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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観6NHK戦後スパイ化真実隠蔽の選り食い報道好いとこ盗り空論人間蔓延

第三回“熱狂”はこうして作られた2月27日

 熱狂」ではなく「団結」が正しい。日本存亡の危機に瀕しマスコミも一致団結した。NHKや東大スパイの国民洗脳手口は、歴史の本道(戦国時代における、凶産主義・食民治主義の黄禍論白人連合対有色人連合日本)は隠蔽し、枝葉末節のみをつまみ食いし、すり替え洗脳する。下記が歴史の本道である。

 開国以来掲げ続けた、有色人互恵連合大アジア主義(日本の完全独立)の旗は、白人黄禍論連合に屈せば(応戦せず)、潰える!応戦せずは、NHKや東大らが捏造する、侵略者日本が消えて平和来訪ではない!アジア同胞を見捨てれば、当然の信義喪失。戦時下に、同胞支援皆無の孤立無援丸裸を意味し、もう一方の敵、世界征服が野望のソ連との対戦は必然。そして、宗主国連合「兵糧攻め」は、戦国の世なので、何度も使用可能なカードなのだ!「戦わざるは亡国」は、子供でも解る常識であった。存亡の危機に日本の一致団結で、狂った“熱狂”ではない。

 反共の砦日本が撤退するや否やソ連は、中国と満州と韓半島を瞬時に支配した。アメリカと国連軍が総がかりで何とか韓半島半分まで押し戻したが、66年後の現在も、停戦のままで終戦に至っていない。これが現実。この史実から導き出されるものは、日本が積み上げた砦がいかに強大な反共の砦であったか、共和党フーバー大統領の見識がいかに正当であったか、NHKや東大の御題目「侵略しなければバラ色の世界」など全くの捏造との証明である。つまり、応戦しなければ=撤退しなければ、見捨てた同胞支援は当然皆無の孤立無援、対「兵糧攻めカード所持者黄禍論白人連合」に、丸裸の日本などは潰えて、分断され、消滅していた。

 応戦せずは、降伏は、日本が原因の戦国が終焉で平和来訪だったと捏造するため、まことの主犯凶産隠蔽のため、NHKはこの、日本存亡の危機を隠蔽し、一致団結を、“熱狂”と捏造愚弄したのだ。

戦時下のメディアの扇動は古今東西の常識
 米国戦意高揚映画1942年「戦争への序曲」白馬の天皇と現人神と崇める日本人の行動映像。天皇の顔がヒトラー、ムッソリーニの顔と並び、「この三人の顔を忘れるな!」と扇動ナレーション。

 第3回の意図は、戦国の御世も、防共満州も、南下ソ連も、共産毛沢東の八・一宣言も完全隠蔽し、メディア(新聞やNHKラジオ)が煽ったから、日本国民が狂って“熱狂”、戦争が拡大し、日本開戦となった。と、応戦を、日本能動戦争と捏造し、国民を洗脳することが目的。NHKの松平が責任転嫁扇動で愚弄し、葵の印籠を掲げ強調するのは、毎度おなじみの、NHK御用達文系パブロフ犬教授。

画面「朝日毎日読売の発行部数が、満州事変、日中戦争勃発、日米開戦と右肩45度上がりのグラフ」

松平「―つまりメディアもまたですね、日本人を戦争に駆り立てた、大きな要因の一つだったという風に言われる所以でございます。メディアがその姿勢を転換したのは、満州事変だったという風に言われています。さあーその時に、一体何が起こったのでございましょうか」
 言っているのは、好いとこ盗り放送のNHKのみの捏造。凶産主義・食民治主義黄禍論白人連合が迫ったから決起した。

画面「秋田県横手市」

松平「今年(2011)1月一人の元新聞記者を訪ねました」

画面「元朝日新聞記者武野武治さん(96歳)」

松平「武野武治さん、戦前の新聞界を知る数少ない人物です、満州事変をきっかけに新聞記者を目指し、終戦の日に報道の戦争責任を感じて、辞表を出しました」

武野「これは、どこの新聞も戦争になると発行部数が増えますよ。息子がみんな、夫が戦争に行くから戦争はどうなっているか、新しい読者が増える。だから戦争になれば、新聞にとっては、経営面ではマイナスじゃないんです」

NHK「新聞が戦争を煽ったという側面はありますか?」

武野「それはあるでしょうねそりや、勝った勝ったと言って、実際そういう紙面を作ったんだから。そしてそれに乗って民衆は、勝った勝ったと思ったんじゃないですか。そして、何か将来、いいことになるだろうと思った」

画面「旧遼寧省奉天柳条湖」

松平「ここから満州事変が始まりました」
捏造、「モンゴル赤化」以後からである!

