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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観2東条英機真実列強と凶産が食民治化国盗り合戦戦国時代突然の首相拝命

 広辞苑「太平洋戦争を起こし」。百科事典「太平洋戦争を開始。独裁権力を振るい」。日本史事典「独裁政治を行う」。注・戦時下に独裁は当然のこと、事典すら、斯くの如しだ。

 かく言う私真実史観も、開戦わずか57日前に首相に就任し、開戦の責任者として戦勝国からも祖国日本国からも「悪の巨魁東條英機」と罵倒され続ける四面楚歌の指導者に引かれ、検証者の鑑(かがみ)曽野綾子に習い2006年検証の旅に出た。2008年、「臣」東條英機としてこの度発表。

 

食民治主義(植民地)凶産国(共産国)民主主義

食民治(植民地)・武力により国を占領し、愚民化して宗主国搾取。

凶産国(共産国)・武力と捏造洗脳により国を占領し、愚民化、一党独裁か個人独裁、捏造侵略が国是の独裁国家。愚民化して独裁者搾取。唯心(宗教)否定、唯物(賄賂)格差階級社会。国是(捏造、侵略)を神とする一信凶教)カルト(狂信)凶団、オウムと同類。一信凶のためほとんどが整合不可。整合しないものは全て捏造。凶産主義は捏造が物事の基準。

民主主義・各人各様の唯心共産主義(家族、会社)の集合体で、民意の総意が国是。真実が物事の基準

時代背景・欧米とソ連の植民地争奪の歴史(最適者生存の戦いの歴史
 弱肉強食は最適者生存の生命体の戦いで、開闢以来不適者は滅び適者が生存して、現在に至っている。善悪、正邪を超え、生命体の宿命である。したがって善悪、正邪にとらわれず、俯瞰して歴史は検証しなければならない。とらわれると、冒頭の方々のように歴史を見誤る。日清、日露、WW1、大東亜戦争は、最適者生存戦争で、軍民一丸の日本軍は適者生存軍だ。

 欧米とロシアの植民地争奪時代(弱肉強食時代。適者生存時代。大航海時代)は、1942年のコロンブスのアメリカ新大陸の発見スペイン、1948年のバスコ・ダ・ガマのインド航路発見ポルトガルから始まった。

世界の戦国時代(国盗り合戦、弱肉強食、最適者生存)迫る超大国の侵略者(食民治主義者)

1840年アヘン戦争英国のアヘン密貿易を阻止し、通貨の銀の流失を防ごうとした清国と、英国の侵略戦争。清国からの茶、絹、陶器などの輸入超過のため、通貨の銀が不足した英国は、食民治インドにアヘンを栽培させ、清国とアヘンの密貿易をし、不足の銀を回収していた。

1842年8月敗れた清国は英国と屈辱的な南京条約を締結。これが中国食民治化の始まりとなった。この事件に驚いた日本徳川幕府は、異国船打ち払令を、天保の薪水供与令に改めた。

1842年8月英国虎門寨(こもんさい)追加条約で治外法権を獲得。

1844年フランス、アメリカも条約を締結、治外法権を獲得。食民治主義中国食民治化に拍車がかかった。

(注・このように当時は、弱肉強食適者生存のため、敵味方アヘン虐殺何でも有りの、世界の戦国時代なので、法治下の現代の尺度での善悪判断は、間違い。慰安婦問題も当時から売春婦という商売であった。NHK朝日毎日などの工作員は、アヘン、虐殺何でも有りの、世界の戦国時代を隠蔽し、日本軍だけの悪行のように報道、極悪日本軍と捏造

1858年 王朝末期に弱体化した清朝はロシアの進出を抑えきれず、1858年の北京条約、1860年 アロー戦争 英仏連合軍北京入城し、北京条約締結。イギリスへの九竜割譲。植民地主義の、中国植民地化加速

1860年のアイグン条約の2つの不平等条約によって、満州地域の黒竜江以北及びウスリー川以東のいわゆる外満州地域(ウラジオストックを含む)は、ロシアに割譲されることとなった。ロシア征服更に南下。

 

 明治維新(1868年)当時、有色人非干渉独立国家は、世界で唯一日本だけであった。他はタイ(独立国ではあったが英仏の干渉下)、中国(独立国ではあったが欧列強露の干渉下)、リベリア(1820年アメリカの解放奴隷が移住建国、1847年独立)の、たった3カ国。正に欧米露、大国が支配する世界、これが当時の世界の現実だった。

