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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観カトリックの総本山ヴァチカンにABC項目すべての戦犯が祀られた

1の2カトリックの総本山ヴァチカンにABC項目すべての戦犯が祀られた

昭和33年(1958)10月31日放送「私は貝になりたい」TBSの前身、ラジオ東京テレビ(KRT)。岡本愛彦演出、橋本忍脚本、フランキー堺主演

「私は貝になりたい」は、加藤哲太郎(陸軍中尉)が戦犯服役中、筆名志村郁夫で「あれから七年--学徒戦犯の獄中からの手紙」(飯塚浩二編光文社1953年)に投稿掲載の、「狂える戦犯死刑囚」「以下は、かつて戦犯であった一市民の綴り方である。かならずしも事実に基づいてはいないが、全部がフィクションだと考えてもらってはこまる。このへんのことは、やがて時が解明してくれるだろう」と書き始められた文の中の遺書が原案。これを、「羅生門」、「七人の侍」などの黒澤作品に脚本参加している「黒澤組」の脚本家橋本忍が、原案の遺書を増幅し、物語にしたものである。WGIP丸鵜呑みである。

昭和34(1959)年4月8日参拝

昭和34(1959)年IOC総会で、欧米白人国家(アメリカ10票-ストリア9票ベルギー5票)を破り、日本大差の34票圧勝、1964年東京オリンピック開催決定
 戦後14年!独立後、わずか7年である!戦勝国の反省と人類の良識、東京五輪開催決定

 前哨戦のIOC委員団東京視察の際は、
昭和天皇自らのプレゼンテーションで、招致要請
臆する事無く昭和天皇を舞台に立たせた政治家も、昭和天皇も、見事と言うほかに言葉は無い!

 戦後わずか14年昭和天皇プレゼンテーションによる有色人国家初のオリンピックは、凶産ソ中以外の世界のほとんどが、蜂起日本(自衛戦争)と認識していた証拠である。敗戦とWGIPで愚弄され続けた先人の、断腸の思いを慰むるに足りたかどうかは解らぬが、圧勝での開催決定は、清涼な風と成ったことは、間違いない。

 ここには現実と対峙し、摘み食いなどせず清濁併せ呑む生の日本人と、生の世界人居た。検証回路絶無の記憶器、贋賞大江石原都知事愛国モドキ等の、現実界乖離の仮想界など、皆無

昭和34(1959~60)年安保闘争。凶産工作員(共産党、社会党)や、戦後復職赤化大学凶授等が学生を洗脳し、扇動した。言葉と文字界赤化ロボットの始まり

昭和35(1960)年の、第15回国連総会で、アジア、アフリカ43カ国による共同提案が採択され、植民地を保有することを不法行為であると宣言(植民地独立付与宣言)。賛成89、反対0、棄権9カ国(主要宗主国の英米仏、ベルギー、ポルトガル、スペインと、南アフリカ、オーストラリア、ドミニカ)。その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした。開闢以来延々と続いた最適者生存の、弱肉強食本能の食民治主義(唯物主義)、独占貿易は破壊され、先人の旗印、自由貿易共存共栄平等に基づく新秩序(唯心主義)が創造され現在の平和がもたらされた。

 「賛成89、反対0、棄権9(主要宗主国の英米仏等)」侵略者は宗主国連合軍。日本は侵略者に非ず、蜂起軍であることを世界が証明した。蜂起軍を戦犯呼ばわりし、さらに分祀とは、輩は子孫などではない。この時点で言葉と文字界が、まともであったなら、凶産、WGIP李承晩北朝鮮犯日団の入り込む隙はなかった。以後の、田中三木中曽根の無知私利私欲が犯日に油を注ぎ、とんでもない大火にした

昭和35(1960~63)年池田勇人首相終戦時46歳。

昭和37(1962)年キューバ危機。キューバ危機時の国家安全保障会議で、ケネディ弟がケネディ兄(大統領)に渡したメモ。「私は、真珠湾奇襲を決断した時の、東条首相の気持ちがよく分かる」。13日間━キューバ危機回顧録・ロバートケネデイ・中公文庫・2007.11.

