QLOOKアクセス解析

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
2017 04123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 06

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

真実史観日本統治前の朝鮮は染料・針・羊・車・樽・桶無し「チャングム」の嘘

2日本統治前の朝鮮は染料無し「チャングム」の嘘 

【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 増殖する韓国の「自尊史観」 2008年12月17日産経新聞抜粋
「チャングム」のまやかし
 まず朝鮮の李朝では、女子が宮中に出仕すると王様と疑似婚姻関係に入るので一生外に出られない。チャングム女史のように出たり入ったりはできない。

 ドラマでは李朝時代は色彩にあふれているが、ほんとうは顔料がないので民間に色はない。中国の清朝でも日本の江戸時代でも陶磁器に赤絵があるが、朝鮮には白磁しかないのはそのためで、民衆の衣服が白なのも顔料が自給できないからである。民芸研究家による「朝鮮の白は悲哀の色」というのも、今では真っ赤なウソである。上流階級だけは中国で交易する御用商人から色のある布を買っていた。

 19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国の拙(つたな)きところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東愈『晝永編』)といっている。

 針は粗雑なものがあったが、ちゃんと縫うには中国から針を買わねばならなかった。当時の中国針は優秀で、日本も輸入している。羊はモンゴルに征服された高麗にはいたが、いつの間にか滅びた。車は西洋文化が流入するまではない。木を曲げる技術がなかったからである。だから李朝には樽(たる)もない。液体を遠方に運ぶことすらできなかった。かつて日本が保護したとき、韓国はそのような国であった。抜粋完

李朝=インカ帝国説( 高崎経済大学教授 八木秀次) 正論2009年7月号抜粋
 朝鮮研究の第一人者である筑波大学教授の古田博司氏が毎日新聞から発行される『アジア時報』五月号に掲載されたアジア研究委員会での研究報告の内容をめぐって、韓国大使館から激しい抗議を受けているという。すでに韓国情報部の人間も接触してきたといい、身辺の危険も感じているらしい。

 古田氏は日韓歴史共同委員会の教科書班の日本側の班長でもあり、問題の報告は韓国の歴史教科書60冊の内容を客観的に分析したもので、どこが問題なのか私には理解できない。教科書記述の分析についてのクレームは表向きで、おそらく韓国側の神経に障ったのは古田氏の李朝に関する発言にあるのではないか。一般にはあまり目に触れる雑誌ではないので、ここで古田氏の発言を再掲しておこう

 「――つまり、李朝というのは並みの中世ではないのです。例えば車がない。輪っかがないんです。なぜかというと、曲げ物をつくる技術がない。木を曲げることができないから樽もないわけですよ。

 甕は重いでしょう。樽だと楽なんですが、それがないんですよ。だから升に入れて、車がないから、チゲといって全部背中に担ぐ。王朝の宮廷に地方でとれた蜂蜜を届けるんですけれども、そういう時は四角の升です。それを組み合わせて木釘で打ったものに蜂蜜を入れて、背中に担いで山越え谷越えするものですから、着いた時は半分ぐらいないという状況になる。

 もっとすごいのは、李朝には商店がないんですよ。御用商人の商店が一カ所に集まっている。でも戸が閉まっている。要するに、宮中の御用をするだけなんですね。

 一般の民衆はどうかというと、みんな市場で買い物をします。北朝鮮と同じなんです。開いている商店というと、筆屋とか真鍮の食器屋ぐらいですね。両班(ヤンバン)のうちで使うから筆屋と食器屋はある。

 帽子などは地面に広げて売っています。商店というものが全然ないんですね。これは儒教のせいではありません。初めからずっとないのです。北朝鮮も同じで商店がない。闇市しかないわけです」。

