QLOOKアクセス解析

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
2017 06123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 08

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

真実史観7東條英機真実輸血治療皆無で三時間カメラや記者の晒し者にした米軍

 午後4時19分左胸部を撃った~午後5時19分傷口を洗浄するのみ~午後6時25分米軍医師縫合か~午後7時出発~第98陸軍野戦病院到着(早くても8時30分以降治療輸血だろう)。左肺を貫通一時間後消毒、二時間後縫合モルヒネ注射、四時間以降に治療輸血。左肺を貫通で二時間後に縫合である、出血多量で死なないものだろうか、四時間も輸血なしで、もつものだろうか?そして、なんと緊急搬送もせず、三時間も新聞記者の晒し者にし、カメラマンまで呼び寄せ撮影している(下記参照)。作意無しと思うほうが、異常で、語るに落ちている!

東條が治療を受けている間踏み込んだ多数の記者の報道合戦

・・・一人の記者が電話で送稿している間に、他の一人が東條が横たわっている部屋のドアから大声で知らせ・・・最新の状態を報道・・・

・・・いつ東條の小さな胸が動かなくなってしまうかについて、賭けがなされた。

・・・冗談が交わされていた。(東條は自分で名誉負傷章を手に入れた)

・・・「土産物さがし屋」が忙しく活動していた。・・・東條の血まみれの乗馬ズボンから見事な三角形を切り取った。同様に残忍な他の連中は、血のりの中に自分たちのハンカチを浸していた。

・・・部屋はいまや、記者や、将校、兵士でいっぱいになった。誰もかれもが、東條の死を待っていた。

・・・カメラマンが到着した。・・・「東條の頭をもう少し右に動かしてくれ・そこで止めて・素晴らしい・僕は東條が連発ピストルを手にしている場面を撮りたい・すまないが君、そのピストルを彼の頭のところにあてておいてくれないか」・・・彼らは東條の足を組ませたり、開かせたりした。彼らは、家や秘書や召使を撮影した。

・・・軍のカメラマンが部屋に入ってきた。火の消えた葉巻を口の一端にくわえていた。・・・「ところでこれは誰なんだ」・・・記者が「東條だ」と無造作に答えた。・・・「この東條というのはどういう男かね」と聞いた。「東條、東條大将は日本の独裁者で、真珠湾の時の首相さ」と彼は答えた。カメラマンはびっくりして、口を大きく開け、それから葉巻を窓から投げ捨てた。「この男がすべての原因だったんですね。こいつがいなけりゃ、おれはいまごろ故郷でのうのうと暮らしているところだろうよ。この老いぼれめ、おれはこのカメラで、なぐってやりたいよ」(ケリー・アンド・ライアン)

・・・部屋の空気は煙草の煙でますます汚れていった。・・・再開したアメリカ人記者とオーストラリヤ人記者とが、東條の頭ごしに、抱擁し、ガダルカナル当時の思い出を語り合った。・・・(ロバート・ビユートー著「東條英機」)

 

眞相箱報道 聯合國總司令部民間情報敎育局編

『眞相箱 太平洋戰爭の政治・外交・陸海空戰の眞相』

東條大將の自殺は狂言か

東條大將は狂言自殺を圖つたのですか? 

・・・バーンズ伍長が飛ぶやうにして、東京郊外にある東條大將の家へかけつけたことは申すまでもありません。そして彼はそこで、元首相が自殺を圖つた瞬間の、何枚かの貴重な寫眞を撮影したのであります。この寫眞はその後目撃者の記事と共に、雜誌ヤンクに掲載され、東條大將の自殺が絶對に狂言でなかつたことを充分明らかにしてをります。大將は本當に死ぬ積りでゐたのです。たゞそれがうまく行かなかつたといふに過ぎません。

・・・約一時間して、一人の日本人の醫者が來ます。第六番目の寫眞では、その醫者が大將を診察してをります。大將は醫者の手當を拒み、死なせてくれといひますが、アメリカ軍中尉は、その醫者に對し全力を盡くして大將の命をとりとめるやう命令を下します。醫者は沈痛な面持で、自分には手を施す術がない、大將は死ぬだらうと語ります。

