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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1NHKスパイ白状アッツ島玉砕戦陣訓大本営音声摘み食いし合成改竄


玉砕隠された真実大本営発表音声摘み食いし合成捏造スパイ白状NHK

65年間もまったく無検証で、WGIPを垂れ流し続けるNHKは、病人やスパイの巣。髑髏と少女隠蔽し、捏造しまくりで自壊へ拍車。

NHK玉砕 隠された真実大本営発表前半部ああ何たる荘厳何たる壮烈でありましょう 生きて虜囚の辱めを受けず あの 戦陣訓をそのまま実践したものであります」と、後半部「アッツ島守備の我が部隊は遂にことごとく玉砕しました 生きて虜囚の辱めを受けず あの 戦陣訓をそのまま実践したものであります 後に続く者とを信じて心残りなく笑って悠久の大義に就いたのであります」は、音声をつまみ食いし、合成改ざん。大本営発表に、「生きて虜囚の辱めを受けず あの 戦陣訓をそのまま実践したものであります」の連続文などは無い、これは主旨変更。戦陣=降伏禁止命令を企図した捏造は、明々白々、ディレクター横井秀信夜久恭祐、政策統括高山仁は、病人ではなく工作員、正真正銘のスパイだ。戦陣訓は、兵士鼓舞の建前論として誤用引用された(死活非常時の建前論なので誰も咎めなかった)が、命令ではない。軍法にも軍人勅諭にも無いものを命令とするのは、捏造解釈以外のなにものでもない。解明され追い詰められたスパイどもは、音声をつなぎ合わせ工作した。真実なら、音声をつなぎ合わせるなど数多の、工作不用スパイどもはとうとう語るに落ちたのだ。放送全文は、昭和18年5月31日朝日新聞に在り。米軍の皆殺し作戦に立ち向かい、玉砕でもない、辱めでもない、ただひたすらに故郷を思い、一人一殺で戦い果てたのだ、それ以外のなにものでもない。米軍皆殺し作戦のさいぱんから生き抜いて戦った一兵士日本への伝言

 米軍皆殺し作戦の犠牲者を、日本軍の戦陣訓や玉砕作戦の犠牲者と捏造し、米軍に皆殺しにされたのではなく、日本軍の戦陣訓や玉砕作戦で強制自殺と捏造し、歴史と偽り放送するトンデモナイNHK。こんなものは歴史学などではなく、工作員の洗脳だ。なぜどうして(過程の線)が歴史で、つまみ食い捏造は犯罪!日本は死活戦争で必死、アメリカは出稼ぎ戦争、どちらが侵略かは、これだけでも考えれば解ることだ。

 題名は玉砕 隠された真実ではなく、「殲滅 隠された真実米軍皆殺し作戦 髑髏と少女」が正しい。

 題名に隠された真実とあるように、NHKの魂胆は日本軍の愚弄で、真実とは粗捜しの「粗」である。殺し合いの戦争には、敵味方の「粗」以外は無い。日本のみの「粗」を取り上げてそれを「真実」とは、捏造しまくりだ。考えない鵜呑み短絡人間(凶産やルーズベルトを鵜呑み)が太平洋戦争を引き起こした。大東亜戦争は考えれば皆解かること、考えないから皆犯日なのだ。凶産中国北朝鮮韓国罪日の犯日と、日本の犯日は、考えない鵜呑み短絡人間で同じ。時期戦争予備軍で危険!

NHKスペシャル|玉砕 隠された真実 NHKオンライン

玉砕 隠された真実 2010年8月12日午後10時~49分1CH
 全将兵が死ぬまで戦う玉砕」。昭和18年5月、アリューシャン列島アッツ島における日本軍守備隊の「全滅」がその始まりとされる。これを機に「玉砕」は各地で頻発、やがて「一億玉砕」として、国民に対しても「死」の覚悟を求めるようになり、犠牲者は最終的に310万人に達した。
米軍の皆殺し作戦を隠蔽、死ぬまで戦う馬鹿な日本軍と愚弄。米軍殲滅戦犠牲者310万人を、日本軍が殺したかのように捏造。310万人殺したのは米軍、日本軍ではない

