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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観Ⅰ毛皮が語るペクチョン・えた白丁在日差別自白朝鮮ルーツは水稲民海洋民


 ネット常識の追試本もでたようだ「日韓がタブーにする半島の歴史」2010.4.室谷克美著新潮新書。ネットのコピペのみで検証が無い!

 分業の都には有るが、自給自足の村には無い。忌避職業故に、人をも侮蔑する極差別、分業無ければ成立せずの都のみに、存在。済州島は自給自足の島、白丁論ネットに散見するが、愚論。

 物事すべてに禍福がある。個人で生きれば、捕獲・解体・火おこし・料理等禍福すべてをこなさなければ生存はできない。集団の分業が禍業福業と分かれ差別を生んだ。力強き者勝者が福業につき、弱き者敗者が禍業についた。

 共同作業水稲で、共同体の村が、国が生まれ、作業者と監督者に分業、収入無き監督者に作業者が上納。この共同体から外れた者が賤民(敗者)、差別の起因である。監督業を世襲するため身分も固定化し世襲となり、身分制度も固定化され、賤民身分も固定化された。監督が変われば固定化されていた身分制度も変化、賤民が監督になる場合もある(下克上)身分は、その時代その人間界だけの取り決めで、不変ではない。

 近年差別的字句などと煩い。その時代の字句や言葉はその時代を語る証、封殺すべきではない、封殺し隠語化することこそ差別。臭いものには蓋ではなく、蓋を開け、禍福をあざなうことこそが学究。

 一部を除き、朝鮮人や在日著作の戦後の歴史書は史書ではなく、悪辣非道な願望物語である。税金経営東大文系姜尚中在日教授も、この類。でないのなら、年表を繰れば子供でも分かることが分からない、日本の子供以下、まったくの愚者、ただのハードデスクである。戦後の韓半島に史学皆無なので、韓半島史真実史観検証。

韓半島とペクチョン(白丁)の歴史

「三国志史記」現存最古の官選史書。1145年高麗17代仁宗の命で編纂。前57年の新羅始祖から、約千年を描く。

檀君朝鮮 高麗の僧一然(1208~89)の私書「三国遺事」に、朝鮮全土の始祖神とされ、今の平壌に都し、治世千5百年、1908歳の長寿と記されている。檀君朝鮮はこの私書以外初出無し。三国の雑史を収録。仏教的な記事が多く、史書ではなく説話集。なんと韓半島ではこの私書を歴史(事実)として教えているのだ。史学捏造の始まりである

ツングース族 中国歴史上の呼称、粛慎・挹婁・勿吉・濊白・夫与・鮮卑・高句麗・靺鞨(まっかつ・いずれも革編)・渤海・女真(高麗は刀伊と呼称。1019年対馬・壱岐・北九州を襲った)・(金)・女直(後金)・満州(清)。東部シベリア・満州に分布、シャマニズム・至高神の観念を持ち、ツングース諸語を話すトナカイ中心の民族や、狩猟遊牧民族。現在はロシア・中国凶産に封殺されて見えないが、有史以来万里の長城以東北や以東に君臨し、中国・満州・韓半島・沿海州を支配、「清」を建国した民族である。西の漢族、北のツングース族、南の海洋民族が韓半島の曙で、願望民族(単一民族)ではない。

BC1000~BC400年 中国最古の書物のひとつ「書経」記載。冀州(山西省・河北省・渤海北岸一帯韓半島北)の「島夷」から「皮服」献上。

BC770~BC221年(春秋戦国時代) 「万里の長城」斉・燕・趙・魏などの諸国が「匈奴(北方の騎馬遊牧民族)」を防ぐために築き始め、秦の始皇帝が大修築し連続させ、命名。東は現在の河北省産山海関が境。「匈奴は君主より皆以下家畜の肉を常食とし、その皮革を身にまとい毛織物を着る遊牧民族であった」「漢書匈奴伝」。遊牧民(肉食・毛皮・寒冷地)と農耕民(穀物食・植物繊維・団地)の当時の境が「万里の長城」といえる。以後韓半島は、漢族と遊牧民と農耕民が争乱融合し、現在に至る。