1963(昭和38)年韓国朴正熙大統領就任。以後87年まで軍事政権。

 「・・・この頃には(1960年代はじめ)、在日の済州出身者も柑橘苗木寄贈運動を展開して、この(蜜柑)ブームに一役買っている。・・・在日の故郷訪問は、日韓条約以後急増し、67年の1423人から71年には5477人と増えて、この71年には故郷(済州)に喜捨した金額も三億ウォンを超えた(済州新聞。72年10月18日)」

昭和38(1963)年5月11日石川県寺越武志叔父二人拉致
1964(昭和39)年凶産中国はオリンピック期間中の10月16日にウイグルで核実験を行い、妨害。中国の犯日は、東京オリンピックから表面化し、言葉と文字の実働無き仮想界、日本の記憶ロボットを、手足の如くあやつった。中国、改造日本戦犯陳列室開設 日本人戦犯が戦争中の「日本鬼子」からいかにして人間に生まれ変わったか写真パネルを中心に中帰連洗脳の歴史を展示。洗脳の結果の中帰連の謝罪も展示されている。最後の戦犯(中帰連)が帰国。中国狂惨党が捕虜の日本兵を洗脳し、日本に帰し、反日、凶産化運動(赤化)。人心懐柔のため、仮想敵国日本とし、犯日を国是にした。以後現代まで、続いている。北朝鮮が韓国のオリンピックを妨害したのと酷似する。唯物凶産の手口は皆同じだ。

昭和39(1964)年 最後の戦犯(中帰連)が帰国。中国狂惨党が捕虜の日本兵を洗脳し、日本に帰し、反日、狂惨化運動(赤化)。中国凶産の工作員中帰連が語る能動戦争が、南京731慰安婦百人斬り泰緬鉄道「戦争体験出前噺」等の、捏造起因となり、半端者仮想界や凶産教授や教諭が扇動、韓国北朝鮮罪日、迎合金儲け証言者が便乗した。現実界は復興に多忙なため、同胞の報道ゆえに、信ずるしかなかった。文系最高学府が、半端者凶産教授(戦後復職の赤化凶授)に占領されたのが原因。文系最高学府2010年も、工作員継続中。
昭和39(1964)年10月10日東京オリンピック開催。戦後19年!独立後、わずか12年である!戦勝国の反省が植民地独立付与宣言で、人類の良識実証が、東京五輪開催
 以後現実界、すさまじき実事求是での隆盛。言葉と文字界これで踊り狂い、「公」から「私」へ邁進し現実界から乖離、捏造三昧で堕落化、日本存亡の危機となる。
昭和39(1964~72)年佐藤栄作首相終戦時44歳。

1965(昭和40)年韓国朴正熙日韓条約締結。凶産中ソの緩衝国が韓国なので、弱体化は凶産南下となる。結果、「おもてなし条約」となった。竹島は紛争処理事項として棚上げされた。

昭和40(1965)年日本韓国へODA1998年度まで有償資金協力6,455.27億円、無償資金協力47.24億円、技術協力実績239.94億円もの経済援助開始。愚民化捏造政策なので、非公開、韓国国民は一切知らない。 

1965(昭和40)年中国チベット占領文化大革命で同胞大虐殺開始。大虐殺開始以後中国国民の目をそらせるために、朝日新聞を占領し、歴史を捏造し本格的に日本叩きを開始した。

昭和40(1965)年10月19日参拝

昭和41(1966)年『南京作戦の真相』(東京情報社)五島広作(毎日新聞記者)と下野一霍の共著。南京事件の存在自体を疑う否定論としては最も早く出版された。

昭和42(1967)年4月朝日新聞広岡知男社長文革礼賛記事掲載。ソ連の手先尾崎秀実の流れを汲む狂惨分子一派が画策し日本のマスコミでは朝日新聞の特派員だけが、いち早く中国内での取材公認。以後朝日新聞は思想戦工作員の巣となる。仮想界真空時代の始まり。

昭和42(1967)年『近代戦史の謎』(人物往来社)洞富雄著「南京大虐殺」肯定論。金儲け目的の捏造本。

昭和42年(1967~79)私利私欲赤化教授大内兵衛の弟子美濃部亮吉が、大内の説得で東京都知事。良いとこ取り摘み食い半端者政治で、財政がガタガタになった。戦後教授半端者の出来損ないを、実証