 世界史上例のない「玉砕」はどの様に構想されたのか-。番組では、大本営が早くから「玉砕」戦を発想、アッツ島以前に事実上の「玉砕」が起こっていた事実。さらに、アッツ島守備隊の「玉砕」をきっかけに、「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」を国民に浸透させ、「死」を求めてく過程を、新資料証言記録をもとにつまびらかにする。
米軍殲滅戦を隠蔽大本営が早くから「玉砕」戦を発想、「死」を求めてく、と捏造。殺したのは米軍ではなく日本軍の戦陣訓であるかのように捏造。殺したのは米軍、日本軍ではない

 番組では昭和17年から事実上の「玉砕」を強いていた新事実、そして、昭和18年、戦局が絶望的になると大本営が「全滅」を「玉砕」と美化し、国民にも「死」を求めていった過程を、新資料と証言をもとにつまびらかにする。

大本営が玉砕と美化し国民にも死を求めていったと、犯人米軍隠蔽。ルーズベルトが封鎖し、日本窒息に追い詰め、殲滅戦でなければ、玉砕もなかった。殺した犯人は殲滅戦の米軍、日本軍ではない」。

放送前の予備知識

 命令で死ぬ国民などいない、先人嘲弄も甚だしい!あなたは命令で死にますか、考えれば子供でもわかることだ!

 軍法にも軍人勅諭にもない戦陣訓引用虜囚云々(降伏禁止)は誤用引用でかつ、兵士鼓舞の建前論に過ぎない。それをNHKや朝日毎日等のマスコミが軍命と捏造、扇動した。兵士は建前論と認識済、シベリア抑留帰還兵や、カウラ捕虜、途中までの平和が証し。WGIPに迎合した戦後復職赤化教授等が軍命と捏造、定説化、辞書までが意味変化した。下記参照
米軍皆殺し作戦のさいぱんか 生きて虜囚の辱戦陣訓 生きて虜囚カウラ戦陣訓に非ず
 米軍は殲滅作戦と見切った日本軍は、以後、トンネル作戦に変更、徹底抗戦した。ベトナム軍がこの作戦で米軍を追放したのは真新しい史実だ。

遊就館特別展戦跡パラオ展2007パラオ蜂起

陥落後512日戦い、降伏命令書で下山したさいぱん蜂起の47士

沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

無知かスパイと自白放送を繰り返すNHKお茶の間にも工作員潜入
 読者の皆さんは、命令で死にますか、私は決して死にません!特攻隊も突撃も洞窟ゲリラ戦にしても、命令で出来る行動ではない。本人の強い意志がなければ、出来得ない。自己完結の表現方法は各々異なるが、本人の強い意志とは、子孫をいかにして護ったかに尽きる。帰還者で、命令で死んだ(犬死に・無駄死に)と証言するものは、生き残った負い目(子孫を護るのに戦友のように命を懸けられなかった自責)払拭のため、戦友を、命令の犠牲者でかわいそうな者にすることで、己を戦友より上位にし、自慰する、他虐(日本軍罵倒)偽善者(自分も被害者)証言となる。帰還の証言者のみが、「軍命戦陣訓で死んだ」証言が証拠。水木しげるも例外ではない。特攻も突撃もトンネルゲリラ戦も、敗者の自殺ではない。生きた証の自己犠牲、自己完結表現に他ならない。

 竹やりで戦争に勝てる訳がない。しかし、ワルシャワ蜂起、ワルシャワ・ゲットー蜂起、ベトコンは、滅亡の危機に瀕し、侵略者相手に、女子供までもがあらゆる武器を手にし戦った。最後の突撃に武器無き日本軍兵士は、先を尖らせた木の棒を持って突進した。米軍はこれを“愚者の棒”と呼んだ。日本瀕死に際し、窮鼠猫を咬んだ証が、先人の“木のやり”なのだ。護られた平和の御世の子孫が、したり顔で愚弄すべきではない。最後の突撃をあざ笑うのは、己の無知の自白で見苦しい。NHK・ゲゲゲの女房・8月20日放映。

 自己完結の最後の声、散華の声無き声をまず聴くのが、護られた子孫の務め。死しても護国の兵に、犠牲者呼ばわりは冒涜。護られた子孫には、ただ祈りあるのみ。先人愚弄の種集め、悲惨だ話収集のNHKは、他虐偽善の亡国奴

