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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観2八紘一宇世界同胞ユダヤ人対策要綱シガレットケースゴールデンブック

八紘一宇世界同胞ユダヤ人対策要綱シガレットケースゴールデンブック

安江仙弘(やすえのりひろ)大佐
 5相会議での「猶太(ユダヤ)人対策要綱」策定に大きな力となった人物がいた。安江仙弘(やすえのりひろ)陸軍大佐である。安江大佐は幼年学校時代からロシア語を学び、シベリア出兵時に武功をたて、その後、陸軍随一のユダヤ問題研究家となった。この前年の昭和12(1937)年12月26日、満洲ハルピンにて、第一回極東ユダヤ人大会が開かれ、ハルピン陸軍特務機関長の樋口季一郎陸軍少将が、ドイツのユダヤ人排斥政策を批判し、「ユダヤ人を追放するまえに、彼らに安住の地をあたえよ!」と演説して、聴衆を感激させた。この大会のわずか3日前に樋口少将を補佐するために陸軍中央部から派遣されたのが、安江大佐である。大会後、翌13年1月21日には、安江大佐が中心となって、関東軍は「現下ニ於ケル対猶太民族施策要領」を策定し、世界に散在せるユダヤ民族を「八紘一宇の我が大精神に抱擁統合するを理想とする」とした。「八紘一宇」の八紘とは、四方と四隅、すなわち、世界中のことで、一宇とは「一つ屋根」を意味する。初代・神武天皇が即位された時に、人民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、天の下のすべての人民が一つ屋根のもとで家族のように仲良く暮らすことを、建国の理想とされた。英語では、Universal Brotherhood(世界同胞主義)と訳されている。関東軍はこの八紘一宇の精神をもって、ユダヤ民族を助けるべきである、と安江大佐は主張したのである。同時に「施策要領」は「ユダヤ資本を迎合的に投下せしむるが如き態度は厳に之を抑止す」とした。ユダヤ難民をあくまで人道的に取り扱うが、ユダヤ資本をあてにするような事はしない、という方針である。この後、3月8日から12日にかけて、約2万人のユダヤ難民がシベリア鉄道経由で押し寄せ、吹雪の中で立ち往生している所を、樋口季一郎少将が中心となって、特別列車を出して救出した。

安江大佐は9月19日、外務省本省において、外務、陸海軍関係者を集めて、ユダヤ問題に関する講演を行い、次のように述べた。

「ユダヤ人は従来第三者のごとき地位にあったが、支那事変とともに我々の軒先に入ってきたのである。これをいかに扱うか。ドイツのごとき方法を取るべからざることは明瞭である。日本の八紘一宇、満洲の諸民族協和の精神からしても排撃方針は不可である。よろしく保護し、御稜威を彼らにおよぼすべきである」。御稜威(みいつ)とは皇室の民を守る威光のことである。その威光をユダヤ難民にも及ぼすべく、安江大佐は日本帝国全体の国策決定を板垣征四郎・陸軍大臣に働きかけた。

 「我国は、八紘一宇を国是としておりユダヤ民族に対してもこれを例外とすべきではない。彼らは世界中に行先無く、保護を求めているのである。窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずという。況(いわ)んや彼らは人間ではないか」。

 講演、板垣大臣への説得、ともに、「八紘一宇」が安江大佐の主張の基盤となっていた。こうした働きかけにより12月6日の五相会議において、板垣陸軍大臣より「猶太人対策要綱」が提案され、国策として決定された。

 国策として決定20日後、12月26日から3日間、第二次極東ユダヤ人大会がハルピンで開かれた。上海、青島、天津、大連、などから1千余名のユダヤ人が集まった。日満側からは安江大佐やハルピン副市長・大迫幸男などが参列した。大会では以下のような決議文を採択し、カウフマン会長名でニューヨーク、ロンドン、パリのユダヤ人団体等に打電された。「この日本国ならびに満洲国の示されたる誠意と同情的処置とは吾人をここに安居楽業せしむると共に、吾人特有の文化を発展せしめ、かつ日満両国に対し、善良なる人民たらしめ得るものとす。ここに民族大会において吾人はユダヤ民族が民族的平等と民族的権利とを国法にしたがい享受すると共に、東亜新秩序の再建に努力しある日満両国に対し、あらゆる協力をなすべき事を誓い、かつこれを吾人同族に対し、呼びかけるものなり」。(現代文訳)

