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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1八紘一宇世界同胞主義樋口季一郎安江仙江犬塚惟重杉原千畝とユダヤ人


1八紘一宇世界同胞主義樋口季一郎安江仙江犬塚惟重杉原千畝とユダヤ人
 大戦になると「迫害」されてきたのがユダヤ人の歴史で、世界平和が民族安泰の第一原則。「大戦防止の火消しには即行動(アメリカの軍事介入)」するが、「大戦の付け火(自殺)」は断じて、無い!ブログ散見の「ユダヤ金融資本が平和破壊」は、浅学無検証隠蔽目的扇動屋の、こじつけ集金道具に過ぎない!「気違いのゴミブログ」に騙されてのユダヤ人非難は、日本人に非ずの愚民である!ユダヤ人は団結している。団結は唯心(公)でないと出来得ない崇高な行動(シオニズム・ユダヤ人の祖国回復運動)!

 韓国や北朝鮮や罪日の犯日行動起因は、「仮想敵国日本として非難」で「自国民を懐柔」し、「李朝差別・同族殺し」を隠蔽しての洗脳「ニセ愛国団結」目的。これを知らない無検証偽愛国団か、ユダヤ人へ責任転嫁し責任逃れを図る朝鮮工作員が、無理にこじつけたのが「ユダヤ金融資本が平和破壊論」と言う、根も葉もないこじつけ論(無思索かスパイ自白)である。   

 朝鮮も罪日も、ユダヤ人や日本人のような、真の団結(唯心)であったなら、愚かな同族殺し(李朝差別、四・三・虐殺、保導連盟事件、朝鮮戦争等)など無く、当の昔に統一されていた。中国やその属国朝鮮は、唯物民族で異なる。

 真実史観と思索回路が有れば(正常なら)、こんなことは常識だ。「検証無き扇動ブログ」には、騙されるな

人種平等への旗手
 1919年、パリ講和会議。第一次世界大戦の惨禍を再び引き起こさぬよう、国際連盟創設の会議が進められていた。全米1200万の黒人は会議の成り行きを、固唾を飲んで見守っていた。黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。しかし、日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領ウィルソン(民主党)の「全会一致でない」という詭弁によって退けられた。大東亜戦争は人種平等を勝ち取る戦いでもあった。

樋口季一郎少将、安江仙江大佐、犬塚惟重大佐、杉原千畝領事の行動は、「日本帝国の原則」「人種平等の原則」・「八紘一宇」の精神UniversalBrotherhood(世界同胞主義)、国策に基づいたものであった。

・・・我国は、八紘一宇を国是(こくぜ・国の方針)としておりユダヤ民族に対してもこれを例外とすべきではない。彼らは世界中に行先無く、保護を求めているのである。窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずという。況(いわ)んや彼らは人間ではないか。安江仙江大佐の講演。脱北者いじめの中国凶産党とは、対比が際立つ。

注・ 「八紘一宇」八紘(はっこう)は、八つの方角で全世界の意。宇(う)は家のこと。全世界を一軒の家のように睦まじくすること。日本書紀の「兼六合以開都、掩八絋而為宇』に基づく。田中智学(たなか ちがく)(1861~1939)は、日蓮宗系の在家仏教運動家。国柱会の創設者、戦前の日本国体思想に多大の影響を与えた思想家である。「八紘一宇」という言葉は、彼が日本書紀の「八紘為宇」という語句を使って造語したものである。中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)http://www.yorozubp.com/0511/051109.htm

日露戦争
 日本がロシアからの侵略から独立を守るべく日露戦争に立ち上がった時、ロシアのユダヤ人同胞を救おうと日本に協力したのがアメリカのユダヤ人指導者、銀行家のジェイコブ・シフで あった。日露戦争の総戦費19億円のうち、12億円がシフを通じて引き受けられた外債によるものだった。日本人はシフの助力に深く感謝し、ユダヤ人に感謝した。