・・・第七番目の寫眞では、一人のアメリカ軍の軍曹が來て、大將の輸血に取りかゝるところが見られます。軍曹の言により、傷は大して重いものではなく、少なくとも始め考へられたほど重いものではないと判ります。大將は自分が死んだとき、一見して東條英機の死體であると判るやう、頭を射たずに心臟を射つた譯ですが、的が外れて心臟を射つことが出來なかつたのであります。

・・・次の寫眞には、別の室に設けられた淸淨な祭壇が撮つてゐます。大將はその前で自決するつもりだつたのです。後に大將が語つたところによると、時間がなくて古式に則つてそれを行ふことが出來なかつたといふことであります。自刄のために用意した一本の短刀が、大將が三十ニ粍拳銃で自決を圖つた室の眞白い布地の上に置かれてゐます。GHQ民間情報教育局『真相箱』(1946年8月発行)

 

アメリカ側の証言検証

 『真相箱』は、写真を紙芝居のように使い自殺の模様を説明している。

東條英機に意識が有り、朝日新聞記者の質問に応答したとは記載無し。軍のカメラマンの言いなりに従う様は東條英機に意識無し、明らかに無意識のようだ。日本人医師の治療記載有。日本人医師との会話記載無し(捏造宣伝が目的の『真相箱』だけの報道である)。作意無しと思うほうが、異常で、語るに落ちている!

 

朝日新聞長谷川記者『証言 私の昭和史 6』東条大将自決ならず

長谷川記者「そばへ行きましてよく見ました。赤いものが出てるんです。左の腹部から、赤い綿のようなものが出てるんですね。これは肺臓の一部だと思ったんです。それで数えてみまして、あばら骨の四番目と五番目の間かな、という感じですね。常日ごろ、心臓を撃とうとしていて、やりそこなったのですね。心臓をかすめて肺臓の一部を貫通したといった感じでした」

・・・MPとしては、これで自決をはかったということはわかりましたから、手当てをしようとするわけでしょうね。どんな手配をしたんでしょうか。

長谷川記者「すぐ、軍人の一人が寄って来て、止血をしようとするわけですね。しかし、大将はそれを払いのけるから、かえって血は余計出ますしね、それを押えてるということもできないし、急いで近くの医者を呼ぶわけですが来ない」

 ・・・それには何かわけがあるんですか。

長谷川記者「それは近くの医者で、東条さんの所へいつも出入りして、自殺の相談にものってた人なんですねえ」

・・・それでは、まさかの時にはこういうふうにお撃ちなさいという指示をあたえていたわけですか。

長谷川記者「そうなんです。広橋伯爵夫人から伺ったんですけれども、広橋伯爵というのは、当時東条さんの秘書官だったんです。それで東条さんはお医者さんから、左の心臓の辺にをつけてもらって、指を当てがって撃つ練習をしたといいます」

 ・・・そこはどうなんでしょうかねえ。こめかみを撃つとか、口の中に突っ込んで撃つとかいう方が、確実のような気がいたしますが、心臓をねらったというのはわけがあるのでしょうか。

 長谷川記者「それも広橋伯爵夫人から聞いたんですが、こめかみを撃つと顔色が変わるというんです。顔色が変わって自分であるということが識別できなくなるというのです」(注・近親者は後述の東条証言をソースにして、このように狂言自殺払拭に皆努めた)

http://nanigasi00toua.blog63.fc2.com/blog-entry-46.html


畠山重人
(東条英機秘書)と荏原医院荏原為明医師の話

畠山清行『東京兵団』 畠山清行ハタケヤマ・セイコウ (1905-1991)北海道石狩町生れ。本名きよつら「せいこう」は筆名。

 

