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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観6隋書俀国伝と日本書紀と隋書巻三煬帝紀が語る真実

至隋其王始 制冠以錦綵「さい(綾絹)」為之 以金銀縷「ろう(糸)」花為飾 婦人束髪於後 亦衣裙襦 裳(したばかま)皆有(衤巽) (扌韯) 「せん(細くけずる)」竹為梳(髪をとく) 編草為薦「せん(敷物)」 雑皮為表 縁以文皮
隋に至り其王始めた。錦の綾絹で冠を為り、金糸銀糸の花飾を為り、婦人は髪を束ねた。婦人は髪を後に束ね、また裙襦(肌着)を衣、裳(したばかま)には、皆、衤巽(縁)有り。竹を扌韯 「せん(細くけずる)」して梳(くし)と為す。草を編み薦「せん(敷物)」と為す。雑皮は表と為し、縁は文皮を以てす。

有弓矢刀矟「さく(鉾)」弩「ど(石弓)」(矛賛)「さん(小型の鉾)」斧 漆皮為甲 骨為矢鏑 雖有兵無征戦 其王朝会必陳「じん(陣をはる)」設儀仗(儀式用の武器) 奏其国楽 戸可十万
弓、矢、刀、矟「さく(鉾)」、弩「ど(石弓)」、(矛賛)「さん(小型の鉾)」、斧、有り。皮を漆(うるしぬり)して甲(よろい)と為し、骨は矢鏑(やじり)と為す。兵有りと雖(いえど)も、征戦無し。其の王朝会に必ず儀仗(儀式用の武器)を陳「じん(陣をはる)」設し、其の国楽を奏す。戸は十万可(ばかり)。

其俗 殺人強盗及姦皆死 盗者計臟「ぞう(盗品)」酬「しゅう(報いる)」物 無財者没身為奴 自餘(そのほか)軽重 或流(流刑)或杖(むち打ち刑) 毎訊究獄訟 不承引者 以木壓「あつ(圧する)」膝 或張強弓 以弦鋸其頂 或置小石於沸湯中 令所競者探之 云理曲者即手爛 或置蛇瓮「おう(大きなかめ)」中令取之 云曲者即螫「せき(刺す)」手矣「(断定)」 人頗「は(すこぶる)」恬「てん(やすらか)」静 罕「かん(まれ)」争訟少盗賊
其の風俗は、殺人強盗及姦するものは皆死す。盗んだ者は盗品で計り、物で報いる。財無き者は身を奴に没す。そのほかの軽重は、流刑、刑杖。つねに獄(いがみ合い)や訟(あらそい)を究(きわ)め訊(たず)ね、承知しない者は、木を壓以って膝を圧したり、或いは弓を強く張り、弦で以って首を鋸く。或いは小石を沸湯の中に置き、争うものに小石を取るように命じ、云う、理の曲る者は即ち手爛れると。 或は、大きなかめの中に蛇を置き、之を取るように令し、云う、曲る者は即ち、手を刺されると。人はすこぶるやすらかで静。争訟はまれで、盗賊少ない

楽有五弦琴笛 男女多黥「げい(いれずみ)」臂「ひ(肩から手首)」 點「てん(部分)」面文身 没水捕魚 無文字 唯刻木結縄 敬仏法 於百済求得仏経 始有文字 知卜「ぼく(物のきざしでうらなう)」「」筮「ぜい(筮竹でうらなう)」 尤信巫「ふ(みこ)」覡「げき(みこ)」 毎至正月一日 必射戯飲酒 其餘節略与華同 好棊博握槊「さく(ほこ)」樗「ちょ(おうち)」蒲之戯
楽に五弦、琴、笛有り。男女は臂「ひ(肩から手首)」に黥「げい(いれずみ)」多し。 面に點「てん(部分)」、身に文、水に没して魚を捕う。文字無し、唯、木を刻み縄を結ぶ。仏法を敬い、百済に於いて仏経を求得し、始めて文字有り。卜「ぼく(物のきざしでうらなう)」「」筮「ぜい(筮竹でうらなう)」を知り、尤も(特に)信巫「ふ(みこ)」覡「げき(みこ)」信ず。毎(いつ)も正月一日に至れば、必ず射戯、飲酒し、其の餘の節は、略(ほぼ)華と同じ。 棊博(賭け碁)握槊「さく(ほこ)」(双六の一種)樗「ちょ(おうち)」蒲(ばくち)の戯を好む。