昭和43(1968)坂の上の雲(1968~72サンケイ夕刊)で明治を描き、二人しか居ない息子も戦死の、象と蟻戦争に勝利した乃木を、愚将と罵倒した司馬遼太郎実戦皆無終戦時22歳

昭和43(1968)年6月小笠原諸島返還。

昭和44(1969)年10月20日参拝

昭和45(1970)年10月21日朝日新聞広岡知男社長(1967~1977)、「朝日新聞は中国政府の意向に沿わない記事は書かない」、と明言(新聞協会主催の研究会)「新聞研究(月刊・日本新聞協会)」犯日スパイ作戦開始!

昭和46(1971)年6月17日沖縄返還協定調印

昭和46(1971)年日中国交樹立直前の1971年(昭和46年)8月末より朝日新聞紙上に掲載された本多勝一記者の『中国の旅』。中国側の、言うがまま、無検証報道。朝日新聞南京虐殺犯日キャンペーン展開。(日中国交樹立の主導権を握るため、朝日新聞と凶産党犯日作戦プロパガンダ開始)

昭和47(1972)年5月15日沖縄返還。 密使、若泉 敬の尽力は忘れてはならない。

全面禍福思考はここまで!以後は中国凶産朝日毎日新聞、NHKTV朝日TBS教授識者罪日工作員の思想戦に洗脳され、摘み食い半端者続出の日本となった。

以後は中国北朝鮮の凶産や韓国工作員の思想戦の犬と化したマスコミや識者や迎合金儲け証言者続出の真空時代

昭和47(1972~74)年7月7日田中角栄首相終戦時27歳。民欺党小沢一郎まで続く私利私欲派閥議員時代の開幕で、拝金児遊官主党、民欺党の始まりである。官僚もこの辺から私利私欲に走るように成ったのではないか?天下り先の巣作り開始が始まりである。以後理念無きマスコミに洗脳され、政治理念無き政治家続出となり、理念が金に変化、2010年、戦後65年に至る。仮想界政治屋の真空時代の始まり。

昭和47(1972)年9月 日中共同声明調印 中国共産党の卑劣な外交下での国交回復である。田中角栄首相(終戦時27歳)、周恩来首相(1898年生まれ終戦時47歳歴戦のつわものである)と調印。かっての誇り高き中国ではなく相手はギャングと同じ凶産、凶産と実体把握無き調印は、無知の調印で、あらゆることに難癖を付ける、始まりとなった。私利私欲検証能力皆無、無知の始まりである。

昭和47(1974~76)年三木武夫首相終戦時38歳

昭和49(1974)年

 「日本待望論」オリヴィエ・ジェルマントマ(1943~フランス国営放送プロデューサー作家。初代ドゴール研究所理事長総裁はアンドレーマルロー)1998.11産経新聞社

第五章アンドレ・マルロー「反回想録」1974年東京で昭和天皇に拝謁

 「なぜ、いにしえの日本に興味をお持ちなのですか?」

 「武士道なるものを興した民族が、騎士道を興した民族にとって、どうして無意味のはずがございましょうか?」

 しばし、間。天皇は、またも絨毯に視線を落としておられたが、

 「ああ、そう・・・。あなたがこの国に来られてまだ間もないということもあるでしょうけれど。しかし、あなたは、日本に来られてから、武士道のことを考えさせるようなものを一つでも見たことがありますか?たった一つでも?