 昭和15(1940)年12月、安江大佐は予備役に編入され、その年の第4回ユダヤ人大会は中止命令が出た。安江大佐は、予備役編入の理由「この二つは東條陸軍大臣の直々の命令であり、それは9月に締結したばかりの日独伊三国同盟の手前、ナチス・ドイツへの気兼ねと、大佐が東条と対立関係にあった石原完爾中将の同志であった」と、推測した。

 安江大佐が松岡外務大臣を訪ねると、自分から満鉄の佐々木副総裁によく話をしておくとして、今後は外務省とも密接に連絡して戴きたい。私は貴君に働いて戴き度い事が色々ある。ユダヤ人に対しても八紘一宇の大精神で向かわねばならない。ドイツの尻馬に乗って日本がユダヤ排斥をやらねばならぬ理由がどこにありますか。日本には日本の立場がある。今、日本を見渡した所、真にお国のためにユダヤ人に接している人は貴君しかいない。とにかく貴君の今後の活動のために尽力します。松岡外相の尽力で、安江大佐は満洲国政府顧問、および満鉄総裁室付嘱託となり、安江機関が昭和16年1月に大連に誕生して、満洲・支那在住のユダヤ人保護の活動を続けた。

 昭和16年11月1日、安江大佐に対し、ハルピン市のホテル・モデルンで数百人のユダヤ人列席のもと、世界ユダヤ人会議代表M・ウスイシキン博士署名の「ゴールデン・ブック」への登録証書授与が挙行された。ゴールデン・ブックは、ユダヤ人の保護・救出で功労のあった人を顕彰するためのものである。この時、吹雪の中で2万人とも言われるユダヤ難民を救出した樋口季一郎少将、および、樋口・安江と力をあわせてきた満洲ユダヤ人社会のリーダー、カウフマン博士も、ともに記録された。

犬塚惟重(これしげ)大佐
 犬塚大佐のユダヤ研究は海軍内でも着目され、首脳部から命ぜられて、1928(昭和3)年からは大使館付き武官補佐官としてパリに駐在、ユダヤ社会での見聞を深めた。1930(昭和5)年12月に帰国してからは、軍令部で防諜、思想戦、ユダヤ問題の統括を任され、言論界の指導層に対して、「ユダヤ民族には共産主義者や米国での反日主義者もいるが、八紘一宇の精神で人道主義的、平和主義的に転向させるべき」と説いた。昭和13(1938)年には、安江大佐とも協力して、関係方面に精力的に働きかけ、世界中で排斥されつつあるユダヤ難民に対しても、他国人と同様の公正な取り扱いを行うという五相(首相、陸・海・外・蔵相)会議決定を実現した。満洲・北支(シナ)方面のユダヤ工作は安江大佐が担当していたが、上海の海軍警備地区内での難民対応、ユダヤ財閥の反日運動対策、そしてユダヤ人が実権を握る米国マスコミへの工作を考えると、犬塚大佐は上海に腰を据えて、ユダヤ問題に専念しようと決心した。ちょうど、人事局の方から「少将への昇進の過程として、一時、海上勤務にまわるように」という内意がもたらされたが、自分がユダヤ問題を担当することが日本にとってもユダヤ人にとってもよい、との判断から、栄達の道を投げ打ち、予備役編入とともに、上海勤務を願い出た。