日本「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を決定
 昭和8(1933)年1月、ヒトラーは首相に就任すると、4月1日にユダヤ人排斥運動声明を行い、ユダヤ人商店のボイコット、ユダヤ人の公職追放、教師・芸術家・音楽家の締め出し、ニュルンベルク法(1935)によるドイツ市民資格剥奪、と矢継ぎ早にユダヤ人排斥政策を打ち出した。急増するドイツ、オーストリアからのユダヤ人難民を救うために、米国のハル国務長官が1938(昭和13)年3月に国際委員会を組織する提案を行い、その第1回委員会がフランスで開かれた。しかし国際社会はユダヤ人に対して冷たかった。米国の議会は自国の政府提案を拒否。ベルギー、オランダ、アルゼンチン、ブラジル等は、移民受け入れの余地なしと回答。カナダは協力の意向あるも、収容能力に限度あり。イギリスは、農業移民ならギニア植民地に収容できるかもしれない、と事実上の拒否。

日本は大恐慌以来、英連邦、アメリカ、オランダなどの輸出市場から閉め出され、さらには中国での日貨排斥によって、経済的な苦境に立たされていた。国際社会での人種差別に苦しめられ、人種平等を唱えていた日本人にとって、ユダヤ人に対する迫害は、他人事ではなかったのだ。

昭和13(1938)年3月、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人約2万人が、シベリアを列車で横断し、満洲国への入国を求めてきた。ハルピン特務機関長樋口季一郎少将はこれを許可。難民の大半は大連、上海を経由してアメリカに脱出、残り約4千人は開拓農民としてハルピン奥地に入植した。ドイツは同盟国として強硬な抗議をしてきたが、樋口少将は、ユダヤ人迫害は「人倫の道にそむくもの」としてはねつけた。

 昭和13(1938)年11月7日、ユダヤ系ポーランド少年がパリのドイツ大使館書記官を暗殺。報復として、ドイツ全土のユダヤ教会堂ほとんどと、7千5百のユダヤ商店が破壊され、2万6千人のユダヤ人が収容所に送られた。打ち壊されたガラスの破片で街路が埋め尽くされ、きらめいたので「水晶の夜」と呼ばれた。この事件を機に、ヒトラーはユダヤ人の大規模な国外追放を始めた。

 昭和13(1938)年12月6日、日本では5相会議(首相、外相、蔵相、陸相、海相)で「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を決定した。これはユダヤ人を「獨国(ドイツ)と同様極端に排斥するが如き態度に出づるは啻(ただ)に帝国の多年主張し来たれる人種平等の精神に合致せざる」として、以下の3つの方針を定めた。

○現在日本、満洲、支那に居住するユダヤ人は他国人と同様公正に扱い排斥しない。

○新たに来るユダヤ人は入国取締規則の範囲内で公正に対処する。

○ユダヤ人を日本、満洲、支那に積極的に招致はしないが、資本家、技術者など利用価値のある者はその限りではない。(全否定ではなく招致も可)

5相会議決定の根回しをしたのが、陸軍の安江仙弘(やすえ のりひろ)大佐であった。安江大佐は陸軍内随一のユダヤ問題の専門家として、ユダヤ難民保護を訴えていた。後には満洲国政府顧問、および満鉄総裁室付嘱託として、満洲・支那在住のユダヤ人保護の活動を続けた。

 有色人種国家として、ただ一国近代化に成功、世界5大国の一角を占めるようになった日本は、人種差別と長年戦ってきた。虐げられし同胞、ユダヤ民族の苦境を、看過は出来なかった。

 昭和14(1939)年夏から、上海に赴任した海軍のユダヤ問題専門家犬塚惟重(これしげ)大佐は、日本海軍が警備する虹口地区において、世界でただ一カ所ビザなしでユダヤ難民を受け入れた。

 ここには、1万8千人の難民が押し寄せ、以前から居住していた住人と含めて、3万人のユダヤ人が自由な生活を送っていた。ドイツからは度々上海のユダヤ人を排除するよう働きかけがあったが、日本はそれを拒絶。

