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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観4東條英機真実昭和天皇下賜勅語と墓参りと修養録記載告日本国

マウントバッテン司令官ネパール国王の戴冠式パーティの席での皇太子殿下への言葉
 インド独立のための工作をした藤原岩市中佐がインパールへの遺骨収集実現のためインド側と交渉し、昭和50年(1975年)に無事それを実現させ、現地の人々の予想外の協力を得て帰国した。その模様を東宮御所に参上し、皇太子殿下(今上天皇陛下)に報告されたときに皇太子殿下が、マウントバッテン元帥の言葉を仰せになられた。

 「藤原さんの報告を伺って、事の次第が分明いたしました。先月、ネパールの戴冠式に参列した節、パーティの席で、英国首席随員・マウントバッテン元帥が私を捉えて、いとも懇ろに『過ぐる戦争中、私が東亜連合軍総司令官として、印緬戦域で対戦した日本軍将兵は、その忠誠、勇敢、規律厳正さにおいて、古今東西無類の精強でした。あのような素晴らしい将兵は、今後いずれの国にも生まれることはないでしょう』と激賞してくれた」(藤原岩市「進めデリーへ」の反響に想う)

 かっての敵将も、インド独立のため、ひいては日本のために流した日本の赤心の血に、日本の本意を見たのだ。そしてイギリスは宗主国からいち早く撤退した。

 

○アーノルド・トインビー(英国歴史学者)

 「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の汎神でないことを明らかにしたことである。」(1956年10月28日、英紙「オブザーバー」)

 

○ロンドン大学教授のエリック、ホプスバウ

 日本では殆ど知られていないが、インド独立のきっかけも大東亜戦争にあった。英国の著名な歴史家でありロンドン大学教授のエリック、ホプスバウは、二十世紀を回顧した近著「過激な世紀」の中で、「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派による非暴力の独立運動によってではなく、日本軍とチャンドラ、ボース率いるインド国民軍(I N A )が協同してビルマ(現ミャンマー)経由インドへ進攻したインパール作戦によってもたらされた」と述べている。

1944年7月9日約一ヶ月戦闘後サイパン陥落。米軍日本本土空襲の基地を得た。

1944年7月22日東條英機内閣総辞職。終戦約1年前の昭和19年7月18日東條大将は依頼により参謀総長を免じられ辞職、4日後の昭和19年7月22日には、サイパン陥落等の責任と、重臣工作により内閣総辞職。同日附で免本官並びに免兼官となり辞職、即日予備役編入。予備役で、終戦昭和20年8月15日を迎えた。

 

東條内閣総辞職の際昭和天皇が東條に下賜した異例とも言える勅語

真実史観補筆

 

 卿(東條)参謀總長として至難なる戰局の下、朕「ちん(私)」が帷握「いあく(作戦本部)」の枢機「すうき(かなめ)」に参劃「さんかく(計画の立案に加わる)」し、克「こ(良くできること)」く其任に膺(あた)れり、今其職を解くに臨(のぞ)み、茲(ここ)に卿(東條)の勲績「くんせき(てがら)」と勤勞とを惟(おも)い、朕「ちん(私は)」深く之を嘉「よみ(良いと認める)」す。

 時局は愈ゝ(いよいよ)重大なり、卿(東條)益ゝ(ますます)軍務に精勵「せいれい(つとめはげむ)」し、以「もっ(そして)」て朕「ちん(私)」が倚信「いしん(信用して頼りにする)」に副はむ「そはむ(側にいて助ける)」ことを期「き(約束)」せよ。

昭和十九年七月二十日午前十時二十分 御下賜

東條大将の手帳「修養録」にも記載している。

 

 明治憲法 

「第11条・天皇は陸海軍を統帥す」

「第13条・天皇は戦を宣し和を講じ及び諸般の条約を締結す」

14条・天皇は戒厳を宣告す」 総理大臣に、開戦の権限なし。

 