~BC222年 「燕」華北・東北南部朝鮮北部を領し、「薊(北京)」に都。

BC195頃~BC108年衛氏朝鮮。華北の燕から朝鮮に逃れた衛満(漢族)が、平壌界隈に建てた王朝。

BC108年中国漢武帝、衛氏朝鮮を滅ぼし玄菟(遼東に移転)・臨屯(楽浪東から北東、ほどなく廃。後に濊貊)・楽浪・真蕃(楽浪以南、ほどなく廃。後に三韓)の4軍を置く。(ここまでは皆、平壌界隈以北、中国と匈奴からみの歴史のみ)

204年頃 朝鮮楽浪郡南半分に、帯方郡が設けられる。

BC108~4世紀中葉朝鮮原三国時代。楽浪郡・馬韓・辰韓・弁韓。

濊貊(わいはく) 後の夫余(扶余)高句麗の祖先、狩猟牧畜が主で農耕は従。半島北部から中部の日本海側に住んでいたツングース系民族。

楽浪郡 BC108年中国漢武帝、衛氏朝鮮を滅ぼし置いた4郡の一つ。韓半島中部の西で、東は濊貊、中心は現在の平壌界隈。北部朝鮮楽浪は、中国植民地として長らく栄えた。

帯方郡 204年頃遼東の公孫氏が楽浪郡南半に新設。東で接する濊貊、南の三韓に備えた。今の黄海南道からソウル界隈が南限。313年高句麗(濊貊)に滅ぼされ、後に百済領。

甕棺墓も語る

 韓半島南西や南部限定で、北九州と同類の甕棺墓が数多発掘されている。前2~3世紀が北九州発表、韓国は4~5世紀と発表。水稲のみが同時進行で墓制だけが遅れては、有得ない。韓国いつもの病気であろう。

三世紀中国の文献に書かれた倭と三韓

『三国志魏書』馬韓伝。魏史の韓の条

「韓は帯方郡の南在り、東西は海で尽きる。南に倭と接し、方(南北領域)は四千里(1里60km×四千里=240km)ばかり。韓に三種在り、一に馬韓、二に辰韓、三に弁韓。辰韓は昔の辰国なり。馬韓は西にある、その民は土着し、種を植え、養蚕を知っており、綿布を作る。各楽には長帥(邑楽の長)がおり、大長帥は臣智と自称、その次が邑借で、山海の間に散在しており城郭はない

『後漢書』馬韓伝。

「馬韓は西にあり、五十四国。その北に楽浪郡、南に倭と接している。辰韓は東にあり、十二国、その北に濊貊と接している。弁辰(弁韓)は辰韓の南にあり、また十二国、その南に倭と接している。およそ七十八国。伯済(後に百済建国)は馬韓の一国なり。土地は合わせて四方四千余里、東西は海で尽きる

馬韓 楽浪郡の南、辰韓の西、南は倭。250年ごろ54国に分国し、住民は稲作養蚕綿織を知り、首長を有し、三世紀には祭りと政治 が分かれていた(邪馬台国と酷似する)。この中の伯済国が350年ごろ百済建国。

辰韓 北は濊貊と接し、西は馬韓、南は弁韓。漢江以南で洛東江の東、今の慶州北道界隈。250年頃12国に分立。この中の斯慮が統一し、356年新羅と改称。「脱解本多婆那國所生也其國在東北一千里」三国志史記

