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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観日本国民よ!唯心ポーランドが一世紀にわたり語り継いだ歴史に学べ

2日本国民よ!唯心ポーランドが一世紀にわたり語り継いだ歴史に学べ

 1939年ソ連とドイツに分割占領される。

 1945年ソ連軍によって解放され、独立を回復。ポーランド統一労働者党が掌握。

 1952年ポーランド人民共和国(共産主義)となる。

 1989年国名より「人民」を排除、ポーランド共和国(民主主義)となる。首都ワルシャワ。カトリック教徒が圧倒的に多い(95%)。

 1995年10月、兵藤長雄ポーランド大使は、8名の孤児を公邸に招待した。皆80歳以上の高齢で、一人のご婦人は体の衰弱が激しく、お孫さんに付き添われてやっとのことで公邸にたどりついた。

 私は生きている間にもう一度日本に行くことが生涯の夢でした。そして日本の方々に直接お礼を言いたかった。しかしもうそれは叶えられません。

 しかし、大使から公邸にお招きいただいたと聞いたとき、這ってでも、伺いたいと思いました。何故って、ここは小さな日本の領土だって聞きましたもの。今日、日本の方に私の長年の感謝の気持ちをお伝えできれば、もう思い残すことはありません。と、その老婦人は感涙に咽んだ。孤児たちは70年前以上の日本での出来事をよく覚えていて、別の一人は、日本の絵はがきを貼ったアルバムと、見知らぬ日本人から送られた扇を、今まで肌身離さずに持っていた、と大使に見せた。

 

 同様に離日時に送られた布地の帽子、聖母マリア像の描かれたお守り札など、それぞれが大切な宝物としているものを見せあった。

 

「このお札のお陰で長生きできた」というこの聖母マリアの像が描かれたトランプの大きさのお守り札は、時を経てもうボロボロになっていたが、裏面に印刷されたお祈りの日本語が、かすかに残っていた。

 

 前述のように後にポーランド大使となる兵藤長雄は、外務省入省の後、1961年に英国の陸軍学校に留学してロシア語を学んだが、その時の先生がグラドコフスキという元ポーランド陸軍将校であった。グラドコフスキ先生はどういうわけか、兵藤氏を何度も自宅に呼んでご馳走したり、特別に勉強を助けてくれた。

 

 なぜこんなに自分にだけ親切にしてくれるのだろうと不思議に思って聞いてみると、先生は父親の話を始めた。父親はロシアに徴集されて日露戦争に従軍したが、捕虜となって数ヶ月を日本で過ごしたのだった。そこで周囲の見知らぬ日本人から親切にもてなされ、深い感銘を受けた。

 

 父親は日本人の温かい心と数々の善意が終生忘れられずに、息子にその時の話を詳しく聞かせては「お前も日本人に出会ったらできるだけ親切にして恩返しをして欲しい」と口癖のように話していたという。「父親が受けた日本人からの親切を、今、貴君を通じてお返しできることは本当に嬉しい」と先生は若き兵藤に語った。

 

時は流れて1993年ポーランド大使となった兵藤長雄は、ポーランド永住の日本人松本昭男から初めてこの話を聞き、長い月日が流れてはいるが、まだ生きている方がおられるのではないか、そして何とかしてその孤児の方々とお会いできないかと、松本さんと相談し探した結果、存命者が判明し、前述の招待となった。

 

 あれから75年の歳月が流れ、平成七年(1995)、わが国の阪神地域を大地震が襲った。このとき、いち早く救援活動をしてくれた国が、ポーランドだった。さらには、震災で孤児になった日本の子供たち30人ずつ2回に分けて、今度はポーランドへ招待した。

 

 被災孤児の一人の男の子が片時もリュックを背から離さないのを見て、世話をした一人のポーランド婦人が理由を聞くと、震災で一瞬のうちに親も兄弟も亡くし、家も丸焼けになってしまったので、焼け跡から見つかった家族の遺品をリュックにつめ、片時も手放さないのだという。この婦人は不憫で涙が止まらなかった、と伝えている。

第2回目の被災児がポーランドヘ招待されたのは1996年の夏であった。3週間招待されていろいろなところを案内され歓待された。

 

 震災孤児が帰国するお別れパーティには、4名のシベリア孤児が出席した。歩行もままならない高齢者ばかりであるが、「75年前の自分たちを思い出させる可哀想な日本の子どもたちがポーランドに来たからには、是非、彼らにシベリア孤児救済の話を聞かせたい」と無理をおして、やって来たのだ。日本の被災孤児たちに、自分たちが日本に親切にしてもらったことを切々と語り、涙を流してこれで恩返しができたと語った。終わりに4名のシベリア孤児が涙ながらに薔薇の花を、震災孤児一人一人に手渡した時には、会場は万雷の拍手に包まれた。

