QLOOKアクセス解析

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
2017 081234567891011121314151617181920212223242526272829302017 10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

真実史観東條英機唯一末期の遺言23回忌教誨師花山信勝初めて自ら真実を記す


東條英機唯一末期の遺言花山信勝師23回忌初めて自ら真実を記す

東條英機東京裁判宣誓供述書抜粋。「大東亜戦争の真実」(東條英機宣誓供述書)東条 由布子 (2005年8)ワック

 ・・・当年国家の運命を商量較計するのが責任を負荷したわれわれとしては、国家自衛のために起つという事がただ一つ残された途でありました。われわれは国家の運命を賭しましたしかして敗れました。しかして眼前に見るがごとき事態を惹起したのであります。

 戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任いかんとの問題とは、明白に分別のできる二つの異なった問題であります。

 第一の問題は外国との問題でありかつ法律的性質の問題であります。私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張します。私はいまだかつてわが国が本戦争をなしたことを以って国際犯罪なりとして勝者より訴追せられ、また敗戦国の適法なる官吏たりし者が個人的の国際法上の犯人なり、また条約の違反者なりとして糾弾せられるとは考えた事とてはありませぬ。

 第二の問題、すなわち敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任であります。この意味における責任は私はこれを受諾するのみならず 真心より進んでこれを負荷せんことを希望するものであります。

戦前の良識者花山信勝(しんしょう)
 明治31(1898)年12月3日生まれ。東大卒、終戦時46歳東大文学部教授自ら志願、21年2月14日巣鴨拘置所の戦犯教誨師を委嘱され、たった一人で以後三年間教誨に当たり、7人の戦犯処刑に立ち会った唯一の日本人。平成7(1995)年3月20日永眠96歳。戦前の東大文系には、こんな立派な良識者が居た。戦後パージで復帰し、私利私欲に励んだ迎合凶産教授との対比が、余りにも際立つ!今の東大文系は、亡国奴と丸暗記の巣である。工作員以外の丸暗記稗田阿礼教授や亡国奴教授よ、煎じて飲め!

昭和23年12月22日第7回面会午後九時半から十時半(死刑の一時間半前)教誨師(きょうかいし)花山信勝師東條英機より聞き書きを、自ら記した最後の遺言

 最後の遺言はこれまで、「秘録東京裁判」清瀬一郎著や、東條由布子(岩浪由布子)著佐藤早苗著のみであったが、「平和の発見(昭和45年版)」以後は、23回忌を機に保存用としての増補改訂版なので、花山信勝自らの手記をはじめて公刊。東條の原文が焼却ならば、これが唯一の、最後の「遺言」である。

 増補(昭和45年再刊版)。東條元大将の遺言第一通の「メモ」四箇条の詳細が長文の第二通。遺書原文をその場で受け取ることが出来なかったため、万が一を思い、急ぎ口調で読まれたものを花山は筆記した。予感は的中、原文は未だに戻っていない

 「これは12月2日に書き出し、数日にして書き終わり、更に本日(12月22日処刑当日)読み直したものである。宛名は花山先生とブルエット、清瀬両先生との三人宛てにしておいた。状袋の表書きは花山先生に宛ててあります。どうか三人で読んでください」「平和の発見」(巣鴨の生と死の記録)2008.8.花山信勝著方丈堂より、抜粋。

 

遺言  真実史観補筆

一、開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると実に断腸の思いがする。他の人々には関係のないことである。今回の死刑は個人には慰められておるが、国内的責任については死を以て贖える「あがなえる(罪ほろぼし)」ものではない。しかし国際的裁判には無罪を主張した。それは今も同感である。(花山註・開戦は自衛権の行使である。戦争目的は東亜同胞を解放し、共栄圏を設立するにあり、侵略目的ではなかったとの意と解す)たまたま力の前に屈服したものである。但し、国内的責任について、満足して刑死につく。