 刺激的な内容である。では朝鮮の誇る青磁・白磁はどうか。

 「李朝には顔料がないです。だから、赤絵の壷がないでしょう。薄ぼけた赤いのがあることはありますが、ほぼ全部真っ白。赤絵の壷がないというのが大きな特徴です。柳宗悦が「朝鮮の白は悲哀の色」といったのですが、それは本当は貧しさの悲哀のことです。(中略)顔料がないのです。コバルトをすこし発色できるだけでしょうか。だから衣も民衆は全部白です。(中略)上流はみんな色付きです。中国から取り寄せて上流階級では色の付いたものを着ている。また地方の農村でヤンバンが御用の染料屋に衣を染めさせるという記録はあります。でも下層は麻や木綿地の白ですよ。それを川辺で棒でたたいて洗濯をするものだから、ますます白くなる」。抜粋完

日本統治直前には、両班(貴族)の乗り物一輪車(人力四人で引く猫車)はあったが、李氏朝鮮時代(1392~1910年)には、519年間実用に耐える両輪(均等な二輪)を作る技術がなかった。

 日本の平安時代(794年~1183年)には、すでに貴族の乗り物の牛車(牛が引く両輪均等二輪車)があった。

終戦時の台湾人と朝鮮人の対応二話

唯心台湾と唯物?朝鮮

幻の台湾・朝鮮出身「特丙」予科練生 WILL2010.9.岡村青

 海軍飛行予科練習生(予科練)志願兵100人。台湾出身は「高志飛(50人病気等で45人)」。挑戦出身者は「鎮志飛(50人)」と称された。約10ヶ月間訓練されたが、終戦で終了。元教員橅木光一郎(89歳。茨城県小美玉市在住)らは、朝鮮出身者「鎮志飛」帰国のメドが先についたので、山口県下関市の仙崎港まで引率し、見送った。「帰りの汽車の中で見てください」と渡された、「鎮志飛」の手紙(66年間保存された)。

 「今まで色々と有難う御座いました。右金額は我々の寸志です、旅館代にでもしてください、我等は男です、一死を以って東亜解放の為に奮闘いたす覚悟であります。最後に分隊長教員の御健闘ならびにご健康をお祈り致します。我々の分隊長教員 士空に居りし鎮海所轄一同」

 これが最後の別れとなった。

 一方の台湾「高志飛」は、帰国線のメドが立たず足止めされたが、12月19日浦賀から帰国した。劉連輝が発起人となり、1997年2月「高志飛会」を結成、林栄貞が会長となった。「高志飛」は橅木ら元教員を招待し、台湾一週旅行を催すなど変わらぬ友好を深め合っている。

 「人生80年の中で、予科練生活はわずか10ヶ月足らずだった。けれどここで学び、鍛えられた予科練魂は、私の人生の、大きな支えになった。だから、私の心は今もなお日本人のままなんです」。「高志飛」発起人劉連輝の言葉。

新秩序世界共栄圏(植民地独立付与宣言)樹立魁元同胞の唯心台湾と唯物韓国『東日本大震災義捐金』3回目の寄贈ご案内2011年6月13日発表資料より・世界のセブンイレブンに設置してある募金箱の内訳

アメリカ・カナダ 約6,534万円(6.636店舗・1店舗9,846円)

ハワイ 約418万円(54店舗・1店舗77,407円)

マレーシア 約528万円(1.235店舗・1店舗4,275円)

フィリピン 約30万円(577店舗・1店舗520円)

香港 約1,188万円(949店舗・1店舗12,518円)

メキシコ 約387万円(1.240店舗・1店舗3,120円)

台湾 約3億368万円(4.753店舗・1店舗63,892円

タイ 約1,600万円(5.962店舗・1店舗2,684円)

シンガポール 約1,127万円(550店舗・1店舗20,491円)