1988年 「紫禁城の黄昏」ジョンストン著(入江曜子・春名徹訳)岩波文庫が原文から削除した部分「1898年当時英国の商人たち・・・英国の宣教師の指導者も、・・・満州とは名前だけで、ことごとくロシアのものと思われる。・・・シナの人々は、満州の領土から、ロシア勢力を駆逐するために、いかなる種類の行動をも、まったくとろうとしなかった。もし日本が・・・これを打ち破らなかったならば、・・・満州全土も、今日のロシアの一部となっていたことは、まったく疑う余地の無い事実である。さらにジョンストンは、英独仏の中国侵略の事実も記している」捏造が党是の凶産とまったく同じ手口の岩波書店は、工作員出版社。

日清戦争と日露戦争。弱肉強食の時代に対応して子孫のため自然権「私」を捨て「公」に徹し、人づくり物づくりに励み、富国強兵に先人は努力した。日清戦争(清国の兵力108万に対して、日本はたったの7万8千の兵力。日本軍艦52隻に対して清国軍艦107隻)。日露戦争(ロシアの兵力300万に対して、日本はたったの20万の兵力。軍艦の総排水量ロシア約51万トン、日本約26万トン)。世界の誰もが日本の敗戦を信じた。がしかし、「公」に徹し一丸と化した徹底的な人づくり物づくりがこの二大国を凌駕し、天も味方し勝者となった。弱肉強食の時代に対応した時代の衣を天皇と共に纏い軍民団結、この困難な弱肉強食最適者生存時代を通過したのだ。以下は如何にしての通過か、その記録である。

 

植民地争奪戦争と凶産化戦争。大航海時代(実体は植民地争奪時代、適者生存時代、弱肉強食時代)はスペイン、ポルトガルから始まり、イギリス、フランス、オランダ、アメリカが追随し、アフリカ、アジア、オーストラリア、南北アメリカの先住民族有色人種は、次々と征服され植民地と化しアジアの大国インドもイギリスに屈した。残る唯一の植民地候補中国満州朝鮮台湾日本を、これら宗主国は虎視眈々と狙っていた。

 一方共産国ソ連の独裁者スターリンは下記のように、ソビエト社会主義共和国という美名の下に次々と各国を侵略し凶産化していた。

1922年 ウクライナ・白ロシア・ザカフカス・ロシアの4ヶ国凶産化。

1924年 大正13(1924)年にはモンゴルを侵略し征服赤化。「蒙古人民共和国」と凶産化。

1924年 ウズベク・トルクメンの2ヶ国凶産化。

1929年 タジクの1ヶ国凶産化。

1936年 アゼルバイジャン・アルメニア・グルジア・カザフ・キルギスの5ヶ国凶産化。

1940年 カレロ=フイン・エストニア・モルダビア・ラトピア・リトアニアの5ヶ国凶産化。わずか18年間で合計18ヶ国が侵略され凶産化されていた。

1035(昭和10年)中国共産党日本に宣戦布告 1935年のソ連コミンテルン第七回大会で、反ファシスト人民統一戦線方式が打ち出された。その結果、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」が発せられた。

1937年7月7日 ソ連も欧米と同様に侵略の歴史を重ねていた。残る唯一の植民地候補中国満州朝鮮台湾日本を、ソ連の独裁者スターリンも虎視眈々と狙っていた。

大東亜戦争はローマ法王のピオ11世が喝破したようにアジアと、侵略者凶産党との反共戦争でもあった。北京郊外の盧溝橋で演習していた日本軍に数発の銃弾が撃ち込まれた。凶産主義食民治主義中国、植民地化作戦「八・一宣言」の開始であり、日本軍の反共戦争の開始である。シナ事変の始まりである。

 ローマ法王のピオ11世は反共戦争(支那事変、日華事変、日中戦争)(1937年7月7日)が始まった年の10月に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。

「日本の支那事変は侵略戦争ではない。共産党と戦っている。凶産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよと」

1938年12月 1937(昭和12年)年7月に勃発した支那事変の推移は、1938年12月までには、首都南京はじめ、主要貿易都市、工業都市を日本が押さえたことにより、中国独自では継戦は不可能な状態となっていた。従って、日中関係の和平が回復してもおかしくないのだが、それがそうならなかった、米・ソが「対日戦継続を条件」に武器・資金援助を行ったからである。