昭和50(1975)年8月15日三木首相参拝。他虐偽善者三木首相が、八月十五日の参拝を「首相としてではなく渋谷区南平台の一住民三木武夫として参拝します」と公式参拝ではなく私人としての参拝を力説。これ以後、公人私人などという特異な議論が、他虐偽善者マスコミの世界を支配するようになった。天皇は日本の象徴公人である、公人たる天皇は参拝しにくくなった。

昭和50(1975)年11月20日富田朝彦宮内庁長官が参議院で、明日の天皇靖国参拝は公人か私的行為かと厳しく糾弾された。吉国一郎内閣法制局長官は、憲法違反とまで言えないが、「第20条第3項の重大な問題になる(国の宗教活動の禁止)」と発言。神仏混交の錯誤、神道は宗教に非ず!参照→真実史観日本は神の国

昭和50(1975)年11月21日終戦30周年の参拝。これ以後参拝無し。

昭和51(1976~78)年福田赳夫首相終戦時40歳。

1976年(昭和51)中国周恩来、毛沢東死去、4人組逮捕で、文化大革命終焉。4月5日天安門事件①(民主化運動の原点)。二大巨頭の逝去で求心力を一気に失った凶産は、国民懐柔のため、言い成りの日本を仮想敵国とし、さらに犯日強化。

1977年(昭和52)中国小平復帰。

昭和52(1977)年9月19日石川県久米裕拉致

10月15日新潟県横田めぐみ拉致

10月21日鳥取県松本京子拉致

昭和53(1978~80)年大平正芳首相終戦時35歳。

昭和53(1978)年6月東京都田口八重子拉致

7月7日福井県地村保志浜本冨貴恵拉致

7月31日新潟県蓮池薫奥土祐木子拉致

8月12日鹿児島県市川修一増本るみ子拉致

8月12日新潟県曽我ひとみ母ミヨシ拉致

昭和53(1978)年10月17日「昭和殉難者」としてA級戦犯14人が靖国神社に合祀

昭和53(1978)年10月23日小平副首相、中国から初めての来賓として来日。「入江相政日記」「・・・竹の間で『不幸な時代もありましたが』とご発言。鄧氏は『今のお言葉に感動しました』と。これは一種のハプニング・・・」両者共に、戦国時代を踏まえての発言である。

 10月25日鄧小平(副首相)の「尖閣列島棚上げ論(日本記者クラブ記者会見)」

 「尖閣列島は、我々は釣魚諸島と言います。だから名前も呼び方も違っております。だから、確かにこの点については、双方に食い違った見方があります。中日国交正常化の際も、双方はこの問題に触れないということを約束しました。今回、中日平和友好条約を交渉した際もやはり同じく、この問題に触れないということで一致しました。中国人の知恵からして、こういう方法しか考え出せません。

 というのは、その問題に触れますと、それははっきり言えなくなってしまいます。そこで、確かに一部のものはこういう問題を借りて、中日両国の関係に水を差したがっております。ですから、両国政府が交渉する際、この問題を避けるということが良いと思います。こういう問題は、一時棚上げにしてもかまわないと思います。10年棚上げにしてもかまいません。

 我々の、この世代の人間は知恵が足りません。この問題は話がまとまりません。次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう。そのときは必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう」。

 鄧小平の「双方はこの問題に触れない・一致」は、凶産中国の一方的な言いがかりである「釣魚諸島領土問題」を取り下げたので、「双方はこの問題に触れない(中国は取り下げて触れず、日本は中国が取り下げたので触れず)」で、「一致」したので、「尖閣列島棚上げ論」で「一致」したのではない。

 「尖閣列島棚上げ論」は、「尖閣列島日本領有に問題有り」として俎上に日本を引き出すための、鄧小平の狡猾な小道具、切っ掛け(難癖)」である。

昭和54(1979)年から日本中国へODA有償資金協力(円借款)を約3兆1331億円、無償資金協力約3兆円以上、合計総額六兆円以上の巨額な経済援助をし続けている。愚民化捏造政策なので、非公開、中国国民は一切知らない。日本凶産化工作資金を与えたのと同じ。表では笑顔で友好、裏では破壊工作が凶産の正体である。

