QLOOKアクセス解析

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
2017 081234567891011121314151617181920212223242526272829302017 10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

真実史観大東亜戦争人類への先人の遺書軍民一丸共生共死玉砕インパール作戦特攻隊集団自決


1大東亜戦争人類への先人の遺書軍民一丸共生共死玉砕インパール作戦特攻隊集団自決

誤解されているが天皇も東條も独裁者ではない

 天皇は、政府の会議決定事項の上奏に対して、裁可を下す存在で、天皇自ら命令する存在ではない。その裁可については、責任は政府が負うと定められ、天皇は無答責、つまり責任を負わない立場。つまり天皇が政治軍事などさまざまな権限行使することは天皇自ら命令する存在ではないので不可能。なのに、「権限行使する」と、あたかも独裁者のようにこれまで情報操作されてきたので、信じている人も多いが事実ではない。

 

 生命体の現在は最適者生存の結果である。弱肉強食は最適者生存の生命体の戦いで、開闢以来不適者は滅び適者が生存して、現在に至っている。善悪、正邪を超え、生命体の宿命である。したがって善悪、正邪にとらわれず、俯瞰して歴史は検証しなければならない。とらわれると、歴史を見誤る。日清、日露、WW1、大東亜戦争は、最適者生存戦争で、軍民一丸の日本軍は適者生存軍である。先人の子孫よ、皆、戦後の洗脳から目を覚まし、いにしえより流れる、内なる日本精神を覚醒させよう。資源なき小国日本は、人でのみ、成り立つ。

 

 真実史観以前の時代とは、仮想現実界が無検証無道理の捏造の巣窟と化し、現実界からかけ離れ、道理無き流言飛語が飛び交い工作員に征服され、国家存亡の危機に瀕した現代。

真実史観以後の時代とは、現実界と同様に仮想現実界も検証と道理に基づいた正常な国家隆盛時代、子孫に残す未来。

 

大東亜戦争真実史観あらすじ一読30分覚醒WGIP凶産侮日愚民化洗脳

あらすじ過程

大東亜戦争人類への先人の遺言。軍民一丸、共生共死、玉砕、インパール作戦、特攻隊、集団自決。無い無い尽くしの小国日本、軍民一丸の適者生存軍先人が唯一子孫に残したもの。からだを筆に流れる血で書いた、人類への、子孫への、不滅の遺書、日本適者生存史。

 

 対峙し威嚇だけの野良猫大小二匹の戦い3時間、見届けたことがある。戦いによる怪我は野生では即、死。最適者生存の本能で知っている野生の猫は、互いに後ずさりして、戦わずして離れた。戦争賛成などだれもいない。しかし、絶対優位の超大国の侵略戦争。侵略された小国の自存自衛戦争は存在する。小国が超大国侵略皆無は、歴史の常識。

 

 下記の言葉を一読した時、「先人罵倒」は愚行と確信し覚醒した。30分ほどである。

 

 戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、護国(祖父母、父母妻子、ふるさとを護る)に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう。永野修身(NAGANO Osami)昭和16(1941)年9月6日に開催された御前会議に於ける発言。

 

 この発言は戦後教育「日本は侵略者」の「侵略者の発言」などではなく、超大国に侵略されれば確実に亡国、祖国存亡の危機、小国窮鼠の自存自衛受動戦争発言なのだ。戦後教育の「侵略者」の影など微塵もない。

 

 侵略されれば「戦争反対」と叫んでの戦争を回避など不可能。祖父母、父母がいたから今の己が在る。それを「戦争反対」「先人罵倒」を叫んでいる。覚醒した目には異質な日本人に映った。

 

世界の戦国時代(国盗り合戦、弱肉強食、最適者生存)迫る超大国の侵略者(食民治主義者)

1840年アヘン戦争英国のアヘン密貿易を阻止し、通貨である銀の流失を防ごうとした清国と、英国の侵略戦争。清国からの茶、絹、陶器などの輸入超過のため、通貨の銀が不足した英国は、食民治インドにアヘンを栽培させ、清国とアヘンの密貿易をし、不足の銀を回収していた。

1842年8月敗れた清国は英国と屈辱的な南京条約を締結。これが中国食民治化の始まりとなった。この事件に驚いた日本徳川幕府は、異国船打ち払令を、天保の薪水供与令に改めた。