 「・・・私が行った時はピストルもなにもなく、出窓の棚に軍刀が置いてあって、MPが三、四人、丸卓子を囲んで椅子に腰かけていた。東条さんは、その向側のソファに、ワイシャツの胸をはだけて寝ていたが、傷は左乳の斜め下に一センチぐらいの丸い穴があり、周囲は煙硝でくすぶっている。弾丸は背に抜けたとみえて、背には切傷のように縦に長い血線がついていた。弾丸は背から椅子の背を突き抜け、壁に突きささっていた。その傷からみて、非常に小型の拳銃で撃ったものだと判断した。

・・・その後私は、そのまま隣の部屋へ連れて行かれたのでこのことは知りませんが、部屋を出る時、東条さんは新聞記者らしい男に『この戦争は、正義の戦いだったのだ』というようなことを、話していました。畠山重人秘書の話」。(注・朝日新聞報道の東條大将の遺言では「・・・畠山水をくれ・・・」と記載され遺言の間同席しているような内容になっている。がしかしここでは「部屋を出る時」聞いたになっている)

荏原病院、院長荏原為明氏が迎えられたのは、それから約一時間後であった。

・・・私が診察していると、東条さんは「お前はなんだ?」ときく、「医者だ」と答えると「オレをなおすと、国のためにならんぞ」と言った。私は、気の短い方だから、とたんにむっとした。(今になって死ぬ奴があるか。堂々と裁判に出て、日本の正義を主張してやるべきだ)という考えだったから、顔色が変ったにちがいない。米兵はそれをみて「いま、東条はなにを言ったか?」と私にきく。私が知らん顔をしていると「お前、英語を話せるか」ときいた。私が首をふると、こんどは二世らしい男を連れて来て、その男が「東条はなにを言ったのか」ときいた。・・・

傷は心臓すれすれで、深さも薬指の第二節くらいまであったから、私はとうてい助かるまいと診断して帰った。(略)」(世田谷区玉川用賀町荏原為明氏談)

 

「東条首相は、窓の外から米軍に撃たれたのだという噂は、私も一週間ぐらい後にきいた。しかし、もし撃たれたものとすると、傷の位置からみて、横向きにでもなっていたところを非常に近くから撃たれたということになる。だが、私が行った時はソファの上に横たわっていて、どの辺の場所で撃たれたかもわからないのだから、なんとも言えないが、やはり自殺説が正しいのではないだろうか」(世田谷区玉川用賀町荏原為明氏談)(注・上記の話と話のトーンが異なる。上記の話には聞き手の作為を感じる

 

当時の陸軍人事局長額田担は「十一日午後、何の連絡もなくMP若干名が東條邸に来たのを、応接間の窓から見た東條大将は衣服を更めるため奥の部屋へ行こうとした。すると、逃げたと勘違いしたらしいMPは窓から飛び込み、イキナリ拳銃を発射して大将は倒れた。MPの指揮官は驚いて、急ぎジープで横浜の米軍病院に運びこんだ」との報告を翌日に人事局長室にて聞いたと証言している。最後の陸軍省人事局長額田担回想録

 

・・・さあそれからが、天井裏までさぐる徹底的な家宅捜索で、私のふところの遺書はもちろん、神棚にかくした色紙もとりあげられた。彼らがただ一ヵ所みのがしたのは台所の縁の下で、おかげで革鞄だけは没収をまぬがれたが、中身は保険証書などで大したものはなかった。家宅捜索が済むと、後は兵隊たちが箪笥の裏までかき回し、娘さんの赤い帯や草履まで持ち去った。彼らにしては珍しいものであったろうし『日本の東条の家から分捕って来た』ということが、国へ帰ってからの手柄話になるせいもあったろう。(畠山重人秘書談)『東京兵団』畠山清行

ロバート・ビュートー『東条英機(下)』にも同様の記載あり。米軍は東條家を接収しもぬけの殻にしていた。

 

朝日新聞長谷川記者畠山重人(東条英機秘書)秘書院長荏原為明の証言検証

 

 一見藪の中の証言のように思えるが整理してみよう。

 

