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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観3東條英機真実現代平和の基因食民治独立付与宣言の起因大東亜会議

1941年昭和16年11月5日 東條首相は天皇陛下のご真意を反映して再度交渉のため、来栖三郎特使をアメリカに派遣し開戦回避に努力した。

1941年昭和16年11月7日 開戦を回避すべくぎりぎりの条件を提示して、日米交渉の妥結を願って出した条件甲案は拒絶された。

1、日支に和平が成立した暁には支那に展開している日本軍を2年以内に撤兵させる。

2、支那事変が解決した暁には「仏印」に駐留している兵を撤兵させる。

3、通商無差別待遇が全世界に適用されるなら太平洋全域とシナに対してもこれを認める。

4、日独伊三国同盟への干渉は認めない。

1941年昭和16年11月20日 日米交渉の妥結を願って出した条件、経済封鎖を解き、石油等の物資が安定供給されれば、日本は南方に進出する必要性は無くなる、それに伴い、日本は南方からの全面撤退に応じるという内容の、乙案も拒絶された。

1、蘭印での物資獲得が保障されアメリカが在米日本資産の凍結を解除し石油の対日供給を約束した暁には南部仏印から撤兵する。

2、更にシナ事変が解決した暁には仏印全土から撤兵する。

1941年昭和16年11月26日 妥協案をすべて拒絶し服従を要求して、ハル国務長官は、最後通牒である「ハル・ノート」を日本に手渡した。

「ハル・ノート」(概要)

1・日本軍の支那・仏印からの無条件撤兵、

2・支那における重慶政権(蒋介石)以外の政府・政権の否定(日本と南京国民政府=汪兆銘政権の対反共戦争を停止し、汪兆銘政権を裏切り見殺しにする)ハルノートによる戦わずの降伏は、台湾朝鮮満州南京汪兆銘への裏切りで、未来永劫の子孫の汚名となり、選択は不可能。

3・日独伊三国同盟破棄(伊独両国との同盟を一方的に解消)。

 日本に対して、開国(明治維新1868年)以来、先人が弱肉強食の時代を乗り切るため、血を流して護国のため戦い、営々と築いてきた、大陸における日本護国の生命線を全て放棄しろと、言ってきたのだ。これは、アメリカに対して、侵略し王国を滅ぼして併合したハワイや、ロシアから買ったアラスカ、更にメキシコを侵略して奪ったカリフォルニア、ニューメキシコ、テキサス等の諸州を全て放棄し、建国当初の東部十三州に戻れ、と言っている様なものなのだ。弱肉強食の時代を乗り切るための日本護国の生命線を放棄。こんな亡国服従要求は、到底受け入れられるものではない。応ずれば、確実に弱体化、戦うことなく資源経済封鎖されて確実に亡国である。

 これだけのことを一方的に要求だけして、一言も、「資源封鎖の解除」には触れていない。「ハル・ノート」に従えば、ただ話し合いに応ずると言うことだけなのだ。ハル・ノートには日本が回答すべき期限は定められていないので、最後通牒とみなす必要はなかったという愚論がある。資源封鎖下でなにもせず坐すれば坐するほど、確実に亡国なのは、誰の目にも明白だ。こんなものを受諾する国家など、どこにもない。表で中立を装い、裏で中国を支援し、経済封鎖し、挙句の果てに亡国服従要求のハルノートをつきつけておきながらルーズベルトは、真珠湾を宣戦布告なしの不意打ち攻撃、リメンバー・パールハーバーだという。開戦を予知していなかったと言う?本当なら、なんと暗愚な大統領だ。経済封鎖し、「このハル・ノート(最後通諜)のような苛酷な要求を突きつけられたならば、モナコ公国やルクセンブルグ大公国といった、極小国でさえも、アメリカに銃を執って立ち上がるだろう。」インドのパール判事やアメリカのベンブルース・ブレークニー弁護人の証言。経済封鎖し、かつハルノートは、誰が見ても宣戦布告書なのだ。

東條内閣の海軍大臣嶋田繁大郎。東京裁判の被告として証言。

 ・・・十一月二十六日、ハル・ノートを突きつけられるまで、政府、統帥部中、誰一人として、米英と戦争を欲したものはいなかった。日本が四年間にわたって継続し、しかも有利に終結する見込みのない日支事変で、手一杯なことを政府を軍部も知りすぎるほど知っていた。天皇は会議のたびに、交渉の成り行きを心から憂いていた。そして、第二次近衛内閣も東條内閣も平和交渉に努力せよという天皇の聖旨を体して任命され、政府の使命は日米交渉を調整することにかかっていた・・・

