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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観下ポーランド歴史ワルシャワ蜂起の心世界遺産へNHK捏造洗脳子孫愚民化

モンテ・カシノの赤い芥子(チェルボーネ・マキ・ナ・モンテカシノ)

 アンデルス部隊を一躍有名にしたモンテ・カシノ修道院での攻防戦。ナチスの進行で苦境にたったスターリンは、ナチス戦線へ投入のため、東ポーランド侵攻時の捕虜を開放し、赤化したポーランド人アンデルスを将軍にし、赤軍ポーランド部隊を編制、派兵した。ところが、ロシアを脱出しイギリス軍へ合流し。以後ロンドンに本部を置き、連合軍の一員として各地を転戦した。

 1944年イタリアローマ南東の丘に建つモンテ・カシノ修道院では、そこに強力な陣地を布陣して立てこもるドイツ軍と、それを攻める連合軍との間で激烈な戦闘が行われていた。連合軍の先頭に立って奮戦していたのは、アンデルス将軍率いる亡命ポーランド部隊だった。モンテ・カシノ修道院は山頂にあって、裾野には初夏ともなると、ケシの花が咲いて辺り一面が真っ赤に変わる野原の中の小高い丘の一角に建てられていた。

 アンデルス部隊は甚大な犠牲を払い、ドイツ軍戦略上の重要拠点モンテ・カシノ修道院を、激戦の末5月18日、攻略した。攻防戦で流されたポーランド人兵士達の血が余りに多かったため、戦闘後裾野は、ケシの花が咲いたように真っ赤に染まったという。勇敢な彼らの戦いぶりとその甚大な犠牲は、「モンテ・カシノに咲いた赤いケシの花」という歌となり、戦後も歌い継がれて、ソ連占領下での人々の心の支えとなった。

 この歌い継がれし歌は、舞踏曲ではない。「モンテ・カシノの赤いケシ(チェルボーネ・マキ・ナ・モンテカシノ)」「♪山の上の修道院、そこには敵がいる・・・退くな兵士よ自由をかちとるため」が流れると皆席に戻り、聞き入る。当時の同胞が祖国に懸けた熱き想い。それをそれぞれが想いを巡らすために、演奏されるのだという。

 ポーランドのアンジェイ・ワイダ作品「灰とダイヤモンド」(1958年作品)。主人公らが、かつて共に歌った進軍の歌「モンテカシノの赤い芥子」がショーの中で演奏される場面あり。

カンピノスキの森カンピノスキ国立公園

 ワルシャワ蜂起の知らせ受け取ったロンドンにある連合軍本部では、武器や医薬品などの補給物資を蜂起軍へ送るべく懸命の努力をしていた。

 飛行機を飛ばすには、ドイツ軍の管制下にあるポーランド西部を迂回して東側からワルシャワへ向かうしかない。しかしそうするにはソ連軍占領地の上空を飛行しなければならないが、スターリンが断固としてその許可要請を撥ね付けていた。従ってイギリス軍の補給飛行部隊は、ドイツ飛行部隊に気付かれないよう、できる限り高度を上げながらスエーデン方向からまっすぐ南ワルシャワへと直行し、急激に高度を下げてごく短時間のうちに荷物をパラシュートで落とした。

 そのため目的地へ無事降下できる確率が落ち、補給物資の大半は、ワルシャワ北西に広がるワルシャワ市内の面積の約3倍強もある広大な森、カンピノスキの森に落ちた。ここに落ちた物資をドイツ軍の目を盗みながら集めるのは、十二歳から十五歳までの少年少女達で結成された国内軍少年部隊の任務であった。戦い後半のこの任務は気付かれ、待ち伏せされ、物資を見つける前に射殺される少年少女達が増えた。

 この森で命を落としたのはこうした若い少年少女たちばかりではない。戦争が始まって間もない頃、ゲシュタポによってポーランド中から集められた知識人たち二千二百人が銃殺されたのもこの森だ。ナチスはポーランド人をドイツ人の為に労働で奉仕するために存在価値がある二等国民と定義し、大学教授などの知識人たちは、ポーランド人に似つかわしくないという理由だけで、抹殺されたのである。

 平和な時代を迎え、このカンピノスキの森は広大な自然公園、カンピノスキ国立公園となった。あまり手を加えない自然のままの公園の一角には、無名戦死の墓がある。無名戦死の墓、門前の碑文。

”Latwo jest mowic O POLSCE.