弁韓(弁辰) 辰韓の南、馬韓の東。250年頃12国に分立。南は倭。 洛東江の中下流域。後に加羅(任那)。倭と密接な関係あり。562年新羅に併合される。

以後の韓半島変遷

北部高句麗(遊牧民1世紀~668年)、西部百済(水稲民350頃~660年)、東部新羅(水稲民356~935年)。

北部渤海(高句麗遺民遊牧民698~926年)と契丹(遊牧民926~1125年)、中部南部新羅(水稲民356~935年)。

北部金(女真族遊牧民1616~1234年)と元(モンゴル遊牧民1271~1368年)と明(1368~1644年)。高麗(基礎民族は水稲民918~1392年)。朝鮮史上始めての統一国家。唐に習い貴族官人主体の政治が続いたが、12世紀後半に、遼・金の侵入を受け武人主体の政治となる。1231年より元の侵略始まる。1270年より元の属国。

北部明と清(女真族遊牧民1616~1912年)。李氏朝鮮(水稲民1392~1910年)。李朝は始祖の李成桂がクーデターによって王位を簒奪したために、逆に強い軍隊を警戒して、軍事力を持たなかった。国防は、宗主国である中国に委ねた。

  三韓はいずれも川と平野が数多で、水稲好適平野は馬韓最多、結果が54国の分立。南部海洋民が水稲で隆盛を成し、水稲民と成り北上、三韓と成り、北部中国人や狩猟遊牧民ツングース系民族との対立が窺い知れる。狩猟、答えは明白、米が凌駕した。南部海洋民→水稲民→三韓(水稲)→新羅(水稲)→高麗(水稲)→李氏朝鮮(水稲)。仏教も南部が起源で北上。そして高麗と李氏朝鮮が、狩猟遊牧民を白丁(ペクチョン)と差別。この事は、海洋民を始祖とする水稲民文明が北上、狩猟遊牧民南下文明と融合し、韓半島文明の基盤と成った事を、明解に語っている。韓半島基礎民族は水稲民。したがって、朝鮮人の真似中華、済州島や南部差別はご先祖冒涜の愚行で無知の自白となる。

白丁(ペクチョン)

隋(中国)時代(589年) 無官の平民

高麗時代(918~1392) 仏教を保護。賦役に従事しない民、歌舞音曲の芸能氏「才人」と、禾尺(柳細工と畜殺肉類販売業)に大別。高麗時代の白丁は良民。白丁前身は揚水尺。「水尺・禾尺」の出自は胡種(異民族)。1491年朝鮮王朝実録。「鞬靻と禾尺はト牛をもって耕食に代える」高麗史。柳細工は狩猟遊牧移動の民、移動物入れ製作は必須であろう。493年高句麗より製革染革の工匠来朝し、日本に伝えた。728年渤海使節団、国書と貂(しょう。テン)皮300枚日本に献上。高麗北部は、昔の高句麗・渤海、武具馬具製作民族の地、残った末裔はいた。「禾尺」はツングース系民族の末裔が導き出される。始祖王権は、高句麗の末裔の可能性が高い。国名高麗と、ソウル北の開城が都が、理由。武具馬具製作民族製作で隆盛時代もあったが、仏教の浸透で、多勢の基礎民族牛馬共存の水稲民に、殺傷のト畜民として差別されたと、推察できる。

李氏朝鮮(1392~1910年)国教は儒教(朱子学)。李朝4代王世宗、遊牧民の定住化政策として、「才人」と「禾尺」を白丁に改称、1423年(世宗貫録)。後に「才人」は白丁から分離され、白丁は基本法典「経国大典」で一般集落居住禁止となり、白丁のみの部落を形成した。高麗時代の白丁とも区別、新白丁と記され、別種異種と差別された。李朝初期は行李白丁(柳細工)、宰殺白丁(畜殺肉類販売)との区別あり。後に区別なし。

李氏朝鮮身分制度

君主・貴族・両班・中人・常人・賎民

賎民

七般公賎 官奴婢・妓生・官女・吏族・駅卒・獄卒(牢屋番人)・犯罪逃亡者

八般私賎 私奴婢・巫女・酢牽令・令人(演奏家)・才人(芸人)・僧侶・水尺(狩猟民)・白丁(ペクチョン。畜殺・獣肉販売・皮細工・柳器作成)。ペクチョンが最下層。

注・日本の杞柳(柳細工)は、ペクチョン差別はるか以前の27年に渡来し発達したもので、ペクチョン独占柳器(柳細工)とは異種。柳行李(やなぎごうり)呼称は、明治中期以降の呼称で、以前は骨柳と呼称。多婆那國、丹波、豊岡、行李柳で合致。

