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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観4吉野ヶ里不彌魏志倭人伝対訳佐賀卑弥呼墓は径20数m台与壹与イツヨ

 三国志の時代(208年・赤壁の戦いは地理を制した者が勝った)は領土侵略、戦いの時代、方角距離の方向音痴は滅亡。方角距離に長けた者だけが適者生存した。

 海洋民も同様である。皆現実体験無き仮想現実温室界、肝心要なここを否定し迷走した。戦後の日本も同様である。八方が敵の戦国時代、現実界の現実体験者軍の方策として、軍国は当たり前。戦後、現実体験者軍の言い分「現実界の道理」を封印し、仮想現実界の空論侵略戦争(戦国時代を隠蔽した摘み食い。実体は適者生存戦争)だけがはびこった。

 空論ではなく現実に置き換え、戦国時代に自分だったらどうするか考えれば氷解、皆覚醒する。仮想現実界は間違いの繰り返しである。現実体験が無いからだ。現実体験が無い者を仮想現実界住人にすれば、現実界の道理無視の選り食い空論を、又繰り返すのは明白。

 凶産とWGIP妖怪が、贋賞授与までして仕立てた傀儡大江健三郎は、現実界の道理無き選り食い空論の、仮想現実界典型的なサンプルである。こんな輩は無人島に追放がお似合いだ。

 靖国問題、東京裁判、沖縄問題等「戦ったのが悪い」云々は末端論争、仮想現実界右派左派も、末端愚論の繰り返しである。現実界の検証は「戦ったのが悪い」の無検証オウム返しの善悪史観ではなく、「なぜ戦ったか」と検証した真実史観である。

 現実界の検証は、「弱肉強食適者生存戦国時代、蟻でも蜂でも生存を懸け、侵略者に陣地に攻め込まれれば負けなので、一丸と化し陣地から出て戦う。資源無き小国唯一の戦法は、先手必勝」と、瞬時に片付き、論争不要。

邪馬壹國などの表音と表意?方言考慮があるが、指針として試行。

○邪馬壹國表音に該当する読み

邪(ジャ・闍。邪。社。シャ・闍。邪。社。・輻)馬(マ・真。魔)壹(イツ・厳。稜。斎。稜威)(イン・)國。

意味・(よこしま。有害なこと)。(うてな。二階になった城門。城の外ぐるわの内側にあるまち)。(神社。土地の守護神)。(多くのものが集まる)。(真実)。(まもの)。 

邪馬ヤマ・山(古く、神が降下し領する所として、信仰の対象とされた場所。最も肝要な場所)

イツ・「厳・稜威」尊厳な威光。斎(い)み浄(きよ)められていること。食物などが威勢良く繁茂すること。広辞苑。イツ・稜(おごそか)。イツ・斎(ものいみ)。イツ・稜威(いつ。りょうい。いつえ。みいず。みいつ)きわだった神霊の威光のこと。天子の威光。

表意

邪馬壹國(じゃまいつ。しゃまいつ)國は、闍真イツ・厳・稜・斎・稜威)國

邪馬壹國(じゃまいつ。しゃまいつ)國は、社真イツ・厳・稜・斎・稜威)國

邪馬壹國(じゃまいつ。しゃまいつ)國は、邪魔イツ・厳・稜・斎・稜威)國。

邪馬壹國(やまいつ)國は、輻真イツ・厳・稜・斎・稜威)國。

邪馬壹國(やまいつ)國は、輻魔イツ・厳・稜・斎・稜威)國。

邪馬壹國(やまいつ)國は、イツ・厳・稜・斎・稜威)國。

邪馬壹國(シャマイツ)國は、シャーマンイツ・厳・稜・斎・稜威)國。

○卑彌呼表音に該当する読み

卑(ヒ・日。霊)彌(ミ・水。海。神。霊。ビ・)呼(コ・子。ク・)。

彌呼(ミコ・巫女。神子)。

表意

卑彌呼(ひみこ)は、(ヒ・日。霊)(ミ・水。海。神。霊)(コ・女)。

卑彌呼(ひみこ)は、(ヒ・日・霊)(ミコ・巫女・神子)。

○壹與表音に該当する読み

壹(イツ・厳。稜。斎。稜威)與(ヨ・与。予。世)。

表意

壹與(いつよ)は、(イツ・稜威・稜・斎・厳)(ヨ・与・予・世)。

「漢委奴国王」金印。1784年、博多の志賀島で発見された。表音に該当する読み。

漢(カン)委(意味・まかせる)(イ・五。五十。畏。夷。威。偉)奴「ヌ・(光輝く玉、連ねて首飾りにする)。ド・(土盛りして土地の神を祭ったもの。社の原字で後に土地の神」国王。