  Trudniej dla nije PRACOWACjeszcze trudniej UMRZEC,

  a najtrudniej CIERPIEC.”

「ポーランドについて語る事は容易い。

(人がポーランドについて悲惨だ、悲惨だと悲惨な歴史を語ることはたやすい)

働く事は難しい。さらに難しいのは死ぬ事だ。

(ポーランドの為に働く事は難しい。さらに難しいのは殉国者となることだ)

最も難しいのは耐える事だ

(最も難しいのはポーランド独立と言う大義の為に、今の屈辱をじっと耐え忍ぶことだ)

 

 この大戦でポーランドは六百三万人もの人命を失い、国民の十人に二人が殺されるという、連合国中で最大の犠牲を払った。

 やっと戦争に勝利したはずだった。なのになんと、大戦初期にドイツと手を組み、祖国を分割したソ連、プロパガンダのため「ワルシャワ蜂起」を裏切り、対岸で高みの見物で見殺しにしたソ連の、食民治支配を受けることになってしまったのだ。

 この記念碑の終章の一句には、ほとばしりうめく、愛国の屈辱がある。耐え難い、しかし大義のために耐え、独立しよう。ポーランドの熱き思いを語って余りある。

 日本の、軍人極悪を叫ぶ犯日団よ、戦国時代での、台湾朝鮮パラオ満州、日本の統治を学んでから、批判しろ。

バルバカン外壁にたつ少年蜂起兵の像 

 バルバカン外壁に建つ少年蜂起兵の像。最大の激戦地だった旧市街の西の外に静かに建てられてある。ワルシャワ蜂起で大人たちに混じって武器を取って戦い、そして死んでいった多くの少年少女たちを慰霊する記念碑。ワルシャワ市民蜂起では、10代以下の少年・少女も、手に手に武器を取り、ドイツ軍に立ち向かった。 ちいさな体が、重く大きな銃を下げている姿がなんとも痛ましく涙を誘う。NHK朝日毎日犯日団は、子供を巻き添えにした極悪ワルシャワ市民軍と、この像をみても、面罵するのか。軍命、戦陣訓無くとも、侵略者に対して、蟻一丸、一丸、家族一丸、街一丸、島一丸、国一丸、ユダヤ人一丸ワルシャワ市民一丸、自らの意思で戦ったのは史実。適者生存を戦い生き残ったから、今がある。当然の常識だ。沖縄王朝の歴史でもそうだった。日本の歴史もそうである。それを我が日本では、犯日団が、軍命で自決と軍に責任転嫁、戦死者(老若男女)を軍命で死んだ馬鹿者呼ばわり、軍命下したと軍罵倒に大騒ぎ、一億総白痴だ。十三、ワルシャワ蜂起←少年起兵の画像と像 

ワルシャワ蜂起以後 

 その後、ドイツ軍による懲罰的攻撃でワルシャワは徹底的に破壊された。蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス市民約22万人が、戦死や処刑で虐殺された。

 ソ連軍はようやく63日ぶりに進撃を再開、1945年1月17日に廃墟と化したワルシャワに入城し占領。ところが味方のはずのソ連軍は、なんとレジスタンス幹部を逮捕し始めたのだ。自由主義の芽を完全に摘み取り、凶産化のための、赤化戦争開始したのだ。以後残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、裏切ったソ連を攻撃目標とするようになった。共産政府樹立後も、要人暗殺未遂など、止むことはなかった。

1949年1月ソ連と東ヨーロッパの共産圏で、西側のマーシャル=プランに対抗するものとして設立されたコメコン(経済協力機構)に参加。社会主義国となって東西冷戦に巻き込まれた。

1952年共産党政権。ソ連の衛星国。

1979年6月にポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が故国ポーランドを訪れ、国民に熱狂的に迎えられた。これがポーランドの民主化運動、東欧全体の民主化運動の決定的引き金となった。

1980年9月17日には独立自主管理労働組合「連帯」が結成。

1988年、ワルシャワ市民蜂起45周年を記念し、クラシンスキ広場(pl. Krasiński) にワルシャワ蜂起記念碑が建てられた。旧市街広場から徒歩5分、まさに45年前に蜂起軍が武器を捨て投降した場所。