対中国への食民治主義と凶産党の支援

 米国1927~1941.4億2000万ドルの援助。1941開戦後に17億3000万ドル援助。英国1939~1940.2000万ポンドの借款。ソ連1億5000万ドルの援助。その他数回援助。フランス1938年1億5000万フランの借款。1939年96000万フランの援助(蒋介石支援ルートへの援助)。日本は反共戦争。食民治主義と凶産党は中国に隠れ、寄ってたかっての日本(有色人種)潰し、食民治化が真相なのだ。

 

19381220日  汪兆銘、重慶を脱出しハノイへ。汪兆銘とその夫人や 汪兆銘、陳公博、周仏海ら「汪兆銘」派同志たちを、日本と交戦中である蒋介石の重慶から飛行機に乗せ、仏印のハノイへ脱出させた。(影佐禎昭大佐工作成功)汪兆銘政権樹立の立役者・影佐禎昭大佐(かげささだあき)。

 汪兆銘、字は精衛。1938年国民党副総裁。副総裁の座を捨て近衛三原則に呼応し、反共親日を唱え重慶を脱出しハノイ経由で南京入りした。法政大学卒で孫文の側近汪兆銘は、共産党ではなく実体は、孫文が忌み嫌う西洋覇道の鷹犬、覇道文化凶産党に、孫文主義から逸脱した覇道文化蒋介石に気付いたのだ。孫文の筆頭後継者が、凶産覇道蒋介石の正体に気付いたのだ。孫文が早死にしなければ歴史は確実に変わっていた。重慶脱出の際、汪兆銘は蒋介石に、「君は安易な道を行け、吾は苦難の道を行く」と書き残したという。中国の国民の幸せのために、売国奴の汚名を着ても、汪兆銘は日中和平に賭けた。孫文の誤謬「容共』を訂正し、孫文主義完成のため「反共親日」に賭けた。孫文の筆頭後継者としての使命完遂に賭けたのだ。 

 中日戦争の見通しは明るくない。中国を救うには日本との和平しかないと自分は考えており、近く重慶を出て、別の地から和平工作を手がけるつもりだ。どこに抜け出そうと、戦争している相手国と和平ルートをつくる役割は、周囲から非難中傷を受けるのみならず、危険も伴うに違いな い。しかし、自分が身を捨てる覚悟でやり遂げるつもり だ。はじめ非占領地区(四川か雲南)に支持勢力を結集して反蒋政権を樹立し、日本との和平交渉をまとめようとした。

1939年9月1日 ナチス・ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦開始。

194030日  汪兆銘(南京)政府成立。「和平反共救国」を唱える汪兆銘を首班とした「中華民国国民政府」。日中戦争の後半は、明らかに日本が支援する南京政府(反共で孫文の正当な後継者汪兆銘)、食民治主義凶産主義米英仏蘭ソが支援する重慶政府(宗主国とソ連の傀儡蒋介石)、凶産主義ソ連が支援する延安政府(凶産党毛沢東)の三つ巴の内戦となった。その中で日本は重慶(蒋介石)に対しても、内戦の早期終結と、「日中共同防共」の希望を捨てなかった。
極東共栄圏樹立に尽力「アメリカ人の鑑・日本」ヘレン・ミアーズ著
第三章の1「蒋介石のオーストラリア人顧問W・H・ドナルドが、ルソンの日本の抑留所から解放された後の記者会見によれば、日本軍は938年から1940年に至までの時期に、『十二回講和提案1937年7月からの船津工作、1939年末からの桐工作等である)』を行ったとのことである。ドナルド氏の略述したところによれば、日本側の条件は、中国に有利だった。日本軍はただ、満州国の独立承認、北支におけるある種の経済的及び開発権益、及び「外蒙からのソ連勢力の拡張防止のため、内蒙の政治的調整」を要求したに過ぎなかった。ドナルド氏の言によれば日本は『これらの提案の中で、何ら領土的要求はしなかった』」

1940年6月22日 フランスがナチス・ドイツに降伏。

1940 蒋介石の指令でシェンノートはアメリカに帰国し、ルーズベルト大統領の後ろ盾を受け100機の戦闘機と100名のパイロット、そして200名の地上要員をアメリカ軍内から集める権利を与えられ、募集した。アメリカの中立という立場から(義勇兵)という形で集められた。(American Volunteer Group,)略してAVGと呼ばれた。中国名「飛虎」。「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の“エリート空軍部隊”だった、と六日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。(1991年7月8日, 読売新聞)。

