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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観Ⅲ子孫世襲と錯覚穢れ多元凶公家差別鵜呑みヒトラー猿真似京都大阪腐民

1444年室町時代「下学集」漢和辞書。

 多 (この漢字が言葉狩りで使えない。言葉狩りはよけいに目立つだけで、差別増長の愚行!)児也・河原者 

 「穢(けが)れが多い→多」当て字が正答であろう。差別化は分業がすすんだ都市部が激しく、自給自足の田舎は皆無に等しい。田舎の斃死牛馬は埋めたり水葬にした。

仏教で多・戦国でカワタ・平和で清めへ戻った

1333~1384年観阿弥・能・観世流の流祖。

1363~1443年世阿弥・観阿弥の長男・能役者能作者。

1489年山水河原者、善阿弥、銀閣寺などの庭を作庭した。

1423~1502年村田珠光、茶道の始祖。南都の杢市検校の子とされ、11歳の時奈良称名寺にあずけられ出家するが、後に還俗し諸国放浪(体制から落伍しての、放浪)。一休に学び、茶禅一味の境地に達し、侘茶を創始した。

1392~1481年一休、名は宗純、号は狂雲子、後小松天皇の子とされる。生涯定住することまれで、各地を巡って貴賎士庶の別なく布教。晩年の1474年京都大徳寺住持となり、応仁の乱で荒廃した同寺の再興に尽くした。著書「狂雲集」。

1526年駿河の国の大名今川氏親が城下の府中にカワタ部落をつくり、毎年の皮づくりを命じた。

1538年相模の国の北条氏が伊豆地方のカワタを集め毎年の皮づくりを命じ、移住を禁じた。

 武具馬具は戦争の必需品、戦国大名は多くの特権を与え、カワタを集めた。

1550年(室町末)頃、それまで他の賎業と一緒にされ、河原者、多と呼ばれた集団は、急に賎業から選別され、カワタ「皮 田皮 多革 多(連続は、言葉狩りで使えない)・川田」と呼ばれるようになり、集まって生業を営んだ。集落名をカワタ村カワタ部落と呼んだ。部落形成は差別のためではなく、戦国大名の移住禁止や効率促進のためで、戦国時代で革産業が隆盛を極めた証し。兼業の賎業から独立した専業カワタ産業時代、江戸時代始めまで続いた。手部→皮手→カワタか?

1590年家康江戸城入場後、頼朝以来の賎業民(丐徒・かいと)28座を取り締まる(この漢字が言葉狩りで使えない。言葉狩りはよけいに目立つだけで、差別増長の愚行!)多の頭領と口上の、だん(この漢字が言葉狩りで使えない。言葉狩りはよけいに目立つだけで、差別増長の愚行!)左衛門と出会い、多頭「ちょう(この漢字が言葉狩りで使えない。言葉狩りはよけいに目立つだけで、差別増長の愚行!)吏頭」)に任命した。28座とは、カワタ、舞舞(幸若舞などの芸人)、猿楽、座頭(琵琶法師)、陰陽師、壁塗、石工、土器師、鋳物師、弦差(弓の弦張り職人)、猿引(猿回し)、傀儡師(操り人形師)、旅役者興行権、ちょう吏など。ちょう吏とは、清掃や死穢の片付け、逮捕処刑等刑政上の末端的役割を担った者で、当時全国には数多のちょう吏集団が在り、ちょう吏頭は、名前を代々襲名していた。だん左衛門一家もその一つ。新興の技能集団と芸能集団とカワタが賎業民の中身である。江戸時代の「河原者」は歌舞伎役者の賎称。芸能集団の興行権も多頭(ちょう吏頭)が有したので、始めは歌舞伎の興行元でもあった。この時代までは「工」も多。

1603年歌舞伎芝居の始祖出雲の阿国、お国歌舞伎(流行り歌や念仏踊りをまじえた演劇)を京都で興行。かぶき者(体制から外れた異端者)の風俗を取り入れた演劇。出雲大社の巫女と称したが、出自は不明。没年は1613年以後。

1603年(江戸時代)徳川家康「士・平民(農工商)・賎民(えた・ひにん)」と身分を固定した。従来の死牛馬処理及び皮革製造はそのままで、新たに、犯人逮捕・牢屋番・処刑役・警備人足役などに従事させた。関八州を含む12カ国7千余戸(9千8百余戸とも)の多・ひにんの総頭として君臨した。

 最下層「ひにん」は、出生のほか、刑罰や心中未遂や生活困窮転落者で、都市での遊芸物貰いなどの浮浪者。清掃・罪人引き回し・死骸の取り片付けが仕事。もとの身分に戻る「足洗い」の制度もあった。抱えひにんと無宿の野ひにんとがあり、江戸や関東周辺12カ国の抱えひにんは、各地のひにん頭を通じてだん左衛門が統括した。江戸時代は、士農工商ひにん以外はか?