 昭和15(1940)年7月、ドイツ占領下のポーランドから脱出したユダヤ難民の一部が、バルト海沿岸の小国リトアニアの日本領事館に押し寄せた。リトアニアもソ連に併合され、ユダヤ人迫害が始まったので、日本経由でアメリカやイスラエルに逃れようとして、ビザを求めに来たのである。 杉原千畝(ちうね)領事は、6千人ものユダヤ難民にビザを発給し、その生命を救った。

誰もが閉ざした扉を開いた
 ドイツやソ連に追い立てられ、アメリカ、イギリス、スウェーデンにさえも、門前払いのユダヤ人。扉を開けていたのは杉原だけではなかった。特に目立つのは、カウナスの他では、ウィーン、プラハ、ストックホルム、モスクワなどだが、1940年から41年にかけて、12以上のヨーロッパの都市の日本領事館で、ユダヤ人へのビザが発行されていた。1940 (昭和15)年10月6日から、翌16年6月までの10ヶ月間だけで、1万5千人のユダヤ人が日本に渡った。

 その規範となったのが、39年12月の5相会議(首相、外相、蔵相、陸相、海相)で決定された「猶太(ユダヤ)人対策要綱」だった。ここでは、ユダヤ人差別は、日本が多年主張してきた人種平等の精神に反するので、あくまでも他国人と同様、公正に扱うべきことを方針としていた。当時の外相松岡洋右はこう言っていた。「いかにも私はヒットラーと条約を締結した。しかし、私は反ユダヤ主義になるとは約束しなかった。これは私一人の考えではない。日本帝国全体の原則である」と。

 日独伊三国同盟(1940年9月)は、1936年11月25日の日独防共協定(正式には共産インターナショナルに対する日独協定。対コミンテルンの対抗措置を定め、秘密付属協定でソ連を仮想敵国とした反ソ反共協定)、翌年1937年11月イタリヤも参加の日独伊防共協定が原点。付け焼刃などではなく、敵の敵は味方の同盟。

「ゴールデン・ブック(献金記帳簿)
 新資料ハルビン極東ユダヤ人協会が、1941年7月14日献金し、樋口(東京)・カウフマン(ハルビン)・安江(大連)と記帳している」指揮官の決断・早坂隆著2010文春文庫

 旧資料「イスラエルには世界的に傑出したユダヤ人の名を登録し、その功績を永遠に顕彰する「ゴールデン・ブック」という本がある。その中に、モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出したユダヤの偉人達にまじって、「偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口」とあり、その次に樋口の部下であった安江仙江大佐の名が刻まれている」

樋口季一郎少将
 ユダヤ人排斥は日本の人種平等主義に反する。当時の日本軍占領下の上海は、ビザなしの渡航者を受け入れる世界で唯一の上陸可能な都市だった。ユダヤ難民は、シベリア鉄道で満洲のハルピンを経由し、陸路、上海に向かうか、日本の通過ビザを取得して、ウラジオストックから、敦賀、神戸を経由して、海路、上海を目指すルートをとった。

 杉原千畝が命がけで日本の通過ビザを発行した6千人のユダヤ人難民は、後者のルート。そして、前者のルートで3万人のユダヤ人を救ったのが、樋口季一郎少将である。

 当時の上海には、2万7千人を超すユダヤ人難民が滞在していた。1942年には、東京のドイツ大使館からゲシュタポ(秘密治安警察)要員が3度にわたって、上海を訪問し、ドイツと同様のユダヤ人強制収容所を建設する事を働きかけている。しかし日本側は居住区を監視下に置きはしたが、身分証明書提示で自由に出入りできた。大半のユダヤ人は戦争を生き延び、無事にイスラエルや米国に移住した。

 猶太(ユダヤ)人対策要綱は、日米開戦後に破棄され、新たに難民受け入れの禁止などを定めた対策が設けられたが、「全面的にユダヤ人を排斥するのは、(諸民族の融和を説く)八紘一宇の国是にそぐわない」とした。

