兆銘南京、日本の、極東共栄圏が凶産の砦であった証拠である

ダグラス・マッカーサー証言1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会)

 「過去100年においてアメリカが犯した最大の外交的過ちは、シナ大陸において共産主義者の勢力がのさばるに任せてしまったことである。・・・」(注・共産主義に対してのルーズベルト等の無知を、非難している。日本の対中戦争は中国征服ではなく、反共戦争と、マッカーサーは体験し、明確に認識した)

 資源無き小国日本の真の独立(兵糧攻め防御)は、桎梏するブロック経済を破壊しての自由貿易平等の確立と、南下する世界征服が目的の凶産ソ連防御である。単独では限界ありなので、連合での防御極東共栄圏を腐心し、樹立した。しかし、頼みの中国、再三再四の攻略せずの呼びかけを逆手に取り、逆に付け上がり、長期戦となってしまった。

 一国単独独立では、タイや日本と同じ状態(ブロック経済に桎梏され、結局は隷属となる)になるので、真の独立は極東共栄圏を拡大した「大東亜共栄圏」樹立が条件。このカードは、各国が一致一斉独立し、互恵連合しなければ、成立しない。日本極東共栄圏交戦意志と、食民治の一斉一致の独立意志が合致しなければ成立不可能な、切るタイミングが非常に難しいカードである。

 あからさまな降伏要求「黄禍論白人連合」のハルノート。降伏は日本必滅。事ここに至っては日本必勝の秘めた切り札極東共栄圏を拡大「大東亜共栄圏」を掲げ、応戦以外に道無しとなった。この切り札は、宗主国対食民治の大戦争となるカードなので、弱小国日本、「肉を切らせて骨を切る」覚悟が無い限り、軽々しく切れないカードなのだ。応戦は、換言すれば、開国以来桎梏し続けた黄禍論白人連合経済ブロックから、一気に脱出のチャンスでもあった。近衛は深慮なく切って、「黄禍(日中)連合」を恐れる「黄禍論白人連合」の炎に油を注いだが、東條英機は、前述のタイとのように、「仏印更に蘭印友好的経済的提携に務る中で、死中の活と判断、日本の真の独立への唯一のカードを、「包囲陣脱出」を懸け、「切るはまさにこの時」と、切った。

1941年9月6日の御前会議で奉答永野修身(1880~1947)軍令部総長

 「・・・尚一言附け加へたいと思ひますが。平和的に現在の難局を打開し、以て帝国の発展安固を得る途は、飽く迄努力して之を求めなければなりませぬ。決して、避け得る戦を是非戦はなければならぬと云う次第では御座いませぬ。同時に又、大阪冬の陣の如き平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬ様な不利なる情勢の下に、再び戦はなければならぬ事態に、立至らしめることは、皇国百年の大計の為、執るべきに非ずと存ぜられる次第で御座います

 本日申述べましたる中、作戦に関しますることは、戦争避くべからざる場合に対する所見に付、之を開陳したる次第であります」「太平洋戦争への道」別巻資料編512P

東條英機宣誓供述書

 「日本は止むを得ず、自存自衛のため、武力を以って包囲陣を脱出するに至りました。右武力行使の動機は申すまでもなく日本の自存自衛にありました。一旦戦争が開始せられた以後においては日本は従来採り来った大東亜政策の実現すなわち東亜に共栄の新秩序を建設することに努めました。――歴代内閣が大東亜政策を提唱いたしましたことはこの憂慮より発したのであって、東條内閣はこれを承継(しょうけい・継承)して戦争の発生とともにこれを以って、戦争目的の一としたのであります」。・・・

 

 反共の砦日本が撤退するや否やソ連は、中国と韓半島を瞬時に支配した。アメリカと国連軍が総がかりでなんとか韓半島半分まで押し戻したが、66年後の現在も、停戦のままで終戦には至らず。これが史実。この史実が物語るのは、日本累積砦がいかに強大な反共の砦で、共和党フーバー大統領の見識がいかに正当で、NHKや東大らの御題目「不戦は平和」がいかに空論で、応戦は先憂後楽との、証明である。つまり、不戦=撤退すれば、見捨てた同胞支援は当然皆無の孤立無援、対「兵糧攻めカード所持者黄禍論白人連合」に、丸裸の日本などは潰えて、分断され、消滅していた!