アメリカのルーズベルト政権とマスコミが太平洋戦争を引き起こした

 ルーズベルトは日本人の皆殺し、殲滅を企てていたハルノート受諾など座しての死、自殺である。

 1942年8月6日「ルーズベルトの陰謀」
 
ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国のロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の「品種改良」というとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。

 「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人(白人より2千年も遅れた頭蓋骨を持つ)は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる。・・・日本人の頭蓋骨を劣等性の証拠として大統領がスミソニアン博物館の教授に研究させている・・・」「ルーズベルト秘録」 扶桑社文庫下巻

証拠1「リンドバーグの衝撃証言」
 ニューヨーク・パリ単独飛行のチャールズ・リンドバーグ(1902~74)。日米開戦後、彼は軍の技術顧問として南太平洋で戦闘任務についた。

リンドバーグ日記の抜粋

 各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。

 あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。残りのの連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。

 捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。

 将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入る。懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。

 一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。

 捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。

 2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。

 爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。

 捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。

金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。

 日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線を見れば見るほど、文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。事実この点に関する成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。

 リンドバーグはドイツ降伏後ナチスによる集団虐殺現場を見学した時の日記で「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ。爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けられているのを見たときだ。ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのだ」と。「正論」平成17年年5月号 「リンドバーグの衝撃証言」

「髑髏と少女」1943(昭和18年)年5月号ライフ誌掲載写真→頭蓋骨冒とく写真掲載、独政府が調査 

証拠2サイパン戦で生き残った田中徳祐・元陸軍大尉(独立混成第47旅団)の証言
 「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、数台のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。
 次には滑走路に集まった老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火が付けられた。たちまち 阿鼻叫喚の巷と化した滑走路。我慢ならず我が兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に蛮行を続ける。
 火から逃れようとする老人や子供を、米軍はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばして火の中へ投げ入れる。2人の米兵は草むらの中で泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を持って真っ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。「ギャッ!」といふ悲鳴を残して蛙のように股裂きにされた日本の赤ん坊とそれを見て笑う鬼畜の米兵ども。
 こんなに優勢な戦闘状況にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。
 マッピ岬にたどり着いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串刺しにされた婦人を見た。さらに自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて倒れているのを眼前に見た。『正論』平成18年6月号

証拠3ダグラス・マッカーサー証言

・・・1951年5月3日米国議会上院の軍事外交合同委員会の証言
 米海軍がフィリピンと沖縄を奪うころには(1945年沖縄戦終戦)海上封鎖も可能となった。そのために、日本陸軍を維持する供給は、次第に届かなくなった。封鎖したとたん、日本の敗北は決定的となった。・・・

1947年2月20日の証言
 戦争において、軍略上最も効果的な武器とされるのは、兵力が依存する、食料その他の物資の外部補給源を完全に封鎖することである。日本軍が無益な抵抗を止めざるを得なかったのは、ほかならぬこの武器によってである。「アメリカ人の鑑・日本」ヘレン・ミアーズ(注・包囲兵糧攻めし、降伏勧告に徹すれば、兵士も市民も皆降伏した。殲滅が目的だから、原爆空爆火炎放射器で虫けらのごとく皆殺しした。米軍は日本人皆殺しと知っていたから、市民も自裁した。戦陣訓などではない)

証拠4「Mirror for Americans:JAPAN(アメリカ人の鑑・日本)」ヘレン・ミアーズ著。複数なのでアメリカ人。looking glass=鏡でなく、mirrorなので鑑とした。アメリカナイズされ、猫も杓子も政治家も拝金主義の戦後日本人の、鑑でもある。

 終戦から3年後の1948年出版。ヘレン・ミアーズ(1900~1989)女史は、ニューヨークで生まれた。小説家志望の女史は1925年(1年間中国に滞在)から2度、アジアを旅行、日本や中国に興味を持ち東洋学を研究した。1946年に占領軍の諮問機関「労働政策11人委員会」の一員として来日、労働基本法の策定に参画した。帰国後、1948年(極東裁判終了)にこの本を上梓。女史は日本擁護者として批判され、この本同様に世に出ることはなかった。しかし、善悪史観ではない真実史観の書として、歴史に間違いなく打刻される。アメリカ国民は、誇りとすべきだ。1989年89歳で永眠。