 昭和12(1937)年12月、満洲ハルピンの夜は零下30度近くまで下がり、吹雪が続いていた。カウフマン博士は、8月にハルピンに赴任してきたばかりのハルピン特務機関長・樋口季一郎少将を訪問し、流暢な日本語で、「夜分、とつぜんにお伺いしまして、恐縮しております」と言った。博士は、50を超えたばかりの紳士で、ハルピン市内で総合病院を経営し、日本人の間でもたいへん評判のよい内科医であった。大の親日家であると同時に、ハルピンユダヤ人協会の会長として、反ナチ派の闘士でもあった。

 樋口少将は、着任早々、満洲国は日本の属国ではない。だから満洲国、および、満洲国人民の主権を尊重し、よけいな内部干渉をさけ、満人の庇護に極力努めるようにしてほしい。と部下に訓示し、「悪徳な日本人は、びしびし摘発しろ」と命じていた。カウフマン博士は、その樋口に重大な頼み事を持ってきたのである。それは、ハルピンで極東ユダヤ人大会を開催するのを許可して欲しいということだった。ナチス・ドイツのユダヤ人迫害の暴挙を世界の良識に訴えたいというのである。樋口はハルピン赴任以前ドイツに駐在し、ロシアを旅行、ユダヤ人達の悲惨な運命をよく知っていた。樋口は即座に快諾し、博士を励ました。

 翌13年1月15日、ハルピン商工倶楽部で、第一回の極東ユダヤ人大会が開催された。東京・上海・香港から、約2千人のユダヤ人が集まった。樋口も来賓として招待されたが、部下は身の危険を心配して辞退するよう奨めた。当時のハルピンでは、白系ロシア人とユダヤ人の対立が深刻化しており、治安の元締めである機関長がユダヤ人大会に出席しては、ロシア人過激分子を刺激して、不祥事を引き起こす恐れがあったからだ。しかし、樋口は構わず出席し、カウフマン博士から求められる来賓としての挨拶をした。

「曰く、ヨーロッパのある一国は、ユダヤ人を好ましからざる分子として、法律上同胞であるべき人々を追放するという。いったい、どこへ追放しようというのか。追放せんとするならば、その行先をちゃんと明示し、あらかじめそれを準備すべきである。とうぜんとるべき処置を怠って、追放しようとするのは刃をくわえざる、虐殺にひとしい行為と、断じなければならない。私は個人として、このような行為に怒りを覚え、心から憎まずにはいられない。ユダヤ人を追放するまえに、彼らに土地をあたえよ! 安住の地をあたえよ! そしてまた、祖国をあたえなければならないのだ」

 演説が終わると、すさまじい歓声がおこり、熱狂した青年が壇上に駆け上がって、樋口の前にひざまずいて号泣し始めた。協会の幹部達も、感動の色を浮かべ、つぎつぎに握手を求めてきた。

 大会終了後、ハルピン駐在の各国特派員や新聞記者達が、いっせいに樋口を囲んだ。イギリス系の記者が、核心をついた質問をしてきた。ゼネラルの演説は、日独伊の三国の友好関係にあきらかに水をさすような内容である。そこから波及する結果を承知のうえで、あのようなことを口にしたのか。

樋口はまわりを取り囲んだ十数人の新聞記者やカメラマンに言った。

日独関係は、あくまでもコミンテルンとの戦いであって、ユダヤ人問題とは切りはなして考えるべきである。祖国のないユダヤ民族に同情的であるということは、日本人の古来からの精神である。日本人はむかしから、義をもって、弱きを助ける気質を持っている。・・・今日、ドイツは血の純血運動ということを叫んでいる。しかし、それだからといって、ユダヤ人を憎み、迫害することを、容認することはできない。・・・世界の先進国が祖国のないユダヤ民族の幸福を真剣に考えてやらない限り、この問題は解決しないだろう

 樋口の談話は、各国の新聞に掲載された。関東軍司令部内部からは、特務機関長の権限から逸脱した言動だとの批判があがったが、懲罰までには至らなかった。ユダヤ人迫害は人種平等の国是に反するという国家方針に沿ったものであったからだ。