1842年8月英国虎門寨(こもんさい)追加条約で治外法権を獲得。

1844年フランス、アメリカも条約を締結、治外法権を獲得。食民治主義中国食民治化に拍車がかかった。

(注・このように当時は、弱肉強食適者生存のため、敵味方アヘン虐殺何でも有りの、世界の戦国時代なので、法治下の現代の尺度での善悪判断は、間違い。慰安婦問題も当時から売春婦という商売であった。NHK朝日毎日などの工作員は、アヘン、虐殺何でも有りの、世界の戦国時代を隠蔽し、日本軍だけの悪行のように報道、極悪日本軍と捏造

1858年5月 愛琿(あいぐん)条約 ロシアと清朝の条約。清がイギリス・フランスとの紛争に苦しんでいるのにつけこみ、ネルチンスク条約(1689年アルグン川・外興安嶺を両国国境とした)を無視、黒竜江左岸をロシア領、ウスリー川以東の沿海州を共同管理地とし、黒竜江、松花江、ウスリー江の航行権を認めさせ領土を拡張した。後に清国否認。ロシア征服南下。

1860年 アロー戦争(第二次アヘン戦争) 英仏連合軍北京入城、北京条約締結。イギリスへの九竜割譲、天津開港等の条約。食民治主義の、中国食民治化加速

1860年 北京条約 アロー戦争の結果、英仏露との条約。ロシアは英仏仲介の代償として、ウスリー川以東の共同管理地沿海州を領土とした。王朝末期に弱体化した清朝はロシアの進出を抑えきれず、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約2つの不平等条約によって、満州地域の黒竜江以北及びウスリー川以東のいわゆる外満州地域(現在のウラジオストクを含む)は、ロシアに征服されることとなった。ロシアはウラジオストク(ロシア語の意味“東方を征服せよ”)を建設、極東侵略の拠点とした。ロシア征服更に南下。

1861年2月3日~7月25日まで日本の対馬を占領したロシア艦隊。当時ロシアの南下政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣して、ロシア軍を対馬から排除。

1862年 倒幕の志士高杉晋作藩命で視察。上海の見聞記録「中国人はほとんどが外国人の召使のようだ。英仏の人が街を歩けば、中国人の人は傍によって道を譲る。上海は中国の領土だが、英仏の植民地とも言える」と記されている。以後尊王攘夷論の急先鋒となる。

1863年 幕末の薩英戦争(英対薩摩)

1864年 馬関戦争(英米仏蘭対長州藩)

1868年9月8日 明治時代

 ロシアの侵略征服南下、米英仏蘭の食民治侵略、明治維新開国時、世界の有色人種では唯一日本だけが、非干渉独立国家であった。弱肉強食、適者生存の時代対処のため、小国日本が取り得る唯一の手段、天皇の基に軍民一致団結、軍民一丸適者生存軍と化した。

 資源なき島国日本、朝鮮半島が敵となれば存亡の危機は明白。ロシアの征服侵略南下が当面の脅威であった日本は半島に進出し、開国要求。

1876年 明治新政府と日朝修好条規を結ぶ。

1881(明治14)年3月 日本を訪れた最初の外国の国家元首、ハワイ王国のカラカウワ王が世界一周旅行の途上で、横浜港に到着した。

1881年3月10日夜、ハワイ、カラカウア王はアメリカ人の随行員らを出し抜き、日本人通訳のみを連れて密かに赤坂離宮を訪れ、明治天皇との会見を乞うた。天皇側は夜中の訪問を不審に思ったが、とりあえず会見した。王は日本の伝統文化と近年の国家的隆盛を賞賛した後、ハワイ王国の内憂外患の窮状を述べ、日本の協力を仰いだ。

第一に日本人移民の実現。ハワイ人の人口減少を同一種族である日本人の植民で補おうというものであった。第二に、やがて王位を継がせる姪のカイウラニ王女と日本皇族・山階宮定麿親王との婚約の申し入れ。第三に、日本・ハワイの合邦(連邦)。第四に、日本・ハワイ間の海底電線(ケーブル)敷設。第五に、日本主導による「アジア連邦」の実現。