長谷川記者 朝日新聞長谷川記者は、直接接触していない。証言「あばら骨の四番目と五番目」は新聞記事の左腹ではない。証言「それは近くの医者で、東条さんの所へいつも出入りして、自殺の相談にものってた人なんですねえ」。診察したのは荏原為明医師。相談していたのは別の医師、かかりつけの鈴木医師である。朝日新聞長谷川記者、アメリカ側の証言皆無。長谷川記者証言は、辻褄あわせの偽証である。

 

 朝日新聞記事荏原醫院よりの醫師診断の様子では「生命はとりとめるやうに見うけられた」。荏原醫院よりの醫師診断は「とうてい助かるまい」荏原醫師証言と米合衆国陸軍中佐P・クラウス報告。真相箱、「大將は死ぬだらう」。記者と醫師が真反対の証言。P・クラウス報告「午後6時25分、本官の要請でわが軍の軍医が到着した。軍医は、弾丸は左肺を貫通して心臓をかすめているが、生命はとりとめると思う」。「生命はとりとめると思う」は荏原醫師が帰った後の、午後6時25分以後の米軍軍医の診断。東條自殺捏造作戦の台本は「生命はとりとめる」で、朝日記者は見ていないと考えれば辻褄が合う。そして東條家の向かいの鈴木医師ではなく、なぜ荏原醫院なのか。東條英機と親しく、東條の身体を熟知した主治医鈴木医師なので、あえて避けた。自殺捏造作戦のため避けたと考えるのが、常識だろう。

 

 朝日新聞長谷川記者証言は、朝日新聞記事と辻褄あわせのための偽証である。直接接触したのは畠山重人秘書(介抱写真下記)院長荏原為明(アメリカ側の証言有り)だけである。

下記は自決直後の写真。バーンズ伍長撮影か?
blog_import_52747ce7cd344.gif

↑東條と畠山秘書。

 blog_import_52747ce9d997a.gif

↑治療中の東條。明らかに腹ではなく胸だ。出典 東亜の葉っぱ  東條英機

 

畠山重人(東条英機秘書)の証言 
 「部屋を出る時、東条さんは新聞記者らしい男に『この戦争は、正義の戦いだったのだ』というようなことを、話していました」は狂言自殺払拭のため、朝日新聞報道に追随し証言した。証拠は同席の写真だ。東条英機は話せる状態ではない。上記写真参照。常識で考えよう。上司の死の間際の遺言を、秘書が聞かないわけは無い、必ず同席し聞くはずだし、アメリカ側も真の自殺なら、朝日新聞記者などではなく、親類縁者同席させ聞かせるはずだ。真の自殺でないから、離されたが、正論だろう。朝日新聞報道の東條大将の遺言では「・・・畠山水をくれ・・・」と記載され、遺言の間同席しているような内容になっており、秘書証言とは異なる。詳細な秘書証言は逆に、朝日新聞報道の捏造を物語っている。畠山重人秘書は撃たれたことを知っていたが、当時の時代背景では、火に油を注ぐことになるので沈黙した。上司の死の間際の遺言を、秘書が同席もせず聞かなかった疑問や、秘書が一見した現場なのに、詳細な証言の謎もこれで消える。畠山重人秘書はこの真実を、必ず誰かに託しているはずである。畠山重人秘書の証言は畠山コードといえる。

 