1940年9月 蒋介石軍への米英の援助ルート封鎖するため仏領印度シナ進駐。ドイツに降伏したフランスのビーシー政府に交渉し、日本軍北部占領。英国に迫ってビルマルートを閉鎖させることに成功した。これに対して、日中間の和平をのぞまない米国のルーズベルトは、英国の対日妥協を10月に撤回させて援蒋ルートを再開させ、また日本に対して鉄・くず鉄に関する実質的輸出禁止措置をとった。

1940月 日独伊三国同盟。1936年11月25日の日独防共協定(正式には共産インターナショナルに対する日独協定。対コミンテルンの対抗措置を定め、秘密付属協定でソ連を仮想敵国とした反ソ反共協定)、翌年1937年11月イタリヤも参加の日独伊防共協定が原点。付け焼刃などではなく、敵の敵は味方の同盟。

『臣』東條英機就任開戦1年前からの年表

1940年日本の主要物資の輸入先

○・鉄類  ①アメリカ69,9% ②中国15,6%(注・米、中、合計で85,5%) ③インド7,5% ④その他7,0%

○・石油  ①アメリカ76,7% ②オランダ領インドネシア14,5%(注・米蘭合計で91,2%) ③その他8,8%

○・機械類 ①アメリカ66,2% ②ドイツ24,9% ③その他8,9%

主要な輸入国を相手に戦争をするのは自殺と同じだ。

 

 凶産主義の傀儡毛沢東、食民治主義の傀儡蒋介石との反共戦争(日中戦争)を日本が支援する南京政府(反共で孫文の正当な後継者汪兆銘)と共に継続中で、多数の人的損失と戦費をすでに費やしていた。その状況下で更に英米蘭などの大国を相手に、新たな戦争を始めなければならない動機など、日本には皆無。日本が戦争を仕掛けたのではなく、仕掛けられたのは明白な事実だ。明らかに米(侵略植民地化)(侵略植民地化)(侵略植民地化)(侵略狂惨化)(侵略狂惨化)側に戦争の意図や動機があった。

 

1941年昭和16年1月には銅、亜鉛、ニッケル、1月にはラジウム、ウラニウムの禁輸に踏み切るなどアメリカは、対日禁輸を真綿で首を締めるようにじわじわと進めたのである。

1941年3月14日 ルーズベルトの歴史認識よりも、野村駐米大使の歴史認識が正しかったことを示す、ルーズベルト大統領との会談。

 野村は、ルーズベルト大統領に対して、日米の戦争がいかに米国にとって不利かを話した。曰く、「太平洋の戦いで、米国が勝利しても、日本という極東の安定勢力を失い、ソ連の脅威が増すことになる。その結果、満州国を含む、支那及び極東全体が社会主義化してしまう。従って、米国にとって、太平洋における日本との戦争は、非常に不幸になる」というのである。

ルーズベルト大統領の反論。

 「日本が中国を永久に統治できるとは信じていない。ヒトラーは、明らかに世界制覇をしようとしている。日本政府が示している新秩序政策とあわせると、米国は決して容認できない」

 ルーズベルト大統領の共産主義に対する、あきれた認識。

 「中国は統一に向かっており、八路軍に従事している米国武官の報告では、この軍隊は、共産的ではない、それ故、中国が共産化することはない」

1941年月4月13日 日ソ中立条約。有効期間は5年であった。

1941年月6月 ドイツ、ソ連侵略開始。

1941年7月昭和16年 日本米英の(蒋介石政権)援助ルート封鎖するため、サイゴンなどに基地設定。仏領印度シナ南部占領。

1941年7月25日~8月1日 アジアにおける植民地支配体制の維持に障害となる日本の叩き潰しを図り、日米開戦の四ヶ月前の昭和十六年七月二十五日から八月一日にかけて、産業必需品である石油、錫、ゴム、鉄材などの対日禁輸をおこなうと共に、日本の在外資産一億三千万ドルを凍結した。英国、オランダも追随して共謀、経済封鎖を実施。