インドネシア 約293万円(27店舗・1店舗108,519円

韓国 74万円(3.404店舗・1店舗217円

総額 約4億2.551万円

 この募金箱以外に台湾は200億円超えた。韓国は見せ金(スマトラ義捐金60→500→5000→結局値切って610万ドルに決定したが、05年5月9日時点で、支払額295万ドル、未払い315万ドル。日本は5億ドル完済。★被災者を愚弄するかん国の国際貢献の在り方)の前例有りなので、未定とする。いずれにせよ韓国は、下心有り有り見え見えの偽援金、理由付けして返金が正当

唯心台湾蔡焜燦・金美齢日本を語る熱い動画
1-3【台湾取材レポート】老台北・蔡焜燦氏に聞く 第1弾[桜 H21-5-6] - YouTube
1-2【台湾取材レポート】老台北・蔡焜燦氏に聞く 第2弾[桜 H21-5-11] - YouTube
金美齢女士 於 靖国神社 - YouTube
[1-2]金美齢女士 伝説の演説 【ノーカット】[H21_8_15] - YouTube


唯心(思考回路在り=人間)少年と唯物(無し
=餌のみに生き動物)罪日

「今村均回顧録」1993年芙蓉書房

不幸な少年

 ・・・私の世話をしてくれている後藤金哉給仕が、

 「玉川君が、今朝から泣いてばかりいて、なんと慰めても泣き止みません」

 「なんで泣いているのか」

 「父親が日本人でなくなったので、玉川も朝鮮に戻されてしまう、なぞというのです」

 玉川勝男少年は19歳、後藤少年同様、甲板員として、陸軍の輸送船に勤務中、敵の潜水艦に轟沈され、海面に浮遊していたのを、わが駆逐艦に救助され、近くのラバウルに上陸せしめられていた一人だ。

 ・・・その玉川少年が、終戦後の今日、泣き通しているという。

 「そうか、玉川のお父さんは朝鮮人だったのか。ここへ連れておいで」

 やがて、二人は私の室に見えた。玉川は依然涙を拭いており、これと実の兄弟のようにしている後藤もまた、いかにも困惑したような顔をしている。玉川はとぎれとぎれにではあるが、次の趣旨のことを語った。

 「わたしは三重県の神戸村で生まれ、村の小学校で卒業するまで、父が朝鮮で生まれたことなど、知らんでおりました。父の日本語や読み書きなどは、ちっとも家のものや村の人たちと、変わってはいません。小学校を卒業し、名古屋の旋盤工場に見習いに入りますとき、出しました履歴書につけた戸籍謄本で、はじめて知り、びっくりして、こっそりお母さんに聞いてみました。『勝男やお父さんは朝鮮で生まれたといっても、ちっちゃい時に、つれてこられ、日本の教育で人となり、お百姓のこともよく出来、玉川家の養子になってからも、村でのほめられ者。もう本当に日本人になっているのだよ』と申し、私も父は良い人だと信じていましたから、それっきり、父のことをきにかけたことなどありませんでした。

 それだのに、今朝聞こえました東京からのラジオ放送によりますと、“朝鮮人は、もう日本では外国人になってしまい、やがて、全部朝鮮に帰してしまうことに、連合軍が決めてしまった”と、申すのです。そんなことになったら、お父さんも私も、朝鮮語はちっともしゃべれず、朝鮮には一人もお友達はおらず、あっちに住む家があるのかどうかもわからず、第一、お母さんと別れてしまい、日本人でなくなってしまっては、私は生きてる気になれません」

 そこまで云い、また少年は泣き声をあげる。

 「わかった。そのことなら、泣く必要はない。お前は子供だから心配するのは無理がない。私はラジオを聞いていないから、どういったのかわからんが、日本の敗戦で、朝鮮は独立国になったことから、朝鮮の人は、独立国人として捕り扱い、降伏した日本人並みに、敵としては取り扱わないということを、進駐軍が発表したものだと思う。