表意

漢(カン) 委(イ・五。五十。。畏。夷。威。偉)奴「ヌ・。ド・」国王。『漢・(五。五十)』国王。

漢(カン)委(イ・まかせる。ゆだねる) 奴「ヌ・。ド・」国王。『漢委・』国王。

 

丹(丹砂、辰砂)

 丹(丹砂、辰砂)は硫化水銀鉱。水銀と硫黄からなる。倭の水銀鉱は中央構造線沿い、九州西部鉱床群・佐賀県多良岳から嬉野町、松浦市、九州鉱床群・大分市坂ノ市から姶良郡溝辺町丹生附、に産出する。

 血の色でもある朱、これは、活力と蘇生、死との対決、死霊封じ、太古の人々は朱を呪術具としたのである。葬る遺体に施朱をする風習があった。再生を願い、死霊を封じるこの風習は、北海道南半部から東北北部と九州北部の二ヶ所で、縄文後期に登場した。九州では弥生時代に引き継がれていったが、北部では終焉してしまった。天然の赤鉄鉱を砕いた鉄丹(ベンガラ)は縄文早期、同じく辰砂を砕いて得る水銀朱、他に鉛丹等が主な原料である。辰砂は硫化水銀である。常温で液体の水銀は、天然に存在するが、多くは辰砂を製錬して入手する。・・・施朱に使うには、辰朱を細かく砕いて遺骸をつつんだのであって、水銀にまで昇華させる必要はなかった」。

 朱丹を身体に塗るというのは元来、中国の風習にもあった。丹沙は、殷代において、朱の顔料としてト骨、王戈、壁画に記されたもの、清め、防腐、邪よけとして遺体にふりかけられたものがあり、秦漢時代においては道家により、精神安定あるいは長生の薬として用いられていたとされる。

 中国の水銀鉱は、砂金に混じって辰砂が存在した漂砂鉱床で、山海経の丹粟に相当し、産出地が10ヶ所挙げられていた。先秦時代の水銀鉱は、湖北省荊州、陝西省南山、四川省水立口陵、甘粛省槐江山が代表とされ、史記、貨殖列伝によれば「巴・蜀で丹沙を産する」とあり、また、「丹沙を重さにして千斤を一年間に取引する人々は年に二十万銭の収益をうる」とされた。どうやら秦漢時代に戦費調達や道家の錬丹術ブームにより、大量に消費され、随の時代には日本から輸入される事態となっていた。

 辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には丹生、丹生川、丹生神社が同じように分布している。祭神は丹生都比売神で、辰砂の産出を司る女神である。丹生都比売の祭祀には丹生氏があたった。中国で枯渇した水銀鉱を求めて呉、越あたりの技術集団が渡来し、丹生氏がとりこみ開発した。後に秦氏がこの役割を担う。丹生氏は水銀製錬・鍍金の技術を持っていなかった。この技術を持ち込んできたのは秦氏である。

 また、丹沙は船舶用塗料として海人族の必需品ともされている。丹には塩と同じく防腐作用がある。(地質ニュース351号)(丹生の民俗丹生都比売伝承)(海人の藻塩海人の國)。

◎丹生(現地呼称は、タンジョウ)神社。佐賀県嬉野市塩田町大野草。◎丹生(現地呼称は、タンジョウ)神社。佐賀県嬉野市塩田町馬場下。

特定してみよう。当事の筑後嘉瀬等の河川流域や海岸線、佐賀県史上巻「嘉瀬川河道変遷図」詳細化と、等高線図遺跡図を駆使すれば、ピンポイントで迫れるが、無い。助力を請う。

 2~3世紀の遺跡は、筑紫平野が圧倒的に多く(日本史再点検・森浩一考古学者の発言)、絹出土は長崎福岡佐賀(海洋民伝播)に集中、機内は4世紀以降(絹の東伝・布目順朗著)。食料が増産されての人口増加、海洋民伝播、桃源郷佐賀を指示して余りある。2009.11.23.