1941年8月1日 米国の大統領ルーズベルトは八月一日に英国、オランダと協力して石油など戦略物資の対日輸出禁止の追い打ちを掛け、しかも南米産油国からの輸入を防ぐためパナマ運河も閉鎖したのである。米国には、この行為が日米戦争につながるとの認識は当然明確にあった。当時の日本の石油自給率は5パーセント、95パーセントを対日経済凍結地域からの輸入に頼っていたため、存亡の危機に見舞われた。開戦前年の昭和十五年の石油製品の需要は年間五百六万キロリットルなので、当時の石油備蓄量からは一年前後で在庫がゼロになる事態が予想された。ABCDライン。

1941年昭和16年9月6日 御前会議の席上、政府(近衛内閣)と大本営が対米英戦争決意の下に戦争準備を進めるという内容の「帝國國策遂行要領」を決定した。

 「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、護国(祖父母、父母妻子、ふるさとを守る)に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう」。

戦わざれば亡国、
 戦国時代である。中国、南京、満州、朝鮮は、英米仏蘭ソの争奪戦場となり分割。日本も、再度の資源封鎖で壊滅し、分割資源なき小国日本は、再び包囲されて餓死か、降伏して奴隷ドイツは英仏のWW1停戦約束不履行で、80万人以上の餓死者(ほとんどが老人女子供)となった(WW2起因)。弱肉強食時代の戦わずは、無条件降伏で、奪われても犯されても殺されても従うこと。(終戦時の韓国、ソ連の侵略を想起せよ・・・あれが現実の世界だ)。ハルノートによる戦わずの降伏は、台湾朝鮮満州南京汪兆銘への裏切り、未来永劫子孫の汚名となり、選択は不可。ソ中凶産合体阻止防共戦争日本が、敗戦で撤退するや否や即座にソ中凶産合体し、南京満州朝鮮と攻め入ったのが、厳然たる証拠である!戦わざれば、ソ中凶産や英米仏蘭餌食で、日本国は消滅していた!

戦うもまた亡国
 世界の超大国米英仏蘭中ソが相手では、必滅。

であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。
 不屈の抵抗の歴史を子孫に残し、国名が消滅してもポーランドは復活した。抵抗もせず降伏すれば、屈辱、屈伏の歴史は隠蔽され、抵抗の歴史は無きものと成る。さらに、征服者に洗脳され愚民化された抵抗の歴史無き子孫は、二度と立ち上がることなどなく、日本は消え、食民治と化し、正に、日本民族永遠の亡国となる。(南北アメリカの先住民族、・・・あれが現実の世界だ)

戦って死中に活を見いだし
 戦うもまた亡国かもしれないが、戦って一縷の望みに挑戦し、資源封鎖で絶えず迫る、独占貿易の宗主国を、アジアから永遠に排除しなければ、資源無き小国日本の、未来は無い。独占貿易の食民治主義共産主義と戦い、アジアから追放すれば、一縷の望み(自由貿易を旗印に団結、大東亜共栄圏を成し、対峙)が生まれる。たとえ敗れても、大東亜共栄圏が覚醒し独立すれば、独占貿易は破壊され、自由貿易の世となり、資源無き小国日本に、一縷の望み生まれる。敗れても、同胞が覚醒し追随するような、

護国の精神に徹するならば、
 勝者に隠蔽されないような、子孫を守るための必死な姿、生きざま、戦いざま、死にざまさえ残せば

たとい戦い勝たずとも、護国(祖父母、父母妻子、ふるさとを守る)に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう。
 たとえ占領され食民治にされ征服者に愚民化されても、残した挑戦の心や生きざま、戦いざま、死にざまを想起し、必ずや子孫は覚醒し、再び独立し、日本は復活する。我々はただの戦いではなく、子孫が必ずや想起し、覚醒復活するような、勝者に隠蔽されない、史上比類なき戦いを、残す。子孫のために。

 永野修身個人の発言だけではなく、出席者全員のほとばしる総意が集まり成したのだろう、大同小異の資料が物語っている。子孫へのほとばしるおもい「最適者生存」は深く重い。当事の指導者、苦渋の決断が滲んだ言葉だ。・・・ここには侵略者の影など微塵もない。あるのは、子孫への思い、適者生存、唯一つ

 日本開国当時、独立国は日本タイ(英仏の緩衝独立国)のみ!これで一般常識人完全氷解し、職責者文系授の「善悪史観」など、論外となる。
 
太平洋(白色対有色)戦争
 前門の敵(ソ中凶産主義傀儡毛沢東と欧米列強食民治主義傀儡蒋介石)と交戦(反共戦争)中に、後門の敵(食民治主義の欧米列強)が宣戦布告(ABCD通牒)し、日本(最後の有色人独立国)壊滅を謀った、白人による有色人国家殲滅戦争!