気候温暖 草木冬青 土地膏「こう(油)」腴「ゆ(油、肥える)」 水多陸少 以小環挂「けい(かける)」鸕(ろ)(茲鳥)頂 令入水捕魚 日得百餘頭 俗無盤俎 籍以檞「かい(かしわ)」 食用手餔「ほ(食う)」 之性質直 有雅風
気候は温暖で草木は冬も青い。土地は膏「こう(油)」腴「ゆ(油、肥える)」で、水多く陸は少なし。小環を以て鸕(ろ)(茲鳥)の頂(うなじ)に挂「けい(かける)」け、入水させ魚を捕えしめ、日に百餘頭を得る。俗(庶民)に盤(大皿)や俎(まな板)無く、籍(下に敷く)は檞「かい(かしわ)」を以てす。食は手を用いて餔「ほ(食う)」う。性質は直く雅風有り。

女多男少 婚嫁不取同姓 男女相恱「えつ(喜ぶ)」者即為婚 婦入夫家 必先跨「こ(またぐ)」犬 乃(そこではじめて)與「よ(一緒)」夫相見 婦人不婬「いん(みだら)」妬「と(ねたむ)」
女多く男少なし。婚嫁(縁組)には、同姓を取らず。男女相恱「えつ(喜ぶ)」ぶ者は即ち婚す。婦が夫の家に入るに、必ず先に犬を跨「こ(またぐ)」ぎ、乃(そこではじめて)夫と相見え、與「よ(一緒)」になる。婦人は、婬「いん(みだら)」妬「と(ねたむ)」ならず。

死者歛「かん(納める)」以棺「かん(ひつぎ)」槨「かく(外ひつぎ)」 親賓「しんぴん(親しい賓客)」就屍歌舞 妻子兄弟以白布制服 貴人三年殯於外 庶人卜日而瘞「えい(うずめる)」 及葬 置屍船上 陸地牽之 或以小轝「こし(車やかご)」
死者を歛「かん(納める)」に棺「かん(ひつぎ)」槨「かく(外ひつぎ)」を以てし、親賓「しんぴん(親しい賓客)」は屍に就きて、歌舞。妻子兄弟は白布を以て服を制す(慣わし)。貴人は三年、外に於いて殯(仮安置)し、庶人は日を卜して而て瘞「えい(うずめる)」。葬に及んでは、屍を船上に置き、陸地に之を牽く。或は小轝「こし(車やかご)」を以てす。

有阿蘇山 其石無故火起 接天者俗以為異 因行禱「とう(祈る)」祭 有如意寳珠 其色青 大如雞卵 夜則有光 云魚眼精也
阿蘇山有り。其の石は故無く火を起こす。天と接(交わる)する者は、俗(一般の常識)で以ては異りと為す。因りて禱「とう(祈る)」祭を行う。如意寳珠(祈れば願いがかなう珠)有り。其の色青く、大よそ雞卵の如く、夜は則ち光有り。魚の眼精(眼の光)と云う也。

新羅百済皆以俀為大国 多珎「ちん(珍しい)」物 並(みな一様)敬仰之 恒通使往来
新羅や百済は、皆俀を以て大国と為し、珎(珍しい)物多く、並(みな一様)に俀を敬仰。恒に使を通じ往来。

大業三年(607年) 其王 多(タ)利(リ)思(シ)北(ホ)孤(コ)遣使朝貢 使者曰 聞海西菩薩天子重興佛法 故遣朝拜 兼(いっしょに)沙門数十人来学佛法 其国書曰 日出處天子致書無日没處天子無恙「よう(つつが虫。漢・六朝以後相手の安否を尋ねる常用後)」云云(うんぬん)。帝覧之不恱、謂鴻臚卿(賓客応接の官名)曰 蛮夷書有無礼者 勿(なかれ)複(かさねる)以聞
大業三年(607年) 其の王 多利思北孤(降りし鉾)遣使し朝貢。使者曰、「聞く、海西の菩薩天子、佛法を重んじ興こすと。故に朝拜を遣わし、兼(いっしょに)て沙門(僧侶)数十人佛法を学びに来たり」と。其の国書曰「日出ずる處の天子無恙「よう(つつが無し)」 云云 帝之を覧て恱ばず。 鴻臚卿に謂いて曰、「蛮夷の書有る無礼者は、複以て聞かす勿れ」。