二、勝者側としては当然の処置であろう――私としては、無罪を強く信ずるが。同僚諸君に迷惑をかけたことは相済まぬ。また下級者の無辜の罪に対して罰せられておることもある。誠に残念である。陛下に対して御心をみだしたてまつり、また国民に対しても相済まぬことであったが、これは私の責任である。日本の全軍隊は陛下の御仁慈を体して行動しているものであって、この点については世界人士の誤解なきことを願いたい。これらの斃(たお)れた人たちやその遺族に対しては、心から陳謝する。今度の裁判に対しては、歴史の批判を待つ。この裁判を永久平和の礎石とするならば、もっと米国のはっきりしたことを欲した。要するに、政治的裁判に終わった感じである。もっと大司法官をもって当てらるべきがよかったと思う。

三、陛下の位置について。その存在の形式については言わぬが、御存在そのものが絶対必要である。それは私だけでなく、多くの者は同感と思う。空気や土地の如き、大きな恩については、忘れがちなものである。(花山註・この当時、天皇は日本国の象徴であるとの憲法が成立。また天皇制反対の議論もあった)

四、東亜の各民族は、不幸な今回の戦争を忘れて、列強と共に愉快に開けることを願う。東亜の民族は、他民族と同様にこの天地に生きる権利を持っている。その有色であることを神の恵みとし誇りとして居る。他の判事に対しては失礼なことであるが、今度の印度判事の意見に対しては、皆尊敬の念を感じている。(花山註・印度代表のパル判事は741ページにおよぶ意見を草して、敢然と全被告の無罪を主張した)これをもって東亜民族の誇りと感じた。私は今回の戦争を通じて、東亜民族の生存に対する権利の主張を達したものと思っている。列国も排他的感情を忘れて、共栄的に進まねばならぬ。

現在日本統治の事実的当事者である米国に対し、今後人心を離れしめざることと、赤化せしめざることとを頼む。私は誠意を失して、今度東亜諸民族の協力を得ることが出来なかった(※大東亜共栄圏未完成)それが敗戦の原因であったと考えている。今後、日本は米国の保護のもとに生存を続けてゆくであろうが、極東の大勢は正に赤化の中にある。終戦3年にして既に然り。今後の変転を憂う。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上なしである。(花山註・この当時、共産軍は揚子江を占領し、上海、南京に戒厳令が布告され、中国共産党勢力は東南アジアに拡大し、全東亜の赤色攻勢のイニシアチブを執ると報ぜられた)

 今、日本人は米軍の駐在によって、食料や生産の面に於いて援助を受けて感謝して居る。但し、国民の大部分は善良な凡夫「ぼんぷ(普通人)」であるから、彼等の生活に直接響くようなことを心に懐(いだ)く、例えばインフレとか、電力不足とか、食料不足とかいうようなことを、米軍進駐のためと考えるようになると、甚(はなは)だ危険である。事実、そういう宣伝をしている者もある。したがって、今後人心を失わないようにして欲しい。

 今次戦争の指導者たる米英側の指導者は、大きな失敗を犯した。第一は、日本の主とした赤化の防壁を破壊し去ったこと。第二は、満州を赤化の根拠地たらしめたこと。第三は、朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめたことである。米英の指導者は、これを救済する責任を負わなければならぬ。したがって、トルーマン大統領の再選は、この点に関して有り難い。(花山註・トルーマン大統領を朝鮮を二分の責任者と見る。この年の11月、一般の予想であったデューイが敗れて、トルーマンが再選された)

六、日本は米国の指導に基き、その武力を全面的に抛棄「ほうき(放棄)」した。(花山註・新憲法第九条のこと)これは賢明なことであった。但し、世界全国家が全面的に武力を除去するならばそれでよい。然らざれば、盗人が跋扈「ばっこ(のさばりはびこること)」することとなろう。(花山註・泥棒がまだ居るのに、警察をやめるようなものである)