 日本語版は封印され、昭和27年4月28日(1952年)日本独立後、1953年「アメリカの反省」原百代訳文芸春秋新社、1995年5月31日「アメリカの鏡・日本」伊藤延司訳メディアファクトリーと2社で翻訳出版された。

「アメリカ人の鑑・日本」ヘレン・ミアーズ著

 (1)満州に、「合法的自衛」手段としての戦略拠点を確保し、(2)日本帝国圏(韓国と台湾)と満州、華北からなる経済共同券をつくり、経済の安全保障の確立が日本の計画だった。そうなれば、これまでのように原材料物資と市場をアメリカ、イギリス、フランス、オランダに依存しなくて済む。一つは極東に再進出してくる可能性のあるソ連に対する防衛手段として、もう一つはイギリスの強力なポンド経済圏(貿易地域)とアメリカのドル経済圏(貿易地域)に対抗する手段として、日本は、考えていたのである。しかし、イギリスとアメリカは日本の政策に反対した。

 日本視点でのイギリスは、経済的政治的に中国「中央政府」の支配を続行、が理由の反対、アメリカは、アジアでの日本主導許さず、が理由の反対。つまり、人種差別的、通商的、戦略的反対であると、日本は解釈した。この政策的対立が日華事変に、そしてパールハーバー、シンガポールへと発展していく。日華事変の交戦国は中国と日本ではない、それは依然として、日本と欧米列強、とりわけイギリス、アメリカとの対立だった。

 イギリスに代わって華北を包み込もうとした経済共同圏は、日本が武力ではなく、合法的に達成寸前だったが、阻まれ、日本は一歩一歩、日華事変の泥沼にはまり込んでいった。その過程で日本は、正義とは異なった、「アジア開放」(宗主国欧米に頼らない自己保存目的の大東亜共栄圏の樹立)の旗手として台頭してきた。

 日本は限定目標の中国から、欧米列強の支配から解放され、アジアの国々が共栄圏の中で共に暮らせる、アジア全域へと進撃を開始した。注・受諾しても死なので、一縷の望みに懸けた)

 ・・・蒋介石のオーストラリア人顧問、W・H・ドナルドがルソンの日本軍捕虜収容所から解放後のインタビューでの証言。日本は1938年から1941年の間に、「12の和平提案」を提示。日本側の条件は中国側には有利なものだった、と述べている。つまり、日本の要求は、満州国の独立の承認、華北の経済と開発に関する何らかの権利、「外蒙古から進出する、ロシアの影響力を阻止するための内蒙古の政治的調整」だけだった。ドナルドは「日本はこれらの提案の中で、領土的要求は一切皆無」と語っている。

 日本は日華事変を終結させ、一応の安定に復帰するため、絶えず蒋介石に働きかけていたが、アメリカとイギリスは、日本が莫大な財政的損失を出しアジアの前で威信を失うまで、戦争を続けさせる考えでいた。

 パールハーバー以前は、経済封鎖に対する日本の脆さを知っている人なら、大国にとって日本が軍事的脅威になるなどということを、誰も本気で考えたことはない。日本は近代戦のための重要物資をすべて輸入しなければならないのだから、物資の補給が遮断されれば、戦争機関は自動的に停止してしまう。しかも、日本は食糧も輸入しなければならないのだから、海上輸送路が遮断されれば、通常の国内経済は立ち行かなくなる。

 1941年7月、アメリカ、イギリス、オランダは、共同で各統治領内の日本資産を凍結し、貿易関係を全面的に中断した。

 ここにいたって日本は、満州事変以来脅え続けてきた最後の時がついに来たことを悟った。

 (ヘレン・ミアーズ注・11第二章の2「攻撃と反抗」の日本国天皇の開戦の詔書を読み返していただきたい。ここには日本の視点が明確にされている)

米英帝国に対する宣戦の証書

 「東洋支配のあくなき野望に狂奔する米英は、重慶(蒋介石)政権を支援しつつ、東アジアの動乱をいよいよ悪化させてきた。米英両国は他の国々に追随をそそのかし、われわれに挑戦すべく、わが帝国周辺において軍事力を増強した。彼らはあらゆる手段を用いて、わが平和通商を妨害し、ついには経済関係断絶の挙に出るにいたった。これはわが帝国の存立を根底から脅かすものである。かくのごとき情勢にいたれば、わが帝国は実にその存立と自衛のために、武力に訴え、そのいく手に立ちはだかる障害を打破するほかに取るべき道はないのである」。