院長荏原為明の証言 
 「私が診察していると、東条さんは『お前はなんだ?』ときく、『医者だ』と答えると『オレをなおすと、国のためにならんぞ』と言った。私は、気の短い方だから、とたんにむっとした。(今になって死ぬ奴があるか。堂々と裁判に出て、日本の正義を主張してやるべきだ)という考えだったから」は、上記のように東条英機は話せる状態ではない、偽証。東条英機が話したのではなく、この医師が後日心に思ったことを、話したのだろう。(今になって死ぬ奴があるか。堂々と裁判に出て、日本の正義を主張してやるべきだ)は、後日のマスコミの報道。報道の応答の言葉として東條の言葉が、逆に捏造された。前述の院長荏原為明の「米軍に撃たれたのだという噂」発言から察するに、捏造者は聞き取り側だろう。東條バッシング真っ盛りの後日の証言なので、こうなった。この医師は「傷は心臓すれすれで、深さも薬指の第二節くらいまであったから、私はとうてい助かるまいと診断して帰った。」とし、帰っている。「・・・現れた日本人医師は、明かに大将がサムライらしく死ぬことを望んでいるらしく、傷口を洗浄する以上の手当に熱意を示さなかった。・・・午後6時25分、本官の要請でわが軍の軍医が到着した。軍医は、弾丸は左肺を貫通して心臓をかすめているが、生命はとりとめると思う、と述べた」と前述のアメリカ側の証言有り。

 

偽証なら占領軍が去った後に訂正すればよい、いまだに訂正が無いのは真実だったからだという愚論がある。独立後もなぜ偽証者が名乗り出ないか。理由は簡単だ、歴史に名を残す売国奴となるので、真実は墓場まで持っていくしかないのだ。当時占領軍は何でも出来た、白も黒に出来た。証言よりも状況証拠が正しい。東条英機の言葉や遺言は、だれも聞いていない。アメリカ側の証言も皆無。

 

東條英機抑留後の東條家

 光枝(東條家長女)が久しぶりに帰ってみると、家のなかはがらんどうでなにも残っていなかった。米兵たちが次から次とトージョーの家を見学に来て、記念品として家財を持ち帰ってしまったのである。めぼしいものは、東條が自決した時、現場に入り込んだ新聞記者ら関係者が、持ち帰ったようだが、その後もみやげ物あさりは続いていた。東條が自決した時、確かに応接間にかかっていた大きな200号くらいの風景画は、額と木枠だけ残して絵を刃物で切り抜き持ち去られていた。

・・・応接間においてあった東條の長剣も短剣ももちろん無くなっている。また神棚の飾り具、さらには台所の什器、たとえば「東條」と焼印を入れたしゃもじやおひつ、箸の類いに至るまで一切合財が消え失せていた。しかも、彼らは土足で家中をあさり回ったため汚れ放題の廃屋に様変わりしていた。佐藤早苗著『東條勝子の生涯』

 

「米司令官に陣太刀送る」と米国捏造

 東條英機療養中「米司令官に陣太刀送る」など、米司令官の軍門に降ったかのような報道をされ、国民のひんしゅくを買った。作家の山田風太郎も「死に損なったのち、なぜ敵将に自分の刀など贈ったのか」と日記に記している。しかしこれは、米軍の陰湿な捏造だ。東條家は米軍に接収され、贈る物など皆無なのは、前述のように、明らかなのだ。接収したものを、東條英機を貶めるため贈られたと報道したに過ぎない。 

 拳銃を使用し短刀を用いなかった自殺については当時の朝日、読売、毎日の新聞でも阿南陸軍大臣ら他の陸軍高官の自決と比較され批判の対象となった。

 なんと用意周到に、自殺直後の写真まで撮影され、GHQのプロパガンダ『真相箱』が、執拗に狂言自殺ではない本当の自殺だと、宣伝しているのだ。常識で考えれば『真相箱』は捏造宣伝なので、貶めるため狂言自殺だと宣伝しそうなのだが、東條を弁護し辻褄を合わせ本当の自殺だと、宣伝しているのだ。

 プロパガンダ『真相箱』は捏造宣伝のための『捏造箱』なのだ。捏造宣伝すればするほど逆が真実なのだ。

 

戦後の卑屈な迎合者が競って媚を売りねじ曲げた戦後史

 「・・・昨日迄軍閥の機関であった新聞は、挙げて過去を清算し、掌を翻すが如く占領軍を謳歌し、軍部及び過去の指導者を攻撃し始めた。他人を攻撃し又は誣「し(事実をねじ曲げる)」ゆることは自分を擁護し、自分の責任を軽くするものと早合点した。終戦直後の昨今の状況ほど情けない日本の姿は又とあるまい」昭和61年に発見された重光葵の手記