 昭和13(1938)年3月8日、ハルピン特務機関長・樋口少将のもとに重大事件のニュースがもたらされた。満洲国と国境を接したソ連領のオトポールに、ナチスのユダヤ人狩りからのがれてきた約数千(「回想録」は何千人)~二万人(オトポール経由の総数か)のユダヤ難民が、吹雪の中で立往生している。これらのユダヤ人は、満洲国に助けを求めるために、シべリア鉄道を貨車できたのであるが、満洲国が入国を拒否したため、難民は前へ進むこともできず、そうかといって退くこともできない。食糧はすでにつき、飢餓と寒さのために、凍死者が続出し、危険な状態にさらされている、これらのユダヤ難民は、フランクフルトからポーランドに流れ込んだのだが、すでに数百万のユダヤ人を抱えていた同国は、対応できず、ソ連に依頼した。

 ソ連は、開発を放棄した酷寒の地シベリアに難民達を入植させた。都市生活者ばかりの難民達に、開拓などできるはずなどない。彼らは満洲国を経由、上海へ脱出を試みて、オトポールまでやっとのおもいでたどりついたのである。

 ハルピンのユダヤ人協会会長・カウフマン博士も飛んできて、樋口に同胞の窮状を訴えた。しかし、満洲国外務部(外務省)を飛び越えて、独断でユダヤ人を受け入れるのは、明らかな職務権限逸脱である。なぜ外務部は動かないのか。ユダヤ人問題で下手に動いて、ヒットラーから横やりでも入ったら、関東軍からにらまれるからだろう。樋口は腹立たしさを覚えた。彼らは満洲国の独立国家としての自主性をまったく失っている。満洲建国の理想として世界に掲げた旗印は「五族協和」であり、「万民安居楽業」ではないのか。博士!難民の件は承知した。だれがなんといおうと、私がひきうけました。博士は難民の受け入れ準備にかかってほしい。

力強い樋口のことばに、カウフマン博士は感きわまり、声をあげて泣いた。「博士、さあはやく、泣いている場合ではありませんぞ」樋口はすぐに満鉄本社の松岡総裁を呼び出し、列車の交渉を始めた

それから2日後の3月12日。ハルピン駅では列車の到着を待つカウフマン博士をはじめ、十数人のユダヤ人協会の幹部が、救護班を指図しながら、温かい飲み物や、衣類などの点検に忙しそうに動きまわっていた。やがて、轟然たる地ひびきをたてて、列車がホームにすべりこんできた。痩せたひげだらけの顔が、窓に鈴なりになって並んでいる。期せずして、はげしいどよめきの声が、ホームいっぱいにひろがった。列車が停止すると、救護班がまっさきに車内にとびこんだ。病人や凍傷で歩けない人たちが、つぎつぎにタンカで運びだされてくる。ホームのあちこちで、だれかれのくべつなく肩にとびつき、相擁して泣き崩れる難民たち。やつれはて、目ばかりギョロつかせていた子供たちは、ミルクの入った瓶をみると、狂ったように吠え、わめき、オイオイと泣きだした。

「よかった。ほんとによかった!」カウフマン博士は、涙で濡れた顔をぬぐおうともせず、ホームを走りまわって、傷ついた難民にいたわりの声をかけている。数刻後、樋ロは、オトポールの難民ぜんぶが、ハルピンに収谷されたという報告をうけた。凍死者は十数人、病人と凍傷患者二十数名をのぞいた全員が、商工クラブや学校に収容され、炊きだしをうけているという。救援列車の手配がもう一日おくれたら、これだけの犠牲者ではすまなかっただろうと医師たちは言っていた。

難民の8割は大連、上海を経由してアメリカへ渡っていったが、あとの4千人は開拓農民として、ハルピン奥地に入植することになった。樋口は部下に指示し、それらの農民のために、土地と住居をあっせんするなど、最後まで面倒を見た。