1645年だん左衛門は、山谷堀が墨田川に合流する1万4千坪の「囲内」に移り、皮革製造、太鼓の皮張り、雪駄や灯心づくり等の生業も営み、下駄屋、草履屋、鼻緒屋、馬具屋、三味線屋、筆屋等に製品を卸した。皮なめしは夏で2ヶ月、冬で3ヶ月を要したという、墨田川を作業場に、ここに代々世襲で住んだ。

 カワタから多に戻らされた理由は、武具馬具は戦争の必需品なので、表の士農工商・親藩譜代外様から外れた枠無き裏組織で、幕府が裏でも全国を支配しようとしたからだろう。だん左衛門は結果世襲し、15代265年間続いた。

1656年出島のオランダ商館、鹿皮の輸入最高記録19万5574枚。平和な時代に武具作りはすたれたが、皮の袴や羽織(明暦の大火で耐火・耐水性が証明され普及)、鼻緒、足袋等の民需に移行した。足袋の語源は「単皮。たんぴ」で元々は革製、鎌倉武士が始まり。

1690年人倫訓蒙図彙

「滑皮師と皮細工師」絵図。民間産業と成った証し。

1711年唐人屋敷中国商人からの唐革(からかわ)輸入記録。総数8万5821のうち、鹿皮6万7607枚。

1714年大阪への皮革入荷2万1503枚、和毛皮4806枚。輸入皮革は主に長崎と大阪で加工されたようで、大阪の渡辺村には輸入革専門の革問屋も出来ていた。ここから地元播磨神戸京都などの加工業者に送られた。

1789~1801年だん左衛門書上 支配数、多5664軒・ひにん1995小屋・猿飼61軒。支配下の者への徴税権を持ち、皮革及び灯心等の独占製造販売の特権を与えられ、莫大な収入を得た。特権の代償として、太鼓類・皮革類・灯心等や刑政上の末端的役割を、無償で提供した。

1800年の資料。「囲内」には、多232軒・猿飼15軒のほか、太物屋(綿麻織物屋)・質屋・湯屋・髪結いまで軒を並べ、ミニ江戸を形成していた。だん左衛門屋敷は2千6百坪で板塀をめぐらし、表門には6尺棒を手に手下が警備した。邸内には金方役所(貸し金業)・7棟の土蔵(弾家の財宝)・11棟の物置(皮革品貯蔵)・多・ひにんを裁く白洲・3棟の牢屋まであった。上役・下役・小者・非役220人ほどが、毎日屋敷で勤務した。これだけのことを許可した徳川、裏幕府さながらで、代々の世襲は裏大名裏親藩である。単なるゑた頭と見ては間違い。朝鮮のような差別し排除ではなく、落伍者を賎業者が救済、幕府の「油を以って油煙を落とす」政策である。この排他無き統治が、比類なき百花繚乱芸、落語・漫才・講談・浪曲・音曲・雑芸(曲芸・軽業・奇術・傀儡)を育む土壌を生んだと言っても、過言ではないだろう。救済目的の差別で、無知の民族浄化、李朝獣・家畜差別とは、根源が異なる。李朝には、江戸匹敵の諸芸無し!

1857年渋染め一揆。「着物は無地渋染め藍染に限る、絹類は一切不可。雨天時の下駄履きは認めるが、百姓に出会ったら、下駄を脱ぎお辞儀せよ、雨天以外は禁。年貢滞納無き家の女子は、竹の柄の白張り傘使用は認める」(以前は、そうではなかった。明らかに李氏朝鮮と異なる)岡山藩のカワタ差別のこのお触書に、53ヶ村のカワタ者が抗議し強訴、撤廃させた。首謀者5人は獄死。カワタ者は百姓が放棄した土地で耕作し、年貢を収めていた。百姓同様にしているのに、差別は不服が、抗議の主旨であった。一揆には、見事な連帯と統率と堅固な意志が有り、お触書作成者があずかり知らぬ約束違反への、抗議ともとれる。藩主、非を認めての撤廃ではないのか。