 当時ハワイは、欧米人の持ち込んだ淋病、天然痘などに免疫のなかったハワイ人は百年間で人口が30万人から5万人に激減するという危機に瀕していた。日本と同盟を結んで、アジア・太平洋地域に「同種族」の連合を形成し、白人の外来勢力の拡大を阻止して、独立を全うしようというのが、カラカウア王の密かな夢であった。

 大アジア主義、大東亜共栄圏の起因でもある。白人列強英米仏蘭露(食民治主義)に対して、虐げられし白人小国や有色人種共通の思いがここにはある。小国有色人種独立国の先人は、白人小国や有色人種、虐げられし人人の星だったのだ。

1884年 日本を征伐しようとしていた清国。日清戦争前、清国はすでに日本を征伐するための軍略的偵察を行ない、清国駐日大使館随員姚文棟の兵略書『日本地理兵要』(1884年)を作成している。

1885年~87年 巨文島事件。英国はロシア艦隊の日本海回航を阻止するため、朝鮮南部のこの島を占領し、砲台を築いた。

1898年 北京条約 旅順大連租借、東清鉄道建設に関する露と清の条約。不凍港旅順を租借した。

1899~1900年 義和団事件(白蓮教系の宗教団体)。「扶清滅洋」を旗印に、北京の11カ国公使館員4000人を包囲。日(1万人)英米仏露伊独(1万人)が、これを解放した。義和団事変(北清事変)の際、清とロシアは満州を巡って衝突。6月に義和団が黒河対岸のブラゴヴェシチェンスクを占領したことの報復としてロシア軍は7月、江東六十四屯を襲い占領し、居住していた清国民少なくとも3,000人以上(資料によっては2万人以上)をアムール川に追い込んで虐殺するという事件が発生した。以後ロシアが、事件波及の防止の口実で満州を占領し、独占支配と朝鮮日本進出の具体化に着手。ロシアの征服侵略南下は満州まで迫り、侵略港不凍港を得、日本侵略の手はずも整った。

正に日本は風前の灯火となった。

1894年6月 東学党の乱(甲午農民戦争)をきっかけに日本派兵し、日清戦争。日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる。

1894年~95年 日清戦争に日本勝利。下関条約成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。

 1882年の福沢諭吉の『兵論』によれば、清国の兵力108万に対して、日本はたったの7万8千だった。日本軍艦52隻に対して清国軍艦107隻。世界各国が清国勝利を信じていた。清国朝鮮独立を確認し、軍費2億テール賠償、遼東半島、台湾、澎湖諸島を割譲、沙市、重慶、蘇州、杭州を交易市場とした。その後、独仏露の三国干渉のため遼東半島を、返還させられた。

1902年1月 対露戦略のため、日英同盟を結んだ。

2904年2月8日 日露戦争勃発。島国日本侵略の要不凍港旅順港奇襲。日露戦争(朝鮮半島や満州は、日本の生命線である。その朝鮮半島と満州の制覇を争った、ロシアとの戦争)清国は中立国と称し他国のように傍観していた。国家の歳入ロシア約20億円、日本約2億5千万円。常備兵力ロシア約300万人、日本約20万人。軍艦の総排水量約ロシア51万トン、日本約26万トン。正に象と蟻の戦いである。世界各国がロシア勝利を信じていた。

1904年~05年190520日 日露戦争、日本勝利。日本の朝鮮における権益確認韓国を保護国化、関東州の租借権および長春・旅順間の鉄道を清国の同意を得て、ロシア、日本へ譲渡、南満州を勢力範囲とした。遼東半島を租借地とし、樺太南半の割譲。満州は侵略ではなく清国の同意を得て、占領していたロシアから譲渡されたもの。

 

 日露戦争における日本の勝利は、アジアの人民に独立への大きな希望を与えた。清国からも、2万人とも3万人とも言われる留学生が日本にやってきた。日本に亡命していた孫文は、滔天らの支援を受け、「中国革命同盟会」を結成し、約3千の会員を集めた。中国同盟会総理となり「三民主義」を発表した。同会機関誌「民報」の発行名義所は、宮崎滔天の自宅になっている。

 

日本の日露戦争勝利の外国の感想

 

 「世界に人類の運命を決する大きな危機が近づいている。その第一回の戦争は、我ら白色人種のロシア人と有色人種 日本人との間で戦われ 白色人種は、不幸にして破れ日本人は、白人を憎んでいる白人が悪魔を憎むように憎んでいる。しかし我等にとって日本そのものが危険な訳ではない。統一されたアジアのリーダーに日本がなることが危険なのである。日本による中国の統一、それが世界に脅威を与える最も不吉なことである」 ドイツ皇帝 ウィルヘルム二世(黄禍論の元祖)