 全文→赤裸な国民の総意開戦の詔書と終戦の詔勅と戦後公職追放令でのし上がった売国奴

(注・ハルノートを受諾したら最後、大阪城の内堀を埋めたのと同じ、立ち上がる術など皆無。応じても、保証なき戦国時代、再度資源封鎖されて完全亡国の奴隷国は明白で、亡国あるのみ。ABCD経済封鎖は宣戦布告、座すれば確実に国民は餓死、打って出た。故国に残した国民の生存を懸け、兵士は上下の区別なく、滅私で戦った

 パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んで仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を、明らかにしているからだ。パールハーバーは青天の霹靂ではなく、然るべき原因があって起きたのだ。原因は、1941年7月25日にアメリカ、イギリス、オランダが打ち出した「凍結」令である。三国は自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融機関を全て断絶した。日本は輸入必需品80パーセントを「凍結」地域に頼っていたから、三国の行動は、日中戦争の泥沼化だけでなく、国内経済の窒息死を意味するものだった。

 日本はアメリカに特使を送り、こうした厳しい措置の緩和を要請した。しかし、アメリカは両国間の対立を解決する意思を持っておらず、戦争は不可避と考えているように、日本にはみえた。会議の公式記録を読んでみると、アメリカは自国の「防衛」計画を整備するまでの時間稼ぎをしている、と日本が思ったのは、当然である。アメリカの政策(イギリスと蒋介石政権を支援し、日本を経済制裁)は正しかったと言うのもいいだろう。しかし、私たちの政策ではなかったと、真面目な顔でいうのはおかしい。なぜなら、政府は各種の公式声明で、あれ(凍結令)はアメリカの政策だったと言明しているからだ。

 日本の立場で言えばこうである。イギリスとオランダが禁輸したインドネシアとマレーの物資を、力で奪う決意を固めた。そこでアメリカが両国の陣営に加わらないよう、奇襲によって出鼻をくじく必要があった。パールハーバーはのるかそるかの賭けだった。

戦勝国がパールハーバーを中心訴因から外し正当防衛日本と東京裁判で認めた

 東京裁判で日本側は「封じ込め」を逆非難し、「正当防衛」を主張した。これには強力な裏付けがあったために、私たちはパールハーバーを中心訴因から外し、「少なくとも、いわゆる満州事変発生時の1931年から」日本が企てていた「世界征服」の「陰謀」まで、訴因を拡大せざるを得なくなった(国際検察局主任検事Joseph Keenan書簡参照)。(注・戦勝国が封鎖で宣戦布告、日本は応戦で真珠湾。つまり、蜂起日本を、戦勝国が、東京裁判で認めたのである)。

訴因を拡大した満州事変も凶産宣戦布告「八・一宣言」に対しての正当防衛であった
注・中国共産党は、満州事変に先んじる2年前、1935・昭和10年8月1日、“八・一宣言”で日本に宣戦布告している。満州事変実態は、ソ連・中国凶産ゲリラとの反共戦で、日本は、蒋介石等と連携(証が1933年5月31日のタンクー停戦協定)し、凶産掃討戦を展開していた(蒋介石は毛沢東を“最後の5分間”まで追い詰めていた)。しかし、1936年12月12日の西安事件で、蒋介石釈放をめぐっての調停工作に介入した、イギリス、アメリカ、ソ連、中国凶産党との間で同一歩調がとられ、以後、利害が一致する中で、抗日統一戦線が形成されていった。満州事変でも日本は、宣戦布告、“八・一宣言”に対しての正当防衛戦争であった。戦勝国はなんとこれも隠蔽し、訴因としたのだ]。頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏大アジア主義に殉じた人々犯日隠蔽の歴史 

 ・・・彼らが私たちの大陸に最も近づいたのは、3000キロ離れたアリューシャン列島の島を二つ(アッツ島とキスカ島)を占領したときである。それも攻撃の先鋒としてではなく、アメリカの攻撃を遅らせるための自衛手段であった。

 日本政府は少なくとも1945年の5月(V・Jデーの3ヶ月前)に降伏の打診をしているが、この打診は米政府によって正式に無視か、拒否された。注・ルーズベルト大統領1945年の4月12日昼食中、脳卒中で死去) 2につづくや

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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