狗奴國は、熊本長崎両県の有明海、島原湾に注ぐ河川流域の国で、有明海島原湾海洋民でもある。北限は筑肥山地。

邪馬壹國は、佐賀福岡両県の有明海に注ぐ河川下流域の国で、北は投馬國、奴國と接している。(其山有丹)山があり丹がある。有明海海洋民でもある。当時は平野が尽きたであろう熊本の山、福岡県境界隈が南限。

投馬國は、佐賀福岡両県の有明海に注ぐ河川、中から上流域の国で、南は邪馬壹國、北は伊都國と接し、東は奴國と川で接しか?遠浅の有明海、干満差現代では6m、日本最大である。干満は一日二回約12時間交互である。海岸が船着場であれば、一日一回の満潮時以外、海に出入りは不可能。ましてや外洋も航海可能な大型船は、常時出入り可能な河岸に船着場は、当然である。当時溯上できたところが、投馬國「水行二十日」の港でもあったであろう。投馬は、(到間。到澗)でもある。三日月の古称は、甕調(みかつき)。土生の技術集団は、投馬(統間。伴間)でもある。

奴國は、佐賀福岡両県の有明海に注ぐ河川、中から上流域の国で、北は不彌國と接し、南は邪馬壹國と接している。西は投馬国と川で接しか?

伊都國不彌國は、佐賀県の、有明海に注ぐ河川、平野部の上流域。吉野ヶ里から「西行」は、道路があり、嘉瀬川平野流入基部に至る。基部は末盧國(唐津松浦川河口)から東南五百里(直線距離30キロ)である。基部から吉野ヶ里「東至不彌國百里(6キロ)」は、この界隈を指示して余りある。

「其餘旁國」は、佐賀福岡両県の有明海に注ぐ河川、中から上流域の国。ただし、「全国古墳編年集成・石野博信編・雄山閣出版」の甘木・宝満グループ、この当時には、属さずか

女王国以外の倭国(玄界灘に注ぐ河川流域等)も、「全国古墳編年集成」は明解であるが、稿を改めるので、略。

 邪まいつ國と狗奴(玖瓊・玖土)の争いは、有明海、水稲、海洋文化圏の、覇権争いと言えよう。

発見実証へ(佐賀県未訪問なので、地図文献からだけの検証となった)

 水稲栽培は水が命。国の起因水稲文明は、川と平野を無視しては語れない(文系実技無き記憶機械の学者は、皆これを無視し、狂奔した)。古代の河口は現代よりも上流、つまり現代の河口に発展した都市部よりは上流に、水稲文明は開かれた(吉野ヶ里遺跡)。古今、河口に氾濫は付きもの、初期水稲栽培は、水を高低管理し易い上流と考えるのが常識。水の高低管理が進化し下流に拡大したが河川氾濫で再び上流へ、上流下流行きつ、戻りつし、水稲文明を拡大した。

 つまり、河口の遺跡より、上流の遺跡が古い。陸稲(個人)から水稲(集団)へ、稲作は山から麓へ下りてきた。奴國二萬餘戸、投馬國五萬餘戸、邪馬壹國七萬餘戸は
、食料確保の田畑や海があり、まかなえる食料を所有していることを意味する。食料確保が人工増加となり、人工増加が、さらなる食料をもとめる南下開拓に、拍車をかけた。前記戸数は、この事を物語っている。

 遺跡は、都市化が進み開発されてはじめて発見される。未開発地の遺跡いまだに未発見は当然のなりゆき、遺跡多少で断定する従来の学問は間違い。都市化が進み開発され発見された、現代の河口部の遺跡は、氷山の一角、上流には、更に古い膨大な遺跡が眠っている。長崎自動車道は山、南の平野であったならと惜しまれる。

 国は忽然とは生まれない。起因過程を経て誕生する。論理回路欠落の仮想現実界は、この現実界の常識を無視し暴走、空論がはびこった。

 弱肉強食の戦国時代を隠蔽し、日清日露大東亜戦争起因過程を、論理的に検証せず、平和な時代を侵略し、破壊した極悪日本と、なんと64年間も条件反射で、オウムがえし。まさしく仮想現実界は論理回路欠落、人間性喪失の、虚実無検証で記憶する、単なる記憶装置である。火の無いところに煙は立たない。誰も戦争などしたくない。調べれば直ぐ分かることなのだ。そして、辞書を繰れば即時解明の、壹(いつ)と臺(たい)女王之所都、これすらも調べなかった。まさに無検証そのもの、単なる記憶装置だ。

 仮想現実界の教授、作家、歴史学者は、間違いだ改竄だと称し著者陳寿を冒涜、言葉と文字のあいまいさ無責任をフル活用、傍若無人の愚行を未だに続けている。著者陳寿冒涜は、おのれの学問も、そんな類のものであることを自白していることに他ならない。