 上海に最初のユダヤ人難民が流入したのは、1938年秋、ナチスが当時ヨーロッパで最大のユダヤ人口を持つオーストリアを併合してからである。その後、チェコ、ポーランドとドイツの支配圏が広がるにつれて数百万のユダヤ人が世界各地に逃げ出さざるをえなくなったが、彼らの目指すアメリカ、中南米、パレスチナなどは入国ビザの発給を制限していた。ユダヤ難民がビザなしに上陸できたのは、世界で唯一、上海の共同租界、日本海軍の警備地になっていた虹口(ホンキュ ー)地区だけだった。ここにユダヤ難民がどっと押し寄せ、現地ユダヤ人らが、もとの小学校や中学校などの無人の建物に収容、給食や生活保護を行った。船が着くたびに上陸するユダヤ難民はたちまち1万8千人に膨れあがった。1939(昭和14)年夏、犬塚大佐は東洋一と言われた17階建てのブロードウェイ・マンション・ホテルの16階に事務所兼住居を定めた。25畳ほどのリビング・ルームにベッド・ルーム、クローク・ルームなどを備えたスイート・ルームだった。謀略嫌いの海軍の工作機密費はわずかだったので、犬塚は自分の退職金をすべてユダヤ工作につぎ込むつもりだった。海軍武官府からは贅沢だと非難する向きもあったが、兵士の立つ武官府では、ユダヤ人達が気安く出入りしにくく、また極東のユダヤ財閥の首脳部に応対するためには、こうした見栄も大切と考えたからだ。

上海に居を構えて数ヶ月後、1939(昭和14)年12月21日、犬塚大佐は上海ユダヤ首脳部から午餐の招待を受けた。ユダヤ避難民委員会副会長M・スピールマンが、ヨーロッパ各国を歴訪した結果を聞く集まりであった。報告は非常に悲観的なもので、9月の第2次大戦の勃発により、パリやロンドンのユダヤ人団体からの上海への送金も途絶えてしまった。またアメリカのユダヤ人団体もヨーロッパでの大量難民救済に追われて、上海への送金もいつ停止するか分からない状態だった。万策尽きた段階で、犬塚大佐は「一つ私からの提案がある」と切り出した。アメリカに日本の必要物資を供給させることができれば、私はユダヤ難民に満洲国か支那の一部をユダヤ人居住区として開放し、まず試験的に2,3年にわたり、毎年約1万5千人ぐらいの避難民を移住させる案を考えているが、皆さんはこれを支持できるだろうか?一同は即座に賛成したが、アメリカのユダヤ勢力が国務省を動かして、日本への重要物資禁輸政策を転換させるだけの力があるかどうかは分からなかった。犬塚大佐は「国務省に対し、全力を尽くして運動します」と約束すれば、日本政府はユダヤ居住区の案を好意的に考慮するだろうと答えた。

 その翌々日、満洲ハルピンにて第3回極東ユダヤ人大会が開かれ、日本、および満洲帝国が人種的、宗教的差別をせず、各民族に平等に権利を認めている点を感謝する決議を行った。その間に秘密代表会議が開かれ、犬塚大佐の案に基づいて、日本政府にユダヤ人居住区設定の請願をし、アメリカのユダヤ人社会に協力を求める決議を行った。

 大日本帝国は、・・・極東在住ユダヤ人に対して、八紘一宇の国是に基づき、人種平等の主張を堅持し、何らの圧迫偏見なく、大なる同情をもって保護を与え居らることは、我ら同族の感謝に堪えざるところなり。・・・帰るに国なき我ら同族に対し、大日本帝国の尽力により極東いずれかの方面にユダヤ民族のため、一部の地域を設定し、安居楽業の地を与えられなば、我ら全世界ユダヤ民族の幸福にして永遠に感謝するところなり。・・・ 1939年12月25日極東ユダヤ人代表会議議長カウフマン

