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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1佐賀邪馬台国卑弥呼陳寿魏志倭人伝旅程歴訪日加算方角距離のみが正確


1佐賀邪馬台国卑弥呼陳寿魏志倭人伝旅程は歴訪日加算方角距離のみが正確

 やっと追試を始めたマスコミ。「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷克美著10.4.新潮新書。田母神諫言も、ネット常識の追試である。

2009年の旅、常識を羅針盤にイザ邪馬壹へ!

 従来の歴史学者の間違いは、無意味の歴訪見聞録日数、水行十日陸行一月を、距離計算したことと、海洋民の命、方角距離の改竄である。訪倭日数は何度も往来があると記載されているので、双方の常識、水行二十日だろう。三国志魏志倭人伝目的は、位置(方角距離)と見聞録である。水行十日陸行一月には、三国志韓伝と三国志倭人伝両方の見聞歴訪日数が含まれているので、従来の距離計算は愚論。

 倭人在帯方(黄海北道の南浦・『後漢書倭人伝』「隋書俀国伝」から想定)東南女王國萬二千餘里(720km余)は、佐賀県庁。道行全てが、この一直線上に在る。郡(南浦)七千餘里(420k余)→北岸狗邪韓國千五百里(始度 一海。北岸から一歩一歩進み90k巨済島で、やっと一海。ここまで三国志韓の条記載)→巨済島千餘里(60k余。ここから三国志倭人の条記載)→對海國千餘里(60k余)→一大國千餘里(60k余)→末盧國東南陸行五百里(30k)→伊都國南→投馬國南→邪馬壹國女王之所(佐賀)。一里=60kmは、一大國方可三百里=壱岐長辺18kと、對海國方可四百餘里=下県郡長辺24kから算出。「方」は一方向、二方向の場合は「地合 方四千餘里・同時代の『後漢書韓伝』記載」となる。「參問倭地・・・周旋可五千餘里」も、倭地は女王國基点周300k餘内の地となる。このように三国志の方角距離は見事に正確で、正に適者生存した子孫なのである。

 ものの道理に基づけば、誰でもがピタリとたどり着けます。常識説なので、無道理飛び石思考の歴史学者は無理でしょうが、道理が基の考古学者や皆さんは、諸手を挙げると確信します。イザ邪馬壹へ!

日本人のルーツ

 20代の半ば、仕事で三重県尾鷲市の幼稚園を訪問、園長先生に面会、名刺を差し出した。名刺をじっと見つめた初老の女園長先生は、「宮城県でしょう、出身は」。「そうです、どうして分かりましたか」おどろき問い返すと、「私の亡くなった主人も同じよ」と言いつつ、同姓の名刺を取り出した。三重県尾鷲市と宮城県、陸では遠隔の地であるが、古くから漁船の交流があり、隣町のようなものと、話に花が咲き、懐かしげに語っておられた。数十年前のことであるが、今でもこの事が鮮やかに思い出される。点から点への移動、陸はジンギスハーンの馬、海は船。地中海の船、バイキングの船、大航海時代の帆船、卑近な例ではドラクエの船の入手、文明の加速は全て船が起点である。島国日本、船の発明、船を語らずして古代は語れない。

 7万年~1万年前の氷河時代最後の氷期に、大陸からナウマン象を追い氷河を渡り、後期旧石器人、モンゴロイドが渡来し海や山の民として定着。後に船が発明され、山の民から別れ、あま(海)の民として日本海海洋文化圏を築く。一方船を発明した南方のモンゴロイドも、陸伝い島伝いに北上し渡来、揚子江河畔の船を発明したモンゴロイドも渡来し、在来のモンゴロイド(山の民、海の民)と融合した。モンゴロイド海洋文明圏を築いたあま(海)人、そして水稲文明圏を築いたあま(天)人。かれらが日本人の先祖と言える。耽羅(済州島)や半島南の祖先でもある。