 大名不可欠武具製造カワタも、平和の御世となり変化した。江戸末期のカワタは諸藩で異なる。分業の都は、仏教隆盛地最悪忌避地となったが、絶対不可欠職、最悪忌避地ほど独占業の度合いは増大、旨み度も増し部落化、閉鎖された特別部落となった。この違いが、現代の差別有無である。旨みも無く差別のみでの存続不可は道理、最悪忌避地ほど旨みはあった。無人島に堕ちた者はしがらみを捨て、1食2衣3住に徹した。いわば故障者リストの場であった。

 だん左衛門のような長は、技術伝承目的で世襲されたであろうが、部下の職人の世襲は皆無で、絶えずの入れ替わりであったと推察できる。260年経ても部落、が証し。差別業を父子相伝する親など皆無は道理で、癒された者は皆回帰し、これを閉鎖性が助力した。差別無き木地屋集団世襲とは異なる。

 後の賎民廃止令は、旨みや閉鎖性の一切を破壊、忌避のみを白日の下に晒し、忌避民、忌避部落民として職業から人へ差別を変貌させ、固定した。回帰の場を破壊した、新たな人差別令といえる。折悪しく居合わせた者と子孫は、悲劇となった。

1866年だん左衛門第二次長州征伐に、500人を人足として従軍させ、幕府に協力。

1867年大政奉還

1868年だん左衛門直属の手下65名と共に、「平民」に身分が引き上げられ、町奉行与力格に任ぜられ、名を弾内記と改めた。江戸城開城2ヶ月前のことである。新政府から、役目はこれまでどおりでよいと通達された。

1868年5月3日江戸城無血開城。身分制度崩壊。

1870年7月弾内記は陸海軍の皮革製造局を提案。兵部省これを受け、王子滝野川に「製革製靴伝習所及び御用製造所」開設。12月弾内記は名を、直樹に改めている。他和歌山に「西洋沓伝習所」、築地に製靴工場を兵部省は設置、外国人の指導のもとに伝習させた。

1871年(明治4年)3月「斃牛馬勝手処置令」飼い主が勝手に処理してよいという法令で、牛馬獣類入手が無料ではなく有料と成った。皮革業には大打撃となった。

※犬も食う肉食伝統文化朝鮮白丁の、殺業と混同し、殺業と記載の、無知の書籍氾濫だが、日本の「肉(牛豚)食明治時代から」なので、殺業ではない。「斃(自然死)牛馬処理皮革加工業」が正しい。

文明開化の肉食で、徳川時代のが、仏教の穢れ多に逆行、民差別民浄化に変貌。

1871年(明治4年)8月解放令(賎民廃止令)多・ひにんなどの称を廃し、身分職業とも、平民同様であると発した令。法令上解放されたものは40~50万人。喜びではあったが、えた・ひにんの独占業も希望する全ての人に解放されたため、差別(禍)のみではなく、独占業(福)という温室も排除されたのである、当然生活は皆困窮した。以後差別は陰に籠もり、新平民などと婚姻職業等、いわれのない差別が、関西地区特に京都で増した。勝った公家が権力を倍加し、結果、差別も倍加したのだ。

1872年(明治5年)3月兵部省から向こう10年の軍靴製造委託を受けた弾直樹は、皮革収集にいそしんだが、翌年5月、契約解除を通告され危機に瀕し、2年後、三井家の援助で三井家の手代北岡文平が加わって事業が再開された。

1889年(明治22年)7月9日270年の世襲職、だん左衛門の幕は閉じられた。弾直樹死去、69歳。事業は息子の良裕らが継いだ。政府は賞状と銀杯を下賜、功に報いた。