大日本帝国 内閣総理大臣 阿部信行閣下

 ステファン・ワイズ・ユダヤ教神学博士は、米国のユダヤ指導者階級の中心人物のみならず、全世界ユダヤ民族の指導者ともいうべき人だった。ルーズベルト大統領のブレーンの中でも随一であり、大統領ある所には、必ず影のようにワイズ博士がついていたと評され、その政策を左右する実力を持っていた。このワイズ博士が頑迷な反日主義者だった。1938(昭和13)年10月、米国ユダヤ人代表会議での対日態度決定の討議でも、ワイズ博士がただ一人、対日強硬姿勢を主張したため、遂に未決定に終わったことがあった。1938年と言えば、その前年12月にハルピンで第一回極東ユダヤ人大会が開かれ、この年3月には約2万人(一説には数千人)のユダヤ難民がシベリア鉄道経由で満洲に押し寄せ、吹雪の中で立ち往生している所を、樋口季一郎少将が中心となって、特別列車を出して救出していた。こうした事実にも関わらず、ワイズ博士が反日強攻姿勢を貫いたのは、ナチス・ドイツ敵視からその友好国日本も同様の反ユダヤ国家と見なしていたためであろう。しかし、上海のユダヤ人指導者から犬塚提案がもたらされると、ワイズ博士の態度は大きく変わった。東京在住のユダヤ人を通じて、次のような回答がもたらされた。ユダヤ避難民問題を日本において解決せんとの案なれば、それがいかなる提案にせよ、もし日本の権威ある筋よりのものとせば、我らユダヤ機関は深甚の考慮を以て受理すべきものなり。またワイズ博士はその友人に、もし真に日本政府が満洲国においてユダヤ避難民問題の解決に興味を有するならば、「公然と日本の友たるべき決心」である旨を伝えたという。

居住区設定に対しては、陸軍側から、これ以上の難民収容は物理的に困難だとか、ナチスの反ユダヤ思想に影響されての反対があったが、犬塚大佐は粘り強く反論していった。犬塚大佐の根回しが奏効しつつあった1940年9月、大佐の意を受けた日本人ビジネスマンが、ニューヨークでユダヤ首脳と会談し、次 のような合意に達した。日本側は上海虹口側に住むユダヤ難民1万8千人を含めて3万人を上海浦東に居住地区と定め、米国ユダヤはこれに対して2億円の対日クレジット(貸付け枠)を設定し、うち1200万円で避難ユダヤ人の失業救済として皮革会社を設立し、残余の1億8千8百万円は日本の希望する物資、屑鉄、工作機械などを無制限に供給する。これの公式請願と具体案協議のため、米国ユダヤ数名を日本に派遣する。米国の戦略物資の対日禁輸を打ち破るかもしれない画期的な合意だった。ワイズ博士の親日への転向が大きな原動力となったのであろう。米国の禁輸政策が、日本の軍事力を時々刻々と弱め、座して死を待つよりは、と開戦に立ち上がった経緯を考えれば、この合意が成立していれば、日米開戦は避けられたかもしれない。しかし、それからわずか1週間後の日独伊三国同盟締結のニュースが、この合意を吹き飛ばした。ユダヤ首脳は次のように言って、肩を落とした。実は日本当局が上海その他の勢力範囲でユダヤ人に人種偏見を持たず、公平に扱ってくださる事実はいろいろな情報でよく知っていました。その好意に深く感謝し、今回の借款でその恩に報い、われわれの同胞も救われると期待していましたが、今日の米国政府首脳や一般米人の反日感情の大勢に逆行する工作を行う力はありません。政府は対日クレジットや戦略物資輸出は許可しないでしょう。残念ながらわれわれの敵ナチス・ドイツと軍事同盟した日本を頼ることはできなくなりました。