 日本最古の黒曜石は.、3万5千年前頃の武蔵野台台地の旧石器時代遺跡から出土。和田峠、箱根が主体で、神津島産が少量混在している。神津島は下田から南南東60キロにある黒曜石産地の島、現在の水深200mで、当時以来、本土とは繋がってはいない。5千年前頃の縄文中期には、能登半島伊勢湾等2百キロ圏まで、分布を拡大した。北海道白滝産黒曜石は、アムール川下流マラヤガニ遺跡、サハリン州サバトナヤ遺跡、新潟県で出土。佐賀県腰岳産は5千年前頃の水佳里や東三洞貝塚で出土。ちなみにヨーロッパでは、南ギリシャ、フランキティ洞窟、1万2千年前頃の中石器の層から発掘された黒曜石が、2千キロ離れたエーゲ海のミロス島産とされ、世界最古の「海上交通」の始まりとされていた。「遥かなる海上の道」2002小田静夫著青春出版

 古くから黒曜石日本を中心とした海洋文化圏として中国揚子江、朝鮮半島南(百済、新羅、任那)、耽羅(たんら、済州島)、南西諸島、五島列島、対馬、壱岐、九州(南方文化)、島根(出雲)、隠岐、能登、佐渡、新潟(越)、瀬戸内海、黒潮ルートの尾鷲が存在し、文化を共有する地中海文明と同様の海洋人がいた。

 黒曜石の伝播が、海洋文化圏の隆盛を促進し、あま(海)の道が、米の伝播を促進した。古代日本、あま(海)の民は日本海を制し自由に航海、大陸や半島沿岸に黒曜石文明を伝播、居住した。九州の黒曜石が沖縄本島(佐賀県の腰岳や、朝鮮半島南部釜山広域市影島区(ヨンドグ)にある東三洞(トンサンドン)貝塚(佐賀県の腰岳、大分県姫島で、隠岐と脇本(秋田県)産の黒曜石が、ロシアの沿海州で、確認されている。黒曜石研究の動向
 

あま(海)の民日本海洋民が支配していた海

三国史記巻第二新羅本紀第二

 12(西暦295)年春に、王が臣下に向かって「倭人が、しばしば我が領土を侵して来るので、・・・一時海を渡って行って、その国(倭国)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」

 これに対して、弘権が「我々は海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。――」

 王はこれを聞いて「それもそうだ」といいました。

 韓半島住人は、海洋民を倭寇と呼称し、自らは海洋民でないことを自白している。日本海呼称は、海洋文化圏を築いたあま(海)の民日本の、由緒ある名称である。由緒なき東海朝鮮海などではない。

 

文明の伝播は地中海文明や、大航海が示すように、海路がはるかに速い。北方民族が陸路最南端の地に辿り着き、文明を開いたので無いことは、南下途中の継続文明皆無や、同時期発祥の共通文明で証明済み。古代の朝鮮半島南部人は、中国と日本の海洋民族が祖先であることは明白である。

完成した北部九州の団体作業水稲耕作技術は、海洋人を経て朝鮮半島南、耽羅(たんら)(済州島)に同時に伝播し、百済、新羅、伽耶諸国、耽羅(済州島は火山島なので畑作中心だが、海洋人の寄港地として栄えた)国が生まれた。朝鮮北方には皆無の半島南に限定された日本と同様の文化は、日本と百済、新羅、任那が同一文化圏を物語り、日本の支配下にあったことを証明している。百済人、新羅人、任那人は、現代の東北人、名古屋人、大阪人のような地域呼称で、三韓と耽羅の基礎民族は朝鮮人ではなく海洋民の倭人。したがって桓武天皇(737~806)の母(母は土師真妹)の父(百済系氏族の和之継)は、百済出身の日本人で、北方民族と日本人が混血した、現代の朝鮮人ではない。

 三韓(馬韓弁韓辰韓)も三国(百済伽耶新羅)も、祖先は、海洋民の日本で、当時は日本海洋文化圏の一部であった。北方民族と混血した現代韓国人とは異なるのに、愚考を繰り返す韓国人(2012/11/24古墳・寺院の随所に韓民族の息吹「日本の中の韓民族史探訪」)。(2012/12/15真逆に捏造する妄想韓国人)。
 古墳・寺院の随所の息吹は日本海洋文化圏日本民族の息吹で、北方民族と混血した現代韓民族の息吹では無い!