 よしんば「止めたとしても」アメリカのみが敵ではない、水と油の「黄禍論白人連合」なのだ。世界征服が野望のソ連南下は必然。弱体日本と見るやいなや、終戦なのに北方領土を征服したではないか、火事場に乗じ、癌国すらも竹島を、火事場泥棒したではないか、あれが現実である。水と油の「黄禍論白人連合」ではあるが、米英が、日本に助力したかどうかは、はなはだ疑問である。見捨てた同胞アジアの支援は、当然無い。外堀埋めて(生命線の満州韓半島そして汪兆銘名南京無くして)大国凶産ソ連中国と、どう戦うのだ。日本国内が戦場となり、唯物対唯心日本の戦いである、まさに一億玉砕の壮絶な戦いとなっていたであろう。日本は消滅し、日本人は、死に絶えていたかも知れないのだ。終戦後、共産は凶産に気付いたアメリカは、凶産の砦日本(フーバー大統領の発言)を瞬時に理解し、大東亜食民治独立戦争も助力となり、統治は緩和され、分断もされず、独立も、領土返還も速まった。

 

 永野修身の御前会議の言葉、「大阪冬の陣の如き平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬ様な不利なる情勢の下に、再び戦はなければならぬ事態に、立至らしめることは、皇国百年の大計の為、執るべきに非ずと存ぜられる次第で御座います」は、この事を語っているのだ!

 

 戦後のお馬鹿作家やマスコミは、両極つまみ食い極端論「開戦派・和平派」と色分けするが、当時の兵力や輸入依存度をみれば、皆「和平派」。「和平」に八方尽力の果て、逆に、米国の揺ぎ無い本心は、「最後に残った唯一の有色人の星、日本を潰しての、白人完全支配の食民治化」であることを思い知った。結果、「座しても死、戦っても死」なら、「戦っての死」と、皆「開戦」に同意したのだ。米国の本心看破以前は、皆「和平派」で、本心喝破後は、皆「開戦派」で団結が、真実である!

 

 その時代の先人が、禍福を糾い、熟慮と苦渋の果てに下した先憂後楽の決断を、「たら、れば」の空論で非難は、子孫にあるまじき愚行である!

 一度弱みを見せればつけ込むのが戦国の常識(竹島北方領土が実例)。再度の資源封鎖で万事休すは明白で、戦わずの降伏は、同胞に対しての開国以来の信義がすべて水泡と化すため、同胞蜂起に一縷の望みを懸け、決起した。

 人類の最後の砦日本がつぶれれば、有色人の東亜は思いのままに蹂躙される。かくして自由貿易民族平等の平和、真の独立へ向け、決然と起った。戦争に勝っても負けても、ブロック経済破壊無き(東亜からの宗主国の排除)は、子孫への禍根で日本の敗北。最後の最後まで辛抱した末の応戦で、唯一の一縷の術が大東亜共栄圏だった


「十二月八日の記」高村光太郎(開戦時58歳1883~1956)

 「聴きいくうちにおのずから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡がくもって来た。私はそのままでいた。奉読が終わると、みな目がさめたようにして急に歩きはじめた。私も緊張して控え室にもどり、もとの椅子に座して、ゆっくり、しかし強くこの宣戦布告のみことのりを頭の中で繰りかえした。頭の中がすきとおるような気がした。

 世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られ昨日は遠い昔のようである現在そのものは高められた確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった

 この刻々の時間こそ、後の世から見れば歴史の急曲線を描いている時間だなと思った。・・・またアナウンスの声が聞こえる。急いで議場に行ってみると、ハワイ真珠湾襲撃の戦果が奉じられていた。戦艦二隻轟沈というような思いもかけぬ捷報(しょうほう・勝利の知らせ)が、少し息をはづませたアナウンサーの声によって響き渡ると、思わずなみ居る人達から拍手が起る。私は不覚にも落涙した」

「十二月八日の記」を引用して語る林房雄(開戦時38歳1903~1975)の思い

 「明治と大正を生きてきた日本人の感慨であり、涙である。高村氏は西洋の文明と文化の価値を知っている詩人である。にもかかわらず、政治的軍事的には、西洋が日本の圧迫者であることを、すべての明治人・大正人とともに知っていた――果たしてこれは大正に生れて昭和に育った世代には、わからない心情なのであろうか?」

 NHKや東大京大等の戦国隠蔽「戦かわざれば平和」は、全くの空論で、選択不可。「応戦」には望みがあったが、「戦かわず」は必滅が、戦国時代の常識。日清日露大東亜と、いずれも象と蟻の戦争で、応戦理由もまったく同じである。

日本の言行一致「大東亜共栄圏樹立」が戦争目的

1943年7月タイへ旧領地返還。東条首相はバンコックを訪れ、イギリスやフランスにもぎ取られた旧領地をタイに戻した。タイ国民は躍り上がって喜んだ。

1943年8月1日 ビルマ独立。

1943年10月14日 フィリッピン独立。

1943年10月30日 日中不平等条約を撤廃し、対等の関係にした。

1943年11月5日~6日虐げられし国々の団結と戦い・東京開催大東亜会議と大東亜共同宣言

大東亜会議

 戦後復職赤化教授岩波書店は、「日本傀儡の指導者を集めた茶番劇」と捏造し、日本救国同胞を貶め、隠蔽している。岩波新書「昭和史(新版)」にはまったく記載が無い。岩波書店捏造赤化出版社、即刻不買破壊が道である。