 私は戦争を根絶するためには、欲心を人間から取り去らねばならぬと思う。しかるに現に世界で各国々は、いずれも自国の存在だとか、自衛権の確保だとかを主として居る。(これはお互いに欲心を抛棄して居らち証拠である)国家から欲心を取り除くことは不可能のことである。ゆえに世界から今後も戦争を無くすることはできない。しかし自衛を主張しながら、遂に自滅に陥ることになろう。

 第三次世界大戦は、結局は避くべからざるものであろう。その際、主なる立場に立つものは米国とソ連である。その理由としては、第一に第二次世界大戦の結果日本と独乙(ドイツ)が取り去られてしまったこと。第二に米・ソ二国の思想上の根本的相違の点。第三に(花山註・聞き取ることが出来なかった)而して第三次世界大戦は遠くはない。その際、極東、すなわち日本とシナと朝鮮は、その戦場となる。武力なき日本は、速やかに此の点について策を立つべきである。米国は、その責任について考えなければならぬ。日本から武力を徹底的に無くしたのだから。もし日本を属領的存在たらしめるならば、また何をか言わんや。しからざれば、米国は考える必要がある。

七、米国は、日本八千万国民の生きる道を考えてもらいたい。凡そ生物として生きる生命は神の恵みである。産児制限のごときは、神意に反することだから、遠慮すべきである。

八、公職、教職からの追放や、戦犯容疑者の逮捕のごときは、終戦後三年を経過している現在、速やかに止めてほしい。而して日本国民が生業に安心して就くよう、米国の寛容な気持ちをもってやってもらいたい。

九、我々の処刑を機として、次の諸件の実行を願う。一、戦死者、戦傷死者、戦災死者、ソ連抑留者の遺家族については、同情をもって保護を与えること。二、戦死者、戦災死者等の霊は遺族からの申し出があれば、靖国神社に祀ること。三、出征地にある戦死者の墓には保護を与えること。(花山註・平和条約附属第二宣言に採用された)したがって、遺族の希望申し出があれば、内地へ返還すること。四、(花山註・聞き取れなかった)五、戦犯者の家族に対しては、同情ある配慮のこと。

十、青少年男女の教育については、特に注意を要する。将来大事なことである。近時、如何(いかが)わしき風潮は、占領軍の瀘影響が少なくない。わが国古来の美風を保つことが大切である。

十一、今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の世界全国民罹災者の一大追悼慰霊祭を行うことを希望する。それをもって世界平和の精神的礎石としたいことである。もちろん、日本軍人一部の間違った行為については喪心謝罪する。しかしながら、無差別爆撃や原子爆弾の投下による悲惨な結果については、米国側に於ても大いに同情と、憐愍「れんびん(憐憫)」と、悔悟あるべきである。

十二、最後に軍事問題について一言する。我国従来の統帥権は間違っていた。あれでは陸海空軍一本の行動はとれない。兵役制については、徴兵制度がよいか、傭兵制度がよいか、はよく考えなければならない。我が国民性に鑑(かんが)みて、再建軍隊の際に考慮されたし。

 再建軍隊の教育は、精神主義を採らなければならぬ。忠君愛国に基礎をおかねばならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。この点については、大いに米軍に学ぶべきことがある。

 学校教育は従前の質朴剛健だけでは足らぬ。人としての教育が大切だ。言いかえれば、宗教教育である。欧米の風俗をよく知らすことも必要である。俘虜に関する問題・・・(花山註・時間切れでここで打ち切った) 以上

注・陛下及び国民への自決未遂謝罪、末期の遺言にも一切無し。無いものは無い。人の将(まさに)に死なんとするや、その言や善し。

三 住相から還相へ 「注・花山信勝49歳、武藤章(56歳)東条英機(64歳)土肥原賢二(65歳)松井岩根(70歳))