明年(大業四年、608年) 上遣 文林郎 裴清 使於俀国 渡百済行至竹島 南望(身冉)(原文身冉は、耼の俗字)羅(たんら)国 経 都斯麻(集まった島、十島か?五島列島)国迥「ケイ(はるか)」在大海中 又東至一支(孤島か一国か?)国 又至竹斯国 又東至秦(心・シン)王国 其人同於華(中国)夏 以為夷洲(台湾)疑不能明也 又経 十餘国達 於海岸 自竹斯国 以東 皆附庸 於俀
明くる年(大業四年、608年)上(王)は、文林郎(中国の官名)の裴清を俀国に遣わし使いす。百済を行き渡り竹島に至る。南に耼羅国を望み、経て、都斯麻国(五島列島)は迥(はるか)大海の中に在り。又東して一支(一国か?)国に至り、又(さらに)竹斯国に至る。又(さらに)東し、王国の秦(心・シン)に至る。其人は華(中国)の夏に同じなので、以て夷洲(台湾)と為すと云われても、疑がわないのは明らか也。又(さらに)十餘国を経て海岸に達っする。 竹斯国自り以東は、皆、俀に附庸(従属)す。

 隋国の認識は、俀国(部分)は倭国(全体)の一部で、その証しが、「自竹斯国 以東 皆附庸 於俀」で、俀を倭の篆書とするのは、捏造。篆書にも倭→俀は皆無。
 俀国は(大国・タイコク)か?都斯麻國は對海國、一支國は一大國ではない。南望耼羅国経とあり南下した。望の亡は原文では篆書の「シ」。「日本書紀」では裴清では無く、裴清。

俀王遣小徳阿軰臺 従数百人 設儀仗 鳴鼓角(太鼓と角笛)来迎 後十日 又遣大禮竒(き)多(田比)従二百餘騎郊労(里外れまで客を見送る)
俀王は小徳の阿軰臺を遣わし、数百人を従がえ儀仗を設け 鼓と角を鳴し迎に来たる。十日後、又、大禮竒(き)多(田比)と二百餘騎を従い遣わし、郊労(里外れまで客を見送る)。

既至彼都 其王與清相見 大恱曰 我聞海西有大隋禮義之国 故遣朝貢 我夷人僻在海隅 不聞禮義 是以稽留境内 不即相見 今故清道飾舘 以待大使 冀聞大国惟「ゆい(おもう)」新之化
既に彼の都に至る。其の王裴清と相見え、大いに恱(よろこ)びて曰く「我聞く海西に大隋有り、禮義之国と。故に遣わし朝貢。我は僻在海隅の夷人、禮義を聞かず。是れで以て境内(境界の内)に稽留(留まる)し、即ち相見えず。今、故に道を清め舘を飾り、以て大使を待つ。冀(こいねが)わくは大国の惟新之化(改まった変化)を聞かんことを」

清荅曰 皇帝徳並二儀 澤流四海 以王慕化 故遣行人来此宣諭 既而引清就館 其後清遣人謂 其王曰 朝命既達 請即戒塗 於是設宴享「きょう(もてなす)」 以遣清複(帰る) 令使者隨清 来貢方物 此後遂絶
清荅えて曰く、「皇帝の徳は二儀(天と地、陰と陽)に並び、澤(徳)は四海(四方の海、天下)に流る。王の化(感化)を慕うを以て、故に行人(使者)を遣わし、来たりて此のように宣諭(諭し述べる)す」と。既にして清を引きて館に就く。其後清は人を遣わして謂う。其の王に曰「朝命は既に達す、請う即ち塗(道)を戒められんことを」と。於是(ここにおいて)宴を設け享(もてなす)。清複(帰国)に際し、令使者清に随従させ、遣わす。来たりて方物を貢ぎ、此後遂に絶つ。

相違する「隋書巻三煬帝紀・  列傳四十六隋書八十一・十三(以下隋書俀国伝と記載)」と「日本書紀」

600年(開皇二十年)