 ・・・それはまさに青天の霹靂であった。アメリカにおいて日本の譲歩がいかなるものにせよ、私はそれを戦争回避のための真剣な努力と解し、かつアメリカもこれに対し歩み寄りを示し、もって全局が収拾されんことを祈っていた。しかるにこのアメリカの回答は、頑強不届にして、冷酷的なものであった。それは、われわれの示した交渉への真剣な努力は少しも認めていなかった。ハル・ノートの受諾を主張した者は、政府内にも統帥部内部にも一人もいなかった。その受諾は不可能であり、その通告はわが国の存立をおぴやかす一種の最後通牒であると解せられた。この通牒を受諾することは、日本の敗退に等しいというのが全般的意見だった・・・(富士信夫『日本はこうして侵略国にされた』)ハル国務長官は昭和20(1945)年ノーベル平和賞受賞。大江のーベル文学賞も同類。

1941年昭和16年12月1日 昭和16年12月1日の御前会議でやむをえず開戦を決定。

1941年昭和16年12月6日 開戦前々日にあたる昭和16年12月6日の深夜、夫人が首相官邸で垣間見た東條英機は、布団の上に正座し、皇居に向かい泣いていたという。

1941年昭和16年12月8日(ハワイ現地日時12月7日)1941年12月7日真珠湾入り口で雑役補給艦アンタレスが国籍不明の小型潜航艇を発見し、米海軍駆逐艦ウォード(1200トン)に連絡、午前6時3分には哨戒機が発煙弾を投下して、潜水艦の所在を教えている。4インチ砲で砲撃し、航空機が爆雷攻撃して午前6時45分撃沈。大東亜戦争最初の交戦である。

1941年12月8日(ハワイ現地日時12月7日)真珠湾空襲開始現地時間1941年12月7日午前7時55分(日本時間1941年12月8日午前2時55分)最初の交戦から約2時間後である。なぜか迎撃皆無の奇襲攻撃となった。

日本軍の空襲2時間以上も前に発見され、撃沈報告された記録も証言も存在するのに、真珠湾アメリカ艦隊にルーズベルトはシークレット事項とし、報告も、警戒警報も発しなかった。小型潜航艇と確認されているので、当然母艦の存在を調査し警戒にあたるのが常道なのに何もしていない。結果日本の奇襲攻撃となった。真珠湾犠牲者2300名、負傷者1200名、真珠湾アメリカ艦隊はルーズベルトによって、対独戦、対日戦参戦のための生け贄にされた。

 大東亜戦争開戦。当時日本は石油備蓄量がたったの2年分しかなかった。日本は石油の枯渇、外貨の支払い不能となり、座して死を待つよりも、国家生存の可能性に賭け戦争に打って出た。独占貿易で日本を追い詰めた宗主国を追放し、アジアを解放し、貿易を自由化して資源得るために、服従を拒絶し自由を求めて立ち上がった。

 侵略戦争だったと、のたまう愚者がいる。アジア侵略戦争であれば、対米英蘭中ソ、プラス対全アジア戦争となり、まさしく勝者の術の無い完全な自殺戦争となる。こんな選択をする愚者は古今東西絶無。食民治主義凶産主義対日本では必滅なので、大東亜各国の助力を得て、独占貿易の宗主国を追放し、自由貿易で互いに資源確保。独立国家自由貿易圏として団結し、食民治主義凶産主義と対峙すれば、一縷の望みが生まれる。食民治主義凶産主義追放目的の、大東亜団結戦争にしたかったのだ。常識で考えれば誰でも理解できることなのだ。

 

〇大東亜戦争開戦の詔書(宣戦布告書・相手国への宣戦通告書ではなく、第三国や国民に向けた布告の書)真実史観意訳。 昭和16(1941)年12月8日※相手国へ告げ知らせることが宣戦通告で、第三国国民一般に知らせることが宣戦布告。一般的には両方の概念を合わせて『宣戦布告』と記述している。

詔書 

天のご加護を有し、万世一系の皇位を継承する大日本帝国天皇は、忠誠勇武なる汝国民に明示す。

私はここに、米国及び英国に対して戦いを宣言する。陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、すべての政府関係者は務めに励んで職務に奉行し、国民は各々その本分を尽くし、万民の心をひとつにして国家の総力を挙げて、敵地で戦うこの戦争の目的を達成するために、手違いのないように期せよ。