 

檀君朝鮮
 後の高麗時代に編まれた「三国遺事」で、朝鮮全土の始祖神とされた。今の平壌に都し、治世1500年、1908歳の長寿と記されている。

箕子朝鮮
 箕子は殷の王族で、殷の滅亡で逃れ、朝鮮半島北西部の王険城(現、平壌)に建国し、衛氏朝鮮に滅ぼされたという、伝説の国。

BC195108年衛氏朝鮮。華北の燕(北京に都した)から朝鮮に逃れた衛満が、王険城(現、平壌)に建てた王朝。

BC108年 中国漢武帝、衛氏朝鮮を滅ぼし、玄菟(遼東に移転)・臨屯(楽浪東から北東、ほどなく廃。後に濊貊)・楽浪・真蕃(楽浪以南、ほどなく廃。後に三韓)の4郡を置く。史記(中国正史の第一。前97年頃成立)(注・ここまでは皆、平壌界隈以北中国絡みのみの歴史である)。

AD204年頃 朝鮮楽浪郡南半分に、帯方郡が設けられる。

BC108 ~4世紀中葉朝鮮原三国時代・楽浪郡馬韓辰韓弁韓

濊貊(わいはく) 後の不余高句麗の祖先、狩猟牧畜が主で農耕は従。半島北部から中部の日本海側に住んでいたツングース系民族。

楽浪郡 B.C.108年 中国漢武帝、衛氏朝鮮を滅ぼし置いた4郡の一つ。韓半島中部の西で、東はわい貊(はく)、中心は現在の平壌界隈。北部朝鮮楽浪は、中国植民地として長く栄えた。

帯方郡 204年頃遼東の公孫氏が南半に帯方郡新設、東で接する「わい貊(はく)」南の三韓に備えた。今の黄海南道からソウル界隈が南限。313年高句麗「わい貊(はく)」に滅ぼされ、後に百済領。

三韓と倭 三世紀中国の文献に書かれた三韓

『三国志魏書』馬韓伝。中国の文献『三国志』魏志の東夷伝韓の条

 は帯方郡の南に在り、東西は海で尽きる。南に倭と接し、方(南北)は四千里(1里60km×四千里=240km)ばかり。韓に三種あり、一に馬韓、二に辰韓、三に弁韓。辰韓は昔の辰国なり。馬韓は西に在る。その民は土着し、種を植え、養蚕を知っており、綿布を作る。各邑落には長帥(邑落の長)がおり、大長帥は臣智と自称、その次が邑借で、山海の間に散在しており城郭はない」。

『後漢書』馬韓伝

「韓に三種あり、一に馬韓、二に辰韓、三に弁辰。馬韓は西に在り、五十四国。その北に楽浪郡南に倭と接している。辰韓は東に在り、十二国、その北に濊貊と接している。弁辰は辰韓の南に在り、また十二国、その南に倭と接している。およそ七十八国。伯済は馬韓の一国なり。(地合方四千里)土地は方四千余里を合わせる東西は海で尽きる、いずれも昔の辰国である」。

馬韓 楽浪郡の南、辰韓の西、南は倭。250年頃54国に分立、住民は稲作養蚕織布を知り、国々に臣智・邑借という首長を有し、3世紀には祭・政が分かれていた(注・邪馬台国と酷似する)。この中の伯済国が350年頃百済建国。