このような大きな工作の傍らで、犬塚は地道なユダヤ人保護の活動も続けていた。この年の7月26日、上海ユダヤ中でも最高の宗教一家アブラハム家の長男ルビーから、「宗教上の大問題でぜひ会っていただきたい」と電話があった。ポーランドがドイツとソ連に分割され、ミール神学校のラビ (ユダヤ教の教師)と神学生ら約5百人がシベリア鉄道経由でアメリカに渡るために、リトアニアに逃げ込んだという。そしてアメリカへの便船を待つ間、日本の神戸に滞在できるように取りはからっていただきたい、というのが、ルビーの依頼であった。宗教上の指導者ラビと神学生を護ることはユダヤ人にとって大切なことであり、将来これらの人々が世界各地のユダヤ人宗教上の指導者として多大の影響を及ぼすことは、犬塚大佐はよく分かっていた。よろしい。ユダヤ教の将来のために、さっそく関係当局を説得しよう。期待して待っていてください。大佐が胸を叩くと、ルビーは涙ぐんで「アーメン」と指を組み、感謝した。犬塚大佐は外務当局に働きかけ、公式には規則を逸脱したビザ発給は認められないが、黙認はすることとなった。この情報が上海のユダヤ首脳部を通じて現地にもたらされ、神学生たちは8月中旬、リトアニアの領事代理杉原千畝からビザを受けることができた。ただし杉原はこの「黙認」の工作を知らされず、発給規則逸脱で職を賭して「命のビザ」を書き続けたのである。

この件で、感謝の印としてシガレット・ケースを贈られた。それまでユダヤ人から何一つ受け取っていなかった犬塚大佐だが、自分のイニシャルと感謝の辞が刻まれてあったので、快く受け取った。また犬塚大佐のユダヤ人保護工作への感謝から、ユダヤ人の恩人としてゴールデン・ブックに記載したいという申し出があったが、犬塚大佐は次のように述べて、申し出を辞退したという。

「私のユダヤ難民を助け東亜のユダヤ民族の平和と安全を守る工作は、犬塚個人の工作ではなく、天皇陛下の万民へのご仁慈にしたがって働いているだけである。私はかつて、東京の軍令部にいた時、広田外相からこんな話を伺ったことがある。広田外相が恒例の国際情勢を陛下に奏上申しあげたうちでナチスのユダヤ虐待にふれたところ、陛下は身を乗り出されて憂い深げにいろいろご下問なさるので、外相は失礼ながら陛下はユダヤ人を日本人と思い間違いあそばしているのではないかと不審に存じ上げたが、陛下は「いやユダヤとわかっているが、哀れなもの」と仰せられて、そのご仁愛のほどに恐懼したというのだ。私は陛下の大御心を体して尽くしているのだから、しいて名前を載せたければ陛下の名を書くように」と固持した。

 日米開戦後も犬塚大佐のユダヤ人保護工作は続いた。日本占領下の上海で犬塚機関が保護したユダヤ難民は2万5千人を超えた。1942(昭和17)年1月、ナチスがユダヤ人絶滅の決定をした頃、上海ユダヤ人絶滅のためにドイツで開発したガス室を提供するという申し出があった。それを阻止したのが犬塚大佐だった、というユダヤ人の証言もある。

大戦中でも「上海は楽園でした」。そこで暮らした経験を持つヒルダ・ラバウという女性が次のような詩を残している。

ちかごろ上海のことを見聞きするにつれわたしは神にいのる。しかるべき人々に称賛が与えられますように!かれらがあらたに誇りが持てますように。その人たちは、上海のナチが振るおうとしていたおそろしい暴力から、わたしたちを守ってくれました。救助者がだれだったか、あばくのは簡単なはず、いまではだれもが知っている、その正体は日本人「憎しみ」ばかりが広まっていたとき、かれらは、ユダヤ人に親切だった。みなさん! あの悲劇で6百万人が消えた道を、わたしたちは逃れたのです。異国にあって、わたしたちは「自由」だった。・・・収容所のことで不満をいう人はいますが、皆殺しになった人びとを思えば、「上海は楽園でした」。