 だから、今日本にいる朝鮮出身者は、食糧事情の悪くなった日本で苦しむよりは、朝鮮に帰ろうと思う者は、いつでも帰れるということを、知らせたものにちがいあるまい。

 君のお父さんのように、幼年時代に内地に移り、日本人と一緒に家庭を作っている幾万の人までを、何でもかでも、朝鮮に戻してしまうことなどは、いくら進駐軍でも、やれることではないし、そんなことをすれば、逆に朝鮮人を日本人以上に苦しめることになる。ぜったいそんなことはやらないだろう。

 君のお父さんはもうきっと手続きを取り、日本に帰化し、朝鮮から籍を抜いてあるのだろうと思う。かりに朝鮮の独立政府との関係でまだその手続きをとることができないでいるとしても、いずれ講和条約が決まり、日本が完全な独立国になれば、それこそ幾万の人が、帰化手続きをとるようになる。だから君が復員し、神戸村の家に帰ったら、すぐお父さんと相談し、帰化の手続きを進めるようにしたまえ。

 ともかく君の安心のために、私が、君の家のある村長さんと、村の在郷軍人分隊長さんに手紙を書く、君はそれを持って帰り、万万一にも、お父さんが戻されそうだというなら、その手紙を見せれば、きっと希望通りになるよう、力を貸してくれるとおもう・・・」

 そんなにいって聞かせたところ、そこは子供のこと、私の言ったことが、己の切願に触れたものと見え、急に明るい顔になり、眼を光らせ、

 「では今の家を、追い出されることはないのですか。今までのように、本当の日本人になっていることができるのですか」

 「それでは復員の時は、お手紙をいただきます」

 そういい、二人は安心したように私の室を出て行った。

 翌日からの二人は、もとのように、朗らかな笑顔を見せ、昭和21年の3月までは、ずっと私たちといっしょの暮らしをしていたが、第一次の復員船で、私の手紙二通を持ち、玉川少年は日本に帰った。

 (追記)前記の二少年と別れてから、私は、9年近い年月を、戦争犯罪者として獄中に過ごし、昭和29年末、刑期が終わり、自由の身となってから、私の郷里宮城県の古川市の消防署に勤務している後藤金哉君とは、再会することができた。もう30歳近くになっており、健康な農村女性と家庭を営み、大きな赤ん坊をもうけている一家三人を、目の当たりにし、よかったと安心をおぼえたものの。玉川勝男君どうしているかは、後藤君も知らないでいた。

 まもなく正月を迎えると、後藤少年と同じ汽船で、一緒に甲板員をつとめている時遭難し、やっぱり私の司令部で、副官部の給仕勤務にあてられていた中幸元君がひょっこり私の家に訪ねてきた。もう30歳になっており、東京のある生命保険会社に勤務していると云い、ラバウル時代のこと、復員後、甞めた辛苦の数々を語り合った末、彼は、

 「・・・そうですか、後藤君とお会いでしたか。健康で新家庭を営んでいることは結構です。ところで玉川君は、実に不幸を見てしまいました」

 「どんな不幸を見たのかね。朝鮮に行かなければならないようになったのか」

 「いいえ。名古屋の旋盤工場で働くようになり、よくやっていたのですが、その地方の朝鮮人結社から『われわれの中に加盟し、日本人と闘争しろ』とやかましく脅迫されましたが、いつも『いや、おれは本当の日本人だ』と反抗し続けましたので、彼らの憎しみを買い、とうとう、多くの者に、撲殺されてしまったそうです」

 暗然としてかように語った。

 私はなんともいえない憐憫の思いに、目頭を熱くし、終戦のあの時「・・・日本人でなくなってしまっては、生きている気になれません」と泣いた少年の面影が、まざまざとまぶたに浮かび、「玉川少年は、とうとう日本人として死んでいったのか」と、限りなくその冥福が祈られた。・・・