高麗と李氏朝鮮が、狩猟遊牧民を白丁(ペクチョン)と獣差別は、海洋民を始祖とする水稲民を自白している。

1910年日本統治。1894年日本勅命の甲午改革で身分制度が廃止され平民となったのはこの年から。独占業から競争業で失職転業となった。

「みにくい韓国人」朴泰赫著光文社

・・・両班(地主)3割200軒・中人4割・常人(小作人)3割・奴婢が居住する村での、中人身分著者10歳(1935年)の李朝家畜差別耳目記録。李朝時代の常人は無知なため、女の子は生まれ月を名前にした。常人は常奴(野郎)と蔑称され、両班への挨拶は低く腰を落とし「ご主人様」と呼ばなければならず、年貢が足らず障害者にされた者もいた。李朝時代の両班は、生殺与奪の権を、常人にふるっていた。

 仏教が消えたが儒教が科挙と結びつき、実業無視の身分差別で桎梏し、机上政治で形骸化、現実会はヤル気を失い衰退し高麗以前に後退した。儒教の礼儀はかしずかせ、権力誇示が目的。朝鮮人や在日の被害妄想癖、火病、ニセ両班、パクリ、唯心無き唯物、移住しても同化せずの差別排他、泣き売等の負は、この時代の遺産。

 差別はされたが、遊牧民(肉食)と水稲民(牛馬使役)の融合民族には不可欠な職業、しかも差別ゆえに競争相手無しの独占業なので旨みもあり絶えることなどなかった。李氏朝鮮世襲は27代519年も続いた。身分は世襲され確実に固定した。白丁の技術は継承されたが、人が世襲されたかは定かではない。独占業なので食いぱぐれ無しが魅力、生きるために飛び込んだ者もいたはず、旨みを貯め、出た者もいたはずである。差別だけが唯一の障害で、中身は 両班並ではなかったのか。殺傷禁止の僧侶が賎民で、犬も食する肉食の朝鮮、日本のように仏教が差別の原因ではない。遊牧民命の糧は動物、水稲農民の牛馬は穀物の糧、多数を占める牛馬使役の基礎民族の忌避が起因で儒教の形骸、礼儀が助力した。北部遊牧民が大多数の基礎民族なら、白丁差別など当然皆無。朝鮮の差別は基礎民族の差である。ペクチョン差別は水稲民の証、水稲は海洋民が居住し、伝播したものだ。

 済州島出身者との結婚となると、在日でさえ「血が汚れる」と一族が猛反対。済州島は自給自足の島、都市部のごとき分業は皆無、分業最先端のペクチョンなど生活不可は道理。ニセ家系図のニセ両班が、ニセ優位身分誇示のため、両班の真似中華や李朝家畜獣差別を猿真似、極南の済州島や南部を極差別が真相。極南の済州島や南部差別は猿真似ニセ両班の証で、誇示行為、出自の自白である。

 韓半島以外の世界の常識、後世13世紀の創作「檀君朝鮮」より、済州島国造り神話がはるかに古い。現代朝鮮の基礎民族のご先祖は海洋民、ご先祖愚弄は無知の証である。

 済州島、元は州胡(しゅうこ)国、次に耽羅(たんら)国といい、5世紀末に百済に服属したが、古代から15世紀始めまで実存した王国である。古代言語は中国でも朝鮮でもなかった。倭人と協力し、建国するようすが国造り神話として伝えられている。(高麗史57巻)朝鮮神話はこちらが正統。右記参照。1朝鮮南 強制連行