 1982年3月12日付けエルサレム・ポスト誌にタブロイド判1頁を費やして次のような記事が掲載された。1941年3月、このシガレット・ケースは1939年以来、上海でユダヤ関係機関長であった犬塚惟重海軍大佐が、3百名のユダヤ神学生を日本占領区域に収容してくれたこと、1万8千名のドイツ、オーストリー、ポーランドからの避難ユダヤ人を救ったことへの感謝の印に贈られたものである。このシガレット・ケースはレプリカと交換され、犬塚未亡人から米国のラビ・トケイヤーの手を経て今、エルサレムのヤッド・バシェムに贈られ、大虐殺追悼記念館の収集品に加えられた。寄贈式はアラド総裁事務室で地味に挙行され犬塚大佐がこの贈り物を受け取るまでの経緯を総裁が述べ、ユ バル副総裁が1948~49年に上海で見聞した犬塚大佐は学者肌で人道主義の寛大な日本士官で、特にユダヤ民族の更生に力を尽くした非凡な人物との評価を披露した。また、彼の指揮によって、日本人学校校舎が避難ユダヤ人たちの宿舎になり、病院建設に協力したり、シナゴーグ(ユダヤ教教会堂)建設工事にセメントを融通するなどの助力を惜しまなかった。・・・

杉原千畝の命のビザも八紘一宇天道に基づく国是

杉原千畝領事代理
 ユダヤ人を救出して、「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を受けた。ポーランドの独ソ分割によって追われたユダヤ難民6千人(推定)に、日本へのビザを発行して命を救ったカウナス(バルト3国の一つ、リトアニアの臨時首都)領事代理。外務省訓令を逸脱した大量のビザ発行に関しては、国策に反した個人的善行と報道されてきたが、国際連盟規約に「人種平等の原則」、ハルピン特務機関長・樋口季一郎少将、五相会議決定、安江機関、犬塚機関というように、法を超越した日本人の根源的なもの、いわば日本精神という観点で見なければならない。

 杉原自身はユダヤ人救出の動機を後年、こう述べている。それは私が、外務省に仕える役人であっただけではなく、天皇陛下に仕える一臣民であったからです。悲鳴をあげるユダヤ難民の前で私が考えたことは、もしここに天皇陛下がいらっしゃったらどうなさるか、ということでした。陛下は目の前のユダヤ人を見殺しになさるだろうか。それとも温情をかけられるだろうか。そう考えると、結果ははっきりしていました。私のすべきことは、陛下がなさったであろうことをするだけでした。もし外務省に(ビザ発給に関する)訓令違反を咎められたら、私が破ったのは訓令であって、日本の道徳律ではないと思えば良いと腹を決めました。 3につづく⇒

No title
昔の人は、えらかったのですねえ。

誇りの持ち方が違う・・・でも、その背景には「男」としてのプライド、強さがあったと思います。

男をダメにしたことのひとつに「男女共同参画社会」があると思うのです。
[ 2012/01/17 23:13 ] [ 編集 ]
命のビザ改訂版
i-265i-265i-265今中学校の英語の教科書に杉原千畝の命のビザの話が載っています。しかし、日本政府はユダヤ人へのビザ発給に反対し、その命令に反して独断で杉原がビザを発給したかのような書き方になっています。
とても残念なので、改訂版を作ってみています。
樋口少将や安江大佐、犬塚大佐を載せてみようと思っています。こちらのブログ参考にさせてくださいe-237
[ 2015/01/08 16:37 ] [ 編集 ]
Re: 命のビザ改訂版
> i-265i-265i-265今中学校の英語の教科書に杉原千畝の命のビザの話が載っています。しかし、日本政府はユダヤ人へのビザ発給に反対し、その命令に反して独断で杉原がビザを発給したかのような書き方になっています。
> とても残念なので、改訂版を作ってみています。
> 樋口少将や安江大佐、犬塚大佐を載せてみようと思っています。こちらのブログ参考にさせてくださいe-237


「転載可要出自記載」です。真実啓蒙にがんばって下さい!
 中朝韓、戦勝国、そして戦後70年職責者皆無の日本も、捏造の坩堝。
 「捏造亡国は世の習い」。
 日本人一日も早くの覚醒が、日本救国唯一の術!
[ 2015/01/08 20:06 ] [ 編集 ]
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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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