 

 阪神淡路大震災の孤児たちをポーランドに呼ぼうと働きかけた中心人物は、東京のポーランド大使館に勤務していた物理学者で外交官、スタニスワフ・フィリペック氏である。フィリペック氏はポーランド科学アカデミーの物理学教授だったが、ワルシャワ大学で日本語を学び、東京工業大学に留学した経験もあった。

 

 フィリペック氏のお父さんは、第2次大戦中、ドイツ占領下のポーランドでレジスタンス活動に従事していたが、氏が3歳の時にゲシュタポ(ナチス・ドイツ秘密警察)に捕まって強制収容所に送られ、還らぬ人となった。その後、氏はおばあさんに育てられたが、よくこう聞かされた。

 

 お父さんのように強くなりたかったら、ジジュツ(柔術)をやりなさい。ヤポンスカ(日本)に伝わるレスリングよ。ヨーロッパの果て、そのまた果てのシベリアのむこうにね、ヤポンスカという東洋の小さな島国があるの。その小さな国が、大きくて強いロシアと戦争をして、やっつけたんだもの。ジジュツのせいかどうかはしらないけど、ヤポンスカはサムライの国でね、サムライ魂を持っているんだ。

 

 小さなヤポンスカがロシアを負かしたことは、私たちポーランド人の希望になったんだ。わたしたちもヤポンスカのように、ロシアや、ドイツや、オーストリアを負かして追い払い、自由をとり返して、独立できると信ずることができた。そしてそのとおり、第一次大戦のあとで、ポーランドは独立できたんだよ。

 

 おばあさんは幼いフィリペック氏に、ヤポンスカがポーランド人捕虜を親切に扱ったことや、大勢のポーランド孤児をシベリアから救出したことを語って聞かせたという。これが機縁となって、氏は日本語を学び、両国の友好のために働こうと決意したという。

 

平成11(1999)年8月に、ポーランドから「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合唱団」が来日した。合唱団は孤児だったヘンリク・サドスキさん(88)からの次のようなメッセージを携えてきた。

 ・・・20世紀の初め、孤児が日本政府によって救われました。シベリアにいたポーランドの子供は、さまざまな劣悪な条件にありました。その恐ろしいところから日本に連れて行き、その後、祖国に送り届けてくれました。親切にしてくれたことを忘れません。・・・(合唱団は)私たちの感謝に満ちた思いを運んでくれるでしょう。日本のみなさん、ありがとう。・・・

 

 サドスキさんはさらに「一番大事にしている物を皇室に渡して」と救出当時の写真を託した。「孤児収容所を慰問した皇后陛下(貞明皇后)に抱き締めてもらったことが忘れられない」と話したという。

 

 平成14(2002)年七月、天皇、皇后両陛下は初めて中・東欧四カ国を訪問された。
 ・・・クワシニエフスキ大統領が、日本とポーランドの交流の歴史に触れ、ロシア革命当時、シベリアに残された孤児の救出について改めて感謝した。・・・平成14(2002)年7月10日毎日新聞報道  

 

 ・・・第一次世界大戦(1914~18年)やロシア革命(17年)の時に、ロシア支配に抵抗してポーランドからシベリアに追放され、日本によって救出されたポーランド人の元孤児3人が12日、ワルシャワの日本大使公邸であったレセプションで天皇、皇后両陛下と初めて面会した。元孤児の一人は面会後の会見で「私が今あるのは日本の援助のおかげ。両陛下に会えて感激している」と心情を話した。・・・平成14(2002)年7月13日毎日新聞報道

 

 皇后陛下の誕生日・平成14(2002)年10月20日に放映「スーパー・テレビ」では、両陛下とその老齢になった孤児達が対面する感動的な場面が映し出されていた。
 病院に大正天皇の后、貞明皇后がお見舞いに来られ、小さかった彼女を抱いて励ましてくれた記憶のある元孤児の一人、86歳のアントニナ・リーロさんは、美智子皇后の手をずっと握りしめていた・・・。80余年の時空を超えて、かすかに覚えている貞明皇后の手の感触、胸のぬくもりを確かめているかのようで、時間が止まったかのように感じられた。・・・時が流れ、年老いた元孤児は静かに「君が代」の一節をくちずさんだ。

 

ピオ11世、パウロ六世、パウロ一世、ヨハネ・パウロ二世と、一貫するローマ法王

 戦前、共産の正体を狂惨と喝破したローマ法王ピオ11世は、反共戦争(日中戦争・支那事変・日華事変。1937年7月7日)が始まった年の10月に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。共産党と戦っている。共産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよ」と。当時、共産ではなく狂惨(凶産)と喝破していたのは、全世界のカトリック信徒と日本だけであった。