 朝鮮民族2千万の中の40余万白丁が平民となった甲子改革は独占ゆえにそれなりに旨みがあった独占業が崩壊、職にあぶれた元ペクチョンや常人(小作人)や賎民が、満州や日本の新天地を目指したことは当然の成り行きである。差別廃止の後ろ盾日本が倒れ、朝鮮復活の戦後、身分制度復活無しの保障など全く無かった。差別のため生活出来得ず脱出した火中人身売買復活し、旨みの独占業廃止)に、帰る愚者など皆無。敗戦でどん底だが、火中のような、獣家畜差別が無い日本に懸けた。この残留理由隠蔽のため、在日のみが犯日親日での亡命者は帰化し、犯日ではない。獣家畜差別は、差別朝鮮戦争やハン(恨)の根源でもある。内心は差別で分断、一枚岩ではない。差別破壊せずの南北統一など、絵空事。ご主人様の命令が絶対だった賎民の名残か?犯日は建前が理解不能で、戦陣訓を侮蔑の旗としてウィキ等でしつこく掲げる。命令で李朝賎民のように死ぬ、日本人など皆無。

 済州島蜂起四・三事件(1948年から7年間で、島民四人に一人、8万人が韓国人に虐殺された)は、日本統治下で平等のはずの半島朝鮮人に、日本でも「血が汚れる」とまで極差別され(現代も同じ)、トラウマとなった李氏朝鮮の差別が根源。戦後帰島したが極差別され、さらにトラウマとなり、凶産の掲げる共産平等に、藁をも掴む思いで飛びついての差別蜂起が、真相。四・三事件は半島人の李氏朝鮮差別の教え儒教と、真似中華と、人間殺し人身売買獣家畜差別の虐殺である。済州差別蜂起は、高麗・李氏朝鮮下では頻繁で、元・日本統治下では無い。1995年済州島出自(済日)在日、島民の1/6の10余万(実数は遥か上)人。済州島出自(済日)の在日理由は、明白な半島出自(罪日)とは明らかに異なる。「済日」は済州を見捨てた思いと望郷相まって、ミカンの伝播等ふるさと済州へのきずなが深い。済日(亡命望郷の済州島出自)と、罪日(人身売買獣家畜差別脱出の韓半島出自)は水と油、在日単一呼称は不適。

 世界が食うか食われるかの戦国時代、朝鮮人だけではなく、皆悲惨で、悲劇で無い国家など無い。窮鳥朝鮮を矢面にも立てず(朝鮮志願兵2万2千182人、台湾志願兵3万304人が戦死。日本は強制兵役、徴集で、2百34万2千341人が戦死)戦った日本を極悪人にし(台湾人は戦いを誇りにしている)、朝鮮人だけが悲劇の主人公と捏造し、同情を集め金をせびる。南北朝鮮在日は、哀れを装って金をせびる「泣き売」の詐欺手法、皆同じである。厚顔無恥の詐欺愚民行為「泣き売」、日本人や台湾人に、愚民呼ばわりされても仕方あるまい、身から出た錆び、自業自得だ。愚民呼ばわりは、無知や無恥を知らしめんがための、かっては身内の親心だ!

毛皮の歴史

毛付の皮のなめし法発見

 毛皮は皮下脂肪等をそぎ、乾かし硬化したものを軟化(なめし)して使う。始めは叩いたり歯でかんで軟化したが、湿ると腐敗したので、燻製にした。この燻なめし法はBC8千年、植物の渋タンニンなめし法はBC3千年、並行してミョウバンなめし法が開発。