2014年の現代も続く玉川少年(思考回路有り=人間)と朝鮮人結社(思考回路無し=餌のみに生きる動物)
 2014.8.1 産経ニュースwest
“在日”ヘイトスピーチ受け「自分が悪いかも」 若者グループが相談窓口
 在日コリアンが抱える差別やアイデンティティーへの悩みに答えようと、同胞の若者でつくる非政府組織(NGO)「在日コリアン青年連合(KEY)」(事務局・大阪市)が相談窓口を開設した。メールで予約を受け付けてスタッフが面談する。費用はかからず、主に10~30代の利用を見込んでいるという。
 スタッフの李明哲さんは「ヘイトスピーチなどを受けて『自分が悪いかもしれない』と自己否定をしてしまう在日が増えており、歯止めをかけたい」と話す。窓口は大阪市のほか、東京都新宿区と神戸市の事務所に設ける。
 KEYは歴史、人権の勉強会や交流イベントを開いている。在日コリアン約200人に実施したアンケートで「8割以上がヘイトスピーチに遭遇して傷ついた経験を持つ」という結果が出たため、相談窓口の設置を決めたという。

出自(白丁)を自白した罪日戦後の振る舞い「姜尚中を批判する(鄭大均著2011飛鳥新社)」より

占領軍スタッフ(ハーバード大教授エドワード・ワグナー)が語る罪日の振る舞い(日本における朝鮮少数民族・外務省刊)

 戦後の日本においては、朝鮮人少数民族は、いつも刺激的な勢力であった。数においっては大いに減ったものの、朝鮮人は、依然として実に口喧しい、感情的・徒党的集団である。彼らは絶対に敗戦者の日本人には加担しようとせず、かえって戦勝国民の仲間入りをしようとした。朝鮮人は、一般に、日本の法律はかれらに適用され得ないものとし、アメリカ占領軍の指令も同じようにほとんど意に介しなかった。そのため、国内に非常な混乱を引き起こした。占領当初の数ヶ月、在日朝鮮人炭鉱労働者の頑強な犯行のために、日本の重要産業たる石炭産業の再建は障害をこうむった。経済的領域における朝鮮人のいろいろな活動は、日本経済再建への努力をたびたび阻害した。

 1948年の神戸における緊急事態宣言は、日本の教育改革を朝鮮人が妨害した結果、行われたものである。引揚げについては、占領当局が決定した政策を日本政府の手で実施しようとするのを妨害した。このような、いろいろの要因および事件のために、日本人・朝鮮人間の伝統的敵対感情は一層深くなっていった。過去と同様に、戦後においても、在日朝鮮人社会は日本人から不信と軽侮をうけ、また、日本人の一般的不満感のはけ口とされた。

朝鮮人権逸(満州国時代裁判官。戦後韓国の国会議員。1911~2001)が語る罪日の振る舞い(「権逸 回顧録」育英出版社1987)。

 (朝鮮人にとって)法はあって無きに等しく、警察は文字通り無力であった。したがって、非人道で破廉恥な行為が平然と行われ、理性が喪失した社会のようであった。このような社会状態が醸し出したものであるかも知れないが、左翼朝鮮人だけではなく、一般の在日同胞のなかにも、故なく威張りちらして、法を無視することが少なくなかったことは、良識ある同胞の憂慮するところであったし、私たちは見るに忍びなかった。当然のように無賃乗車する者もいたり、中には白墨で車内に「朝鮮人専用」と書いて他人が入るのを拒むことすらあった。傍若無人というほかなかった。

 顧みると、当時のこのような行動は、長いあいだ抑圧されてきた者の自然発生的な反発感から出たものであり、またそれらの者たちにとって感情的に痛快感が得られたかもしれないが、このような行為は敗戦で萎縮した日本人の胸に、朝鮮人に対する憎悪感を飢えつける要因になったのではないだろうか。

権逸は、長いあいだ抑圧されてきた者」と、罪日の正体(李朝差別最下層賎民白丁)を、看破していた。3につづく⇒

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/tb.php/275-e52de7a7

フリーエリア
プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。