 「三国志魏書東夷伝倭人条」は、滅びた蜀の国の人陳寿が、後世に遺す正史として書いたものである。正史は末代まで遺る、間違いは、己のみにとどまらず、末代の己の子孫の汚名ともなる。正に諸刃の剣。自らの名誉と自らの子孫の名誉を懸け、乾坤一擲の思いで同時代の見聞録を陳寿は書いた。私はそのようにしか思えない。肩書で、もてあそぶ金儲けの輩と、乾坤一擲の陳寿。迫力、次元が異なる。(注・聞き書きの戸数や国名や国の数は、誇大捏造の可能性はある。陳寿の罪ではない)

 真実史観は東大と京大の原典無視の邪馬台国論争と、仮想現実界の先人愚弄をあらわにし、文系高学歴の正体、条件反射でオウム返し、単なる記憶装置と暴露した。正に、検証回路皆無を証明して余りある。

 日本の文系仮想現実界は、肩書が墓標の墓場である。原典を批判し無視の前に、原典の徹底検証が学問の初歩で常道。
学徒なら丸暗記などせず、シュリーマンを鑑とすべき。真実史観はこれに基づいただけである。ネチズンの皆さんも常道に基づけば、間違いなく続々と新発見可能である。そして、東大と京大の学問は、初めに結論有りで、学問ではないことに皆気付くはずだ。

 学問は仮想現実界だけの、慰み物ではない。肩書(墓標)作成の道具ではない。実事求是で役立てるものだ。手弁当での、ネチズンの学究姿勢こそが、学問の原点である。文系心ある志学の徒は、原点回帰し、学問に帰れ。

邪馬壹國のその後・空白の時代を語る第一級の資料神社縁起・真実史観の検証

 征服者はたたりを恐れて、神社の旧祭神は、排除しない。そして氏子は、たたりを恐れると同時に崇敬しているので、祭神を記す神社縁起等は、正確に記載した。無比この上ない、第一級の資料である。

 古代史空白の時代が神社創成期なので重なり、神社縁起などの資料は、まさに空白の時代を埋めているといえる。現に、神社資料解析は鍵となって、下記のように空白の扉を次々と開いている。職責者や識者のこれまでの神社縁起等の資料無視は、戦後の歴史検証と同じ、穴掘り過ぎて唯我独尊、蛙となった証だ。

 捨て置かれた資料を第一級の資料とする真実史観検証は、正に払拭の風、定説の打出の小槌である。謎の霧は完全に消え、古代は眼前に真の姿で現れ、空論の古代史は今年、定説となった。他の現出した古代史は、稿を改めるので、ここでは割愛。

 以後水稲耕作の基幹をなす神社信仰は、海洋民によって瞬く間に伝播され、それまでの銅矛銅鐸信仰を一掃、取って代わったと推察できる。

 検証は、佐賀市大和町川上の、與止日女神社(河上神社)から始まった。河上神社は6世紀創建で旧県社。祭神は、与止日女命(よどひめのみこと)。旧社号は河上神社で、與止日女神社と社号変更は最近のこと。地元では、「よどひめ」さんと呼称されており、肥前国一宮(古代末期から、中世初頭にかけて発生した社格)。一宮呼称は、千栗神社(祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后)と争った、とある。旧社号河上神社は、川神(かわかみ)神社で、與止日女(よどひめ)は、「與(壹與)と卑弥(卑弥呼)」「与と日水」で、はないかと推定し、よどひめ神社を、1:3万の地図と神社事典、神社名鑒等で検証し、年表で変遷を追った。(注・「壹與」の「壹」は、旧国名でもある。後の政変で排除され、「與」だけが残った。政変の証しである)

BC270年ごろ。北九州弥生文化始まる。「山海経・せんがいきょう」、中国最古(BC5~3)の地理書18巻に、「蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に属す」記載有り。倭=日本かは、不明。

紀元前2世紀ごろの福岡・春日の遺跡で、国内最古の青銅鏡鋳型見つかる。
2015年5月27日
「朝鮮でなく国内製造?」国内最古の青銅鏡鋳型見つかる 福岡・春日の遺跡
 福岡県春日市教育委員会は27日、市内の須玖タカウタ遺跡で、国内最古となる紀元前2世紀ごろ(弥生時代中期前半)の青銅鏡鋳型の破片が見つかったと発表した。これまで鏡の国内生産は紀元後1世紀ごろから始まったとされ、それをさかのぼる青銅鏡鋳型の出土例はなかった。専門家は「鏡の製作史を見直す貴重な発見」としている。
 遺跡は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する奴国の中心部にあり、青銅器生産の一大拠点として知られる。青銅器の中でも鏡は所有者の権威を象徴する希少品で、市教委によると、古い鏡はこれまで朝鮮半島や中国からの渡来品に限られるとみられていた。しかし鋳型が発見されたことで、国内で作られた可能性も出てきた。
 市教委によると、見つかった鋳型の破片は石製で、長さ5.1センチ、幅2.5センチ、厚さ2.3センチ。ひもを通すつまみ「鈕」が鏡の裏面に複数付いた「多鈕鏡」を製作する、国内で初めて見つかったタイプ。