皮革の古代製法

1・毛皮を水に漬け軟らかくし、掻き出し器でこすり表皮と毛を除去後、なめす方法。

2・動物の脳髄や肝臓、胃の内容物、獣脂、魚油、魚卵、草、枯葉、樹脂などを漬け込んだ液に一定時間漬け、丈夫な真皮層以外の部分を腐らせ、腐りにくい真皮のみを取り出した。時には人間や家畜の糞尿を用いることもあったらしい。現代人には不潔で穢れた製法と映るが、腐物中に増殖した細菌の分解作用を利用して、表皮と毛根皮脂腺などを腐らせ一挙に除去するもので、実に、理にかなった方法である。汚物液中に発生したアンモニアやフェノールなどによって、真皮層のコラーゲン繊維が固化されて、なめし効果も生じたはずである。この方法は、腐敗し残った毛の抜けた革の発見か、毛皮が湿ると腐り毛が抜けるがヒントであろう。腐らすというきわめて簡単な原理で、しかも材料は身近なものばかり、手のかかる1ではなく2を、誰もが得心し用いたであろうことは、推察できる。2の臭いが忌避され、部落化への大きな要因。

 この方法は、シベリアの先住民族やサハリン北海道のアイヌでも、近年まで用いられていた。ヨーロッパでも、タンニンや明礬なめしが普及するまでは、糞尿でなめすことが行なわれていた。・・・こうして除毛・なめしがなされた革は十分に洗浄され利用された。タンニンなどのなめし製法との併用もあったらしい。「毛皮と人間の歴史」西村三郎著

 「2で毛皮と表皮を除去後、タンニン法や明礬法でなめした」が導き出される。農耕定着後近年まで、糞尿は田畑の有機肥料や魚の餌として人類の貴重な循環資源であったが、1843年英国化学肥料の発明以降徐々に忌避され、さらに水洗化で不定な物に拍車がかかった。日本での糞尿不浄忌避は、たかだか半世紀程度。糞尿循環は生命体の習い、蟹味噌・シラス・煮干・うるか・貝類等現代でも食している。

日本の毛皮と皮革の歴史

 冬でも毛皮着用の寒さでもなく、夏は毛皮に大敵の微生物や害虫大繁殖の高温多湿での劣化で保存に不適の日本。遅くとも弥生時代(BC百~3百)までには、寒冷地を除いて毛皮依存から脱却し、食物繊維へ移行したであろう。毛皮の職能集団も近世以前の日本には育たなかった。弥生時代以降は牛馬を家畜として活用、隆盛をなし大勢を占め、狩猟依存民は極少数となった。さらに、6世紀半ばの殺傷禁止仏教の伝来が毛皮離れに拍車をかけ、日本での毛皮は、穢れ多き物になった。

皮革の歴史

 日本では毛皮よりも、皮革、なめし革としての需要が高く、早くから貢物とした。

 BC86年「男は獣皮を貢し、女は布を調せしめた」日本書紀 しかし、早くに狩猟民から水稲民に変化したため、なめし革製法は未熟。

三世紀後半、百済から皮革で履を作る革工手部(てひとべ)来朝。革帯、鞍具等の馬具製作にも携った。

493年高句麗より製革染革の工匠須流枳(するき)奴流枳(ぬるき)らが来朝。革なめしと革染めに不可欠な流水豊富、大和郡額田村で製造させた。「高麗(こま)の熟皮師(おしかわし)」と呼ばれ、代々製革染革に従事し、後に狛部(こまべ。狛は高句麗人の意)、狛染部(こまそまべ)と称した。日本書紀。以後急激に発展、染革も文(模様)を出し、技術向上。

538年殺傷禁止の仏教伝来。

592~628年仏教の伝来以後は薬狩と名を変え、毎年5月5日中国の風習に習って朝廷の恒例行事となった。中国で珍重された鹿の袋角、鹿茸(ろくじょう)を獲るのが目的とされた。

 鹿は袋角のみならず、内臓から毛皮まで皆利用されたことが、現存最古の歌集万葉集16巻乞食者(ほがいひと)が薬猟で仕留められる{鹿の為に痛みを述べて}つくったとして収録されている、寿歌(ほがいうた)からも窺い知れる。

大君に われは仕えむ わが角は 御笠のはやし

(材料) わが耳は 御墨の坩(つぼ)・・・わが爪は 御弓の弓はず わが毛らは 御筆はやし わが肝も 御膾(なます)はやし わが肱(みげ。胃袋)は ひ塩(塩辛)はやし・・・