1989年、民主化が完全に実現し、自由選挙が行われ、凶産主義政権は衰退した。非共産党政権誕生。ポーランド共和国に国名変更。 

 

「すべては未来のために」復興運動のひとりの指導者(建築家)が残した言葉 

 ワルシャワは中央マゾフシェ低地にあり、平均海抜はおよそ100mである。市内にはいくつかの丘があるがその多くは人工的に築かれたものである。街の起源は意外と新しく、13世紀ごろまでは寒村に過ぎなかったがポーランド王国に編入され繁栄した 。1611年に正式にポーランドの首都となり、以来、「北のパリ」として発展を遂げる。独立を喪失してから、ワルシャワは幾度となく民族運動、レジスタンス活動の中心地となった。ワルシャワはポーランドの苦難の歴史を見守ってきた街なのだ。 

 「ワルシャワ蜂起」敗戦。ナチス・ドイツ軍による復讐攻撃によりワルシャワは徹底して破壊され、完全に滅びた。残った建物はたったの6軒。忽然と消え、瓦礫と化したワルシャワの街。度重なる亡国にも屈せず復活し独立したポーランド、ワルシャワは、不屈の象徴である。ポーランド人にとってワルシャワ蜂起は子供達に伝えたい、不屈の歴史である。世界遺産に登録されている旧市街は、そのときの、市民最後の抵抗拠点である。 

 「すべては未来のために」。1953年から始まる修復事業の陣頭指揮をとった、建築家「ヤン・ザフファトヴィッチ」ワルシャワ工科大学(建築学部)の言葉である。この言葉が心を一つにした。生き残った人々は、死んでいった家族や友人の記憶を胸に、「ワルシャワ復興」に、立ち上がり、「ワルシャワ蜂起」の報復として8割方破壊された歴史地区(ヴィスワ川西岸)の復興が、ワルシャワ工科大学(建築学部)指導の下に、住民の熱意で始まった。
 

 ワルシャワ工科大学(建築学部)によって、戦闘の合間に戦前の細かな建物のスケッチが成されていた。尚且つ、戦時中のレジスタンス活動の一環として、建築物の詳細な図面が集められ、隠されていた。復興は、これらの図と図面と、ベルナルド・ベッロットの18世紀のヴェドゥータ(都市風景画)を基にした。 

 もともとの建物に使用された煉瓦はできるだけ再利用され、破片は再利用できる装飾的な要素に変えられ、それらはもともとあった場所に再度挿入された。「煉瓦のヒビ、壁のヒビに至るまで」忠実に再現し、往時の町並みを復元した。
 

 1971年まで爆破後の廃墟のままの姿であった王宮は、1970年代前半に再建が開始され、ワルシャワの戦いの最中に隠されていた美術品や装飾が再び配置され、1970年代半ばより、国立博物館の一部や祭典会場として使われるようになった。 

 ヤン・ザッファトビッチらが指導の下に、旧王宮復活を完成させたころ、ドイツでは、ベルリンの壁が壊され冷戦終了と成った。 

 凶産化にもかかわらず、ひとつひとつを40年以上の歳月をかけて復興させることに、市民は、人生を懸けた。そして「ワルシャワ歴史地区」は、破壊される前の姿そのままに、正にヒビ一本に至るまで忠実に再現された。「すべては未来のために」。 

世界遺産に登録 

 世界遺産登録の際、破壊からの「復元文化財(テーマパークと同類)」は登録に値しないという理由から、当初登録が危ぶまれたが、世界遺産登録の中心となったワルシャワ工科大学の関係者は「復元されたからこそ登録に値する。もしワルシャワ市街が破壊と復興の歴史が無く、残っていないらば登録しようとも思わない」と説得した。この結果「ワルシャワ旧市街」は「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価された最初の世界遺産となった。
 

 登録理由が、復興に関わった、人の営みであったということに、物ではなく心、唯物(建物)から唯心(成した心)へ、征服(物欲)から共存(精神)へ、ここには戦後の確実な人類の進歩がある。進歩の起因は、大東亜戦争だ。

 かくして1980年、ワルシャワは建物自体の価値ではなく、街を再建復興させた人々の不屈の精神と行動が認められ、世界遺産に登録された。「ワルシャワ旧市街」は、人間の記憶と行いそのものに価値を見いだす世界初の世界遺産となったのである。

侵略主義を破壊し共存共栄新秩序を成した日本は?