隋書俀国伝

開皇二十年(600年)俀(大)王、姓は天(阿毎)、字は降りし鉾(多利思北孤)、号は大きみ(阿輩雞弥)の遣使、闕(宮殿)に詣でる。上令(天子の命)で所司(長官)訪(問う)其の風俗。使者言う。「俀王は天を以て兄と為し、 日を以て弟と為す。天未だ明けぬ時に出で 跏趺座(静座)して政を聴く。日出れば便(すぐに)停理務(政務)停め、云う我弟に委ねる」と。高祖(初代文帝)曰 「此れ太(はなはだ)無義理(意味)」と。是に於いて之を訓えて攺め令(しむ)。

 

607年(大業三年)

「日本書紀」

推古朝十五(607)年)秋7月戊申の朔(ついたち)にして庚戊(こうしゅつ)(三日)に、大礼小野臣(おみ)妹子を大唐(もろこし)に遣わす。鞍作(くらつくり)副利を以て通事とす」。

隋書俀国伝 

大業三年(607年) 其の王 多利思北孤(降りし鉾)遣使し朝貢。使者曰、「聞く、海西の菩薩天子、佛法を重んじ興こすと。故に朝拜を遣わし、兼(いっしょに)て沙門(僧侶)数十人佛法を学びに来たり」と。其の国書曰「日出ずる處の天子無恙「よう(つつが)」 云云 帝之を覧て恱ばず。 鴻臚卿に謂いて曰、「蛮夷の書有る無礼者は、複以て聞かす勿れ」。

 

608年(大業四年)

「隋書巻三煬帝紀」

大業4年(608)三月戌 百済・倭・赤土・加羅舎国 並(みな)遣使貢方物

「隋書俀国伝」

明くる年(大業四年、608年)上(王)は、文林郎(中国の官名)の裴清を俀国に遣わし使いす。百済を行き渡り竹島に至る。南に耼羅国を望み、経て、都斯麻国(五島列島)は迥(はるか)大海の中に在り。又東して一支(一国か?)国に至り、又(さらに)竹斯国に至る。又(さらに)東し、王国の秦(心・シン)に至る。其人は華(中国)の夏に同じなので、以て夷洲(台湾)と為すと云われても、疑がわないのは明らか也。又(さらに)十餘国を経て海岸に達っする。 竹斯国自り以東は、皆、俀に附庸(従属)す。

「日本書紀」

 推古朝十六(608)年の夏四月に、小野臣(おみ)妹子を大唐(もろこし)より至る。唐国(もろこしのくに)、妹子の臣を号(な)づけて蘇因高と曰う。即ち大唐使人裴世清下僕十二人、妹子臣に従いて筑紫に至る。難波吉士雄成を遣わして、大唐裴世清等を召す。客の為に、更(また)新しき館を難波の高麗館の上に造る。

 六月の壬寅の朔にして丙辰に、客等難波津に泊。是の日に、飾り舟三十艘を以て、客等を江口に迎えて新しき館に安置らしむ。(略)爰(ここ)に妹子臣、奏して曰(もう)さく、「臣の参(まい)来る時に、唐の帝、書を以って臣に授く。然るに百済国を経過ぎし日に、百済人、探りて掠め取る。是を以って上(たてまつ)ることを得ず」と。是に於いて群臣議(はか)りていわく、「夫れ使人は死(みまか)ると雖(いえど)も旨(むね)を失わず。この使い、何ぞ怠(おこた)りて大国の書を失うや」と。則わち流刑に坐(かかわりあいで刑罰に処す)す。時に天皇勅(みことのり)して「妹子の書を失う罪ありと雖(いえど)も、輒(たやすく)、罪すべからず。其の大国の客等聞かんこと、亦良からじ」と曰(のたまわ)。乃(すなわち)赥(ゆる)して坐したまわず。

 秋八月の辛丑の朔にして癸卯に、客、京に入る。(略)