 樋口のユダヤ難民保護に対して、案の定、ドイツから強硬な抗議が来た。リッべントロップ独外相は、オットー駐日大使を通じて次のような抗議書を送ってきた。「満洲国にある貴国のある重要任務にあたる某ゼネラルは、わがドイツの国策を批判するのみか、ドイツ国家および、ヒトラー総統の計画と理想を、妨害する行為におよんだのである。かかる要人の行為は、盟邦の誓いもあらたな、日独共同の目的を侵害するばかりか、今後の友好関係に影響をおよぼすこと甚大である。この要人についてすみやかに、貴国における善処を希望している」。

 樋口は、関東軍司令部からの出頭命令を受け、参謀長・東條英機(後の首相)に対して次のように述べた。

「もし、ドイツの国策なるものが、オトポールにおいて、追放したユダヤ民族を進退両難におとしいれることにあったとすれば、それは恐るべき人道上の敵ともいうべき国策ではないか。そしてまた、日満両国が、かかる非人道的なドイツの国策に協力すべきものであるとするならば、これまた、驚くべき軽侮であり、人倫の道にそむくものであるといわねばならないでしょう。私は、日独間の国交親善と友好は希望するが、日本はドイツの属国ではないし、満洲国もまた、日本の属国ではないと信じている」

樋口は、東條の顔を正面から見据えて言った。「東條参謀長!ヒトラーのおさき棒をかついで、弱い者いじめをすることを、正しいとお思いになりますか」東条は、ぐっと返事につまり、天井を仰ぐしぐさをしてから、言った。

 「樋口君、よく分かった。あなたの話はもっともである。ちゃんと筋が通っている。私からも中央に対し、この問題は不問に付すように伝えておこう」

樋口を待っていたのは、「不問」どころか、参謀本部第2部長への栄転だった。

出発の当日、駅頭は、二千人ちかい見送りの群集で、埋めつくされていた。その人波の中には、数十キロの奥地から、わざわざ馬車をとばして駆けつけてきた開拓農夫の家族たちなどもまじっていた。樋口が土地や住居の世話をしたユダヤ難民たちであった。

樋口が駅頭に立つと、いっせいに万歳の声がわきおこった。日の丸と満洲国旗とをうちふり、「ゼネラル、ヒグチ!」と、ロ々に連呼しあう。孫に手をひかれた白髪のユダヤの老婆は、路面にひざまずいて樋口を拝み、涙をながしつつけていた。待合室に入ると、カウフマン博士が、白系ロシア人の代表者ロザノフとともにやってきた。ユダヤ人と白系ロシア人は、血なまぐさい暗闘を繰り返していたのだが、樋口が親睦のクラブまで作って、仲介に努力していたのである。ロザノフは、カウフマン博士の頬に長い接吻をし、巧みな日本語で言った。これが閣下に対する餞別です。閣下の言葉を忘れず、これから仲良くやっていきます。

 樋口が「あじあ」号の最後尾の展望台に立つと、列車は高らかに警笛を響かせて、ゆっくりと動き出した。「ヒグチ!」「ヒグチ!」。群衆は堰を切ったように改札口を乗り越え、ホームにあふれ出した。あどけない顔をした少年達は銀髪を振り乱し、両手を振り上げながら、あじあ号を追って走り続けた。

終戦後、ソ連極東軍は、札幌にいた樋口を「戦犯」に指名し、連合軍総司令部に引き渡しを要求してきた。停戦後の8月19日まで、北千島を攻撃してきたソ連軍は、北方防衛の責任者であった樋口に大損害を与えられ、北海道上陸を阻止された事を恨んでいたのである。樋口の危機を聞いて、ニューヨークに総本部を持つ世界ユダヤ協会が動き出した。その幹部の中には、オトポールで救われた人々もいた。

「オトポールの恩を返すのは、いまをおいてない」世界各地に散らばっているユダヤ人に檄がとび、樋口救出運動が始まった。世界ユダヤ協会は、アメリカの国防総省を通じて働きかけ、マッカーサー総司令部はソ連からの引き渡し要求を拒否し、逆に擁護することを通告、樋口は救われた。2につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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