そもそも、東亜の安定を確保し、もって世界の平和に寄与するは、偉大なる明治天皇、偉大さを受け継がれた大正天皇が述べられたことで、遠大な構想として、私がいつも心がけている事である。

そうして各国との親交を深め、万国の共栄の楽しみを共にするは、これまた帝国が常に国交の要点と成すところなり。今や、不幸にして米英両国と交戦の扉を開くに至る。まことに止むを得ざるものあり。なんで交戦が私の本意であろうか。

中華民国政府は以前より我が帝国の真意を解せず、思慮も無く事を構えて東亜の平和をかく乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、ここに四年有余を経たり。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣のよしみを結び、あい提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の助けを当てにし、兄弟の南京政府と、尚いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援して、東亜の乱れを助長し、平和の美名に隠れて、東洋制覇の野望を遂げようとしている。そのうえさらに、帝国の同盟国を誘い、帝国の周辺において、戦備を増強して我が国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、遂に経済断交をあえてし、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。(筆者注・1941年月4月13日有効期間5年の日ソ中立条約締結しているので、ソ連狂惨党の名指しはないが、合作した中国国民党と共産党、支援国家米英仏ソとは、1937年9月国共合作②以後日本の反共戦争となり、交戦していた。

私は、政府をして事態を平和の内に回復せしめんとし、忍耐久しきにわたりたるも、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、いたずらに時局の解決を引き伸ばし、この間、かえって益々経済上軍事上の脅威を増大し、それによって我が国を屈従せしめんとす。

かくの如くにして、このまま続けば、東亜安定に関する帝国積年の努力は、ことごとく水泡に帰し、帝国の存立、また正に危機にひんせり。事すでにここに至る帝国は、今や自存自衛の為、蹶然「けつぜん(地を蹴って立ち上がる)」と起(た)って、一切の障礙「しょうげ(障害)」を破砕する以外に道はない。

天皇歴代の祖先のたましい上に在り、私は汝国民の忠誠勇武を信頼し頼りとなし、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根を刈り取り、東亜永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄を保全せんことを期す。

 

御 名 御 璽〔筆者注・御名「ぎょめい(天皇の名)」御璽「ぎょじ(天皇の印)〕 

   平成十六年十二月八日

                      各国務大臣副書

 

日本蜂起大東亜戦争開戦真実の詩「危急の日に」高村光太郎

 WGIPが形容する戦争讃歌詩などではない、開戦の真実を明白に語る昭和16年12月8日読売新聞夕刊1面高村光太郎59歳の悲愴詩。どうしてこれが戦争讃歌詩なのだ、64年間の仮想現実界の無検証無道理には驚くばかりだ。経済封鎖での降伏要求、日本蜂起で宗主国を追放し大東亜諸民族の独立、日本と諸民族団結、そして宗主国との対峙。軍民一丸蜂起の思いを語って、余りある。真実史観訳

 

危急「ききゅう(危険が迫る)」の日に

高村光太郎

「此日天気晴朗なれども波高し」とあの小さな三笠艦が曾て「かつて(以前に)」報じた。

波大いに高からんとするはいづくぞ。(日本を侵略せんとするは、どこぞ)

いま神明「しんめい(神のように明らかな徳)」の気(生命の活力の源)はわれら(日本)の天と海とに満ちる。

われ(日本)は義(道理)と生命(軍民一丸共生共死)とに立ち、かれ(侵略者)は利(利益)に立つ。

われ(日本)は義(道理)を護るといひ、かれ(侵略者)は利(利益)の侵略といふ。

出る杭を打たんとするは彼「ひ(侵略者)」にして、東亜の大家族(大東亜共栄圏)をつくらんとするは我(日本)なり。

有色の者何するものぞ(何も出来まい)と彼「ひ(侵略者)」の内心は叫ぶ。

有色(有色人種)の者いまだ悉く「ことごとく(皆)」目さめず(未だに食民治のままである)、憫む「あわれむ(気の毒に思う)」べし。

「ひ(侵略者)」の願(利益の侵略)使に甘んじて(行使に満足して)共に(英米蘭)(日本)を窮地に追はんとす。

力を用いるはわれの悲しみなり。

悲愴「ひそう(悲しくいたましい)」堪へがたくして(耐える事ができず)、いま神明の気はわれらの天と海とに満ちる。

 

「終戦から7年後の昭和27(1952)年に日本が独立すると、戦犯釈放運動が全国に広まり、当時のほとんどの成人四千万人が署名。翌28年に戦犯の赦免に関する決議が国会でなされ、社会党や共産党まで含めて、一人の反対もなく決議された」