 かくてもう十一時半にもなったので、私は大急ぎで一階にかけ降りて、再び「仏間」の用意をし、コップに「ブドウ酒」をつぎ、「水」をいれたりして、七人の到来を待った。間もなく三階から、処刑第一組として土肥原、松井、東條、武藤の四人の順で、列をつくって降りて来られた。それぞれ二人の看視につきそわれていた。両手には「手錠」がかけられ、さらにその「手錠」は褌バンドで股に引っ掛けられていた。極めて不自由な姿である。着物はいつも着ていられた米軍の作業衣であった。しかしシャツは見えた。クツは編み上げの日本クツであった。係官から「時間が七分しかない」といわれたので、取り敢えず仏前のローソクの火に「線香」をつけて、一本づつ手渡し、私が香爐を下げて手もとに近づけて立てていただき、それから仏前に重ねておいた奉書に「署名」してもらった。不自由なてながら、インクを含ませた筆をとって、土肥原さんから順に筆を揮(ふる)った。それからコップにいっぱいの「ブドウ酒」を口につけてあげて飲んでもらう。さらに「水」のコップを私が少しずつ飲んでは、みなさんに飲んでいただいた。東條さんの「一ぱいやりたい」も、どうやらこれで果たされ、大変なご機嫌であった。

 その後まだ二分あるというので、「三誓偈(さんせいげ)」の初めの三頌(さんじゅ)と、最後の一頌を声高らかに私は詠んだ。四人は頭を下げて、静かに瞑想して聞いておられ、終わった時、

 「非常に有難うございました、結構でした」

とお礼をいわれた。それから誰いうとなく「万歳」という声が出て、たぶん東條さんと思うが、

 「松井さんに」

というので、松井さんが音頭をとって「天皇陛下万歳」を三唱、さらに「大日本帝国万歳」三唱を共に叫ばれた。

 ブドウ酒のあとで「お菓子はどうですか」といったが、みな入れ歯を取っていられたので、歯がないからと遠慮されたが、松井さんに、やわらかいビスケットを一つ口の中に入れてあげたら、もぐもぐたべられた。

 以上の行事は「仏間」ではせまくて、すべて廊下に立ったまま行われた。この時、東條さんから、約束通り「念珠」を受け取った。松井さんも、手にかけておられたので、

 「これを奥さんに差し上げましょうか」

といったら、

 「そうして下さい」

といわれ、受取った。他の二人は、部屋(独房)の「袋」に残してこられたという。土肥原、松井、東條、武藤の四人は、それぞれ両脇の看視の下士たちを見上げて、「御苦労さん、ありがとう」と。それに感激してか、将校たちはあゆみよって握手を交わした。(注・「世紀の遺書」冊子には「この情景を見た米軍将校たちは、ツカツカと二・三歩前進して、褌式バンドで両手を縛られていた東條元大将をはじめ、A級の土肥原元大将、松井元大将、武藤元中将らと、それぞれに握手をはじめたのである」とある)これこそ心と心の直通、真実「平和」のすがたと観た。私も、この時とばかり、いちいちみなさんの手をしっかと握って、最後の挨拶をかわした。いずれの方も非常に喜んで、長い間の労苦を感謝され、また、

 「あとの家族のことをよろしく」

 と頼まれた。時間は、刻々と迫ってきた。

 出口の鉄の扉が開いた。当番将校の先導で、その後にチャプレン・ウォルシュ師と私がつづき、その後ろに土肥原、松井、東條、武藤の順で並び、両脇には看視、あとに将校が二・三名つづいて、静かに中庭を歩んでゆく。その間、約二分ぐらいかかったが、「念仏」の声が絶えなかった。とくに東條さんの声が・・・・・