 東條逮捕時に米軍に接収され、日の目を見なかったが、『毎日新聞』が発見し、1995年3月19日付けの毎日新聞に掲載された。天皇が御前会議で諮問する事はあっても、最終的に戦争を決断し、宣戦を布告するのは天皇の絶対的権限。朕「ちん(私)」が帷握「いあく(作戦本部)」の枢機「すうき(かなめ)」と自分が戦争指導をされた事を認めている。この勅語は東条逮捕の折、GHQ に押収されており、天皇に戦争責任があった事はGHQも熟知していた。東條大将が常に軍服の上衣の物入れ(ポケット)に入れて持ち歩いていた手帳「修養録」にも大東亜共同宣言と共に、記載されている。覚悟の自殺であれば、戦争責任天皇に有りの証拠の品、手帳と共に処分していたはずだ。

 

「昭和天皇のご信認」 昭和天皇の東條観が、木下道雄氏の「側近日誌」にある。

 『東條はそんな(悪い)人間とは思わぬ。彼程朕「ちん(天子の自称)」の意見を直ちに実行に移したものはいない。』

 これに勝る頌詞は無いだろう。

『 木戸幸一日記』

「米国から見れば犯罪人ならんも、我国にとりては功労者なり」

 昭和20年12月10日に記された昭和天皇の言葉。この4日前、天皇から夕食会に招かれた木戸は、戦犯容疑者指定を理由に辞退しようとしたところ、冒頭のように言われたという。また昭和天皇は木戸幸一の葬儀に、勅使を送ろうとしたが、側近に制止されて断念していることも知られている。

2009/07/02 動画 昭和天皇とマッカーサーの会見を通訳官が証言
「昭和天皇独白録」について

1988年、米国ワイオミング州キャスパーでマリコ・テラサキ・ミラーによって発見された、昭和天皇の口述書類。

 同書は、松平慶民宮内大臣、松平康昌宗秩寮総裁、木下道雄侍従次長、稲田周一内記部長、寺崎英成・御用掛が昭和天皇の記憶を聞き語りしたもので、その参考書類として「近衛公日記」と迫水久常の手記が添付されている。聞き語りが始まったのは昭和21(1946)年6月1日から、まず張作霖爆殺事件から起稿されている。四日間計五回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたものである。この記録を残したのは、当時、昭和天皇の御用掛をつとめていた寺崎英成である。昭和天皇はここできわめてざっくばらんにその時々に感じたこと、また人物月旦評を語っており、きわめて興味深い。

 時の御用掛 寺崎英成は日米開戦まではワシントン日本大使館詰の一等書記官だったが、開戦後夫人(アメリカ人女性グエンドレン・ハロルド)と娘とともに、日本に送還された。終戦後は終戦連絡中央事務局に配属、日本政府と占領軍総司令部との間の連絡業務を担当したが、昭和21年2月に宮内省御用掛となった。寺崎が脳溢血でなくなられて、一家は夫人の故郷アメリカテネシーに帰国した。

 娘のマリコ・テラサキ・ミラーの息子のコール(娘の子供、寺崎氏の孫)が祖父の生涯について興味を抱き遺品を整理しているうちに、この記録を発見したものの、息子も日本語はダメなので、息子の知り合いの大学教授にみてもらい、さらに教授から東京在住の日本現代史研究の権威に転送された。そしてはじめて、この記録が 「歴史資料として稀有なものである」との回答を得た。これを機会に、娘は、この記録が持つ公共性に鑑み、これは我が家が独り占めにしておいてはいけない、公開されるべきものであると考え、1990年12月号「文藝春秋」に全文掲載され公開された。

 しかし、本書を読む上で注意すべき事は、「独白録」が東京裁判で天皇が訴追されないための弁明書であった点である。

 これは本書の英訳版が見つかったことで明かである。そのため、どうしても所々にその意図が現れていることに注意すべきであろう。昭和天皇が自分の戦争責任について『独白録』のような弁解と保身の文書をGHQに提出していたと、揶揄する者もいるが、天皇や護国指導者は逃亡していないのだ。逃亡もせず、敗戦の責任をとっている。揶揄する前にこの人としての重い事実を受けとめるのが先だ。敗戦、逃亡は世の習いなのだ。昭和天皇独白録 