画面「朝日新聞奉天局1931年9月18日」

CG画像語り「南満州鉄道の爆破をきっかけに日中両軍が衝突、現場の特派員たちは一気にざわめき立った」

CG画像「奉天逓信局長武内文彬」

武内文彬の手記「奉天の町は大砲と機関銃の音と軍隊の活動で沸き返った。奉天通信局はもちろん徹夜だ、妻も老いも総動員の活動」

松平「関東軍は部隊を次々投入、本格的な戦闘状態に入ります。事変勃発の翌朝、現地からの一報を受けた各紙に、速報が踊ります。報道合戦が始まりました」

画面「新聞の扇動報道映像と松平熱狂扇動ナレーションと、当時の様子を証言する元記者」

学習院大学教授井上寿一「スクープ合戦、速報合戦をして、・・・それが満州事変の拡大を煽ると」

松平「政府は、満州事変不拡大を決定。しかし関東軍は独断で、全満州へ兵を進めます。この軍の行動を支持すべきかどうか、新聞社にとって重大問題が浮上しました。しかし、すでにほとんどの新聞が事変を、関東軍支持へと舵を切っていました。論説記事までが、満州事変は日本の生命線と強硬論を唱えます。当時最大部数を誇っていた全国紙記者の証言です」

画面「東京日日新聞『守れ満州=帝国の生命線』の大見出し」

東京日日新聞高田元三郎「ことしかし、満州事変に関しては非常な強硬論でしたね。ですからそういう意味から言うと私は、新聞の責任論から言うと、毎日新聞(旧東京日日新聞)には、責任があったと思う気がします。ずーっと一貫してねあの、満州事変から強硬論で終始してきてますから」
 満州は戦国時代の日本の砦。戦国時代は攻めなければ攻められる国盗り合戦、攻めるのは当たり前。これを隠蔽して、平和の御世の侵略者とすり替え放送で洗脳

松平「大正デモクラシーの時代には、軍の拡大を批判していた新聞各社がなぜ軍の支持に回ったのか、鍵を握る一つの事件が満州事変の直前に起きていました」

画面「陸軍大尉中村震太郎」

松平「敵情偵察中の陸軍将校が、中国兵に殺害された事件です」

東京日日新聞石橋恒喜「中村震太郎事件というのがありましたな。あれが虐殺されてから、満州の生命線を守れというように、変わっていくんですよ」
 昔も今も同じ、俯瞰出来得ず、目先の事象でしか判断不能との自白だ。開国時より満州は生命線。だから露西亜と戦争までして、満州の地を押さえたのだ。洗脳証言

松平「残虐性が強調されたセンセーショナルな記事、中国憎しの論調が読者の心をつかむ中で、満州事変が発生しました」
 死者は、皆善人の唯心、米食文化の日本とは異なり、中国人や朝鮮人は肉食文化圏で唯物、食人、死体損壊等は「蜀碧」等にも記されており、中国の伝統性癖で、「強調」ではない

松平「各社が満州事変拡大を支持する中、大手新聞社の中で朝日新聞は、慎重論を唱えました。早く外交交渉に移して、これを地方問題として処理すべしと、訴える社説。しかし、各地で朝日新聞の不買運動が発生、社内でも軍部支持已む無しの声が出始め、社論を展開してゆきます。こうした状況で、当時朝日新聞編集局長だった緒方竹寅が、自ら軍に接触を図っていたという軍幹部の証言テープが見つかりました。緒方はリベラルな姿勢で知られる言論界の重鎮でした」

今村均参謀本部作戦課長「緒方さんに呼びつけられましてね、ある料理屋でしたけれど。素直に陸軍の考えを言うてくれと言われて述べたことがあるんです。それまで朝日新聞なんて公然と反対でしたから」