軍民一丸の心情は戦前も戦後も一貫して揺るぎが無い。虐げられし世界の同胞も、揺ぎ無く遺志を継ぎ、戦後15(1960)年植民地独立付与宣言。開闢以来の戦国時代弱肉強食を破壊し、現代の平和を築いた。日本の仮想現実界だけが戦後真逆に変化し、64年経ても未だに亡国工作活動である。

 

1942年8月6日 「フランクリン・ルーズベルトの陰謀」 

1942年八月六日、ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した駐米公使のロナルド・キャンベルがルーズベルトから「劣等アジア人種」の「品種改良」というとんでもない提案を受けたと、書き残している。イギリスの外務次官アレキサンダー・カドガンに送った1942年8月6日付けの報告書。

 「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人(白人より二千年も遅れた頭がい骨をもつ)は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる。・・・日本人の頭蓋骨を劣等性の根拠として大統領がスミソニアン博物館の教授に研究させている・・・」 「ルーズベルト秘録」扶桑社文庫下巻

1943年7月タイへ旧領地返還 昭和18年7月に東条首相はバンコックを訪れ、イギリスやフランスにもぎ取られた旧領地をタイに戻した。タイ国民は躍り上がって喜んだ。

1943年8月1日 ビルマ独立。

1943年9月3日 イタリア降伏。

1943年10月14日 フィリッピン独立。

1943年10月30日 中国との不平等条約を撤廃し、対等の関係にした。

NHKや工作員が、傀儡国家南京政府、「漢奸」汪兆銘と罵り隠蔽した真実。

汪兆銘大東亜会議にての発言

「本年1月以来日本は中国に対し早くも租界を還付し、治外法権を撤廃し、殊に最近に至り日華同盟条約をもって日華基本条約に代え、同時に各種付属文書を一切破棄されたのであります。国父孫先生が提唱せられました大東亜主義はすでに光明を発見したのであります。国父孫先生が日本に対し切望しましたところの中国を扶け不平等条約を破棄するということも、既に実現せられたのであります」

1943年11月5日 大東亜会議。

 1943年11月6日、占領地域の協力体制強化のための会議が東京で開催。日本(東條英機首相)、満州(国務総理帳恵景)、中国(南京政府代表汪兆銘)、タイ(ワンワイタヤコン首相代行)、自由インド仮政府代表(チャンドラー・ボース主席)、フィリピン(ラウレル大統領)、ビルマ(バモー大統領)が出席。共存共栄・自主独立を尊重・伝統を尊重・互恵提携・人種差別を撤廃・資源の開放(貿易の自由化)などを定めた「大東亜共同宣言」を採択した。AU(Asia Union)(アジア連合)を目指したのだ。

大東亜共同宣言

「抑(そもそ)も世界各国が各(おのおの)其の所を得相倚(あいよ)り相扶(あひたす)けて万邦「ばんぽう(万国)」共栄の楽を偕(とも)にするは世界平和確立の根本要義なり。

 然(しか)るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞(たくま)しうし遂には大東亜の安定を根底より覆(くつがへ)さんとせり。

 大東亜戦争の原因茲(ここ)に存す。

 大東亜各国は提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏「しっこく(手かせ足かせ)」より解放して其の自存自衛を全(まっと)うし左の綱領に基づき大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す。

 

一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確立し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す

一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す

一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚「こうよう(高める)」す

一、大東亜各国は互恵「ごけい(相互に図りあうこと)」の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す

一、大東亜各国は万邦との交誼「こうぎ(親しい交わりを)」篤(あつ)うし人種差別を撤廃し普(あまね)く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運「しんうん(進歩)」に貢献す」

 

 大東亜共同宣言は、東條大将が手帳「修養録」に記載し、常に軍服の上衣の物入れ(ポケット)に入れて、肌身離さず持ち歩いていた。

 米英は飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化。日本は大東亜の解放・人種差別を撤廃・進んで資源を開放(貿易の自由化)しと、戦争目的を明確に明記している。戦後の戦勝国迎合識者の教育は売国し、ここを抹殺し、極悪日本軍、極悪軍隊として執拗に洗脳した。原爆投下したアメリカや戦勝国に罪は無く、原爆を落とされるような悪いことを日本軍がしたから、原爆を落とされたと、捏造の歴史を日本に刷り込ませるために、執拗に洗脳したのだ。