「昭和天皇独白録」
昭和21(1946)年6月1日から、四日間計五回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたものである」昭和21年は、日本中が東条叩き真最中で、東条の味方など皆無、しかも昭和天皇自身の処遇未だ定まらず、ましてやGHQ提出文書である。そして5人立会いの聞き書きでもあるこれまでの富田元長官の出自不明のメモや、侍従一人の感想文とは、訳が違う。そして犯日団が無視した事は、語るに落ちている。まさに昭和天皇東条を語る第一級の資料である。

「昭和天皇独白録」東条という人物

 元来東条という人物は、話せばよくわかる、それが圧制家のような評版が立ったのは、本人が忙しすぎる為に、その気持ちが下に伝わらなかった事と憲兵を使いすぎた。東条は一生懸命仕事をやるし、平素云っている事も思慮周密で良い所があつた。「マリアナ」の防備も彼が参謀総長を兼ねてから後に、督促しやっと出来たが、時既に遅かったあの時、非戦闘員の玉砕には極力反対していたが、世間では東条が玉砕させた様に至っている。

・・・田中内閣の苦い経験である。東条を退けても、彼より力のある人物がいないこと、東条が大東亜の各地の人々と接触しているので、之を無視して内閣を更迭すれば、大東亜の人心収拾が出来なくなると考えたからである。

 東条は平沼から云はれて辞表を提出した。袞龍の袖に隠れ「こんりょうのそでにかくれる(天子の威徳に隠れて勝手なことをする)」るのはいけないと云つて立派に提出したのである。

 私は東条に同情してゐるが、強いて弁護しようと云ふのではない、只真相を明かにして置き度いから、之丈云つて置く。「昭和天皇独白録」マリコ・テラサキ・ミラー著文芸春秋

昭和天皇もう一つの「英語版独白録」

 1997年6月に放送されたNHKスペシャル『昭和天皇二つの「独白録」』の内容を中心に書き下ろされた本。「英語版」の原文と翻訳に加えて、元侍従長、稲田周一の「備忘録」が収録されている。フェラーズの日記や書簡など(「フェラーズ文書」)を発見し、その中に「独白録」の英語版とでもいうべきものを探し当てたという功績がある。この本では、その他にもフェラーズの細かな動きを再構成していて、太平洋戦争の後期から占領期にかけての事情がわかりやすく記されている。昭和天皇 二つの「独白録」東野真 / NHK出版 /1998年7月25日

 

殉国七士追悼式に参加して 若狭 和朋氏より抜粋http://www.k3.dion.ne.jp/~sangane/sangane20.htm

昭和天皇の墓参り

 ・・・三ヶ根山の七士の墓の極く近く(700メートルくらい)の山腹に一軒のホテルがある。昭和(1979)五十四年五月二十六日、天皇皇后両陛下はこのホテルに宿泊された。翌日の植樹祭に御出席のためである。植樹祭の行なわれる場所は当時の愛知県西加茂郡藤岡町(現豊田市)西山中地内の県有林(現・昭和の森)であった。開会は午前十時であった。三河の首邑は岡崎であり、現地には最も近い。名古屋からも現地は近い。最も遠いのが三ヶ根のホテルである。にもかかわらず、このホテルに御宿泊されたのは陛下の強い御内意によるという。

 当日の朝、お部屋で七士の墓の方角に対して両陛下は不動のままに佇立「ちょりつ(しばらくの間立ち止まる)」されていたという。御内意といい、御佇立といい、ともに責任のある地位にあった元政府高官の証言である。ホテルにその日の御様子を確かめても「私どものレベルでは:」と笑う。それはそうだ。「なぜおたくのホテルに:」と尋ねると、「JR系のホテルだからかと:」と困惑を隠さない。気の毒である。「両陛下にお泊りいただいたホテル」というのは本来なら金看板のはずだ。言葉の端々に「警戒」の気配りが見える。サヨクやその仲間のマスコミを警戒しているのだろうか。

 A級戦犯の靖国神社への合祀はこの「墓参り」の前年の昭和五十三(1978)年十月十七日である。・・・

 

