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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観東條英機戦後の捏造(生きて虜囚の辱は降伏禁止)を認め己の自殺を否定残した真実の鍵


戦後の捏造(生きて虜囚の辱を降伏禁止と解釈)を認めることで、己の自殺を否定し、真実の扉の鍵を残した東條英機。 

 明治天皇「大元帥(だいげんすい=全軍を統率する総
大将で、旧陸海軍を統帥した天皇の称」が全軍人に下した勅諭、軍人勅諭(降伏禁止の記載など、一切無し。)を無視し、当時の陸軍大臣である臣(家来東条英機が示達した陸軍だけの戦陣訓に降伏禁止)記載ありと捏造を認めたのだ。軍人勅諭「義」(公)の為ではなく、私心(捕虜になるのは辱だから、捕虜になるなら自決せよ)で死ねと、おしえたというのだ。軍人勅諭を無視し、天皇を冒涜するこんな不敬は無い。戦陣訓」起案責任者・今村均将軍も、今報道されている「戦陣訓」の内容は、本意「ほんい(真の意味)」で無い、「誤解された」と発言している。 

 一度は自殺を計つた東條も裁判では健鬪して居る。彼は自殺を計つたのは、自分の大臣時代に出した戰陣訓に俘虜となるよりは自殺せよと書いてあるのを實行したのだと云つて居る。彼こそは已に覺悟して居る人である。元氣で最後の戰を鬪つて居る。立派に死んで行くのが彼に殘された義務である。
 網戸越しに娘達と父らしく親しく談して居る光景は涙なしには見られない。重光葵『巣鴨日記』昭和二十三年三月六日 
土曜日 

教誨師(きょうかいし)花山信勝師の質問に対して次のように答えた。
 ・・・一つお尋ねしておきたいと思いますのは、東條さんが自決されようとされました時のお氣持ちを、一つはつきり伺つておかないと、いろいろ間違つたデマが、そのままになつてしまうということを恐れますので――
 「それは結局のところですな、部下たちに俘慮となるな、そういうような時があれば死を選べと戰陣訓に敎えておいたので、自らそれを實行したまでなのです。他の人々には前の日に通知があつたが、私にはだしぬけに憲兵が來た。そこで、間髮を入れずやつたのです。なお家のものに傳へておいてもらいたいが、秀正(滿喜枝さんの婿)の自殺した軍用銃を使つたのだということを。誰も知つておらぬと思うから。ところが、直ぐ手當をされたのです」
 しかし、あの時死んでおられたら、今のような宗敎の悅びには入られなかつたと思うのですが。
 「そうです、個人からいえば、一つには宗敎に入り得たということ、二つには人生を深く味わつたということ、三つには裁判においてある點を言いえたということ、は感謝しています。なおそれに付加えて、家庭のことについて喜ばしいことは、千萬圓とか、二千萬圓とかを三菱からとつておるといわれたことが、司直によつて徹底的に調べられ、そんなことのないということが當局によつて發表されたことである。私は喜んで死んで行くことができる」花山信勝『平和の発見』(注・この軍用銃にも身内だけが知りえるなんらかのヒントがあるようだ。)


 即ち『自分には不意に日本政府を通さないで直接に憲兵が逮捕に来た。私を俘虜にするつもりだと思った。自分は戦陣訓の中で、生きて虜囚の辱めを受くる勿れと申しておりながらおめおめ逮捕されては相済まぬと思って決行した』と申されました。

 護身用に何時も持っていたのは米國製の小型拳銃であったが、当時は女婿古賀氏が使用した制式(拳銃)大型を用いて自決を決行した為、若干手許が狂った点はあったかも知れない。「秘書官赤松貞雄氏の手記・東京裁判について」

 上記も判別している。 戰陣訓は「虜囚」である。上記重光葵は「虜囚」と書かず「俘虜』と記載、「虜囚」と「俘虜」を明白にを判別している。「虜囚」は明白に判別されており、敵国に捕まった時は「捕虜。俘虜」の表現が常識のようだ。

 米國製の小型拳銃で撃たれた。東條が護身用に何時も持っていたのは(拳銃)大型、の意味か。真相箱は「大將が三十ニ粍拳銃で自決を圖つた」と書いているが、米國が米國製の小型拳銃で東條を撃ったが正解のようだ。

  

 前述のように戰陣訓の第八「名を惜しむ」の文意は、「俘虜となるよりは自殺せよ」ではない。明らかに異なるのだ。布達したのが東條英機本人なのだ。当然真の意味(日本国の囚人)は知っていたろう。なぜ反論しなかったのだ。 

  

 敗戦により白も黒となる時代の激流に抵抗しても、恥の上塗りになるだけで無意味なのを東條は悟っていた。結果として、捏造を認めることで、東條の自殺の矛盾を提示したが、大義の前の東條にとって、この事は、一介の塵に過ぎなかったであろう。「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」所信表明の場を得た東條は、水を得た魚のように没頭し、「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」となった。 

  

 上記重光葵や、花山教誨師との話も、東條は時代の激流に辻褄を合わせて話したに過ぎない。「公」の完遂のために、生き恥を曝し生きている東條に、「私」のための自殺など、ありえないのだ。米国のみならず、愛する家族や近親者までが自殺を捏造した。なんという悲劇だ。・・・ 

  

 アメリカの東條英機自殺捏造。ここに帰結するとは想像だにしなかった。しかし全ての疑問がここに帰結することで今、氷解した。アメリカの負い目がそれほど深かったのだろう。

 大正6年初版昭和15年改訂の講談社大字典には「虜囚」・とりこ(イケドリ、シモベ、イケドル、生擒ス、化外ノ民えびす)字源・形聲。虍と母と力の合字。敵を生きながら捕らえ来ること。母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん。力は腕力にて引率する義虍は音符。と記載されている。捕虜「戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の記載皆無。

「戦陣訓」原文

『第八 名を惜しむ 

恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚のを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。』

○戦陣訓第八の意訳文

『第八  名を惜しむ(名誉の尊重)   

恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように』 真実史観意訳

辞書が戦後の捏造を完全に暴露、辞書が断定した真実は、当ブログ内下記。

生きて虜囚の辱意味戦陣訓真実囚人を敵に捕まると63年間捏造仮想現実界 

生きて虜囚の辱を受けず戦陣訓虜囚意味生け捕った敵昭15年大字典講談社  

生きて虜囚の辱辞書捏造断定戦陣訓真実囚人戦後意味変化敵に捕まる   
生きて虜囚戦陣訓沖縄軍命自決と捏造は同胞至心の流露遺族救済が本心  
戦陣訓で軍対民を捏造子孫死守の日本軍を侮蔑し国民の味方を演じる工作員 


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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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