1979年(昭和54)年 韓国朴正熙大統領射殺される。

1980年(昭和55)年 韓国クーデターで全斗煥軍事政権

昭和55(1980)年5月スペイン松本薫石岡亨拉致

昭和55(1980)年悪魔の飽食(あくまのほうしょく)は、満州国で731部隊が行っていたという人体実験の実態を詳しく書いたとして、話題を呼んだ。森村誠一(作家)が下里正樹(しんぶん赤旗の記者で当時共産党員)の取材で書いた本、彼らはノンフィクションと言っている。日本共産党のしんぶん赤旗日曜版で1980年代に連載され、後に光文社より単行本として出版(1982年)され、これが大きな社会的問題となった。注射針で体液を吸い出してミイラにする(現代でも不可能)。真空室にほうり込み、内臓が口、肛門、耳、目などからはみ出し破れる様子を記録映画に撮る(現実はこうならない)。など非現実な内容もさることながら、35枚中20枚の写真が偽写真だった事が判明し、結局これらの問題で、光文社は絶版とした(1983年に角川書店から、問題点を削除し加筆され再出版)元隊員と称する匿名証言の情報提供者から、下里正樹(しんぶん赤旗の記者)が取材し、それを基に書いたので、森村誠一(作家)は、情報提供者との直接取材ではないと主張している。なんとこの作家も大江や石原と同類の無検証貼り付け屋なのだ。下里正樹(しんぶん赤旗の記者)と、この無検証貼り付け屋が捏造してから、中国狂産党が日本国内の犯日が騒ぎ出した。(凶産党犯日作戦プロパガンダ)

昭和55(1980)年5月21日カトリックの総本山ヴァチカンに、ABC項目すべての戦犯が祀られた。「世界に開かれた昭和の戦争記念館〈第3巻〉大東亜戦争の秘話 (歴史パノラマ写真集) 」名越二荒之助著展転社 (1999/11)より抜粋。

 ――ローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られている。連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人「法務死」者の霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ法王によって祀られたのである。

 その多くはキリスト教信者であった連合国側にとって、これほどの皮肉はない。皮肉というよりは、勝者の驕りに対する「神の戒め」であるとも言えよう。

 時のローマ法王・パウロ六世に、日本人殉難者のためにミサを、と訴えたのは仏教徒の仲田順和師であった。

 昭和五十(1975)年にヴァチカンを訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えて願い出たのである。

 順和師の父であり先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、「七戦犯の鐘」など慰霊の鐘も護持している。

 先代座主の遺志をついだ真言宗醍醐寺派別格本山品川寺(ほんせんじ)の仲田順和師の願いを、パウロ六世は快く承諾した。しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、法王の訃報であった。その後を襲ったパウロ一世も急逝し、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われた。

 その順和師のもとに、ヨハネ・パウロ二世から親書が届けられたのは五年後の昭和五十五年四月、内容は「五年前の約束を果たしたい」との思いもかけぬものであった。

 ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのである。

 パウロ六世の真心に応えようと、帰国直後から作製を依頼していた五重塔に殉難者千六十八柱の位牌を納め、ヴァチカンに奉納されたのは、同年五月のことである。醍醐寺五重塔を精巧に模した塔は、「戦犯」慰霊に共鳴した栃木県大田原市の木工芸家星野皓穂氏が、三年の歳月をかけ無料奉仕で完成させたもの。

 五月二十一日には仲田・星野両氏も参列し、法王パウロ二世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われた。――

昭和55(1980~82)年鈴木善幸首相終戦時34歳。

昭和56年(1981)2月23日~26日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世はローマ法王として初めて来日した。この時、法王は慣例を破って皇居に天皇陛下を訪ねられた(2月24日11時皇居で天皇と会見。14時法王庁大使館で鈴木善行首相と会見)。法王が外国を訪問してその国の元首や首相に会う時は、その国の方々が法王を訪ねて会いに来るのが慣例となっており、法王の皇居訪問は前例のないことなので、問題となった。その時法王は、一身を捨ててマッカーサー元帥の前に立たれた天皇をたたえての訪問であることを、キリストの精神をたたえての訪問であることを、皆に説いた。皆は、その一言で納得した。

 戦前、共産の正体を狂惨と喝破したローマ法王のピオ11世は、反共戦争(日中戦争・支那事変・日華事変。1937年7月7日)が始まった年の10月に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。共産党と戦っている。共産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよ」と。当時、共産ではなく狂惨(凶産)と喝破していたのは、全世界のカトリック信徒と日本だけだ。

 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世はポーランド人であった。参照→ポーランドシベリア難民の孤児救出一世紀にわたり語り継がれる真実 2につづく

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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