 ナチス・ドイツの火炎放射や爆撃により22万人の犠牲者を出しワルシャワ全滅。ポーランドは凶産化にもかかわらず、40年以上の歳月を懸け、浄財でワルシャワを復興した。日本はどうか。沖縄広島長崎を侵略者に破壊され、WGIPで精神も破壊され63年後の現在もなんと子孫と自称する犯日が破壊しまくっている。軍命玉砕、軍命自決、軍命犬死無駄死と虚像三昧、惨惨たる有様だ。

 侵略者食民治主義ドイツ(日本は米英仏蘭豪中)、凶産主義ソ連(日本は中ソ)、ワルシャワ蜂起(沖縄蜂起)とのレジスタンスは同じ。ポーランドと日本のレジスタンス相違点は、直接侵略されたか、間接侵略兵糧攻めされたか、だけである。兵糧攻めは正真正銘の、宣戦布告である。資源無き小国日本、座せば敗戦確実。一縷の望みに懸け(大東亜団結)、打って出たに過ぎない。それを侵略と虚像教育。これが現代日本の実態だ。

 ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ(1926年生まれ、82歳)終戦時19歳。父(大尉)はカティンの森虐殺犠牲者。戦前侵略者ナチスドイツ、戦後凶産主義との44年間のレジスタンス(1989年、民主化が完全に実現)。生き残った者の使命として、祖国の真実を追求し伝え続けている監督である。戦後日本が失ったもの、それが彼には、ポーランドにはある。

NHKBS2放映、アンジェイ・ワイダ特集BS2午後1時。2008・9日月、祖国ポーランドを撮り続けた男映画監督アンジェイ・ワイダ。10日火、世代(1954)(処女作)。11日水、地下水道(ワルシャワ市民蜂起)(1954)。12日木、灰とダイヤモンド(凶産侵主義とのレジスタンス「モンテカシノの赤い芥子」がショーの中で演奏)(1957)。13日金、大理石の男(1977)。日本人として覚醒のためにも、必見。
 

 日本の現実。日本はポーランドのように凶産主義に征服されたわけではないが、仮想現実界が、WGIP李承晩主義凶産党工作員の巣窟と化し、学校でも報道でも犯日教育の毎日だ。侵略者食民治主義凶産主義とのレジスタンスが大東亜戦争。生き残った者の使命、祖国の真実、レジスタンスを検証もせず、迎合者の掃き溜めと化し、祖国の虚像、WGIP侵略を伝え続けている。兵士も、遺族も、子孫も、NHK朝日毎日も、映画監督も、作家も、税金泥棒の教師も、教授も、議員も、役人も、雲泥の差だ。鵜呑みせず、立派な先人、親から授かった自分の頭脳で考えろ!!

 
ワルシャワ蜂起と沖縄蜂起、
どこに相違がある。資源無き小国日本の戦いは、侵略者に追い詰められての蜂起、全てがそうだ。結果極限の比類なき戦いとなった。竹槍武装を愚弄する子孫がいる。あらゆるものを武器にし侵略者と戦う、それがレジスタンスだ。農民一揆を想起せよ。戦前の日本人は名立たる賢者、戦後の日本人は世界に冠たる愚者。 

 

ポーランドの「すべては未来のために」実像日本洗脳犯日凶会の「未来に伝えるために虚像

2008年9月5日NHK総合「こうして村人は戦場へ行った」~滋賀県旧大郷村徴兵記録

 侵略者連合軍を隠蔽し、証言者、戦争不可避の護国軍愚弄のNHK定番悲惨だ話だ。日本犯日洗脳凶会NHK証言者、証言「悲惨だった・・・。戦争だからね」を「戦争だからね」をカット、「悲惨だった」選り食い捏造報道

 記録などではない、証言者や証言を選り食いした護国軍愚弄、NHK保身洗脳番組。大郷村がワルシャワのように直接侵略者連合軍に攻められれば、女子供老人村一丸、大郷村蜂起は当たり前、日本軍愚弄証言とはならない。間接(外地)の戦争だから留守家族の話はとうぜん悲惨だ話となる。ここをNHKは徴兵記録と称し、巧妙に利用した。

 予備知識無き無辜の国民はまたまた洗脳され愚民化、NHK万歳となり、NHK安泰。無辜の国民洗脳愚民化極悪の輩。ディレクター後藤和子、制作統括堤啓介、若宮敏彦、藤枝融。