1895年(明治28年)日清戦争 差別は日清戦争後から次第に社会問題化されたが、主眼は生活改善におかれた。融和教育。

1899年(明治33年)弾の共同経営者北岡文平が老齢で引退、これを機に会社組織に改め、「東京製皮合資会社」として再出発した。

1922年水平社運動 差別撤廃運動。西光万吉・奈良県出身、父は浄土真宗本願寺派西光寺の住職。部落差別のため僧侶画家への道を阻まれた。「水平社宣言」を起草。

 平民の旧多は、独占業崩壊で専門職以外は失職、転職は差別で阻まれ、見た目には異種と見間違うほどの困窮者部落と化したであろうことは、識字教育が物語り、想像に難くない。「衣食足りて栄辱を知る」、その衣食を奪った元凶は、倒幕勝者公家の「穢れ多」差別を鵜呑みし、ナチス民族浄化を猿真似した京都腐民。京都の公家は武士の台頭にも残り存続、そして今度は倒幕の勝者である。江戸は倒幕され、敗者なので身分制度は崩壊したが、京都の律令以来の伝統差別は、倍加され今度も公家と庶民に残り、新平民呼ばわりで関西に広めた。関西のみに残る極差別が、証拠である。水平社運動の根底には、破壊されず延々と残ったこのすさまじい形骸差別があり、根深いものとなった。そして京都発のこの形骸差別はあろうことか、以後、ヒトラーの浄化差別へと変貌していく。

1945年終戦 大東亜戦争にも、伝統差別の京都は空襲にも遭わずこんども残った。関西の穢多は敗戦と差別で困窮の極みとなり就学不可、識字さえ儘ならなくなり差別はどんどん比例し、奈落へ突き落とされた。身分調査“一見さんお断り”はその証しである。在日が、「血が汚れる」と済州島出自を侮蔑するのと同類、関西の“婚姻出自調査”は執拗で異常。律令以後破壊されず残った京都発の猿真似差別、サントリーの東北差別発言等関西は根深い。

 こんな差別は関東等、他の多には無く、関西のみである。とかく伝統を冠する城下町ほど、よそ者差別はつきものだが、東北出自の真実史観も関西で始めて目の当たりにし、当時の見下す目には驚いた。この事は、京都発の浄化差別猿真似が、すべての原因を、明晰に証明している。関西は、浄化差別で生きる権利を奪った。生殺与奪の権を行使した朝鮮両班やヒトラーと、同じといえる。下克上無く唯一遅れた遺物文化の関西は、ヒトラーの猿真似、京都発浄化差別払拭教育が必須。このままでは、取り残された日本唯一の、「穢多」となり、逆に差別される。

1955年部落解放同盟と改称

1960年全日本同和会と改称 同和教育(戦前は融和教育)。差別のため、職につけずの貧困で、子供を学校に行かせられず、教育がなおざりにされてきた被差別部落救済目的の、識字教育運動。

1976年全国部落解放運動連合会と改称

差別業父子相伝皆無は常識。子孫無茶苦茶差別に世襲錯覚、由来書偽造喧伝、さらに拡大。

1912~1981年森田嘉徳。古代の神話伝説に接合し、現在の起源を説く一連の、「河原者由来書」提唱者の元祖と思われる人。「河原巻物」と言う用語を提唱して、定着させた。「河原巻物」は、各地の被差別部落に伝わる由来書、「三国ちょう吏由来記」・「蛭子末流由来記」・「皮 田由来書」などの総称。いずれも木地屋集団の伝説を手本とした、近世紀の成立と考えられる偽文書。マイペディア百科事典。

 木地屋集団(ろくろ師)は、塗装しない木地のままの器類を作るのが生業の職人。良材を求め全国を旅し、山間に定着した。近江の国君ケ畑を本貫地とし、惟喬(これたか)親王を祖神とする伝説を持つ集団。

 賎民ゆえに争乱が、脱出最大のチャンス、争乱の度に人員入れ替え有るは、道理。結果、職業(独占業)だけが逆転待機の場として継承された。関西限定差別は、折悪しく再起待機の場に居た人が狙われ、犠牲になった。賎民廃止令以後、京都腐民の公家真似差別で、なんと字も読めぬほどに隔絶され、完全失職、貧困の極みで異容(元凶は腐民)となった。これを見た腐民が輪をかけ喧伝、子孫払拭目的の由来喧伝がさらに差別拡大を煽り、関西は又聞きと偽造の坩堝と化し、ペクチョン排他差別と同類化した。盛者必衰禍福あざなえり、禍のみ世襲、福のみ世襲など、史上皆無は常識、基を辿れば皆賎民。人は堕ちるが世の習い、堕ちた時代が運悪く身分固定の時代、運が無かっただけで、人は人で皆同じ。たかだか100年前が始まりの、関西限定差別の顛末である。再発防止のために、腐民の証しとしての差別語は、子孫に残すべきものである。

 日本は、良民賎民あざないの下克上流転の歴史だが、唯一京都だけは、あざなわず破壊されず、主客転倒無く2000年間も、律令の都である、差別はそう簡単には消えないだろう。差別業を、好んで世襲させる親など居無い。御先祖愚弄由来書と同類の、連合会なんぞ解散し、関西脱出が策。堕ち、そして歴史に名を刻んだ先人、1900年を範とし、歴史とするのが賢者の策。禍を、子供に残す親などいない。