 日本精神の根源には、必ず主従を一体とするこの呼応がある。「公」があって「私」が無い、この呼応が日本人の本質なのだ。天皇の赤心・・・以「もっ(そして)」て朕「ちん(私)」が倚信「いしん(信用して頼りにする)」に副はむ「そはむ(側にいて助ける)」ことを期「き(約束)」せよ。・・・を、臣英機は大恩に思い、肌身離さず身につけていた。天皇の赤心に報いること無き自殺など、ありえない。
http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_6/shouzou.html  http://diarynote.jp/d/67247/_6.html

日本は神の国(多神の国)宗教の国(多宗教の国)

 日本は神の国である。日の神、山の神、田の神、海の神、火の神、水神、雷神、風神、荒神(かまどの神)、産土神、道祖神等々と森羅万象の自然を、生命体をつかさどる絶対神(造物主)として崇め、採り尽くさず共生してきた、唯心が日本の歴史である。戦いの敵将も弔うのは、敵将(人間)としてではなく、生きとし生けるもの、生命体としての観点からである。トルコ(イスラム教)、ポーランド(キリスト教)との、激動の中の100年に渡る友好は、付け焼刃に非ずを物語って余りある。宗教は人間界の神で、生命体の神ではない。人間は多種多様なので、宗教も多種多様となり、日本では信教の自由が保障され、仏教、イスラム教、キリスト教等々、よろずの宗教が存在する。日本は神国、宗教国といえる。

 戦前の神国とは多神教、八百万の神々がおわす国の意である。戦後63年経た現在も八百万の神々がおわす国で、日本は神国である。神国と発言すると、犯日団が即座に異常に反応し非難するが、騒ぐほうがおかしい。八百万の神々の社が今も現存し、国民は神として崇めている。八百万の神々が今もおわす日本を、神国呼称、何の奇異があろう。神国呼称しないほうが、不自然だ。神国日本は厳然たる日本の歴史で真実だ。日本の歴史や真実を否定する犯日団の正体は、唯心(神や宗教)否定、唯物捏造が教是の唯一神教であるカルト教、凶産と、便乗した朝鮮愚民政策侮日団である事を、明白に自白している。

 ヨーロッパは、宗教戦争の歴史であるといっても過言ではない。そのヨーロッパフランス人の詩である、上記歴史を踏まえれば、以下の理解は容易である。この詩を素直に読めれば、覚醒した先覚者である。(注・天皇は石原都知事やWGIPや犯日団捏造の絶対君主、独裁者、権力者ではない、使者である。日本国森羅万象八百万の神々の使者として、日本の歴史は天皇を、崇めてきたのは史実である)

詩『告日本国』

 東條英機が常に軍服の上衣の物入れ(ポケット)に入れて、肌身離さず持ち歩いていた手帳「修養録」に、これも記載されている。

ポール・アントワーヌ・リシャール 

フランスの詩人、弁護士、キリスト教の牧師。大正5年来日(1916~1920年滞在)大正6年、1917年『告日本国』発表。彼は、東西の精神文化の融合と人種差別撤廃の生涯であった。1919年大正8年、パリ講和会議。日本が人種差別撤廃案を提案。日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領ウィルソン(民主党,アメリカ大統領二人目のノーベル平和賞受賞)の「全会一致でない」という詭弁によって退けられた。

 

『告日本国』

ポール・アントワーヌ・リシャール(野口薔薇・大川周明 真実史観訳)

 

 曙の子ら海原の子らよ、華と焔「ほむら(炎)」の国、力と美の国の子らよ聞け。

 涯(はて)しなき海の渚の波が、日出づる国の島々を褒めたたうる栄誉の歌を。

 汝(なんじ)の国に七つの栄誉あり。ゆえにまた七つの大業あり。さらば聞け、

 その七つの栄誉と七つの使命とを。

 一、独り自由を失はざりし亜細亜唯一の民よ、

   汝こそ亜細亜に自由を与うるべきものなれ。

 

 二、かねてより他国に隷属せざりし世界唯一の民よ、

   この世のすべての隷属の民のために、立つは汝の使命なり。

 

 三、かねてより滅びざりし唯一の民よ、

   すべての人類幸福の敵を滅ぼすのは汝の使命なり。

 