CG映像画面「東京料亭1931年満州事変勃発後」

語り「今村は緒方のもとを訪ねた」

CG緒方「素直に陸軍の考えを言うてくれ」

語り「今村は軍内部の実情を打ち明ける」

CG今村「実際、今度の場合は、我々が無力で、中央の統制を関東軍に押し付けることが出来なかった。しかし、現地に行って、在留邦人が圧迫されて非常に悲惨な状況を見てくると、石原や板垣がああゆうことをやったのも、人間として止むを得ない。何とか遅ればせながら、世論が満州事変を支持していただきたい」

テープ音声今村「長いことかかりました、4時間ぐらいかかりました。これは本気になって訴えましたね。その時に緒方さんが、『ああそうですか、初めてよくわかった』と言いましてね、それからころっと変わりました、朝日の何が・・・」
 1924年モンゴルを赤化したソ連は南下し、騒乱工作を開始した。「日支懸案」件数は、1927年31件、28年37件、29年77件、30年95件と頻発し、日本人居留民の生活は危殆に瀕し、満州事変直前には、事実上の戦争状態に陥った。政府は「幣原外交」と呼ばれる、英米と強調し、中国には同情を持って対応するという方針を採り、ただ、手をこまねいて見ているだけという「腰抜け外交政策」をとっていた。そのような政府に対して、関東軍の参謀が、「住民は助けを求めている。国民を護らなければならない」と決起したのが、満州事変の真相である。義を見てせざるは勇無きなり。関東軍の暴走ではない。人の道に従っただけなのだ。今村均は真実そのままを訴えたのだ

松平「軍幹部が証言する新聞社の方針転換、生前の今村と緒方を知っている元朝日新聞貴社武野武治さんに、録音テープを聞いてもらいました」

武野「これ使う?」

NHK「そうですね」

武野「うーん、ころっと変わった・・・」

NHK「こういうことが本当にあったと思いますか?」

武野「いやー、あったと思うね。もっと言うならば『国益』ですよ、それはやっぱり。それはもう国益ですよ。それがやっぱり真実をちゃんと明らかにして、間違ったものなら間違いを正すという方向へ、行かせなかったのだと思います。だから国益が大空に輝いているわけで、これが戦争遂行なんです」
 迫る黄禍論白人連合戦国時代の兵糧攻め防御には、満州味方の地が、必須であった

松平「新聞各社が満州事変で軍を支持したのは、販売部数を伸ばすためか、それとも、満州権益という国益を考えてのことか、いずれにせよ新聞社は、情報源である軍に急接近していきます」

東京日日新聞石橋恒喜「当時はまだ参謀本部あたりも、まだ、新聞記者がやって来た、歓迎してくれてね、策戦課あたりへ入って行っても何も言わずに、いろんなことを話してくれました」

松平「記者たちは決定的な事実を知らされます。満鉄線の爆破は関東軍が仕掛けた謀略だと言うのです」

東京日日新聞石橋恒喜「我々は記者クラブで、谷萩大尉というのがおりまして話してくれた。『いや実はあれは関東軍がやったんだよ』と」
 NHK松平が「謀略だ」と侮辱したが、平和の御世ではない、敵攻略の戦略。侮蔑語は連想洗脳である

画面「陸軍省新聞班谷萩那華雄をアップ」

松平「しかしどのメディアもこの事実を、太平洋戦争が終わるまで報道しませんでした。このことが国民に満州事変は日本の正当防衛だと信じ込ませ、日中戦争太平洋戦争への道を進む発端となりました」
 負ければ死の戦時下、攻防戦を展開しているだけなのに、「日本の正当防衛だと信じ込ませ・・・発端」と捏造、極悪日本軍と誘導洗脳

京都大学大学院准教授佐藤卓己「現代の報道論理からすれば、それは批判されるべきことだったかもしれません。ただ一方で当時のジャーナリズムのレベルにおいてある種の国益論というのは、今以上に恐らく非常に強い論理的な正当性を持っていて、国益としては是とすることをやったんだという風に、その当時の当事者としてはきっと思っていたと思うんですね」

松平「メディアの報道によって(NHKこじつけ捏造。満州防共の砦は常識)満州権益は日本人にとって最も重要な国益となっていきます。民衆は満州国建国に喝采を送りました。そしてメディアと民衆の熱狂がやがて一人歩きを始めます」
 熱狂ではなく、兵糧攻めの防御と防共の足がかりが出来た喜びなのに、「熱狂がやがて一人歩き」と日本極悪へ連想洗脳