 遊牧民は極地故に肉食が糧であった、水稲民は暖地ゆえに肉食から早くに脱却しぬくぬくと暮らせた。寒暖ただそれだけの違いである。ペクチョンも「穢れ多」も肉食の欧米ではただの人、水稲民数多の中の、少数ゆえの差別といえる。動物か植物かの違いで、命を食っていることは同じ。生きている者すべてが、児である。

 歴史の転換は勝者と敗者の入れ替わり、下克上であざなってきた。良民(勝者)賎民(敗者)と各時代は政策上区別したが、李朝では害獣差別業。日本では、転落を賎業が救済、現代スポーツの、故障者リストの場でもあった。職業に貴賎は無い世となった現代、恩恵にあずかる食肉業や皮革業を賎民とはだれも呼ばないだろう。古代も現代も民は民、同じである。伝統は悪しき弊害を継続することではない、弱者少数民族を差別し続けた欧米は、ヒトラーで断ち切った。日本の穢れ多は、難民救済職でもあった。日本は京都の公家以外、下克上の歴史である、関西差別は李朝獣・家畜差別と同類、愚行以外の何ものでもない。

 ルーツが同じ海洋民日本と朝鮮、隔たりの差は、海洋民から乖離し水稲民のみで属国化した朝鮮と、海洋民水稲民山の民が共存継続し、八百万の神を崇め団結、天道を死守した日本との差。白村江の戦い以後が乖離の始まり。日本では1100年前に消滅の律令制を、李氏朝鮮は100年前まで続け、人間を家畜とみなし売買し、伝統芸も文化も破壊した。朝鮮に巨樹無く、日本には数多の巨樹在り。日本とは真反対の、悪しき鏡である。
 朝鮮は、自立自存の高麗伝統文化を破壊し中国に事大、日本統治時代も破壊し捏造。李朝獣・家畜差別を隠蔽し、四三民族浄化虐殺も、10月人民抗争・朝鮮戦争・保導連盟事件・居昌事件・国民防衛軍事件・光州事件等の同胞差別殺しも、みな共産殺しと捏造した。伝統文化を破壊し歴史を捏造するのが朝鮮である!
 全部破壊の結果、歴史破壊の空白を埋める小道具、なんでも起源を捏造、嘘の上塗り国家と成った。中国は凶産カルト教差別で同胞殺し、朝鮮は李朝差別で同胞殺し、差別同胞殺しを犯日で隠蔽した国家である。捏造朝鮮史の顛末である。

 生命体は「1食・2衣・3住」の「生きる」が第一義、食料生産民が主で、正業以外は「穀潰し」、従の序列となる。現代とは真逆である。資源無き日本の現代、燃料未だに採取のまま、そしてなんと仮想現実界穀潰しは、隆盛の極みで、生きるが第一義の食料生産民が、「汚れ多」である。

仮想界公に働けば傍目八目の世界、無知蒙昧を啓発し教え導く啓蒙が第一義。ナチス差別蔓延の元凶はNHKや仏教等の仮想界。

 年号等、おもての結果のみ丸暗記してオウム返しの文系教授等識者、持ち上げ煽る出版社やマスコミ、拝金主義仮想界には、清濁併せ呑む検証が全くの皆無。戦後、NHK新聞出版社教授教師作家等の仮想現実界職責者は無検証で、職責も果たさず、いわれ無き差別を助長した。その時代の字句や言葉はその時代を語る証し、差別的字句と差別し、検証もせず封殺したのも仮想界である。狭義と広義、歴史を善悪史観などの狭義でみると見誤り差別が産まれる。司馬史観などと仮想界こぞって煽り、特にNHKは小説を歴史と捏造し金儲け、国民を愚民にした。司馬の小説は狭義の善悪史観、勧善懲悪新釈諸国話の類、歴史に非ず。A(朝日・悪事(NHK・ネットT(TBS・中朝)の日本軍は、全て極悪。善悪判決はANTの仕事ではない韓流騒ぎも、この中朝ANTのみ。

 田舎の正月のご馳走である家禽の鶏でさえ、解体調理した父は、旨いとは思わないといつもつぶやいていた。解体調理の過程を知らない子供心には、こんな旨いものは無かった。実業と虚業の差である。