 日本(台湾・朝鮮・南洋)(東條英機首相)、満州(国務総理帳恵景)、中華民国行政院長汪兆銘)の極東共栄圏と、タイ(総理大臣ピブンの代理,ワンワイタヤコーン殿下)、自由インド仮政府(チャンドラー・ボース主席)、フィリピン(ラウレル大統領)、ビルマ(バモー大統領)が出席。共存共栄・自主独立を尊重・伝統を尊重・互恵提携・人種差別を撤廃・資源を開放(貿易の自由化)などを定めた「大東亜共同宣言」を採択した。食民治・凶産経済ブロック以外の、桎梏無き第三経済圏AU(Asia Union)(アジア連合)を目指したのだ。

 まだ独立していないので正式参加ではなかったが、インドネシアからスカルノ(独立後の初代大統領)とハッタ(独立後の初代福大統領)も来日し、皇居に招かれ、天皇と対面した。

 タイ国代理は、戦国の世の処世術で、日本も承知済み。タイのピブン首相は1957年軍事クーデターで失脚、日本に亡命し神奈川県で亡くなっている。

 南京政府代表汪兆銘の演説「日支両国は兄弟と同様であり、日本はかって不平等条約の束縛を受けたるため発奮興起し、初めてその束縛を打破し東方の先進国ならびに世界の強国となった。中国は、現在同様に不平等条約破棄を獲得せんとしつつあるものであり、日本の十分なる援助を切望するものである。中国の解放はすなわち東亜の解放である」

大東亜共同宣言(東條英機は手帳「修養録」に自記し、常に軍服の上衣のポケットに入れて、肌身離さず持ち歩いていた)

 「抑(そもそ)も世界各国が各(おのおの)其の所を得相倚(あいよ)り相扶(あひたす)けて万邦「ばんぽう(万国)」共栄の楽を偕(とも)にするは世界平和確立の根本要義なり。

 然(しか)るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞(たくま)しうし遂には大東亜の安定を根底より覆(くつがへ)さんとせり。

大東亜戦争の原因茲(ここ)に存す。

 大東亜各国は提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏(しっこく・手かせ足かせ)より解放して其の自存自衛を全(まっと)うし左の綱領に基づき大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す」。

一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確立し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す

一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す

一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚「こうよう(高める)」す

一、大東亜各国は互恵「ごけい(相互に図りあうこと)」の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す 

一、大東亜各国は万邦との交誼「こうぎ(親しい交わりを)」篤(あつ)うし人種差別を撤廃し普(あまね)く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運「しんうん(進歩)」に貢献す」

 これが、平等平和互恵自由貿易連合大東亜共栄圏のいきさつである。

 欧米列強と露西亜(後のソ連)の侵略や、ブロック経済の戦国時代に、日本単独対処不可能は、誰の目にも明らか。対抗手段としての共栄圏発想は、国内的には露西亜の対馬占領1861年が起因で、対外的には中国孫文と日本の日中連合構想が最初。汪兆銘が引き継いだが、蒋介石毛沢東が欧米ソの傀儡となり、中国が3分裂したため、日本は近衛声明(東亜新秩序)から2年後、応戦前の1940年、極東共栄圏を大東亜に拡大して提唱、唯一の独立国タイ国等大東亜に呼びかけ、大東亜会議で大東亜の意志統一を再確認し、世界に宣言した。

そして実行した

1944年3月~7月インパール作戦(大東亜共同宣言を実行した日本の、インド独立支援戦争)

 この作戦は色々批判もあるが、日本の本意を世界に示した戦いであった。この作戦が無ければインドの独立もなかったし、アジアの独立も無かった。先人が流した赤心の血適者生存の心(大東亜団結戦争、大東亜の適者生存、ひいては日本のために戦った)が、インドの独立アジアの独立をうながしたのだ。さらにこの流した赤心の血(適者生存の心)は現代の世界の史家や、かっての敵将の覚醒をもうながし宗主国撤退の起因となった。皆、この作戦より、日本の本意にたどり着いている。

 ネルーもガンジーもラダ・ビノード・パールも、インパール作戦以後翻意している。NHKや朝日などの工作員は、インパール作戦以前のこの方々の反日証言を、針小棒大に報道している。なぜ翻意したか、インド独立のため、ひいては日本のための比類なき適者生存護国の戦いざまを、目の当たりにしたからである。