字幕「満州国承認祝賀1932年9月15日」

松平「国際連盟からリットン調査団が派遣され、報告書を作成、満州国は日本の傀儡だとして独立国家とは認めませんでした。軍は激しく反発、政府は連日国際連盟との協議に追われました。しかし一貫して強硬論を唱える新聞各紙の社説には、公表翌日から報告書への非難罵倒が並び、国際連盟への怒りをあらわにします。さらにリットン報告書は断じて受け入れられないと、全国132の新聞社が世界に向けて共同宣言を出します。新聞は満州国堅持を掲げ日本の外交方針を自らリードする(NHK捏造洗脳という姿勢を打ち出したのです」

東京経済大学教授有山輝夫「今風に言うと社会的使命。当時だと国家的な使命ということを多くの人たちが考えようとしたし、それによって自分たちが国家に貢献している、ということによって自分自身を正当化する。あるいは自分自身の活動を意味付ける考え方になっていったんだと思いますね」

松平「新聞はついに国際連盟を脱退すべきだという主張まで連日載せるようになります」

画面「断固脱退すべし・連盟を脱退せよ」の新聞大見出し。

画面「首相官邸1933年2月1日」

CG映像大蔵大臣高橋是清「陸軍が引きずるような形で新聞も二言目にはすぐ国際連盟脱退だのなんのと騒ぎ立てる、いったいなぜあんなことをするのか」

陸軍大臣荒木貞夫「あれは新聞が出すので陸軍が宣伝するんじゃない。向こうでで勝手に書くのだから止むを得ない」

高橋是清「新聞社が勝手に書くのならば、なぜそれを取り締まらないのか。今日の陸軍の力をもってすれば、それぐらいのことはなんでもないではないか」

NHK語り「高橋是清は怒りをあらわにするも、メディアの暴走を止める術はなかった」

松平「1933年2月リットン報告書に基づく対日勧告が採択されます」

映像「松岡洋介の連盟勧告受諾拒否宣言」

松平「連盟脱退だけは避けるよう訓令を受けていた松岡洋介は敗戦将軍の心持で議場を後にし国際連盟を脱退します。しかしメディアは堂々と退場した松岡に喝采を送り、世界に物申した稀代の英雄と祭り上げます。帰国した松岡を待っていたのは国民の熱狂的な歓迎でした。松岡はこう語りました『口で非常時といいながら、私をこんなに歓迎するとは、皆の頭がどうかしていやしないか』」

松平「政府の打ち出した方針に対して、メディアがそんな弱腰でどうすんだと、そんなことで国益守れるのかということを声高に批判する。あるいは国際問題が起きますと、なんてたって正義は日本にあるんだということを絶叫し続ける。こういう強硬論に国民の多くは喝采を送ります。ひとつのメディアがこういう流れを作りますとですね、ほかのメディアもそれを見て一斉におんなじことを言い募るわけですね。そして国民はそれを見て、一斉にそれに同調していくようになるのです。こうして軍とメディアと国民民衆、このトライアングルによって生み出された世論というものはしばしば熱狂を伴います。そしてその熱狂の中で、言論の自由は次第に失われていくので御座います」
 リットン採決実態は、賛成42カ国(宗主国・食民治・白人)で、反対は有色人独立国1カ国(日本)、タイ(シャム)は棄権。満州は防共兵糧攻め防御の砦、当然の行動である。ここを隠蔽し熱狂と洗脳

松平「満州事変で始まったメディアの軍への接近。一方で軍に批判的な態度を残す新聞には、言論弾圧が忍び寄りました。その一つ信濃毎日新聞。きっかけは“関東防空大演習を嗤う”と題する記事でした。これまでも軍部に批判的な記事を書いてきた主筆桐生悠々は木造家屋が密集する日本は空襲されたら終わりであり、防空演習は役に立たないと論じました。この記事が軍部の目に止まり信濃毎日新聞は言論機関としての岐路に立たされます」