 

 「日本に加え、眠れる獅子と称されたアジアの大国中国が、日本化されて協力したらどうなるか。日本が眠れる隣人を目覚めさせ、手を携えたとき、だれがこの2国が世界のヘゲモニー(主導権)を取らないと言い切れるか」   イタリア ムッソリーニ

 

 日露戦争勝利は、小国(白人)や植民地や有色人の虐げられし人類の星となると同時に、白人(大国、宗主国)の標的となった。食民治主義の白人は、有色人日本中国が手を組み、虐げられた有色人(植民地)や小国(白人)への独立の号令、宗主国の瞬時の破壊、小国(白人)の抵抗これを恐れた。そして以後の、食民治主義対有色人の対立小国(白人)対大国の対立復讐を恐れた。以後食民治主義者は、徹底的に日本中国の対立を画策し続いている。

 

 食民治主義者と凶産党が恐れた大アジア主義(日本を中心にアジア諸民族が団結して、欧米列強の圧迫に対抗すべきであると説く思想。アジア主義とも言う。1881年玄洋社を結成した頭山満が唱えた。宮崎滔天、松井石根、孫文、汪兆銘が継承し広めた。大東亜共栄圏の原点)

 

反凶戦争(日中戦争)の背景

凶産党の画策 

1919/ソ連凶産党が撒き餌をばら撒いた。

1919年 大正8年レーニン指導下のソ連が誕生した直後の1919年、ソ連は中国に「帝政ロシアの中国に対するすべての不平等条約は廃止されるべき(ロシア領となった外満州返還)」との宣言を行い、中国側に領土返還の一縷の希望、撒き餌をまいた

 これによって中国国民の間には親ソ意識が生まれ、大正10(1921)年には中国共産党が結成され誕生した。

 しかし1924年の中ソの新条約交渉時、帝政ロシアの結んだすべての条約類を廃止するとした条項が用意されたが、ソ連代表の帰国により締結には至らなかった。

 後のヨシフ・スターリンは不平等条約廃止の宣言を否認し、中国への領土返還を拒否。正に凶産党は捏造が国是だ。

 

 日本と共に大アジア主義を画策していた孫文1925年3月12日朝、孫文北京にて肝臓癌病死行年59歳)、汪兆銘、蒋介石は、この撒き餌にだまされ、親ソとなり、日本から一時離れた。以後凶産に気付いた汪兆銘、蒋介石は再び日本と手を結び中国凶産党を最後の5分間まで追い詰めた。が、またまたソ連の画策にあい、ソ連の傀儡毛沢東との「国共合作」となる。孫文後継者筆頭汪兆銘は、中国凶産化から決別、孫文の遺志を継ぎ再び日本と共に、大アジア主義確立を目指した(1940年南京汪兆銘政権)

食民治主義と凶産主義の画策

1922年 ソ連、ウクライナ・白ロシア・ザカフカス・ロシアの4ヶ国凶産化。

1924 ソ連大正13(1924)年にはモンゴルを侵略し征服赤化。「蒙古人民共和国」と凶産化。南下征服で残る唯一の植民地候補中国満州朝鮮台湾日本を、ソ連、の独裁者スターリンも虎視眈々と狙っていた。

1924年 ソ連、ウズベク・トルクメンの2ヶ国凶産化。

1925年3月12日朝孫文北京にて、肝臓癌病死行年59歳

米英仏ソの中国支援

1927年(昭和2)7月25日 張作霖、米国資本を背景に満鉄併行線の1つ打通線を満鉄併行線敷設禁止協定(対華21箇条の1つ)を無視して完成。1927年(昭和 2)9月 満鉄併行線の1つ、奉海線が、米国からレール、英国から車両を輸入して完成する。

 1927年にスターリンに追われて米国に亡命したトロッキーは、米国人に「なぜ、共産主義を忌避しソ連を警戒するのか。共通の敵は日本の黄禍ではないか。強硬なクルミの殻に籠もる日本であっても、白色人種として米ソが協力できるなら、米ソがクルミ割りの両テコのように容易に割ることができる」と発言。 ソ連 トロッキー