 四、新しき科学と古き知恵と、欧羅巴(ヨーロッパ)の思想と亜細亜の思想とを、

   内なる心に統一する唯一の民よ、これ等二つの世界、

   来(きた)るべきこの世のこれらの二つを統合するは、汝の使命なり。

 

 五、流血の跡なき八百万(やおよろず)の神をもてる唯一の民よ、

   すべての神々を統一して、

   更に神聖なる真理を発揮するは汝なるべし。

 

 六、建国以来一系のすめらぎ(天皇)、永遠に亘る一人のすめらぎ(天皇)を奏戴

   「ほうたい(謹んでいただく)」する唯一の民よ、

   汝は地上の万邦「ばんぽう(あらゆる国)」に向かって、

   人は皆一天(造物主)の子にして天を永遠の君主とする一つの国を、

   建設すべきことを教えんがために生まれたり。

 

 七、万邦に優れて統一ある民よ、

   汝は来たるべきすべての統一に貢献せんがために生まれ、

   また汝は、戦士として人類の平和を促(うなが)さんために生まれたり。

 

 曙の子ら海原の子らよ、かくの如きは華と焔(ほむら)の国なる汝の、七つの栄誉、七つの大業なり。  

 

完  ポール・リシャル、大川周明訳『告日本国』山海堂出版部, 大正6 

 孤独な護国指導者を、どれだけこのフランス人の詩が、勇気づけ、励ましたことか、計り知れない。

 

「修養録」主な内容

「力行不惑是豪雄 方寸唯存一字忠 群議紛々何足數 江湖満地應聲蟲」という、昭17年12月の日付入りの徳富蘇峰の漢詩。

藤田東湖や木戸孝允等の漢詩。

頼山陽の楠公詩。

楠正成の言葉。

昭和11年3月11日陸軍大臣を召され賜りたる天皇陛下の御言葉(2・26事件に関して)。

元田永孚が明治11年に明治天皇に言上した内容。

北部仏印進駐第五師団葛尾少尉辞世歌。

沖縄最高指揮官牛島中将訣別の歌。

神風特攻隊第二御楯隊長村川弘怠大尉の辞世。

松尾芭蕉・細川幽斎・一休の歌。

仏詩人ポール・リシアールの「日本に告ぐ」。

「大東亜共同宣言」(昭和18年11月6日)。

昭19年3月21日毎日記事「道は近し」。

参謀総長退任に当り賜りたる勅語(昭和19年7月20日)。

薫空挺隊ヲ送ル富永軍司令官作の歌。

薫空挺隊長中重男中尉の辞世(昭19年11月26日決行)。

戦局要言(昭和19年)。

沖縄最高指揮官牛島中将訣別の歌

昭和20年6月9日第87回帝国議会における陸軍大臣演説の抜粋。

特別戦功者名。

楠公遺訓。

若林中尉の最后の言葉。

前線将士総攻撃を控えての戦場訓。

五省。

高井戸第四国民学校朝言葉(栗原先生)。

勝ちぬく誓。

などであり、広範多岐にわたっています。東條英機陸軍大将について 修養録より 

1944年11月24日無差別・都市爆撃は、この日から敢行され、1945年8月の終戦まで連日連夜のように9ヶ月間続き、延べ30回、B29・4900機、投下焼夷弾の数は実に39万9,000発、通常弾1万1,000発余が日本市民の頭上に、無差別に落とされた。

1945年3月26日約一ヶ月戦闘後硫黄島陥落。

1945年4月米軍沖縄に上陸戦。

1945年4月日ソ中立条約(1941年4月~1946までの5年間)の不延長通告。1945年4月7日小磯邦明内閣総辞職。鈴木貫太郎内閣。ソ連を仲介とする終戦工作を試みたが、協力を得られず失敗。

1945年4月12日 ルーズベルト大統領昼食中脳卒中で死去。

1945年月5月8日 ドイツ降伏。

1945年6月23日沖縄戦終戦。ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会において、聖書に誓い、証言)