 昭和五十(1975)年にヴァチカンを訪れた仏教徒の仲田順和は、時のローマ法王・パウロ六世に、先代座主の遺志をつぎ、「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために宗教の違いを超えて日本人殉難者のためのミサを、と願い出た。パウロ六世の快諾を得て帰国したが、法王の訃報に接した。後継のパウロ一世も急逝、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われた。

 がしかし、五年後の昭和五十五(1980)年四月ヨハネ・パウロ二世から「五年前の約束を果たしたい」との親書が届けられた。ローマ法王庁は、ピオ11世のメッセージと異教徒の願いを忘れてはいなかったのである。

 同年の五月二十一日、法王パウロ二世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われ、連合国の手で「戦犯」として裁かれた、ABC級すべての日本人昭和の殉難者1068柱の霊が祀られた。ピオ11世のメッセージを、貫いたのである。

 

昭和56年(1981)2月23日~26日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世はローマ法王として初めて来日した。この時、法王は慣例を破って皇居に天皇陛下を訪ねられた(2月24日11時皇居で天皇と会見。14時法王庁大使館で鈴木善行首相と会見)。法王が外国を訪問してその国の元首や首相に会う時は、その国の方々が法王を訪ねて会いに来るのが慣例となっており、法王の皇居訪問は前例のないことなので、問題となった。その時法王は、一身を捨ててマッカーサー元帥の前に立たれた天皇をたたえての訪問であることを、そのキリスト精神をたたえての訪問であることを、皆に説いた。皆は、その一言で納得した。

 

ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、ポーランド人カロル・ヴォイティワ(本名)である。

 

ドイツとソ連に国は分割され、半世紀にわたる共産党支配。そして1989年ポーランド民主化。苦難の一世紀ポーランドは、祖父母、親、子と語り継いだ。日本は語り継いだか!・・・

 

資源無き、無い無い尽くしの小国日本、物づくりを国の基幹産業としなければ成り立たない国家なのだ。弱肉強食の時代、子孫のために団結し、開国以来、物づくり人づくりを、国是としてはげんだ。

 

戦後、貿易は自由化され、資源を輸入し、物づくりにいそしみ海外に販売した。諸外国にどんどん売れ、抵抗無く復興の一歩を踏み出し、驚異の経済発展を遂げ現在に至っている。

 

どうして抵抗無くすぐ売れたのだろうか。物を売ってみれば誰でも分かることだが、安くても、どんなに良いものでも、すぐには売れない、時間がかかるのだ。買う人は物を使っていないので、良し悪しが分からないからだ。これは買う人の道理である。何で買うか、物が分からないので、売り手を信用して買うのだ。売り手が信用を得るまでには時間を要する。売り始めのきっかけ、売り手の信頼づくりに皆苦労するのだ。

 

史上初のノーベル文学贋賞受賞者大江などが罵倒するように、日本が世界の侵略者日本、日本人が世界の極悪人日本人だったら買っただろうか、言わずもがなである。

抵抗無く売れたと言うことは、先人が開国以来築いて来た信頼が、敗戦で文無しの弱者となっても、残ったことを物語っているのだ。大江などが罵倒するような極悪人であれば、反動しか生まれず、意地でも買わない。これが、世の習いだ。

 

安いから技術が良いから、物が売れたのだけではない、先人が他国に成した諸々の思いを、時代の波風を越え、一世紀にも渡り語り継いでくれた他国の深い思いがあればこそであることを、忘れては成らない。先人は他国に行動を、日本人の心を伝えていたのだ。この心を、国敗れて文無しの弱者になっても、皆信頼した。この創りあげた信頼があるからこそ、敗戦となった弱者、文無し日本からでも、物を買ったのだ。先人が子孫に残したもの、それが戦後復興の礎石となり奇跡を果たしたのだ。

 

海外で先人の恩恵を受け繁栄しているトヨタ、ホンダ、SONY、東芝、シャープ、ニコン、キャノンなどの世界企業は特に、先人の成した真実の歴史を学ぶ義務がある。そして先人の成したものを受け継ぎ、子孫のため新しい歴史を成す責任がある。これは資源なき小国日本の国是だ。

 

 言わば世界企業のオコボレで、国内業界トップとなった読売新聞、己の実力と過信し、得意の絶頂で先人冒涜の雄たけびを上げているナベツネ。所詮オコボレ成金虚業家、さらけ出した姿は、醜く浅ましい。先人後藤新平は、元部下の正力松太郎が読売新聞の経営を創めた時、自宅を担保に資金を調達、何も言わずに貸した。この資金は、生前には返せず、12年後の1941年郷里に寄付され、日本初の公民館が建設された。この先人や、物造りで外貨を稼ぎ、日本隆盛を成した人々のおかげで今の読売が在るのだ。どの国の基幹も製造業だ。食べれれば生きていけるからだ。非製造業の報道屋が居なくても、別に困ることは無い。似非報道屋は百害あって一利なし。