1929年 ソ連、タジクの1ヶ国凶産化。

1932年フーバー第31代(共和党)(1929~1933)大統領。反凶主義者である共和党のフーバーはソ連の国家承認を拒み「日本はアジアにおける防凶の砦」と常々口にしていた。

1933年 フランクリン・D・ルーズベルト(民主党)32代(1933~1945)米国史上初めての4期連続の大統領。T(セオドア).ルーズベルト(共和党)第26代の遠縁。米国経済の危機打開のために、ニューディール政策を実施し、一応の成果をあげたが1937年以後景気後退が始まった。

1933月 発足問もない民主党のルーズベルト政権は、共和党の反対を押しきってソ連を国家承認した。

 

中国共産党の日本への宣戦布告「八・一宣言」と「西安事件で翻意の蒋介石」が日中戦争と大東亜戦争の原因

1934年10月長征開始。ソブィエト共和国(中国内共産党国家)への、蒋介石軍5回に及ぶ包囲攻撃の結果、中国共産党軍30万人が瑞金を捨て、華南華中から敗走移動。移動中毛沢東の指導権が確立した。2年後の長征終了時には2.5万人に激減、崩壊寸前となった。

1935年広田弘毅外相の施政演説。日中双方の「不脅威・不侵略」を強調し、日本はアジアの諸国と共に東洋平和および、秩序維持の重責を分担する、と主張した。

 この誠意に満ちた演説は、中国側に好感をもって迎えられ、一週間後、蒋介石は次のような声明を発表した。「中国の過去における反日感情と日本の対支優越態度は、共にこれを是正すれば、隣邦親睦の途を進むことができよう。わが同胞も正々堂々の態度を以て理知と道義に従い、一時の衝動と反日行動を抑え、信義を示したならば、日本もまたかならずや信義をもって相応じてくることと信ずる」

1935(昭和10)年8月1日日中戦争の始まり。盧溝橋事件に先んじる2年前、中国凶産党日本に宣戦布告。

 1935(昭和10年)日中国共産党日本に宣戦布告

 1935年のソ連コミンテルン第七回大会で、反ファシスト人民統一戦線方式が打ち出された。その結果、ソ連「抗日民族統一戦線」を崩壊寸前の中国共産党に指示。敗走移動中の8月Ⅰ日に、溺れる者藁をもつかむの心境で中国共産党が日本に宣戦布告。「八・一宣言、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」を発した。内戦停止・一致抗日(蒋介石と休戦し日本と戦う)と、「救国」運動にすり替えて訴えた。30万人から10分の1以下の2.5万人に激減、壊滅寸前の中国凶産党は、矛先を蒋介石から日本に変え、テロ工作に専心、日本人に成りすましての蒋介石へのテロ活動や、日本軍挑発工作に必死になった。捏造工作で仮想敵国をつくり、国内人心懐柔は、捏造が党是の凶産党常套手口。なんと現在の偽中国、癌半島、罪日が日本を敵として捏造、未だに続けているのだ

1935年10月国民党政府が共産党討伐に全力を尽くしていた時は、排日事件も余り起こらなかった(排日事件は凶産主犯の証し)のであるが、共産党が延安に拠点を移して華北一帯に共産遊撃区の構築に乗り出し、昭和10(1935)年8月1日、日本に宣戦布告した時期から、排日事件(凶産主犯)が再び頻発するようになったため、日本政府は、広田3原則を発して、排日事件の解決をはかった。その概要は、

1、中国側で排日言動を取り締まるとともに、日華両国は相互独立の尊重と和親協力関係の増進に努める。

2、中国側で満州国を承認し、日満華の新関係の樹立をめざし経済的文化的提携を結ぶ。

3、北支一帯における共産主義の脅威を排除するという見地にたって国民党政府と日本との合作を行う。

というものであり、共産主義の脅威を除去して、中国と友好関係を結ぶことを目的としたものであった。それは共産党討伐を推進していた蒋介石も、利害が一致したからである。これにより、日本は、排日テロ事件防止のために国民党と合意し、「冀察(きさつ)(河北省とチャハル省)政務委員会」を成立させることになった。この時期には、対共産主義政策において、日本政府と国民党政府の間には。このような協力関係が成立していた。