 仮想現実界良民保証、現実界保証無し、賎民も有りうる。実業無き文系教授識者等の仮想界は、下克上が無かった京都公家社会だ。下克上無き公家の真似、関西差別「穢れ多」と、検証無きオウム返しの先人冒涜は同じである。仮想現実界学究の志士は、おしなべて、形骸の空七光りは捨て、諸芸の始祖の如くに皆堕ち、禍福併せ呑むのが道。呑めば、法然親鸞日蓮も、芭蕉も、牧水も、山頭火も、東條英機も、傍目八目もみな、しみいる。臭い物には蓋ではなく、蓋を開け、「なぜ、どうして」と禍福をあざなう事が学究であろう。

2012/10/19橋下VS朝日の「DNAとして受け継がれて危険」は執筆者佐野眞一の捏造である。人口増加無しは、始終出入りの証拠で、「解体皮革加工技術」は受け継がれたが、代々居残り、子孫を増やした者は居ないは、世襲(DNAの継続)なしを明白に物語っている。もちろん、殺(肉食目的で殺す)業ではない。

 全て正真正銘の日本人である。災害や事業失敗や失職等の生生流転が人生。何らかの理由(火事や災害等で文無し又は身体障害等)で、当時も現代同様に、浮世から外れた人々が当然居た。忌避職業を選択した人々は、浮世のしがらみを捨てることを代償に、生きる為の殺人強盗詐欺師等の罪人になることは拒否した、清廉な人々である!だから、津軽三味線や能、歌舞伎等の禍福昇華芸能、唯心の極みが産まれた。

 集まった場所が、「同和や被差別部落」という仮の宿(今風表現なら故障者待機所)だったにすぎない。子供に差別職を継がせる馬鹿親など、いない!常識で考えれば子供でも解ることだ。止むに止まれぬ事情となったが、犯罪者の道には進まず、生きるために、浮世人が蔑む職に就いたに過ぎない!差別教育がそもそもの間違い、転落の可能性は誰にでも等しく有る。

 一方では人権(慰安婦)、一方では差別(部落)。歴史無知の朝日の輩が繰り返す蛮行!職責(学究)を果たしての言論の自由で、捏造の自由など無い!製造日誤植でも断罪存亡の危機が現実界!「おわび」ごときで決して許してはならない、また繰り返す。現実界同様の断罪が妥当。言葉と文字界職責者の、この無責任が、日本を貶め、苦しめているのだ

生き者の実像、無人島では皆が屠者。無人島穢れ多島日本清め島原点回帰島。

 落伍し堕ちた河原者永遠回帰(永劫回帰)から、一期一会・伝統芸・歌舞伎・造園・茶道・人形浄瑠璃・文楽・幸若舞・津軽三味線・能・わび・さび等が産まれた。転変に不動の、人の矜持をもった民族を物語っている。良民(枠内)では物欲の七光りが眩しくて見えない、枠から外れ落伍、むくろと対話した者にしか見えない、現代仮想界皆無、命との火花の世界である。かたちは相伝されたが、おもいを知るは果たせない、一代限りの華火である。末期の目にしか現出しない。生命体共通の末期の響きが言葉や人種の壁を震わせ、直接琴線を奏でるのだ。日本文化が世界に伝播した起因である。錆びがみえないのはまだ堕ちていない証。堕ちて詫び入りさ錆びしみる。おちてわびいりさびしみる。真実史観

 最下層とされ差別されたが、最下層なので同時に独占業でもあった。故に、生存競争の落後民や難民等の最弱者お助け所でもあり、能、石庭、そして、わび・さびを産んだ。糧を得脱出、勇躍した者、糧を得たが力尽きた者もいたであろう。縮図、裏面史である。日本人、「生きる」への、なんとも巧妙な知恵か?はたまた万の神のご加護か?形容の言葉もない。

 恨みとパンのみに生きる、唯物凶産中朝韓罪日とは、根源的に異なる。真逆の極が、日本人唯心である!

 津軽三味線や能、歌舞伎等、今に残る数多の芸は、おしなべて苦界に落ち、苦界より生じた芸である。がしかしそこには、恨みつらみなど、微塵も無い!まさに禍福昇華、唯心の極みがあるのみである。ゆえに、時代を越えても、人種宗教言葉を超えて、共振するのだ。

 完

 

参考文献

「毛皮と人間の歴史」西村三郎著紀伊国屋書店 

 

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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