辰韓 北は貊(わいはく)と接し、西は馬韓、南は弁韓。漢江以南で洛東江の東、今の慶尚北道界隈。250年頃12国に分立、この中の斯慮が統一し、356年新羅と改称。

弁韓(弁辰) 辰韓の南馬韓の東、250年頃12国に分立、南は倭。洛東江の中下流域。後に加羅(伽耶)諸国(任那)として倭と密接な関係有り。562年新羅に併合。

 上記三韓南、全てが海洋民倭の支配地。

 三韓はいずれも川と平野が数多で、水稲好適平野は馬韓が最多、結果が54国の分立。南部海洋民子孫が水稲で隆盛を成し、水稲民と成り北上、三韓となり、北部中国人や狩猟遊牧民ツングース系民族との対立が窺い知れる。狩猟、答えは明白、米が凌駕した。南部海洋民→水稲民→三韓(水稲)→新羅(水稲)→高麗(水稲)→李氏朝鮮(水稲)。仏教も南部が起源で北上。この事は、海洋民を始祖とする水稲民文明が半島を北上、狩猟遊牧民南下文明と融合し、韓半島文明の基盤と成った事を、明解に語っている。韓半島基礎民族は水稲民。したがって、朝鮮人の真似中華、済州島(耽羅)や南部差別は、ご先祖冒涜の愚行で無知の自白となる。

 

稲の伝播が語る歴史

日本、旧石器時代、約3万5千年前からで、終りは約1万3千年前。

1万6千5百年前から約2700年前、日本、縄文時代。縄文式土器。稲の陸稲栽培開始の時代

 稲の陸稲栽培・焼畑稲作。水田を使わない稲作。

 稲の水耕栽培・田に水を張り(水田)、その水の中に苗を植えて育てる。種から収穫まで、陸ですべて終えるよりも、水耕の方が品質が高く収穫量が多いため、定期的な雨量のある日本では、ほとんどの場合、水田を使っている。

 イネの品種には、ジャポニカ「日本型・温帯ジャポニカ(水稲)と熱帯ジャポニカ(陸稲)」・ジャバニカ(ジャワ型)とインディカ(インド型)がある。

 稲の陸稲栽培 熱帯ジャポニカは、インディカの分布と重なり、更に広い範囲に分布し、陸稲と密接に結びついている。 

 稲の水稲栽培 温帯ジャポニカは、中国の長江北側から、日本列島というごく限られた地域に分布している。弥生時代以降の水稲は温帯ジャポニカである。

 ・・・揚子江沿いに在った「長江文明」を発見したのは国際日本文化研究センター教授の安田喜憲氏らでした(1996年)。この中国南方長江文明は、畑作中心の中国北方黄河文明に対し、稲作中心で、ジャポニカ種が栽培されていた。

 

 安田喜憲教授によれば、『今のところ、稲作の起源は、少なくとも8,600年前までは、確実に遡れる。もし、土器にある圧痕が稲作の証拠とすれば、少なくとも11,000年位前までは確実に遡れます。玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡や仙人洞遺跡では14,000年前まで遡れる可能性が指摘されているという段階まできている』。「長江文明の探求」 監修・稲盛著者・梅原・安田 新思索社刊 2004,8,30発行)

 1万2000年前 中国陸稲栽培 長江中流域にある江西省や湖南省で1万年以上前に遡る稲籾が続々と発見。焼畑による陸稲栽培と考えられている。

 7000年前 中国水稲栽培 長江下流の浙江省寧波の河姆渡(かぼと)村から約7000年前の水田耕作遺物が発見されており、稲の水田耕作は長江下流に起源。

 稲の陸稲栽培の伝来 日本へは、まず、江南から熱帯ジャポニカが南西諸島を通って伝播南九州へ(黒潮ルート)。

 

 稲の水稲栽培の伝来 長江下流域から直接北九州に伝来(対馬暖流ルート)。江南から西南諸島を経て南九州へ(黒潮ルート)。温帯ジャポニカによる水稲農耕の始まりも近年の稲DNAに基づく研究では、南方経由の可能性が高いとされる。佐藤洋一郎「DNAが語る稲作文明」

 

捏造ルート 遼東半島から朝鮮半島南部を経て北九州に伝来(朝鮮ルート)。かつてはこの捏造された朝鮮ルートが有力視されていたが、遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと、朝鮮半島での確認された炭化米、紀元前2000年が最古であり、畑作米の確認しか取れない点、極東アジアにおける温帯ジャポニカ種/熱帯ジャポニカ種の遺伝分析において、一部遺伝子が朝鮮半島を含む中国東北部から確認されない点などの複数の証拠から、対馬暖流ルートや黒潮ルートによる日本への伝来が、2000年近く早かったという学説が有力視され、朝鮮ルート否定。