 従来より中国国民党は、親日派と親米派の派閥対立があったが、この時期を境に、親日派であった行政院長の汪兆銘が狙撃される事件や、同じく親日派の唐有壬(とうゆうじん)交通部次長が暗殺される事件が起こり、国民党内の親日派は衰退し、国民党の主導権は親米派に握られるようになった。

193511日 汪兆銘と蒋介石の指導のもと、日中和平路線が着々と進められたが、これを喜ばない勢力があった。国民党六中全国大会で、汪兆銘はカメラマンに扮した刺客から3発の銃弾を受けた。危うく一命はとりとめたが、療養のため、ヨーロッパへ渡った。

1935年12月9日「一二・九運動」。北京の学生が日本の「華北侵略」に抗議、国・共内戦停止、一致抗日を扇動(水と油が工作?)。胡適は学生の説得にあたった。「華北侵略」とは下記の事

 「1935年後半までに、日本は軍事力よりむしろ外交的、経済的手段で中国での目的をかなりのところまで達成していた。日本は華北を蒋介石政権の「悪政」からほとんど「解放」していた。日本は華北三省を統治する将軍たち(軍閥)の協力でこれを達成したのだ。将軍たちはいずれも華北の「自治」確立と、満州国と日本の緊密な経済関係を支持すると宣言していた」ヘレン・ミアーズ著「Mirror for Americans: JAPAN」戦後3年の1948年出版。

 防共の砦(満州と華北融合)を、「黄禍連合」と認識した白人支配者水(宗主国)と油(ソ連凶産)は、以後、「白人連合」に一直線。

1936年 ソ連、アゼルバイジャン・アルメニア・グルジア・カザフ・キルギスの5ヶ国凶産化

1936月 松井岩根、南京にて蒋介石と協調路線続行の会談をしたが、核心ははぐらかし、すでに変節しており、赤化分子も増殖中であった。2につづく⇒

No title
こんにちは。ついコメントしたくて登録をしてしまいました。目が覚める思いがしました。特に永野修身氏の言葉には感動しました。少なくとも先人は我々子孫のことを信じて,戦地に向かった。あとは任せたぞ,と。だから私は先人をずっと信じることに決めました。我々の先祖が侵略戦争などするわけがない。昨年http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E6%25B0%2591%25E4%25B8%25BB%25E5%2585%259A/" class="keyword">民主党が政権を奪取し,今年ついに市民運動家が総理になってしまいました。彼らの狙いがどこにあるのか,どうせ己の利益,利権のため,もしくは祖国シナ・朝鮮のために活動されておられるのでしょうが,彼ら反日活動家を見るとヘドがでます。子供を戦地に送るな!←あたりまえ。「人権」「自由」「平等」←あたりまえ。そんな当たり前のことをさも迫害されているかのごとく唱える馬鹿がいることが残念です。また,日本人自体の質が変わってしまったのだと思います。目が円マークになっていますね。金,金,金,車がほしい,バッグがほしい,時計がほしい,男がほしい,女がほしい,食いたけりゃ食え,食いたくないもんは捨てろ。本当におかしいと思います。どうすればhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB/" class="keyword">アメリカ式個人主義から抜け出せるのでしょう。http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E7%25A7%258B%25E8%2591%2589%25E5%258E%259F/" class="keyword">秋葉原が日本の文化のようによりついてくる外国人。それこそ我が日本の誇りであるかのように言う日本人。そんなものはアメリカの文化。「侍!刀!ちょんまげ!」といって日本に来てくれた方がまだうれしい。長くなりましたが,この有意義なブログをこれからも愛読します。どうやらシナ人は本気で日本を狙っているようですし,奴らはまず台湾統一するでしょう。安保もまともに機能しそうにもありません。英霊の皆さまこの日本をどうかお守りください。
[ 2010/09/18 23:48 ] [ 編集 ]
No title
ari-ori-haberiさんへ
 なぜ「蜂起戦争日本」に帰着しないか?スパイ教授評論家マスコミの洗脳が原因。一人が二人に、二人が四人を説得で、真の戦後到来。子孫のために頑張りましょう。
 ※当時コメント欄に記載不能(PC不調)で本欄記載でしたが、本日コメント欄へ移動しました。
[ 2013/04/03 19:17 ] [ 編集 ]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/tb.php/133-fe70867e

フリーエリア
プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。