 ・・・米海軍がフィリピンと沖縄を奪う頃には、海上封鎖も可能となった。そのために、日本陸軍を維持する供給は、次第に届かなくなった。封鎖したとたん、日本の敗北は決定的となった・・・

 (注・包囲し封鎖した米国軍人は、日本の敗北は決定的となったので、敗者なぶり殺しの原爆投下に、猛反対した。アメリカの主張「原爆投下で連合軍兵士数十万人と日本人数百万人を救命。子供への教育はこうなされている」は負い目払拭用の詭弁だ。本土決戦などせずとも、米国は攻めず、封鎖し、兵糧攻めで勝てたのだ。換言すれば沖縄戦以後のアメリカは、日本を封鎖し、昼寝しているだけで勝てたのだ

1945年7月26日無条件降伏(日本の軍だけが無条件降伏。他は有条件降伏)を要求する、米英中3カ国によるポツダム宣言。(注・日本の敗北は決定的となったので降伏要求したのだ)

1945年8月6日広島原爆投下(ルーズベルトとトルーマンが敗者をなぶり殺し、もてあそんだ戦争だ)

1945年8月8日日ソ中立条約有効期間内にもかかわらず破棄し、ソ連終戦1週間前に参戦。共産ではなく、侵略者の実体、凶産を、自ら暴露したのだ。百七十万人のソ連軍が満州に攻め入った。凶産党は世界の元凶なのだ。(スターリンが敗者をなぶり殺し、もてあそんだ戦争だ)

1945年8月9日長崎原爆投下(ルーズベルトとトルーマンが敗者をなぶり殺し、もてあそんだ戦争だ)

1945年8月14日スイスを通じてポツダム宣言受諾を通知。満州葛根廟に向かって避難中の無辜の市民、老人、女、子供千数百人がソ連軍に惨殺された。葛根廟(かっこんびょう)事件

日本は「ポツダム宣言」の8項目の条件を受諾し条件降伏をした。軍隊だけが無条件降伏。

 日本の降伏に最大の障害となっていたのは、ルーズベルト前大統領が言い出した己の陰謀や捏造を隠蔽するための、「無条件降伏」であった。無条件降伏ともなれば、占領、賠償金、領土割譲、戦争指導者の処刑など、戦勝国に何をされても文句は言えないわけで、国政に対して護国護持という責任を持つ政府が決して受諾できるものではない。無条件降伏を求める事は、「全滅するまで戦うしかない」と相手を追い詰めることに他ならない。日本民族の殲滅を宣言した事になる。マッカサー証言のように日本攻略は、空爆原爆で老若男女を殺戮せずとも、兵糧攻めすれば勝てるのだ。ルーズベルトは日本人種の絶滅を画策していた。ホロコースト、都市空爆作戦がその証拠だ。ルーズベルがもし生きていたら、無条件降伏を突きつけられ、空爆ですべての都市は破壊され、原爆も2個ではすまず、国は分断され、殲滅状態にされていたはずだ。想像するだけでも恐ろしい。終戦前の1945年4月12日、昼食中脳卒中で死去は、天の裁きを受けたのだ。我々はルーズベルトに天罰を下した天に、平伏して深謝する。

 グアム、サイパン、硫黄島、沖縄などの玉砕地で米軍が投降を呼びかけたとき応じればよいという意見がある。ほとんどの米軍は、皆殺し作戦であった。投降を呼びかけたのはわずかな個人の人に過ぎない。ルーズベルトの要求は「無条件降伏」である、極限状況下の兵士が、矛盾する要求に応じられるものだろうか。市民の自決は、米軍の皆殺し作戦、マスコミが煽った鬼畜米英の恐怖、それが市民の自決に拍車をかけた。マスコミは戦陣訓のせいにするが、前述のように兵士や、ましてや市民は知らなかった。

ルーズベルトの死亡などにより、無条件から有条件に変わり護国護持が保障されたから有条件「ポツダム宣言」を受諾した。

 「ポツダム宣言」13項目のうちの第5項には、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ」と、記載され、6から13項目まで8項目の条件が明示されている。「ポツダム宣言」は、降伏条件を明示したものである事は明々白々な事実なのだ。5につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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