 

 先人の遺産を忘れ、先人冒涜の巣窟と化したNHK(後藤新平は、東京放送局、のちのNHK、初代総裁である)。先人の遺産を忘れ己ひとりの実力と過信し、奢った結果、公務員の堕落やバブルの崩壊やSONYの凋落や三菱の淪落となった。今がなぜあるか忘れたからだ。結果は点ではない、線だ。ヤマハのピアノ製作所買収にしても、その国の歴史を学び配慮すべきだ。償いを子孫に残してはいけない。

 

 後藤新平は、昭和4(1929)年、岡山に向かう列車内で脳溢血で倒れ、4月13日京都の病院で死去、72歳。その日の言葉。「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」・・・唯物のナベツネ中曽根には、死ぬまで解るまい。

 

無い無い尽くしの島国日本、人づくり、物づくりを怠れば、いつの世でも即刻存亡の危機であるのは明白である。ポーランド一世紀に渡る思いが語るように、先人に学び、我々も歴史をなし、ノーベル鴈賞大江やナベツネのように歴史を点で語るのではなく線で、子孫に語り継ぐ責任がある。

 

戦には物量の差で負けた。しかし、世界の大国に虐げられし同胞は皆、インパール作戦や特攻玉砕という史上比類なき戦いを、たった一国で繰り広げた小国日本の心を見た。支配者も凄まじき戦いの心を見た。虐げられし世界の同胞は皆立ち上がり、支配者は、これまでのように簡単に安易に征服は不可能と知り去った。

 

戦わざれば、大国の侵略者(米英蘭中ソ豪)に征服され、分割され、日本の国名も日の丸も失い虐げられ、極貧生活に喘いでいるか、はたまた今頃は、独立のための更に過酷な戦いを国内で繰り広げ、全土が焦土と化していたかもしれない。戦争をしていなければ、バラ色の日本になったとは言えず、更に地獄だったかもしれない。最悪はWW3原爆戦争で、人類が消滅していたかもしれない。人類は、WW2の多大な犠牲者により、原爆、平等、共存共栄を学んだ。学んだから今がある。物事には全て禍福がある。

 

日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、わずか15年後の昭和35年(1960年)に国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした。南北アメリカにはならなかったのだ。

 

子孫のために命をかけ、開闢以来の本能、弱肉強食を破壊し、新秩序、大東亜戦争目的の、平等と共存共栄、互恵を創造したのが先人である。

 

ポーランド(キリスト教、白人)トルコ(イスラム教、有色人・トルコと日本の友好エルトゥールル号遭難者救助語り継いだ一世紀の思い)日本(仏教、有色人)、人種も宗教も歴史も異なる国家が、弱肉強食の波浪の後にも互恵を成している。これは、人種も宗教も仮装に過ぎず、命あるものの命の共振さえ有れば、平和を成すことが出来得ることを物語っている。先人は成した。子孫は資源無き小国日本、先人の成したこと、命の共振を忘れてはならない。そしてこれは子孫の道標である。

恨みとパンのみに生きる、唯物凶産中朝韓罪日とは、根源的に異なる。真逆の極が、日本人唯心である!

 津軽三味線や能、歌舞伎等、今に残る数多の芸は、おしなべて苦界に落ち、苦界より生じた芸である。がしかしそこには、恨みつらみなど、微塵も無い!まさに禍福昇華、唯心の極みがあるのみである。だから、時代を越えても、人種宗教言葉を超えて、共振するのだ。

 

今の平和を築いた先人を語ろう。歴史の点と点を線でたどり、原点に帰り、子孫に真実の先人の歴史を語り継ごう。歴史のつまみ食い不可。歴史は点では語れない。

 

袖すり合うも他生の縁。   完

 

 (注・唯心国家の国民だから以心伝心となった、凶産党や癌半島や罪日では有り得ない。凶産党は唯心否定で唯物のみ。民主党鳩山の友愛なんぞ、唯物捏造の凶産韓国在日には、他意無しなら、鴨ネギでしかない。輩は唯心無き唯物、生命体を物扱いし、物欲のみでしか動かない、ソ連中国北朝鮮、韓国や在日が見本であり、歴史が証拠だ。恥も外聞もなくひたすら自己中で、相手なんぞ無視は当たり前の折伏一辺倒、唯我独尊カルト教が輩の正体である)

 

ポーランド不撓不屈の歴史

上極悪NHK洗脳捏造子孫ポーランド歴史ワルシャワ不屈復興世界遺産子孫へ 

 

資料「善意の架け橋 ポーランド魂とやまと心」兵藤長雄文芸春秋H10

「日本のみなさん やさしさをありがとう」手島悠介講談社H14

「ポーランドを知るための60章」渡辺克義・編著明石書店H13


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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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