大東亜(有色人自存自衛蜂起)戦争
日本の自存自衛戦争!


1941年昭和16年9月27日 日、独、伊の三国同盟が成立し三国との戦争が予想される事態になると、米国の戦略は国ごとの戦争計画を一色で表すのを止めにし(オレンジ計画)、新たな戦争計画を「レインボー5」と名付けた。「レインボー5」とは、日米開戦の場合に取るべき米国の作戦はアメリカ艦隊により日本周辺の海上封鎖をおこない、海外からの物資の輸入を絶ち、沖縄を占領し、空襲により日本国内の生産設備を破壊して継戦能力を失わせ、本土を孤立させて降伏させるという、島国日本攻略の常套作戦、兵糧攻めであった。そのための布石として米国はハワイとフィリピンのマニラ(スービック湾)に海軍基地を建設し、海軍力の増強を図った。

1941年昭和16年10月17日

東條中将が内閣総理大臣兼陸軍大臣兼内務大臣に任ぜられるのは、昭和16年10月18日だが、本人はその直前まで自分が首相となることなど予想もしていなかった。東條英機はなりたくて首相になったのではないのだ。

昭和16年10月17日、東條中将は皇居に参内する前、かつ子夫人に対して、「今日、首を言い渡されるだろう」と告げて家を出た。しかし、参内した東條中将は組閣の大命を受けたのだ。降って湧いたような組閣の大命を拝して、ことの意外さにその場でしばし茫然となり立ち尽くし、絶句していると、天皇は「暫く余裕を与える。及川(海軍大臣)ともよく相談するように…」と言われたため、東条は辞退できない宿命を感じたと言う。

参内を終えて陸相官邸に戻ってからも東條中将の顔は緊張でこわばり、蒼白となっていたという。佐藤賢了大佐(陸軍省軍務局軍事課長)は証言している。(「東條英機と太平洋戦争」文藝春秋昭和35年)

 近衛前首相は内閣の後継首班として、東久邇宮殿下を推したい考えであり、東條陸軍大臣もその意向に賛成していた。しかし、天皇の側近木戸幸一内大臣は、天皇の意向もあり、皇族が戦争の決定を下さなければならなくなることを恐れ、皇族による組閣に反対した。結果、木戸内大臣が東條中将を総理大臣に推した。木戸内大臣から東條中将による組閣の案を聞いた天皇陛下は、「虎穴に入らずんば虎児を得ず、ということだね」と答えられたという。

このとき天皇陛下は、東條中将に対し、木戸内大臣を介していわゆる「白紙還元の御諚」を命じた。この「白紙還元」とは何のことかと言うと、昭和16年9月6日の御前会議の席上、政府(近衛内閣)と大本営が対米英戦争決意の下に戦争準備を進めるという内容の「帝國國策遂行要領」を決定したことについて、これを無かったことにして戦争回避に努めよという意味である。皇居からの帰途、陸軍省に立ち寄った東條中将は、その旨をふれて廻った。

1941年昭和16年10月18日白紙還元の御諚。

1941年昭和16年10月18日39代首相近衞文麿退陣。

1941年昭和16年10月18日40代首相東條英機就任。

東條中将は陸軍大将に昇進し、内閣総理大臣兼陸軍大臣兼内務大臣となり、東條首相は陸相時代の強硬な「主戦派」から一転して「交渉派」に変わり、「日米不戦」の天皇の御意志を尊重し努力を重ねた。

ところが、参謀本部戦争指導班の「大本営機密戦争日誌」には「東條陸相が総理となるや、お上をうんぬんして決心を変更し、近衛と同様の態度をとるとはそもそも如何、東條陸相に節操ありや否や」等の記述があり、天皇陛下やその意を受けた東條首相の意志や努力に反して陸軍も海軍も開戦に躍起になっていた。

また、開戦に向かって突き進んでいたのは軍だけでは無かった。朝日毎日などのマスコミは、毎日威勢のいい記事を書き続け、国民の好戦意識を煽っていた。更に、帝國議会でさえ、ある代議士が「政府は何をはばかりおそれているのか?一日も早く開戦せよ」と主張するなど、天皇陛下や東條首相の意図に反して、全体的に国を挙げて戦争へ突き進んでいく風潮であった。3につづく ⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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