BC91年「漢書地理志」に、「夫楽浪海中有倭人 分為百余国 以歳時来献見云」と記載。

57年「後漢書東夷列伝」に、「建武中元二年 倭奴国奉貢朝賀 使人自称大夫 倭国之極南界也 光武賜以印綬」と記載。この印は、志賀の島で発見された「漢委奴国王」金印とされている。

107年「後漢書東夷列伝」に、「永初元年 倭国王帥升等 献生口百六十人 願請見」と記載。

147~188年「後漢書東夷列伝」に、「桓・霊の間、倭国大いに乱れ、更〃相攻伐し、歴年王無し」と記載。水稲に不可欠な、水利権争乱と推察できる。

238年呉の赤鳥元年(238年)銘の鏡、山梨県で出土。

238年(景初二年)卑弥呼、大夫難升米等を魏に派遣。親魏倭王となる。水稲の母なる川、嘉瀬川を上(神)に遡り、上(神)雷山に至り、上(神)=天(日)八百万の神(創造主)とつきとめ、灌漑用水権争乱を、祭司(卑弥呼=上の使者)に委ねることで解決したと、推察できる。当然このことは海洋民によって、韓半島南部はもとより、日本列島くまなく、タイムラグ無く伝播された。

239年(景初三年。景初は三年までである)魏の景初三年銘の鏡、大阪で出土。日本書記に、神功皇后中国と交渉の記載あり。三角縁神獣鏡は魏鏡が手本。国分(河内国南河内郡)出土の銘文。「・・・銅出徐州、師出洛陽・・・」が証拠。

240年帯方郡太守弓遵、使者を倭に送り、魏の詔書、印綬などを届ける。

240年魏の正始元年(240年)銘の鏡、兵庫森尾古墳や群馬柴崎古墳で出土。第一字欠落で□始元年なので同じ鋳型と推敲される。三角縁神獣鏡の年号鏡は五面で、景初(景□)、正始(□始)のみである。

銅鏡「僕の考古古代学」森浩一

 北部九州では弥生中期ごろから、全国的には古墳時代になってから、お墓の副葬品として数千枚が出土している。弥生時代の近畿には、出土無し。銘文銅鏡が約半数で、四世紀に特に多い。三角縁神獣鏡は種類では第一位だが、中国ではまれな鏡。大きくて、三角の縁の鏡なら中国江南の紹興にはあるが、さらに神獣を主要な文様にした日本出土と同様の鏡は無い。

 神獣鏡の神は不老長寿の仙人で、獣は不老長寿の世界(神仙世界)の守り神で、神仙世界へ誘う乗り物(青龍や白虎)。神獣鏡は、中国人が不老長寿の理想郷と考えた神仙世界を具現化したもの。三角縁神獣鏡はコピー鏡がほとんどで、出土は日本のみである。鏡には内行花文鏡や位至三公鏡などたくさんの種類があるが、最多出土が三角縁神獣鏡(500面)である。大古墳のみならず、当時の村長程度の古墳にも出土する、ポピュラーな鏡である。平安初期、呉越国が高さ30センチの銅製の塔(銭弘俶塔)500個ほど日本に贈った記録があるが、出土数は6個(1%)、500面出土は大変な数で、実際数は100倍の5万ぐらいか?500面の約三分の二に銘文が有り、他種の銘文より長文。

 三角縁神獣鏡が生まれる一段階前の平原(福岡県前原市)の古墓(弥生末3世紀の墳丘無き墓)で、大半が中型の方格規矩鏡35面と、径46.5cmの鏡5面出土。中国紹興江南鏡の研究者王士倫は、いずれも日本製と断定。

三角縁神獣鏡出土状態

 奈良県の黒塚古墳(前方後円墳)桑の木製のお棺の中に中型の鏡1面、お棺の外に、お棺を囲むようにコの字型に三角神獣鏡33面出土。

 紫金山前方後円墳(大阪府茨木市)お棺の中に中型の方格規矩四神鏡1面、三角神獣鏡はお棺の外に囲むように置かれていた。

銅鏡銘文の減筆 5につづく

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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