  昭和19(1944)年3月、日本陸軍(牟田口廉也第十五軍司令官)とインド国民軍合わせて十万の将兵が、アラカン山脈を越えて進撃を開始し、一時はコヒマを占領しインパールの周辺まで突入したが、弾薬、食糧の補給が途絶し、飢餓と悪疫が重なって撤退を余儀なくされた。

 インパールの山野は「白骨街道」と化し、日本軍の死者は三万、戦病者は七万。インド国民軍は数千人の犠牲者を出した。

元クルガ兵(ネパール人)の証言

 我々は世界最強の傭兵だ。第二次大戦で英軍の傭兵の時、マレー軍を3時間で撃破した。インド軍は1日で降参させた。だが、日本の正規軍との戦いは過酷で一週間不眠不休で戦わされ、我々も半数以上が戦死した。これだけの死闘は初めてで、勇敢な敵軍を尊敬したのはこの時だけだった。玉砕した日本軍の所に行ってさらに驚いた、日本軍は貧弱な武器なうえ食料も、わずかな米しかなく、日本軍の死体はみんなやせ細っていた。戦友が死んだ時には泣かなかったが、敵である死んだ日本人を見て皆泣いた。

英軍東南アジア総司令部司令官マウントバッテン大将

 かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服や靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力だけだった。指揮の崩壊と飢餓に追いつめられたとき、前途に横たわるものは生き地獄だった。日本軍はインパールにおいて、また全ビルマにおいて敗れるべくして敗れた。兵理である。日本軍はインパールにおいて、ついに敗れた。しかし、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーがいみじくも喝破したとおりである。『すなわちもし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』

日本軍に関する報告書

1、日本軍はアアジア諸民族の眼前で、彼らがとてもかなわぬと思っていた欧米軍を、一挙に爆破した。

2、とても独立の意思も能力もないと思っていた植民地民族を、戦時中の短期間に組織し訓練し、強烈な愛国心をかきたて、軍事力も行政力も見違えるばかりに変貌させた。いわゆる「metamorphosis(魔術的変化)」を遂げさせた。このことは、当時の連合軍の誰も予想できないことであった。

3、日本軍は敗戦すると、連合軍との間に交わされた停戦協定に基づいて、武器は全部連合軍に引き渡すことになっていた。ところが、日本軍はインドネシア軍に『武器が奪われた』と称して巧妙に裏で武器を渡していた。それによって、これまで『猫』のようにおとなしかったインドネシア人が『虎』に変身し、ついに独立を達成したのである。回想記「ビルマ戦線の大逆襲」ルイス・マウントバッテン。

マウントバッテン司令官ネパール国王の戴冠式パーティの席での皇太子殿下(現天皇)への言葉

 インド独立のための工作をした藤原岩市中佐が、インパールへの遺骨収集実現のためインド側と交渉し、昭和50年(1975年)に無事それを実現させ、現地の人々の予想外の協力を得て帰国した。その模様を東宮御所に参上し、皇太子殿下(後の今上天皇陛下)に報告されたときに皇太子殿下が、マウントバッテン元帥の言葉を仰せになられた。

 「藤原さんの報告を伺って、事の次第が分明いたしました。先月、ネパールの戴冠式に参列した節、パーティの席で、英国首席随員・マウントバッテン元帥が私を捉えて、いとも懇ろに『過ぐる戦争中、私が東亜連合軍総司令官として、印緬戦域で対戦した日本軍将兵は、その忠誠、勇敢、規律厳正さにおいて、古今東西無類の精強でした。あのような素晴らしい将兵は、今後いずれの国にも生まれることはないでしょう』と激賞してくれた」(藤原岩市「進めデリーへ」の反響に想う)

 かつての敵将も、インド独立のため、ひいては日本のために流した日本赤心の血に、日本の本意を見たのだ。そしてイギリスは大乱にせず、宗主国から撤退し、他の宗主国も習った。英断である。

アーノルド・トインビー(英国歴史学者)

 「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の汎神でないことを明らかにしたことである。」(1956年10月28日、英紙「オブザーバー」)

ロンドン大学教授のエリック、ホプスバウ

 日本では殆ど知られていないが、インド独立のきっかけも大東亜戦争にあった。英国の著名な歴史家でありロンドン大学教授のエリック、ホプスバウは、二十世紀を回顧した近著「過激な世紀」の中で、「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派による非暴力の独立運動によってではなく日本軍とチャンドラ、ボース率いるインド国民軍(I N A )が協同してビルマ(現ミャンマー)経由インドへ進攻したインパール作戦によってもたらされた」と述べている。4につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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