 肉や内臓がなます(生食)や塩辛の材料とされ、爪や毛皮まですべて利用されている。当時も多数生息した鹿は、もっとも利用された動物の代表であった。日本狼は絶滅し、鹿は残った。日本民族共存共栄の証である。

646年大化の改新の詔で駅伝制度始まる。駅に多数の馬が飼育。

658~660年阿倍比羅夫の出羽津軽渡島(北海道)の「征夷」。生羆(ひぐま)二つ、羆の毛皮70枚を朝廷に献上。

701年日本最初の法典大宝律令の「牧厩令」で「官の馬牛死するものあるときは、各々皮、脳、角、(たん。肝臓)、を、収めよ」とある。当時朝廷は騎乗用の馬を大和や河内の馬飼部が飼育し、各地に駅伝や軍団用として飼い、官田耕作や、乳や蘇(ヨーグルト)を得るために、牛も飼っていた。この牛馬が斃死の際は、捨てずに、採取とのおふれである。皮はなめし革、脳はなめし材料、角は弓矢の部品、(たん。肝臓)は薬用。朝鮮は畜殺、日本は斃死(自然史)

718~757年「養老律令・職員令別記」当時造兵司には、甲(よろい)作戸、靫(ゆき)作戸、鞆張戸、楯張戸。漆部司には、泥障戸(あおりこ)、革張戸などが所属し、毎年10月~3月の間(農閑期)、各々の製品生産に一丁(青年男子)が従事。

728年「高句麗の子孫が、漢半島北部白頭山地帯(高品質の毛皮獣産地)の狩猟民靺鞨人を支配し、建国した渤海使節団、国書と貂(しょう。テン)皮3百枚天皇に奉った」。日本からは、絹・絹糸・綿・綿織物・黄金・水銀・金油(こしあぶら。塗料および矢じり固着用硬化接着剤)・ツバキ油・真珠などが送られた。始めは対新羅の軍事同盟目的だったが、交易に変化、以後2百年間37回にわたり来航は続き、貂のほか、虎・豹・羆・蜂蜜・朝鮮人参などが伝播。続日本書紀。日本特産品入手目的の来航である。

780年続日本紀

「今後は丈夫で軽便な革製の甲冑を造って国に納めよ。しかし、以前に造った鉄製の甲冑も捨てずに修理して使うように」武具や馬具製造用皮革需要増大。

790年続日本紀

「駿河以東、信濃以東の国々に数を定め、三ヵ年以内に造るよう命じた。蝦夷討伐用に革の甲二千領造らせた。

905~927年「延喜式(巻49兵庫寮)」甲冑一具に2~3頭分の牛皮が必要。馬皮鹿皮は、革紐用。甲冑一具製作日数。長工(熟練工)192日、中工220日、短工265日。

古代日本穢れの思想と仏教

 生命体は、「1食・2衣・3住」の生きるが第一義、食料生産民が主で正業、以外は「穀潰し」従の序列となる。現代とは真逆。

「生まれた以上は死にたくない」死の忌避は生命体の業で、結果最下層が芸能や生きると真反対の死に関する業となる。造化の神の造化物狩猟採取「獲る」、の受動から農耕「育てる」、の能動へ、自らが造化の神となる心の変化が、意識の大変革となり、精神と技術が研磨され、現代人の原点となった。しかし現代の資源なき日本、燃料は未だに受動で採取のまま、そして「穀潰し」は隆盛の極みで、「生きる」が第一義の食料生産民が「汚れ多」である。

律令制 良民と賎民にし、賎民を五賎に分けた。陵戸・官戸・家人(家来)は家族生活を許され売買されず。公奴婢・私奴婢は売買され家畜と同じ扱いの規定。総数は全人口の一割。650年頃からで750年頃が最盛期、律令国家の崩壊で拡散、10世紀には良・賎の区別消滅。Ⅱにつづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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