 刑場の入り口(コンクリート塀)で、隊列を離れ、さらに四人と、また一人一人手を握って最後の「御機嫌よろしゅう」をいったところ、

 「いろいろ御世話になって有難う。どうか、また家族をよろしく願います」と、みなにこにこ微笑みながら、刑場に消えられた。あとで聞いたところ、台上では四人とも最後の「南無阿弥陀仏」を称えていられたということだ。急いで「仏間」に帰る途中、ガタンという音をうしろに聞いた。時計をみると零時一分だった。

 

「注・花山信勝49歳、木村兵太郎(60歳)、板垣征四郎(63歳)、廣田弘毅(70歳)」

 「仏間」に戻って、再び用意して待っているところへ、第二組の三人、板垣、廣田、木村さんが降りてこられた。顔を合わせると、すぐ廣田さんが真面目な顔で、

 「今、マンザイをやってたでしょう」

 「マンザイ?いや、そんなものはやりませんよ、どこか、隣の棟からでも、聞こえたのではありませんか」

 私も真面目にこうこたえた。

 「いや、そんなことはないが・・・・」

 とにかく、今度は三人とも「仏間」の中に入ってもらって、お線香を一人づつに、前のように渡して立ててもらい、「署名」をされたあとで、今度は時間があったので「三誓偈(さんせいげ)」を全部読んだ。木村さんだけは眼鏡をかけて降りて来られ「意訳聖典」も持って来られたため、私の読経中それをあけて読み、私の読経に合わせておられた。お「経」の終わったあとで、廣田さんが、

 「このお『経』のあとで、マンザイをやったんじゃないか」といわれた。私も、原文はっと気がついて、

 「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」といった。それでやっとマンザイがバンザイだとわかって、

「それでは、ここでどうぞ」

というと、廣田さんが板垣さんに、

 「あなたおやりなさい」

とすすめられ、板垣さんの音頭で、大きな、まるで割れるような声で一同は「天皇陛下万歳」を三唱された。もちろん手はあげられない。それから、「仏間」入り口に並んで、みなに「ブドウ酒」を飲んでもらった。このときは、米兵の助けをかりず、私がコップを持って、一人一人全部に飲ませてあげた。廣田さんも、おいしそうに最後の一滴まで飲まれたし、板垣さんの如きは、グット元気よく一気にに飲みほされた。よほど好きらしかった。木村さんだけは、半分以上残された。余り、酒の好きな人ではないと見えた。次に「水」を飲みかわして、しっかりと握手をした。みな、にこにことあいさつされて、

 「いろいろお世話になりました。どうぞお大事に、また家族たちをよろしく」

 大変に感謝をされた。

(注・マンザイは、入れ歯をみな外しているので発音不正確が原因は、明白。拝金マスコミに祭上げられた、成金他虐偽善者作家城山三郎は、「落日燃ゆ」(1975年吉川英治文学賞・毎日出版文学賞)で、次のように捏造した。

 「『それでは、ここでどうぞ』と促した。だが廣田は首を横に振り板垣に『あなた、おやりなさい』板垣と木村が万歳を三唱したが、廣田は加わらなかった。廣田は意識して『マンザイ』といった。廣田の最後の痛烈な冗談であった。万歳万歳を叫び日の丸の旗を押し立てて行った果てに何があったのか、思い知ったはずなのに、ここに至っても、なお万歳を叫ぶのは、漫才ではないか」。

 
文官廣田擁護論は、武官軍人を貶めるための凶産教授のプロパガンダ。戦国時代の弱小日本は、文官武官民間一丸の蜂起軍、玄洋社と関連の深い廣田冒涜である。廣田遺族も洗脳され、分祀派遺族となり、なんと御先祖愚弄である!・・・。

 捏造幇助の出版社やマスコミは自浄もせず、隠蔽に必死。百人斬りの両記者同様、ほっ被りで済まそうとしている。何とも情けない言葉と文字の机上界、醜い正体である。

 開国以後は戦国の戦時下、ましてや戦前の為政者、死生感は異なる。廣田
弘毅の妻静子は東京裁判判決前に自裁廣田も70歳戦国時代も見えぬ、WGIP善悪目線の近眼史観城山三郎には土台無理、見えない世界である!