 

 ・・・中国、朝鮮半島、日本列島の水稲在来品種250種のSSR多型を調べてみると、8つの変形版が見つかった。これらには小文字のaからhまでの字があてられる。aからhまでの変形版がどこに位置するかを調べると下記のようになる。

 

SSRの多型からみた温帯ジャポニカ(水稲の渡来。

日本の品種 abcの3種類(が少ない)

中国の品種 abcdefghの8種類全品種あり (aが少ない)

朝鮮の品種 acdefgh の7種類 (aが60%)

 唐古鍵遺跡(奈良)と池上曽根遺跡(大阪)の炭化米からもこの遺伝子が発見されたことも注目に値する。いずれも弥生時代中期(約2100~2200年前) の遺跡であり、SSR遺伝子はいくら時を経ても全く変化しないので、これらの炭化米は、2000年前からここに埋まっていた事がわかる。すなわち、2000年前明らかに中国大陸から遺伝子を含む水稲が渡来してきたことが実証できるのである。見えてきた稲の道1
(注・上記では。単純に「中国大陸から遺伝子を含む水稲が渡来」としているが、中国渡来説では、朝鮮に遺伝子欠落の説明がつかない)

仮説をたててみよう。温帯ジャポニカ(水稲の伝播。

1・4、200年前に訪れた寒冷化によって、中国北部の稲作牧畜民(漢民族、品種の稲所持)が南下し、稲作漁労民(a品種の稲所持)である長江文明を、攻め滅ぼした。中国の長江文明は崩壊したが、稲作漁労民(a品種の稲所持)はさらに南下して定住、aを栽培。

2・最古の品種aは、対馬暖流ルートで紀元前7世紀(2600年前)日本伝来。日本aを国内や朝鮮南に伝え、国が誕生する。

3・日本、新たな品種bcを得てabcとなる。(cは極少)

4・中国は更にdefghの新たな品種を得る。acdefgh

5・朝鮮中国の属国となり、cdefghを得、紀元前日本から伝来のaを加えacdefghとなる。

6・日本、品種bを中国に伝える。

7・中国、日本から伝来したbを加え、abcdefghとなる。

 

 陸稲熱帯ジャポニカや、南方長江下流原産水稲温帯ジャポニカ(緯度は日本の屋久島)が、中国北方の遼東半島や朝鮮北部(緯度は青森)に北上し、南下して伝播(北九州)は誰が考えても不可能で、痕跡も皆無。長江下流から北九州は、船のほうがはるかに近く、対馬暖流に乗れば、寝てても北九州に到着する、地図を見ればすぐわかる素人の常識問題だ。捏造は迂回するが、文明は迂回せず。

 

日本の稲の起源

 「プラント・オパール」とは、植物の葉の細胞に含まれている珪酸体というガラス質の小さな結晶(40~60μm)のことで、葉っぱに触れて手や足を切ることがあるのはこのためだ。このプラント・オパールは、葉が腐っても土の中でずっと残ることが知られており、これを分析することにより、稲作の起源を調べる試みが続けられている。

 

 この手法を開発したのは宮崎大学名誉教授の萩原宏志氏で、現在までに確認できた稲作の痕跡は全国9カ所の遺跡にあり、約6,000年前から見られる。(ただし現時点では、プラント・オパールの発見だけでは、それが野生種か栽培種かを区別できないことから、稲作の確実な証拠とはされていない)

 

 ,000年前陸稲(熱帯ジャポニカ)栽培縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6,000前の地層から稲の細胞化石「プラント・オパール」が出土したと、同町教委が18日、発表した。同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例めだが、今回は化石が多量で、小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が初めて裏付けられる資料」としている。縄文時代前期にまで遡れる。高橋護・元ノートルダム清心女子大教授ら研究グループは、プラント・オパールが大量だったことや他の食物も有ったことを「縄文前期の本格的農耕生活」を裏付ける根拠とし、水田が無いことについては「大半が焼畑農業だったのでは無いか」と推測する。読売新聞,2005,2,19 2につづく

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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