 NHK日本洗脳犯日凶会の未来に伝えるためにNHK戦争証言プロジェクト「NHKは、太平洋戦争開始70年の2011年目指して、戦争体験の証言を集めます。未来に伝えるために」。日本犯日凶会NHKは、これまで証言と称し、悲惨だ話だけを集め情報操作、犬死無駄死に無駄な戦争と戦死者を面罵してきた。

 現世のあらゆる悪行が戦争。悲惨でない戦争など絶無。話を集め無くとも、想像で事足りる。戦時下なら当然の悲惨だ話を、更なる情報操作のため集め、戦死者を面罵し、虚像を未来に伝えるのだという、戦争開始70年の2011年目指して。NHK存続のため、63年間の捏造がばれない様に、強化目的で未来に伝えるために更に悲惨だ話を集めるのだという。

 ポーランドは凶産化にもかかわらず、40年以上の歳月を懸け、浄財でワルシャワを復興し、世界遺産として子孫に残した。片やNHKは受信料徴収し、先人冒涜を子孫に残すという。なんたる較差だ。

 NHKが日本軍罵倒を中止すれば、63年間にわたる捏造による情報操作があからさまになり、受信料不払い、弾劾裁判でNHK消滅につながる。日本軍罵倒は、日本犯日凶会存続のために必要不可欠で、NHK幹部絶対命令との最新情報。これがNHK日本犯日凶会正体だ。

 NHKは当然護国軍の真実を知っている、真実が現出すれば上記のように崩壊、だから恐れているのだ。知っていながら、保身のため、太平洋戦争(注・大東亜戦争呼称は、大東亜共栄圏を想起し覚醒につながるため、避けた)侵略者と日本軍罵倒。保身の理由だけで執拗に洗脳愚民化し続けているのだ、受信料を支払い続ける国民を。

 これが極悪NHKとした由縁である。資源なき日本の資源は国民。愚民と化せば日本亡国。NHKなど当に消滅。こんなに明白なことはない。こんなNHKなど不要である。

 ポーランドの「すべては未来のために」破壊されても、五回の国土分割でも、くじけないポーランドレジスタンスの証を、破壊された街を不屈の精神で再建復興することで、実像として残した。その精神は、命ある人類共通のものであるため、建物ではなく、その精神を世界遺産として残すことに、世界が賛同したのだ。なんと日本犯日凶会と対比が際立つことか。戦前の日本人は名立たる賢者、戦後の日本人は正に世界に冠たる愚者だ。

 日本の「すべては未来のために」は、ポーランドが、国土分割から瓦礫から復興し、ありのままの実像残したように、戦時下なら当然の悲惨だ話虚像(像)棒大報道や、極悪軍などではなく、先人のありのまま、一途な姿(沖縄蜂起など)を残せばよい。無い無い尽くしの小国日本、最後は身体を武器にし、世界の侵略者連合軍相手に道理(大東亜連合)を掲げ、たった一カ国で戦った禍福の実像。そのまま残せばよい。

 

 「ワルシャワ蜂起」で亡くなられた約22万の方々は、墓ではなく石道に埋められたという。

 ワルシャワ市内を歩くと、市内のあちこちで建物や壁に埋め込まれた記念碑があり、そこにはかってナチス相手にパルチザンとして戦い、その場所で命を落したワルシャワ市民の名前が刻まれ、その記念碑は道と言う道に数百メーター置きに有るそうだ。犠牲者の数が途方も無く多かった事を物語っている。

 ワルシャワを、軍民一丸戦死者の、
有形の十字架として復興した。子孫へ、生きた証が風化せぬよう。そうおもえてならない・・・。 完 真実史観

日本とポーランドとの友好の歴史
1シベリア難民の孤児救出一世紀にわたり語り継がれるポーランドの思い

参考文献一覧表

石井玲子: 初体験レポート 小説ワルシャワ物語
「ワルシャワの道(5)」渡辺克義 日ポ協会関西センター刊「WISWA」第26号
「ワルシャワ反乱」 ギュンター・デシュナー著、加藤俊平訳 サンケイ新聞社
日本・ポーランド国交樹立80周年記念および国際ショパン年記念祭実行委員会 
「ポーランド史」アンブロワーズ・ジョベール著、山本俊朗訳 白水社
「東欧史」矢田俊隆編 山川出版社



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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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