 戦後の作家は皆、この類の近眼迎合作家。作家は売文業で、良識者ではない、歴史検証者ではない。マスごみ売文業を司馬史観などとオダテテ、歴史家まがいの報道は、
放送法第3条の2違反捏造である)。

 それから、前のような列になって刑場の入り口へすすみ、私はここで、前と同じように、別れた。最後に木村さんは頭を幾度も下げ、にこにこ笑って、私に、

 「どうか、家内たちをよろしくお願いいたします。お世話になりました」

と、長いあいさつをして刑場に入られた。中庭はそうでもなかったが、刑場の中はあかあかと照明に照らされていた。この時も、また途中でガタンを聞いた。零時二十分だった。

 「仏間」に戻って跡片づけをして、再び刑場入り口にもどる。「もう入ってもいい」と合図されたので、刑場に入った。七つの寝棺が運ばれた。私はその前で「正信偈」に「念仏廻向」をつけた。これまでは「阿弥陀経」を読んだのだが、「意訳聖典」にはそれが入っていなかったからである。私が読経するあいだ、ウォルシュ牧師は、懐中電灯で、「聖典」をてらしていてくれた。

 刑場内は、跡始末であわただしく、人が右往左往していたが、「棺」と、私の間を、通ったりさえぎったりするものは、一人もなかった。

 こうしてすべては終わった。さきほどまで笑って話していた七人は、いま沈々として横たわり、微動だもしない。これほど、生と死の境が一つになっていることも、あまりなかろう。

 さきほどの死直前の「署名」は、この意味でも、まれな人間の記録となった。いささかの悲しみも動揺もなく、平常心そのまま、「念仏」とともに死についた七人の「死」は、私にとっても、生涯消えがたい感銘を刻むことである。

 チャプレンといっしょに、そこからチャプレンス・オフィスにもどり、さらに将校クラブに案内された。所長はじめ、多勢の将校から、

 「立派にいってくれて、たいへん御苦労様でした。有難う。あなたの御苦労を、みな大変感謝しています」

といわれて、変わる変わる握手をうけた。私は一時間半ばかり将校たちといろいろ会談したが、疲れもしたし、整理しなければならぬものもあるので、挨拶して、自分の部屋に帰り、直ちに六人の法名に月日を入れ、今日一日の「メモ」にずっと目を通した。ふと目を覚ましたら、朝の7時であった。ラジオのスイッチを入れたところ、ちょうど渉外局の「発表」が聞こえた。私の時計通り、処刑は「零時一分」と「零時二十分」の二回であった。

 昼ごろになって、チャップレンが来て「君を随分、外で記者たちが待っている」というので、「遺品」をうけとり、三時の「ニュース」を聞き、ジープで東大の印度哲学研究室へ向かった。ここでは、かねての約束によって、内外記者団と共同会見をすることになっていたからである。この会見で、或る外国通信社の記者が、「棺」の中にある死者の表情について、執拗に私を追及した。私は思わず激して、それをたしなめた。私としては、あの場合、そこまで追求されることがたえられなかったのである。私は、やはり、ずいぶん疲れていたのである。 完

 自殺は米軍捏造。報国のために、汚名を背負い孤軍奮闘で戦ったが、迎合マスコミに洗脳された国民から罵倒され、刑場に果てた東条英機。

 死刑は皇太子(現天皇)誕生日12月23日執行された。侍従の村井長正によれば、この日、天皇は終日書斎にこもり、「泣きはらして真っ赤なお顔をされていた」という。(高橋絋「象徴天皇の誕生」金原左門編「戦後史の焦点」)

 

東條英機真実1開戦57日前突然の首相拝命敵味方が悪の巨魁と呼称

 

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/tb.php/230-c2cd6843

フリーエリア
プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。