画面「長野市信濃毎日新聞本社1933年9月」

CG映像NHK語り「9月の暑い日、信濃毎日新聞常務小坂武雄のもとに、信州郷軍同士会と名乗る団体が突然訪れた」

信州郷軍同士会「我々は会員8万を代表して主筆桐生と編集局長三沢の退社並びに貴殿による謝罪文掲載を要求する」

松平「信州郷軍同士会とは長野県在住の軍務経験者の会が組織した団体です。自分たちの主張にそぐわない新聞には不買運動をもって圧力をかけました。全国紙の進出によって経営が落ち込んでいた地方紙にとって、不買運動は最大の脅威でした」

画面「松本市信州郷軍同士会本部1933年9月」

CG映像信濃毎日新聞常務小坂武雄「めいめいが信じるところを論じ合い、自ずから落ち着くところに落ち着いてこそ真の世論は生まれるべきものだ」

NHK語り「しかし信州軍郷同士会は譲歩の色を見せなかった」

小坂武雄の手記より「何回会見しても全く要領を得ない。先方の方針はすでに決着しているので議論は既に無用なのであった。信濃毎日も部数は2万に過ぎず、不買運動をもっておびやかされるに抗し得ず、屈辱的な終結を告げるに至った」

松平「数日後信濃毎日新聞に小さな謹告が出されます。それは新聞社が前面謝罪を行い、主筆桐生悠々が退職する旨を告げるものでした。しかしこうした事態にも社内の空気は冷ややかでした」

信濃毎日新聞田中武夫「“関東防空大演習を嗤う”というああゆうものを書くことによって天下は多少騒いだけれども、社内では『あの人に行かれはて困る』とか、『あんな立派な説を成す人を』というものは、そうなかったんですよ、その事による動揺とか反発とかね。首を切られるとか言うようなことに対する批判というものは、あまりなかった」
 嗤う”は、部数拡大の受けを狙ったのだろうが、死活が懸かった戦時下には不適で、団結破壊なので、当然である。「言論弾圧」と誇張し、洗脳した

松平言論弾圧に無力な経営者と社内の冷めた空気状況は東京の大手新聞社も同じでした」

CG映像「東京星が丘茶寮。1934年春新聞記者座談会文芸春秋社主催」

NHK語り「この夜、永田町の料亭に集まったのは、在京大手6社の新聞記者11人だった」

「信濃毎日の桐生悠々も、防空演習を論じて問題にされ、結局辞めることになりましたね」

「経営的圧迫といいますか、あまり自分の新聞が売れなくなるようなことは書かないほうがいいと思います」

「資本主や自分の同僚に、迷惑を及ぼしちゃあいすまんという気持ちが、記者にあるんじゃないですか」

「最近は政府の禁止事項が非常に多いんですよ。非常に細かいものまで何十万ときております」

「いっそ禁止してくれたほうが良い。そうなれば苦心して書く必要はなくなります」

松平「軍への批判を続けると、自分が所属している新聞社の存続が危うくなるということで彼らは軍への批判を控えてですね、国益を論じるようになる。つまり、論じる幅がどんどんどんどん狭められていったわけですね。つまり自分で自分の首を絞めるようなこういう自己規制は、全国各地でいろんな所で行われます。そしてその空気がやがて、言論統制を呼び込むことにも成るので御座います。さて皆さん、このときにですねーえー、非常に強力な新興メディアが台頭いたしました。それは、ラジオで御座います。ラジオの契約台数は新聞、大手新聞の発行部数をはるかに凌駕しております。つまり、ラジオが新聞とあいまってですね日本人を戦争へと向かわせた熱狂を作っていったので御座います」
 銃後の要として当然戦意高揚を煽ったが、「ラジオが新聞とあいまってですね、日本人を戦争へと向かわせた熱狂を作っていった」はNHKの主客転倒捏造!

画面「近衛文麿首相就任1937年6月4日」

松平「第34代内閣総理大臣近衛文麿。彼にはもう一つの顔がありました。戦前のラジオ放送を独占していた日本放送協会(NHK)の総裁です。太平洋戦争が終わるまでその職にありました。近衛の総理大臣就任1月後日中戦争が勃発します。その直後近衛は世論を味方につけるために、首相官邸にメディアの代表40人を集めました」

画面「首相官邸食堂1937年7月11日」
日本放送協会=NHKを隠蔽している。
7につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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