 壬子に、客を朝庭に召して、後の旨を奏さしむ。時に阿倍鳥臣・物部依網連抱、二人を客の導き者とす。是に大唐の国信物を庭中に置く。時に使主裴世清、親(みずか)ら書を持ちて、両度再拝(ふたたびおが)みて、使いの旨を言上して立つ。其の書に曰く「皇帝倭王を問う。使人ちょうり(漢の官制で比較的高い俸禄の官吏・人を不快にさせる恐れのある表現が含まれています”との制限で、漢字が使えない!逆に強調しているようなもので、愚考である。Ⅰ毛皮が語るペクチョン・えた白丁在日差別自白朝鮮ルーツは水稲を精読し、愚かな言葉狩りなど、即刻解除し、前進すべきだ!大礼蘇因高等、至りて懐(おもい)を具(つぶさ)にす。朕、宝命を欽承して、区宇を臨仰す。徳化を弘めて、含霊に覃(およぼ)し被らしめむことを思う。愛育の情、」

 

609年(大業五年)

「日本書紀」

推古朝十七(609)年(大業5年)妹子がより帰朝時に、随行した裴世清等歓迎の模様を記す「日本書紀」八月三日。

 「餝騎(かざりうま)七十五疋を遣わして唐の客を海石榴市の衢(ちまた)に迎う」。八月十二日「唐の客を朝廷に召して、使いの旨を奏さしむ。時に阿部鳥臣物部依網連抱の二人を客の導き者となす」。

 妹子帰朝時に、隋の返答国書無き理由を記載。

 

610年(大業六年)

「隋書巻三煬帝紀」

大業6年(610)春正月己丑 倭国使貢方物

 

 隋書では、「日本書紀」のではなく、裴清。「日本書紀」には「」皆無で、「」「大唐」以外記載無し。隋書」を改ざんする理由は、には無い!

 

614年(大業10年)隋軍30万、高句麗征伐遠征。

618年隋滅亡。隋末の乱に、李淵(高祖)・李世民(太宗)父子が挙兵して、煬帝の孫恭帝の禅譲を受け618年建国。李李世民は兄弟を殺して即位し、628年天下を統一。則天武后は690~707年周朝を立て、唐朝は中断。907年朱全忠が、禅譲の形で国を奪い、20代約300年続いた唐は滅んだ。

631年「使を遣わして方物を献ず」。「旧唐書倭国伝」

645年「又新州刺史の高表仁に節(羽や旄牛の尾などで編んだ、大将や使者にさずける割り符)を持ちて遣わし往きて撫んじる。表仁は綏遠(すいえん。遠い地方を鎮めやすんじる)の才無く、王子と令を争い、朝命を宣べずして還る」「旧唐書倭国伝」

648年「貞観二十二年に至り、又、新羅に附し表を奉じて、以て起居を通ず」。「旧唐書倭国伝」文末。

654年12月「倭国琥珀・碼碯(めのお)を献ず。琥珀大なること豆斗の如し。碼碯、大いなること五豆斗器のごとし」(旧唐書・本紀巻四・高宋上)。倭国最後の朝貢

663年白村江の戦い百済救援の求めに応じた、倭(九州)と、日本海海洋民共栄圏新羅国と、唐の連合軍との戦い。唐水軍の挟撃で大打撃を受け敗戦。日本海海洋民共栄圏百済国は滅亡し、百済地方人は日本に避難した。倭(九州)は、以後半島から撤退した。

 白村江での九州倭国(日本)敗戦が日本列島存亡の危機で、水稲圏共通の神社(祭)が基幹となり、国家(政)が連合、倭国は団結(九州、出雲、大和)し、一気に統一国家となった。侵略者唐の恐怖がきっかけである。大和は海路瀬戸内海の最深部で、唐軍水軍挟撃には最適の地である。防衛本部最深地大和は、道理にかなっている。

 唐・新羅連合軍防御のため、対馬(667年)、大宰府水城(664年)、大宰府大野城(665年)、佐賀県基山、香川県屋島(667年)、大阪府八尾(667年)に山城を築いた。挟撃体制を成し、一気に統一国家となった証拠である。

 

2011年10月23日http://www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html

記事「『日本』呼称、最古の例か 678年の墓誌?中国で発見」より

墓誌http://www.asahi.com/culture/update/1023/images/TKY201110220633.jpg 

上の方に「日本」の文字が見える。「最古の日本」の可能性が高い=「社会科学戦線」7月号、王連竜氏の論文「百済人祢軍墓誌考論」から 7につづく⇒

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Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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