 

 近衛文麿の女婿で、その秘書官をつとめた細川護貞は、東條の自殺未遂の報を知ると「傷つきたる後の談話といひ、今日に至りたる態度といひ、人間の出来損なひなること明瞭なり。かゝる馬鹿者に指導されたる日本は不幸なり」と翌日の日記に記した。…『細川日記』(9月12日の記述)『「文明の裁き」をこえて』牛村圭著・中公叢書・2000年発行(前掲書103~104頁

当時日本国民は、醜いことだが、敗戦責任転嫁用の標的を必要としていたことも事実だった。マスコミは占領軍に迎合し、東條叩きを開始した。

戦勝国の侮日宣伝に協力した当時の読売新聞や朝日新聞は、「大将が自殺に使用した拳銃は口径3.2ミリの玩具同然」との批判記事を検証もせず、戦勝国の言うがままに広く流布させた。自殺に用いるには確実性の低い銃であることから狂言自殺説の根拠になっている。「注・口径32(口径32=32/100インチ・ 1インチは25.4mm・径8.128mm)の銃はあるが口径3.2ミリの銃などない。新聞社の捏造報道。拳銃の口径は、45=45/100インチ=径11.43mm。口径38=38/100インチ=径9.652mm。口径25=25/100インチ=径6.35mm。口径22=22/100インチ=径5.588mm。

総大将が刀ではなく玩具同然の口径3.2ミリのピストルで、頭ではなく胸を撃ち、心臓から外れたため生き残ったと言うのだ。東條英機は、明治維新時に政府軍に蹂躙された東北出身ゆえか、「忠臣」と呼ばれるほど天皇を敬愛していた陸軍大学校出の生っ粋の軍人である。「忠臣」が天皇の弁護もせず、護国責任者が戦争開始の理由も弁明せず、自殺未遂とは、あまりにも出来すぎではないか。あまりにも米国の筋書きどおりではないか。

「東条元首相の自決並戦争犯罪人氏名発表に対する反響」京都府警察部特高課の報告

 ・・・東条元首相の自殺を図りたることに付ては、「死に遅れた現在に於ては戦争の最高責任者として男らしく裁判にかかり大東亜戦争を開始せざるを得なかった理由を堂々と闡明『せんめい(明確にする)』したる上、其責任を負うべきであった」となし、又、米兵に連行を求められて初めて自殺を図りたるは生を盗みおりたるものと見るの外なく、然も死に切れなかった事等詢「はかる(みんなに尋ねる)」に醜態なりとし同情的言動認められず・・・とすべての世論が東條に冷たい視線を送り、正に米国の筋書きどおりとなった。(注・前述の院長荏原為明の証言 「私が診察していると、東条さんは『お前はなんだ?』ときく、『医者だ』と答えると『オレをなおすと、国のためにならんぞ』と言った」東条捏造発言のソースがこれである)

 対敵諜報部隊(CIC)は政、財界、報道陣、更に各警察本部を通じて自殺未遂の反響を調査。同情は少なく「ことごとく非難」する声が強かった(CIC秘密文書)。占領軍が自殺捏造の効果を、調査したのだ。(中国新聞1998.11.30.付け4面)。

 東條英機は獄中で「助けてくれたアメリカ人に感謝している」と岩淵清巳に語り、迎合発言が多くなる。

『戦中派不戦日記』山田風太郎(1922~2001年。伝奇的時代小説を書いた小説家。風太郎忍法を創出)(20年9月)十二日(水) 曇

    ・・連合軍司令部より逮捕状を発せられた東条大将それを待つことなくピストルを以て自決を計ったが死に至らず、敵幕舎に拘留せられ、アメリカ軍軍医の手当を受けつつありと報ぜらる。8につづく⇒

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/tb.php/113-489b5ea4

フリーエリア
プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。