 侵略戦争だったと、のたまう愚者がいる。侵略であれば、米英蘭中プラス全アジア戦争となり、まさしく勝者のすべの無い完全な自殺戦争となる。こんな選択をする愚者は古今東西絶無。日本勝利の唯一の作戦、宗主国対日本では必滅なので、植民地を解放し、大東亜各国の助力得て、宗主国対大東亜共同体独立戦争にすることであった。武運つたなく日本は敗れたが、大東亜各国は皆立ち上がり、独立した。日本軍や、東條英機が、大東亜解放の殉難者として祭られ、宗主国対旧植民地の対立へ拡大し、WW3になることを、宗主国やアメリカは極度に恐れた。結果、侵略者宗主国やアメリカを払拭し隠蔽するため、日本軍や、東條英機を侵略者に仕立て上げ、自らを解放者に捏造した。自身を解放者に捏造したいじょう、独立を認めざるを得なかった。こうして資源封鎖する宗主国は撤退した。大東亜共同宣言が宗主国を畏怖させ、独立をすみやかにうながしたのだ。常識で考えれば誰でも理解できることなのだ。

 

1944(昭和19)年3~9月 インパール作戦(インドの独立戦争)

 この作戦は色々批判もあるが、日本の本意を世界に示した戦いであった。この作戦が無ければインドの独立もなかったし、アジアの独立も無かった。先人が流した赤心の血適者生存の心(大東亜団結戦争、大東亜の適者生存、ひいては日本のために戦った)が、インドの独立アジアの独立をうながしたのだ。さらにこの流した赤心の血(適者生存の心)は現代の世界の史家や、かっての敵将の覚醒をもうながし宗主国撤退の起因となった。皆この作戦より、日本の本意にたどり着いている。

 

 ネルーもガンジーもラダ・ビノード・パールも、インパール作戦以後翻意している。NHKや朝日などの工作員は、インパール作戦以前のこの方々の反日証言を針小棒大に報道している。なぜ翻意したか、インド独立のため、ひいては日本のための比類なき適者生存護国の戦いざまを、目の当たりにしたからである。

  昭和19(1944)年3月、日本陸軍(牟田口廉也第十五軍司令官)とインド国民軍の合わせて十万の将兵が、アラカン山脈を越えて進撃を開始し、一時はコヒマを占領しインパールの周辺まで突入したが、弾薬、食糧の補給が途絶し、飢餓と悪疫が重なって撤退を余儀なくされた。

 

 インパールの山野は「白骨街道」と化し、日本軍の死者は三万、戦病者は七万。インド国民軍は数千人の犠牲者を出した。

 

 元クルガ兵(ネパール人)の証言。我々は世界最強の傭兵だ。第二次大戦で英軍の傭兵の時、マレー軍を3時間で撃破した。インド軍は1日で降参させた。だが、日本の正規軍との戦いは過酷で一週間不眠不休で戦わされ、我々も半数以上が戦死した。これだけの死闘は初めてで、勇敢な敵軍を尊敬したのはこの時だけだった。玉砕した日本軍の所に行ってさらに驚いた、日本軍は貧弱な武器なうえ食料も、わずかな米しかなく、日本軍の死体はみんなやせ細っていた。戦友が死んだ時には泣かなかったが、敵である死んだ日本人を見て皆泣いた。

 

○英軍東南アジア総司令部司令官マウントバッテン大将

 「かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服や靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力だけだった。指揮の崩壊と飢餓に追いつめられたとき、前途に横たわるものは生地獄だった。日本軍はインパールにおいて、また全ビルマにおいて敗れるべくして敗れた。兵理である。日本軍はインパールにおいて、ついに敗れた。しかし、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーがいみじくも喝破したとおりである。『すなわちもし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』

日本軍に関する報告書

①日本軍はアアジア諸民族の眼前で、彼らがとてもかなわぬと思っていた 欧米軍を 一挙に爆破した。

②とても独立の意思も能力もないと思っていた植民地民族を戦時中の短期間の組織し訓練し、強烈な愛国心をかきたて、軍事力も行政力も見違えるばかりに変貌させた。いわゆる《metamorphosis(魔術的変化)》を遂げさせた。このことは、当時の連合軍の誰も予想できないことであった。

③日本軍は敗戦すると、連合軍との間に交わされた停戦協定に基づいて、武器は全部連合軍に引き渡すことになっていた。ところが、日本軍はインドネシア軍に『武器が奪われた』と称して巧妙に裏で武器を渡していた。それによって、これまで『猫』のようにおとなしかったインドネシア人が『虎』に変身し、ついに独立を達成したのである。回想記「ビルマ戦線の大逆襲」ルイス・マウントバッテン。4につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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